2006/08/27

水魔が足を引く

  今年の夏は天気が良かったせいで、人出が盛んで、例年以上に水難事故が多かったようです。 新聞の社説に、「どうして水の事故を減らせないのか?」などという文が出ていましたが、つくづく社説というのはいい加減で考え足らずな執筆者が書いているもんですな。 それらしい事さえ書けばいいと思ってやがるのです。 アホか? 水難事故が減るわけねーべよ。

  水難事故が減らない理由は、各人の経験が蓄積されないからです。 人間どんなに愚か者でも、同じ失敗を何度か繰り返せば、何をしていいか、何をしてはいけないか、経験的に判断できるようになりますが、水難事故は、個人当りの確率で見れば、滅多に起こらない事なので、失敗経験が溜まらないのです。 また、滅多に起こらない割に、死に直結する場合が多く、経験者が死んでしまうために、経験談が他人に伝わらないという事情もあります。

  命に関わるような怖い思いをした人は、海や川はもちろん、プールや池にも近づかなくなります。 温泉にも行きませんし、もちろん、船にも乗りません。 更に徹底すると、風呂に入るのも嫌い、一生シャワーだけで済ますという人も出てきますが、水の危険の大きさを考えると、それでも滑稽とは思いません。 老人の死亡原因の多くが風呂場での事故だというではありませんか。 ちなみに私は、犬を連れて海岸に行っても水には絶対入りません。 また浅い川を歩いて渡るという事もしません。 足場が不安定な所へ持って来て水が流れているとなれば、それだけで充分に黄信号だと思います。

  あまり、根源的な所から説くのも却って説得力を欠きそうですが、それを承知で敢えて書けば、人間という動物は、もともと泳ぐように出来ていないのではないでしょうか? 赤ん坊をプールに入れると、潜水状態で泳ぎますが、あれは、ついこないだまで液体の中にいたから、その名残で水に馴染んでいるのであって、物心つくくらいの年齢になってから水に入ると、百人中百人が溺れてしまいます。 泳げないんですよ、人間は。 猿は本能的に犬掻きで泳ぎますが、人間の子供はそれも出来ません。 たぶん、遺伝子情報から、≪泳ぐ≫という先天的能力が消えてしまっているのでしょう。 平泳ぎやクロールなどは、後天的に身に付ける技術であり、教わらなければ習得できません。

  また、この泳げる人というのが、結構よく溺れるのです。 昔、急流のライン下りで船が転覆した時、泳ぎが達者な人ほどよく溺れたと言います。 それはなぜかというと、泳げる人は腕に自信があるので、岸までの距離だけ見て泳いで渡ろうとするのですが、プールと違って川には流れがあるため、思うように前に進まず、その内力尽きて流れに呑まれてしまうのだそうです。 それに対し、全く泳げない人は、転覆した船や最寄の岩にしがみついて、救助が来るのを待っているので、助かる率が高いのだとか。 皮肉な話ですが、この話を知っているか否かだけでも、生死が分かれる事は想像してもらえると思います。 泳げると思っても泳いでは駄目なのです。

  私は一応泳げるのですが、これといって泳ぐ必要を感じないので、海にもプールにも行かない事にしています。 「泳げないよりは、泳げる方がいい」とすら思っていません。 水難事故で子供の犠牲者が多いのを見ても分かる通り、泳ぎの訓練をしている最中に死ぬケースが非常に多く、本末転倒だと思うからです。 断言してもいいですが、泳げなくても一生何の問題もなく生きて行けます。 一方、毎年水遊びに出かける習慣を作ってしまうと、死ぬ確率は一気に何桁も跳ね上がります。 さあ、どっちが得かよく考えてみましょう。 馬鹿な話だで、遊びに行って死ぬなんて。

  海やプールに子供を連れて行く場合、子供の人数は、大人の数と同数かそれ以下に限るべきです。 よく車のCMなどで、近所の子供を何人も連れて海へ行くような場面が出てきますが、あんなのは以ての外です。 そんなにたくさん、目が行き届くはずがないではありませんか! たとえ自分の子供であっても、大人が一人なら、子供を二人引率するのは危険です。 もし二人が同時に溺れた場合、否が応でもどちらかを見捨てる事になりますが、出来ますか、そんな事? 可能性が充分にあるにも拘らず、自ら危険を冒すのは無責任というものです。 ≪多くの子供を引率できる≫のが優れた大人なのではなく、≪自分に管理できる子供の数を認識している≫のが本当の大人なのです。

  だけど、ここでこんな事書いても、行く人は行くんだろうなあ。 水難事故の怖さは、死ななきゃ分からんのよ。 馬鹿と同じだね。