2013/09/15

ザ・汚染水

  2020年五輪招致運動も終わった事なので、政治的な思惑から離れて、純粋に、この問題を検討する条件が、より整ったと判断されるわけですが、それでも尚、「石橋を叩いて帰る」的な慎重さを忘れずに、庭に掘った深い穴の中に小声で問いかけるが如く、恐る恐る申しますと・・・。

「福島第一原発は、やっぱり、どうにもならんようだな」

  と、つくづく思っている今日この頃なのです。 前回、≪決して減らない≫を書いた後、汚染水問題が、それ以前より、輪をかけてクローズ・アップされ、新聞の見出しに、「汚染水」の三文字が載らない日は無いくらいの重大・喫緊ニュースになってしまったわけですが、それ即ち、私と同じような恐怖感に震え上がっている人間が、如何に多かったかという事なんでしょうなあ。

  で、報道量が倍増した分、様々な新情報や、関係者の面々の反応が出て来たわけですが、まー、およそ、見通しが明るくなるような要素が見当たりません。 お先真っ暗度計の針が、ビンビン跳ね上がって、振り切れんばかり・・・。 今の所、地球上の全生物が絶滅するという、最悪コースから、一歩たりとも外れていないから、脂汗が幾筋あっても足りゃあしません。

  単に、汚染水が増え続けているだけでも、超が付くほどの重大問題なのに、それが、タンクから漏れていて、「気づいた時には、120リットルだと思っていたけれど、計ってみたら、300トン流れてました」って、一体、どういう管理してんのよ? というか、管理なんて、していなかったも同然でしょう。

  120リットルと300トンの差が凄い。 ちなみに、熱帯魚なんかを飼う水槽が、標準的なもので、60リットルだから、120リットルというのは、水槽二杯分です。 一方、300トンの方ですが、1トンで、1000リットルなので、つまり、30万リットルでして、熱帯魚水槽に換算すると、5000杯分になります。 わざわざ、単位を変えて発表したのは、何とか、少しでも、事態の重大さをごまかしたいという意識の表れなんでしょうかね。 国語辞典を作る際、【姑息】という言葉の例文に使うのに、うってつけの事例と言えるでしょう。

  タンクには、ボルトで接合するフランジ型と、溶接型があるとの事。 で、フランジ型の方が漏れ易いから、今後、溶接型に切り替えるのだそうです。 まあ、それはいいとして、その、要らなくなったフランジ型タンクは、どうするつもりなんですかね? 溶接型タンクにも寿命があると思いますが、今後出て来る、それらの廃棄タンクは、どこで、どう処理するつもりなのか。

  放射性物質を含む汚染水を貯蔵していたわけですから、タンクにも、当然、放射性物質が付着しているわけで、それを除去する事ができるのか、それが分かりません。 水で洗い流した場合、汚染水が更に増えます。 それを貯蔵するために、またタンクを増設し・・・、なんだか、壮大なイタチごっこに陥りそうな気配が濃厚ですな。

「溶鉱炉で溶かしてしまえば?」

  ほほう、ターミネーター式の処置方法ですな。 厄介な物は、溶かして消してしまえというわけだ。 だけど、それは、駄目なんですよ。 放射性物質は、溶鉱炉くらいじゃ、消えないのです。 もう、かなり前ですが、台湾の、とある集合住宅の、とある部屋で、癌患者が続出する事件が起き、調べてみたら、その建物に使われていた鉄筋に、放射性物質が含まれていた事が分かりました。 恐らく、医療用と思われる放射性物質が、鉄屑に混じって、電炉で溶かされ、鉄筋に再生されてしまったのだろうという話でした。 一旦、電炉で、トロトロになるまで溶けているにも拘らず、放射線を出す力は、衰えなかったんですなあ。

「火山の火口に放り込む」

  馬鹿こけ! たった今、 高温では溶けないと言ったばかりだろうが! 噴火して、飛び出して来たら、火山灰と一緒に拡散して、それこそ、世界中が汚染されてしまうぞ。

「太陽に放り込む」

  これは、いい手ですが、打ち上げ失敗のリスクの方が大きいです。 また、量が多いので、資金的にも、そんなに大量のロケットを打ち上げるのは、不可能です。 話にならん。 計算するのも馬鹿馬鹿しい。

「深い穴を掘って、埋める」

  素朴で、ロー・テクですが、実は、これが一番、有効かも知れません。 ただ、場所が問題になります。 福島第一が、あんな状態では、今後、放射性物質を埋めさせてくれる自治体は、出て来ないのではありますまいか。 地下は、地震には強いですが、それは、地下鉄のように、金をかけて、頑丈な造りにした場合の話でして、炭鉱に落盤事故がつきもののように、簡単な構造だと、却って危険です。 今後、どれだけ、放射性物質絡みの廃棄物が出るか分からない事を考えると、コスト的にも、賄いきれなくなる恐れが大きいです。

  穴と言えば・・・、時折、思うのですが、今後、福島第一の状況が、どうにも手の打ちようがなくなってしまった場合、原子炉建屋のすぐ隣に、大きくて深~い穴を掘り、メルトダウンも、再臨界も覚悟の上で、建屋ごと、その中に落として、土をかけて、埋めてしまう、というのも、最終手段として、有効かも知れませんな。 非常に荒っぽいやり方ですが、汚染水の増大で、世界が滅びるよりは、ずっと良い・・・。


  話は変わりますが、2020年の五輪開催地が東京に決まった時、「え? 本当に、日本でいいの?」と思ったのは、地方に住む日本人とドイツ人だけではありますまい。 これだけ、汚染水問題が騒がれていて、世界的にもニュースになっているのに、敢えて、日本の都市を選ぶ、IOCの気が知れない。 頭、大丈夫か? いくら、体育会系が雁首揃えているからといって、放射線が、どんなものかくらい、分かってるよな? 分からんのかな? 分からんかもしれんなあ・・・。

  日本の首相が、スピーチで、「完全にコントロールされている」と言ったから、それを信じた? アホけ! 普通に、ニュースを見ていれば、そんなの、嘘だって、すぐに分かるだろうに! 嘘を言う方も悪いが、常識的に考えて、明らかに嘘なのに、嘘と見破れない方も、勝るとも劣らないくらい、悪い。

  それにしても、日本の政治家も、失言、暴言、妄言と来て、とうとう、国際舞台で虚言まで弄するようになったか。 汚染水が、無際限に増えており、更に、漏れてまでいる、という状態が、仮に、コントロールされたものであるとするならば、福島第一の事故処理の目的は、収束ではなく、拡大であり、求める先は、人類の絶滅という事になってしまうが、それでよいのか? 確か、この首相、かつて、日本の教育制度について語っていた時、「論理的な思考能力を身につけさせ・・・」とか言っていたような記憶があるのですが、自分が滅茶苦茶な論理を口にしている事には気付いていない様子。

  また、このスピーチについて、疑念を表明したのが、ドイツを除けば、近場の韓国と中国 だけだったというのも、薄ら気味悪いです。 他の国の連中は、本気で信じたのかね? どうなっても、知らんぞ。 確かに、7年くらいでは、汚染水タンクの数が加速度的に増えたとしても、東京まで、タンク置き場になるという事はないと思いますが、今後、福島第一に注ぎ込まなければならない国費の事を考えると、「五輪どころの話ではない」という気が、強烈にします。 五輪を東京で開催する事により、日本政府が福島第一に回せる金額が減るのは疑いないところですから、そうなると、IOCは、人類の破滅を後押しした事になりますな。


  ちょっと、テーマがズレますが、五輪開催地問題だけに限って言えば、東京に決まったのは、消去法の結果という感が濃厚ですな。 その、つまり、最有力候補だったイスタンブールが、反政府暴動と、隣国シリアの内戦で、不安要素が高まり過ぎて、没になったのが最大の原因。 もう一つの候補地であるマドリードは、最初から、選考委員の念頭に置かれていなかったのではないでしょうか。

  だって、スペインは、ついこないだ、バルセロナでやったばかりですけんのう。 スペイン人にしてみれば、バルセロナはカタルーニャで、マドリードはカスティーリャで、異なる文化圏なのでしょうが、外国人から見れば、同じ国の二都市に過ぎません。 一国内の地域間の張り合いを、五輪招致の場に持ち込んだのでは、嫌悪感を抱かれても、致し方ありますまい。 ただ、私個人の意見としては、イスタンブールがだめなら、マドリードでやって貰った方が、ありがたかったです。 日本で五輪に割く国費を、福島第一に回せたからです。


    話を戻します。 地下水を遮断するための、≪凍土壁工法≫ですが、あれも、何だか、怪しい技術ですねえ。 え、なに、ずーっと、冷やし続けるんですか? えらい、電気代がかかりそうですな。 冬はともかく、夏も、ずーっと? マジ? 常識的な感覚で考えると、非常識極まりないやり方としか思えないのですがね。 本来は、トンネル工事などで、地下水が湧き出て、コンクリートを施工できない時に、一時的に、地下水を凍らせて、空間を確保し、工事を進めるための工法らしいです。

  恐らく、福島第一で地下水が問題になっているから、地下水を止める方法という事で、土木関係者から、「こういう工法も、あるにはありますがね」という程度の意見が出されたのを、藁にも縋るつもりで、飛びついたのではないかと思いますが、場違いというか、お門違いというか、エアコンの代わりに、冷蔵庫のドアを開けるような、アホっぽい違和感を覚えないでもなし・・・。

  そもそも、凍らせるためには、器具を地下に埋めなければならないわけですが、どうせ穴を掘るなら、幅広く掘って、地下水を一旦凍らせた上で、コンクリートで壁を作った方がいいんじゃないでしょうか? 要は、地下水を遮断できればいいわけで、氷でなくてもいいんでしょうが。 というか、コンクリートの方が、より良いでしょうが。 完成してしまえば、その後、電気代を使い続ける必要が無いわけだし。

  それはそれとして、原子炉の敷地という、かなりの広い面積を囲むように地下水を遮断してしまって、地盤に悪影響は出ないんでしょうかね? 地下水が涸れるというと、真っ先に思いつくのが、地盤沈下ですが、原子炉が地下に落ち込んでしまう危険性も、もちろん、想定してあるんでしょうな。 「思ってもいませんでした」では、済まんでよ。

  更にそもそも、地下水を凍らせて壁を作るほどの技術があるのなら、原子炉そのものを凍らせた方が、早いのではありませんかね? 電気代はかかりますが、対象範囲が狭いから、原子炉の敷地全体を覆うより、ずっと安く上がるでしょう。 そうしてしまえば、汚染水を、これ以上増やさなくても済むという、途轍もないメリットがあります。


  放射性物質の除去システムで、最後まで取り除ききれないのが、トリチウムだそうで、これは、自然界にも存在するため、その濃度にまで薄めて、海に放出するという提案が出ています。 しかし、そりゃ、まずいんじゃないですか? 一見、自然界の濃度と同じだから、何の問題も起こらないように見えますが、地球全体で見れば、トリチウムの量は、確実に増えるわけで、放出前と放出後は、決して、同じではありません。

  塩に例えてみれば分かります。 人工的に作った塩を、海水の塩分と同じ濃度にまで薄めて、海に放出し続けたとします。 地球全体の水の量は一定なので、人工の塩を足している分、当然、海水の塩分濃度は、どんどん高くなりますわな。 いずれ、死海のように、生物が住めなくなるほど、しょっぱくなるでしょう。 トリチウムも、同じ事です。 僅かずつとはいえ、トリチウムの濃度は、どんどん上がって行きます。 この提案には、物事を地球全体のスケールで考えていないという、重大な欠陥があります。

  この提案をした人が、「他に方法は無い」と付け加えたのも、気になります。 これは、≪神風特攻隊≫などと同じ発想でして、「他に方法は無い」と言ってしまえば、どんな無茶苦茶な事でも、通ってしまいます。 他者に対して、思考停止を強要する言い回しなんですな。 たとえ、本当に、他の方法が無くても、それは言ってはいけないのです。


  事故処理に関して、「外国の技術や知見を活用せよ」という意見が、多く見られますが、それは確かに、もっともな話だと思うものの、この種の事故の前例が、スリーマイル島とチェルノブイリの二件しかなく、その内、規模的に比較できるとなると、チェルノブイリだけになるのですが、そのチェルノブイリでは、メルトダウンした核燃料を、直截、コンクリートで固めてしまったために、汚染水問題は発生しておらず、参考にならないという問題点があります。

  東電や日本政府は、福島第一の事故を少しでも小さく見せるため、各原子炉で、冷却水の循環経路が生きている事を強調しようと、水で冷やす事に拘り続けたように見受けられるのですが、むしろ、チェルノブイリのように、コンクリートで強引に固めてしまった方が、後の始末が良かったものと思われます。 チェルノブイリでも、汚染水問題というのは存在するのですが、それは、石棺の隙間から浸みこんだ雨水が、汚染されて地下まで流れているのではないかという疑いの事で、福島第一の汚染水問題とは、規模と次元が違います。

  言わば、福島第一の事故パターンは、前代未聞なのであって、外国の経験は、ほとんど役に立たないでしょう。 「何とかしてくれ」と泣きついても、泣きつかれた方が困ってしまう。 この事故の処置が可能とすれば、マンハッタン計画や、アポロ計画に匹敵する、専門家集団の結集と、強力なリーダー・シップを持った政治家が必要になると思いますが、専門家といっても、この種の事故処理の経験がある者はおらず、リーダー・シップに至っては、嘘をついて、事故を小さく見せる政治家がいる始末で、話になりません。

  事故処理の指揮そのものを、国際機関に任せてしまえば、日本政府としては、気が楽になりますが、そんな機関は、存在しないと来たもんだ。 IAEA? 駄目駄目、あんなの! 元々、核兵器の保有国を増やさないために、核物質の監視をするのを目的に作られた組織で、原発の事故処理なんて、専門外もいいところ。 廃炉や、メルトダウンした燃料の取り出し、汚染水対策の、どれに対しても、有効な技術は、何も持っていません。

  そういや、IAEAの事務局長は、2009年の12月に就任した日本人ですが、なんで、福島第一の事故が起こった時に、出身国の責任を取って、辞任しなかったのか、大いに解せません。 辞任どころか、この人が、事故直後にやった事は、「福島第一の事故は、同じレベル7でも、チェルノブイリの事故に比べたら、遥かに軽いものであるから、両者を区別するために、新たな区分を設けるべきだ」という提案でした。

  いやあ、いかにも、日本人の発想だわ。 そんな下らない提案をしている場合だったのかね? 国の面子を保つ事しか頭になかったのかね? 解決すべき問題は、事故そのものではなかったのかね? 私は、これを聞いた時、こういう人物に何かを頼るのは、とても無理であり、こういう人物が長をしている機関にも、何の期待もできないと思いましたが、案の定、その通りになっています。


「いざとなったら、アメリカが何とかしてくれる」

  わははは! 漠然と、そう思っている日本人は、たくさん、いるでしょうねえ。 実は、私も、心のどこかで、それを期待している事に気付いて、何度も、虚しい思いを味わっているんですよ。 他者に縋らなければ、解決できない問題を抱えているというのは、情けないものですなあ。 だけどねえ、現段階で、何も言って来ないという事は、アメリカ政府は、この件について、直截タッチするつもりは無いという事だと思いますぜ。 政府だけでなく、原子力関係の科学者からも、何の意見も出ないというのが、この上なく、不気味・・・。

  非常にまずいのは、1980年代から、90年代初め頃にかけて、アメリカ人の意識に刷り込まれた、≪ジャパン・アズ・ナンバー・ワン・イメージ≫が、未だに、どこかで生きていて、「ハイテクが得意の日本人なら、どうにかするだろう」などと、思われてしまっている場合です。 なーに、言うとるとですか! そんなの、遥か昔の事ではないですか! そもそも、日本人は、ビッグ・サイエンスは、大の不得意で、原子力技術で、他国より優れたものなんか、一つも持っちゃいないんですよ。 根拠の無い買い被りは、やめて下さい。 ほんっと、勘弁して。

  むしろ、「厄介事を持ち込まれては、迷惑」とばかり、無視しようとしているのなら、その方が、まだマシです。 放射性物質が太平洋に大量に流れ出して、アメリカ近海で獲れる魚介類にまで、被曝が観測されるようになれば、否が応でも、乗り出して来てくれると思うからです。 アメリカが出て来さえすれば、必ず解決するというわけでもないと思いますが、それでも、日本人だけでやっているよりは、気分的に楽です。


  話は、日本の事に戻りますが・・・。 地元の漁業関係者が、汚染水問題の抗議者代表のような形で、テレビに頻繁に出て来ますが、これがまた、誤解を招く恐れあり。 漁業関係者が抗議をしていると、テレビを見ている他の人達は、「ああ、漁師の衆等は、困ってるんだろうなあ。 でも、こっちには関係ないや」と、軽くスルーしてしまうのです。 いやいやいや、関係あるんだよ。 漁ができないだけじゃ済まないんだよ。 このまま進めば、みんな、死んでしまうんだよ。 

  福島第一の敷地だけが、永久立入禁止区域になるだけというなら、さしたる問題ではないですが、放射性物質を含んだ汚染水は、汲めども尽きぬ泉の如く、次から次へ、どんどんどかどかと溢れ出て来るのであって、その内、福島県全体を覆い尽くし、やがて、東北全体を覆い尽くし、いずれ、日本列島全体を覆い尽くし、同時に、太平洋全体を覆い尽くし、ゆくゆくは、七つの海を制覇し、最終的に地球全体を征服し尽くすのは、時間の問題に過ぎません。

  扱えもしないくせに、危険な技術に手を出して、案の定、取り返しのつかない重大事故を起こした日本の原発推進派だけがくたばるというなら、自業自得として、大いに納得できるところですが、放射線が、各人の思想信条で、殺す相手を選別してくれるわけもなく、反対派まで命を奪われるというのだから、怒髪天を衝くなという方が無体というもの。 なんで、俺が死ななきゃならん!

  黒澤明監督の≪生きものの記録≫の中に、主人公が、核兵器の存在にぶち切れて、「馬鹿なもの、作りやがって!」と怒鳴る場面がありますが、今の福島第一の有様を見ると、こちらの状況の方が、そのセリフに、より相応しいと思えて仕方が無い。 馬鹿どもが、自分の馬鹿さ加減に気付かないまま、馬鹿な物を作り、自滅するというのですから。

「ば、ば、ば、馬鹿なもの、作りやがって!」

  滅亡するのが、日本人だけなら、まだ始末がいいのです。 一応、民主主義制度で運営されている社会ですから、馬鹿な連中に危険極まりないオモチャを預けておいた責任は、歴代政権にあり、その政権を選んだ国民にも、相応の責任があるという論理が成り立つからです。 しかし、福島第一から生み出される放射性物質は、日本人が全員死んだ後も、止まらないのであって、むしろ、日本列島が無人になれば、管理放棄された全原発が、福島第一の数十倍の規模で、放射性物質を吐き出し始め、人類滅亡へのカウント・ダウンは、更に加速されるという、恐怖と戦慄の悪循環・・・。

  原発を一基も持っていない国の人々は、激怒どころの話じゃないでしょうなあ。 激昂でも追いつかぬ。 血の涙を流して、地団駄踏むと思いますね。 こんな理不尽が、許されて、いいものかと。 何の罪もないのに、名前も知らんような遠い外国の、馬鹿な連中の、馬鹿な不始末のせいで、死ななければならんのですから。

  ああ、そうそう、将来、日本が住めなくなる事を見越して、外国へ移住しようと思っている日本人の皆様方に、お知らせがあります。 やめときなさい。 事態が悪化してくれば、いずれ、殺されます。 ただ、殺されるだけではなく、惨殺されると思います。 だって、そうでしょう。 人類滅亡のきっかけを作ったのは、日本人なんだよ。 日本人のせいで自分達まで死ななければならなくなった、その国の人間が、日本人を赦すわけねーじゃん。 もーう、惨殺ですよ。 女子供も老人も関係なく、切り刻んで、皆殺しだね。

  筒井康隆さんの初期の長編に、≪霊長類 南へ≫という作品があります。 核戦争後のパニックを描いた話ですが、小松左京作品と違って、とことん、人類の愚かさを扱き下ろしており、ある意味、痛快、ある意味、絶望的な気分になります。 しかし、まさか、筒井さんも、自分の国の原発が原因で、似たような成り行きが予測される事態に至るとは、思っていなかったでしょうなあ。 この作品が書かれた時代の人達は、世界は核戦争で滅びると思っていた。 ところが、実際には、平和利用のはずの、原発で滅びるという皮肉・・・。


  だけどねえ、人類が滅亡するだけなら、まだ、いいんですよ。 人間活動のせいで、地球の生態環境が破壊され続けていて、人類の存在そのものが、地球の負担になっているという見方もできますから、それがいなくなれば、植物と動物だけの原始の地球に戻って、平和で安らかな時代が訪れるというわけです。

  ところが、放射線は、動植物まで、容赦なく、殺してしまうんですな。 一気に、生命発生の前、35億年の昔まで、戻ってしまうのです。 しかも、放射性物質が邪魔をしている限り、新たな生命が生まれないと来たもんだ。 えらい事ですわ。 大変な事ですわ。 こんなスケールの大きな罪が、未だ嘗て、地球上に存在したでしょうか?

  スタニスワフ・レムの長編SFに、≪エデン≫という作品があります。 その中に、異星の知的生命体が、高度な文明を持っていながら、原子力の開発をタブーにしているという設定があります。 読んだ時には、なぜ、タブーにしているのか、理屈でしか理解していなかったのですが、今、現実に、原子力の暴走を目の当たりにすると、この設定の重さが、よく分かるような気がするのです。

  怖い・・・。 本当に、怖い。 人類の叡智など、その猛威の前では、何の力も持っていないかのように見えます。