2007/12/23

モンスター・ティーチャー

  私はよく夢を見る方です。 ほんの一二分うたた寝しただけでも何かしら夢を見るくらいで、一晩の間には、どれだけの夢を見ているか分かりません。 ただ、夢を見る性質の人なら分かると思いますが、その大部分は、目覚めた時には忘れてしまいます。 単に、「何かの夢を見ていた」という記憶が残るだけ。 おっと、別に今回は夢の話をしようというんじゃないんですよ。

  よく見るパターンの夢に、≪学校物≫があります。 中学の時と高校の時の実際の記憶がゴチャゴチャになったような校舎が舞台です。 廊下を学生がうようよ歩いているので、休み時間かと思いきや、教室の中では同時に授業も行われているという、夢ならではのぐじゃぐじゃな設定になっているのが常。 夢には、自分自身が登場するものと、観客の立場で見ているものと二つのパターンがありますが、私の学校の夢の場合、必ず自分自身が登場します。 そして、必ずと言っていいほどよく出てくるのが、気に食わない教師の授業を受けていて、何かこちらの癇に障るやりとりがあり、口論の挙句、教師を怒鳴りつけている場面です。 夢の中で激怒して怒鳴ると、現実世界でも怒鳴っていて、大抵はそこで目覚めてしまいます。

  なぜ、学校の夢を見るたびに、こんなシーンが入るのかというと、私が教師という人種を徹底的に憎悪しているからに他なりません。 実際の学校生活では、いい先生もいたわけですが、そういう人達は印象が薄く、人間のクズみたいな教師ばかり、記憶野に深々と突き刺さって、未だに私を怒らせているのです。 学校でも、教習所でも、研修施設でも、総じて、他人のものを教えて飯を食っているような連中には、ろくな奴がいないと思います。 あの高慢な態度・・・・思い出しても腹が立つ。 何様のつもりだ。

  昨今、≪モンスター・ピアレンツ≫という言葉が流行っています。 幼稚園や学校に非常識な要求をつきつける親の事です。 テレビで繰り返し取り上げられているので、知らん人はいないでしょう。 代表的な事例が、≪給食費を払わない≫という問題で、「義務教育だから、払う必要は無い」とか、「払わなくても、学校側が給食を出さないわけにはいかないのだから、子供は困らない」とか、「そんなものに金を払うくらいなら、ケータイ代に回した方が子供が喜ぶ」とか、確かに滅茶苦茶な事を言っています。

  ≪義務教育だから云々≫は完全な思い違い、もしくは思い違いを装った開き直り、はたまた義務教育という言葉の意味すら理解で来ていない無知無教養の発露で、どう取っても戯言か屁理屈にしか聞こえませんが、あとの二つは、自己中心的な現代人の本音であり、こういう形で本心を曝け出してしまう薄っぺらな人間が、子供を育てているという現実は、少なからず恐怖を感じさせます。

  自治体は、不払い分を税金から補填しているわけですから、子供を持たず税金だけ搾られている者としては、許し難い話です。 告訴している自治体もあるようですが、やったれやったれ、裁判で大恥かかせた上で、一円も無くなるまでふんだくって、夜逃げに追い込んでやればいいのです。 他人の財布で、てめえのガキに飯を食わせようなんざ、太え了見だ!

  さて、給食費不払い問題は学校側に分があるとして、モンスター・ピアレンツの他の要求、たとえば、「学芸会の劇では、うちの子を主役にしてくれ」とか、「集合写真では、うちの子を最前列の中央に入れてくれ」とか、「相性の悪い子と同じクラスにしないでくれ」とか、そういったものですが、それらも無茶苦茶かというと、私はそうは思わないのです。 給食費のように金が絡んだ問題と、これらとは、別けて考える必要があります。

  ≪相性の悪い子と同じクラスにするな≫というのは、これは当然の要求です。 一旦同じクラスになれば、一年、もしくは二年間、ずーっと悪い環境で暮らさなければならないのですから、重大な損害になります。 いやなクラスメイトがいると、嫌な記憶しか残らないのは、誰でも経験がある事でしょう。 最悪の場合、それが原因で傷害だの殺人だの自殺だの、笑い事では済まされない事件に発展する事も珍しくありません。 最初から、害がある奴を避けようとするのは、無難な選択ではあっても、身勝手とは言えますまい。 「そんな要求を聞き始めたら、クラス編成が複雑な大仕事になってしまう」と思うでしょうが、そんなのは教師側の事情であって、生徒側の知った事ではありません。 教師が自分達の仕事を楽にしたいからという理由で、子供の人生を潰すような真似は許されますまいて。

  ≪劇の主役≫ですが、これも親側の要求には理があります。 「なんで、一部の子供だけが優遇されて、うちの子が、石だの木だの、役ともいえない役に甘んじなければならないのか」と訊かれた時、教師側は筋の通った理由を提示できないでしょう? 小学校中学年以上ならば、投票などで民主的に決める事も出来ますが、低学年や幼稚園では、教師が恣意的に役を割り振るのが大半で、その教師の贔屓や親の付け届けの影響がモロに出ます。

  あ、知らない人もいますか? 「なんで、あの時先生は、私ではなく、あの子をあの役に選んだんだろう?」と未だに不思議で、恨みが消えない方。 その理由はねえ、あなたがその子より気に入られていなかったか、もしくは、その子の親が、教師に金品を渡していたからです。 「えっ! 子供の事なのに、そんな賄賂みたいな事が?」と思うかもしれませんが、お中元だのお歳暮だの、世間的に波風が立たない形で、教師に利益を与え、誘導する方法というのがあるのです。 親から高価なものを貰ったら、その子供によくしてやらざるを得ないでしょう。 「理由もなしに差別された」と思っている方々、理由はあったのです。

  教師に言わせれば、「劇の登場人物の数は決まっているのだから、結局、誰かがはみ出さざるをえないじゃないか」と主張するでしょう。 しかし、そんな、薄っぺらな理屈を真に受けてはいけません。 幼稚園や小学校の劇なんぞ、子供を差別してまでやらなければならないような必要不可欠なものではありません。 別にやらなくてもいいではありませんか。 若しくは、全員参加ではなく、希望者だけにするといった形を取れば、この種の問題は避けられます。 教師の頭が悪く、根性が拗けている為に起こっている問題なのです。

  ≪集合写真≫でも、同じ事が言えます。 席順はくじで決めるのが一番です。 大抵の場合、撮影を手っ取り早く済ませようとして、教師が、「あっちだこっちだ」と席を割り振るのですが、そんな時にも、贔屓だの付け届けが影響する危険性があります。 ちなみに、私の高校の時の集合写真では、どれを見ても、ある女生徒が必ず中央に位置しています。 そんな偶然がそうそう起こるわけが無く、教師が何らかの恣意を発揮していたのは疑いないと思われます。 集合写真というのも奇妙な習慣でして、あんなもの、何のために撮るんですかね? 何か現実的な用途で役に立つとも思えませんが。 記念記念って、端っこに追いやられた者には、嫌な記憶が残るんですから、そんな記念はいらんでしょう?

  モンスター・ピアレンツ問題というのは、≪身勝手な親の出現≫というより、≪教師の横暴を許さない親の出現≫と見た方が的確でしょう。 昔の教師というのは、絶対者・超越者・ちょっとした神でして、よほど滅茶苦茶な事をやっていても、子供や親が逆らうなど到底出来ぬ存在でした。 戦前などは、気に食わない子供に対して、殴る蹴るは当たり前。 子供の顔が腫れ上がるまで暴行されても、親は抗議すら出来ませんでした。 逆に学校に呼び出されて、「どういう育て方をしているんだ!」と説教される始末。 戦時中の教師どもが、軍の手先になって、子供を戦闘マシーンに作り上げる尖兵になっていたのは、当時の人なら誰でも知っている話です。

  私が中学の頃にも、古いタイプの教師がいて、「以前、生徒が悪さをしたので、ぶん殴ってやったら、耳の鼓膜が破れた。 なに、鼓膜が破れても、耳は聞こえるから大丈夫だ。 そしたら、その晩、そいつの親が、菓子折りを持って訪ねて来て、私の前で土下座して謝った。 昔の親はそんなだった。 それに比べて、今の親は・・・・」という話を得意気にしていました。 教師というのは、そういう連中だったのです。

  今、その恐るべき教師達に対抗し、叩き潰すだけの力を持った親達が出現したのは、大変喜ばしい事ではありますまいか。 生徒の鼓膜を破って、「聞こえるから大丈夫」などと嘯いている教師には、親が同じように殴り返して、鼓膜を破ってやるのが一番です。 てめえの鼓膜が破れてもまだ、「聞こえるから大丈夫だ」と言うかどうか、観察してみようじゃありませんか。 ろくでなしのクズめが。

  実際の所、教師というのは、尊敬に値すべき人間なのか、大いに疑問です。 尊敬どころか、様々な面で一般人より劣るのではないかと思います。 まず、常識が無い。 なぜ、常識が無いかというと、教師以外の職業を経験しておらず、世間知らずだからです。 呆れた話ですが、アルバイトもした事が無いやつらが、生徒に向かって、「世の中は厳しいんだ。 そんな事じゃ、社会に出たら苦労するぞ」などと説教垂れているのです。 それは、お前らに言うセリフだ。 身の程を知れ、能無しどもめ!

  では、学業に関してはエキスパートなのか? そんな事はありません。 私は中学・高校と、英語が全然駄目で、英語教師に公然と劣等生扱いされていました。 それが、大人になってから言語学に興味を持ち、英文法についてかなり詳しくなってから振り返ってみたんですが、中学・高校の英語教師達が、全員、≪完了形≫を理解していなかった事に気付きました。 日本語では完了形と過去形がほぼ重なっているので、英語の過去形・完了形と対照できず、理解出来ない人が多いのですが、教師達も分かっていなかったのです。 信じられますか? 自分自身、分かっていない事を、生徒に教えていたんですぜ。 偉そうに! どういうつもりなんだ?

  割とよく知られていると思いますが、教師になるのは、医師になるのに比べれば、遥かに容易です。 資格だけなら、大抵の人は取れます。 あとは順番待ちをするだけ。 当然、特別学問に興味がなくても、教師にはなれます。 元の素材にしてからが、雑魚レベルなんですよ。 「教育に生涯を捧げたい」なんて利いた風なセリフがありますが、正直に言いなさい。 「他の職業じゃ、上司にアゴで使われるだけだけど、教師なら、一方で生徒の上に絶対者として君臨できるから、気分がいいだろう」くらいの事しか考えてないんだろう? 動機がスケスケだぜ。

  ネット上の話ですが、50歳以上の男性で、サイトを持っている人というと、大抵は医者か教師です。 それ以外の職業の人は、文章を書く習慣が無いか、生活が忙しくて、ネットには手を出しません。 医師は、温厚且つ砕けた性格の面白い人が多いんですが、同じ先生でも、教師のサイトへ行くと、大概嫌な思いをさせられます。 ゲストと対等という意識が無く、最初から見下して来るのです。 そして、常に教える側のポジションを取ろうとします。 ゲストが質問しているわけでもないのに、あれやこれやと解説を始め、「それはこうするのがよいでしょう」などと、アドバイスじみた結論をくっつけます。 いやらしいったらありゃしない。 そんなに教えたきゃ、自分のガキにでも教えてろ。

  そうそう、教師のガキといえば、教師の家には、家庭崩壊している所が多いですな。 高校時代、金八みたいなタイプの教師がいたんですが、たまたま家が私の家の近所でした。 ところが、その教師の息子というのが、どう見ても暴走族なのです。 ど派手に改造した車をいつも路上駐車していて、近所の評判は極悪でした。 笑ったね、あれには。 まったくもって、自分に教育者としての資質があるかどうかは、まず自分のガキをまともな人間に育ててから判断すべきですな。

  いやはや、教師の悪口を書き出すとキリがありませんな。 私が学生時代に経験させられた悪夢のような出来事を書けば、ここまでの倍くらいの文章量になってしまいますが、くどいので、このくらいでやめましょう。 ろくなもんじゃないですよ、教師なんて。 人間的には出来損ない、学問知識はあやふや、やるべき事は出来ず、やってはいけない事ばかり好んでやる、ゴロツキの集団です。 正直な話、教師が生徒に刺し殺されたといった事件があると、「ああ、因果応報だねえ」とすんなり納得します。 殺した側が生徒でなくても、殺されたのが教師であれば、それを犯罪とすら思いません。 毎日毎日、人を人とも思わない悪行を積み重ねているのだから、殺されるくらい当たり前ですな。

  私ねえ、学校なんていらないと思うんですよ。 あの施設は、子供に嫌な記憶を植え付けるだけです。 学問が必要だというなら、みんな塾に通わせればいいじゃん。 塾の講師というのは、余計な事は教えず、勉強だけ教えるそうじゃないですか。 本来、学問の伝授とはそうあるべきでしょう。 教師に特権を与えて、君主のごとく振舞わせるなんて、何の目的でもないはずです。 塾では給食は出しませんし、劇もやらない、集合写真も撮らない。 モンスター・ピアレンツ呼ばわりされている親も、塾に対して、文句を言ったりしないと思いますよ。 お金出して、教えてもらっているわけですから。