言わぬが花
前回、カメラ蒐集家の異常性について書いた流れで、久しぶりに個人サイト巡りをやってみました。 でも、行ったのはカメラ収集家のサイトではなく、写真ファンのサイトです。 「似たようなもんだろう」と思うかもしれませんが、カメラ蒐集がただの病気であるのに対し、写真撮影は純然たる芸術活動だという点で、天地の開きがあります。
一週間かけて、ざっと30ヶ所くらい回ってみましたが、驚いたのは、互恵精神に則った真面目で和やかなネット交際が、そのまま維持されていた事です。 ペット系サイトでも、3年くらい前までは見られましたが、いまやほとんど絶滅した雰囲気です。 さすが、芸術に心奪われた人達だけあって、魂の純粋さが違うらしい。
どのジャンルでもそうですが、最初、草分け的なサイトがちらほら現れた後、暫くすると同類の個人サイトが雨後の筍の如くどっと増えます。 人がやっているのを見ると、何となく自分でもやってみたくなるんですな。 交流も盛んで、どのサイトでも10人前後の常連客を抱え、掲示板の書き込みが引きも切りません。 ところが、何年かする内に、どのサイトも見るも無残に崩壊していくのです。 まず、作者(管理人)が飽きる。 更新しようにもネタが無くなりますし、掲示板の会話も、テーマが趣味の中に限られていると、徐々に話す事がなくなって来ます。 だんだん訪問者が減り、やがて閲覧者も減り、最終的には、作者さえもアクセスしなくなって、サイトは死にます。
私が今までに首を突っ込んだのは、亀サイトとハムスター・サイトですが、どちらも全く同じような経過を辿りました。 ところが、写真サイトは未だに瑞々しさを失っていないのです。 歴史の長さはペット系サイトに負けないはずですが、この違いは実に不思議! 同じ顔ぶれで話を続けていると、だんだん相手の欠点が見えて来て、ちょっとした意見の食い違いが発端で絶交してしまう事が多いのですが、掲示板を丹念に読んでいっても、そんな気配すら覗えません。 何なんだろう、この人達は?
考えること数日・・・・ふっと、写真サイトと他のジャンルの明白な違いに気付きました。 写真サイトでは、大抵の場合、掲示板が写真掲示板になっているのです。 趣味が写真ですから、写真を見せっこ出来なくては始まらないというわけですな。 ご存知の通り、写真掲示板には、写真と文章が同時に投稿されるわけですが、他のジャンルでは、写真が文章の添え物であるのに対し、写真サイトでは、写真がメインで、文章の方が添え物なのです。 だから、文章の方には、写真の説明と時候の挨拶くらいしか書いていないのが普通です。 相手に見て欲しいのは写真であって、何か意見を聞いて欲しいわけじゃないんですな。 これが、不仲が生じない原因になっているのではありますまいか?
他人の意見というのは、必ずしも自分の意見と全面一致するわけではなく、考え方の違いの大きさに、嫌な気分になる事も多いです。 しかし、写真というのは、芸術作品として撮られたものである限り、誰が見てもそんなに不快な気分にはなりません。 たとえ、「自分はこういう写真は撮らない」と思っても、「こういう表現もあるんだな」と許容できる範囲が広いのだと思われます。 意見という物は、各個人が頭の中で捏ね繰り回すので、時に到底同意できないような極論・珍説が飛び出します。 一方、写真の対象になるのは全て現実に存在するものですから、常識から極端に外れる事が無いのでしょう。 また、≪類は友を呼ぶ≫ので、同じような写真が好きな者同士が自然に集まるようになり、ますます喧嘩が起こり難くなります。
私はこれに気付いて、ネット交際の極意を垣間見た気持ちになりました。 そうなんです。 「自分の意見を相手に聞いてもらう」という姿勢は良くないのです。 「同意してくれなくてもいいから、とにかく聞くだけ聞いてくれ」というのも駄目です。 同意できない意見を聞かされる事ほど不快なものはありませんから。 「意見を交換しなければ、交際とは言えないではないか!」と思う方もいるでしょうが、公共掲示板のように、最初からそれを目的にしている場所ならともかく、個人同士の交際の場合、「言わぬが花」というケースの方が多いのです。 特に、趣味のサイトなのに、政治的主義主張の違いで喧嘩別れする光景は頻繁に見られますが、最初からその種の話題をタブーにしておけば、誰も言わないので、喧嘩になる事もありません。 写真サイトでは、写真という≪物言わぬ表現≫を媒体にする事で、自然にその種の衝突が回避されているのだと思います。
そもそも、他人と意見を完全に一致させようというのが無理なのでしょう。 友人や恋人、いや家族でさえ、意見の隔たりは大きいというのに、ネット上でしか存在を知らない赤の他人と、全面的に意気投合など、ありえるはずがないのです。 最初からそういうものだと思って、趣味の話だけに限定して、淡い付き合いをしていれば、誰とも喧嘩をせずにネット生活を続けられるのです。 ああ、もっと早く気付けばよかったなあ。 私の場合、いろいろな経緯と事情があって、ネット交際が億劫になり、今のように閲覧者のみを対象にした文章を書くだけの生活になってしまいましたが、やっぱり、ネットは交際しなきゃ面白くないものね。
ううむ、写真サイトは偉い! 素晴らしい! よし! ひとつ、私も、腐れきった心を洗い直して、写真サイトに投稿しよう! ・・・・・・と、思い立ったはいいんですが、私の持っている写真というのが、碌でもない物ばかりでして、写真サイトの平均レベルに到底及ばない事に気付き、早速頓挫しました。 いやはや、サイトを持つだけの事はあって、みなさんレベルが非常に高い。 セミプロ級の人を別扱いにするとしても、フォト・コンテスト級の人がごろごろしていて、あんぐり顎が外れる程です。 ネット上がこんな有様では、写真雑誌なんて全然売れなくなっているんじゃないでしょうか? もっとも、ゲストに徹するなら、レベルの低い写真の方が歓迎されるという見方もありますが・・・・。
一週間かけて、ざっと30ヶ所くらい回ってみましたが、驚いたのは、互恵精神に則った真面目で和やかなネット交際が、そのまま維持されていた事です。 ペット系サイトでも、3年くらい前までは見られましたが、いまやほとんど絶滅した雰囲気です。 さすが、芸術に心奪われた人達だけあって、魂の純粋さが違うらしい。
どのジャンルでもそうですが、最初、草分け的なサイトがちらほら現れた後、暫くすると同類の個人サイトが雨後の筍の如くどっと増えます。 人がやっているのを見ると、何となく自分でもやってみたくなるんですな。 交流も盛んで、どのサイトでも10人前後の常連客を抱え、掲示板の書き込みが引きも切りません。 ところが、何年かする内に、どのサイトも見るも無残に崩壊していくのです。 まず、作者(管理人)が飽きる。 更新しようにもネタが無くなりますし、掲示板の会話も、テーマが趣味の中に限られていると、徐々に話す事がなくなって来ます。 だんだん訪問者が減り、やがて閲覧者も減り、最終的には、作者さえもアクセスしなくなって、サイトは死にます。
私が今までに首を突っ込んだのは、亀サイトとハムスター・サイトですが、どちらも全く同じような経過を辿りました。 ところが、写真サイトは未だに瑞々しさを失っていないのです。 歴史の長さはペット系サイトに負けないはずですが、この違いは実に不思議! 同じ顔ぶれで話を続けていると、だんだん相手の欠点が見えて来て、ちょっとした意見の食い違いが発端で絶交してしまう事が多いのですが、掲示板を丹念に読んでいっても、そんな気配すら覗えません。 何なんだろう、この人達は?
考えること数日・・・・ふっと、写真サイトと他のジャンルの明白な違いに気付きました。 写真サイトでは、大抵の場合、掲示板が写真掲示板になっているのです。 趣味が写真ですから、写真を見せっこ出来なくては始まらないというわけですな。 ご存知の通り、写真掲示板には、写真と文章が同時に投稿されるわけですが、他のジャンルでは、写真が文章の添え物であるのに対し、写真サイトでは、写真がメインで、文章の方が添え物なのです。 だから、文章の方には、写真の説明と時候の挨拶くらいしか書いていないのが普通です。 相手に見て欲しいのは写真であって、何か意見を聞いて欲しいわけじゃないんですな。 これが、不仲が生じない原因になっているのではありますまいか?
他人の意見というのは、必ずしも自分の意見と全面一致するわけではなく、考え方の違いの大きさに、嫌な気分になる事も多いです。 しかし、写真というのは、芸術作品として撮られたものである限り、誰が見てもそんなに不快な気分にはなりません。 たとえ、「自分はこういう写真は撮らない」と思っても、「こういう表現もあるんだな」と許容できる範囲が広いのだと思われます。 意見という物は、各個人が頭の中で捏ね繰り回すので、時に到底同意できないような極論・珍説が飛び出します。 一方、写真の対象になるのは全て現実に存在するものですから、常識から極端に外れる事が無いのでしょう。 また、≪類は友を呼ぶ≫ので、同じような写真が好きな者同士が自然に集まるようになり、ますます喧嘩が起こり難くなります。
私はこれに気付いて、ネット交際の極意を垣間見た気持ちになりました。 そうなんです。 「自分の意見を相手に聞いてもらう」という姿勢は良くないのです。 「同意してくれなくてもいいから、とにかく聞くだけ聞いてくれ」というのも駄目です。 同意できない意見を聞かされる事ほど不快なものはありませんから。 「意見を交換しなければ、交際とは言えないではないか!」と思う方もいるでしょうが、公共掲示板のように、最初からそれを目的にしている場所ならともかく、個人同士の交際の場合、「言わぬが花」というケースの方が多いのです。 特に、趣味のサイトなのに、政治的主義主張の違いで喧嘩別れする光景は頻繁に見られますが、最初からその種の話題をタブーにしておけば、誰も言わないので、喧嘩になる事もありません。 写真サイトでは、写真という≪物言わぬ表現≫を媒体にする事で、自然にその種の衝突が回避されているのだと思います。
そもそも、他人と意見を完全に一致させようというのが無理なのでしょう。 友人や恋人、いや家族でさえ、意見の隔たりは大きいというのに、ネット上でしか存在を知らない赤の他人と、全面的に意気投合など、ありえるはずがないのです。 最初からそういうものだと思って、趣味の話だけに限定して、淡い付き合いをしていれば、誰とも喧嘩をせずにネット生活を続けられるのです。 ああ、もっと早く気付けばよかったなあ。 私の場合、いろいろな経緯と事情があって、ネット交際が億劫になり、今のように閲覧者のみを対象にした文章を書くだけの生活になってしまいましたが、やっぱり、ネットは交際しなきゃ面白くないものね。
ううむ、写真サイトは偉い! 素晴らしい! よし! ひとつ、私も、腐れきった心を洗い直して、写真サイトに投稿しよう! ・・・・・・と、思い立ったはいいんですが、私の持っている写真というのが、碌でもない物ばかりでして、写真サイトの平均レベルに到底及ばない事に気付き、早速頓挫しました。 いやはや、サイトを持つだけの事はあって、みなさんレベルが非常に高い。 セミプロ級の人を別扱いにするとしても、フォト・コンテスト級の人がごろごろしていて、あんぐり顎が外れる程です。 ネット上がこんな有様では、写真雑誌なんて全然売れなくなっているんじゃないでしょうか? もっとも、ゲストに徹するなら、レベルの低い写真の方が歓迎されるという見方もありますが・・・・。
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