北海道から戻った男
・・・・・・・・・・・・・・・。
何とか、帰って来ました。 実は、帰って来たのは、1月18日でして、もう、だいぶ経っているんですが、片づけやら、こちらの仕事への復帰やらで、ゆとりが無かったので、更新が遅れた次第です。 更に、実を言えば、年末年始にも帰って来て、12月27日から1月4日までの九日間は、家で過ごしていたのですが、その時も、何となく、その気にならず、ネットの更新は、一切しませんでした。 どうも、応援に行って、ネットから離れていると、そういう気分に支配されてしまう傾向があります。
で、北海道の苫小牧市にある、グループ企業の工場に、応援に行っていたわけですが、感想を一口に言いますと、街も職場も、どえりゃあ、いい所でした。 三年前の岩手応援とは、大違い。 仕事が、さほどきつくなかった事が、最も大きな要因だと思いますが、他にも、工場は綺麗だし、職場の管理システムは良く出来ているし、食べ物は安くてうまいし、寮は住み心地がいいし、何より、苫小牧の街が、「2・30年、未来に来てしまったのではなかろうか?」と思うほど、整備が行き届いていて、仰天するやら、呆気に取られるやら・・・。
ほぼ純粋な計画都市で、大きな港があるんですが、人工的に掘ったと言うから、たまげるじゃありませんか。 道路も、ほぼ、東西・南北に直行しているし、歩道は、たっぷり広いし、自転車走行路も、きっちり取ってあります。 それが、市街地だけでなく、郊外の方まで整備してあるんですぜ。 どんだけ、お金をかけているのか。 北海道中の製造業が集中しているような自治体なので、財政が潤っているんでしょうなあ。
個人の住宅も、古い建物が見当たらないんですよ。 昭和を感じさせる物件が、存在しない。 いきなり、平成から街を作ったんじゃないかと思うくらいです。 日本の街というより、カナダの街みたいでした。 いや、カナダに行った事は無いですが、イメージ的に、そんな感じ。
また、火山灰地で、作物が育たないとの事で、田畑が、一枚もありません。 ちなみに、郊外のすぐ外は、原生林で覆われています。 で、農地、ゼロ。 これも、不思議な光景でしたねえ。 更に、神社、寺、墓地が、非常に少ないのも、本州の町と違う点ですな。
職場でも、街なかでも、そうだったんですが、地元の人達の人柄が温厚で、礼儀正しいのにも、びっくりしました。 私も、結構、礼儀正しい方ですが、何だか、自分の礼儀正しさが、上っ面のメッキに過ぎないのではと、恥ずかしくなって来るほど、向こうの人達の方が堂に入ってました。
寒さは、私に限って言えば、全く、大した事はなかったです。 こちらでの冬場のバイク通勤に比べれば、ただ、気温が低いだけくらい、どうという事はありません。 服も靴も、特別なものは何も要りませんでした。 普通の帽子だと、耳が寒いので、ニット帽で、耳を隠していましたが、こちらと違っていたのは、それだけですな。 念の為に、長靴も持って行ったんですが、一回しか出番が無く、邪魔なので、年末に履いて帰って来てしまいました。
苫小牧は、北海道の中でも、特別に雪が少ない所で、向こうにいた間、5回くらいは降ったと思いますが、積もっても、2センチくらいでした。 気温が低いので、なかなか融けず、路面が凍結して、滑り易くなるのには、ちと参りましたが。 ちなみに、一度だけ、転倒して、尻餅をつきましたが、それは、皮肉な事に、一回だけ長靴を履いて出た時でした。
苫小牧は、大変、よく出来た街なのですが、広いために、歩きでは、どこへも行けません。 「慣れない雪道で、事故を起こされては困る」という心配から、北海道応援者は、車の持ち込みを禁止されていたので、みんな、休日の移動方法に困ってしまいました。 私は、もともと、車を持っていませんが、バイクは、車以上に持ち込み禁止なので、足が無い事に変わりは無し。
通勤は、通勤バスがあり、寮の食堂で朝晩食べている人は、全く出かけなくても、生活できたのですが、私の場合、自炊だったので、否が応でも買い物に行かねばなりません。 ところが、一番近いスーパーでも、歩いて、30分もかかると来たもんだ。 あれには、参りましたね。 11月は、一回しか雪が降らず、歩きにくいという事はありませんでしたが、距離があり過ぎ、時間がかかり過ぎで、平日なんか、とてもじゃないが、仕事から帰って来て、買い物に行く気になりません。 食料品が空っけつになってから、土曜に行くわけですが、一週間分買うので、荷物が重くなって、腰は痛くなるわ、レジ袋は指に喰い込むわ、ナップ・ザックの紐は切れるわ・・・。
で、3週間経った時、「こんな事はやってられん!」と、決心して、リサイクル店で、中古自転車を買いました。 5000円。 シティー・サイクルで、前籠オンリー、荷台無し。 新品同様でしたが、ちょっと乗ると、ハンドルの付け根のネジが緩む事が分かり、締め付け用に、六角レンチを常に持ち歩かなければなりませんでした。 道理で、新品同様で、リサイクル店に売られたわけだ。
問題点はあったものの、この自転車のおかげで、行動半径は格段に広がり、買い物のみならず、苫小牧市内の観光地を、全て見て回る事ができました。 帰って来る前に、同じ店で、1000円で売って来ましたが、差し引き4000円の価値は充分にあったと思います。 もし、私が自転車で行った所に、電車・バスで行ったら、とても、4000円では済まなかったでしょう。
自転車で行った観光地というと、≪錦大沼公園≫、≪樽前ガロー≫、≪ウトナイ湖≫、≪勇払開拓史跡公園≫、≪ノーザン・ホース・パーク≫、≪北大研究林≫、≪イコロの森≫。 他に、市街地では、≪中央図書館≫、≪美術・博物館≫、≪科学センター≫、≪緑ヶ丘公園≫の展望台と≪金太郎沼≫など。 あと、西隣の白老町ですが、≪ポロトコタン≫というアイヌ文化資料村にも行きました。 もっとも、そこは、入場料が思っていたより高かったので、門前で引き返してきたのですが・・・。
北海道の場合、歴史遺構というと、明治以降のものに限られてしまう上、石碑だの、墓石だのといった、地味なもので、しかも、数えるほどしか残っていません。 アイヌ文化関係は、≪美術・博物館≫に集中して収められているものの、街なかでは、地名を除き、痕跡すら見られませんでした。 なんとも、無残・・・。 苫小牧に限って言えば、アイヌ的でも、日本的でもなく、グローバル文化しか見当たらない感じでした。
一方、電車・バスで行ったのは、北隣の千歳市にある≪支笏湖≫と、西の登別市にある水族館の、≪登別マリンパークニクス≫だけ。 どちらも、交通費やら、入園料やらで、えらい、金がかかりました。 どうも、公共交通機関や、民営の観光地というのは、私のようなケチな人間には、肌に合いません。
一緒に行った人達の中には、函館から旭山動物園、宗谷岬に襟裳岬、納沙布岬と、北海道中、回り倒していた人もいましたが、交通費だけで、出張費をほとんど、使い切ってしまったのではありますまいか。 北海道は滅多に行けない所だから、そういう事をしたがる気持ちも分からんではないですが、一時期に見て回るには、広すぎるっちゅーのよ。 立場を逆にしてみれば分かる事。 北海道から静岡に出張で来た人が、「せっかく、中部地方に来たのだから、能登半島も見たい」と言っているようなもので、そう聞いたら、頓珍漢な地理感覚だと思うでしょうに。
一方、週末のたびに、札幌のススキノへ繰り出していた人達もいましたが、そういうのも、しょーもないっすねー。 月曜の朝に、買った女の身の上話や失敗談を聞かされるのは、一種の拷問ですな。 当人は、自慢話のつもりで喋るんですが、私から見ると、それは、恥を曝している以外の何ものでもないと思うんですがねえ。 みんな、いい年した、おっさん連中ですぜ。
仕事に関しては、企業内情報が絡むので、あまり詳しい事は書けません。 おおまかに言うと、今まで、組み立ての仕事をしていたのが、行った先では、検査の仕事だったので、慣れるまで、かなり混乱しました。 組み立ては、どんどん作って、どんどん流すのが仕事、一方、検査は、悪い所を見つけて、止めるのが仕事ですから、方向性が正反対なのです。
しかし、ほとんど、一歩も動かずにできる仕事だったので、体力的には楽で、普通、応援に行くと痩せるのに、逆に太ってしまいました。 しかも、終わる一ヶ月も前から、後釜が来たせいで、ますます、楽に・・・。 ちと、来るのが早過ぎですがね。 一人でやる場所に、二人いたのでは、精神的に宜しくありません。
職場の雰囲気は至って宜しかったです。 正社員の平均年齢は、30代で、私よりずっと若かったですが、無礼な人間は一人もおらず、よくしてもらいました。 驚いたのは、期間工でして、人の入れ代わりが激しく、私がいた2ヵ月半の間に、5・6人、新しい人が来ました。 そちらも、人柄は宜しいのですが、軒並み、50代で、最初の挨拶で、「製造業は、初めてです」と言う人ばかり。 どういう人生を歩んで来たんでしょうねえ。
寮は、風呂・トイレ・洗面所、洗濯室が共同で、各部屋には、水周りが引いてありません。 その点、岩手の寮より不便だったのですが、一室の床面積が9畳と広く、室内は綺麗で、住み心地は悪くありませんでした。 フローリングで、ベッドと、机・椅子があり、家電は、2ドア冷蔵庫と、地デジ・BSが映る22型の液晶テレビがありました。 これは、独身寮の設備としては、上の中クラスです。
備え付けのヒーターがありましたが、5階だったので、下の階から熱が上がって来て、それだけで暖かく、ヒーターのスイッチは、一度も入れませんでした。 むしろ、年末年始に、自宅に帰って来た時の方が、寒かったくらい。 ただ、窓を開けていると、ほんの3センチくらいの隙間であっても、ぐんぐん室温が下がって行きました。 やはり、高緯度帯だのう。
食事は、昼は会社の食堂で食べ、朝晩は、自炊。 当初持って行く気がなかったIHクッキングヒーターですが、荷物を送る寸前になって、ステンレス鍋が100円ショップで見つかったので、急遽持って行く事になり、これが、大活躍しました。 まあ、ほとんど、レトルト食品で、時々、おでんとか、生ラーメンとか、生うどんとか、麺類が挟まるだけの、貧弱な献立でしたが、痩せなかったのだから、栄養は足りていたのでしょう。
当初、年末年始も、向こうで越すつもりでいたのですが、向こうへ行ったら、会社の福利厚生ポイントで、飛行機と新幹線の切符が手に入る事がわかり、それなら、ポイントが余っているのに、使わないのは損だと思って、帰って来ました。 今まで一度も乗った事が無かった飛行機に、四回も乗る事になったのは、いい経験になりました。
最初は、引率されて行ったので、何が何だかわからないまま、向こうに着いてしまいましたが、12月26日の帰省の時は、一人で乗る事になり、かなり緊張しました。 しかしまあ、とにかく、手荷物預かり所の行列の辺りに行って、係員が通りかかったら、掴まえて、どうすればいいか訊けば、どうにかなるものですな。
荷物の中に、刃物やスプレー、正体不明の液体などが無ければ、預けずに、機内に持ち込んでしまった方が、着陸後、空港から出るのが早いという事を学んだので、3回目と4回目は、スイスイ事を運べました。 チェックイン・マシンなど、恐るるに足りません。 あんなものは、プリクラより簡単です。
これで、国内線に限れば、無敵になりましたが、惜しむらく、たぶん、もう一生、飛行機に乗る機会は無いんじゃないかという気が、濃厚にします。 仕事で行って、専ら、会社の金で切符が手に入ったからこそ、乗ったのであって、やはり、自腹ではねえ・・・。
応援は、行き先がどこであっても、嫌なものですが、終わりが近付いてきた時、「もう少しいてもいいかな」とか、「また、来たいな」と思ったら、成功。 「もう、二度と来たくない」と思ったら、失敗です。 その点、今回は、明らかに、成功と言えるでしょう。 得した、得した。
何とか、帰って来ました。 実は、帰って来たのは、1月18日でして、もう、だいぶ経っているんですが、片づけやら、こちらの仕事への復帰やらで、ゆとりが無かったので、更新が遅れた次第です。 更に、実を言えば、年末年始にも帰って来て、12月27日から1月4日までの九日間は、家で過ごしていたのですが、その時も、何となく、その気にならず、ネットの更新は、一切しませんでした。 どうも、応援に行って、ネットから離れていると、そういう気分に支配されてしまう傾向があります。
で、北海道の苫小牧市にある、グループ企業の工場に、応援に行っていたわけですが、感想を一口に言いますと、街も職場も、どえりゃあ、いい所でした。 三年前の岩手応援とは、大違い。 仕事が、さほどきつくなかった事が、最も大きな要因だと思いますが、他にも、工場は綺麗だし、職場の管理システムは良く出来ているし、食べ物は安くてうまいし、寮は住み心地がいいし、何より、苫小牧の街が、「2・30年、未来に来てしまったのではなかろうか?」と思うほど、整備が行き届いていて、仰天するやら、呆気に取られるやら・・・。
ほぼ純粋な計画都市で、大きな港があるんですが、人工的に掘ったと言うから、たまげるじゃありませんか。 道路も、ほぼ、東西・南北に直行しているし、歩道は、たっぷり広いし、自転車走行路も、きっちり取ってあります。 それが、市街地だけでなく、郊外の方まで整備してあるんですぜ。 どんだけ、お金をかけているのか。 北海道中の製造業が集中しているような自治体なので、財政が潤っているんでしょうなあ。
個人の住宅も、古い建物が見当たらないんですよ。 昭和を感じさせる物件が、存在しない。 いきなり、平成から街を作ったんじゃないかと思うくらいです。 日本の街というより、カナダの街みたいでした。 いや、カナダに行った事は無いですが、イメージ的に、そんな感じ。
また、火山灰地で、作物が育たないとの事で、田畑が、一枚もありません。 ちなみに、郊外のすぐ外は、原生林で覆われています。 で、農地、ゼロ。 これも、不思議な光景でしたねえ。 更に、神社、寺、墓地が、非常に少ないのも、本州の町と違う点ですな。
職場でも、街なかでも、そうだったんですが、地元の人達の人柄が温厚で、礼儀正しいのにも、びっくりしました。 私も、結構、礼儀正しい方ですが、何だか、自分の礼儀正しさが、上っ面のメッキに過ぎないのではと、恥ずかしくなって来るほど、向こうの人達の方が堂に入ってました。
寒さは、私に限って言えば、全く、大した事はなかったです。 こちらでの冬場のバイク通勤に比べれば、ただ、気温が低いだけくらい、どうという事はありません。 服も靴も、特別なものは何も要りませんでした。 普通の帽子だと、耳が寒いので、ニット帽で、耳を隠していましたが、こちらと違っていたのは、それだけですな。 念の為に、長靴も持って行ったんですが、一回しか出番が無く、邪魔なので、年末に履いて帰って来てしまいました。
苫小牧は、北海道の中でも、特別に雪が少ない所で、向こうにいた間、5回くらいは降ったと思いますが、積もっても、2センチくらいでした。 気温が低いので、なかなか融けず、路面が凍結して、滑り易くなるのには、ちと参りましたが。 ちなみに、一度だけ、転倒して、尻餅をつきましたが、それは、皮肉な事に、一回だけ長靴を履いて出た時でした。
苫小牧は、大変、よく出来た街なのですが、広いために、歩きでは、どこへも行けません。 「慣れない雪道で、事故を起こされては困る」という心配から、北海道応援者は、車の持ち込みを禁止されていたので、みんな、休日の移動方法に困ってしまいました。 私は、もともと、車を持っていませんが、バイクは、車以上に持ち込み禁止なので、足が無い事に変わりは無し。
通勤は、通勤バスがあり、寮の食堂で朝晩食べている人は、全く出かけなくても、生活できたのですが、私の場合、自炊だったので、否が応でも買い物に行かねばなりません。 ところが、一番近いスーパーでも、歩いて、30分もかかると来たもんだ。 あれには、参りましたね。 11月は、一回しか雪が降らず、歩きにくいという事はありませんでしたが、距離があり過ぎ、時間がかかり過ぎで、平日なんか、とてもじゃないが、仕事から帰って来て、買い物に行く気になりません。 食料品が空っけつになってから、土曜に行くわけですが、一週間分買うので、荷物が重くなって、腰は痛くなるわ、レジ袋は指に喰い込むわ、ナップ・ザックの紐は切れるわ・・・。
で、3週間経った時、「こんな事はやってられん!」と、決心して、リサイクル店で、中古自転車を買いました。 5000円。 シティー・サイクルで、前籠オンリー、荷台無し。 新品同様でしたが、ちょっと乗ると、ハンドルの付け根のネジが緩む事が分かり、締め付け用に、六角レンチを常に持ち歩かなければなりませんでした。 道理で、新品同様で、リサイクル店に売られたわけだ。
問題点はあったものの、この自転車のおかげで、行動半径は格段に広がり、買い物のみならず、苫小牧市内の観光地を、全て見て回る事ができました。 帰って来る前に、同じ店で、1000円で売って来ましたが、差し引き4000円の価値は充分にあったと思います。 もし、私が自転車で行った所に、電車・バスで行ったら、とても、4000円では済まなかったでしょう。
自転車で行った観光地というと、≪錦大沼公園≫、≪樽前ガロー≫、≪ウトナイ湖≫、≪勇払開拓史跡公園≫、≪ノーザン・ホース・パーク≫、≪北大研究林≫、≪イコロの森≫。 他に、市街地では、≪中央図書館≫、≪美術・博物館≫、≪科学センター≫、≪緑ヶ丘公園≫の展望台と≪金太郎沼≫など。 あと、西隣の白老町ですが、≪ポロトコタン≫というアイヌ文化資料村にも行きました。 もっとも、そこは、入場料が思っていたより高かったので、門前で引き返してきたのですが・・・。
北海道の場合、歴史遺構というと、明治以降のものに限られてしまう上、石碑だの、墓石だのといった、地味なもので、しかも、数えるほどしか残っていません。 アイヌ文化関係は、≪美術・博物館≫に集中して収められているものの、街なかでは、地名を除き、痕跡すら見られませんでした。 なんとも、無残・・・。 苫小牧に限って言えば、アイヌ的でも、日本的でもなく、グローバル文化しか見当たらない感じでした。
一方、電車・バスで行ったのは、北隣の千歳市にある≪支笏湖≫と、西の登別市にある水族館の、≪登別マリンパークニクス≫だけ。 どちらも、交通費やら、入園料やらで、えらい、金がかかりました。 どうも、公共交通機関や、民営の観光地というのは、私のようなケチな人間には、肌に合いません。
一緒に行った人達の中には、函館から旭山動物園、宗谷岬に襟裳岬、納沙布岬と、北海道中、回り倒していた人もいましたが、交通費だけで、出張費をほとんど、使い切ってしまったのではありますまいか。 北海道は滅多に行けない所だから、そういう事をしたがる気持ちも分からんではないですが、一時期に見て回るには、広すぎるっちゅーのよ。 立場を逆にしてみれば分かる事。 北海道から静岡に出張で来た人が、「せっかく、中部地方に来たのだから、能登半島も見たい」と言っているようなもので、そう聞いたら、頓珍漢な地理感覚だと思うでしょうに。
一方、週末のたびに、札幌のススキノへ繰り出していた人達もいましたが、そういうのも、しょーもないっすねー。 月曜の朝に、買った女の身の上話や失敗談を聞かされるのは、一種の拷問ですな。 当人は、自慢話のつもりで喋るんですが、私から見ると、それは、恥を曝している以外の何ものでもないと思うんですがねえ。 みんな、いい年した、おっさん連中ですぜ。
仕事に関しては、企業内情報が絡むので、あまり詳しい事は書けません。 おおまかに言うと、今まで、組み立ての仕事をしていたのが、行った先では、検査の仕事だったので、慣れるまで、かなり混乱しました。 組み立ては、どんどん作って、どんどん流すのが仕事、一方、検査は、悪い所を見つけて、止めるのが仕事ですから、方向性が正反対なのです。
しかし、ほとんど、一歩も動かずにできる仕事だったので、体力的には楽で、普通、応援に行くと痩せるのに、逆に太ってしまいました。 しかも、終わる一ヶ月も前から、後釜が来たせいで、ますます、楽に・・・。 ちと、来るのが早過ぎですがね。 一人でやる場所に、二人いたのでは、精神的に宜しくありません。
職場の雰囲気は至って宜しかったです。 正社員の平均年齢は、30代で、私よりずっと若かったですが、無礼な人間は一人もおらず、よくしてもらいました。 驚いたのは、期間工でして、人の入れ代わりが激しく、私がいた2ヵ月半の間に、5・6人、新しい人が来ました。 そちらも、人柄は宜しいのですが、軒並み、50代で、最初の挨拶で、「製造業は、初めてです」と言う人ばかり。 どういう人生を歩んで来たんでしょうねえ。
寮は、風呂・トイレ・洗面所、洗濯室が共同で、各部屋には、水周りが引いてありません。 その点、岩手の寮より不便だったのですが、一室の床面積が9畳と広く、室内は綺麗で、住み心地は悪くありませんでした。 フローリングで、ベッドと、机・椅子があり、家電は、2ドア冷蔵庫と、地デジ・BSが映る22型の液晶テレビがありました。 これは、独身寮の設備としては、上の中クラスです。
備え付けのヒーターがありましたが、5階だったので、下の階から熱が上がって来て、それだけで暖かく、ヒーターのスイッチは、一度も入れませんでした。 むしろ、年末年始に、自宅に帰って来た時の方が、寒かったくらい。 ただ、窓を開けていると、ほんの3センチくらいの隙間であっても、ぐんぐん室温が下がって行きました。 やはり、高緯度帯だのう。
食事は、昼は会社の食堂で食べ、朝晩は、自炊。 当初持って行く気がなかったIHクッキングヒーターですが、荷物を送る寸前になって、ステンレス鍋が100円ショップで見つかったので、急遽持って行く事になり、これが、大活躍しました。 まあ、ほとんど、レトルト食品で、時々、おでんとか、生ラーメンとか、生うどんとか、麺類が挟まるだけの、貧弱な献立でしたが、痩せなかったのだから、栄養は足りていたのでしょう。
当初、年末年始も、向こうで越すつもりでいたのですが、向こうへ行ったら、会社の福利厚生ポイントで、飛行機と新幹線の切符が手に入る事がわかり、それなら、ポイントが余っているのに、使わないのは損だと思って、帰って来ました。 今まで一度も乗った事が無かった飛行機に、四回も乗る事になったのは、いい経験になりました。
最初は、引率されて行ったので、何が何だかわからないまま、向こうに着いてしまいましたが、12月26日の帰省の時は、一人で乗る事になり、かなり緊張しました。 しかしまあ、とにかく、手荷物預かり所の行列の辺りに行って、係員が通りかかったら、掴まえて、どうすればいいか訊けば、どうにかなるものですな。
荷物の中に、刃物やスプレー、正体不明の液体などが無ければ、預けずに、機内に持ち込んでしまった方が、着陸後、空港から出るのが早いという事を学んだので、3回目と4回目は、スイスイ事を運べました。 チェックイン・マシンなど、恐るるに足りません。 あんなものは、プリクラより簡単です。
これで、国内線に限れば、無敵になりましたが、惜しむらく、たぶん、もう一生、飛行機に乗る機会は無いんじゃないかという気が、濃厚にします。 仕事で行って、専ら、会社の金で切符が手に入ったからこそ、乗ったのであって、やはり、自腹ではねえ・・・。
応援は、行き先がどこであっても、嫌なものですが、終わりが近付いてきた時、「もう少しいてもいいかな」とか、「また、来たいな」と思ったら、成功。 「もう、二度と来たくない」と思ったら、失敗です。 その点、今回は、明らかに、成功と言えるでしょう。 得した、得した。
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