車に飽きた人々
日本市場で車が売れなくて、メーカーは困っておるようですな。 あははははは! ざまあみんさい。 新型車を立て続けに出して、強引に販売台数を稼いでいるようですが、あまり背伸びばかりしてると、アキレス腱が切れるぜ。 おほほほほほ!
新型車ラッシュをかければ、確かに一時的に販売台数が上がりますが、新型を出す為には、開発費やら、生産準備費やら、宣伝費やら、そのつど莫大な資金がかかります。 そんな奥の手・大技を次から次へ繰り出していたのでは、儲けなんぞ出るはずがありません。 大体、ニッチニッチで隙間商品ばかり出すものだから、同じメーカーの中だというのに似たような車種ばかり、ずらりと並んでしまって、名前も覚えられない始末。 車種増やしは、バブル時代に一度失敗しているはずなんですが、懲りないねえ、君達も。
知らない人も多いと思いますが、日本の自動車メーカーが何十車種も品揃えしているのは日本市場向けだけでして、外国市場では、多くてもせいぜい10車種くらいしか売っていません。 大市場のアメリカでも同じです。 これは、それぞれの国のポータルサイトへ行って、日本の自動車メーカーのサイトを出し、ラインナップを調べてみれば、すぐわかります。 そんなにたくさんの車種を並べても、売れないんですよ。
国内では、外国市場より販売店網が充実している為に、膨大な数の車種を無理やり売っているわけですが、販売店も災難だわ。 販売員にしてからが、自分の店で扱っている商品の名前をすべては言えないんじゃないでしょうか? まして整備工場の人達の迷惑や如何ばかりか。 エンジンやサスペンションなど、動力系には共通している部品も多いですが、ボディーや内装部品は、車種が違えば、ほとんど違いますから、整備方法を覚えるのも大変なはず。 新型が増えるたびに、「勘弁してくれよ」とぼやいている事必定。
多車種戦略に一番白けているのは、お客です。 ミニバンや、ワンボックス、クロカンなどのカテゴリーでは、各社から似たような車がうじゃうじゃ出されていますが、兄弟車でなくても、互いに似すぎていて区別がつきません。 「エンジンの排気量が違う」とか、「内装の豪華さが異なる」とか、メーカー側はいろいろ言うでしょうが、そんなのは、一車種の中のグレードの差で分ければいいんじゃないの? 正直な話、実際に買おうとして選び出始めると、「どれがいいか」という以前に、「これとあれはどう違うのか?」という段階で、悩み苦しむ事になります。 そして、これが最大の弊害ですが、さんざん悩んで買った車を、友人や同僚に自慢しようとしても、車名だけではどんな車なのか相手に伝わらず、「やあ、とうとう、○○を買ったよ」などと言っても、「○○ってどんな車だっけ?」と首を傾げられるのが落ち。 もっと悪いと、「○○って何? 平面テレビ?」などと、凄まじい反応が返って来て、一気に沈黙させられる羽目に陥ります。
車の車種というのは、多ければいいというわけではないんでよ。 テレビ番組の数と同じで、あまり多すぎると、見ている人が少なくなる為に、共通の話題が出来ず、全体の影響力が却って落ちてしまいます。 私の子供時代、チャンネルが四局くらいしか無かった頃は、大抵の友人が同じ番組を見ていたので、学校ではテレビの話題が重要なポジションを占めていましたが、今、会社で同僚達と、個別のテレビ番組の話をする事はほとんどありません。 誰でも嫌な記憶を伴う経験があると思いますが、面白い番組を見た翌朝、テンション高く、「昨日のあの番組、笑っちゃったよねえ」などと話しかけたら、冷め切った顔で、「いや、見てないから」と切り捨てられてしまった時のあの不愉快さといったら、何度も経験したら精神崩壊を起こすのではないかと思うほどです。 それと同じ事が、いまや車を買う時にも起こる危険性があるというわけです。
実際の使用上の問題として、そんなに多くの車種が必要かというと、そんな事は全く無いのであって、たとえば、ミニバンであれば、1メーカーにつき、大中2車種もあれば充分じゃないでしょうか。 7人乗りのミニバンのくせに、カローラ・クラスのセダンよりも小さい車というのがありますが、あの手の車は、根本的に存在意義を履き違えているのであって、そんな小さな車体に7人も詰め込むなど拷問以外の何ものでもありません。 作っているメーカーも馬鹿なら、買っている客も馬鹿。 シートが多ければ、それだけ得られる幸せも大きいと思っているようですが、そういうセンスを、≪貧乏臭い≫というのです。
車を買う時に、車種を選べないというのは、それはそれで窮屈な感じがしますが、実はそういう状態の方が、車が齎してくれる楽しみは大きいです。 本当の意味で、重宝な道具になってくれるんですな。 昔は、5人乗りのセダンに、親戚や近所の子供を7人くらい詰め込んで、「外から見えないような隠れてろよ」なんて言いながら運転している人がたくさんいましたが、そういう野趣のある使い方が出来なくなったのは、法律上・安全上はともかく、情緒的には不幸としか言いようがありませんな。 愛すべき道具としての車は、もはや死んでしまったのです。 車種を増やしても、あの楽しみは決して戻らないでしょう。
日本市場で車が売れなくなった最大の原因は、メーカーの勘違いにあるとも言えます。 売れなくなったのではなく、売れなくなる前までが売れ過ぎていたのです。 過去の歴史で最も多く売れたのは、高度経済成長期後のマイカー・ブームの時ですが、なぜ売れたかと言うと、それまで車に縁が無かった人達が、収入の上昇によって車を買える経済状態になり、免許を取って車を買い始めたからです。 しかし、一家の主のほとんどが車を持つようになると、飽和して売れ行きが横這いになりました。 人口には限界がありますから、頭打ちになるのは当然の話です。
次のブームが、1980年代でして、その頃何が起こったかというと、女性が車の免許を取り始めたのです。 最初は50㏄の原付スクーターからブームが起こり、「原付免許が取れたんだから、車の免許も取れるんじゃないの?」と考えた女性達が、わらわらと教習所に通い、普通免許を取って、車を買い始めたんですな。 女性は人口の半分ですから、ここでも爆発的に車の数が増えました。 ほとんど時期的に重なりますが、高校を出た若者達が車を買い始めたのもこの頃です。 マイカー・ブームの頃は一家に一台が普通でしたが、この頃から、大人一人に一台に変わり、月極駐車場が大繁盛する事になります。
しかし、一家の主にせよ、女性にせよ、若者達にせよ、人口には限界があります。 車の数が飽和状態に達してしまえば、それ以上は増えません。 せいぜい買換え需要があるくらいのもの。 ところが、メーカーというのは、この単純な因縁が理解できないのです。 「60年代から80年代までは右肩上がりに成長していたのだから、今でもできるはずだ」と言うのです。 アホか? 人口そのものが減っているのに、一体、誰に車を売る気なんじゃい? 売れ行きが良かった頃の記憶が忘れられず、「売れないのは、人気車が出ないからだ。 下手の鉄砲も数撃ちゃ当たる! 車種を増やせ! 顧客の選択肢を広げて、市場を刺激しろ!」と社員に発破をかけているわけですが、エネルギーの空回りとしか言いようがありません。
バブル崩壊の頃ですが、車の売れ行きが頭打ちになった時、某メーカーの副社長とやらが言った言葉が凄い。
「日本の車の保有台数は、もっと上げられる。 邪魔な庭石をどかせば、どの家でももう一台置ける」
何だか、市場分析とかそういう次元ではない、背筋が寒くなるような粗野な発想でしょう? 車を買わせるためなら何でもありという、売り手本位の野蛮な欲望を感じます。 でよー、もう一台買わせてよー、一体誰がそれに乗るねん? 犬でも乗せるか? 無茶苦茶言ってんなよ。
だけど、この副社長と同じような考え方の人間もたくさんいるようで、家族が2・3人しかいないのに、門前に車ばかり5台も並んでいるような、奇怪な家もよく見ますな。 なんて寂しい生活なんだ。 小さなセダンに子供をすし詰めにして乗っていた頃のあの幸福感とは対極にある、歪んだ豊かさです。 お金が幸福を齎してくれないというのは、本当なんですねえ。 車なんて何台もあったって、楽しいわけないだろ。 目を覚ませ!
日本人が車にそこそこの価値を認めていたのは、やはり、バブル時代まででしょうな。 ホンダ・プレリュードや、日産シルビアなど、≪デート・カー≫と呼ばれた車が街を埋めていた頃ですよ。 バブル崩壊で、車だけでなく、何もかも売れなくなったあと、15年たって景気は回復してきたけれど、車に対する熱狂は全国的に冷め切っていたんですな。 つまる所、日本人は車に飽きたんですよ。 もともと、「走るのが好き」といった、車趣味の強い民族ではなかったし、道路もせせこましくて、ドライビングを楽しむようには作られていません。 また、車で行ける範囲というのは、せいぜい半径100キロくらいですが、日本の場合、東西南北どちらへ向かうにも、山道か海岸線の道路を通らざるを得ません。 山道は運転が怖いし、海岸線の道路は渋滞が付き物。 ドライブといえば、苦労しに行くようなもので、ちっとも楽しくないんですよ。
これは、私個人の感覚ですが、車という奴、自分で所有するもんじゃないですな。 若い頃、軽自動車を6年くらい所有していましたが、とにかく参ったのが洗車とワックス掛けでした。 一雨来ると必ずやらなければならないわけですが、週に一度は降りますから、結局毎週、洗車ワックス掛けしていた事になります。 始めれば2時間はかかるので、どえらい無駄。 乗っていればいたで、いつ事故を起こすか分かりませんし、停めておいたらおいたで、誰に傷を付けられるか分からず、心配のし通しでした。 今はバイクで通勤していますが、車を持っていた時のような気苦労が全く無くて、清々しています。
そういえば、最近、車の色がシルバーやゴールドばかりになりましたが、時代は変わったもんですなあ。 20年くらい前までは、日本では圧倒的に白が多かったのです。 なんで、シルバーとゴールドが増えたのか? 答えは簡単、洗車しなくても汚れが目立たないからです。 昔は、白い車を買って、毎週洗車して、常にピッカピカに磨き上げておくのが、車ユーザーの嗜みのように思われていましたが、いまや、車に飽きた日本人は、洗車に掛ける時間を惜しむようになったわけです。 「車を買うのはいい。 しかし、洗車だけは勘弁してくれ」 そういう人がたくさんいそうだねえ。 一度飽きてしまうと、再び興味を持つのは難しいというか、ほとんど不可能でしょう。
話は変わりますが、日産が≪GT-R≫の新型を出すそうで。 まあ、何を出そうが、御社の勝手ですが、身も蓋も無い話、大して売れないと思いますよ。 旧GT-Rを買っていたのはどういう客層かというと、99%が走り屋だったわけですが、走り屋というのは、普段は普通の勤め人でして、そんなに高給を取っているわけじゃありません。 777万円もする車をホイホイ買えるわけがないでしょう。 走り屋といえば、峠攻めですが、777万円の車で峠なんか行った日にゃ、ガードレールに一回こすった修理代だけで、給料が消えちまいますぜ。 それに、走り屋は、高い車を買うよりも、普通の価格帯の車をチューンする事に楽しみを見出している人が多いんですよ。
「ポルシェやフェラーリよりは遥かに安い」とでも言いますか? 馬鹿だね。 走り屋は、ポルシェやフェラーリなんて眼中に無いんだよ。 自分の収入で買えない車なんて、最初から対象外なの。 2000万円でも、777万円でも、買えない事に変わりはないんだから、GT-Rも対象外になるのは目に見えています。 また、ポルシェやフェラーリを買える人達は、走り屋なんて荒っぽい趣味はやりませんから、GT-Rに興味は示さないでしょう。
カルロス・ゴーンさん、日本市場の客層について、よく分かってないんじゃないですかねえ? もし、新型GT-Rが売れるというのなら、同じ客層にレクサスのSC430あたりも売れているはずですが、実際にはほとんど見かけないでしょう? そんな客層は日本に存在しないんですよ。 どうです? 新型GT-Rが売れるような気がしてこないでしょう?
新型車ラッシュをかければ、確かに一時的に販売台数が上がりますが、新型を出す為には、開発費やら、生産準備費やら、宣伝費やら、そのつど莫大な資金がかかります。 そんな奥の手・大技を次から次へ繰り出していたのでは、儲けなんぞ出るはずがありません。 大体、ニッチニッチで隙間商品ばかり出すものだから、同じメーカーの中だというのに似たような車種ばかり、ずらりと並んでしまって、名前も覚えられない始末。 車種増やしは、バブル時代に一度失敗しているはずなんですが、懲りないねえ、君達も。
知らない人も多いと思いますが、日本の自動車メーカーが何十車種も品揃えしているのは日本市場向けだけでして、外国市場では、多くてもせいぜい10車種くらいしか売っていません。 大市場のアメリカでも同じです。 これは、それぞれの国のポータルサイトへ行って、日本の自動車メーカーのサイトを出し、ラインナップを調べてみれば、すぐわかります。 そんなにたくさんの車種を並べても、売れないんですよ。
国内では、外国市場より販売店網が充実している為に、膨大な数の車種を無理やり売っているわけですが、販売店も災難だわ。 販売員にしてからが、自分の店で扱っている商品の名前をすべては言えないんじゃないでしょうか? まして整備工場の人達の迷惑や如何ばかりか。 エンジンやサスペンションなど、動力系には共通している部品も多いですが、ボディーや内装部品は、車種が違えば、ほとんど違いますから、整備方法を覚えるのも大変なはず。 新型が増えるたびに、「勘弁してくれよ」とぼやいている事必定。
多車種戦略に一番白けているのは、お客です。 ミニバンや、ワンボックス、クロカンなどのカテゴリーでは、各社から似たような車がうじゃうじゃ出されていますが、兄弟車でなくても、互いに似すぎていて区別がつきません。 「エンジンの排気量が違う」とか、「内装の豪華さが異なる」とか、メーカー側はいろいろ言うでしょうが、そんなのは、一車種の中のグレードの差で分ければいいんじゃないの? 正直な話、実際に買おうとして選び出始めると、「どれがいいか」という以前に、「これとあれはどう違うのか?」という段階で、悩み苦しむ事になります。 そして、これが最大の弊害ですが、さんざん悩んで買った車を、友人や同僚に自慢しようとしても、車名だけではどんな車なのか相手に伝わらず、「やあ、とうとう、○○を買ったよ」などと言っても、「○○ってどんな車だっけ?」と首を傾げられるのが落ち。 もっと悪いと、「○○って何? 平面テレビ?」などと、凄まじい反応が返って来て、一気に沈黙させられる羽目に陥ります。
車の車種というのは、多ければいいというわけではないんでよ。 テレビ番組の数と同じで、あまり多すぎると、見ている人が少なくなる為に、共通の話題が出来ず、全体の影響力が却って落ちてしまいます。 私の子供時代、チャンネルが四局くらいしか無かった頃は、大抵の友人が同じ番組を見ていたので、学校ではテレビの話題が重要なポジションを占めていましたが、今、会社で同僚達と、個別のテレビ番組の話をする事はほとんどありません。 誰でも嫌な記憶を伴う経験があると思いますが、面白い番組を見た翌朝、テンション高く、「昨日のあの番組、笑っちゃったよねえ」などと話しかけたら、冷め切った顔で、「いや、見てないから」と切り捨てられてしまった時のあの不愉快さといったら、何度も経験したら精神崩壊を起こすのではないかと思うほどです。 それと同じ事が、いまや車を買う時にも起こる危険性があるというわけです。
実際の使用上の問題として、そんなに多くの車種が必要かというと、そんな事は全く無いのであって、たとえば、ミニバンであれば、1メーカーにつき、大中2車種もあれば充分じゃないでしょうか。 7人乗りのミニバンのくせに、カローラ・クラスのセダンよりも小さい車というのがありますが、あの手の車は、根本的に存在意義を履き違えているのであって、そんな小さな車体に7人も詰め込むなど拷問以外の何ものでもありません。 作っているメーカーも馬鹿なら、買っている客も馬鹿。 シートが多ければ、それだけ得られる幸せも大きいと思っているようですが、そういうセンスを、≪貧乏臭い≫というのです。
車を買う時に、車種を選べないというのは、それはそれで窮屈な感じがしますが、実はそういう状態の方が、車が齎してくれる楽しみは大きいです。 本当の意味で、重宝な道具になってくれるんですな。 昔は、5人乗りのセダンに、親戚や近所の子供を7人くらい詰め込んで、「外から見えないような隠れてろよ」なんて言いながら運転している人がたくさんいましたが、そういう野趣のある使い方が出来なくなったのは、法律上・安全上はともかく、情緒的には不幸としか言いようがありませんな。 愛すべき道具としての車は、もはや死んでしまったのです。 車種を増やしても、あの楽しみは決して戻らないでしょう。
日本市場で車が売れなくなった最大の原因は、メーカーの勘違いにあるとも言えます。 売れなくなったのではなく、売れなくなる前までが売れ過ぎていたのです。 過去の歴史で最も多く売れたのは、高度経済成長期後のマイカー・ブームの時ですが、なぜ売れたかと言うと、それまで車に縁が無かった人達が、収入の上昇によって車を買える経済状態になり、免許を取って車を買い始めたからです。 しかし、一家の主のほとんどが車を持つようになると、飽和して売れ行きが横這いになりました。 人口には限界がありますから、頭打ちになるのは当然の話です。
次のブームが、1980年代でして、その頃何が起こったかというと、女性が車の免許を取り始めたのです。 最初は50㏄の原付スクーターからブームが起こり、「原付免許が取れたんだから、車の免許も取れるんじゃないの?」と考えた女性達が、わらわらと教習所に通い、普通免許を取って、車を買い始めたんですな。 女性は人口の半分ですから、ここでも爆発的に車の数が増えました。 ほとんど時期的に重なりますが、高校を出た若者達が車を買い始めたのもこの頃です。 マイカー・ブームの頃は一家に一台が普通でしたが、この頃から、大人一人に一台に変わり、月極駐車場が大繁盛する事になります。
しかし、一家の主にせよ、女性にせよ、若者達にせよ、人口には限界があります。 車の数が飽和状態に達してしまえば、それ以上は増えません。 せいぜい買換え需要があるくらいのもの。 ところが、メーカーというのは、この単純な因縁が理解できないのです。 「60年代から80年代までは右肩上がりに成長していたのだから、今でもできるはずだ」と言うのです。 アホか? 人口そのものが減っているのに、一体、誰に車を売る気なんじゃい? 売れ行きが良かった頃の記憶が忘れられず、「売れないのは、人気車が出ないからだ。 下手の鉄砲も数撃ちゃ当たる! 車種を増やせ! 顧客の選択肢を広げて、市場を刺激しろ!」と社員に発破をかけているわけですが、エネルギーの空回りとしか言いようがありません。
バブル崩壊の頃ですが、車の売れ行きが頭打ちになった時、某メーカーの副社長とやらが言った言葉が凄い。
「日本の車の保有台数は、もっと上げられる。 邪魔な庭石をどかせば、どの家でももう一台置ける」
何だか、市場分析とかそういう次元ではない、背筋が寒くなるような粗野な発想でしょう? 車を買わせるためなら何でもありという、売り手本位の野蛮な欲望を感じます。 でよー、もう一台買わせてよー、一体誰がそれに乗るねん? 犬でも乗せるか? 無茶苦茶言ってんなよ。
だけど、この副社長と同じような考え方の人間もたくさんいるようで、家族が2・3人しかいないのに、門前に車ばかり5台も並んでいるような、奇怪な家もよく見ますな。 なんて寂しい生活なんだ。 小さなセダンに子供をすし詰めにして乗っていた頃のあの幸福感とは対極にある、歪んだ豊かさです。 お金が幸福を齎してくれないというのは、本当なんですねえ。 車なんて何台もあったって、楽しいわけないだろ。 目を覚ませ!
日本人が車にそこそこの価値を認めていたのは、やはり、バブル時代まででしょうな。 ホンダ・プレリュードや、日産シルビアなど、≪デート・カー≫と呼ばれた車が街を埋めていた頃ですよ。 バブル崩壊で、車だけでなく、何もかも売れなくなったあと、15年たって景気は回復してきたけれど、車に対する熱狂は全国的に冷め切っていたんですな。 つまる所、日本人は車に飽きたんですよ。 もともと、「走るのが好き」といった、車趣味の強い民族ではなかったし、道路もせせこましくて、ドライビングを楽しむようには作られていません。 また、車で行ける範囲というのは、せいぜい半径100キロくらいですが、日本の場合、東西南北どちらへ向かうにも、山道か海岸線の道路を通らざるを得ません。 山道は運転が怖いし、海岸線の道路は渋滞が付き物。 ドライブといえば、苦労しに行くようなもので、ちっとも楽しくないんですよ。
これは、私個人の感覚ですが、車という奴、自分で所有するもんじゃないですな。 若い頃、軽自動車を6年くらい所有していましたが、とにかく参ったのが洗車とワックス掛けでした。 一雨来ると必ずやらなければならないわけですが、週に一度は降りますから、結局毎週、洗車ワックス掛けしていた事になります。 始めれば2時間はかかるので、どえらい無駄。 乗っていればいたで、いつ事故を起こすか分かりませんし、停めておいたらおいたで、誰に傷を付けられるか分からず、心配のし通しでした。 今はバイクで通勤していますが、車を持っていた時のような気苦労が全く無くて、清々しています。
そういえば、最近、車の色がシルバーやゴールドばかりになりましたが、時代は変わったもんですなあ。 20年くらい前までは、日本では圧倒的に白が多かったのです。 なんで、シルバーとゴールドが増えたのか? 答えは簡単、洗車しなくても汚れが目立たないからです。 昔は、白い車を買って、毎週洗車して、常にピッカピカに磨き上げておくのが、車ユーザーの嗜みのように思われていましたが、いまや、車に飽きた日本人は、洗車に掛ける時間を惜しむようになったわけです。 「車を買うのはいい。 しかし、洗車だけは勘弁してくれ」 そういう人がたくさんいそうだねえ。 一度飽きてしまうと、再び興味を持つのは難しいというか、ほとんど不可能でしょう。
話は変わりますが、日産が≪GT-R≫の新型を出すそうで。 まあ、何を出そうが、御社の勝手ですが、身も蓋も無い話、大して売れないと思いますよ。 旧GT-Rを買っていたのはどういう客層かというと、99%が走り屋だったわけですが、走り屋というのは、普段は普通の勤め人でして、そんなに高給を取っているわけじゃありません。 777万円もする車をホイホイ買えるわけがないでしょう。 走り屋といえば、峠攻めですが、777万円の車で峠なんか行った日にゃ、ガードレールに一回こすった修理代だけで、給料が消えちまいますぜ。 それに、走り屋は、高い車を買うよりも、普通の価格帯の車をチューンする事に楽しみを見出している人が多いんですよ。
「ポルシェやフェラーリよりは遥かに安い」とでも言いますか? 馬鹿だね。 走り屋は、ポルシェやフェラーリなんて眼中に無いんだよ。 自分の収入で買えない車なんて、最初から対象外なの。 2000万円でも、777万円でも、買えない事に変わりはないんだから、GT-Rも対象外になるのは目に見えています。 また、ポルシェやフェラーリを買える人達は、走り屋なんて荒っぽい趣味はやりませんから、GT-Rに興味は示さないでしょう。
カルロス・ゴーンさん、日本市場の客層について、よく分かってないんじゃないですかねえ? もし、新型GT-Rが売れるというのなら、同じ客層にレクサスのSC430あたりも売れているはずですが、実際にはほとんど見かけないでしょう? そんな客層は日本に存在しないんですよ。 どうです? 新型GT-Rが売れるような気がしてこないでしょう?
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