2013/08/11

映画批評(15)

   これまで、このブログの記事を書かない理由を、あれこれと捻出し、書き並べて来ましたが、今回は、前代未聞です。

「あーついっ!!」

  「暑い」と書くより、「熱い」と書いた方が、しっくり来るほど、無茶苦茶に熱い! どうにかこうにか、体力をやりくりして、夏の連休に漕ぎつけたものの、「休みに入ったんだから、ブログの記事を書く時間も、たっぷり取れるだろう」などと夢想していたのが、浅墓千万な思い違い。 外は灼熱地獄、中は熱帯温室、あまりの暑さに三歩あゆめず、心頭滅却なんぞ、坊主の戯言としか思えず、昼は勿論、夜になっても、ちっとも涼しくならず、無料サウナで、気分はフィンランド・・・、もはや、何を書いているのかも分からぬ始末。

  こりゃあ、なんだね。 人間の頭も、電子回路と同じで、作動に適度な温度域というのがあって、それから外れてしまうと、パッパラプー状態になってしまうんですな。 また、パソコンを置いてある自室が二階にあるものだから、クール・スカーフを巻き、扇風機を全開にしても、全く体感温度が下がらないと来たもんだ。 死ンデジマウ~・・・。 あー、やめたやめた、たかが、ブログの記事を書くために、命なんか懸けてられますか。

  というわけで、困った時の、映画批評です。 ちなみに、今現在、大量に買い込んだ、筒井康隆さんの文庫本を読むのに、時間とエネルギーを割いているため、映画は、一本も見ていません。 面白いもので、見てる時は、日に三本見ても、まだ物足りないのに、見ないとなると、一本の冒頭部分だけでも、ストーリーに頭をシンクロさせるのが面倒で、見たくなくなるんですな。



≪潜水服は蝶の夢を見る≫ 2007年 フランス・アメリカ
  実話の難病物。 フランスの有名雑誌編集長が、突然、全身麻痺を起こして、左目の目蓋しか動かせなくなり、瞬きする事によって文字を指定しながら書いた自伝を、彼の死後に映画化したもの。

  潜水服というのは、体の不自由度が高過ぎて、まるで、潜水服を着て、海に潜っているようだから、という形容でして、別に潜水中の事故で、そうなったわけではありません。 蝶というのも、体が利かなくなった主人公が、空想の世界でのみ、自由に飛び回れる、という形容。

  はっきり言って、醜悪で、退屈でして、実話だから、我慢して見ましたが、もし、作り話だったら、途中でやめるところです。 劇的展開に欠ける分を、映像の芸術性で補おうとしているのですが、それが作為的過ぎて、却って鼻につくのです。

  唯一、純文学的な感動を覚えたのは、主人公と元妻だけが病室にいる時に、主人公の愛人から電話がかかって来て、元妻が、二人の会話を仲立ちをする事になる場面。 愛人に、「愛している。 会いに来て欲しい」と伝えるのですが、元妻の気持ちを考えると、たとえ、不治の病であるとしても、主人公の無神経さに、呆れざるを得ません。


≪プレステージ≫ 2006年 アメリカ
  ヒュー・ジャックマンさん、クリスチャン・ベイルさんのダブル主演。 19世紀末のイギリスで、トップ・マジシャンとして人気を競っていた二人の男の、手段を選ばない種の盗み合いの話。 軽いノリは全く無く、相当には、陰湿な雰囲気です。

  先輩マジシャンの脱出マジックのサクラを、二人でやっていた時に、一方の男のミスで、もう一方の男の妻を死なせてしまい、それが原因で、終生の敵対関係になるのですが、その一件の時点で、事故というより事件であり、なぜ、司法が動かなかったのか不思議。 よく見ても過失致死犯である男が、主人公の一人として平然と生きている姿には、釈然としないものを 感じます。

  マジックの種を競い合うだけの話なら、まあまあ、普通に見れるのですが、テスラという実在の科学者が出て来て、しかも、主人公に依頼されて、瞬間移動マジックの種として彼が発明するのが、物質複製機と来ているから、もはや、SF。 ちょっとした小道具のためだけに、SF設定を使うのは、いかがなものか。

  マジックの失敗で、人が死んだり、怪我をしたり、鳩が死んだりする場面は、見ていて、痛々しいです。 マジックの楽しさが、まるで伝わって来ないのが、この映画の一番の欠点でしょうか。


≪ふしぎの国のアリス≫ 1951年 アメリカ
  ディズニーのミュージカル・アニメ。 有名な話なので、何度も作られているのかと思いきや、アニメ化されたのは、これ一本だけの様子。 完成度が高いので、リメイクする必要が無いと考えられているんでしょうか。

  想像力逞しい少女が、時計を持って先を急ぐ兎を追いかけて、庭の穴に飛び込んだら、そこには、風変わりな人間・動物・植物達の世界が広がっていて、変な話を聞かされたり、お茶会に飛び入りしたり、女王に首を斬られそうになったりする話。

  変なキャラばかりで、主人公も些か変人なので、「狂人のパーティー化」を起こしている嫌いが無きにしも非ず。 ただし、話が進んで、主人公が、変な世界にうんざりして、帰りたくなって来ると、まともなバランスになって来ます。

  この作品に一番近い話といったら、≪千と千尋の神隠し≫ですな。 もちろん、こちらの方が、先に世に出ているわけですが。 共通しているのは、どちらも、夢の世界を物語にしたという事。 内容の充実度も、いい勝負です。

  ミュージカルなので、歌う場面がたくさん出て来ます。 その歌の日本語歌詞が、曲と全然あっていないのには、聴いていて顔が引き攣ります。 ただし、これは、日本語版のみの問題点でしょう。 うまく訳せないのなら、原曲をそのまま流して、字幕を付ければよかったのに。


≪RENT/レント≫ 2005年 アメリカ
  元が、舞台ミュージカルだったらしく、これも、ミュージカル映画です。 昔のミュージカル映画は、洒落たものでしたが、現代が舞台になると、どーして、こうも喧しく、わざとらしくなってしまうのか・・・、残念な事です。

  ニューヨークのスラム街で、家賃も払えない貧乏アーティスト達が集まるアパート・ビルが、再開発で立ち退きを迫られる中、HIV感染、ドラッグ中毒、同性愛などで、世間から白い目で見られている住人達が、開発業者や病魔と闘う話。

  ミュージカル場面は、映像と歌詞がひどいものの、曲は今風で、まずまず聴けます。 スラムが舞台であるせいか、絵面が汚過ぎるんですよ。 これが、文化の行き着く先かと思うと、げんなり気が滅入って来ます。 こういう所で、こういう人達を題材に映画を撮って、面白いんですかね?

  後半に、エイズで死亡する者が出て来ますが、生前、思うが侭に生きてきた人物なので、気の毒という感じは全くしません。 立ち退き問題も、そんなに追い詰められるわけでもなく、クライマックスを形成はしません。 ストーリー性は希薄で、単に、スラムのアーティストの生態を、漫然と描いただけの映画になってしまっています。


≪感染列島≫ 2008年 日本
  妻夫木聡さん主演、檀れいさん助演のパニック映画。 高熱を発し、血を吐いて死ぬ感染症が、地方のある病院で発生し、日本中に感染が広まる中、病院の医師やWHOの職員が、患者の治療や感染源の特定に奔走する話。

  一番、雰囲気が似ているのは、≪日本沈没≫ですが、建物が壊れたり、土地が沈んだりするわけではないので、派手さは、10分の1程度。 ゴースト・タウン化して荒れ果てた都市の映像が出て来ますが、みんな病気なら、片付ける人間がいない代わりに、荒らす人間もいないわけで、そうはならないんじゃないでしょうか。

  ウィルスの発生源を、東南アジアの架空の国にしていますが、東南アジアには、10カ国しかないわけですから、架空の国を設定する事自体が不自然です。 日本国内発生でいいじゃないですか。 そうすりゃ、外国を悪者にしなくても済むんですから。

  安っぽい恋愛物を絡めているのは、完全な蛇足。 そういう事をすると、パニック物の命である緊張感が殺がれてしまいます。 人間、命が懸かっている時に、愛だの恋だの言ってはいられないものですよ。 何とも、皮相な人間観察だこと。

  妻夫木聡さんを出せば、どうにか格好が付くと思っている映画監督が多いようですが、妻夫木さんは、線が細いので、情熱的な性格の役には向きません。 むしろ、役所を、檀れいさんと交換した方が、それらしくなったのでは?

  いやいや、どうせ変えるなら、カンニング竹山さんと藤竜也さんが演じている、ウィルス学者達を主人公にした方が、断然、面白くなったと思います。 医師が主人公だと、末端の治療に忙殺されて、大元の感染源の特定に乗り出す展開が、不自然になってしまうからです。


≪脱出≫ 1972年 アメリカ
  ジョン・ヴォイトさん主演、バート・レイノルズさん他が助演。 冒険アクション物。 カヌーで川下りをしようと、山奥へ入って行った四人の男が、川下り中に、地元のゴロツキ二人組と諍いを起こして、その一人を殺してしまい、もう一人の追撃を受けながら、必死で逃げる話。

  ゴロツキ二人が、しょーもないやつらで、殺されて当然という気がするので、なんで、そんなに罪の意識に戦くのか、そちらの方が不思議。 仲間が銃やナイフを突きつけられていたわけですから、それを助けた場合、相手を殺してしまっても、正当防衛が成立するのではないでしょうか。

  躍動的で、パワフルな映像なのですが、逆に言うと、野卑な感じがする映画で、心臓を束子で擦られているような気分の悪さが、終始、続きます。 地元の者も含めて、人間がいてはいけない所に、入り込んでいるような、雑な違和感を覚えるのです。

  当時、ジョン・ヴォイトさんより、バート・レイノルズさんの方が有名だったと思うのですが、彼を主人公にしなかったのは、キャラのイメージが強過ぎるからだと思われます。 しかし、主役級の人を脇役で使うと、どうしても、バランスが悪くなりますねえ。


≪ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ≫ 2005年 アメリカ
  ロバート・デ・ニーロさん主演。 妻が死んだ後、精神的ショックを受けた娘を癒すために、田舎の一軒家に引っ越した精神科医が、娘が遊び相手だと言う、謎の人物の影に振り回される話。

  ホラーと見せかけて、実はサイコ・サスペンス、というのが、この映画の仕掛けなんですが、この仕掛けに、早い段階で気づいてしまうと、面白さが半減します。 ところが、勘のいい人だと、主演が、ロバート・デ・ニーロさんであると知った時点で、それが分かってしまうのです。 この人が、小さな娘がいる精神科医なんて、おとなしい役を、すんなり引き受けるわけがないんですよ。

  ロバート・デ・ニーロさんが、どんな俳優か知らない場合、早くても、後半にならないと、仕掛けが分からないので、まずまず、怖い雰囲気を楽しむ事ができます。 前半は、謎の遊び相手よりも、娘本人の方が怖いです。 この娘も、そういう事情があるなら、周囲の大人に、正直に打ち明ければ良かったと思うんですがね。 映画としては、類似作品がたくさんあるので、二流。


≪白いカラス≫ 2003年 アメリカ
  アンソニー・ホプキンスさん主演、ニコール・キッドマンさんが助演。 アフリカ系に対する差別発言が元で辞職する事になった大学教授が、人生の半分以上に渡って隠し続けてきた自分の秘密を回想しつつ、元夫のストーカーに追われる女と恋に落ちる話。

  秘密というのは、ユダヤ人と称しつつ、実はアフリカ系で、たまたま肌の色が白かったために、ヨーロッパ系を装って生きて来たというもの。 若い頃の主人公を演じている俳優さんは、整形後のマイケル・ジャクソンさんに通じるものがある顔をしていて、「ハーフか、クオーターなんだろうな」と思わせますが、アンソニー・ホプキンスさんは、どう見ても、ヨーロッパ系なので、無理があるのは否めません。

  ニコール・キッドマンさんが演じている女のエピソードが、結構な比重を占めているのですが、そちらは、人種問題と全く無関係であるため、相異なる二つのテーマを、同時進行で追っている形になっており、一つの物語と融合していません。 これは、脚本の不出来というより、企画段階の不手際ですな。 結局、何が言いたいのか、よく分からない映画になってしまっています。


≪Emma エマ≫ 1996年 イギリス
  グウィネス・パルトローさん主演。 原作者が、≪プライドと偏見≫と同じ、ジェーン・オースティンなので、無理も無い事ながら、話の内容も似ています。 映画の制作年は、9年前で、こちらの方が先ですが、出来は、かなり落ちます。

  19世紀初頭のイギリスの田舎町で、友人知人の縁結びを趣味にしていた貴族の娘が、親友の結婚相手を見つける段になって、失敗し始め、自分の意中の相手にも逃げられて、紆余曲折の末、本当に愛しているのが誰か悟る話。

  エマというのは、主人公の名前ですが、自分自身が結婚相手を探さなければならない年齢のくせに、人の世話ばかり焼きたがり、しかも、眼鏡違いで、親友に二度も恥を掻かせるという問題人物。 その上、階級意識が強く、親友が農民から求婚されたのを、破談させてしまうという、しょーもない事までやらかします。 どーして、こーゆー性格の人間を、主人公にするかな?

  ストーリーが浮わついている上に、映像美がほとんど追求されておらず、≪プライドと偏見≫には、遠く及びません。 ただし、≪ジェイン・オースティン≫よりは、主演女優の顔がまともなだけ、マシです。


≪最高の友だち≫ 2004年 アメリカ
  監督・脚本が、≪X-ファイル≫でモルダー役をやった、デビッド・ドゥカブニーさんという、変り種映画。 主人公役で出演もしていますが、冒頭とラストにちょこっと出て来るだけで、主役は、全体の9割近くを占める回想場面で主人公を演じる、中学生の子役です。

  フランスに住む画家の男が、家族の危機に直面し、中学時代までニューヨークで育ったアメリカ人である事を、妻に告白し、どうして、一人でフランスに来る事になったかについて、精神的に不安定だった母、友達だった精神薄弱の四十男、初恋の相手、アドバイスをくれた刑務所の女囚などの思い出を語る話。

  精神薄弱の男を、ロビン・ウィリアムスさんがやっていますが、鶏を割くに牛刀を持って来た感じで、完全に役不足の態を曝しています。 友情出演かなんかですかね? 主人公が関わる人物は四人いますが、精神薄弱の男は、その中の一人に過ぎず、特別、重要な役割というわけではありません。 ロビン・ウィリアムスさんだからと思って、期待していると、とんだ肩透かしを喰います。

  原題の直訳は、≪Dの家≫で、どうも、このDは、デビッド・ドゥカブニーさんの事を指しているようなのですが、よく分かりません。 邦題の影響で、「一体、誰が、最高の友達なんだろう?」と思いながら見ていたのが命取り。 結局、そんな人物なんて、出て来やしないのです。 全く、紛らわしい邦題をつけおって。

  映画としては、バラバラという感じで、とても、及第点はあげられません。 精神薄弱の男との交歓だけに的を絞れば、もっとよくなったんですがね。


≪ティンカー・ベルと妖精の家≫ 2010年 アメリカ
  ディズニーのCGアニメ。 ただし、日本では劇場公開されなかったようです。 シリーズ物の第三作。 ティンカー・ベルといったら、≪ピーター・パン≫に出て来る妖精ですが、このシリーズでは、主役になっており、いわゆる、スピン・オフ物。

  人間が住むメイン・ランドに、仲間とキャンプを楽しみに来たティンカー・ベルが、妖精好きの人間の女の子に捕まって、その子とは仲良くなるものの、助けに来た仲間の一人が、女の子の父親である昆虫学者に連れ去られてしまい、仲間や女の子と共に、ロンドンまで追いかけて行く話。

  こういうストーリーは、割とよくあるパターンですかね。 驚くような展開は、一切無し。 ただし、元々、子供向けである上に、大人が見ても、ちゃちな所は全く無いので、これで充分だと思います。 キャラデが、バービー人形みたいな顔ですが、ティンカー・ベルに限って言うなら、まあまあ可愛らしいと感じる事ができます。 他の妖精は、ちと、悪趣味。


≪96時間≫ 2008年 フランス
  イギリス人のリーアム・ニーソンさん主演ですが、アメリカ人という設定で、舞台はフランスという、ちと、ややこしい映画。 制作・脚本は、リュック・ベッソンさんです。 一般人が主人公の犯罪捜査物。 ノン・ストップ・アクションです。

  別れた妻と暮らしている17歳になった娘が、友人とフランスへ旅行に行くと言い出し、反対しつつも、しぶしぶ許可を与えた、元情報部員の男が、娘が人身売買組織に略取された事を知り、フランスへ乗り込んでいって、単身、組織と戦い、娘を捜す話。

  主人公が、あまりにも強過ぎて、よく考えると不自然なのですが、話がパタパタ進んで、息つく暇が無いせいで、不自然さを感じないまま、ラストまで引っ張られてしまいます。 しかし、見終わった後、落ち着いてよく考えれば、やはり、変な話。

  1人で30人くらい殺していると思いますが、現役の情報部員でも、こんなに殺したら、ごまかしようがありますまい。 まして、引退して、一般人になっている身では、尚の事。 「相手が悪人なら、殺しても許される」という前提に立って、話が作られているのですが、現実には、世界中どの国の法律でも習慣でも、そんなのは、ありえない事です。

  フランス映画なので、フランス人が悪役になっているのは問題無いですが、略取の実行犯をアルバニア人組織にしているのは、如何なものか。 アルバニアの人が見たら、いい気はしないでしょう。


≪ヘア・スプレー≫ 2007年 アメリカ
  元舞台劇のミュージカル映画。 60年代初頭のボルチモアで、地元テレビ局のダンス番組である、≪コニー・コリンズ・ショー≫の熱烈なファンだった、ヨーロッパ系のチビ・デブ女子高校生が、番組の新メンバーになる事に成功し、アフリカ系出演者達との垣根を取り払う為に、運動を起こす話。

  真剣、且つ、深刻なテーマですが、基本的にはコメディー仕立てで、明るい話になっています。 ただし、テーマと雰囲気が完全に融合しているわけではなく、少なからぬ違和感も残します。 笑い飛ばして済むほど、人種問題の根は浅くないんですな。

  主人公は、「チビでデブなのに、ダンスが滅茶苦茶に巧い」という設定なんですが、実際に見ていると、手足が短いせいで、動きがはっきりせず、そんなに巧いようには見えません。 落差を作ろうとして、落差の性質ゆえに失敗した例。

  ジョン・トラボルタさんが、なんと、主人公の母親役で出ています。 特殊メイクで、デブ女に化けていますが、どう見ても、女って顔にはなりませんねえ。 しかし、この映画の最大の見所である事は事実。 逆に言うと、他には、取り立てて、見るべき所がありません。


≪イエロー・ハンカチーフ≫ 2008年 アメリカ
  ≪幸福の黄色いハンカチ≫を、アメリカでリメイクした映画。 ただ、この話の元は、アメリカ人が作った歌であるというのを、山田洋次さんの本で読んだ事があります。 こういうのは、里帰りリメイクとでも言うべきでしょうか。

  ストーリーは、ほぼ同じ。 ≪幸福の黄色いハンカチ≫は、日本人なら、誰でも一度は見た事があると思うので、梗概は省きます。 こちらでは、主人公は、当時の高倉健さんと、ほぼ同年輩ですが、若者二人は、ぐっと若くなり、特に女の方は、15歳になっています。 桃井かおりさんが、ちょい役で顔を出していて、びっくり。

  炭鉱の町だったのが、メキシコ湾岸の海底油田に近い町に変更され、妊娠を知らせる黄色い布も、ハンカチからヨットの帆に変わっていますが、ラストの無数のハンカチは同じ。 そうなると分かっていても、ずらりと並んだハンカチを見ると、目頭が熱くなるから、不思議です。

  ≪幸福の黄色いハンカチ≫では、出所した主人公が、自分が勢いで殺した相手の事を、まるで思い出さず、墓参りもしないのが気になりましたが、こちらでは、事故で死なせた事になっており、その点は、納得し易くなっています。

  民族性に因るものか、主人公や妻が見せる態度に、微妙な違いがあり、「ここで笑うかね?」と首を傾げるような所もあるにはありますが、リメイクとはいえ、別の作品ですから、あまり細かく突つくのも、不粋ですか。 ちなみに、監督は、インド出身のウダヤン・プラサッドさん。


≪RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語≫ 2010年 日本
  中井貴一さん主演。 副題の通りの話。 有名電機メーカーで、取締役に昇進する寸前だった男が、母が癌で入院した事と、同期の友人が事故死した事をきっかけに、自分の生き方を見つめ直し、郷里の鉄道会社に再就職して、子供の頃の夢だった電車の運転士を始める話。

  いかにも、アイデア一つから思いついたという感じで、いろいろと肉付けはしてあるものの、痩せたストーリーと言わざるを得ません。 原作者はいないようですが、どうも、映画会社の企画会議物の匂いが、プンプンします。

  主人公が、出来過ぎの人物で、ほとんど、何の苦労もせずに、運転士になってしまうのですが、思い切った転職が、この映画のテーマであるはずなのに、そこを、さらっと流してしまったのでは、文字通り、話になりますまい。 もっと不器用な人にして、やっとの事で運転士になれた事にすれば良かったのに。

  簡単に、夢が成就してしまうので、唯一の起伏らしい起伏である、子供が電車を動かしてしまうエピソードで、主人公が出す退職願が、軽いものに感じられてしまうのです。 結局、遊び半分で、ちょっと、運転士を経験してみたかっただけなんだろうと、思えてしまうんですな。

  登場人物を、みんな、いい人にしてしまうと、こんな風に、インパクトの無い映画になってしまいます。 いい人ばかりが出て来る映画が、いい映画になるわけではないんですがねえ。 つくづく、中井貴一さんは、作品に恵まれませんなあ。



  以上、15本まで。 2月2日から、2月11日の間に見たもの。 進まんなあ、なかなか・・・。