2006/07/23

地域社会の崩壊

  以前、子供の連れ去り事件が頻発した時、≪子供を守る≫という題で一文を書きました。 依然として子供が犠牲になる事件は続いているものの、世の中の警戒心の方はかなり弛んでしまった感があります。

  最盛期には、定年を過ぎて時間を持て余している高齢者達が、通学路の辻々に立って監視などしていました。 あまり数が多いので、その人達自身が交通の邪魔になって正直迷惑だったのですが、「どうせ、長続きはしないだろう」と踏んでいたら、案の定、三か月もしない内に、高齢者達の姿は消えうせました。 彼らにしてみれば、「家でやる事もなしにゴロゴロしているよりは、外で子供を見守っていた方が、世の中のためになるだろう」と思って出張っていたのだと思いますが、ほとんど何も起こらないのに加え、頑張って子供を見守っていても、当の子供はもちろん、子供の親達にも全く感謝されていない事に気付き、馬鹿らしくなってやめたのでしょう。

  いやいや、感謝されないどころでは済みません。 子供達からは、「どけよ、ジジイ!」などと言われ、親達からは、「あのジイさんの方が危ない」などと陰口を叩かれて、激怒した人も多くいたに違いありません。 昨今の子供は、他人から何か注意されれば、「うるさい、変態!」などと暴言を吐いて脱兎の如く逃げていく連中ばかりですから、労力を費やして見守ってやっても、金輪際報われる事は無いんですな。

  これらの現象は、取りも直さず、現在の日本で地域社会が崩壊していることを現しています。 今の子供にとって、家族以外の人間はすべて外敵であって、頼るような存在ではないのです。

  最近よく、門や玄関に、≪子供駆け込み110番の家≫というステッカーを貼ってある家を見かけます。 子供が不審者に襲われた時に、最寄の避難場所として駆け込んで来ても構わないと宣言しているわけです。 しかし、あのシステムが機能しているとは到底思えません。 私が子供だったら、絶対に他人の家に飛び込んだりしません。 どんな人が住んでいるか分からないのに、怖いではありませんか。

  ご近所なら顔見知りだから安心? いやいや、近所なら尚更、飛び込んだりしません。 昔ならともかく、今では近所付き合いは形ばかりになっており、特に他人の大人と子供が接触する機会はほとんどありません。 むしろ、家が近ければ近いほど、親からその家の悪口をしこたま吹き込まれているので、恐怖と警戒心が先行して、よその家に近づこうとしなくなるのです。

  昔は、各町内に、子供会や婦人会、老人会などがあり、それぞれ頻繁に会合を開いたり、行事を催したりしていましたが、今は軒並み絶滅したようです。 現在、町内会の唯一最大の役割は、ゴミ収集所の維持運営であって、それ以外の事は一切やらなくなったらしいですな。 なぜかというと、誰も彼も、他人なんかと話なんぞしたくないからです。 よく、マンションやアパートに住んでいる人達が、「集合住宅だと、隣に誰が住んでいるかも分からなくて、近所付き合いが無いから、一戸建てが羨ましい」などというのを聞きますが、とんだ思い違いです。 今は一戸建ての住宅地でも、近所付き合いなどほとんどしません。 特に向こう三軒両隣とは付き合いません。 迷惑を直接被っていて、相互憎悪が激しいからです。

  どうして地域社会が崩壊してしまったか? 私なりに分析してみると、子供を巡る確執が原因になっているのではないかと思います。

  二・三十年前までは、子供が騒ぐのは当然で、いちいち怒る大人の方が、≪カミナリオヤジ≫などと言われて嫌われていました。 しかし現在、子供が騒ぐのは当然ではなくなってしまいました。 そもそも、なぜ昔は子供の出す騒音に寛容だったかというと、どこの家にも子供がいるのが普通だったので、うるさいのはお互い様だったからです。 自分の家の子供が騒いでも文句を言われないで済むように、よその家の子供が騒いでいても文句を言わなかったのです。 子供が大きくなってしまった家でも、その内にその子が結婚して、また子供が出来るので、先を見越して、よその家の子供騒音に耐えていました。

  ところが今では、子供がいる家は、全戸数の半分を大きく割り込んでいます。 また、子が親の家を受け継ぐという制度が崩壊したため、子供が結婚して出て行ってしまった後、年寄り夫婦だけが住んでいて、永久に新しい子供が生れる可能性が無い家がどっと増えました。 こういう家はもはや、子供がいる家とお互い様ではありえません。 よその子供の騒音に一生懸命耐えていても、何の見返りも無いのです。 ただただ苦しめられるだけの生き地獄。 当然の事ながら、近所に対する憎悪が募ります。

「子供を静かにさせられない馬鹿な親なんぞ、顔も見たくない!」
「あのガキ、交通事故にでもあって死ねばいい!」
「構わないから、今度騒いだから怒鳴りつけてやれ! 親が文句を言ってきたら、親も怒鳴りつけろ!」

  子育て中の方は震え上がるかもしれませんが、子供がいない家では、よその子供の騒音が聞こえている間中、こんな事を延々と考え続けています。 死ねばいいと思っておるのですよ。 暴走族の溜まり場になっている家が近所にあったら、誰でも同じような事を考えると思いますが、子供騒音も暴走族もうるさい事に変わりはありません。

  こんな状況が長く続けば、地域社会も崩壊しようというものです。 ≪遠くの親戚より、近くの他人≫という言葉がありますが、もはや死語も死語、死後20年ですな。 近所の他人などすべて敵です。 強いて言うなら、今は、≪近くの他人より、遠くの他人≫でしょう。 遠くの他人はどんな利益を齎してくれるかというと、騒音が聞こえて来ません。 素晴らしい! 感謝状を贈りたいくらいだ!

  毒づき、嘆くばかりでは世の中はよくなりませんが、これの対策は難しいですぜ。 どこに犯人や元凶がいるわけでもない社会全体の現象ですから。 社会現象というのは、部分的に少しずつ変化していくものですから、時計の針を巻き戻すという事は出来ません。 たとえば、テレビの普及が独居世帯の増加に及ぼした影響は甚大だと思いますが、だからといってテレビを無くすわけにはいかないでしょう? 昔に戻すという事は出来ないのです。 となれば、更に変化が進んで、地域社会が再構築されるのを待つしかないですが、どんな道筋でそれがなされるのか、今の段階では想像がつきません。 もしかしたら、そんな時代は永久に来ないかもしれません。