2007/10/14

温暖化対策の末路

  アメリカの元副大統領、というより、元民主党大統領候補で、接戦の末、現ブッシュ大統領に破れた、アル・ゴア氏が、ノーベル平和賞を貰ったそうです。 いつまでも大統領候補なんぞに執着せずに、さっさと別の人生目標を掲げて邁進したのは正解でしたな。 この授賞、ある意味、≪敗者の華麗な巻き返し≫なわけで、近年稀に見る痛快なニュースと言えます。 様あ見遊ばせ、ブッシュ大統領。 あんたじゃ、逆立ちしたって ノーベル賞は取れんだろう。 まして平和賞なんて、夢のまた夢。 いや待てよ。 任期中にイラクから完全撤退すれば、事によったら貰えるかも知れませんな。 ノーベル平和賞という奴、結構テキトーな規準で与えられていて、確か過去にも、自分で始めた戦争をやめて、授賞した例があったと思います。 ほれ、まだ遅くない、速やかに撤退しなさい。


  それはさておき、地球温暖化対策に世界の注目が集まり過ぎるのは、果たして良い事なのかとなると、それは考え物です。 今回の授賞に対して、チェコのクラウス大統領が、「ゴア氏の活動と世界平和の関係はあいまいだ。 ゴア氏が現代文明を築いた基盤に疑問を広げている実態は、決して平和への貢献ではない」、「思想と意思決定の自由に対する規制が目的で、共産主義と同じ手法だ」と批判しているそうですが、スパーンとこういう論理的批判が出てくる所がヨーロッパらしくて良いですな。 この指摘は、まったくその通りでして、温暖化対策を最優先目標として推進すると、産業社会は確実に停滞します。 いや、停滞ではなく、衰退の域まで行ってしまうでしょう。

  以前、≪環境保全の落とし穴≫で書いた事ですが、温暖化対策というのは、省エネに励めばそれで良いというものではなく、二酸化炭素の排出量を本気で削減しようと思ったら、経済活動全体を抑え込むしかありません。 この点について、「省エネと経済成長を両立させるにはどうしたらよいか」などという、途轍もない勘違いが長らく横行していましたが、最近になって、世間全般にようやく事の本質が分かりかけてきたようです。 二酸化炭素の排出も、エネルギーの消費も、すべて経済活動の結果であって、両者の間には、ほぼ正比例の関係が成り立つという事が。 ≪クール・ビズ≫が流行った時に、繊維・服飾業界が、「ワイシャツが売れて儲かった」と喜んでいたのが、省エネでも何でもなく、むしろ浪エネだったのだという事が、ピンと来たでしょうか? 経済が成長する一方で、エネルギー消費が減るなどという関係式は、どんな魔法を使ったって、成立し得ないのです。

  まだこの一年以内の事だったと思いますが、日本の駐中大使だか、公使だか、領事だか知りませんが、結構重要なポストにある人が、中国で、「中国経済の拡大は地球温暖化の原因になっているから、経済成長をやめるべきだ」と発言したらしいです。 日本では報道されませんでしたが、中国ではかなり物議を醸したようです。 まあ、自分の置かれている立場も弁えず、思い切った事を口にしたもんですな。 恐らく、昨今流行のキチガイ日本人の一人なんでしょう。 もっとも、彼の言った事は、現状分析の部分に限れば、嘘ではありません。 中国に限らず、世界中どこであっても、経済活動が行なわれていれば、それは即ち、地球温暖化を促進している事になります。 この発言の問題点は、この人物が日本人であり、日本が経済大国である為に、他国の経済活動にいちゃもんを付ける資格が無いという所にあります。 他国に対して、「経済成長をやめろ」という前に、まず自国がやめるのが当然の筋です。 やめられればの話ですが。

  よく、「日本は省エネ技術が進んでいて、エネルギー消費や二酸化炭素の排出量は、世界で最も少ない」などというセリフを聞きますが、まったく信用できません。 誰がどうやって調べているのかが、まず分かりません。 まさか、工場・事業所の数や世帯数から、テキトーな推測値を足し算して出しているのではあるまいね。 そんなの、科学的なデータにはなりませんぜ。 車の燃費を諸元表に載っている10モード燃費から計算しているのは、多いにありそうな事ですが、車の使い方は、個人個人で全然違うのであって、単純に足し算すればいいというものではありません。 車だけじゃない、冷蔵庫もエアコンもみんな同じです。 一体、どれだけ厳密に調べたら、「省エネ、世界一!」なんていう虫のいい数字を自信満々で口に出来るのか、想像もつきません。 それでなくても、日本人というのは、体面の為に統計をごまかす癖があり、評判の悪い事には少な目の数字を出し、評判のいい事には上乗せをする傾向があります。 

  「一人一人が省エネに努力して・・・」というセリフもよく聞きますが、世間を見ていると実行している人がいるような気がしません。 見た目にも分かるのが、車の使い方でして、最近はセダンなんぞほとんど売れず、ワゴン・ブームもとうに去って、売れているのはミニ・バンだけですが、ミニ・バンというと、三列シートで7人乗りが普通です。 その、どーんと大きく、ずっしり重い車を、たった一人で通勤に使っている人間がうようよいるのを目の当たりにすると、省エネなんか遠い異星の話に聞こえて来ます。 この人達は、「通勤以外にも使うから」と言い訳するわけですが、じゃあ、家族が7人もいるのか?というと、今時そんな大家族がごろごろいるわけがないのであって、誰の為のシートなのか、説明がつきません。 単に、「私は家族を大事にしています」という社会的ポーズを取る為だけにミニ・バンを買っているのは見え見え。 省エネなんて、爪の先ほども念頭に無いんですよ。

  ミニ・バンが売れる一方で、軽自動車も売れていて、そちらは幾分省エネ志向という感じがしますが、実はそれも幻覚です。 一口に軽自動車といっても、中心になって売れているのは軽ワゴンでして、この車種、乗って見れば分かりますが、えらく重い車です。 ボン・バンに比べると、100キロ近く重いですから、空荷でも大人二人乗せて走っているのと同じ勘定になります。 車高が高く、ガラス面積が大きい上に、電子装備ぎっしりなのですから、重くなるのは当たり前。 坂道になると、アクセルべた踏みでも、カタツムリ並みのスピードしか出ません。 こんな車の燃費がいいわけがないのであって、≪軽自動車=省エネ≫というイメージを抱いていると、燃料代を見て青くなるのは必定です。

  ハイブリッド車の省エネ効果に関しては、まやかしであると、今までに何度も書いてきましたから、繰り返しません。 ハイブリッド車に乗って、「省エネに貢献している」といい気になっているのは、単純計算も出来ない頭の足りない人間だけです。 本当に省エネに貢献したかったら、ハイブリッド車に乗るより、車を使わない事を検討すべきですな。 まあ、馬鹿にそんな基本的な事を言っても、分からんでしょうが。

  車の使用は他人からも見えるので、まだ状況が把握し易いですが、家の中でのエネルギー使用となると、どれだけじゃぶじゃぶ使っているか、分かったもんじゃありません。 部屋の中を見回して御覧なさい。 電気製品だらけでしょう。 よくもまあ、こんなにあるもんだと呆れるくらいあるはずです。 「ほんの四半世紀前には、個人の部屋の電気製品といったら、蛍光灯とラジカセくらいしかなかった」と言ったら、信じられますかね? それが今や、テレビ・ビデオ・DVDデッキ・ゲーム・パソコン・プリンター・デジカメ・ケータイ充電器・エアコン・扇風機・電気ストーブ、その他もろもろ、数え切れません。 「そんな物一つも無くても、人間は生きていられる」と言ったら、もっと驚きますかね?

  これだけ使いまくっているのに、まだ、「日本は省エネ技術が進んでいるので・・・・」などと抜かしている奴を見ると、「こいつ、自分で自分がどんな生活をしているのか分からないのかな? ≪観察能力不全症≫とかなんとかいう、何か特殊な病気の罹患者か?」とつくづく不思議になります。 日本人が、外国の経済成長に文句を言う資格を得るためには、国内の経済活動をゼロにする必要があります。 そんな事は実行不可能ですから、最初からつまらん事は言わんのが唯一の道ですな。


  さて、クラウス大統領の指摘に戻りますが、ゴア氏流の温暖化対策を実行するとなると、どんなに温厚に事を進めるにしても、いずれ必ず、≪現状維持≫が目標として出て来ると思われます。 現状維持、つまり、経済先進国は豊かなまま、発展途上国は貧しいままで止まるという事ですな。 そんな事を発展途上国側が受け入れるでしょうか? 受け入れられるわけがありません。 「ぶさけるな! 帝国主義で散々人の国を荒らしておいて、今度は経済成長するなだと! 一体、何様のつもりだ!」 うむ、まさにその通りですな。

  京都議定書の段階では、途上国は対象に含まれておらず、先進国の二酸化炭素排出量に規制をかける内容でしたが、ほんの小手調べ程度の目標ですら達成できない事が分かり、温暖化対策が、ええカッコしいの口だけ宣言では、何の効果も得られない事がはっきりしました。 大体、議長国だった日本にしてからが、「省エネと経済成長を両立」なんて、無茶苦茶な事を口にして、おかしいとも思っていなかったんだから、目標達成なんて出来るわきゃありゃしません。

  現在、検討されている次の目標では、「中国・インドの両国を巻き込んで、実効性のある対策を・・・」などと、もっともらしく言われていますが、馬鹿も休み休み言うべきでしょう。 成長率が低い経済先進国ですら、二酸化炭素排出量の削減が出来ないのに、今正に発展中で勢い当たるべからざる中・印両国が、どうして発展にブレーキをかけるような事が出来ると思うのか、そんな寝言を言っている連中の頭を開いて、中の錆び付き具合を見てみたいです。 まず、自分の国から減らすべし。 自国が出来ない事を、他国に求めるのは無茶苦茶でしょう。

  人間一人当たりの人権が同等ならば、中・印両国も、一人当たりのエネルギー使用量・二酸化炭素排出量を、経済先進国の一人当たり平均と同じだけ使う権利・出す権利があるはずです。 つまり、両国とも、日本の10倍、アメリカの4倍の使用権、排出権があるというわけですな。 もし、それを否定したら、国によって人権に差がある事になり、国際社会の平等原則が崩れてしまいます。 ≪一票の格差≫には特例があるようですが、人権に特例はありません。 他者の人権を否定するなら、自分の人権が否定される事も覚悟しなければなりません。

  しかし、人間とは手前勝手に出来ているものです。 その内必ず、経済先進国の中に、無茶苦茶を承知で、それを言い出す流れが出て来ると思います。 更に温暖化が悪化すれば、「力づくでも止める」という雰囲気になってくるのは避けられますまい。 その先に待っているのは戦争です。 なんと、ノーベル平和賞受賞者の警告通りに対策を進めると、戦争が起こるんですなあ。 あはははは! ちなみに、これは必ずしも、≪最悪のシナリオ≫というわけではないです。 たとえ、かなり穏やかなコースを取っても、一部の国が他の国に規制をかけようと考えた時点で、即戦争です。

  最も温厚なコースとしては、経済先進国の人口が自然減少して、エネルギー使用量・二酸化炭素排出量が減り、発展途上国の経済成長を阻害する事無く、≪総量の現状維持≫が実現する可能性があります。 しかし、人口減少を自然の成り行きとして受け入れている経済先進国はほとんどありません。 それどころか、必死になって人口増加に努力している始末。 ≪少子化対策大臣≫などという、熱が出るような閣僚ポストを設けている国もあるくらいです。 たぶん、このコースは実現しないでしょうなあ。 人間ていうのは、そういうものですよ。 「自分に得がない話に乗るくらいなら、邪魔な他人を殺してしまう方がせいせいする」と考える、邪悪な生物なのです。


  こういう絶望的な事を書くと、「そんな事は無い。 人類の叡智で戦争は避けられる」と思う人がいると思いますが、それはあくまで、人類の叡智が遺憾なく発揮されればの話です。 衆愚政治で脳髄の腐った民主国家が幅を利かせている世界では、人類の叡智など望むべくもありません。 先哲の足跡さえ辿れない有様ではありませんか。

  もちろん、人類の叡智を信じている方々は、自分自身が省エネを実行しているんでしょうね。 車には乗らない、電気製品は使わない、食事は一汁一菜、風呂は二日に一度、服や靴は破れて使えなくなるまで買い替えない、宝飾品など言語道断、ペットを飼うなど以ての外、そして何より重要なのは、子供を作らない事です。 経済先進国で人間が一人増えれば、山一つ消えるのです。 今や、子供がいない夫婦など珍しくもないですし、後継ぎが出来なくてギャンギャン騒ぐ親もいません。 子供を作らなければならない義務など無くなったのですから、温暖化対策に最も有効となれば、当然、作らないんでしょうね。 子供連れでテレビに出て来て、「この子達に、安心して暮らせる環境を残してやりたいから、省エネを推進しましょう」などと言っている母親を見ると笑っちゃうよねえ。 自家撞着してるぞ。 まず、てめえがそのガキを作るなっつーのよ。 欲望丸出しで生きているくせに、地球の未来を心配するふりをするのはよせよ。