カート・ボネガット
カート・ボネガットさんの本を読みました。 図書館で借りてきた本を、仕事の休み時間だけ読むというパターンでしたが、八月の連休明けから、現在、11月の終わりまでに、ほとんど読み終わりました。 休み時間なんて取るに足らない時間量だと思っていましたが、塵も積もれば山となるものですな。
読んだ本は、≪プレイヤーズ・ピアノ≫、≪タイタンの妖女≫、≪母なる夜≫、≪猫のゆりかご≫、≪スローターハウス5≫、≪チャンピオンたちの朝食≫、≪ガラパゴスの箱舟≫、≪青ひげ≫、≪ディックアイ・ディック≫、≪ジェイルバード≫、≪ホーカス・ポーカス≫、≪タイムクエイク≫、≪モンキーハウスへようこそ②≫。 いやはや、よく読んだもんだ。 何冊か抜けているものもあるんですが、図書館に蔵書がなかったり、小説ではなく随筆集だったり、いずれにせよ、残りは僅かなので、もう総評を書いてしまってもいいと思います。
カート・ボネガットさんの名前は、日本では誰でも知っているというわけではありませんが、アメリカでは知らない人がいないというくらいの有名人です。 ≪20世紀後半のアメリカ最高の長編作家の一人≫なのだそうで、つまり、この人の作品を読めば、アメリカの現代文学のレベルが大体分かるというわけです。 では、いかめしい純文学かというと、そんな事はなく、元はSF作家としてスタートし、後に純文学領域に移動するものの、最後までSF的な要素を作品に盛り込み続けたという異色の人物。 どれでも一冊読んでみれば分かりますが、実に読み易く、知能低下著しい現代日本人であっても、高校生以上程度の読書力があれば、スイスイ読めると思います。
話の内容は、個人的体験をベースに、創作を盛り込んで膨らませた話がほとんどです。 普通、小説というと、創作の中に個人的体験を盛り込むものが多いですが、この人の場合、逆なんですな。 SFの要素が入っているだけあって、結構、破天荒な設定の話も多いんですが、実体験や身近な人間に起こった実話をもとに肉付けしているので、不思議とうわっついた軽薄さを感じさせません。
構成法上の特徴としては、これから起こる筋書きを、先に書いてしまうという、実に風変わりな語り口が取られています。 中期以降の作品はすべて、この方式で書かれていて、≪ボネガット方式≫といってもいいくらい、際立った特徴になっています。 極端な場合、小説が始まったばかりであるにも拘らず、結末がどうなるかを、書いてしまうのです。 「そう思わせておいて、何かどんでん返しを用意しているのでは?」と思わせておいて、最後まで読んでも何もありません。 起承転結という、物語りの基本形式を崩しているんですな。 「そんなの面白くも何ともないではないか」と思うでしょう。 でも、実際に読んでみると、面白さが損なわれているという感じはしません。
当人は、「小説というのは、全体の八割くらい進んだ所で、作者が言いたい事は書き尽くされている。 結末は重要ではない」と言っていますが、まさにその通りという感じでして、作品という実例で納得させられてしまいます。 これが映像作品だったら、せいぜい二時間程度で終るので、起承転結が無いと話が締まりませんが、小説の場合、細切れでダラダラ読まれる事が多いですから、読者にとっては、表面的な構成よりも、盛り込まれている作者の考え方を読み取る方が重要な楽しみ方になるというわけでしょう。 それを見抜いて、半世紀にわたって実践したボネガットさんの功績は大変なものだと思います。 実験ではなく、実践したという所が肝腎なのであって、小説の語り口の新境地を開拓したわけですから、なんで、こういう人にノーベル文学賞をやらなかったのか、それが不思議です。
ただ、個人的体験に依拠しているが故に、同じような話が多くのなるのは避けられず、特に後半の作品群は、「一冊読めば、他はみな同じ」という感がなきにしもあらず。 登場人物の多くが、複数の作品で共有されているのも、類似度を高める要因の一つになっています。 とはいえ、小説の完成度は、後に行くほど高くなり、≪ホーカス・ポーカス≫で、最高点に達します。 どうも、当人はそこで筆を置くつもりだったようですが、一国の代表作家クラスに登りつめてしまったが故に、次回作を望む声に抗しきれず、七年のブランクを置いた後に、最後の長編、≪タイムクエイク≫を発表します。 しかし、この作品は小説というより、とりとめのない回想録といった方がよい内容で、勝負作品の内に数えるのはどうかと思われるものでした。
なぜ、ボネガットさんの個人体験が面白いのかというと、この人、いろんな事を経験しているんですな。 まず、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に敵情視察兵として参加し、有名な≪バルジ作戦≫でドイツ軍の捕虜になってます。 これだけでも、小説家としては貴重な体験ですが、更に捕虜労働者として働かされていたドレスデンの街が、またまた有名な≪ドレスデン爆撃≫で破壊された時に、食肉工場の地下室にいて助かったという凄い体験までしている始末。 その上、複雑なのは、ボネガットさんの家系はドイツ系で、ドイツ人を恨む感情がほとんどない事が絡み、至って冷静な目で≪戦争≫というものの本質を眺めてきたんですな。
ただ、ドイツ人を恨んでいない事が逆に、ドイツの立場に甘くなっている嫌いがなきにしもあらず。 ボネガットさんはドイツに対する見方を日本にも流用して、広島・長崎の原爆投下について、アメリカ側を批難する立場をとっているようですが、これは些か浅薄な態度というものでしょう。 ボネガットさんは命拾いして戦場から帰って来たから、離れた視点から戦争を眺める≪余裕≫が出来たわけですが、ドイツ人や日本人に殺されてしまった人々は、決してボネガットさんに同意しないと思います。
≪ガラパゴスの箱舟≫や≪ホーカス・ポーカス≫には、日本人がかなり重要な役柄で登場します。 どちらも、共通しているのは、広島で被爆している人物だという事。 一方は、原爆症の結果、全身に≪にこ毛≫が生えた畸形児を生みますし、一方は所長として勤務していた刑務所を囚人達に乗っ取られた後、切腹して死にます。 こう聞いただけでも分かると思いますが、ボネガットさんの日本のついての知識は、この種のステレオタイプな域を一歩も出ません。 それ以上の興味が湧かなかったんでしょうな。 それなのに、なぜ日本人を繰り返し登場させたかといえば、これは私の推量ですが、たぶん、日本の出版社から印税がどかっと入って来て、自分の作品が日本で売れている事を知り、読者サービスのつもりで日本人を出したんでしょう。 こういう事は割とよくあります。
話をボネガットさんの経験に戻しますが、この人、小説が売れ始めるのは中年を過ぎてからで、それ以前は、戦争に行ったり、サラリーマンとしてGE(ジェネラレ・エレクトリック社)に勤めたり、サーブの自動車セールスマンをやったり、家族を養うために、いろんな仕事をしていたんだそうです。 日本の作家でもそうですが、文筆業に入る前に、ちょっとでも他の仕事を経験していると、作品世界の現実味が全然違ってきます。 たとえば、学生時代にデビューして、一度も会社勤めをした事がないという作家が、サラリーマンを主人公にして小説を書いても、「なんじゃ、こりゃ?」という感じの陳腐な描写しか出来ません。 そういう作家の場合、主人公はいつまでたっても学生だったり、無職だったりします。 それを逆に考えれば、社会経験が豊富な人の作品が、いかに内容が濃いかが分かろうというもの。 もっとも、経験だけでは小説は書けないので、その点は注意が必要ですが。
ボネガットさんの文章は、訳者の違いに関係なく、大変読み易いので、「純文学はちょっとかったるくて・・・・」という人にもお薦めです。 読み易いですが、人生について深く分け入っているという点では、ドストエフスキーにも、トルストイにも負けていませんから、一読の価値はあります。 ボネガットさんは、現代では珍しく、生きる事について、真面目に考え続けた人なんですな。 ちなみに、ボネガットさんは、2007年の4月11日に、84歳で亡くなりました。 ご冥福をお祈りします。
読んだ本は、≪プレイヤーズ・ピアノ≫、≪タイタンの妖女≫、≪母なる夜≫、≪猫のゆりかご≫、≪スローターハウス5≫、≪チャンピオンたちの朝食≫、≪ガラパゴスの箱舟≫、≪青ひげ≫、≪ディックアイ・ディック≫、≪ジェイルバード≫、≪ホーカス・ポーカス≫、≪タイムクエイク≫、≪モンキーハウスへようこそ②≫。 いやはや、よく読んだもんだ。 何冊か抜けているものもあるんですが、図書館に蔵書がなかったり、小説ではなく随筆集だったり、いずれにせよ、残りは僅かなので、もう総評を書いてしまってもいいと思います。
カート・ボネガットさんの名前は、日本では誰でも知っているというわけではありませんが、アメリカでは知らない人がいないというくらいの有名人です。 ≪20世紀後半のアメリカ最高の長編作家の一人≫なのだそうで、つまり、この人の作品を読めば、アメリカの現代文学のレベルが大体分かるというわけです。 では、いかめしい純文学かというと、そんな事はなく、元はSF作家としてスタートし、後に純文学領域に移動するものの、最後までSF的な要素を作品に盛り込み続けたという異色の人物。 どれでも一冊読んでみれば分かりますが、実に読み易く、知能低下著しい現代日本人であっても、高校生以上程度の読書力があれば、スイスイ読めると思います。
話の内容は、個人的体験をベースに、創作を盛り込んで膨らませた話がほとんどです。 普通、小説というと、創作の中に個人的体験を盛り込むものが多いですが、この人の場合、逆なんですな。 SFの要素が入っているだけあって、結構、破天荒な設定の話も多いんですが、実体験や身近な人間に起こった実話をもとに肉付けしているので、不思議とうわっついた軽薄さを感じさせません。
構成法上の特徴としては、これから起こる筋書きを、先に書いてしまうという、実に風変わりな語り口が取られています。 中期以降の作品はすべて、この方式で書かれていて、≪ボネガット方式≫といってもいいくらい、際立った特徴になっています。 極端な場合、小説が始まったばかりであるにも拘らず、結末がどうなるかを、書いてしまうのです。 「そう思わせておいて、何かどんでん返しを用意しているのでは?」と思わせておいて、最後まで読んでも何もありません。 起承転結という、物語りの基本形式を崩しているんですな。 「そんなの面白くも何ともないではないか」と思うでしょう。 でも、実際に読んでみると、面白さが損なわれているという感じはしません。
当人は、「小説というのは、全体の八割くらい進んだ所で、作者が言いたい事は書き尽くされている。 結末は重要ではない」と言っていますが、まさにその通りという感じでして、作品という実例で納得させられてしまいます。 これが映像作品だったら、せいぜい二時間程度で終るので、起承転結が無いと話が締まりませんが、小説の場合、細切れでダラダラ読まれる事が多いですから、読者にとっては、表面的な構成よりも、盛り込まれている作者の考え方を読み取る方が重要な楽しみ方になるというわけでしょう。 それを見抜いて、半世紀にわたって実践したボネガットさんの功績は大変なものだと思います。 実験ではなく、実践したという所が肝腎なのであって、小説の語り口の新境地を開拓したわけですから、なんで、こういう人にノーベル文学賞をやらなかったのか、それが不思議です。
ただ、個人的体験に依拠しているが故に、同じような話が多くのなるのは避けられず、特に後半の作品群は、「一冊読めば、他はみな同じ」という感がなきにしもあらず。 登場人物の多くが、複数の作品で共有されているのも、類似度を高める要因の一つになっています。 とはいえ、小説の完成度は、後に行くほど高くなり、≪ホーカス・ポーカス≫で、最高点に達します。 どうも、当人はそこで筆を置くつもりだったようですが、一国の代表作家クラスに登りつめてしまったが故に、次回作を望む声に抗しきれず、七年のブランクを置いた後に、最後の長編、≪タイムクエイク≫を発表します。 しかし、この作品は小説というより、とりとめのない回想録といった方がよい内容で、勝負作品の内に数えるのはどうかと思われるものでした。
なぜ、ボネガットさんの個人体験が面白いのかというと、この人、いろんな事を経験しているんですな。 まず、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に敵情視察兵として参加し、有名な≪バルジ作戦≫でドイツ軍の捕虜になってます。 これだけでも、小説家としては貴重な体験ですが、更に捕虜労働者として働かされていたドレスデンの街が、またまた有名な≪ドレスデン爆撃≫で破壊された時に、食肉工場の地下室にいて助かったという凄い体験までしている始末。 その上、複雑なのは、ボネガットさんの家系はドイツ系で、ドイツ人を恨む感情がほとんどない事が絡み、至って冷静な目で≪戦争≫というものの本質を眺めてきたんですな。
ただ、ドイツ人を恨んでいない事が逆に、ドイツの立場に甘くなっている嫌いがなきにしもあらず。 ボネガットさんはドイツに対する見方を日本にも流用して、広島・長崎の原爆投下について、アメリカ側を批難する立場をとっているようですが、これは些か浅薄な態度というものでしょう。 ボネガットさんは命拾いして戦場から帰って来たから、離れた視点から戦争を眺める≪余裕≫が出来たわけですが、ドイツ人や日本人に殺されてしまった人々は、決してボネガットさんに同意しないと思います。
≪ガラパゴスの箱舟≫や≪ホーカス・ポーカス≫には、日本人がかなり重要な役柄で登場します。 どちらも、共通しているのは、広島で被爆している人物だという事。 一方は、原爆症の結果、全身に≪にこ毛≫が生えた畸形児を生みますし、一方は所長として勤務していた刑務所を囚人達に乗っ取られた後、切腹して死にます。 こう聞いただけでも分かると思いますが、ボネガットさんの日本のついての知識は、この種のステレオタイプな域を一歩も出ません。 それ以上の興味が湧かなかったんでしょうな。 それなのに、なぜ日本人を繰り返し登場させたかといえば、これは私の推量ですが、たぶん、日本の出版社から印税がどかっと入って来て、自分の作品が日本で売れている事を知り、読者サービスのつもりで日本人を出したんでしょう。 こういう事は割とよくあります。
話をボネガットさんの経験に戻しますが、この人、小説が売れ始めるのは中年を過ぎてからで、それ以前は、戦争に行ったり、サラリーマンとしてGE(ジェネラレ・エレクトリック社)に勤めたり、サーブの自動車セールスマンをやったり、家族を養うために、いろんな仕事をしていたんだそうです。 日本の作家でもそうですが、文筆業に入る前に、ちょっとでも他の仕事を経験していると、作品世界の現実味が全然違ってきます。 たとえば、学生時代にデビューして、一度も会社勤めをした事がないという作家が、サラリーマンを主人公にして小説を書いても、「なんじゃ、こりゃ?」という感じの陳腐な描写しか出来ません。 そういう作家の場合、主人公はいつまでたっても学生だったり、無職だったりします。 それを逆に考えれば、社会経験が豊富な人の作品が、いかに内容が濃いかが分かろうというもの。 もっとも、経験だけでは小説は書けないので、その点は注意が必要ですが。
ボネガットさんの文章は、訳者の違いに関係なく、大変読み易いので、「純文学はちょっとかったるくて・・・・」という人にもお薦めです。 読み易いですが、人生について深く分け入っているという点では、ドストエフスキーにも、トルストイにも負けていませんから、一読の価値はあります。 ボネガットさんは、現代では珍しく、生きる事について、真面目に考え続けた人なんですな。 ちなみに、ボネガットさんは、2007年の4月11日に、84歳で亡くなりました。 ご冥福をお祈りします。
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