水滸後伝
今回も読書感想文を。 何度も書いているように、私はさほど読書が好きなわけではないんですが、今回は勢いがついてしまったらしく、夏休みからこっち、ずっと何かしらの本を読み続けています。 図書館が使える人間で良かった。 この世の中には、「図書館の本なんて、汚らしくて、手に取る気になれない」という人も多かろうと思いますが、私は一向に平気なんですな。 一度読んだら二度は読まないものを、いちいち買っていたのでは、金が幾らあっても足りゃしません。
≪水滸伝≫に続いて借りてきたのは、その続編の一つ、≪水滸後伝≫です。 清代に書かれた全40回の作品。 ≪水滸伝≫で生き残ったメンバーを再結集させて、南方の土地で王国を作らせるという痛快な内容。 ≪水滸伝≫が悲劇で終ったのが気に食わなかった陳忱という人が、「よーし、この俺が、是が非でも、否が応でも、ハッピーエンドにしてやろうじゃないか!」と発奮して書いたという話。 この種の続編にしては、大変良く出来ていて、この作品自体も文学全集に納められるほどの名作として扱われています。 かの滝沢馬琴が、≪椿説弓張月≫という作品を残していますが、そのパクリ元になったのがこの作品だそうで、続編と言っても、映画のパート2などとは比較にならない歴史を誇っているわけですな。 ちなみに、≪南総里見八犬伝≫のパクリ元は、ずばり、≪水滸伝≫です。 馬琴本人も、≪水滸伝≫や≪水滸後伝≫が死ぬほど好きで、どっぷり耽溺して暮らしていたようですな。
ちょっと、前回書いた内容の訂正があるのですが、≪水滸伝≫の100回本というのは、120回本を100回までで打ち切った物ではなく、間を抜いた物らしいです。 120回本では、梁山泊が朝廷に帰順した後、≪遼、田虎、王慶、方臘≫と、征伐を4回行なうのですが、100回本では、その内の≪田虎、王慶≫が抜けているのだそうです。 メンバーに死亡者が出るのは≪方臘≫以降なので、ラストまでのストーリーは変わらないとの事。 前回、「征伐が4回もあるのはくどいから、2回に減らした方が良い」と感想を書きましたが、100回本は正にそうなっているわけですな。 ただ、120回本を削って100回本にしたのではなく、先に100回本が出来ていたのを、増やして120回本が作られたそうです。 これは蛇足というものでしょう。 誰が増やしたんだ、一体?
さて、≪水滸後伝≫ですが、あまり完成度が高いので驚きました。 ≪水滸伝≫の生き残りを登場人物に使っているのですが、単に彼らの経歴を熟知しているだけでなく、性格まで完璧に把握していて、自由自在に活躍させ、どんどん話を広げて行きます。 ≪水滸伝≫の面白いエッセンスだけを取り出し、冗長な所をざっくり切り落としているので、本家の≪水滸伝≫よりも内容が濃いくらいです。 いや、ほんと。
時代背景に、宋が北半分を金に取られてしまう時期を取っているのですが、北宋が滅亡した後、宋軍と金軍が入り乱れる中を、夥しい数の人々が淮河以南へ逃げて行く様子が克明に描かれています。 このあたり、迫真の描写で、トルストイの≪戦争と平和≫のような雰囲気です。 作者は明末清初の人なので、作者自身が、明が滅亡する様子を目の当たりにしていたんじゃないでしょうか。 これはちょっと、想像で書けるレベルを超えています。 日本の文学でも、最もリアルなのは、太平洋戦争末期のボロクソな負け戦を描いた作品群ですが、人間というのは、とことん惨めな境遇に落ち込むと、本質が赤裸々に顕れるようですな。
登場人物達が、≪水滸伝≫で描かれた昔の事を思い出す場面が何度も出て来ますが、数年を経過しているというのが実によく効果を表していて、いずれも胸を熱くさせるものがあります。 特に、メンバーの子供の代に当たる、呼延鈺・徐晟・宋安平が、そこと知らずに梁山泊に辿り着き、幼い頃の思い出に浸る場面は大変美しいです。 時間の経過を味方につけているが故に、≪水滸後伝≫は≪水滸伝≫より、感動する場面が多いものと見ました。
ただ、この≪水滸後伝≫、中盤を過ぎると、ちょっとパワーダウンします。 金軍の追撃を逃れる為に、主だったメンバーが海に出た途端に、何となく中身が薄くなります。 これは即ち、作者が海浜に親しんだ経験がなくて、航海や海戦について詳しい知識を持っていなかったんでしょうな。 何回か海戦や島城攻めの場面が出て来ますが、どうにも手に汗握らせてくれません。 経験に裏打ちされていない、頭の中で考えた事というのは、やはり限界があるんですねえ。
メンバーが最終的に落ち着く国が、≪暹羅(シャム)≫という事になっていて、シャムとは現在のタイなわけですが、描かれている地勢はどう見ても群島でして、タイとは似ても似つきません。 解説には、「台湾、もしくは澎湖島と思われる」と書いてありますが、私はむしろ、琉球の方が近いのではないかと思います。 作中に外国として琉球の名が出てくるのですが、昔は台湾も琉球と呼ばれていたので、作中の琉球はそちらを指しているとも考えられるからです。 ううむ、ややこしい。
日本人も出て来ますが、≪関白≫に率いられた悪役軍団です。 作者が明末清初の人なので、朝鮮を侵略した豊臣秀吉の悪名が轟き渡っており、そういう設定になったのでしょう。 「詩書骨董を好む反面、とかく人の物をだまし取り、また人殺しが好き」と、日本人の民族的性格を割と的確に言い当てている一方で、「倭兵は寒さに弱く、雪が苦手」といった首を傾げるような設定もあり、作者の海外に関する地理知識が、かなり曖昧だった事を示しています。
この小説、≪水滸伝≫を読んだなら、一緒に読むだけの価値はあります。 登場人物の名前と事績が頭に入っている内に、続けて読んでしまった方が、断然面白いです。
≪水滸伝≫に続いて借りてきたのは、その続編の一つ、≪水滸後伝≫です。 清代に書かれた全40回の作品。 ≪水滸伝≫で生き残ったメンバーを再結集させて、南方の土地で王国を作らせるという痛快な内容。 ≪水滸伝≫が悲劇で終ったのが気に食わなかった陳忱という人が、「よーし、この俺が、是が非でも、否が応でも、ハッピーエンドにしてやろうじゃないか!」と発奮して書いたという話。 この種の続編にしては、大変良く出来ていて、この作品自体も文学全集に納められるほどの名作として扱われています。 かの滝沢馬琴が、≪椿説弓張月≫という作品を残していますが、そのパクリ元になったのがこの作品だそうで、続編と言っても、映画のパート2などとは比較にならない歴史を誇っているわけですな。 ちなみに、≪南総里見八犬伝≫のパクリ元は、ずばり、≪水滸伝≫です。 馬琴本人も、≪水滸伝≫や≪水滸後伝≫が死ぬほど好きで、どっぷり耽溺して暮らしていたようですな。
ちょっと、前回書いた内容の訂正があるのですが、≪水滸伝≫の100回本というのは、120回本を100回までで打ち切った物ではなく、間を抜いた物らしいです。 120回本では、梁山泊が朝廷に帰順した後、≪遼、田虎、王慶、方臘≫と、征伐を4回行なうのですが、100回本では、その内の≪田虎、王慶≫が抜けているのだそうです。 メンバーに死亡者が出るのは≪方臘≫以降なので、ラストまでのストーリーは変わらないとの事。 前回、「征伐が4回もあるのはくどいから、2回に減らした方が良い」と感想を書きましたが、100回本は正にそうなっているわけですな。 ただ、120回本を削って100回本にしたのではなく、先に100回本が出来ていたのを、増やして120回本が作られたそうです。 これは蛇足というものでしょう。 誰が増やしたんだ、一体?
さて、≪水滸後伝≫ですが、あまり完成度が高いので驚きました。 ≪水滸伝≫の生き残りを登場人物に使っているのですが、単に彼らの経歴を熟知しているだけでなく、性格まで完璧に把握していて、自由自在に活躍させ、どんどん話を広げて行きます。 ≪水滸伝≫の面白いエッセンスだけを取り出し、冗長な所をざっくり切り落としているので、本家の≪水滸伝≫よりも内容が濃いくらいです。 いや、ほんと。
時代背景に、宋が北半分を金に取られてしまう時期を取っているのですが、北宋が滅亡した後、宋軍と金軍が入り乱れる中を、夥しい数の人々が淮河以南へ逃げて行く様子が克明に描かれています。 このあたり、迫真の描写で、トルストイの≪戦争と平和≫のような雰囲気です。 作者は明末清初の人なので、作者自身が、明が滅亡する様子を目の当たりにしていたんじゃないでしょうか。 これはちょっと、想像で書けるレベルを超えています。 日本の文学でも、最もリアルなのは、太平洋戦争末期のボロクソな負け戦を描いた作品群ですが、人間というのは、とことん惨めな境遇に落ち込むと、本質が赤裸々に顕れるようですな。
登場人物達が、≪水滸伝≫で描かれた昔の事を思い出す場面が何度も出て来ますが、数年を経過しているというのが実によく効果を表していて、いずれも胸を熱くさせるものがあります。 特に、メンバーの子供の代に当たる、呼延鈺・徐晟・宋安平が、そこと知らずに梁山泊に辿り着き、幼い頃の思い出に浸る場面は大変美しいです。 時間の経過を味方につけているが故に、≪水滸後伝≫は≪水滸伝≫より、感動する場面が多いものと見ました。
ただ、この≪水滸後伝≫、中盤を過ぎると、ちょっとパワーダウンします。 金軍の追撃を逃れる為に、主だったメンバーが海に出た途端に、何となく中身が薄くなります。 これは即ち、作者が海浜に親しんだ経験がなくて、航海や海戦について詳しい知識を持っていなかったんでしょうな。 何回か海戦や島城攻めの場面が出て来ますが、どうにも手に汗握らせてくれません。 経験に裏打ちされていない、頭の中で考えた事というのは、やはり限界があるんですねえ。
メンバーが最終的に落ち着く国が、≪暹羅(シャム)≫という事になっていて、シャムとは現在のタイなわけですが、描かれている地勢はどう見ても群島でして、タイとは似ても似つきません。 解説には、「台湾、もしくは澎湖島と思われる」と書いてありますが、私はむしろ、琉球の方が近いのではないかと思います。 作中に外国として琉球の名が出てくるのですが、昔は台湾も琉球と呼ばれていたので、作中の琉球はそちらを指しているとも考えられるからです。 ううむ、ややこしい。
日本人も出て来ますが、≪関白≫に率いられた悪役軍団です。 作者が明末清初の人なので、朝鮮を侵略した豊臣秀吉の悪名が轟き渡っており、そういう設定になったのでしょう。 「詩書骨董を好む反面、とかく人の物をだまし取り、また人殺しが好き」と、日本人の民族的性格を割と的確に言い当てている一方で、「倭兵は寒さに弱く、雪が苦手」といった首を傾げるような設定もあり、作者の海外に関する地理知識が、かなり曖昧だった事を示しています。
この小説、≪水滸伝≫を読んだなら、一緒に読むだけの価値はあります。 登場人物の名前と事績が頭に入っている内に、続けて読んでしまった方が、断然面白いです。
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