ブランドの虚像
図書館や本屋の≪写真・カメラ≫コーナーを見ると、ライカについて書かれた本が必ず何冊かあります。 ≪ちびまる子≫の、たまちゃんのお父さんが物狂いしているカメラがライカだといえば、カメラに興味がない人でも名前だけは聞いた事があると思い出すんじゃないでしょうか。
で、その種の本を読むと、もう異常としか思えないようなライカへの執心ぶりが書き連ねられていて、げんなりして来ます。 「だったら、読まなきゃいいだろう」と思うでしょう? そうなんです。 読まなければいいんです。 私もそんな事は分かっています。 実際、フィルム時代には、こういう本は危険なので読みませんでした。 何が危険かというと、こういう本を読んでいると、ライカが欲しくなるからです。 ジャンク品同然でも3万円、いい物だと50万円もしますから、そんな物を欲しくなったら大変です。 しかも一台では済まずに何台も買いたくなるというから、放っておけば、瞬く間に身上潰してしまいます。 これはもう、危険物としか言いようがありますまい。
だけど、デジカメ時代になってから、そんな誘惑に駆られる心配がほとんどなくなりました。 フィルムで撮る事が全くなくなってしまったために、ライカの中古機は完全に縁の無いものとなり、この種の本をいくら読んでも、ライカを買いたいと思わなくなったからです。
中古カメラに取り付かれて人生が狂ってしまった人は多いと思いますが、はっきり言わせて貰うと、デジカメ時代にフィルムカメラの本体などいくら持っていても、それはただのガラクタです。 交換レンズの方は、デジカメに取り付けて使う事も出来ますが、本体はもう何の役にも立ちません。 フィルムを入れれば使えることは使えますが、その場合、フィルム代、現像プリント代を払わなければなりませんから、電池代だけで済むデジカメと併用していたら、どうしても勿体なくなって、フィルムの方を使わなくなります。
最後までフィルムを使い続けるのは、デジカメに移行できない頭の硬いオヤジ・ジジイどもだけでしょう。 今でも、こういう人達が写真サイトにでしゃばって来て、「○○はデジカメの欠点。 フィルムならそんな事は起こらない」などとほざいていますが、そんな御託はもう聞き飽きました。 こういう人達、呆れた話ですが、デジカメを使った事がないんですよ。 もう300万画素を超えた辺りから、デジカメの性能はフィルムを上回ってしまったのですが、それ以前の段階で頭が止まっているんですな。 気の毒といえば気の毒ですが、滑稽といえば滑稽です。
ライカは1950~60年代が最も高く評価された時期で、それ以降、日本製の一眼レフが世界のカメラ市場を席捲し始めると、技術的に追いつかなくなってしまいました。 それでも、ファンが減らず、むしろ増え続けたのは、「カメラはドイツが本場」と思い込んでいる人が多かったからです。 しかし、実際の所、ライツという企業自体が、70年代以降、メーカーとしての開発力を失ってしまったのは疑いないところです。 一応、新製品は出していても、中身は日本製部品を使っているとなれば、もう伝統もクソもありません。
ところが、ライカのファンというのは、そんな有様でも、まだライカを賞賛し続けていたんですな。 フィルム時代の間は、使うフィルムは同じですから、ライカにも実用品の側面があり、単なる中古カメラではなかったわけです。 一番有名なのは≪M3≫というタイプですが、30年経っても値段が全く下がらなかったというから凄い。 機能的には、ただ写真が撮れるというだけの箱なんですがねえ。
しかし、さしものライカも、デジカメ時代には勝てないと思います。 今後フィルムの使用者は減る一方でしょう。 10年以内には、特別な店にもって行かなければ、現プリをやってもらえなくなると思います。 そうなったら、フィルムカメラは、本当に只の骨董品になってしまいます。 カメラ収集家は、カメラを買う時、実際に作動する事に拘りますが、フィルムを使えなくなるという事は、すなわち、カメラを使用できなくなるという事で、作動しないのと同じ事です。 ただの飾りになってしまったら、もはやそれはカメラとはいえません。
ライカ社は現在、レンズ交換式のデジカメを売っているらしいです。 笑ってしまう事に、やはり50万円超で・・・。 フィルムカメラの自動化ですら日本メーカーに頼らなければならなかったライカ社に、デジカメ製造のノウハウがあるとは到底思えず、恐らく日本か台湾・中国のメーカーが中身を作っているのでしょうが、どこにどんな機能を盛り込んでも、デジカメが50万円にはならないでしょう。 つまりね、ぼったくってるんですよ。 今のライカ社というのは、ライカの創案者であるバルナック氏が情熱を燃やしていた頃のライツ社とは、全然違う企業になってしまっているのです。 到底そんな価値のない品に、ブランド価値だけで数十倍価格を上乗せして商売に励んでいる、単なる商事会社なのです。
ああ、ちなみに、ライカやカール・ツァイスのレンズを搭載した日本メーカーのコンパクト・デジカメがたくさんありますが、レンズの方には価値があるのかというと、それもないそうです。 狂信的なライカ・ファンの写真家がそう言っているのだから、間違いありません。 よく考えてみれば、50年も前に開発されたレンズが、加工精度が何桁も違う今のレンズに敵うわけがないのです。 「古いレンズは味が違う」などという言説が、ネット上で多く流布していますが、全くの戯言ですな。 大体、≪味≫という言葉を使う奴は、あまり信用できません。 誉めようがない物を無理やり誉める時に使われるのが、≪味がある≫という表現だからです。
ライカはとうの昔に先端技術開発についていけなくなってしまったにも拘らず、ブランド・イメージだけに寄りかかって、何十年も生き永らえてきました。 ブランドの力という物が如何に大きいかを示す格好の事例ではないかと思います。 ほぼ同じ機能を持った製品を10倍から20倍の値段で売っても、まだ買いたがる客がいるというのだから凄い。 そうそう、ライカの最大の顧客は日本人だそうです。 日本のカメラ・メーカーの攻勢でライカが没落し始めた頃から、小金持ちになった日本人がライカのブランドに食い付き出し、バブル時代までに世界中からライカの中古機を買い集めてしまったのだとか。 本物を求めたい気持が昂じて、ガラクタに50万円注ぎ込んだ人が、うじゃうじゃいたというわけです。
そういえば、ドイツの車も、ほぼ同じ機能の日本車と比べて倍近い価格設定で売られていますが、もしかしたら、あれもブランドに誑かされているだけなのかもしれません。 私、自動車工場に勤めている関係上、生産工程を直に見ているので分かるんですが、車というのはどんなに高機能を盛り込んでも、300万円くらいが価値の上限だと思います。 それ以上になると、ボディーに超高張力鋼板を使ったり、装飾部品を木目調プラスチックから本物の木に変えたりといった、実際には無意味な所に金を掛ける方向に進んでいきます。 ドイツの高級車だと、1000万円を超える物がざらですが、ほとんど、ぼったくりじゃないですか? 実際の価値の三倍の値段で売っていると思って間違いないです。 だけど、ブランド・イメージが定着しているから、買う人がいるんですねえ。
「いやいや、ドイツ車は実際に技術が高いのだ」とおっしゃる方もいるでしょうが、今時、車の技術なんて、どの国でも変わらないと思いますよ。 工作機械の段階で精度が上がっているので、精度が低い物を作る方が難しいという御時世なのです。 たとえば、ここ数年、中国の民族資本メーカーが続々と新車を発表していますが、外見も内装も、先発国メーカーの車と比べて全く遜色がありません。 中国国内に工場を持つ先発国メーカーに部品を納めている部品会社の部品を中国メーカーも使っているのですから、劣るわけがないのです。 工業技術というのはそういう性質のものなのです。
では、ブランドが万能かというとそうではなく、ライカが今ようやくその真の≪実力の無さ≫が分かって見放され始めたように、ブランドに頼っているドイツ車もやがては見放されると思います。 もちろん、ドイツ車を真似て、同じような価格設定をしている日本車の高級ブランドも同じ運命を辿るでしょう。 そういえば、イギリス車がブランドだけで持て囃された時代もありましたねえ。 いまや絶滅状態ですが。 ブランドというのは、実体を持たない化け物のようなもので、みんなが恐れている間は威力を発揮しますが、化けの皮が剥がれると見るも無残に雲散霧消していくんですな。
で、その種の本を読むと、もう異常としか思えないようなライカへの執心ぶりが書き連ねられていて、げんなりして来ます。 「だったら、読まなきゃいいだろう」と思うでしょう? そうなんです。 読まなければいいんです。 私もそんな事は分かっています。 実際、フィルム時代には、こういう本は危険なので読みませんでした。 何が危険かというと、こういう本を読んでいると、ライカが欲しくなるからです。 ジャンク品同然でも3万円、いい物だと50万円もしますから、そんな物を欲しくなったら大変です。 しかも一台では済まずに何台も買いたくなるというから、放っておけば、瞬く間に身上潰してしまいます。 これはもう、危険物としか言いようがありますまい。
だけど、デジカメ時代になってから、そんな誘惑に駆られる心配がほとんどなくなりました。 フィルムで撮る事が全くなくなってしまったために、ライカの中古機は完全に縁の無いものとなり、この種の本をいくら読んでも、ライカを買いたいと思わなくなったからです。
中古カメラに取り付かれて人生が狂ってしまった人は多いと思いますが、はっきり言わせて貰うと、デジカメ時代にフィルムカメラの本体などいくら持っていても、それはただのガラクタです。 交換レンズの方は、デジカメに取り付けて使う事も出来ますが、本体はもう何の役にも立ちません。 フィルムを入れれば使えることは使えますが、その場合、フィルム代、現像プリント代を払わなければなりませんから、電池代だけで済むデジカメと併用していたら、どうしても勿体なくなって、フィルムの方を使わなくなります。
最後までフィルムを使い続けるのは、デジカメに移行できない頭の硬いオヤジ・ジジイどもだけでしょう。 今でも、こういう人達が写真サイトにでしゃばって来て、「○○はデジカメの欠点。 フィルムならそんな事は起こらない」などとほざいていますが、そんな御託はもう聞き飽きました。 こういう人達、呆れた話ですが、デジカメを使った事がないんですよ。 もう300万画素を超えた辺りから、デジカメの性能はフィルムを上回ってしまったのですが、それ以前の段階で頭が止まっているんですな。 気の毒といえば気の毒ですが、滑稽といえば滑稽です。
ライカは1950~60年代が最も高く評価された時期で、それ以降、日本製の一眼レフが世界のカメラ市場を席捲し始めると、技術的に追いつかなくなってしまいました。 それでも、ファンが減らず、むしろ増え続けたのは、「カメラはドイツが本場」と思い込んでいる人が多かったからです。 しかし、実際の所、ライツという企業自体が、70年代以降、メーカーとしての開発力を失ってしまったのは疑いないところです。 一応、新製品は出していても、中身は日本製部品を使っているとなれば、もう伝統もクソもありません。
ところが、ライカのファンというのは、そんな有様でも、まだライカを賞賛し続けていたんですな。 フィルム時代の間は、使うフィルムは同じですから、ライカにも実用品の側面があり、単なる中古カメラではなかったわけです。 一番有名なのは≪M3≫というタイプですが、30年経っても値段が全く下がらなかったというから凄い。 機能的には、ただ写真が撮れるというだけの箱なんですがねえ。
しかし、さしものライカも、デジカメ時代には勝てないと思います。 今後フィルムの使用者は減る一方でしょう。 10年以内には、特別な店にもって行かなければ、現プリをやってもらえなくなると思います。 そうなったら、フィルムカメラは、本当に只の骨董品になってしまいます。 カメラ収集家は、カメラを買う時、実際に作動する事に拘りますが、フィルムを使えなくなるという事は、すなわち、カメラを使用できなくなるという事で、作動しないのと同じ事です。 ただの飾りになってしまったら、もはやそれはカメラとはいえません。
ライカ社は現在、レンズ交換式のデジカメを売っているらしいです。 笑ってしまう事に、やはり50万円超で・・・。 フィルムカメラの自動化ですら日本メーカーに頼らなければならなかったライカ社に、デジカメ製造のノウハウがあるとは到底思えず、恐らく日本か台湾・中国のメーカーが中身を作っているのでしょうが、どこにどんな機能を盛り込んでも、デジカメが50万円にはならないでしょう。 つまりね、ぼったくってるんですよ。 今のライカ社というのは、ライカの創案者であるバルナック氏が情熱を燃やしていた頃のライツ社とは、全然違う企業になってしまっているのです。 到底そんな価値のない品に、ブランド価値だけで数十倍価格を上乗せして商売に励んでいる、単なる商事会社なのです。
ああ、ちなみに、ライカやカール・ツァイスのレンズを搭載した日本メーカーのコンパクト・デジカメがたくさんありますが、レンズの方には価値があるのかというと、それもないそうです。 狂信的なライカ・ファンの写真家がそう言っているのだから、間違いありません。 よく考えてみれば、50年も前に開発されたレンズが、加工精度が何桁も違う今のレンズに敵うわけがないのです。 「古いレンズは味が違う」などという言説が、ネット上で多く流布していますが、全くの戯言ですな。 大体、≪味≫という言葉を使う奴は、あまり信用できません。 誉めようがない物を無理やり誉める時に使われるのが、≪味がある≫という表現だからです。
ライカはとうの昔に先端技術開発についていけなくなってしまったにも拘らず、ブランド・イメージだけに寄りかかって、何十年も生き永らえてきました。 ブランドの力という物が如何に大きいかを示す格好の事例ではないかと思います。 ほぼ同じ機能を持った製品を10倍から20倍の値段で売っても、まだ買いたがる客がいるというのだから凄い。 そうそう、ライカの最大の顧客は日本人だそうです。 日本のカメラ・メーカーの攻勢でライカが没落し始めた頃から、小金持ちになった日本人がライカのブランドに食い付き出し、バブル時代までに世界中からライカの中古機を買い集めてしまったのだとか。 本物を求めたい気持が昂じて、ガラクタに50万円注ぎ込んだ人が、うじゃうじゃいたというわけです。
そういえば、ドイツの車も、ほぼ同じ機能の日本車と比べて倍近い価格設定で売られていますが、もしかしたら、あれもブランドに誑かされているだけなのかもしれません。 私、自動車工場に勤めている関係上、生産工程を直に見ているので分かるんですが、車というのはどんなに高機能を盛り込んでも、300万円くらいが価値の上限だと思います。 それ以上になると、ボディーに超高張力鋼板を使ったり、装飾部品を木目調プラスチックから本物の木に変えたりといった、実際には無意味な所に金を掛ける方向に進んでいきます。 ドイツの高級車だと、1000万円を超える物がざらですが、ほとんど、ぼったくりじゃないですか? 実際の価値の三倍の値段で売っていると思って間違いないです。 だけど、ブランド・イメージが定着しているから、買う人がいるんですねえ。
「いやいや、ドイツ車は実際に技術が高いのだ」とおっしゃる方もいるでしょうが、今時、車の技術なんて、どの国でも変わらないと思いますよ。 工作機械の段階で精度が上がっているので、精度が低い物を作る方が難しいという御時世なのです。 たとえば、ここ数年、中国の民族資本メーカーが続々と新車を発表していますが、外見も内装も、先発国メーカーの車と比べて全く遜色がありません。 中国国内に工場を持つ先発国メーカーに部品を納めている部品会社の部品を中国メーカーも使っているのですから、劣るわけがないのです。 工業技術というのはそういう性質のものなのです。
では、ブランドが万能かというとそうではなく、ライカが今ようやくその真の≪実力の無さ≫が分かって見放され始めたように、ブランドに頼っているドイツ車もやがては見放されると思います。 もちろん、ドイツ車を真似て、同じような価格設定をしている日本車の高級ブランドも同じ運命を辿るでしょう。 そういえば、イギリス車がブランドだけで持て囃された時代もありましたねえ。 いまや絶滅状態ですが。 ブランドというのは、実体を持たない化け物のようなもので、みんなが恐れている間は威力を発揮しますが、化けの皮が剥がれると見るも無残に雲散霧消していくんですな。
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