2014/06/29

大撤退

  6月23日、月曜日の昼前から、翌24日、火曜日の未明にかけて、バイクで走り通し、どうにかこうにか、沼津に帰って来ました。 行った時以上に、時間はかかるわ、眠気に悩まされるわで、生きて辿り着いたのが、奇跡のようです。 もしかしたら、本当は、途中で事故って、死んでいて、霊魂だけが戻って来たのと違うか? 未だに、そんな気分です。


  6月22日の日曜日は、向こうで丸一日過ごす最後の日だったので、嫌でも、どこかへ出かけなければ、思い出形成上、宜しくありません。 当初、遠野へ行ってみるつもりでいたのですが、地図を見ると、かなり遠い上に、何を見ていいのか、目的物が定まりません。 「物語の郷」という事は分かっていますが、物語は、目で見えませんからのう。 「河童の郷」という事も分かっていますが、河童も、まず見れないでしょう。 で、結局、遠野は断念し、すぐに行ける距離にある、平泉に、もう一度、行ってみる事にしました。

  もう一度、と言っても、その前に行ったのは、つい一昨日の6月20日、金曜日の事です。 ようやく届いたクラッチ・レバーを交換した後、ようやく届いた≪高額療養費限度額認定証≫を持って、水沢の南にある病院へ入院費用を払いに行ったついでに、平泉に足を延ばしたのです。 着いた時、すでに、午後3時を過ぎていたので、≪中尊寺≫、≪無量光院跡≫、≪高館義経堂≫の三ヵ所だけ見て、時間切れになりました。 ≪毛越寺≫は、門前まで行ったものの、すでに駐車場が閉まっていて、バイクの置き場所が無く、泣く泣く断念。 「とりあえず、中尊寺の金色堂が見れたからいいか」くらいに思って、引き上げて来ました。

  しかし、帰ってから、ネットで調べたところ、もっと、いろいろな所を見れた事が分かり、地団駄踏みました。 平泉は、小さな街なので、見所が集中していたんですな。 「これは、帰るまでに、もう一度行かなければならんな」と思ったものの、土曜は、リサイクル店が冷蔵庫やパソコン・デスクを取りに来るから出かけられませんし、日曜は、遠野へ行くつもりでしたし、月曜には、もう帰ってしまいます。 で、「帰りに、寄り道して行こうか」などと、無謀の上に無謀を重ねるような事を考えていました。

  ところが、遠野行きが、断念キャンセルになったため、日曜が空いて、再び、平泉に行く機会が出来たという次第。 で、日曜は、朝から出かけて、≪達谷の窟≫、≪毛越寺≫、≪観自在院跡≫、≪柳之御所跡≫、≪伽羅之御所跡≫と、一昨日、見逃した所を、全て、見て来ました。 ≪伽羅之御所跡≫は、住宅地に説明板が一枚建っているだけでしたが、それ以外は、みな、≪中尊寺≫に優るとも劣らず、見応えがあるところでした。

  平泉ではありませんが、≪達谷の窟≫から、少し足を延ばし、一関市の≪厳美渓≫も、見て来ました。 ここも、見事な景観。 その後、北上川を挟んで、反対方向にある、≪猊鼻渓≫と≪幽玄洞≫にも行ったのですが、こちらは、お金がかかりそうだったので、入口まで行って、引き返して来ました。 なーに、ケチな人間には、よくある事です。

  最後に、水沢に戻って、≪高野長英記念館≫を見て、有終の美を飾りました。 やはり、近在出身の、一番の有名人の記念館は、押さえておかねば。 入館料200円でしたが、ボリュームはかなりあって、見終わるのに、30分くらいかかりました。 興味がある人なら、足を運ぶ価値はあると思います。

  「よし、これで、もう、岩手に思い残す事は無くなったぞ」と、満足して、寮に戻りました。 最終日の過ごし方としては、まずまずだったと思います。 しかし、まだ、荷造りが終わっていないので、寛ぐわけには行きません。 風呂・食事・就寝などの関係で、ギリギリまで使わなければならない物があり、全てを、前以て片付けてしまう事はできなかったのです。

  夕食後、ネットの更新を終えてから、パソコン・セットと、テレビ・セットを元箱に梱包したのですが、パソコンとプリンターの二箱を、一つの荷物にするのに、予想外に手間取り、焦りに焦りました。 PPバンドで縛っただけでは、崩れてしまうのです。 ちなみに、PPバンドというのは、ダンボール箱の外にかけて、強度を増す、プラスチック素材の平らな紐の事です。 100円ショップで、20メートルのが、留め具15個付きで売っていたので、それを買って来ました。

  やむなく、ラップで全体を巻き、その上から、PPバンドで縛ったら、何とか、持ち上げても崩れない程度になりました。 やれやれ、一時はどうなる事かと思った。  やり方が分かったので、モニター、テレビ、レコーダーの組の方は、すんなり、纏められました。 経験の力というのは、凄いものですな。 しかし、これらの作業が終わったのは、夜11時過ぎ。 行きの時と同様、また、寝不足で出発する事になりそうな予感がします。


  23日の月曜日は、起きてすぐに、掛け布団からカバーを外し、掛け布団を、椅子を収めるために作ったダンボール箱の中に押し込みました。 箱型の椅子なので、座面を外せば、中の空間に布団を押し込めるという寸法。 半分くらいしか収まらないのですが、それでも、膨らんで来るのを抑えるのには充分です。

  掛け布団は、この手で送れたのですが、敷きパッドと枕は、入れる所が無くて、捨てて来ざるを得ませんでした。 どちらも、4月に買ったばかりで、勿体無い事この上ないのですが、送るとなると、買った値段の2倍くらいかかってしまうので、泣いて馬謖を斬った次第。 他に、プラスチックのラックや籠など、100円ショップで買った嵩張る品を、かなりの数、新品同様で捨てて来ました。

  鍋は梱包してしまったので、朝食は、カップ・ラーメンと、最後に残した、ゆで卵でした。


  午前9時半頃、クロネコが集荷に来たので、荷物をヤマト便で送りだしました。 全部で、6点ありましたが、全て、160サイズ以下、30キロ以下だった上に、複数口割引が適用され、5832円でした。 この一週間前に、折り畳み自転車を入れた冷蔵庫の元箱と、140サイズのダンボール箱2個を、先行して送ってあるので、全部で9点送った事になりますが、全てヤマト便で、合計、11664円でした。 宅急便で送るより、遥かに安いです。 この事を、どれだけの人が知っているのやら。

  クロネコのサイトを見ると、ヤマト便は、宅急便より大きなサイズの荷物が対象のように書いてあるのですが、実際には、160サイズ以下でも送れますし、時間指定ができないというだけで、大抵は、宅急便よりも、安くなります。 単身で引越しをする場合、引越し業者に頼むと、たぶん、10倍くらい、お金がかかります。  ダンボールで梱包できるサイズの荷物だけに纏められるなら、ヤマト便を使った方が、遥かに、お得ですな。 もっとも、私はもう、そんな事をする機会は、一生無いような気がしますけど。

  ついでに書いておきますと、送り返さずに、リサイクル店に売ったのは、冷蔵庫、扇風機、パソコン・デスク、2段ハンガーの4点です。 21日の土曜日に、水沢のオフハウスに、出張買取に来てもらって、冷蔵庫5000円、扇風機400円、パソコン・デスク1500円、2段ハンガー200円で、買い取ってもらいました。 静岡県民らしく、値段の交渉はせず、全て、向こうの言い値。 持って帰っても、使い道も置き場所も無い物ばかりなので、買い取ってもらえなければ、捨てて行くしかないわけで、値段は、いくらでもよかったのです。 パソコン・デスクは、買ってから、12年も経っていますが、1500円もついたのは、逆に信じられない話。


  話を戻します。 10時には、出発する準備が整ったものの、部屋の最終チェックやら、ゴミ捨てやらしていて、実際に退寮したのは、11時になりました。 退寮届けは、もう出してあったので、受付では、鍵を返しただけでした。 短期間しかいなかったので、寮務員の態度も、あっさりしたものです。 退職してしまったわけですから、もう二度と会う事はありません。


  出発前に、家に電話。 あとはもう、ひたすら、家を目指すだけです。 バイクですが、クラッチ・レバーは、新品になっているので、操作上の不安はありません。 少し、エンジン音がうるさいのは、たぶん、オイルが減っているからでしょうが、帰りのためだけに、オイルを一缶買うわけにはいかないので、家まで我慢してもらいます。 後ろの足元で、キュルキュル言っているのは、たぶん、チェーンのグリスが足りないのでしょうが、グリスのスプレーは荷物の中に入れて送ってしまいました。 帰りのためだけに、グリスを一本買うわけにはいかないので、家まで我慢してもらいます。 あとは、これといって、問題無し。

  一般道で東北の内陸を南下する場合、国道4号一本で、東京まで行ってくれるので、栃木県に入るまでは、迷う心配はありません。 「一度走った道なので、二度目は、早く感じるかな?」と思いきや、行きと帰りでは、見える景色が違うせいか、早く感じるどころか、長い長い! しかも、カンカン照りで、暑い暑い! とどめに、寝不足が祟って、眠い眠い! 下りて座り込み、眠気が覚めるのを待った回数が、行きの4倍くらい、ありました。

  岩手県は、1時間で出ましたが、宮城県の突破に、3時間近くかかり、福島県を抜けたのは、6時半頃。 ここまでで、距離が300キロで、大体、全行程の半分です。 コンビニでコロッケ・パンを買って食べ、家に電話したら、母が出ました。 「今、白河」と告げると、「まだ、そっちの方?」という返事。 こちとら、突貫走破で、日が落ちない内に、半分も来たのですから、速い方だと思っていたのですが 、母は、つい先日、私の入院中に、新幹線で行き来したばかりなので、時間の感覚が違っているのです。 頭来るな、もう。

  この直後に給油しました。 セルフではなかったので、満タンにしてもらいました。 私のバイクは、満タンにすると、370キロくらい走るので、家まで充分もつ計算になります。 つまり、この旅の給油は、これが、最初で最後というわけ。 こういう時だけ、「バイクで良かった」と感じます。 バイクのメリットは、渋滞の時に、脇をすりぬけられるというのもありますが、通勤路ならともかく、遠くの慣れていない道では、やめておいた方が無難。 どこから、何が出てくるかわかりません。

  それはさておき、そこから先が、また長い。 那須野って、こんなに時間かかったっけか? 暗くなり、寒くなって来ると、気分が落ち込み始めます。 寒さは、合羽を着て凌ぎましたが、滅入った気分は、どうにもしようがありません。 カーナビで現在地を確認して、宇都宮バイパスに入る交差点を、間違えずに曲がれて、ほっとしたのも束の間、このパイパスが、単調な道で、死ぬほど、眠いんだわ。 行きも、この道で眠くなって、怖い思いをしましたが、帰りは、交通量が多い時間帯だったので、更に怖かったです。

  庄和IC交差点で、4号から、16号に入りましたが、16号は、昼来ても、夜来ても、何時に来ても、いつも長いのであって、もう、げんなりです。 どうして、こんなに、信号が多いかな。 連続で突破できるのは、二つが限界で、三つ目の信号は、必ず、赤になります。 ある意味、大変、律儀だ。 西大宮のコンビニで、おにぎりを買いましたが、そこの駐車場が、なぜか、糞尿の臭いが立ち込めていて、とても、物を食べられるような場所ではありませんでした。 駐車場で糞尿を垂れ流すというのは、ある意味、コンビニ強盗より、始末が悪いのでは?

  少し走って、歩道の自販機でココアを買い、おにぎりを食べましたが、別に、腹が膨れたからと言って、頭がはっきりするわけでもなければ、疲れが取れるわけでもなく、路肩の縁石の上に座り込んだまま、絶望的な気分に落ち込みました。 4分の3は来たとはいえ、先は遠い・・・。 まだ、これから、246号に入らなければ、知った道にならないのですよ。

  行きに間違えて入り、260円取られた八王子バイパスを注意深く避け、何とか、厚木で129号に入る事に成功。 南下して、246号に入りましたが、この時点で、行きよりも、1時間近く遅くなっており、「246号より、箱根を越えた方が、早かろう」と思ってしまったのが命取り! 平塚まで、129号で下り、そこから、1号に入って、小田原から箱根新道で箱根に登ったものの、高度が上がるに従い、ガスが出て来て、やがて、典型的な濃霧となり、視界が10メートル以下になってしまいました。 しかも、山の中なのに、トラック銀座と化していて、対向車線をトラックが、バンバンやってくるものだから、生きた心地がしません。

  三島に下りた時には、本当に、生き返った気分でした。 ここまで来れば、もう、不安要素はありません。 24日、火曜日の、午前4時に、家に到着。 正に、命からがらという言葉がぴったり来る、恐ろしい旅路でした。 行きは、15時間半、620キロでしたが、帰りは、17時間、630キロでした。 こんなにズレが出るのは、奇怪な事です。 まあ、もう、二度と走らないルートですから、済んだ事は忘れる事にします。


  24日は、寝て過ごし、25日と26日は、届いた荷物の片付けで、忙殺されました。 ようやく、収まるべき物が収まるべき所に収まり、普通の生活が送れるようになった状態です。 先に送った折自は、箱が少々ひしゃげたものの、本体は無事でした。 電気製品も、壊れた物は、一つも無し。 ヤマト便には、感謝しなければなりますまい。


  というわけで、何とか、生きて、家に戻る事に成功しました。 ・・・・。

  ・・・成功・・・、成功ねえ・・・。 そもそも、岩手に行ったのが、失敗だったのであって、無事に帰ったからといって、喜ぶのは、後生が良過ぎますな。 もう、昨年の11月に、北海道の応援先で、岩手異動を宣告された時点で、退職の腹を決め、北海道から帰って来た後、すぐに会社を辞めてしまえばよかったんですよ。 岩手で、10年も独り暮らしなんて、土台、できるわけがなかったのです。 若い頃じゃあるまいし。 そんな事、ちょっと想像してみれば、分かったはずなんですがねえ。

  総合的に見て、この岩手異動は、大失敗でした。 進退の時期を誤ったとしか言いようがありません。 私の人生の、最大の汚点として、嫌な記憶の筆頭に刻まれ、長く長く残る事でしょう。