付助詞
たまには、言語の話を。 いや、なぜかというと、時々頭に通しておかないと、言語関係の知識を忘れてしまうもので・・・。
≪駐車場有≫
突然ですが、街なかでよく見かける表示です。 ≪駐車場有ります≫の意味ですな。 あまりにもよく見るので、何の疑問も抱かない人も多かろうと思いますが、実は、この語順は間違いです。 ≪有駐車場≫が正しい。 これは単に、日本語の語順に従うか、漢文の語順に従うかという問題ではなく、そもそも≪有≫という字を「ある」と読むのが間違いなのです。 ≪有≫は、英語で言えば、≪have≫に当たる動詞なので、日本語に訳すなら、≪持つ≫、もしくは、≪持っている≫とすべきです。 日本語の≪ある≫に相当する中国語は、強いて言うなら、≪在≫です。 ≪国破山河在≫ですな。 すなわち、≪駐車場在≫ならば、意味が通る。 だけど、普通は≪有駐車場≫にします。 あー、もっとも、中国語では、≪駐車場≫ではなく、≪停車場≫といいますが、それはまあいいとして。
中国語や英語では、「~がある」という表現方法を使わず、「~をもつ」という言い方をするわけです。 ちなみに、ヨーロッパ系の言語は、ほとんどが、この「~をもつ」タイプです。 ただし、世界には、「~がある」タイプの言語もたくさんあって、別に珍しいわけではありません。 ちなみに、日本語は文法上、ウラル・アルタイ語族という言語系統の一群に属していて、文法上の特徴は、それらの言語とほぼ共通しています。 近縁なのは、韓国朝鮮語やモンゴル語、満州語など。 遠縁に当たるのは、トルコ語やフィンランド語、ハンガリー語、エストニア語など。 人口は少ないですが、分布範囲は広く、アジア大陸の北半分を占めています。
英語学習の初歩で、「~がある」に相当する表現は、≪There is ~≫や、≪There are ~≫だと教えられますが、これは、「~がある」そのものというわけではなく、強いて訳すなら、「そこにあるのは、~である」とでもいうのが原義に近い解釈です。 be動詞の基本的な意味は、「ある・いる」ですから、「~がある」の「ある」と同じではないかと思うかもしれませんが、≪There≫という場所を表わす主語しか取れない点が違っていまして、たとえば、「明日、試験がある」を、≪There is an examination tomorrow.≫とは言えません。 翻訳ソフトにかけると、呆れた事に、このまんまの訳文が出てきますが、間違いなので鵜呑みにしないように。 翻訳ソフトは、主語が場所を表わす単語なのか、それ以外の単語なのか区別できずに、単純に、「~がある」を、≪There is ~≫に置き換えているんですな。 正確な文は、≪I have an examination tomorrow.≫
≪飛鳥路を行く≫
国語辞典で、「行く」を調べると、品詞は、≪自動詞≫となっています。 自動詞だから、当然、「~を」で目的語を取る事は出来ないはずです。 ところが、ぎっちょんちょん、「飛鳥路を行く」なんて文が成立するんですな。 そういえば、「わが道を行く」なんてのもありますね。 おい、どうなってんだ、国語学者ども。 自動詞じゃないじゃんかよー。
ちなみに、日本には、言語学者という職種が存在せず、それぞれの言語の研究者しかいません。 その中で最も数が多いのが、日本語だけを扱う国語学者ですが、この国語学というのが曲者でして、アゴが外れるような前近代性をひきずっています。 江戸時代末期に本居宣長がやっていたような低次元な言葉のパズルを、正統として崇め奉り、金科玉条にしているのです。 科学的見地から研究を行なう言語学者とは異なるので、要注意。 ところが、困った事に、日本国内で出版される国語辞典は全て、この胡散臭い国語学者どもが編纂しているのです。 勢い、明らかな誤謬や、頓珍漢な解釈が随所に見られるのですが、辞書を使う方は、誰も辞書が間違っているとは思わないから、そのまま頭に入れてしまいます。
「行く」に戻りますが、つまりね、「行く」には、自動詞と他動詞、両方の働きがあるんですよ。 この件については随分前から考えていて、最初の頃は、「~を行く」の方を誤用から出た例外だと思っていたんですが、そういう考え方はしない方がいいみたいですな。 英語の≪go≫には、ちゃんと他動詞用法もあって、≪I go my way.≫といった言い方が出来ます。 日本語の「行く」も同じと見て良いでしょう。
「飛鳥路を行く」は、「飛鳥路を歩く」と言い換えれば、「歩く」は他動詞なので全く問題ないわけで、もしかしたら、「歩く」の代わりに、似たような意味の「行く」を使っただけなのでは? とも考えたんですが、その線も没。 なぜなら、「飛鳥路を行く」には、「飛鳥路を歩く」以外の状況も含まれるからです。 「歩く」というと、そのものズバリ、足で歩く事を指しますが、「行く」の場合、自転車で行く事も、車で行く事も出来るでしょう。 すなわち、「行く」は、「歩く」の代用ではなく、もっと広い意味をカバーしているという点で、独自の存在価値がある表現なのです。
≪子供に菓子を買う≫
今度は、「~を」ではなく、「~に」の話です。 「~を」が直接目的語と呼ばれるのに対して、「~に」は、間接目的語と呼ばれます。 私はどうも、この直接とか間接といった名称が分かり難くて、個人的に、「~を」を目的語、「~に」を対象語などと呼んでいましたが、それも昔の話、どんな呼び方をしても結局分かり難いので、今ではどうでもよくなってしまいました。
日本語で「~に」がつく単語を、外国語に訳す時に、苦労した人は多いでしょう。 苦労した挙句、結局間違っているという最悪のケースも多く見られ、日本語母語話者泣かせの助詞になっています。 まず除外しなければならないのは、格助詞でない「~に」です。 「早々に」とか、「特に」といった副詞、もしくは、「荘厳に」とか、「静かに」といった形容詞・形容動詞の副詞形(連用形)に付いている「~に」は、格助詞ではないので、その単語は間接目的語ではありえません。 ところが、動詞によっては、判別し難いケースも出てきます。 たとえば、「東に進む」ですが、この場合の「~に」は、どっちなんざんしょ? 「東」は、「進む」という動詞の目的地とも取れるし、「東に」という副詞とも取れます。 厄介ですなあ。
英語に、≪abroad≫という単語があります。 ≪I go abroad.≫で、「私は外国に行く」になりますが、「外国」という名詞で間接目的語なのかな? と思いきや、この正体が、「外国に」という副詞なんですな。 分かるか、こんなもん! ちなみに、「家に帰れ」を表わす、≪Go home.≫の≪home≫も、「家に」という副詞です。 もし、名詞扱いして、間接目的語にするなら、≪Go to home.≫になります。 英語が苦手だった人達、こういう事を、中学・高校の授業で説明された記憶が無いでしょう? まあ、それは無理もないんですよ。 教師自身が、よく分かってないんだから。 英語には、日本語では考えられないような副詞があるので、英文を読んで、「なんだか、文法間違えているんじゃないの?」と思ったら、単語の品詞を全部調べてみた方が良いです。
一つの動詞に、「~を」と「~に」が両方付く場合、動詞の種類は限定されていて、「与える」とか、「送る」とか、「伝える」といった、何か物事を渡したり伝えたりする意味を持ちます。 「私は彼に本をやる」という具合に、主語になる動作主、その受け手、受け渡される物事の三者が揃って、初めて作動する文なんですな。 ところが、ぎっちょんちょん、「子供に菓子を買う」という文では、動詞の「買う」には、渡したり伝えたりする意味はありません。 おい、どうなっとんじゃい! 話が違うやないけ! 責任者出てこんかい!
「子供に菓子を買う」・・・・・いや、別におかしくないですよね。 普通に使われる文です。 「子供に」が副詞? そんな事はありえねーっす。 これねえ、種は単純でして、省略されてるんですね。 元々の文は、「子供に菓子を買ってやる」です。 「買ってやる」なら、渡したり伝えたりする意味が含まれています。 日本語に限らず、どの言語でも、この種の省略は頻繁に起こります。 省略は、単語の新陳代謝と並んで、言語が変化していく際のきっかけの一つなので、別に異状でもなければ、由々しき事でもありません。 ただ、分析する時に厄介なだけで。
≪将来は、医者がなる≫
いや、「医者が、がなる」のではなく、これで、「医者になる」という意味なんですな。 韓国朝鮮語の話です。 上述したように、日本語とほぼ文法が同じなんですが、動詞「なる」の時に、「~に」を使わないのです。 習い始めると、すぐにぶつかる相違点なので、ちょっとでも習った事がある人なら、大概知っているでしょう。 他にも、日本語では、「~を」使うところに、「~に」を使うといった、≪助詞違い≫のケースがちょこちょこ出て来ます。 これねえ、単なる習慣上の違いではなく、動詞が表わしている意味にズレがあるんですな。
韓国朝鮮語の≪トゥエダ≫に近い動詞として、日本語の「なる」を当てているわけですが、実際には意味が違うのです。 「医者になる」の「医者」は動作の目的語なわけですが、≪ウィサガ トゥエダ≫の≪ウィサ≫は、動作の主語でして、≪トゥエダ≫に最も近い日本語を探せば、「成立する」といった意味合いにでもなりますか。 それでも遠いな。 つまり、日本語には、≪トゥエダ≫を直訳できる単語が無いのです。
韓国朝鮮語だけでなく、英語でも中国語でも、フランス語でも、この種の動詞の意味のズレは、実に頻繁に出て来ます。 英語では、動詞の後ろに間接目的語と直接目的語をそのまま並べていい場合と、間接目的語に≪to≫や≪for≫をつけなければいけない場合がありますが、それらの組み合わせには、これといった法則性が見出せず、一つ一つ全部覚えていくしかないのが実情です。 私は、この組み合わせの複雑さが、動詞の意味の違いから来ているのではないかと睨んでいますが、そもそも意味範囲がどう違っているかすら分かっていないので、手の打ちようがありません。
≪駐車場有≫
突然ですが、街なかでよく見かける表示です。 ≪駐車場有ります≫の意味ですな。 あまりにもよく見るので、何の疑問も抱かない人も多かろうと思いますが、実は、この語順は間違いです。 ≪有駐車場≫が正しい。 これは単に、日本語の語順に従うか、漢文の語順に従うかという問題ではなく、そもそも≪有≫という字を「ある」と読むのが間違いなのです。 ≪有≫は、英語で言えば、≪have≫に当たる動詞なので、日本語に訳すなら、≪持つ≫、もしくは、≪持っている≫とすべきです。 日本語の≪ある≫に相当する中国語は、強いて言うなら、≪在≫です。 ≪国破山河在≫ですな。 すなわち、≪駐車場在≫ならば、意味が通る。 だけど、普通は≪有駐車場≫にします。 あー、もっとも、中国語では、≪駐車場≫ではなく、≪停車場≫といいますが、それはまあいいとして。
中国語や英語では、「~がある」という表現方法を使わず、「~をもつ」という言い方をするわけです。 ちなみに、ヨーロッパ系の言語は、ほとんどが、この「~をもつ」タイプです。 ただし、世界には、「~がある」タイプの言語もたくさんあって、別に珍しいわけではありません。 ちなみに、日本語は文法上、ウラル・アルタイ語族という言語系統の一群に属していて、文法上の特徴は、それらの言語とほぼ共通しています。 近縁なのは、韓国朝鮮語やモンゴル語、満州語など。 遠縁に当たるのは、トルコ語やフィンランド語、ハンガリー語、エストニア語など。 人口は少ないですが、分布範囲は広く、アジア大陸の北半分を占めています。
英語学習の初歩で、「~がある」に相当する表現は、≪There is ~≫や、≪There are ~≫だと教えられますが、これは、「~がある」そのものというわけではなく、強いて訳すなら、「そこにあるのは、~である」とでもいうのが原義に近い解釈です。 be動詞の基本的な意味は、「ある・いる」ですから、「~がある」の「ある」と同じではないかと思うかもしれませんが、≪There≫という場所を表わす主語しか取れない点が違っていまして、たとえば、「明日、試験がある」を、≪There is an examination tomorrow.≫とは言えません。 翻訳ソフトにかけると、呆れた事に、このまんまの訳文が出てきますが、間違いなので鵜呑みにしないように。 翻訳ソフトは、主語が場所を表わす単語なのか、それ以外の単語なのか区別できずに、単純に、「~がある」を、≪There is ~≫に置き換えているんですな。 正確な文は、≪I have an examination tomorrow.≫
≪飛鳥路を行く≫
国語辞典で、「行く」を調べると、品詞は、≪自動詞≫となっています。 自動詞だから、当然、「~を」で目的語を取る事は出来ないはずです。 ところが、ぎっちょんちょん、「飛鳥路を行く」なんて文が成立するんですな。 そういえば、「わが道を行く」なんてのもありますね。 おい、どうなってんだ、国語学者ども。 自動詞じゃないじゃんかよー。
ちなみに、日本には、言語学者という職種が存在せず、それぞれの言語の研究者しかいません。 その中で最も数が多いのが、日本語だけを扱う国語学者ですが、この国語学というのが曲者でして、アゴが外れるような前近代性をひきずっています。 江戸時代末期に本居宣長がやっていたような低次元な言葉のパズルを、正統として崇め奉り、金科玉条にしているのです。 科学的見地から研究を行なう言語学者とは異なるので、要注意。 ところが、困った事に、日本国内で出版される国語辞典は全て、この胡散臭い国語学者どもが編纂しているのです。 勢い、明らかな誤謬や、頓珍漢な解釈が随所に見られるのですが、辞書を使う方は、誰も辞書が間違っているとは思わないから、そのまま頭に入れてしまいます。
「行く」に戻りますが、つまりね、「行く」には、自動詞と他動詞、両方の働きがあるんですよ。 この件については随分前から考えていて、最初の頃は、「~を行く」の方を誤用から出た例外だと思っていたんですが、そういう考え方はしない方がいいみたいですな。 英語の≪go≫には、ちゃんと他動詞用法もあって、≪I go my way.≫といった言い方が出来ます。 日本語の「行く」も同じと見て良いでしょう。
「飛鳥路を行く」は、「飛鳥路を歩く」と言い換えれば、「歩く」は他動詞なので全く問題ないわけで、もしかしたら、「歩く」の代わりに、似たような意味の「行く」を使っただけなのでは? とも考えたんですが、その線も没。 なぜなら、「飛鳥路を行く」には、「飛鳥路を歩く」以外の状況も含まれるからです。 「歩く」というと、そのものズバリ、足で歩く事を指しますが、「行く」の場合、自転車で行く事も、車で行く事も出来るでしょう。 すなわち、「行く」は、「歩く」の代用ではなく、もっと広い意味をカバーしているという点で、独自の存在価値がある表現なのです。
≪子供に菓子を買う≫
今度は、「~を」ではなく、「~に」の話です。 「~を」が直接目的語と呼ばれるのに対して、「~に」は、間接目的語と呼ばれます。 私はどうも、この直接とか間接といった名称が分かり難くて、個人的に、「~を」を目的語、「~に」を対象語などと呼んでいましたが、それも昔の話、どんな呼び方をしても結局分かり難いので、今ではどうでもよくなってしまいました。
日本語で「~に」がつく単語を、外国語に訳す時に、苦労した人は多いでしょう。 苦労した挙句、結局間違っているという最悪のケースも多く見られ、日本語母語話者泣かせの助詞になっています。 まず除外しなければならないのは、格助詞でない「~に」です。 「早々に」とか、「特に」といった副詞、もしくは、「荘厳に」とか、「静かに」といった形容詞・形容動詞の副詞形(連用形)に付いている「~に」は、格助詞ではないので、その単語は間接目的語ではありえません。 ところが、動詞によっては、判別し難いケースも出てきます。 たとえば、「東に進む」ですが、この場合の「~に」は、どっちなんざんしょ? 「東」は、「進む」という動詞の目的地とも取れるし、「東に」という副詞とも取れます。 厄介ですなあ。
英語に、≪abroad≫という単語があります。 ≪I go abroad.≫で、「私は外国に行く」になりますが、「外国」という名詞で間接目的語なのかな? と思いきや、この正体が、「外国に」という副詞なんですな。 分かるか、こんなもん! ちなみに、「家に帰れ」を表わす、≪Go home.≫の≪home≫も、「家に」という副詞です。 もし、名詞扱いして、間接目的語にするなら、≪Go to home.≫になります。 英語が苦手だった人達、こういう事を、中学・高校の授業で説明された記憶が無いでしょう? まあ、それは無理もないんですよ。 教師自身が、よく分かってないんだから。 英語には、日本語では考えられないような副詞があるので、英文を読んで、「なんだか、文法間違えているんじゃないの?」と思ったら、単語の品詞を全部調べてみた方が良いです。
一つの動詞に、「~を」と「~に」が両方付く場合、動詞の種類は限定されていて、「与える」とか、「送る」とか、「伝える」といった、何か物事を渡したり伝えたりする意味を持ちます。 「私は彼に本をやる」という具合に、主語になる動作主、その受け手、受け渡される物事の三者が揃って、初めて作動する文なんですな。 ところが、ぎっちょんちょん、「子供に菓子を買う」という文では、動詞の「買う」には、渡したり伝えたりする意味はありません。 おい、どうなっとんじゃい! 話が違うやないけ! 責任者出てこんかい!
「子供に菓子を買う」・・・・・いや、別におかしくないですよね。 普通に使われる文です。 「子供に」が副詞? そんな事はありえねーっす。 これねえ、種は単純でして、省略されてるんですね。 元々の文は、「子供に菓子を買ってやる」です。 「買ってやる」なら、渡したり伝えたりする意味が含まれています。 日本語に限らず、どの言語でも、この種の省略は頻繁に起こります。 省略は、単語の新陳代謝と並んで、言語が変化していく際のきっかけの一つなので、別に異状でもなければ、由々しき事でもありません。 ただ、分析する時に厄介なだけで。
≪将来は、医者がなる≫
いや、「医者が、がなる」のではなく、これで、「医者になる」という意味なんですな。 韓国朝鮮語の話です。 上述したように、日本語とほぼ文法が同じなんですが、動詞「なる」の時に、「~に」を使わないのです。 習い始めると、すぐにぶつかる相違点なので、ちょっとでも習った事がある人なら、大概知っているでしょう。 他にも、日本語では、「~を」使うところに、「~に」を使うといった、≪助詞違い≫のケースがちょこちょこ出て来ます。 これねえ、単なる習慣上の違いではなく、動詞が表わしている意味にズレがあるんですな。
韓国朝鮮語の≪トゥエダ≫に近い動詞として、日本語の「なる」を当てているわけですが、実際には意味が違うのです。 「医者になる」の「医者」は動作の目的語なわけですが、≪ウィサガ トゥエダ≫の≪ウィサ≫は、動作の主語でして、≪トゥエダ≫に最も近い日本語を探せば、「成立する」といった意味合いにでもなりますか。 それでも遠いな。 つまり、日本語には、≪トゥエダ≫を直訳できる単語が無いのです。
韓国朝鮮語だけでなく、英語でも中国語でも、フランス語でも、この種の動詞の意味のズレは、実に頻繁に出て来ます。 英語では、動詞の後ろに間接目的語と直接目的語をそのまま並べていい場合と、間接目的語に≪to≫や≪for≫をつけなければいけない場合がありますが、それらの組み合わせには、これといった法則性が見出せず、一つ一つ全部覚えていくしかないのが実情です。 私は、この組み合わせの複雑さが、動詞の意味の違いから来ているのではないかと睨んでいますが、そもそも意味範囲がどう違っているかすら分かっていないので、手の打ちようがありません。
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