2013/07/14

生活保護

  あまりにも、ベタなテーマで、恐縮ですが・・・、今、巷で目の仇にされている、≪生活保護≫についての個人的見解を少々・・・。 この問題に関しては、バッシング派と擁護派が、パックリ分かれているようですが、私はどちらなのかというと、コウモリ派です。 ふふふ、卑怯者だと思います?。 いや、それでいいんですよ。 なぜというに、受給者、バッシング派、擁護派の三者を、等しく扱き下ろせて、頗る気分がいいからです。


  まずは、バッシング派よりの意見から、述べましょう。

  生活保護受給者の何が頭に来るといって、人間が…、いや、動物が…、いや、生物が存在する為の根本である、「生きる努力」を放棄してしまっている輩がいる事です。 この地上に暮らしている限りは、生きる為に、最低限必要なものを、確保しなければなりません。 具体的に言えば、食べる物が第一、続いて、眠る場所、衣服などが、人間に必要なものでしょう。

  これらを手に入れるために、誰も彼も、必死で働いているのであって、どんなに、のほほんと暮らしているように見えても、この点に関しては、全員が、真剣勝負をしているのです。 だから、就職は、人生の一大事で、何とか収入にありつこうと、目を血走らせて、職を探すのです。 これは言わば、石ころならぬ生物全てに課せられた、≪業≫と言っても宜しい。

  ところが、生活保護を受け始めた途端、この、根本中の根本ともいうべき責務から、あっさり解放されてしまうのです。 信じられぬ。 バクテリアですら果たしている事を、遥かに発達した生物である人間が、免除されるんですぜ。 これを特権と言うなら、あまりにも突出した特権ではありませんか。 神ならぬ人間が、こんな特別扱いを許して、いいものなのか・・・。

  この世は、生存競争なわけですが、生きる為に必要な物を、自前で調達できなくなってしまった生物は、普通、死にます。 無情に見えますが、これは、生物界全体を覆う、厳然たるルールでして、みんな、このルールに違反するのが恐ろしいばかりに、せっせと働いているのです。

  そりゃあ、遊んで暮らしが立つのなら、私なんか、元がひきこもり性質ですから、遊んで暮らしたいですよ。 だけど、そういうわけには行かないんでしょう? 働かなければ、生きていけないのですよ。 収入が途絶えて、蓄えも無くなって、飢え死にするのが怖いから、毎日毎日、嫌々ながら、仕事に出かけて行くのですよ。

  ところが、この根本的ルールに違反している人達がいる。 しかも、それを、「当然の権利」だと思っていて、悪びれもしない輩まで含まれている。 自分で収入を得る事をせず、他人の収入から納められた税金を使って生きている。 ちょっと、驚いてしまいますな。

  譬えて言うなら、信号を無視してもいい特権を持った人間がいるようなものですな。 みんな、事故を起こしたり、巻き込まれたりしたくないから、信号を守っているのに、その特権を持った人間は、信号が青でも赤でも、関係無しに渡れるのです。 羨ましいというより、「そんな事をして、交通全体の秩序が保てるのだろうか?」と心配になってしまいますな。

  もちろん、緊急車両なら、そういう特権も許されるわけですが、生活保護受給者が、緊急車両に相当する条件を満たしているのかどうか、甚だ疑問です。 緊急車両に、さほど腹が立たないのは、その優先通行が重要であるからというより、一時的であるからだと思います。 ちょっと、避けてやって、先に行かせてしまえば、すぐに、通常の交通状態に戻れるから、誰も怒らないんですな。

  しかし、生活保護は、一時的と言うには、あまりにも、期間が長い。 中には、「これから死ぬまで、ずっと受け続ける」という人もいるわけですが、税金を払っている側からすると、見ず知らずの赤の他人を、ほとんど一生、養ってやっているわけで、しかも、貰っている方は、「当然の権利だ」と思っているというのですから、業腹な気分になるなという方が、無体というもの。

  「アリとキリギリス」に譬えるのすら、ピッタリとは当て嵌まりません。 なぜなら、生活保護受給者は、キリギリスのように、音楽を奏でて、周りの人間を楽しませたりしないからです。 むしろ、その存在自体が、周囲の気分を、暗く、殺伐としたものにしています。 辛い思いをして働いている人間が、楽な思いをして働いていない人間を養うという構図が、どうにも、釈然としない。 これを理不尽と言わずして、何を理不尽というのか。

  「1%と99%の対立」に譬えるのも、的外れ。 1%の富裕層は、それなりの才覚があって、富を得ているわけですが、生活保護受給者は、むしろ、逆なのであって、儲ける才覚どころか、最低限必要なものすら手に入れられない人達です。 1%の富裕層は、残りの99%と同じルールで勝負して、勝った人達ですが、生活保護受給者は、ルール外で生きています。 1%の富裕層は、ルール上は、何の特権も持っていませんが、生活保護受給者は、ルール外にいるという、明らかな特権を持っています。


  なんでも、生活保護は、「最後のセーフティー・ネット」だそうじゃないですか。 つまり、喰えなくなって、死ぬ人間が出る前に、社会全体で助けてやろうという発想なわけですな。 進歩的知識人を気取っている連中の中に、「セーフティー・ネット、セーフティー・ネット」と、馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返す奴がいますが、もう、そのセリフは、聞き飽きつつあります。

  そもそも、自然状態なら、セーフティー・ネットなんぞ、ありゃしないわけで、喰えなくなったら、死ぬのが当然。 それが、生命35億年、一貫したルールです。 全ての生物が、それに従って来たのです。 なぜ、生活保護受給者だけが、天命に反する事ができるのか、それが、解せない。

  歴史上、自力で喰えなくなってしまった人間を、行政機関が助ける制度は、様々な国にありましたが、孤児院のように、対象が子供ならいざ知らず、すでに大人になっているのに、たつきの道を失ってしまった人間まで助けていたら、税金がいくらあってもたりますまい。

  2012年の生活保護受給者世帯は、100万を超え、総受給者数は、210万人に膨れ上がっているとの事。 この数値が、どれくらいのものか、擁護派の衆等は、よく分かっていないのではありませんかね? 都道府県の人口ランキングを見ると、210万人と言うのは、長野県215万人と、岐阜県208万人の間に位置します。 順位は、長野が16位、岐阜が17位です。

  21位の岡山県から下、つまり、全都道府県の半数以上は、200万人を割っているので、もし、210万人の県があるとした場合、上下の二区分なら、上位。 上中下の三区分でも、中の上であり、そこそこの大人口を擁していると言えるでしょう。

  で、それだけの規模の県が、まるまる、そっくり、一人の例外も無く、他都道府県の人間が納めた税金で、養われているわけだ。 「おいおい、大丈夫かよ、日本・・・」と、思わなかったら、あんさん、一回、病院行った方がええで。 ≪秘密のケンミンSHOW≫で、こんな県が出て来たら、笑っていられるのは、最初の一分くらいで、後は、心の奥底から湧き起こる怒りを抑えるのに苦労する事になるでしょう。


  生活保護は、憲法第25条の、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という規定に基づいて、法律が作られており、生活保護擁護派は、必ず、これを持ち出しますが、これにも、いろいろと、ツッコミどころがあります。

  まず、確認しておかなければならないのは、憲法で定められているからと言って、全てをそのまま実行できるわけではないという事です。 それを言い出したら、9条なんて、作られた時の理念が全く無視されているわけですが、9条が解釈次第で無視できるなら、25条も、解釈し直せない事はありますまい。

  「憲法で定められているから」というのが、擁護派の主張の拠り所だとすれば、「憲法がおかしいのではないか」と、まず、そこから検討し直してみる事を勧めます。 そもそも、この25条、言っている事が理想的過ぎて、単に、理念を表わしているだけのように感じられるのですが、どんなもんでしょ?

  「健康で」って、体のどこかが悪い人は、ほぼ全国民が該当すると思いますが、それを国がどうにかしてくれるなんて話は、聞いた事もありません。 医療機関にかかって直すにしても、お金は、健康保険と自腹であり、生活保護のように、「貰いっぱ」で受給するわけではありません。

  「文化的な」って、文化的でない人間なんて、いくらでもおるでよー。 動物的本能に任せて生きている人間は、どうなるねん? 別に、どんな生き方をしようが、罪を犯さなければ、それは、個人の勝手でしょうが。 憲法が口を出すような事かいな。

  「最低限の」って、ここですよ、ここ! 生活保護の問題で、重大な焦点になるのが。 生活保護受給者の生活が、最低限とは言えないから、自力で最低限の生活をしている人達が、ブチ切れてしまうのです。 当たり前でしょうが。 必死で働いて、誰にも迷惑かけずに、一社会人として義務を果てしているのに、その一方で、他人の金で喰っている連中が、自分達より、ゆとりがある生活をしていたら、怒って当然です。

  生活保護擁護派の中に、こういう見方を、「貧乏人のひがみ」として、斬って捨てている輩がいますが、そういう奴らこそ、生活が苦しい人間の気持ちが全く分かっていないのであって、馬鹿丸出しとしか言えません。 大方、自分は、いい勤め先に就職し、そこそこの高給を取って、生活に困った事など無いものだから、ギリギリの生活をしている人間の事を、軽蔑しきっているのでしょう。

  ギリギリの生活であっても、自力で生きている人間を小馬鹿にして、自力で生きていけなくなってしまった生活保護受給者の方を擁護しているのですから、この連中の感覚には、首を傾げざるを得ません。 何とか、辻褄が合う推量をするとすれば、腹の底では、「貧乏人なんぞ、死ねばいい」と思っているのに、進歩的知識人を気取って、「弱者の味方」を演じているだけなのでしょう。 うーむ、心底、鼻持ちならない。

  いるんだわ、こういう救いようのない馬鹿が。 ある意味、生活保護受給者本人よりも、その擁護派の方が、始末が悪い。 そんなに救いたいなら、税金ではなく、あんたら擁護派が出し合って、義捐金でやってくれ。 他の貧乏人から吸い上げた金で、「セーフティー・ネット」を運営するのは、やめてくれ。 な。

  あんたら、高給取りには、ピンと来ないだろうが、貧乏人にとっては、ほんのちょっと、税負担が軽くなるだけでも、生活のゆとり度が、全く違ってくるんだよ。 生活保護受給者に与えられる分の税負担が無くなれば、生活保護受給者より、多少なりとも豊かな生活ができる人間が増えるくらいにな。

  あんたらが、生活保護を擁護すればするほど、ギリギリで自力生活している人間は苦しくなるというわけだ。 一体、あんたらは、何の為に、大仰な論陣を張っているんだ? 人を助ける為か? それとも、人を苦しめる為か?

  ギリギリの生活であっても、自力で生きている人と、生活保護に頼っている人とでは、天地の差があります。 前者は、35億年の生物のルールに、何の恥じるところも無く従っていますが、後者は、そうではありません。 自然状態なら、死んでいる人間です。 なんで、死んでいるはずの人間が、大手を振るって生きてるのよ? 素朴な疑問が湧かんかね?


  生活保護の何が問題だといって、それを許容すると、生きる事を軽く考えてしまう傾向が出てくる事ですな。 本来…、というか、実際に、生きる事は、大変、厳しい事なのですが、それを忘れてしまう。 一旦、職を失ったら、野垂れ死にや、アパートで独居餓死なんて、すぐそこです。 それが恐ろしいから、必死で働くのです。

  就活が思わしくなくて、青い顔をしている学生達も、生活保護受給者には、複雑な思いがあるでしょうなあ。 就職しなければ、人生が前に進まない事は分かっている。 ところが、その一方で、働いていないのに、国から金を貰って、生活している人間が、210万人もいる。 それで暮らせるなら、こんなに苦労して、企業を巡り、人事担当のボケジジイどもに、作り笑いで愛想を振りまかなくてもいいではないか、と・・・。

  「喰っていけないから、わざと罪を犯し、刑務所で衣食住を確保する」というのは、古今東西、よくある話ですが、ギリギリで自力生活している者の目から見ると、生活保護受給者は、この種の犯罪者より、尚、図々しく感じられます。 刑務所で暮らすのは、罪の軽重に関係なく、後ろ暗い事ですが、生活保護を受けるのは、当然の権利だとされており、法律上は、恥じる事が全く無いからです。

  生活保護の問題が、注目されればされるほど、それを「恥」と思う感覚が鈍くなり、受給申請者が増える可能性が高い。 擁護派が、「当然の権利」と言えば言うほど、受給者が増える。 そりゃそうだわな。 恥でもなく、当然の権利なら、体や頭を酷使して働くよりも、家に籠って、生活保護で暮らしていた方が、断然、健康的です。 私も、そうしたいです。 是非。


  個別の事例ですが、以前、ニュースで見た、「生活保護受給者の優雅な生活」には、開いた口が塞がりませんでした。 どこかの爺さんでしたが、映画鑑賞が趣味で、アパートの部屋に、壁一面の本棚があり、そこに、映画のDVDが、ズラリと並んでいるのです。 生活保護費の一部で買ったのだと思われますが、たぶん、当人は、「節約して、捻出したお金だから、問題無い」と思っているのでしょう。

  だけどねえ・・・。 私も、映画は結構好きだけど、DVDなんて、高くて、とても買えませんよ。 一応、大企業の部類に入る所に勤めているけど、今までに買った映画のDVDと言ったら、≪スウィング・ガールズ≫の一本きりです。 「映画を見るくらい、いいじゃないか」の一言で、DVDの大コレクションを正当化するのは、相当な無理があるでしょう。 テレビで、只で、見る事もできるのですから。

  自力で生活している人間ですら、浪費を恐れて、控えている事を、なぜ、生活保護受給者が、平気でやっているのか。 たぶん、貰ったお金だから、そのありがたさが分からなくなってしまっているのでしょう。 もし、自力でギリギリの生活をしていたら、DVDを買おうなどとは、思いつきもしないはずです。

  パチンコ・競馬など、ギャンブルに使っているのは、もはや、論外ですな。 また、馬鹿な、自称、進歩的知識人どもが、「とはいっても、パチンコや競馬をやる事は、違法ではないですよね」などと、馬鹿丸出しの擁護をしているわけですが、話にならん。 生活保護を受けている人間が、ギャンブルで浪費しているのが、違法でなかったら、それは、法律の方がおかしいんだよ。 何なんだ? よりよい社会にしたいのか、それとも、現状で違法でなかったら、何でもオッケーなのか、どっちなんだ?

  もう一つ、生活保護受給者によくある言い草で、呆れる奴を一席。

「私は、○○の事情で、生活に困り、○年○月から○年○月まで、生活保護を受給していました。 しかし、そうやって育てた子供達は、今では立派に就職して、税金を納めています」

  ふふふ、凄いでしょ。 生活保護を受けていた事の後ろめたさを逆転させて、自慢してるんですよ。 ふざけんなよ。 税金を納めるのは、当たり前だよ。 そんな事が自慢になるか! 生活保護を受けていない人間は、あんたが、税金を納めずに、逆に、税金から生活保護を受けていた間も、税金を納めていたし、今も納め続けているんだよ。

  こういう、とてつもない勘違いを起こしている人間には、生活保護で受給した金額を、後から、返納してもらってはどうでしょう。 そーんな、自慢するほどの子供がいるなら、返せるでしょう。 いいや、返してもらえば、他の納税者も、文句は言いませんよ。 自慢するなら、貸し借りをチャラにしてからにして下さい。

  いっそ、生活保護という制度はやめて、生活費貸与制度に切り替えたらどうでしょう? 返す事が前提なら、緊張感が生まれて、遊興に浪費するような事もありますまい。 返せない場合は返せないで、仕方がないわけですが、最初から、そう言ってしまうと、べったり頼られてしまうので、あくまで、「返せるようになったら、返してもらいます」という建て前を堅持しておくのです。

  不正受給はもちろんの事、遊興に使っている人間を選別し、受給資格を停止すれば、バッシングは、かなり、トーン・ダウンすると思いますが、果たして、役所にそんな調査ができるのかどうか、大いに疑問です。 定職が無い人間の生活は、ころころ変わるのであって、とても、一人一人のリアル・タイムの状況を、全ては把握しきれますまい。 それでなくても、当今、役所は人手不足で、殺人的労働環境になっていると言うのに。


  さて、バッシング派の意見はこのくらいにして、擁護派の意見に移りましょうか。 なに、すぐに終わります。

  私は、生活保護制度の廃止には、賛成しません。 なぜなら、もしかしたら、将来的に、自分が受給者になる危険性があり、その時、この制度がないと、死ぬ事になるからです。 野垂れ死にや独居餓死に、一抹のロマンを感じないでもないですが、それはあくまで、想像の中の話。 腹が減って、喰う物がない時の辛さも知っているので、縋る物があるのなら、確保しておきたいと思うわけです。

  気勢を上げているバッシング派の諸氏よ。 明日はどんな風が吹くか分からないから、あまり、過激な攻撃はせん方がいいぞ。 今、職があって、収入が安定していても、いつまでも、その生活が続く保証はありません。 「もし、自分が喰い詰めてしまったら・・・」というシミュレーションは、しておくに越した事は無いです。

  会社なんて、景気の動向次第で、いつ潰れるか分かりませんし、たとえ、会社がしっかりしていても、ちょっと、上司と言い合いになって、左遷された挙句、頭に来て退職とか、同期や後輩に出世競争で負けて、頭に来て退職とか、そんな事例は、枚挙に暇がありません。 一番馬鹿っぽいのは、ネットで、反社会的な言論を弄び、大ごとになって、退職に追い込まれるケースですが、こういうのは、まあ、生きていても有害なだけだから、生活保護を断固拒否して、死んでくれても、問題ないか。

  生活保護受給者の遊興実態を密告させる条例を作った自治体があり、それ自体も、かなり怖い発想ですが、密告された内容が、また、えらいいい加減で、生活保護を受けていない人を、勝手に受給者だと思い込んで、「ギャンブルに通ってる」と通報して来たケースが、相当な数に上ったとか。 まったく、他人の目というのは、恐ろしいものですな。 おちおち、高い物も買えません。

  これだけ、コミュニケーションが希薄になった時代でも、まだ、近所の人間の行動を監視している、「国防婦人会」みたいな、キチガイどもが、うじゃうじゃいるわけだ。 嫌な世の中だねえ。 こういうケースでは、誣告罪で、訴え返せないものでしょうか。


  生活保護制度の今後ですが、バッシングを封じ込めつつ、この制度を維持するには、保険方式に改変した方がいいかもしれませんな。 税金で養ってやっていると思うから、頭に来るのであって、健康保険や雇用保険、介護保険のように、財源を別に用意すれば、さほど、腹も立ちますまい。 「払い込んでいたのだから、貰うのは、当然の権利」というのなら、筋が通っているわけだ。 まあ、いずれにせよ、いつかは、破綻すると思いますが。

  考えてみると、日本国の財政は、半分が借金なのに、210万人も、只で養ってやっているわけで、こりゃ、恐ろしいこってすな。 一般家庭に譬えたら、多重債務で首が回らない家で、居候を喰わしてやっているようなものですが、常識的に考えたら、破滅へ向かって爆走している感じはしますねえ。