2013/02/03

映画批評⑦

  今回も、映画の感想です。 相変わらず、一日二本くらいのペースで見ているのですが、ここのところ、仕事で残業が増えているため、家で過ごせる時間が短くなり、鑑賞スケジュールが、ますますタイトになってしまいました。 その皺寄せは、このブログの記事を書く時間が無くなる所へ行くわけで、結果として、映画の感想を出さざるを得なくなるという寸法。

  つまりねえ、映画を見るのをやめりゃあいいんですよ。 元々、三度の飯より映画が好きというわけではなく、去年の9月くらいまでは、ほとんど見ていなかったんだから。 どーして、こんなに映画ばかり見る人間になってしまったのかなあ?

  そうそう! 去年の秋のテレビ・アニメがあまりにもつまらなくて、一本も見なくなってしまったのが、そもそものきっかけですわ。 バラエティーも、ほとんど見なくなっていたので、映画以外に見るものが無くなってしまったんですな。

  ノイタミナの≪PSYCHO-PASS サイコ・パス≫は、第四話くらいまで見ていたんですが、何だか、SFの割には、話が古臭いし、ヒロインの顔は変だしで、やめてしまい、それっきり。 他は、もっとひどくて、第一話ですら、早送りせねば、見ていられなった始末。 もちろん、二話以降は、パス。

  どーしてまた、こんなスカ・アニメばかりになってしまったのか・・・。 とにかく、高校生を主人公にする発想から脱却せねば、話になりません。 一体、何が面白いんだ、高校生の? ただの、人間の成りかけやがな。 高校生のセリフに、含蓄なんてあるものかね! 全っ然、面白くないっ!

  でも、もう無理か。 作っている監督達が、恋愛や日常的出来事以外に興味が無いのが、ありありしてますものねえ。 SFなんて、読んだ事も見た事も無い世代に、SFアニメの傑作を期待する方が、理不尽というもの。 日本のテレビ・アニメも、いよいよ、断末魔か。


  おっと、アニメの話が長くなってしまいましたな。 本題は、映画の感想です。 映画ばかり見ていると、アニメの世界設定やストーリーが、子供騙しに思えて来るのは、最近気づいた事。


≪ラブ・アクチュアリー≫ 2003年 イギリス・アメリカ
  ヒュー・グラント、リーアム・ニーソン、キーラ・ナイトレイ、ローワン・アトキンソンなど、錚々たるイギリス出身俳優が出て来る、ロンドンを主な舞台にした恋愛物。 この映画を見て、「あれ? この人、イギリス人だったのか」と初めて知るケースも多いのでは。

  全部で七組くらいの恋の経過を、同時進行で描きますが、一つ一つの話は、ほとんど関連性がないので、オムニバスを混合編集したような形になっています。 そのせいで、俳優さん達の顔を知っていないと、誰が誰で、どの話の人物なのか分からないまま、30分くらい過ぎてしまいます。 まあ、段々、見分けがつくようにはなるのですが。

  ≪ノッティング・ヒルの恋人≫の制作陣が作ったそうで、恋愛物の平均レベルは、楽にクリアしているのですが、どうせ、互いの話に関連性が無いのなら、一話一話独立させて、膨らませ、それぞれ一本の映画にした方が良かったのではないかとも思います。 アイデアが、勿体無いでしょうに。

  それぞれの話の内容は、概ね宜しいと思いますが、不倫物が二つ混じっているのは、ちと引っ掛かります。 相手にその気が無いのに、上司の男を誘惑する女が出て来ますが、他人の家庭を壊すのはいかんなあ。 自分が結婚した後、亭主を誘惑されたら、どう思うんですかね?

  結婚したばかりの友人の奥さんに、「下心は無い」と言いながら、愛の告白をする男も、随分と恐ろしい真似事をする奴ではありませんか。 また、その友人というのが、アフリカ系で、友人の奥さんと、その男が、ヨーロッパ系だから、先々どうなるかと思うと、気分が暗くなって来ます。

  小さな扱いで、笑いを取る為に入れたものだと思うのですが、おくてのAV男優が、純心なAV女優を、不器用にくどく話は、一番、感動的です。 こういうのを、本当の純愛というのではありますまいか。


≪イナフ≫ 2002年 アメリカ
  ジェニファー・ロペスさん主演の、DV物。 金持ちで正義感の強い男と結婚し、子供もできて、幸せの絶頂にいた女が、夫の浮気を知ったのをきっかけに、DVを受けるようになり、娘を連れて家を逃げ出すものの、どこへ隠れても、執拗に追いかけられ、やむなく、覚悟を決めて、反撃に出る話。

  DV物は、他にもありますが、この映画の特徴は、反撃の部分でして、たぶん、そこから先に、アイデアを起こしたのでしょう。 つまり、逃げ回るところまでは、前置きなわけでして、エピソードも、割とありふれたものになっています。

  アイデアは独創的ですし、アクションも迫力があって、そこそこ面白い映画なのですが、現実に、DVに苦しむ女性に、こういう荒っぽい解決方法を勧める事になってしまうのではないかと、そこが、ちと心配です。 物事は、映画のようにはうまく行かないのであって、真似をした結果、殺人罪で服役する事になってしまうケースが出て来るのではないかと思うのです。

  確かに、正当防衛で相手を殺してしまっても、殺人にはならないわけですが、自分の方から、それを狙って、相手を挑発するというのは、倫理的に問題でしょう。 この人、「娘の為」という言葉を何度も口にしますが、夫は、娘には、一度も暴力を振るっていないのであって、実は、「自分の為」であるのは明らか。 父親を殺してしまった母親が、成長した後の娘と、うまくやって行けるようには思えないのですが。


≪ミスター・サンタを探して≫ 2011年 カナダ
  大型商業施設を経営する大企業で、出世コースを歩む仕事一筋の女が、クリスマス商戦で、自分が担当するショッピング・モールの売り上げを、社内トップに押し上げるため、「セクシー・サンタ作戦」を企画し、成功するものの、セクシー・サンタに選ばれた青年の人柄に感化されて、次第に優しい思いやりの心を取り戻して行く話。

  青年の家のピザ屋が立ち退きを迫られているという設定を絡めてあり、ストーリーは、月並みではあるものの、よく練られています。 クライマックスに、もう少し、劇的な要素が加われれば、もっとよくなったと思うのですが。

  たとえば、社長が若い頃、貧乏で、ピザ屋の主人に、親切にしてもらった過去があり、閉店の土壇場になって、自分の会社が立ち退きを迫っていた事を知って、方針を撤回するとか。 ベタ過ぎ? いいんですよ、恋愛物の背景設定なんて、ベタで。

  恋愛物の部分は、まあ、よくあるような話です。 セクシー・サンタなのに、選ばれた青年が、いかにも実直そうで、ちっとも、セクシーでないのは、配役の都合でしょうか。 主人公が、嫌な女である事を演出するために、飲食店の行列に割り込みをさせたりしていますが、そんな事をしたら、嫌な女を通り越して、袋叩きにあってしまうと思います。


≪アドレナリン・ブレイク≫ 2008年 イギリス
  ノンストップ・アクションっぽい、バイオレンス物。 裏社会組織の関連会社に潜入していた女捜査官が、娘を殺された事で怒り狂い、犯人と思しき女ボスの居所を知るために、次々と殺人を重ねていく話。 怒った勢いで、組織の関係者をあらかた始末してしまうのですが、実は本当の犯人は・・・という、意外な結末が待っています。

  冒頭から一時間くらいは、ぞくぞくするような面白さがありますが、死人の数が増えるに連れ、犯罪物というより、ただのヤクザ映画のように思えて来て、評価が下がります。 最終的には、ヤクザ映画ではない事が分かりますが、それでも、評価は下がったままです。 単に、制作サイドの残虐趣味で作っただけの映画なんですな。

  いかに悪党とはいえ、無関係な人間を、十人以上も殺したのでは、主人公に共感するのは、全く不可能。 仮にも、捜査官なのですから、自分の娘が殺されたら、警察の力を使って、犯人を捜すのが、自然ななりゆきでしょうに。 即座に私的復讐に走った時点で、もう、観客は、主人公についていけません。

  出て来る人間が、ろくでなしの外れ者ばかりなので、世も末意識が高まって、げんなりしてしまうのは、大半のヤクザ映画と同じ欠点。 ラストで、一応、善悪バランスは取られますが、後味の悪さは救われません。


≪デンジャラス・ビューティー≫ 2001年 アメリカ
  サンドラ・ブロックさん主演。 男まさりのFBI捜査官が、爆破予告事件の潜入捜査をする為、ミス・コンテストに出場する事になる話。 いかにも、たった一つのアイデアから思いついて作ったという感じの映画。

  サンドラ・ブロックさんが、結構いかつい顔をしているので、「無理矢理、ミスコン」という設定に、よく似合っています。 というか、この人、≪スピード≫の頃は美人だったけど、この頃になると、顔がボコボコになってしまって、もはや、美人でも何でもないですな。 時間の経過は残酷だわ。

  犯罪サスペンスというより、コメディー仕立てで、犯人も、随分とおちゃらけた人達。 クライマックスの緊張感は、ほとんど無いです。 もっと、真面目な犯罪物にしても、成立したと思うのですが、話を膨らませている内に、コミカルな場面ばかりになってしまい、こういう展開にせざるを得なかったのかもしれません。

  わざわざ、映画館に見に行くような作品ではなく、家の居間で、家族で見て、ケタケタ笑うタイプの映画です。 いや、だから、悪いと言っているのではなく、ちゃんと笑えるだけでも、コメディーとして成功しているわけですが。

  マイケル・ケインさんが、ミスコンの極意を伝授する先生役で出ていますが、なんと、おねえキャラ。 何でも、こなす人ですなあ。 ≪スター・トレック≫の、カーク船長、ウィリアム・シャトナーさんも出ています。 こちらは、司会役で、誰でもいいような役。


≪彼が二度愛したS≫ 2008年 アメリカ
  主演のユアン・マクレガーさんは、≪スター・ウォーズ≫で、若い時のオビワン・ケノービをやった人。 助演のヒュー・ジャックマンさんは、≪X-MEN≫のローガン。 こういう説明をしないと分からないのでは?と思わせる役者さんというのは、まだ、メジャーになりきっていないという事でしょうか。

  仕事を真面目こなすだけの、つまらない生活をしていた会計士の男が、ひょんな事で、遊び上手の男と知り合いになり、会員制の秘密クラブに関わって、好きな女性ができるものの、実は、それが罠で、犯罪の片棒を担がされる話。

  マイケル・ダグラスさんが主演なら、もっとピッタリ来るような雰囲気の話。 映像表現が重々しいためか、前半には、ぞくぞくするような深みを感じます。 罠だった事が分かる辺りから、「ああ、そういう話か」と、先が読めて来て、急に白けます。 特に、話の視点が、罠にかけた方側に回ると、ラストに逆転が用意されている事まで読めてしまいます。

  映像美も、ストーリーも、善悪バランスも、全体的に卒なく纏められていて、出来はいい方だと思いますが、こういう話は、他の映画で何度も見ているので、後々、記憶に残るほどの、特徴的な印象はありません。 ストーリーだけの話で、人間性に関するテーマが無いと、完成度が低くなるのは、致し方無いところ。

  原題は、≪DECEPTION≫で、直訳すると、≪偽装≫。 邦題は、≪007≫の副題を継ぎ接ぎしたようなしょーもなさですが、スパイ物とは、何の関係もありません。 一体、どういうセンスやねん?


≪しあわせの隠れ場所≫ 2009年 アメリカ
  サンドラ・ブロックさん主演。 原題は、≪THE BLIND SIDE≫で、直訳は、≪隠れた一面≫とでもすべきでしょうか。 まったく、映画の邦題は、ダサいネーミングの宝庫ですな。

  体格が大きくて、運動神経は素晴らしいが、身寄りが無いアフリカ系の少年を、金持ちのヨーロッパ系家族が家に迎え、アメフトの選手として大学に入れるよう、支援してやる話。

  感動ストーリーとして仕立てられているわけですが、このあらすじを読んだだけで、「人種差別になるのでは?」とは、誰もが思うところだと思います。 で、見てみると、やはり、その通りでして、「アフリカ系は貧しくて、不幸。 ヨーロッパ系は豊かで、幸福」という固定観念をベースに、「豊かな者が、貧しい者に、幸福のおこぼれを施してやる」という図式の話になっています。

  2009年で、まだ、こんな低レベルの人種差別意識が残っているというのは、驚くべき事。 残っているというより、むしろ、増えているんでしょうか? たとえば、エディー・マーフィーさんの映画を見た後で、この映画を見ると、なんで、アフリカ系が、こんなに惨めな存在に描かれているのか、あまりの落差に愕然とすると思います。

  絶望的なのは、この映画の制作者達が、これを、「いい話」だと思っているに違いないという点です。 自分達の人種に対する基本認識そのものが、差別意識に塗り固められている事に気付いていない。 差別するつもりはないと言うなら、立場を逆転させて、豊かなアフリカ系家族が、貧しいヨーロッパ系少年を助けてやる話も作れるはずですが、たぶん、そんな話は、思いつきもしないでしょう。

  この家族が、少年を助けているつもりでいて、その実、やりたいとも言っていないアメフトを、「やって、当然」という調子で、強制しているのも、胸糞悪いです。 進む大学まで、自分達の母校を、実質的に押し付けており、呆れた利己主義。 その点に関しては、映画の中でも問題になるのですが、作っている側が、それを分かっているなら、最初から、こんな脚本、書くなっつーのよ。

  何でも自分で指図しなければ気がすまない母親の性格も、もし、自分の家族に、こんなのがいたらと思うと、ぞーっとします。 その役を、サンドラ・ブロックさんが演じているわけですが、無自覚な偽善者の、鼻持ちならない雰囲気は、よく出ています。


≪桜田門外の変≫ 2010年 日本
  大沢たかおさん主演。 題名の通りの歴史劇。 桜田門外の変を起こした水戸藩士達の、事件前と事件後の様子を描いた話。 大沢たかおさんは、事件の実行部隊の指揮をした、関鉄之介という人物の役。

  日本史では、誰もが知っている事件であるにも拘らず、映像化された例は、ほとんど知りません。 以前、井伊直弼を主人公にしたドラマを見た事がありますが、この映画は、茨城県の地域振興のために企画されたそうで、完全に水戸藩士側の立場で事件を見ています。

  水戸藩は、尊攘・倒幕のスイッチを入れた藩であったにも拘らず、その後、内紛に明け暮れ、幕末の中心的な役割を、全て薩長に持って行かれたという、苦い歴史があるので、「せめて、桜田門外の変くらいは、手柄と思いたい」という気持ちはわかるのですが・・・、これは、ちょっとねえ。

  桜田門外の変は、確かに、安政の大獄を終わらせた、日本史のエポックだったわけですが、やった事は、もろにテロ行為でして、この映画でも、襲撃場面は、残虐極まりなく、井伊直弼を守ろうとして殺された彦根藩士達の方が、気の毒に見えてしまいます。 襲撃に関わった水戸藩士達は、その後、ほとんどが捕らえられ、殺されるわけですが、ちっとも可哀想に見えないから困る。

  主人公の関鉄之介が、また、共感し難い人物です。 国の行く末を憂えて、大義の為に命を捨てる覚悟なのは結構なのですが、そんな立場である割には、国元に妻子がいる上に、江戸に女を囲っているなど、今の感覚で言うと、いい加減な男にしか見えません。 襲撃も、自分は手を汚さず、ただ、指揮をしただけ。 また、仲間が次々に殺されているのに、最後まで逃げ続けるなど、武士らしいけじめも持ち合わせていない様子。

  やっぱりねえ、人殺しでは、世の中を良くする事はできませんよ。 「井伊直弼を殺して、幕府の力を殺ぎ、朝廷に政権を返す」のが目的だったわけですが、その後、朝廷を誰が運営するのかまでは、全く考えていないようで、一概に、軽挙妄動とは言えないとしても、深謀遠慮には程遠いです。 やはり、テロリストでは、歴史劇の主人公になり得ないか。


≪13F≫ 1999年 アメリカ
  ローランド・エメリッヒ監督のSF。 スーパー・コンピューターの中に、1937年のロサンゼルスの街を構築する研究をしていた男が、上司の死の謎を解くために、自ら仮想現実世界に潜入するものの、恐ろしい現実に気付き、戦慄する話。

  途中までは、非常に面白いのですが、謎が解けた後のストーリーに、発展性が欠けていて、どうにも見心地の悪い気分になります。 アイデア勝負のSFなのに、クライマックスで銃が出て来るのは、なんとも興醒め。 もうちょっと、巧い脚本家に頼めなかったものか。

  2006年に、≪ゼーガ・ペイン≫という、日本のロボットSFアニメがありましたが、もしかしたら、この映画から、アイデアを取ったのかも知れません。 基本アイデアは、全く同じです。 こう書くと、≪ゼーガ・ペイン≫を見た人は、どんな話か、すぐに分かってしまいますが、まあ、ネタバレを避けるような出来の映画でもないでしょう。

  有名な俳優が一人も出ていないところから見て、かなりの低予算で作られたのではないでしょうか。 1937年のロサンゼルスの街が出て来ますが、それは、もしかしたら、他の映画のオープン・セットを借りたのでは? とても、大金を注ぎ込むような企画ではないのです。


≪ネバーランド≫ 2004年 イギリス・アメリカ
  ジョニー・デップさん主演。 1904年のイギリスで、劇作家のジェームス・マシュー・バリーが、偶然知り合った、寡婦と四人の息子の一家と交流する内、≪ピーター・パン≫の話を思いつき、劇にする話。

  こりゃあ、ちょっとした傑作ですぜ。 何と言いますか、30分くらい行ったところで、感動の展開を期待している自分を発見して、ワクワクして来ます。 ジョニー・デップさんが演じるバリーが、恐らく、最も地のキャラに嵌っている役柄で、彼を見ているだけでも面白い。

  三男が、ようやく心を開き、初めて作った劇を、母親の咳込みが台無しにしてしまう場面は、凄い落差が使われていて、あまりの痛々しさに、唖然としてしまいます。 これは、純文学の落差だわ。 トルストイばりですな。 三男が、後で、劇の大道具を壊しまくりますが、よーく分かるぞ、その気持ちは。

  あくまで、「ちょっとした」傑作に留まるのは、時間が100分と短いから。 この充実度なら、エピソードを足して、もっと長くした方が、バランスが良くなったと思うんですが。


≪さよならをもう一度≫ 1961年 アメリカ
  イングリット・バーグマンさん主演、イブ・モンタンさんと、アンソニー・パーキンスさんが助演の恋愛物。 パリで、インテリア・デザイナーをしている40歳の女が、浮気性で、なかなかプロポーズしてくれない恋人と、一途に自分を思い続けてくれる歳下の男との間で、心揺れ動く話。

  イングリット・バーグマンさんが、容色の衰え始めた女の悲哀を、地で表現しており、この配役に関しては、満点です。 アンソニー・パーキンスさんは、≪サイコ≫の主人公をやった人ですが、線が細くて、何となく頼りなさそうな雰囲気は、歳下男の役柄に、なかなか合っています。 イブ・モンタンさんの役は、誰でもいいようなもの。

  若い男に簡単に乗り換えられない理由が、「あなたより、ずっと歳上なのよ」というのは、分かるようでいて、分からん話ですな。 逆に言うと、最初の恋人に拘るわけは、「歳が自分と相応だから」という事になりますが、何だか、世間体だけを気にした、下らない理由のように感じられます。 そんな動機で結婚して、幸福になれるとは、とても思えませんが。

  イングリット・バーグマンさんの美貌の衰えが目立つために、主人公の立場に共感する気分にならず、時として、三文芝居を見ているようなアホ臭さに襲われます。 やはり、元美人は、美人じゃないんですよ。 どちらかというと、不美人なのです。 不美人の恋愛に、興味が湧かないのは、致し方ないところ。


≪エイリアンVSエイリアン インベージョン≫ 2007年 アメリカ・カナダ
  エイリアンというので、あの≪エイリアン≫の関連作品かと思ったら、全然違っていて、普通名詞として使われている「エイリアン」でした。 紛らわしい題をつけおって。 これ、間違えて見た人が、そーとーいますぜ、きっと。

  滅亡の危機に瀕した星から、地球へ来た異星人達が、人間を滅ぼして地球を乗っ取ろうとする一派と、それを阻止しようとする側に分かれて、戦う話。 分類すれば、SFですが、異星人は、魂だけがやって来ていて、体は地球人のものを借りているという設定なので、傍目には、地球人同士の戦いになり、中身は、ただのアクション物です。

  話も映像も、かなりやっつけな上に、有名な俳優も出ていないし、アクションは格闘オンリーで、どーにもこーにも、三流作品としか言いようがありません。 国際協力して作るような話ではないと思うのですが、アメリカとカナダの関係は、第三国の人間には、計り知れぬものがありますな。


≪遙か群集を離れて≫ 1967年 イギリス
  むむむむ・・・、これは、大作にして、傑作だわ。 170分ですが、見始めたら、途中でやめられず、一気に最後まで見てしまいました。 こんな映画を、題名すら聞いた事が無かったというのは、ちと不思議。 不当に低い評価を受けているのではありますまいか?

  羊飼いからの求婚を断った女が、伯父から遺された農場の女主人になり、たまたま流れ着いた羊飼いを、農場の管理人として雇うものの、彼を男として見る事はなく、隣の農場の主に冗談で求婚して、本気にされてしまったり、遊び人の軍曹に熱を上げて、結婚してしまったり、愚かしい男遍歴を重ねる話。

  言わば、「馬鹿女」なんですが、この映画の主要なテーマが、「恋は盲目、愛はままならないもので、人生は先が見通せない」というものなので、こういう人物が主人公でも、別におかしい事はないわけです。 女の愚かさを嘲笑っているわけでもなければ、馬鹿女を馬鹿と気付かずに賛美しているわけでもないんですな。

  映像が、絶品級に、素晴らしい。 イギリスの田舎の風景ですが、とにかく、雄大。 また、構図が凝っているせいで、何もかも、美しく見えます。 時代は、19世紀の前半頃ではないかと思うのですが、風俗考証が、これでもかというくらい詳細に詰めてあって、それを見ているだけでも、楽しいです。 大勢で歌を歌う場面が、何回も出て来ますが、歌の力がいかに大きいかを、思い知らせてくれます。

  主人公と結婚する軍曹が、しょーもない悪党のようでいて、実は、結構、繊細な心を持っているという設定が、話に奥行きを与えています。 隣の農場の主が、年甲斐も無く、恋に溺れ、醜くもがく有様も、いかにも、純文学的的。 こんな真面目な人をからかうなど、主人公は、本来なら、地獄に堕ちるべきですな。


≪沈黙の復讐≫ 2010年 アメリカ
  スティーブン・セガールさんが、制作・脚本・主演。 もろ、セガール色の映画。 国際麻薬取締組織の捜査官が、同僚とその家族を殺したチンピラ・グループを追う内、新たな同僚まで殺されてしまい、ブチ切れて、ロシア人の麻薬密売人と手を組み、私的復讐に走る話。

  現実には存在しない麻薬取締組織を設定したり、ルーマニアを舞台にしたり、いろいろと工夫はされているのですが、セガールさんが暴れだすと、みんな同じ映画に見えて来てしまうのは、ジャッキー・チェンさんの映画と、通ずるものがありますな。

  主人公が、あまりにも強過ぎると、嘘臭いし、逆に、弱点が多いと、ヒーローらしさに欠ける。 そこが、この種の映画の、キャラ設定の難しいところです。 セガールさん、一度、アクション物から離れて、コメディーか、ファミリー物でもやった方が、後の役者人生が面白くなるんじゃないでしょうか。


≪招かれざる客≫ 1967年 アメリカ
  題名は知っていたんですが、見たのは初めて。 犯罪物かと思っていたんですが、全然違っていて、人種問題がテーマでした。 テーマもテーマ、これだけ、人種問題に真正面から取り組んでいる映画も珍しい。 しかも、完成度が高く、映画として成功しています。

  サンフランシスコに住むヨーロッパ系の家族の元へ、ハワイ旅行から帰った娘が、アフリカ系の婚約者を連れて来たために、それまで反差別主義者だった父親がショックを受け、承諾するかしないかで、悩む話。

  父親はスペンサー・トレイシーさん、母親はキャサリン・ヘプバーンさん、アフリカ系の婚約者はシドニー・ポワチエさん。 この三人、それぞれ、主役を張れる格ですが、この映画では、トリプル主演という配分です。 役者を見せる映画ではなく、テーマが中心の話なんですな。

  公民権運動の影響で、こういう話が作られたのだと思いますが、この映画で取り上げられている問題は、古いと言えば古く、いつの時代でも変わらないと言えば、変わらないような気がします。 アフリカ系とヨーロッパ系の結婚だけでなく、異人種間や国際結婚では、いつでも、どこでも、立ち塞がる問題でしょう。

  一部、屋外ロケもありますが、ほとんどは、一軒の家のセット内で話が進むので、何となく、舞台劇のような雰囲気があります。 セリフが凝っているのも、舞台っぽい脚本ですな。 逆に言うと、映画的スケール感に欠けるのですが、舞台劇だと思ってみれば、構図に変化がある分、映画の方が面白く感じられます。



  以上、今回も15本。 見たのは、去年の12月初頭から、半ばくらいまでの間です。 うーむ、進まんのう。