2013/04/07

映画批評⑨

  ≪静かなドン≫は、無事に読み終えたのですが、そのせいで、図に乗ったのがまずかった。 ソ連時代のロシア文学をもっと読んでみようと、パステルナークの、≪ドクトル・ジバゴ≫に目をつけたものの、上下巻二冊を一遍に借りてしまったのが、命取りとなりました。

  文庫本で、一冊500ページだったので、「合計、1000ページくらいなら、日当たり、100ページ読めば、10日で読み終えて、二週間以内に余裕で返せるだろう」と弾いた算盤が、とんだ見込み違いでした。 家に持ち帰り、読み始めたら、妙にとっつき難い文章のです。 ≪静かなドン≫が読み易過ぎたのかもしれませんが、とても、同じようにはページを捲る指が進みません。

  一日、50ページがやっとという有様だったので、「これはいかん。 二週間では読み終わらんぞ」と青くなり、窮余の一策として、上巻を家で読むのと同時に、下巻を会社に持って行って、休み時間に読み始めました。 奇妙な読み方ですが、まあ、映画なら、第一作より、第二作を先に見てしまう事もよくあるわけで、さほどの混乱は起きませんでした。

  で、長々と書いて来ましたが、何が言いたいかと言うと、今現在、≪ドクトル・ジバゴ≫を読むのに忙殺されていて、このブログの記事が書けないという事なんですな。 例によって、例の如く・・・。 そこで、いつも通り、映画批評でお茶を濁そうというわけです。



≪弾丸を噛め≫ 1975年 アメリカ
  ジーン・ハックマンさんが主演、ジェームズ・コバーンさんが助演の西部劇。 1100キロを馬で走破するレースに参加した、男7人女1人の勝負の話。 この設定の発想は、かなり幼稚だと思うのですが、役者がいいためか、出来はそんなに悪くありません。

  ジーン・ハックマンさんが、まだ、善玉をやっていた頃の映画で、人にも動物にも優しい男を演じていますが、人はともかく、動物に優しいというのは、いかにも、70年代の西部劇という感じがします。 動物愛護の概念が、世間一般に受け入れられ始めたのは、この頃でしたから。

  人のレースというより、馬のレースなのですが、その馬達が、かなりの数、レース中に死にます。 砂漠で脱水症状を起こして倒れたり、荒地で脚を折ったり、銃で撃たれたり。 主人公自身が、「馬にとっては、こんなレースは、何の価値もない」と言いますが、確かにその通りでして、迷惑千万。 まったく、人間というのは、下らない事で、動物を犠牲にする。

  レース自体は全然面白くありませんが、終り近くに、寝耳に水的に、物騒な事件が起こり、話が急にざわざわします。 そこが、クライマックスと言えばクライマックスですが、何だか、その部分だけ毛色が違っていて、他と馴染んでいないような気がせんでもなし。


≪キッチン・ストーリー≫ 2003年 ノルウェー・スエーデン
  かなり、変わった設定の映画。 50年代のスエーデンとノルウェーで、台所に於ける独身男性の動線を調査する研究に参加した、調査員と被験者が、奇妙な同居を続ける内に、次第に意気投合して行く話。

  調査員と被験者は、会話をしてはいけない事になっているのですが、容易に予想されるように、それは守られません。 二人とも初老で、他に家族も無く、孤独な生活をしていた人達なので、一度話し始めれば、仲良くなるのは、自然の成り行き。

  コメディー仕立てですが、無理に笑わせようとはしていないので、吹き出してしまうような場面はありません。 地味な男の友情がテーマです。 雪に埋もれた村で話が進むので、見ていて、寒々しいのは、致し方ないところ。 そんなに面白いとは言えませんが、一応、ハッピー・エンドなので、嫌な気分になるような事もありません。


≪あなたが寝てる間に…≫ 1995年 アメリカ
  サンドラ・ブロックさん主演の恋愛物。 暴漢に襲われて線路に落ちた男を助けた女が、頭を打って意識が戻らない男につきそって病院に行ったところ、男の婚約者と間違えられてしまい、男の意識が戻らない間、その家族と、つきあう事になる話。

  これは、グッド。 なりゆきで嘘をついてしまい、本当の事を言い出せないまま、どんどん深みに嵌まってしまうという話は、割とよくあって、ハラハラし通しになるので、あまり好きではないんですが、この映画の場合、コメディーの要素を多く入れていて、見る者の不安が膨らみ過ぎないように、配慮されています。

  主人公は改札係ですし、相手役になる、意識が戻らない男の弟の方も、喪家の家具を売買する家業を手伝いながら、自分は家具職人を目指しているという、地に足の着いた働き方をしており、大企業のエリート社員などではないところが、好感が持てます。 恋愛物に、気取った職業は必要ないんですよ。

  サンドラ・ブロックさんが、まだ若々しいのが、涙が出るほど、ありがたい。 これなら、恋愛物のヒロインとして、おつりが来るくらい、魅力があります。 セリフが凝っていて、セリフだけで笑える所も多いです。 間違いなく、ロマンティック・コメディーの佳品。


≪素晴らしき哉、人生!≫ 1946年 アメリカ
  ジェームズ・スチュアートさん主演の人情物。 邦題が古臭いですが、日本公開は54年だったそうで、その頃の感覚では、致し方ないですか。 今なら、≪素晴らしい人生≫で充分。

  世界を舞台に活躍したいという夢を犠牲にして、田舎町に残り、父親が作った住宅貸付組合という会社を継いだ男が、貧しい人達に持ち家を買わせるため、身を粉にして働くものの、繰り返し災難に見舞われ、自殺を図ろうとしたところを、天使に救われて、もし自分がいなかったら、町ががどうなっていたかを見せられる話。

  天使が出てくるので、ファンタジーと思うかもしれませんが、その部分は、男の夢と考えても良いのであって、天使が出て来なくても、十分、成り立つ話です。 不運な男が、人々のために生きて来た事で、知らぬ間に人望を築き、窮地を脱する事ができるという、善因善果がテーマなんですな。

  主人公に、とことん運が無いのに、悲惨なイメージが感じられないのは、コメディー仕立てになっているため。 この映画を見ていると、日本の喜劇映画が、アメリカのコメディー映画から、非常に大きな影響を受けている事が分かります。 ほとんど、パクリだね。


≪プラクティカル・マジック≫ 1998年 アメリカ
  サンドラ・ブロックさん主演、ニコール・キッドマンさんが助演。 この顔合わせ自体に違和感がありますが、姉妹の役だというから、尚更、違和感が盛り上がります。 ニコール・キッドマンさんは、かなり濃いメイクをしていて、「この顔では、他の女優さんでも良かったのでは?」と思わされます。

  魔女の家系に生まれ、先祖の呪いによって、夫に早死にされた姉が、彼氏に暴力を振るわれている妹を助けに行って、その彼氏を殺してしまい、死体を庭に埋めるものの、捜査に来た刑事が、子供の頃から理想としていた男だったため、新たな恋に落ちる話。

  物語としては、スカ。 話にならんというほど、話になっていないわけではありませんが、魔法使い物の設定なのに、無理矢理、恋愛物にしており、それが、話の焦点を分散させてしまっています。 魔法は、ほとんど使われず、クライマックスで呪術儀式が行なわれるだけでは、せっかくの魔女の設定が台無しです。

  「魔女の一家で、女だけで、ワイワイ騒ぐ映画にすれば、楽しくなるだろう」という程度の発想で企画されており、話を面白くする技術に欠けているのです。 これでは、誰をキャスティングしようと、良い映画にはなりません。


≪幸せになるための27のドレス≫ 2008年 アメリカ
  恋愛物。 クリスマス・シーズンのせいか、テレビで放送する映画が、恋愛物ばかりになっているような気がします。 実は、どれもパターンが似通っていて、独自性に乏しいカテゴリーなので、あまり好きではないのですが・・・。

  結婚式の雰囲気が好きで、友人の花嫁介添え人を27回も務めた女性が、自分の恋は、上司に片思いどまりだったのが、たまたま訪ねて来た妹に、その上司を奪われてしまい、妹のために花嫁介添え人を務めるべきか、自分の思いを上司にぶつけるべきか悩んでいる内、自分の取材に来ていた新聞記者との距離が縮まっていく話。

  恋愛物にしては、複雑な人物相関になっています。 登場人物の心理を、丁寧に描いていて、まずまず上等な人間ドラマと言えると思います。 主人公の、妹に対する感情が、愛憎入り混じっているところが、話に奥行きを与えています。

  主人公自身の恋愛は、割と平凡な経過を辿ります。 この二人、本当に、いい夫婦になれるかというと、かなり怪しいのでは? たった一回、酒を飲んで意気投合したからといって、運命の人と決めるのは、早計も甚だしいと思うのですが。


≪悪名一番勝負≫ 1969年 日本
  勝新太郎さん主演の、≪悪名シリーズ≫の第15作だそうですが、このシリーズ自体を知らなかったので、私が見たのは、これ一本だけという事になります。 任侠物。 主人公は、ただ、博打好きで、喧嘩が強いだけで、ヤクザではないのですが、話の中身は、ほぼ、ヤクザ物です。

  主人公が住んでいる長屋が、鉄道施設の建設のために立ち退きを迫られる恐れが出てきて、長屋の仲間を守ろうと、それに絡む二つの組のシマ争いに、弱い方の組に肩入れする形で関わって行く話。

  実際は、もっと複雑で、登場人物も多く、群像劇のような趣きさえあります。 シリーズも数を重ねる内に、主人公のキャラを使い切ってしまい、他の登場人物に役割を振り分けなければ、話が作れなくなってしまったのかもしれませんな。

  最初の内は、あまりに古いヤクザの世界に、「やっつけで作った三流映画なのではないか?」という疑念が湧き、胡散臭そうに見ているのですが、話が進む内に、有名な俳優さんが何人も出ている事が分かり、決して、手を抜いた企画ではない事が分かって来ます。

  勝さんは、こういう役が、一番よく合っていると思われ、非常に自然体に見えます。 ヤクザの世界に、ヤクザより強いガキ大将が乗り込んで行ったような、痛快さが、見もの。 もっとも、私は、ヤクザ物自体が、好きではないので、評価には限界がありますが・・・。

  安田道子さんという女優さんが、妙に魅力があるのですが、この方、この作品も含めて、二本の映画にしか出演しておらず、ネット上では、他に情報も見つかりません。 どうしてしまったんでしょうねえ。


≪やさしい嘘と贈り物≫ 2008年 アメリカ
  スーパーに勤める孤独な老人が、クリスマスを前に、向いに越して来たという老女に食事に誘われ、同僚達のアドバイスを参考に、初デートを成功させ、交際を続けるものの、実は、相手の老女は、ある人物の妻で・・・、という話。

  クライマックスが、意外な展開になっていて、そこが最大の見せ場なのですが、前半を見ていると、何となく、そんな風になるんじゃないかな、と先が読めます。 それまで、一度も女性と交際した事がない老人が、いきなり、女性の方から言い寄られるなどという事は、ちょっと考え難くく、犯罪絡みでなければ、たぶん、何か事情があるのだろうと思われるからです。

  先が読めてしまう点もさる事ながら、老人が主人公なので、絵柄が汚いのが、どうにも、いただけません。 年寄りが、歯を磨いたり、顔を洗ったりしている様子なんて、あんまり、見たいもんじゃありませんから。

  ヒロインの老女役が、エレン・バースティンさんですが、この方、≪エクソシスト≫で母親役をやった人。 ≪アリスの恋≫の主人公も、この人だそうで、懐かしいです。 ・・・しかし・・・、うーむ、誰でも、歳は取るものですなあ。 綺麗な歳の取り方をしているとは思いますが。


≪幸せのポートレート≫ 2005年 アメリカ
  サラ・ジェシカ・パーカーさんや、ダイアン・キートンさんが出ている、家族物。 主要登場人物が、ざっと、12人くらいが出て来ます。 サラ・ジェシカ・パーカーさんが中心軸になりますが、主演と言うには、ちょっと、違う感じ。 やはり、群像劇と言うべきでしょうなあ。

  成長して家を出ている三男二女の子供達が、全員、実家に集まるクリスマスに、長男が恋人を連れて来るが、その恋人が、他の家族と反りがまるで合わず、衝突を繰り返しただけならまだしも、険悪な雰囲気を和らげる為に呼ばれた恋人の妹が、長男の心を捉えてしまい、ますます紛糾する話。

  こう書くと、コメディーのようですが、全然違いまして、笑うところなど一ヵ所もありません。 テーマは、強いて言えば、「価値観の異なる者同士の相互理解」ですが、理解が進むのは、偶然の結果でして、そこに至るまでの、いびりが凄まじい。 母親も次女も、長男の恋人に会う前から、姑・小姑と化していて、人を人とも思わぬ疎外ぶりを見せます。

  制作側の狙いとしては、「普通の感覚を持った家族に、変な女が加わろうとして、不様な醜態を曝す」という形にしたかったのでしょうが、私の目から見ると、初対面の相手をいびり倒す、この家族の方が、よっぽど異常です。 最もまともな性格設定になっている、ゲイの三男にしてからが、「結婚はよせ」と兄に進言する始末。 誰が誰と結婚しようが、親兄弟が口を出す事ではありますまいに。 本当に、アメリカでも、こんななんでしょうか。

  母親が、癌が再発していて、余命幾許も無いという設定なのですが、性格が悪いので、まったく、同情できません。 ところが、制作側は、この母親を、優しくて思いやりがある人物と設定しているため、この人の死を、作品の最大の感動要素だと見做しているようで、作り手と見手の認識のギャップは開くばかりです。

  最後は、ハッピーエンドで丸く収まるのですが、かなり曲芸的な収め方なので、不自然さが前面に出てしまって、素直な感動など、とてもとても・・・。 私的には、完全に、スカ。


≪メリーに首ったけ≫ 1998年 アメリカ
  これは、有名ですな。 見た事が無かった私でも、題名だけは知っていました。 キャメロン・ディアスさんがヒロインになる、恋愛物コメディー。 ロマンティック・コメディーというには、ちと、ギャグが過激すぎ。 ヒロインが主人公というわけではなく、中心になるのは、高校の時の彼氏です。

  高校のプロム・パーティーに一緒に行くはずだったのに、迎えに行った彼女の家で起きた恥ずかしい事故で、そのまま入院し、その後、彼女の家が引っ越して、それっきりになってしまった男が、13年経っても彼女を忘れられず、探偵に行方を捜してもらうが、その探偵が彼女に惚れてしまい、他にも、続々と彼女を狙う男が現れて、恋の大混戦になる話。

  下ネタが相当入っていて、子供を交えて家族で見るには、どうかという内容。 ただし、過度に下品にはならないので、大人同士なら、まだ親しい関係になっていない交際相手と見ても、ケタケタ楽しく笑える映画です。 たぶん、制作側も、その辺りの需要を狙って、企画したのではないでしょうか。

  一応、恋愛物ではありますが、物語の作りは、まぎれもなく、コメディーのそれで、しかも、爆笑を誘うシチュエーションが、盛りだくさん。 恋愛の方の展開と結末は、オマケみたいなものですな。 探偵が、ヒロインとその友達を騙す手口とか、ニセ建築家が演じる障碍者の真似とか、ほとんど、芸術の域に達したギャグが見られます。

  キャメロン・ディアスさんは、撮影時、25歳くらいですが、輝くばかりに美しいのは、大変宜しいです。 彼氏役のベン・スティラーさんは、恋愛物の主人公にするには、ちょっと、野暮った過ぎか。


≪お買いもの中毒な私!≫ 2009年 アメリカ
  買い物中毒で、ブランド品の服やバッグを見ると、買わずにいられず、カード・ローン地獄に嵌まっている女が、憧れのファッション誌の採用試験に落ちた代わりに、同じ出版社のビジネス誌に潜り込む事に成功し、門外漢の岡目八目で書いた記事で、業界の寵児にのしあがるものの、押しかけて来た借金取りのせいで、一気に転落し、買い物中毒を直そうと決意する話。

  一方で、ビジネス誌の編集長との恋愛が進行するのですが、恋愛物と、買い物中毒患者の観察の二兎を追っている割には、両者が巧みに組み合わされていて、ストーリーは、ちゃんと一本の線上に纏まっています。 脚本家の腕が良かったんでしょうなあ。

  恋愛物の部分は、それだけ取り出すと、割とよくある話。 面白いのは、買い物中毒の方で、部屋中、服だらけになるまで、買い捲る様子は、正に病気です。 もっとも、高い物に固執しているわけではなく、セール品を狙うタイプで、借金の額も、100万円以下。 その程度の金額で、人生がひっくり返るほど、大騒ぎになるというのも、奇妙な感じがしますが。

  主人公を演じているアイラ・フィッシャーさんは、美女というわけではないんですが、小柄で可愛らしいのが、魅力になっています。 ラストで、買い物中毒を克服した主人公に、ショー・ウインドウのマネキン達が拍手を送る場面は、ちょっとした感動を味わわせてくれます。


≪トナカイのブリザード≫ 2003年 アメリカ・カナダ
  サンタの国で生まれた雌トナカイのブリザードが、飛べる力、透明になる力、人間に共感する力の三つを会得し、家の事情や他の子の意地悪で困っているスケート好きの少女を助けてやる話。

  子供向けのファンタジーですな。 往年の名選手の目にとまり、スケートを教えてもらうところや、ライバルの子にスケート靴を壊されるところなど、スポーツ物の趣きもありますが、大枠は、クリスマス絡みの、「いい子には、ご褒美」的パターンの話で構成されています。

  題名からすると、主人公は、トナカイのブリザードという事になりますが、物語の目線は、少女側にあり、出番も少女の方が多いので、ちょっと、中心軸が定まらない恨みがあります。 でも、この種の話としては、まあまあ、よく出来ている方じゃないでしょうか。


≪真珠の耳飾りの少女≫ 2003年 イギリス・ルクセンブルク
  フェルメールの代表作になっている同名の絵画が、どのようにして完成したかを語る映画。 17世紀中頃のオランダ、デルフトの街が舞台。 家計を助ける為に、フェルメールの家へ奉公に上がった娘が、フェルメールの妻や義母、女中頭などに奴隷のように扱き使われた上に、フェルメールに絵の具の調合を任されたり、絵のモデルになったりする内に、彼との距離が縮まり、その妻の不興を買う話。

  奉公人の苦労はどこの国でも同じようで、前半は、見るのが嫌になるような場面が続きます。 フェルメール夫妻には、子供がうじゃうじゃいて、何か問題が起こるのではないかと思っていたら、案の定、主人公に意地悪をするガキが出て来て、また、うんざり。

  絵のモデルになったらなったで、嫌だというのに、ピアスの孔を開けさせられたり、パトロンの金持ちに関係を迫られたりで、ろくな事がありません。 総合的に言うと、見ていて、不愉快な映画なのです。

  こんな細かい資料が残っているとも思えないので、人間ドラマの部分は、ほとんど創作なのだと思いますが、どうせ、創作するなら、もそっと、ロマンチックな物語を考えられなかったもんですかね? 奉公人なんかにするから、暗~い話になってしまうのですよ。

  主人公を演じたスカーレット・ヨハンソンさんですが、撮影当時、18歳くらいでしょうか。 はっきり言って、若過ぎの幼過ぎ。 絵の少女も、色気は少ない方ですが、全く無いのでは、話になりません。 絵の少女が、開いたばかりの花なら、この女優さんは、蕾であって、近いようでも、本質的な差があります。


≪西の魔女が死んだ≫ 2008年 日本
  登校拒否になって、山の中に住む母方の祖母に預けられた中学生の娘が、祖母と暮らしながら、人間的に成長して行く話。 娘は子役、祖母はアメリカ人女優と、主な登場人物が二人とも、無名な人なので、異様なくらい、入って行き難い映画です。

  「魔女」というのは、羊頭狗肉でして、別に魔法が出てくるわけではなく、ただ、祖母の家系が魔女で、孫にもその血が流れていると言って、「魔女になりたかったら、規則正しい生活から修行を始めなければならない」と説く、躾のダシに使われているだけです。 ファンタジーでは、全然ないので、注意。

  ストーリー性は希薄で、ただ、祖母が孫に、山の生活を教えながら、一緒に暮らす様子が、よく言えば、淡々と、悪く言えば、だらだらと続いて行きます。 何も起こらないわけではありませんが、最大の事件が、鶏小屋が獣に襲われる事というのは、あまりにもささやか過ぎ。

  ストーリー映画とは、何かが起こり、その展開を見て楽しむものだとすれば、この映画は、ストーリー映画とは言えません。 日記を、無編集で、そのまま映像化したら、こんな風になるのではないでしょうか。

  話としては、全く面白くありませんが、自然にどっぷり浸かって暮らす、山の生活の雰囲気を楽しむ分には、何も起こらないだけに、うってつけです。 主人公の娘が、美少女ヅラでないのも、いいですな。


≪おっぱいバレー≫ 2008年 日本
  綾瀬はるかさん主演のスポーツ物。 駄目なチームが、ある事をきっかけに奮起して、強くなるというパターンの方。 バレーをやるのは男子生徒達で、綾瀬さんは、先生役です。

  ある中学に赴任早々、男子バレー部の顧問を任された若い女教師が、まるで、やる気のない部員達と、「大会で一勝したら、オッパイを見せる」という約束をしてしまい、まずいとは思ったものの、おっぱい見たさに見違えるように上達して行く部員達を見ていると、取り消しを言い出せず、そのまま大会まで行ってしまう話。

  どーにもこーにも、アホ臭い発想の話ですが、呆れた事に、実話が元だそうです。 これだから、教師なんぞ、敬意のかけらも払う価値が無いというもの。 「目標は何であれ、努力の喜びを知った事が素晴らしい」などと言わせていますが、ちゃんちゃらおかしい。 そんな事を言い出したら、犯罪でも戦争でも、何でもありになってしまいますよ。

  部員達が揃って、おっぱい見たさに魂も売るという態度を示しているのが、何とも、不自然。 まるで、六人が一つの脳みそで行動しているかのようですが、そんな事はありえんでしょうに。 この人物造形の雑さは、実話が元とも思えません。

  主人公の心理については、細やかに描きこまれていて、その点は宜しいのですが、主人公の教師としての成長と、部員達のスポーツマンとしての成長が、平行していて、交わる事が無いので、二兎を追っているような分散感が否めません。

  主人公のエピソードの方は、お涙頂戴まで入っていますが、コメディーならコメディーで、最後まで押し通せばいいのに、途中で、感動させようなどと余所見をするから、半端な出来になってしまうのです。

  70年代後半の時代設定は、原作がそうなっているからだと思われますが、話の内容とは無関係で、別に、現代でも、問題無いような気がします。 というか、話の発想自体にリアリティーが無いので、時代設定なんか、どう工夫しようが、それで映画の質が上がるとは思えないのです。 金をかけるだけ、無駄。

  私は、その時代を知っている世代ですが、車が、10年くらい古いのでは? シビックと、パブリカが、同時代に走っていたら、そりゃ、変ですよ。 ありえないとは言いませんけど。 一方で、商店街のアーケードは、10年くらい新し過ぎ。 だから、時代考証にボロを出してまで、70年代後半に拘る意味は無いと思うのですよ。

  随分、貶して来ましたが、細かいところを気にせず、フィーリングで見るのなら、そんなに悪い映画ではありません。 スポーツ物と、人間的成長物の両方を盛り込んであるので、見終わった後で、充足感に浸れる人も多かろうと思います。



  以上、15本まで。 まだ、去年の分が終わりませんな。 ようやく、年の瀬も押し詰まった辺りまでです。 現在は、読書の方に時間を割いているので、映画は、週に三本くらいしか見ておらず、その内、感想を全部、出しきれると思うのですが。