2007/11/11

見ざる聞かざる嗅がざる

  人間は数百万年かけて、原猿から進化してきたわけですが、所々、「進化が足らぬ」と思う部分があります。 代表的なのは、感覚器官のオン・オフ機能です。

  動物の感覚というと、ご存知の通り、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感です。 この内、触覚は常にオンになっていないと、何かと危険だから、まあいいとします。 味覚も、食べられない物を味で見分ける時に必要ですし、食べたくない時には食べなければ良いわけですから、常にオンになっていても、大した不都合はありません。 見方によっては、何かを口に入れた時にはオン、入れない時にはオフになっていると考える事も出来ます。

  オン・オフ機能が完全に備わっているのは、視覚ですな。 目が見える人でも見えない人でも、目蓋がついていて、開けばオン、閉じればオフに出来ます。 見たくない物は、目蓋を閉じてしまえば見ないで済みます。 人前であからさまに目蓋を閉じる事が出来ない場合でも、目線を他へ向ける事で、見たくない物を視界から外す事が出来ます。 当人の意思で感覚のオン・オフが出来るのは、実に便利です。

  それにひきかえ、聴覚と嗅覚の方は、およそ不完全な器官で、常にオン状態にあり、オフが利きません。 これねえ、原猿だった頃に自然の中で暮らす分には重要な器官だったと思うのですよ。 食べ物や異性の匂いを嗅ぎつける為に、嗅覚は必要性の高い能力でしたし、眠っている時に敵が近づいてくるのを察知する為に、聴覚を常にオンにしておかなければならないのも、理解できます。 でも、現代的な生活を送っていると、この二つの感覚が邪魔になる場面に、非常に頻繁に出くわすのです。


  私は、ここ十年ばかり、街なかや観光地で、学生や20代の若者達を見ると、逃げるようになりました。 どこへ逃げるか? もちろん、風上です。 臭いんですよ、こいつら。 何臭いか? 香水臭いのです。 以前は、こんな事は無くて、せいぜい体育会系の学生が汗臭いとか、若い女性が化粧品臭いとか、その程度でした。 汗臭さは、自然の匂いですし、私自身も汗は掻きますから、そんなに気にはなりません。 また、化粧品も匂いを出すのが主目的で作られているわけではないから、そんなに強い香りはしません。 しかし、香水は次元が違うのです。 最初から匂わせる為に作られた凶器なのです。

  まったく、臭い! もういい加減にして欲しい。 この世の中には、特殊技能を職業に生かしている人達がいて、大抵の場合、その常人離れした技には感嘆させられるものですが、香水職人だけは尊敬できません。 尊敬どころか、全員死ねばいいと思います。 あんな職業は、他人に迷惑を及ぼす元凶という意味で、ヤクザと選ぶ所がありません。 もし全世界の香水職人が一斉に殺される事件が起きたら、その犯人は私だと思ってくれて差し支えありません。 嗅ぎたくない匂いを嗅がされる不快さ・辛さを考えた事があるのかね? 拷問だよ、拷問! 香水を嗅がされるのと、鼻先に糞を押し付けられるのと、どちらが嫌かといったら、どちらも負けず劣らず嫌です。 そのくらい迷惑なのです。

  最近の高校生が軒並み香水をつけているのには参ります。 女だけでなく男までつけています。 頭おかしいのか、おまいら? 道を歩いている時、高校生の集団が向こうからやってくると、大概の人が身構えると思います。 昔は因縁でも付けられたら面倒だから警戒したわけですが、今は臭いから逃げるのです。 そうだよ、臭いんだよ、おまえらはよ! 昨今の高校生はねえ、洒落っ気で香水つけているというより、風呂に入っていないんですな。 「何だか風呂に入るの面倒臭えな。 いいや、別に汚れちゃいねえし、汗臭いのは香水でごまかせるだろ」ってな調子で、風呂に入らずに寝て、朝香水ぶっ掛けて家を出てくるんですよ。 言語道断! 犬猫並だ! 香水で体臭がごまかせると思うのが、そもそもの間違いだ! 香水の方が臭いんだ、馬鹿野郎!

  香水の恐ろしい所は、使っている当人の鼻がだんだん麻痺してきて、日に日に量が増えて行く事です。 当人は鼻が馬鹿になっているから気付きませんが、周囲の人間は猛烈な香水臭に、ギョッと目を剥きます。 電車の中で、そういう奴が隣に座ったりすると、もはや毒ガス戦だね。 私、電車通勤している時に思いましたが、電車内には、ガス・マスクを常備すべきですな。 生物化学兵器処理班を呼ぼうかと思うくらい臭い。 大方、毎朝毎朝、香水一壜、頭からかぶって出かけてくるんでしょう。 正に狂気の沙汰ですが、当人は気付かないから、処置無しです。 そういう奴に向かって、鼻を抓んで見せたり、「臭い・・・」と聞こえよがしに言ったりすると、「あ、私は汗臭いんだ。 じゃあ、もっと香水をつけなくちゃ」となるから、更に怖い。 繰り返す! 香水の方が臭いんだ、馬鹿!

  これらの場面で、嗅覚をオフに出来れば、どれだけいいかと何回思ったか分かりません。 私は、様々な試行錯誤と努力の結果、鼻を使わずに口で呼吸すれば、嗅覚をオフに出来る事を発見しました。 これ、知らない人も多いと思うので、是非お試しあれ。 嗅覚という奴、何でも自然に嗅いでしまうというわけではなく、空気が鼻の中を通らないと、作動しないんですな。 これを発見した時には、嬉しかったですわ。 嗅がないで済むんですよ、嫌な匂いを。 ただねえ、オフ・スイッチとしては、目蓋ほど完全ではありません。 口で呼吸しなければならないので、結局その臭い匂いを体内に吸い込んでいるわけで、あまりいい気分ではないです。


  さて、究めつけは、聴覚ですな。 これは、もうどうしょもないです。 この世の中には、聞きたくない音が溢れ返っているんですなあ。 他人の話し声、車の音、バイクの音、飛行機の音、ヘリコプターの音、水上バイクの音、耕耘機の音、草刈機の音、各種工事の音、そして、一番腹が立つのが子供の騒ぐ声。 子供というのは、騒音を立てる為にはしゃいでいる点、まっこと疑いないと思います。 騒音おばさんというのがいましたが、あの程度の騒音は、子供が多い所では普通に聞かれます。 騒音おぱさんを裁判で有罪に出来るなら、この世のクソガキどもも全部有罪にして、刑務所にブチ込むのが宜しいと思います。

  「息子が出来たら、キャッチ・ボールをするのが夢」などと軽々しく言う野郎がよくいますが、キャッチ・ボールがしたいなら、他人に迷惑がかからない所でやれよな。 住宅地の道路でパンパンパンパン、ボールの音を立てられちゃ、聞かされている近所は地獄だぜ。 バスケット・ゴールを買い込んで、庭先や玄関先に立てている家もよく見ますが、あのバスケット・ボールの音もうるさいんだわ。 私の家の筋向いの家のガキが中学生だった頃に、道路上で兄と妹でドリブルしながらボールの取り合いの練習をしていたんですが、バンバンバンバン10分くらいでも糞うるさいのに、30分・一時間と続けるものだから、もう法律が無かったら殺しに行こうかと思いましたね。

  その兄の方、その後スケボーを買い込んで、道路上でターンの練習をするようになったのですが、これがまた殺人的にうるさい。 ガチャーン、ガチャーンが、毎日毎日一時間、休みの日には、二時間以上続きます。 何回かやんわりと注意したんですが、やめようとしません。 その家、近所では一番の金持ちで、息子も何か特権でもあるかのように思い込んでいたらしいのです。 結局、一年くらい我慢した後、ブチ切れた私が、大声で怒鳴りつけて、それでようやくやめました。 そのガキ、私に怒鳴られて初めて、自分が社会の中で生きていて、勝手な事が許されない事に気付いたわけです。 本来なら、それを教えるのは親の仕事なんでしょうがね。

  昨今の親は、自分の子供がギャンギャン狂ったように騒ぎ捲っていても、怒るどころか、一緒になって騒いでいる者が多いです。 中には、子供を外へ連れ出してきて、率先して騒いでいる親もいますが、そんなのはもう、大人でも社会人でも何でもないのであって、それこそ法律が無ければ、すぐに袋叩きにあって殺される口でしょう。 どこの世界に、他人に迷惑掛けて平気でいる奴を憎まない者がおるね? その辺の所、ちっと考えて生活方針決めろよ。

  それと、ピアノ。 あれもうるさいんだわ。 楽器はみんなうるさいですが、トランペットやトロンボーンなど、馬鹿でかい音が出る事を認識している場合は、先に防音設備を整えようとするから、音が外へ漏れるケースはあまり見ません。 ところが、ピアノ弾きどもは、なぜかしらないけれど、「ピアノならオッケー」と思っているようで、平気で弾いています。 窓を開けて弾いている家もありますが、そんなに近所から憎まれたいのかね? だからよー、どんな音だろうが、聞きたくない音を聞かされるのは地獄なのよ。 その点、ピアノだって暴走族だって同じだって言うのよ。 一日に一度、一曲だけ弾くとかいうなら、「ああ、文化的だねえ」と思わないでもないですが、それとても、二三分で終るから我慢できるのであって、一時間も二時間もピンパラピンパラ練習音を聞かされたのではたまったものではありません。 今は、電子ピアノがあって、それで練習できるのですから、そうすりゃいいんですよ。 ヘッドホンして弾くのなら、一日24時間練習しても、誰も怒りません。

  私、週に一度くらいのペースで、犬と海へ散歩に行くのですが、水上バイクをやっている奴がいると、最悪の気分になります。 うるさいうるさい、半径500メートルくらいに騒音をばら撒いて、浜辺にいる限り、逃げようがありません。 どこの馬鹿があんな機械を開発したのか、引きずり出して、浜辺に杭打って縛りつけ、一日中てめえの作った機械がどんなに野蛮な代物か、骨の髄に沁み込むまで、騒音を聞かせてやりたいです。 また、乗ってる奴らが馬鹿に見えること。 手前の低知性を宣伝しているようなものだね。 大体、うるさいばかりで、大してスピードが出るわけではなく、加速も陸上のバイクに比べればオモチャ程度。 あんな機械に何度乗っても飽きないなんていうのは、三歳児並の感覚ではありますまいか? 一方、ウインド・サーフィンをやっている人達もよく見ますが、大変優雅で素晴らしい趣味に見えます。 なんたって、音が出ませんからのう。 趣味というのは、他人に迷惑を掛けないのが前提なのだとつくづく思う次第です。

  こういう場面で、聴覚をオフに出来れば、どれだけいいかと何回思ったか分かりません。 機構的にはたいした事ではないでしょう。 ピアノのダンパーみたいに振動を消す装置が、鼓膜か中耳・内耳のどこかについていれば、物理的にピタッと押さえるだけで、聴覚をオフに出来るはずです。 どうして、そういう方向に進化しなかったんですかねえ。 象の鼻やキリンの首があんなに伸びたんだから、耳の中のちょこっとした可動突起を作るくらいわけないと思うんですが、つくづく進化というのは気紛れですわ。


  嗅ぎたくない匂いを嗅がないで済めば、この世の中どれだけ幸福か分かりません。 聞きたくない音を聞かないで済めば、人生どれだけ気持ちよく暮らせるか分かりません。 逆に言うと、不幸の大半は、耳と鼻から入ってくるという事でしょうか。