2006/07/02

即身成仏よりは

  もし人生が、なるようにしかならないのであれば、最初からすべて諦めてしまいますが、この世の中の構成部品の中には自分自身も含まれていて、自分の行動次第で人生の流れが変わって来る事があるから、あれこれ考えないわけには行かなくなります。 「こうした方がいいのではないか?」とか、「いや、余計な事はしない方がよいのではないか・・・」と、ぐだぐだぐだぐだ醜く悩み苦しむのです。

  神に頼るという手段は、自分の力ではどうにもならないような人生の大きな波が押し寄せた時に、心を落ち着けるためには有効です。 しかし、実際には神などいないと考えた方が合理的ですから、祈りさえすれば願いが叶うというような事はありません。 私は、職場が移動して人間関係を一から作り直さなければならないような状況に追い込まれると、俄かに神を信じ始めるのですが、現在のように仕事が安定している時には、神のかの字も念頭に浮かばないまま、月日が過ぎて行きます。 しかし、仕事が安定していても小さな悩みは他にいくらでもあるのであって、神を信じていない時には、そういった小さな悩みのぶつけ所が無く、却って精神状態が安定しません。 うまく行かないもんですな。

  自分自身の行動も含めて、この世で起こるすべての出来事は最初から決まっている、という考え方を、≪運命論≫と言います。 これを採用すると、最初からすべて諦めてしまえるので、つまらない事で悩まなくて済みます。 しかし、人間というのは、いや、生物というのは、諦めだけで一生を終えられるように出来ていません。 特に時間や体力が余っていると、何かしら努力して少しでも状況を良くしようと足掻きます。 自殺志願者でさえ、ネットで道連れを探したり、練炭を一円でも安く買おうと新聞の折り込みチラシを比較検討したりするではありませんか。 況や死ぬ気なぞ毛頭無い者に於いてをや。

  仏教や道教には、より重大な問題を考える事で、目前の小さな問題を矮小化し、気分を楽にするという問題解決方法があります。 たとえば、大好物のおかずを床に落としてしまって悔しがっている時に、全世界の飢えに苦しむ人々の事を考えれば、おかず一片の事などどうでもよくなってしまう、という寸法です。 この方法、ごまかしと言えばごまかしですが、心を落ち着ける事を最重要課題とするのであれば、実用的に使えないでもありません。 ちと、やって見ましょうか。 たとえば、死ぬ事に比べれば、大概の悩みは大した事ではなくなるはずです。

  エレベーターに挟まれて死んだり、幼児が誘拐されて殺されたりすると、事故原因の究明や犯人の糾弾などより、生命のあまりの脆さに衝撃を覚え、しばし絶句します。 命というのは一度失われれば、もう元には戻らないんですな。 そして、自分も同じように脆い命によって存在しているのです。
  私は毎日バイクで通勤していますが、バイパス道路を80キロ近いスピードで走っていると、ほんのちょっとの事で命を失ってしまう事が時に想像されて、思わず身震いします。 前の車のブレーキに気付くのが遅れたり、隣の車線を走っている車がバイクに気付かないまま車線変更して来たり、交差点で右折する為に停まっている対向車がタイミングを間違えて曲がって来たりしたら、私の命はたったそれだけの事で消えてしまうのです。 後に残るのは骸ですが、それはもはや私ではありません。
  人間は、生物の中では相当しぶとい種類ですが、やはり生命の摂理から逃れる事は出来ません。 いつかは死ぬのです。 そしてそれは寿命が尽きる時とは限りません。 死はほんの数秒先に迫っているかもしれないのです。 今生きているという事は、それだけでどれだけありがたい事なんでしょう! ああ、ありがたや、ありがたや・・・・・。

  うーん・・・・ありがたいって言えばありがたいんですが、年柄年中、死ぬ事を引き合いに出して、生きている幸福を噛みしめるというのも、ちと大袈裟で億劫ですな。 また、「そうまでして、生きる事に固執せねばならんのか?」と疑い始めると、この方法は足場を失ってしまいます。 仏教においては、死よりももっと大きな事を考えることによって、死の恐怖からも逃れようとするわけですが、私如きにゃ、とてもとても、そこまではついて行けませんや。

  そうそう、≪即身成仏≫というのがありますよね。 仏教の修行の一つで、自分から志願して箱に入って、地中に埋めてもらい、竹筒で空気だけ通るようにして、経を唱えながら、飢えて死ぬのを待つという奴。 そういう死に方がある事を初めて聞くと、「どうしてまた、自分からそんな死に方を選ぶ事が出来るんだ? 狂ってるんじゃないか? 怖くないのか?」と思うでしょう? しかし、当人は、別に狂っているわけではないのであって、死の恐怖に打ち勝つ為に、小さな箱の中で大宇宙の無限さに思いを巡らしているわけです。 宇宙の広大さに比べれば、自分一人の死など、大した事ではないというわけですな。 しっかし、私ゃ冗談じゃないが、ご相伴し兼ねますよ。 そこまでするなら、バイパスで事故るまで待った方がいいって。

  ちょっとした悩み事の解決方法について書くつもりだったんですが、少々逸脱して、即身成仏の話になってしまいました。 やっぱり、内容をちゃんと決めてから書き始めないと、まとまった文章にならんもんですな。 まあ、即身成仏に比べれば、文章がまとまらない事など、どうでもいいような事ですけど。 いやあ、それにしても、即身成仏のインパクトはやっぱり凄いなあ。 確かに、あれと比較すれば、「便通が悪くて腹が重い」とか、「三ツ矢サイダー1.5Lが150円以上するようでは、ディスカウント店とは言えぬ」とか、そんなつまらん悩みは宇宙の彼方にすっ飛んでいきますからねえ。 仏教も満更捨てたもんではないのう。