2005/08/15

土肥金山

  連休はいつもそうですが、出かけたくなくても、どこかしら出かけないと、後々その年の事が記憶に残らなくて、味気ないものです。 というわけで、今年の夏も形ばかりですが、出かける事にしました。 そういう時に目的地として手頃なのが、伊豆半島です。 いやあ、本当に観光地の近くに住んでいて幸いでした。

  今回の目的地は、土肥の『土肥金山』と、天城の『いのしし村』です。 市町村合併のせいで、土肥も天城も、同じ伊豆市になってしまいましたが、旅行者の感覚では全然違う所です。 恐らく、住民の方々は、もっと違うと思っている事でしょう。

  まずは、沼津から海岸線伝いに南下して、土肥へ。 伊豆の西海岸の道は、グネグネ折れ曲がっている上に、高低が激しく、お世辞にも走り易い道路とは言えませんが、道なりに走っていけば確実に到着するので、その点は気楽です。 静浦、西浦、大瀬崎、井田、戸田と進んでいきます。 戸田までは、今年の五月に来ているので、この辺は別に語る事はありません。 戸田から土肥までは直ぐです。 土肥は戸田より一回り大きい町で、都市的な生活をするのにほぼ充分な体裁を備えています。

  土肥金山には、15年位前にも一度来ているのですが、その頃は、坑道跡をちょっと見せるくらいの軽い見学場所でした。 その後、大規模に整備されて、土肥最大の観光スポットに生まれ変わったそうで、一度見てみようと思っていたのです。 特に、三菱マテリアルという会社が、ギネス記録を狙って作った世界最大250キロの金塊が展示されているという話は県内ニュースで何度も流れており、一見の価値ありと期待して行きました。

  以下、写真でご案内。



 土肥金山の入り口。


 駐車場は大変広い上に、無料です。 確実に停められます。


 土肥金山の門ですが、最近作ったものです。 昔の施設は坑道以外、何も残ってません。


 門番の人形。 年中無休、24時間立ちっ放し。


 坑道の入り口。 猛烈に暑い日でしたが、中に入ると寒気がするほど涼しかったです。


 坑道の壁沿いには、解説の為の 『からくり絵図』 が幾つか並んでいました。 土肥金山は1965年まで掘っていたのですが、展示の内容は江戸時代の物になっています。


 『からくり絵図』 の中に、一体だけ白い物があったので、よくよく見てみたら、全身カビに覆われているのでした。 なぜ、こやつだけ?


 坑道の奥にある神社。 これも最近になって整備されたもの。 15年前に来た時には、もっと素朴な社でした。 狭い坑道に、こんなに大きな神社があったのでは、仕事の邪魔で仕方ないです。


 坑夫の人形。 スピーカーで会話まで流しています。 人形が好きだねえ、最近の観光地は。


 送風機係の人形。 そんなに深くないんですが、それでも酸素不足で死ぬものがあったらしく、送風機は必需品だったようです。 一日中これを回し続けるのは、地獄ですな。


休憩時間に寛いでいる人形。 怖いわ。


 水掛け地蔵がありました。 しかし、これも最近作られたもの。 坑道のまん中にこんなのがあったら、邪魔で仕事になりません。


 外へ出ると、ムッとする暑さです。 あっさり出て来てしまいましたが、そういえば、垂直坑道がありませんでした。 15年前に来た時は、確かにあったんですが。 観光客が歩き易いように、埋めてしまったのかも知れません。


 ふと気付くと、山の上にも人形が! 雨ざらしでは傷みも早い事でしょう。


 資料館の中。 土肥金山の歴史や、金に関する知識が、模型や歴史的遺物で解説されています。 これは千両箱ですが、意外に小さかったです。 千両箱には、いろんなサイズがあったのだとか。


 出た! 250キロの金塊! 時価4億2250万円!


 うーむ、よく光る。 穴から手を入れると触る事が出来ますが、触感はただの金属です。


 みんな触り捲ります。 もし金塊が生きていたら、くすぐったくて笑い死にしてるでしょう。


 お土産物も金色づくし。


 池の鯉も金色。 これは洒落ですな。


 坑夫の像も金色。 これは悪乗りでしょう。


 観光地によくある、後ろから顔を出す仮装パネル。 こういう所で写真を撮っている家族連れの姿は微笑ましいですな。


 一方、こちらは、砂金取りの体験コーナー。 金の亡者に見えます。


 土肥の海岸。 海水浴客がかなりいました。

  というわけで、土肥を後にしたわけですが、今回はここまでにしましょう。 『いのしし村』 は次回に回します。 写真の加工で、疲れきってしまいました。