墓の話
さすがに、映画批評ばかり続くと、愛想をつかされそうなので、そろそろ、別の話題を挟んでおきましょうか。 ちなみに、来週は六日出勤なので、恒例に従い、読書感想文になります。 映画批評と読書感想文だけなら、更新が楽でいいんですがねえ。
・・・いや、楽でもないか。 結局、書いている文章量は同じくらいだし・・・。 普通、このブログの記事は、土日の休みに書きますが、映画批評と読書感想文は、休みも平日も関係無く、見たり読んだりした直後に書くので、逆に負担が多いという見方もできます。
なぜ、そんなにまでして、文章ばかり書かねばならんのか、一旦、疑問を持ち始めたら、極端な性格の私の事だから、ブログもサイトも、ネットもパソコンも、思い切りよく、全部一遍にやめてしまうかもしれないので、これ以上、考えない事にします。
話は変わりますが、母が腹痛と風邪で寝込んで、もう五日目。 父と二人で、台所にある物をテキトーに食べているので、だんだん腹が凹んで来ました。 健康的で、実に宜しい。 普段、いかに、余分な食べ物を喰わされているかが分かります。 やはり、人間、自分で食べる物は、自分で管理するのが一番ですなあ。
・・・と、こんな事をしみじみ書くと、ますます、お一人様志向の人間が増えるか・・・。 まあ、私もいずれは、お一人様になる事が決まっている人間ですから、同志が増える分には、構やしないんですがね。 ・・・いや、同志とは、ちと違うか。 同病・・・、では、卑下し過ぎか。 同類? そんなところですな。
ちなみに、母の腹痛の原因は、餅のせいです。 毎年、暮れになると、餅つき機で、ごそっと餅を作り、年明け後、三ヵ月間、食べ続けます。 そのせいで、毎年、腹痛を起こして寝込んだり、ひどい時には、入院したりするのですが、餅をやめろと言っても、全く聞き入れません。
詳しい原因は分かりませんが、私も餅を食べると、腹の調子が悪くなります。 私と母の共通点と言うと、胆石の手術をして、胆嚢が無い事です。 たぶん、その関係で、餅が悪さをするのでしょう。 痛い思いをしたくないので、私は食べないのですが、母は全く懲りません。
三つ子の魂百までで、私の親の世代は、餅を、最高のご馳走だと見做しており、それをたらふく喰える事が、贅沢であり、幸福だと、信じ込んでいるのです。 毎年、餅がある期間にしか、腹痛を起こさないのに、餅を喰えなくなったら困るので、餅が原因だと認めようとしないから、愚かと言えば、あまりにも愚か。
大体、餅って、そんなにうまい物でもないでしょうに。 ぶっちゃけ、味が無いですよね。 味わえるのは、触感だけ。 大抵の人が、餅の味だと思っているのは、海苔や醤油、黄粉、砂糖醤油、雑煮の味噌などの味です。 それでいて、歯の詰め物が抜けたり、喉に詰まったり、マイナス面ばかり多い。
年寄りが、餅を喉に詰まらせて死ぬケースが、後を絶ちませんが、なんで、そんなに餅を喰いたがるのかといえば、かくのごとき、幼児期の刷り込みが唯一の原因であると思われます。 よせと言っても、命懸けで喰いたがるのですから、もはや、同情の余地無し。 そんなに喰いたいなら、もう止めませんから、好きにして下さい。
うーむ、親も、70代、80代になって来ると、いつ死んでも、ちっとも惜しいと思わなくなりますな。 特に、私のように、もう人生、やる事が無くて、自分自身がいつ死んでも惜しくないと思っている人間にとっては、尚の事。
親に長生きして欲しいと感じるのは、30歳頃がピークでしょうか。 親がそこそこ歳を取って来たにも拘らず、自分にも、まだ未来があり、結婚するかも知れない、子供が出来るかもしれないと期待している時に、一番そう感じるのです。 それを越えて、10年も経つと、「この人達、いつまで生きるのかなあ・・・」と、逆の事が不安になって来ます。
このままで行ったら、老老介護になる恐れ、十二分にあり。 困ったこってすねえ。 勤めに出ている身じゃ、そんな事できないよ。 腰も悪いし。 大体、不公平じゃないですか。 私は、親が死んだら、お一人様になるのが決まっていて、寝たきりになろうが、痴呆になろうが、誰も介護してくれないのに、なんで、私は親の介護をしなきゃならんのですか?
葬式も然り。 私の葬式は、行われない事が確定しているのに、どうして、親の葬式は出してやらなきゃならんの? 法事に至っては、もはや論外クラスで、あんなに馬鹿馬鹿しいものは、この世に二つとありますまい。 坊主の私腹を肥やしてやるために、休みは潰れるわ、慣れない礼服は着ねばならんわ、親戚は呼ばねばならんわ・・・、ろっくでもない。
そもそも、ブッダは、葬式も法事も、やらなきゃいけないなんて、一言も言っちゃあいないのですよ。 死ねば、自動的に、みな、仏。 死んだ後の事なんか心配するだけ、仏の教えから逸脱すると言うもの。 それを、何度も何度も何度も何度も、親戚集めさせて、意味不明の経なんぞ、勿体ぶって、読みおって。 僧侶の面々よ、お主ら、それでも、仏弟子か? 無知な在家は騙せても、自分自身は騙せまい。 一体、何者なのだ? 己が心に、繰り返し、問うべし。
しかし、なんですな。 今のペースで、お一人様が増えていけば、いずれ、葬式の開催件数は激減し、寺は廃業して、葬式や法事の習慣は絶滅する可能性が高いですな。 連鎖して、墓を作る習慣も無くなると。 いいんですよ、みんな灰にして、埋め立ててしまえば。 どうせ、もう、家を継ぐなんて風習は廃れかけていて、その内、先祖の墓を守る人間もいなくなるんだから。
伝統が失われる? アホ言いないな。 そもそも、火葬して骨を保存するなんて風習自体が、ごく最近、始まったものじゃありませんか。 昔は、土葬して、後は野となれ。 同じ家で次に死者が出たら、同じ所を掘り返して、また埋めてたっつーじゃありませんか。 伝統を守りたいと言うなら、そっちを実行しなさいな。 死体遺棄罪で捕まりそうけど。
全く、日本全国、家系なんか続きもしないのに、家ごとに、墓ばっかり作っちゃって、後々、どう処分するつもりなんですかねえ? 墓を買う時には、その墓を誰が維持するのか、ちゃんと考えてからにしなさいよ。
「家を出た息子が、年一度くらいは、掃除に来てくれる」
わはははは! 甘いわ、愚か者めが! 息子は息子で、自分の墓を、自宅から近い所に買ってるんだよ。 親の墓まで気が回るものかね! 七回忌も過ぎれば、後は、草ボウボウだわ。 保証する。
そういや、前に新聞で読んだんですが、都会に出て結婚し、家庭を持った娘が、両親の死後、何年かぶりに墓参りをしようと、故郷に帰って、菩提寺に行ったら、自分の家の墓が無い。 住職に訊いたら、無縁仏にされて、合葬されていた。 勝手に、そんな事をするなんて、憤懣やる方無い、といった事例が出ていました。
いやあ、しょーもない話ですなあ。 だけど、そりゃあ、何年も様子を見に行かなかった方が悪いですぜ。 寺は、墓地の管理を、慈善ではなく、業務としてやってるんですから、法事に貰える報酬が入らなくなれば、管理義務も消滅するのは、理の当然。 先祖代々の墓だから、永久に管理して貰えると思い込んでいた方が、恥ずかしい思い違いなのです。
そういう事態を避けるためには、永代供養サービスがある霊園に墓を買って、先祖の骨を移し、供養料を前納しておくしかないです。 その上で、ある年数が経ったら、無縁仏として合葬されても仕方がないと覚悟しておけば、もう万全。 墓の事で、あれこれ悩む事も無くなるでしょう。 どうせ、自分だって、その内、死んでしまうのですから。
もっと、サバサバするのは、散骨ですが、自分や配偶者は、それでいいとして、親や先祖の骨となると、自分の一存で、野や海に撒いてしまっていいものか、微妙に抵抗感を覚えるところ・・・。 やはり、永代供養が、無難か。 それでも、文句を言う親戚が出て来そうですが、そういう輩には、「じゃあ、あんたが、墓守してよ!」と押し付けてやるのが、ベストでしょう。
なんだか、母が寝込んだ話から、随分、脱線して、お先真っ暗な雰囲気が盛り上がってしまいましたな。 こういう話ですが、会社で、先輩や同僚を相手に語り出すと、周囲の人間が、興味津々で聞き耳を立て始めるのが、如実に感じられて、面白いですぜ。
墓の話は、誰でもいつかは、ぶち当たる問題なので、話題としては、無敵ですな。 趣味の話、異性の話、子供の話など、人によって、興味の程度が異なる話題なんか、相手になりません。 職場で、軽く見られて困っているという人は、一度、墓について深く考えている事を口にしてみたら、周囲の見る目が変わると思います。
・・・いや、楽でもないか。 結局、書いている文章量は同じくらいだし・・・。 普通、このブログの記事は、土日の休みに書きますが、映画批評と読書感想文は、休みも平日も関係無く、見たり読んだりした直後に書くので、逆に負担が多いという見方もできます。
なぜ、そんなにまでして、文章ばかり書かねばならんのか、一旦、疑問を持ち始めたら、極端な性格の私の事だから、ブログもサイトも、ネットもパソコンも、思い切りよく、全部一遍にやめてしまうかもしれないので、これ以上、考えない事にします。
話は変わりますが、母が腹痛と風邪で寝込んで、もう五日目。 父と二人で、台所にある物をテキトーに食べているので、だんだん腹が凹んで来ました。 健康的で、実に宜しい。 普段、いかに、余分な食べ物を喰わされているかが分かります。 やはり、人間、自分で食べる物は、自分で管理するのが一番ですなあ。
・・・と、こんな事をしみじみ書くと、ますます、お一人様志向の人間が増えるか・・・。 まあ、私もいずれは、お一人様になる事が決まっている人間ですから、同志が増える分には、構やしないんですがね。 ・・・いや、同志とは、ちと違うか。 同病・・・、では、卑下し過ぎか。 同類? そんなところですな。
ちなみに、母の腹痛の原因は、餅のせいです。 毎年、暮れになると、餅つき機で、ごそっと餅を作り、年明け後、三ヵ月間、食べ続けます。 そのせいで、毎年、腹痛を起こして寝込んだり、ひどい時には、入院したりするのですが、餅をやめろと言っても、全く聞き入れません。
詳しい原因は分かりませんが、私も餅を食べると、腹の調子が悪くなります。 私と母の共通点と言うと、胆石の手術をして、胆嚢が無い事です。 たぶん、その関係で、餅が悪さをするのでしょう。 痛い思いをしたくないので、私は食べないのですが、母は全く懲りません。
三つ子の魂百までで、私の親の世代は、餅を、最高のご馳走だと見做しており、それをたらふく喰える事が、贅沢であり、幸福だと、信じ込んでいるのです。 毎年、餅がある期間にしか、腹痛を起こさないのに、餅を喰えなくなったら困るので、餅が原因だと認めようとしないから、愚かと言えば、あまりにも愚か。
大体、餅って、そんなにうまい物でもないでしょうに。 ぶっちゃけ、味が無いですよね。 味わえるのは、触感だけ。 大抵の人が、餅の味だと思っているのは、海苔や醤油、黄粉、砂糖醤油、雑煮の味噌などの味です。 それでいて、歯の詰め物が抜けたり、喉に詰まったり、マイナス面ばかり多い。
年寄りが、餅を喉に詰まらせて死ぬケースが、後を絶ちませんが、なんで、そんなに餅を喰いたがるのかといえば、かくのごとき、幼児期の刷り込みが唯一の原因であると思われます。 よせと言っても、命懸けで喰いたがるのですから、もはや、同情の余地無し。 そんなに喰いたいなら、もう止めませんから、好きにして下さい。
うーむ、親も、70代、80代になって来ると、いつ死んでも、ちっとも惜しいと思わなくなりますな。 特に、私のように、もう人生、やる事が無くて、自分自身がいつ死んでも惜しくないと思っている人間にとっては、尚の事。
親に長生きして欲しいと感じるのは、30歳頃がピークでしょうか。 親がそこそこ歳を取って来たにも拘らず、自分にも、まだ未来があり、結婚するかも知れない、子供が出来るかもしれないと期待している時に、一番そう感じるのです。 それを越えて、10年も経つと、「この人達、いつまで生きるのかなあ・・・」と、逆の事が不安になって来ます。
このままで行ったら、老老介護になる恐れ、十二分にあり。 困ったこってすねえ。 勤めに出ている身じゃ、そんな事できないよ。 腰も悪いし。 大体、不公平じゃないですか。 私は、親が死んだら、お一人様になるのが決まっていて、寝たきりになろうが、痴呆になろうが、誰も介護してくれないのに、なんで、私は親の介護をしなきゃならんのですか?
葬式も然り。 私の葬式は、行われない事が確定しているのに、どうして、親の葬式は出してやらなきゃならんの? 法事に至っては、もはや論外クラスで、あんなに馬鹿馬鹿しいものは、この世に二つとありますまい。 坊主の私腹を肥やしてやるために、休みは潰れるわ、慣れない礼服は着ねばならんわ、親戚は呼ばねばならんわ・・・、ろっくでもない。
そもそも、ブッダは、葬式も法事も、やらなきゃいけないなんて、一言も言っちゃあいないのですよ。 死ねば、自動的に、みな、仏。 死んだ後の事なんか心配するだけ、仏の教えから逸脱すると言うもの。 それを、何度も何度も何度も何度も、親戚集めさせて、意味不明の経なんぞ、勿体ぶって、読みおって。 僧侶の面々よ、お主ら、それでも、仏弟子か? 無知な在家は騙せても、自分自身は騙せまい。 一体、何者なのだ? 己が心に、繰り返し、問うべし。
しかし、なんですな。 今のペースで、お一人様が増えていけば、いずれ、葬式の開催件数は激減し、寺は廃業して、葬式や法事の習慣は絶滅する可能性が高いですな。 連鎖して、墓を作る習慣も無くなると。 いいんですよ、みんな灰にして、埋め立ててしまえば。 どうせ、もう、家を継ぐなんて風習は廃れかけていて、その内、先祖の墓を守る人間もいなくなるんだから。
伝統が失われる? アホ言いないな。 そもそも、火葬して骨を保存するなんて風習自体が、ごく最近、始まったものじゃありませんか。 昔は、土葬して、後は野となれ。 同じ家で次に死者が出たら、同じ所を掘り返して、また埋めてたっつーじゃありませんか。 伝統を守りたいと言うなら、そっちを実行しなさいな。 死体遺棄罪で捕まりそうけど。
全く、日本全国、家系なんか続きもしないのに、家ごとに、墓ばっかり作っちゃって、後々、どう処分するつもりなんですかねえ? 墓を買う時には、その墓を誰が維持するのか、ちゃんと考えてからにしなさいよ。
「家を出た息子が、年一度くらいは、掃除に来てくれる」
わはははは! 甘いわ、愚か者めが! 息子は息子で、自分の墓を、自宅から近い所に買ってるんだよ。 親の墓まで気が回るものかね! 七回忌も過ぎれば、後は、草ボウボウだわ。 保証する。
そういや、前に新聞で読んだんですが、都会に出て結婚し、家庭を持った娘が、両親の死後、何年かぶりに墓参りをしようと、故郷に帰って、菩提寺に行ったら、自分の家の墓が無い。 住職に訊いたら、無縁仏にされて、合葬されていた。 勝手に、そんな事をするなんて、憤懣やる方無い、といった事例が出ていました。
いやあ、しょーもない話ですなあ。 だけど、そりゃあ、何年も様子を見に行かなかった方が悪いですぜ。 寺は、墓地の管理を、慈善ではなく、業務としてやってるんですから、法事に貰える報酬が入らなくなれば、管理義務も消滅するのは、理の当然。 先祖代々の墓だから、永久に管理して貰えると思い込んでいた方が、恥ずかしい思い違いなのです。
そういう事態を避けるためには、永代供養サービスがある霊園に墓を買って、先祖の骨を移し、供養料を前納しておくしかないです。 その上で、ある年数が経ったら、無縁仏として合葬されても仕方がないと覚悟しておけば、もう万全。 墓の事で、あれこれ悩む事も無くなるでしょう。 どうせ、自分だって、その内、死んでしまうのですから。
もっと、サバサバするのは、散骨ですが、自分や配偶者は、それでいいとして、親や先祖の骨となると、自分の一存で、野や海に撒いてしまっていいものか、微妙に抵抗感を覚えるところ・・・。 やはり、永代供養が、無難か。 それでも、文句を言う親戚が出て来そうですが、そういう輩には、「じゃあ、あんたが、墓守してよ!」と押し付けてやるのが、ベストでしょう。
なんだか、母が寝込んだ話から、随分、脱線して、お先真っ暗な雰囲気が盛り上がってしまいましたな。 こういう話ですが、会社で、先輩や同僚を相手に語り出すと、周囲の人間が、興味津々で聞き耳を立て始めるのが、如実に感じられて、面白いですぜ。
墓の話は、誰でもいつかは、ぶち当たる問題なので、話題としては、無敵ですな。 趣味の話、異性の話、子供の話など、人によって、興味の程度が異なる話題なんか、相手になりません。 職場で、軽く見られて困っているという人は、一度、墓について深く考えている事を口にしてみたら、周囲の見る目が変わると思います。
<< Home