2007/10/28

趣味の音楽

  先日買ったキーボード、一日に20分くらいずつ弾いています。 「練習しています」と言いたい所ですが、これといった目的があるわけではなく、ただ簡単な曲を間違えずに弾けるように繰り返しているだけなので、練習といえるほどの執心ではないです。

  弾き始めて気付いたんですが、16小節くらいの短い曲の場合、楽譜というのは最初の一回しか見ないものなんですな。 素人考えだと、「プロの演奏家ですら、楽譜を見ながらやっているのだから、本を読むように最初から最後まで、音符を目で追い続けているのだろう」と思う所ですが、実は違ったんですね。 よほど楽譜を読むのに慣れていても、また、よほどテンポの遅い曲でも、音符を拾いながら演奏するというのは至難の業です。 視神経→脳→指の神経の反応がとても間に合いません。 また、楽譜という奴、歴史的に成立したものであって、合理的に開発されたものではないので、元々読み難いのです。

  では、どうやって曲を弾いているのかというと、指が覚えているのです。 嘘みたいですが、私ほどの超初心者でも、勝手に動きます。 実に面白い現象なので、試してみると宜しい。 指が覚えるのは鍵の場所とそれを叩く順番ですが、間違えた時それに気付くのは、目ではなく、耳です。 これがまた面白い! 指の方が間違えて覚えていて、別の鍵を叩いても、耳の方が、「そこじゃねえよ」と駄目出しをするのです。 今までの人生で、音程について考えた事など一度もなく、せいぜい中国語のアクセントを習った時に、音に高いか低いかの二種類がある事を知った程度なのに、そんな私でも、鍵盤で間違えて隣の鍵を叩くと、それが間違いだと分かるんですねえ。 不思議不思議。

  間違いが分かるという事は、正しい音がどれかも分かるわけで、つっかえつっかえ修正しながら繰り返し弾いているうちに、自然に指が覚えて、間違いが減って来ます。 たぶん、どんな天才的演奏家でも、これと同じような事をやっているんでしょう。 ≪のだめカンタービレ≫の中に、「一度も弾いた事がない曲でも、他人の演奏を二三回も聞いていれば、真似て弾けるはず」という言葉が出てきました。 門外漢には魔法のように聞こえる話ですが、自分でちょこっとやってみると、「そういう事もあるかもしれぬ」と信じられるようになってきます。 そういえば、のだめは耳で聞いた曲を自分風に弾いてしまって、しょっちゅう千秋先輩に、「なんだ、メチャメチャじゃないか」と言われますが、逆に考えると、楽譜を見なくても、耳だけで曲は弾けるという事でしょう。


  大人になってから、「何か楽器を習いたい」と思う人は結構多いようですが、目標を高く取り過ぎると、失敗する傾向があるようです。 誰でも思いつくのは、「個人的に練習して、ある程度モノになってきたら、行く行くは、アマチュアの音楽サークルに入って、発表会やコンサートで演奏してみたい」というもの。 かくいう私も考えました。 実際、努力を重ねて、その計画を実現させる人もいるのですが、人前での演奏を何回かやってしまうと、何となく物足りなくなって、そこで音楽をやめてしまうという話も多く聞きます。

  なんで、やめてしまうのかというと、飽きるからです。 人間、目標がはっきりしている内はどんどんそちらへ向かって進もうとしますが、一旦実現すると、それを何度も繰り返しても満足を感じなくなってしまうんですね。 子供でもそうですが、大人の場合、既にいろいろな趣味を経験している人が多いので、尚更飽きるのが早いです。 目標を達成しない内にやめてしまう人もいますが、これも大人に顕著な特徴でして、経験的に自分の能力の限界を知っているので、「これ以上やっても、うまくならないな」と見越すと、そこで打ち切ってしまうのです。

  まあ、趣味の世界ですから、続けるのもやめるのも当人の勝手ですが、楽器の購入など、初期投資もしている事ですし、どうせなら長く続けたいもの。 そう思うなら、発表会やコンサートなどの大舞台を目標にするのはやめた方がいいかもしれません。 自分の部屋で、自分一人で曲を弾いて、それで楽しめるというなら、曲はこの世に無数にあるわけですから、決して飽きる事はないでしょう。 なまじ、人様に聞いてもらいたいなどと欲を張るから、自分のペースが作れず、本来楽しむ為にやっている趣味が、セルフ拷問になってしまうのです。

  人様に聞いてもらうというのは、一定レベル以上の技量を必要としますから、挑戦価値がある事は認めますが、その反面、練習の負担も大変大きく、仕事の片手間にやる場合、エネルギーの消耗が並大抵ではありません。 首尾よく上達したとしても、発表会が終った途端に、どっと緊張が弛み、そこで燃え尽きてしまうんですな。 中高年のピアノ初心者が陥り易いパターンです。 だけどねえ、残酷な事を言わせて貰うと、聞いている方は、誰も「うまい」なんて思ってませんぜ。 せいぜい、「いい年したおっさんにしてはうまい」くらいの評価が関の山。 どんな人間でも、生まれてこの方、テレビで散々プロの演奏を聞いて育ってきているわけですから、耳は肥えていているわけです。 やっとこさーで楽譜通りに鍵盤を叩いている程度の演奏をうまいと思ったりしませんや。

  だからねー、一曲3分もかかるようなクラシックのナンバーなんて弾こうとせずに、16小節の小学校曲を弾いていればいいんですよ。 ヘッド・フォンつけてるんだから、誰から笑われる心配もありません。それに、音楽の素晴らしさは、≪きらきら星≫でもベートーベンの交響曲でも、まったく等しいです。 嘘だと思ったら、リコーダーでも引っ張り出して来て、押入れに入って、≪きらきら星≫を吹いて御覧なさいな。 リコーダーを吹くのが小学校以来なら、自分で出す音のあまりの繊細さに琴線をはじかれて、感動に打ち震えるはずです。 年末に耳に入る第九なんぞ、聞きなれてしまって、もはや何の感動もないのに比べて、自分で吹いた≪きらきら星≫の価値が低いなどとは、誰も思わないと思いますよ。

  趣味の音楽の魅力というのは、そういうものだと思うのです。 人様に聞かせるのが最終の目標だなんて、思い違いも甚だしいです。 趣味とは、あくまで、楽しむものであって、努力する必要はありません。 むしろ、努力し出したら、終わりが見えたと考えるべきでしょう。