2013/06/09

映画批評⑬

  ドストエフスキーの≪未成年≫ですが、600ページあるところ、まだ、210ページしか読んでいません。 これは、≪白痴≫以上に、何が言いたいのかよく分からん話ですな。 いや、詳しい感想は、読み終わってからでないと、書けませんけど。

  家で読んでいると、寝てしまうので、会社に持って行って、休み時間に読んでいるのですが、それだと、一日25ページくらいしか進みません。 一週間で、200ページを超えただけでも、奇跡的というべきか。

  そもそも、読んでいて、寝てしまうというのは、つまらん証拠でして、つまらんものを読むのに、長い時間を割くのは、馬鹿馬鹿しいという気がせんでもなし。 しかし、一応、ドストエフスキーですからねえ。 痩せても枯れても腐っても。 文学作品にもブランド価値というものがありまして、「ドストエフスキーの長編を全て読んだ男」の称号には、やはり、魅力があるわけです。

  ちなみに私は、「トルストイの長編を全て読んだ男」の称号をすでに持っています。 トルストイは、長編が少ない上、一番長い、≪戦争と平和≫が、眠気を催す隙が無いくらい面白いので、割と簡単に攻略できるのです。 称号を手に入れてから、かれこれ、20年になりますが、いつか、人に訊かれたら、さりげなく自慢してやろうと、虎視眈々、機会を窺っているものの、未だに、誰にも訊かれていません。

  そりゃそーだよねー。 露文専攻の大学生でもない限り、トルストイの話題なんて、普通、口にしないものねえ。 かなりの読書人同士ですら、そんな会話はしないかも。 あまりに大御所過ぎて、話題にするのが気恥ずかしいという、屈折した抵抗感があるんですな。

  そんな事はさておき、記事を書く時間が無いので、またまた、映画批評です。



≪Re:プレイ≫ 2003年 アメリカ・イギリス
  事故で一度死にかけ、蘇生したものの、過去2年間の記憶を失った男が、妻や兄の婚約者に会うが、思い出せず、同じ事故で死んだ兄の本当の死因を巡り、現在と2年前の意識を行き交いながら、次第に、事故の真相を思い出して行く話。

  現在と2年前の場面が、交互に出て来るのですが、回想ではなく、主人公の意識の時間軸は一本なので、まるで、タイム・スリップ物のSFのような、不思議な感じがします。 しかし、これは、主人公が記憶に障害を負っていて、過去の記憶が、現在の事のように感じられてしまうという設定なので、SFではありません。 むしろ、ホラーに近いか。

  舞台は、ほとんど、主人公の家と病院の中だけで進行します。 2年前に、主人公が同じ病院に入院していた事を証明する為に、心臓の移植待ちで、2年間ずっと、入院し続けている人物を探す場面は、ぞくぞくします。

  雰囲気は面白いですが、サイコ・サスペンスの枠を応用しているだけなので、見終わって、謎が解けると、「なんだ、そういう事か」と、些か白けます。 もうちょっと、知名度の高い出演者だったら、また、印象が違ったかもしれません。


≪ライフ・イズ・ビューティフル≫ 1998年 イタリア
  ロベルト・ベニーニさん、監督・脚本・主演。 この方、≪ダウン・バイ・ロー≫で、陽気なイタリア人を演じていた人ですな。 この映画でも、無茶苦茶に明るいです。 話は暗いのに・・・。

  陽気で前向きな上に、機知に富んだ、ユダヤ系イタリア人の男が、小学校の女教師と恋に落ちて、結婚し、息子も生まれるが、ある日、ナチス・ドイツにより、親子三人で終末収容所に送られてしまい、息子を不安にさせないために、「これは、賞品が貰えるゲームだ」と言い通す話。

  前半と後半に分かれていて、結婚するまでの前半は、完全にコメディーです。 明るく楽しく、緊張感ゼロ。 ところが、後半になると、突然、収容所送りになり、雰囲気が180度、ガラリと暗転します。 これだけ、極端な変わり方をする映画も珍しい。 というか、私は、これ一本しか知りません。

  木に竹を接いだような展開なのですが、これが、極端な落差を生み出して、見る者の心を引き裂んばかりの効果を発揮します。 重労働の先には、死しか待っていない収容所の、絶望的なムードの中で、最後の最後まで明るく振舞う事を忘れない主人公を見ていると、どんなにひねた人間でも、絶句せざるを得ません。


≪抱かれた花嫁≫ 1957年 日本
  有馬稲子さん主演。 いや、実は、必ずしも主演というわけではなくて、群像劇なのですが、他に、今でも名前が知られている人がいないので・・・。 東京の下町の寿司屋を舞台に、母、娘、その兄弟達の結婚を巡って、騒動が起こる話。

  ≪肝っ玉かあさん≫や≪ありがとう≫といった、往年のホーム・ドラマは、この種の映画から、派生して行ったのではありますまいか。 飲食店が舞台になる事、しっかり者の母親がいる事、年頃の娘や息子がいて、結婚が主なテーマになる事など、大変よく似ています。

  娘の結婚が中心になるのですが、結婚を前提にして交際してる男がいるのに、見合いをして、その相手が、婿入り修行のために、寿司屋で働くのを許すという設定が、些か解せません。 ちゃんと、訳を話して、断りゃいいじゃん。 結婚する気も無いのに、その気にさせるなんて、相手に失礼でしょうが。

  それだけではなく、他の女と日光に行ってしまった恋人の男を追いかけるために、この見合い相手に車を出させ、あちこち走り回らせるのですが、自分は勝手にバスで帰ってしまって、礼も言わんわ、謝りもせんわ、一体どういう育てられ方をしたんだ、この娘は?

  結局、この見合い相手は、さんざん寿司屋で働かされた挙句に、諦めて身を引いてしまうのですが、気の毒としか言いようがありません。 娘の恋人の男が、優柔不断で、無愛想な上に、さして顔がいいわけでもなく、動物園付きの動物学者などという、金にならない職業に就いている事を考えると、見合い相手の方が、千倍マシだと思うのですがね。

  一応、ハッピー・エンドという事になっていますが、こんなのをハッピーと言うのなら、あまりにも、人間社会の観察が甘いと言うべきです。 特に、見合い相手から、謂れの無い不愉快な思いをさせられた経験がある人は、この娘に幸せになって欲しいなどとは、小指の先ほども願わないでしょう。


≪あかね空≫ 2006年 日本
  内野聖陽さん主演、中谷美紀さん助演の時代劇。 時代劇と言っても、武士ではなく、町人の話です。 当然、斬り合いなどは出て来ないわけですが、昔から、町人だけの時代劇は、地味と相場が決まっており、期待しないで見たら、案の定、予想通りでした。

  京から江戸に出て来た豆腐職人が、深川の路地裏で店を開き、同じ長屋の桶屋の娘と夫婦になって、やがて、表通りに店を構えられるようになるものの、成長した長男が、商売敵に騙され、店を奪われそうになる話。

  内野さんは、豆腐職人と、賭場の胴元の二役で、全編出ずっぱりですから、主演である事は間違いありませんが、この二人、全くの別人なので、どちらが主人公というわけでもない様子。 こういう、中心人物が一定していない話というのは、何となく落ち着かず、見心地が悪いです。 誰にシンクロして見ればいいのか分からないんですな。

  良心的に見れば、一本通った筋はあるわけですが、見る者に、それを探させてしまうようでは、映画のストーリーとして、失格ではありますまいか。 筋が見通し難いと、何が言いたいのか分からず、テーマの見極めもできなくなってしまいます。 そもそも、テーマが存在するかどうかも、はっきりしません。

  中谷さんは、娘役が初々しいですが、制作時の年齢から見て、地ではなく、演技で、そう見せているのであって、「凄い演技力だなあ」と感服します。 その後、母親役になると、ヒステリックな中年女と化すですが、そちらも、たぶん、純然たる演技。 まるまる一世代の年齢を演じ分けられるのですから、驚き入ります。


≪花のあと≫ 2009年 日本
  北川景子さん主演の時代劇。 藤沢周平さんが原作で、舞台は、毎度お馴染みの海坂藩ですが、この作品では、東北方言が出て来ません。

  幼い頃から、父に剣術を仕込まれた娘が、試合をして、唯一勝てなかった下級武士の青年に思いを寄せるようになるが、その男は、嫁と不倫していた上役の罠にかけられて、切腹してしまい、密かに、その仇を討とうとする話。

  元は、短編小説だそうですが、1時間47分、間延びもせず、うまく膨らませてあります。 過去の因縁などが絡んでおらず、話がシンプルで分かり易いためか、却って、登場人物の心の動きを、きめ細かく描き出す事に成功しています。

  北川さんの殺陣は、「よくぞ、ここまで!」と感嘆するほど、見せてくれます。 当人のセンスや努力はもちろん、殺陣を教えた人も、カット割りを工夫した人も、いい仕事をしましたねえ。 女剣士で、これだけ、カッコいいレベルに達したのは、歴史的ではありますまいか。

  持ち上げてから、突き落とすようで、恐縮ですが、北川さんの顔立ちが、江戸時代っぽくないために、時代の情緒を見せ場にしている映画としては、随分と損をしています。 といって、誰なら良かったかと訊かれると、思いつかないのですが・・・。


≪とんかつ大将≫ 1952年 日本
  川島雄三監督作品。 川島監督というのは、≪幕末太陽傳≫を作った人。 この映画は、その5年前の作ですが、明らかに、その5年の間に、一時代が画されています。 つまり、こちらは、かなり古臭いのです。 川島監督も、元は、ただの監督だったか。

  大阪の政治家の息子でありながら、復員後、東京の貧乏長屋に住み着いて、人助けに精を出している医者が、近所の病院の建て増し計画で、立ち退きを迫られた長屋を守るために、一肌脱ぐ話。

  立ち退きを迫られる長屋の話は、昔の日本映画には、呆れるほど、たくさんありますねえ。 マンネリな設定だとは思わないんでしょうか? 決まって、長屋の住人側が善玉で、立ち退きを迫る方が悪玉ですが、持ち家ならいざ知らず、借りている家に居座り続ける方も、相当な連中だと思いますぜ。

  この主人公は、正義感が強く、思いやりがあり、外科手術の名人で、その上、男前で、女がわらわら寄って来るという、正にヒーロー的存在なのですが、あまりにも、良い面ばかりを集めすぎたせいで、キャラ自体が嘘臭くなっています。

  映画全体も、ありふれた設定を集め過ぎていて、オリジナリティーが感じられません。 「どうすれば、よくなった」という以前の、企画段階の欠陥でしょう。


≪武士の家計簿≫ 2010年 日本
  堺雅人さん主演、仲間由紀恵さん助演。 監督は、森田芳光さんですが、正直な感想、監督名を記すほどの作品ではありません。 割と最近、古書店で発見された、加賀藩士の家計簿を元に、研究書が出版され、それを元にして作られたのが、この映画。

  加賀藩に、代々、算用方として仕官していた一家が、幕末を迎えようとする頃に、家計が逼迫し、積み上がった借金を減らす為に、着物や書画骨董など、金に換えられる家財は、みな売り払い、倹約に努めて、破産の危機を乗り越える話。

  で、ですねー、この梗概の部分だけなら、問題無いんですが、その後も描いてしまっているのが、この映画を失敗作にしています。 家計の建て直しが済んだ後、なんと、幕末から、明治11年まで引っ張って、主人公が世を去るまで語っています。 そんなに要らんっちゅうの!

  幕末の動乱など、この家の家計とは何の関係も無く、明らかに蛇足です。 大村益次郎に至っては、どうして出て来るのか、この映画だけを見ている人には、全く理解できますまい。 歴史上の有名人を、摘み喰いのように、ちょい出しした事で、却って、話が嘘臭くなってしまいました。

  たぶん、原作に忠実に映像化しようとして、過度に引っ張られてしまったのだと思います。 それでなくても、エピソードが少なく、間延びが随所に見られるのに、その上、蛇足部分が、こんなに多いのでは、何を言いたい映画なのか、分からなくなってしまうではありませんか。

  対象にする期間を、家計を立て直すまでに絞り、創作でもいいから、エピソードを増やして、コメディー・タッチの軽く笑える話にすれば、ずっと良くなったのに。 残っていたのは、家計簿であって、小説や随筆ではないのですから、無理に親子の葛藤の話にするのは、それはそれで、問題でしょう。


≪東京キッド≫ 1950年 日本
  美空ひばりさん主演。 13歳だったそうですが、異様に芸達者。 歌は勿論、無茶苦茶うまいです。 美空ひばりさんというのは、デビューが子供の時だったから、歌のうまさが際立って、大うけしたんでしょうなあ。

  母親が病死し、引き取ってくれたホステスも事故死し、流しのギター弾きの部屋に居ついていた、歌のうまい女の子を巡り、金持ちの実父や、懸賞金目当ての占い師などが、奪い合いをする喜劇。

  エノケンさんまで出ていて、基本的には、本格コメディーとして作られています。 歌は、オマケなわけですが、そのオマケのレベルが高いため、見た事が無い人でも、名前だけは知っている、不朽の名作となった次第。

  アパートの中で、アイス・キャンデー屋を始めるために、柱を鋸で切る場面など、使われているギャグは古いですが、雰囲気が終始明るいため、全体的に見れば、今の感覚でも、笑えない事はないです。 


≪豚と軍艦≫ 1961年 日本
  今村昌平さん監督、長門裕之さん、吉村実子さん、ダブル主演。 長門さんは、無数の映画に出演していますが、恐らく、この映画が、代表作という事になるのではないでしょうか。 強い印象が後に残る役柄です。

  横須賀の米軍基地から出る残飯で豚を飼育し、一儲けしようとしているヤクザ一家で、使い走りをしている青年と、彼に足を洗わせて、一緒にドヤ街から脱出したいと思っている娘が、皮肉な運命に翻弄される話。

  変わった設定ですが、なぜ豚か?というと、繁華街を豚の大群が暴走する場面が、クライマックスになっているためです。 他に、理由無し。 たぶん、その場面から先に思いついたんでしょうが、豚は、猪と違って、猛進はしないようで、トコトコ歩いて、妙に可愛いだけ。 迫力は、ほとんどありません。

  ダブル主演とは言うものの、ストーリーは、吉村さんが演じる娘の方が軸になっているようです。 吉村さんというのは、型通りの美形ではないんですが、魅力のある顔立ちをしていますねえ。 この人を見つけて来た人も偉い。

  長門さんのチンピラは、前半あまりにも馬鹿っぽ過ぎて、とても、主人公というキャラではありません。 長門さんは、もちろん、地ではなく、演技で、この馬鹿っぽさを出しているわけで、それが、お見事。 この二人だけでなく、この映画は全体的に、役者さんの演技が凄まじいです。

  今村監督は、喜劇のつもりで作ったそうですが、確かに、そういう部分も見られるものの、シニカル過ぎると、却って笑えないもので、見終わった後に残るのは、やるせなさだけです。 物語としての出来は、決して良くないのに、場面場面が記憶に焼きつきそうな映画。


≪60セカンズ≫ 2000年 アメリカ
  ニコラス・ケイジさん主演。 74年の≪バニシング IN 60≫のリメイクだそうですが、そちらを見たのが遙か昔で、断片的にしか覚えていないために、比較ができません。 74年と00年では、車の盗難対策装備が、様変わりしているので、話の中身も、だいぶ違っていると思うのですが。

  車泥棒を始めた弟がドジを踏んだせいで、弟の命を助ける事と引き換えに、復活さぜるを得なくなった元車泥棒が、仲間を集めて、一晩に50台の車を盗む計画に挑む話 うーん・・・、≪バニシング IN 60≫の方は、こんなベタな話じゃなかったような気がしますねえ。 確かめるために、わざわざ、レンタル屋まで行くつもりはありませんが・・・。

  盗みの手口は、粗雑で不器用。 とても、伝説の車泥棒が指揮しているようには見えません。 「ほーっ!」と驚かされるような、機知に富んだアイデアが無いのです。 こんなやり方では、10人程度のメンバーで、一晩に50台も盗み出すなど、到底無理でしょう。

  むしろ、最後の一台を盗んだ後に起こる、警察とのカー・チェイスの方が、主な見せ場になっています。 しかし、これもねえ・・・。 もう、カー・チェィスは見飽きてしまって、何の興奮も感じません。 たとえば、≪ターミネーター≫シリーズに出て来るような、大掛かりな破壊を伴ったカー・チェイスと比べたら、車だけの追いかけっこが、派手さで負けるのは致し方ありますまい。

  話の方も、かなりお粗末で、弟の命が引き換えになっているにも拘らず、その弟がメンバーに加わっているなど、緊張感に欠けます。 自由に動き回れるなら、逃げた方が早いでしょうに。 また、この弟が、頭悪そうなチンピラで、こんな奴のために、昔の仲間に迷惑かけてまで、犯罪計画を実行するなど、馬鹿馬鹿しいにも程があります。

  アンジェリーナ・ジョリーさんが、ヒロイン役で出て来ますが、この話では、ヒロインの存在自体が蛇足。 全体的に、レベルは低いです。


≪デビルクエスト≫ 2011年 アメリカ
  偶然、続けて見る事になりましたが、≪60セカンズ≫と同じ監督で、主演も、ニコラス・ケイジさんです。 ただし、こちらは、中世ヨーロッパを舞台にした、悪魔物。

  教会の命令に疑問を抱いて、十字軍に見切りをつけた騎士二人が、黒死病が蔓延するヨーロッパに戻るが、脱走兵として捕らえられてしまい、免罪の見返りに、魔女として黒死病を流行らせた疑いがかかっている女を、審問が開かれる修道院まで護送する役を引き受ける話。

  ニコラス・ケイジさんの出演作は、割と外れが少ない方なのですが、これは、≪60セカンズ≫と同様に、スカ。 監督が同じだと、結局、こんなものですか・・・。 単に、「中世騎士が出て来るアクション映画を作りたい」というだけで発想したような、内容の薄さを感じます。 美術や、衣装、メイクなどは、よく出来ていますが、その苦労が、ストーリーによって報われていません。

  大体、剣しか持っていない騎士が、悪魔と戦ったって、面白くなるはずがありません。 悪魔物を作りたかったら、それを退治する善玉は、力を武器にする者では務まらないのです。 頭で戦わせるしかないのです。 それが分からない限り、駄作の山を積み上げるだけですな。


≪マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋≫ 2007年 アメリカ
  ダスティン・ホフマンさん、ナタリー・ポートマンさん、ダブル主演。 ナタリー・ポートマンさんというのは、≪レオン≫の女の子、≪スター・ウォーズ≫のアミダラ姫。

  魔法の力で命を与えられたオモチャを売っている店で、243歳の店主が、「引退して、あの世へ行く」と言い出し、若い女支配人が、当惑しながらも、店を引き継いでいく話。

  現代ファンタジーで、子供向け映画なのですが、「信じる力があれば、誰でも魔法が使える」というのがテーマになっていて、子供に、こういう事を信じさせてしまうのは、如何なものかという気がせんでもなし。 しかし、難しい事を考えないのであれば、素直に楽しめる映画です。

  オモチャ達の活発な動きに、CGが多用されています。 CG無くしては、こういう映画は企画できなかったでしょうなあ。 店主がいなくなった後、一度、店が死んでしまうのですが、極彩色だった店内が、黒と灰色の世界になってしまう落差が強烈。 これも、CGならでは。


≪誘う女≫ 1995年 アメリカ
  ニコール・キッドマンさん主演。 テレビに出て有名になる事だけが、人生の価値観になっている女が、地元のケーブル・テレビ会社に就職して、何とか天気予報担当になるものの、次なる飛躍の為には、自分の可能性を否定する夫を殺さなければならないと決断し、不良高校生をたぶらして、殺人計画を進める話。

  よく分からんのは、テレビに出る事だけが生き甲斐なのに、どーしてまた、イタリア料理店の若主人なんかと結婚したのかという事ですな。 結婚しないまま、テレビ業界へ直行していれば、こんな事件は起こらなかったのに。 実話が元らしいですが、実際の事件では、その辺がどうなっていたのか、知りたいところ。

  コミカルな味付けをしてありますが、話の中身自体は陰惨なので、全く笑えず、主人公の異常さばかり目立って、終始、不快感を覚えます。 最終的に善悪バランスはとれていますが、主人公があまりにも愚かで、罰を受ける価値さえないと感じさせるため、すっきりした終わり方にはなっていません。


≪エジプト人≫ 1954年 アメリカ
  ≪カサブランカ≫のマイケル・カーティス監督作品。 古代エジプトが舞台。 大作歴史劇と言いたいところですが、とても、それほどの風格はありません。 そもそも、歴史劇と言うには、歴史との関連が薄過ぎます。

  赤ん坊の時に川に流されたのを、医師に拾われ、長じて、ファラオの侍医になった男が、悪い女に騙されて全財産を失い、国を追われるものの、外国を放浪する内に、エジプトの危機を知り、帰国して、ファラオの交替に関与する話。

  前半は、主人公が女に騙される話なのに、後半になると、反戦を主張する内容になるという、珍妙な構成。 何が言いたくて作った映画なのか、よく分かりません。 そもそも、舞台を古代エジプトにする意味があるのかどうかさえ疑問。

  セットはともかく、衣装や小道具を揃えるのに、相当、お金を使っていると思うのですが、その割には、有名な俳優が一人も出ていないなど、奇妙なところが多いです。


≪タバコ・ロード≫ 1941年 アメリカ
  ジョン・フォード監督作品。 ・・・なんですが、本当に、フォード監督が作ったのか、俄かには信じられないような映画です。 没落したタバコ農場の跡地で暮らす、超貧乏な家族が、借地料を払うために、息子を年増の未亡人と結婚させたり、昔の地主に縋ったり、他人をあてにしまくる話。

  貧乏も貧乏、その日の食べ物も無い、飢え死に寸前の一家なのですが、貧すりゃ貪すを地で行っていて、自分で何とかしようなどとは全く考えず、盗んだり、たかったり、縋ったり、そんな事ばかりしています。

  親も親なら子も子で、息子が、「凶暴な狂人」としか形容できないような、異常キャラ。 年増の女房が買ってくれた車を、たった一日で破壊してしまう様は、見ていて、恐怖さえ覚えます。 こんな人間が、野放しで生きているというのが信じられぬ。

  ≪怒りの葡萄≫の翌年の作ですが、同じ貧しさを描いた映画でも、こちらは、コメディーで、印象は180度違います。 まともな人間がほとんど出て来ず、「狂人のパーティー化」を起こしている点、コメディーとしても失敗しています。 貧しさというのは、憐れむべきではあっても、茶化すものではないんですな。



  以上、15本まで。 今年の、1月13日から、23日までに見たもの。 多少は、間隔が開いて来たか。 ちなみに、映画を見てから、感想を書くまでに、一日以上間を置く事はないので、見た日付=感想を書いた日付と思ってもらって良いです。 さっさと書かないと、細部を忘れてしまうので、必死に書くわけです。