2012/12/23

映画批評⑤

  今週から仕事内容が変わり、ライン・タクトが落ちたので、残業になるかと思いきや、相変わらず、定時30分前には終わってしまい、毎日、定時で帰って来る生活が続いています。 どうやら、年内いっぱい、そのパターンのままの様子。

  で、相変わらず、映画ばかり見ており、感想だけが、うず高く積もって行きます。 もはや、とても、このブログで紹介しきれる数ではなくなっていて、そろそろ、やめようかと思う反面、せっかく書いたのに、勿体無いという気持ちもあり、検討の末、一回分の数を増やして、出す事にしました。 長過ぎて、途中で読み飽きたら、それっきりにして下さい。


≪キングダム・オブ・ヘブン≫ 2005年 アメリカ
  リドリー・スコット監督の、歴史劇。 十字軍によって作られたエルサレム王国が、百年後、サラディン率いるサラセン軍の攻勢によって、崩壊の危機を迎える中、最後の抵抗を試み、平和的解決への道を開いた、鍛冶屋出身の騎士の話。

  大作と言えば、言えない事はないですが、大作らしいのは、戦闘場面の規模と迫力だけで、ストーリーの方は、簡潔にして、淡白です。 人間ドラマは、あって無いようなもの。 リドリー・スコット監督の作品に、人間ドラマを求める方が無理か。

  戦闘場面は、とにかく、凄まじいです。 特に、クライマックスの攻城戦は、前代未聞のスペクタクル。 しかも、リアル。 この辺りは、2001年の同監督作品、≪ブラック・ホーク・ダウン≫の描写を更に発展させ、規模を30倍くらいにしたと言えば、大体、感じが伝わるでしょうか。 この攻城戦場面だけ見ると、≪レッド・クリフ≫の戦闘場面が、遊んでいるだけのように見えます。

  ストーリーが、もうちょっと、内容があるものになっていれば、傑作になったと思うんですがねえ。 そもそも、貴族の種とはいえ、鍛冶屋しか経験が無い男が、こんなに強いわけがないですし、故郷を出奔した理由も、取って付けたような、いい加減なもの。 エルサレム王から領地を貰ったり、王女に惚れられたり、王亡き後に、指揮官に抜擢されたり、話がうますぎて、およそ、リアリティーに欠けます。

  主人公が指揮するエルサルム軍が、強すぎるのも不自然です。 こんなに強いなら、敵を蹴散らしてしまえばいいわけで、なにも、和平交渉に持ち込む必要はありますまい。 主人公が、闘争心剥き出しで、さんざんイスラム教徒を殺しておきながら、平和主義を標榜しているというのも、矛盾していて、何だか、馬鹿馬鹿しいです。

  差別表現は、注意深く避けているようですが、所詮、キリスト教徒側の視点で見た歴史であって、イスラム教徒が見れば、「こんなのは、おかしい」と感じるような点が、いくらも出て来ると思います。


≪ザ・インターネット2≫ 2006年 アメリカ
  ≪ザ・インターネット≫は、サンドラ・ブロックさん主演の1995年の映画でしたが、この≪2≫は、映画ではなく、オリジナル・ビデオとして作られた作品らしいです。 主演女優の、ニッキー・デローチさんも、主にテレビの方で活動している様子。 しかし、知らずに見れば、誰でも、映画だと思う出来です。

  イスタンブールの企業に雇われたコンピューター技師のアメリカ人女性が、何者かの罠に嵌まって、犯罪に利用された挙句、自分の身元を証明する手段を全て失い、別の人間に仕立て上げられてしまうものの、専門知識を使って、反撃を試みる話。

  主人公の性格が、険々しているためか、好感が持てず、理不尽な目に遭っても、同情心が湧き起こって来ません。 トルコの警察に向かって、「私はアメリカ人よ!」と怒鳴る辺り、「アメリカ人なら、外国にいても、権利を保障されるのが当然」と言わんばかりで、むしろ、嫌悪感すら覚えます。

  原題も、≪THE NET 2.0≫ですが、インターネットとは、ほとんど関係が無く、単に、コンピューターが関係するという程度の設定です。 見せ場は、むしろ、主人公がイスタンブールの街を逃げ回る、体を張ったアクション。 この撮影は、相当厳しかったでしょう。

  ストーリーは、結構、凝っているのですが、その舞台が、イスタンブールでなければならない理由が無いので、その点、不自然さは否めません。 ただ、ふんだんに出て来るイスタンブールの街並みの美しさは出色で、ここをロケ地に選んだ理由は、何となく分かるような気がします。 必然性を無視してまで、優先するような事ではないと思いますが・・・。


≪パンドラの匣≫ 2009年 日本
  太宰治の小説の映画化。 1945年から46年にかけて、人里離れた結核療養所を舞台に、入院患者達と、看護婦達の、恋のさやあてを描いた話。 いかにも、太宰作品といった感じで、べたべたの甘々。 ただし、他の太宰作品のように、過剰に自虐的・悲観的なところは無いので、割と見易い方だと思います。

  ストーリーは、一応、存在し、美しい婦長が、新たに赴任して来て、それまでの人間関係に、ちょっとした波風が立つというもの。 しかし、別に、婦長がヒロインというわけではなく、もう一人の若い看護婦の方が出番は多いです。 主人公の青年を中心に、その周辺の人物の動きを、漠然と描いているという感じ。

  面白いか、面白くないかと問われれば、はっきり言って、面白くない映画なのですが、敗戦直後の、誰もが心を虚ろにしていた時代に、健康を回復するという、小さな希望が存在した場所の、独特な雰囲気に浸る分には、出来は上々です。 明るさと暗さの中間を、僅かに蛇行しながら進む感じが、他の映画では味わえないところ。


  映画ではなく、原作段階の問題ですが、入院患者と、看護婦の恋愛が、こんなに頻繁に起こるというのは、不自然な感じがします。 私も、若い頃に、入院経験がありますが、そこでは、看護婦は、入院患者の事を、人間ではなく、魚市場のマグロのように扱っていました。 恋愛なんて、発生する余地、微塵も無し。 むしろ、患者から、そういう意識を持たれる事を、警戒しているような雰囲気に満ち満ちていました。


≪ペイル・ライダー≫ 1985年 アメリカ
  クリント・イーストウッドさん、監督・主演の西部劇。 金鉱の町を牛耳るボス一味から、立ち退きを迫られている村へ、凄腕の牧師がやって来て、貧しい砂金獲り一家を助けてやる話。

  なんつーかそのー、これは、≪シェーン≫のリメイクですな。 そうは言われてないようだけれど。 世話になった家族のために、ならず者の一味を殲滅しに行くところとか、その家の子供に慕われて、最後に大声で呼びかけられるところとか、全体の構成も、細部も、非常に良く似ています。 子供の性別は、男から女に変更されていますが。

  滞在中、牧師の服を着ているので、村人から「牧師さん」と呼ばれるのですが、ストーリー上、牧師でなければならない理由は、ほとんど無く、なんで、牧師にしたのか、首を傾げてしまいます。 「棺桶の中に機関銃」といった、マスロニ・ウエスタン風の意外性を狙ったんでしょうか?

  何と言っても、名作≪シェーン≫をなぞっているわけですから、ストーリーは面白いです。 ただ、≪シェーン≫では農民だった一家が、こちらでは、砂金獲りになっているので、軽薄さが否めず、ひどい目に遭っても、あまり気の毒な感じがしないのは、マイナス点ですな。

  面白かったのは、40歳はとうに越えていると思われる主人公が、15歳の娘に、愛の告白をされる場面。 母親の方なら、まだ分かるのですが・・・。 とはいえ、昔ならば、そのくらいの歳の差夫婦は、いたかもしれませんなあ。


≪パピヨン≫ 1973年 フランス
  スティーブ・マックイーンさん主演、ダスティン・ホフマンさんが助演。 二人ともアメリカの俳優ですから、フランス映画といっても、言語は英語です。 無実の罪で、流刑処分になった男が、フランス領ギアナにある刑務所から、仲間達と脱獄しようとする話。

  映画史に残る名作ですが、私は今まで、見る機会がありませんでした。 昔、たまたま見たのが、ギロチン処刑の場面で、「なんだ、こんな残酷な映画なら、見たくない」と思って、それ以来、避けていたのです。 随分、古い映画のようなイメージがありましたが、73年なら、私はとっくに生まれているわけで、そんなに古くはないですねえ。

  出て来る車の形を見ると、第一次大戦と第二次大戦の間くらいではないかと思いますが、そんな時代に、自由の国フランスが、こんな恐ろしい刑務所を運営していたとは、驚き呆れる話。 これでは、佐渡金山と変わりません。 服役させる為ではなく、殺す為に送り込んでいるんですな。

  凄まじいのは、主人公が入れられる独房の場面で、そこに、最初に二年間入れられた時、仲間を庇ったばかりに、食事を半分に減らされてしまうのですが、ゴキブリを喰って生き残る様子には、鬼気迫るものがあります。 いやあ、私は、喰えませんなあ、いくら飢えても。 それとも、飢えれば、喰う気になるもんなんですかねえ。

  ≪大脱走≫のような綿密な計画性は無く、多分に、行き当たりばったり的なノリで、脱獄が実行されます。 この話の元になっている実話では、八回脱獄したそうですが、この映画では、二回だけです。 よく、この映画の感想で、「何度失敗しても、脱獄を繰り返す主人公の執念に感じ入った」などと書いてあるのを目にしますが、たった二回では、「何度でも」という表現はおかしいでしょう。

  大作ですし、名作だとも思いますが、主人公が、なぜ、脱獄に拘るのか、そこの説明が足りないような気がします。 模範囚に徹して、刑期満了を待った方が、早く出られたと思うのですがね。 無実の罪だから、服役する言われはないというプライドが、そうさせたんでしょうか。


≪フローズン・リバー≫ 2008年 アメリカ
  ギャンブル狂の夫に金を持ち逃げされ、二人の子供と共に残された女が、注文してあった新しい家の代金を手に入れるために、先住民の女がやっていた、密入国者を運ぶ仕事の片棒を担ぐ話。

  モホーク人の居住地が、カナダとアメリカに跨っている事を利用して、車のトランクに密入国者を隠し、冬場、凍結した川を渡るというやり方でして、最初は、主人公も、見ているこちらも、「ほう。 おいしい仕事じゃないか」と思うのですが、所詮は犯罪ですから、いい結果にはなりようがありません。

  最初は、互いに銃を向け合うような険悪な雰囲気だったのが、次第に、相手の境遇を理解しあうようになり、最終的には、捕まった時に、どちらが犠牲になるかという話になって行きます。 一種の人情劇でして、アメリカ映画では、割と珍しいテーマです。

  主人公の家族は、食費はギリギリ、レンタル・テレビも取り上げられそうになるという、崖っぷちの生活。 しかし、その原因は、主人公が、新しい家を手に入れる夢を諦められない事にあり、欲の結果なので、同情する気になりません。

  ラストも、「甘過ぎるのではないか?」という感じ。 普通、このパターンで逮捕されたら、お金も没収されると思いますが、どうなってんでしょ? 人情話を成立させる為に、リアリティーを無視したのだとしたら、日本のお涙頂戴映画と、選ぶところがありますまい。


≪栄光のル・マン≫ 1971年 アメリカ
  スティーブ・マックイーンさん主演のレース物。 高校生の頃に見たのですが、ほとんど忘れていました。 ル・マン24時間耐久レースに、ポルシェ・チームのドライバーとして参戦したアメリカ人レーサーの話。

  ほぼ、全編、ある年のル・マン・レースの描写で埋まっています。 人間ドラマは、ほとんど無し。 主人公は、ル・マンの前に、他のレースで事故に遭っていて、その時、死んだレーサーの妻というのが出て来ますが、事故はどちらが原因だったというわけではないようで、主人公に恨みを抱いている様子はなく、関係は、実に淡白です。 というか、「この女、一体何しに、レース場に来てるの?」と思うほど、浮いた存在。

  レース場面は、≪グラン・プリ≫よりは、迫力が無いですが、映画全体の時間が短いので、間延びは起こしていません。 事故の場面だけは、そこそこの迫力。 クライマックスのデッド・ヒートは、緊迫感がぐっと盛り上がりますが、リアルに徹して、映画ならではの劇的の展開を避けているために、些か、フラストレーションが溜まるラストになっています。

  セリフを極力減らし、物語性も犠牲にして、ル・マンの臨場感を伝える事に最大の力点を置いており、普通の映画とは、だいぶ、雰囲気が違います。 私は、あまり、ピンと来ないのですが、レースが好きな人は、こういうのがたまらんですかねえ?


≪沈黙の鎮魂歌≫ 2009年 アメリカ・カナダ
  スティーブン・セガールさん、制作総指揮・主演。 初期の沈黙シリーズを何本か見た後、この人が作る映画を見ないようになっていたのですが、これは、制作年が新しいので、少しは変わったかと、見てみました。

  元ロシア・マフィアだった作家が、娘の結婚式に出るために、古巣の町へ戻ったところ、元妻が殺され、娘が重傷を負わされてしまい、娘の婚約者と共に、その父親であるロシア・マフィアのボスに復讐する話。

  全然、変わってませんでした。 やたら暴力的で、残忍なところなど、昔のまんまでした。 この映画の場合、国家的陰謀の類は絡まず、ヤクザ同士の殺し合いなので、尚更、残忍さが際立っています。 変わった点を探せば、セガールさんの腹が出て、軽快な動きが見られなくなったところくらいでしょうか。

  これだけ殺しまくったら、相手がマフィアだろうが、街のクズどもだろうが、ただの大量殺人鬼であって、もはや、ヒーロー扱いは望めますまい。 警察が止めようとしないのが、また、呆れた御都合主義。 いいのか、これで・・・。 映倫は、猥褻表現なんかより、こういう倫理上、問題がある作品を取り締まった方が良いのでは?

  はっきり言って、セガールさんの名前だけで売っている感じで、中身は二流映画になってしまっているのですが、こういう暴力物が好きな固定ファンがいて、そこそこ興行収入が得られるために、この種の作品を作り続けざるを得なくなっているのかもしれませんな。


≪ライフ・オン・ザ・ロングボード≫ 2005年 日本
  珍しく、大杉漣さんが、主演。 定年を迎えた男が、先立った妻との思い出を懐かしむ内、若い頃、サーフィンをやりかけて、すぐにやめてしまった事を思い出し、その時買ったロングボードを実家の納戸から発掘して、種子島に移住し、サーファーになる話。

  「いい歳したオッサンが、若者のスポーツであるサーフィンを始める」という落差を狙っているわけですが、逆に言えば、他に売りが無く、この内容で、映画の尺を埋めるのは、かなり、困難。 足りない分を、主人公の娘が就活に苦労するエピソードで水増ししているのですが、そのせいで、誰が中心人物なのか、はっきりしなくなってしまっています。

  大杉さんは、この映画のために、サーフィンを実際に習ったらしいですが、やはり、年齢的に厳しかったのか、波に乗れる場面は、信じられないほど少ないです。 もう二三カットは、欲しいでしょう。 最終的に、主人公が、サーファーになったと言うのならば。

  主人公を、善人にし過ぎてしまっていて、ストーリーが甘くなっています。 「病的な仕事人間で、家族を省みず、妻を死なせてしまって、娘達からは父親失格の烙印を押されていた男が、定年を迎えて、失意のどん底に落ち込み、唯一残った妻との思い出から、サーフィンを始め、それに取り付かれていく」という話にすれば、もっと落差が際立って、ずっと劇的になったのですがねえ。

  実際には、主人公は、良識的で、礼儀正しい、とてもいい人でして、家族との関係も、うまく行っていた方。 病気の妻には優しく接していましたし、娘が自立したがっているのが不自然なくらい、いい父親でもあるのです。 たぶん、制作者達が、この主人公を、悪い人にしたくなかったんでしょうなあ。 で、良い要素を積み足して行く内に、どんどん甘くなってしまったわけだ。

  ただ、この甘さは、必ずしも悪くは働いておらず、悪人が出て来ない事で、映画が全体的に良心的になり、爽やかな雰囲気を醸し出す事に成功しています。 怪我の功名という奴でしょうか。 ちょこちょこと、ギャグが盛り込まれていて、笑える場面が多いのも、宜しいと思います。


≪ノッティングヒルの恋人≫ 1999年 アメリカ
  ヒュー・グラントさん、ジュリア・ロバーツさん主演の恋愛物。 ロンドン郊外の町、ノッティングヒルで、流行らない本屋を経営している男が、たまたま出逢った世界的に有名なアメリカ人女優と、互いに惹かれあうものの、立場が違いすぎて、紆余曲折する話。

  ほぼ、≪ローマの休日≫の、リメイク。 いや、翻案というべきか。 少なくとも、下敷きにしているのは明らかです。 男の職業は本屋ですが、記者に化ける場面があり、クライマックスも記者会見で、≪ローマの休日≫と同じ。 いわゆる、オマージュ作品なんでしょうな。

  ジュリア・ロバーツさんを、好きかどうかで、この映画のイメージは、だいぶ、変わると思います。 私としては、この人は、恋愛物より、もっと硬いテーマの映画の方が似合うと思うのですがね。 誰が見ても異論の無い美形と言うわけではない事もありますが、それより何より、こういう役では、せっかくの演技力が勿体無い。

  その点を除けば、非常によく出来たコミカル・ロマンスで、制作者のセンスの良さが窺える、気持ちのいい映画だと思います。 イギリスが舞台ですが、アメリカ映画なので、暗い感じが全く無いのも、ギャグのキレを良くするのに寄与していると思います。


≪この愛のために撃て≫ 2010年 フランス
  85分の中編映画なのですが、これが、思わぬ拾い物。 面白いのです。 リュック・ベッソン作品以外で、こんなに面白い現代フランス映画があるとは、意想外でした。

  病院に担ぎ込まれた殺し屋を助けた事から、身重の妻を略取された看護士見習いの男が、恐ろしく厄介な組織を敵に回して、殺し屋と共に逃げ回りつつ、妻の奪回を試みる話。

  ノン・ストップ・アクションで、とにかく、息つく暇がありません。 車を使わず、生身の足と公共交通機関だけで動き回るのですが、その結果、体当たりのアクションになっていて、独特の迫力を生んでいます。

  殺し屋の人相が異様に悪いのですが、この男が、実は、主人公の敵ではなく、むしろ、味方として行動する点に、落差があって面白い。 その上、「え゛え゛っ?」と思うような連中が、敵方の組織になるため、そちらの落差も凄い。 途中、主人公に同調して、絶望的な気分になりますが、そのまま、理不尽な展開へ放り出されるような事はないので、ご安心を。


≪カイジ2 人生奪回ゲーム≫ 2011年 日本
  うーむ・・・・、≪カイジ 人生逆転ゲーム≫の方は、あまりの馬鹿馬鹿しさに、早送りしたのですが、こちらも、15分くらいで我慢ができなくなり、早送りしてしまったので、感想が書けません。

  なぜ、見るに耐えないか? それは、話が、まるっきり、漫画だからです。 漫画なら許される設定でも、実写で映画化したら、リアリティーが損なわれ過ぎて、カッコがつかない話というのはあるのであって、この作品は、その典型。 スカとすら言えない。 映画として認められないレベルです。


≪ノーバディーズ・フール≫ 1994年 アメリカ
  ポール・ニューマンさん主演。 晩年の出演作の一つ。 雪深い田舎町で、建設作業員をしている男が、失業した息子を助手に雇ってやったり、孫を相手に、「おじいちゃん」を演じてみたり、勤め先の会社の経営者と家庭用除雪機を取り合ったり、下宿先の大家の老女を助けたりと、ごく日常的な交流をする様子を描いた話。

  田舎町の狭いコミュニティーで起こる出来事ばかりなので、非常におとなしい話になっています。 映画としては、まずまず、よく纏まっていると思うのですが、あまりにも地味過ぎて、ポール・ニューマンさんの都会的なイメージには合いません。 そもそも、建設作業者って感じじゃないですよねえ。

  映画ではなく、テレビ・ドラマだったら、秀作になったと思われます。 あまり静か過ぎる話というのは、映画に向かないんですな。 会社の社長役で、ブルース・ウィリスさんが出ていますが、さして重要な人物ではなく、別に誰でもいいような役です。


≪青春☆金属バット≫ 2006年 日本
  なんだ、これは~? 制作者は、全員、精神異常者か? なんで、映倫は、こういうのを上映禁止にしないんでしょう? これも、漫画が原作ですが、漫画ですら、こんな話は許されますまい。 リアリティーの有無ではなく、倫理上、重大な問題があります。

  元高校球児で、素振りの練習だけを生き甲斐にして、コンビニのバイトで喰っている青年が、アル中女を助けた事から、金が必要になり、傷害や強盗など、犯罪の世界に落ちて行く話。 主人公が、金属バットで人を殴る場面が頻繁に出て来ますが、残忍な事をしているくせに、残忍な人格という設定にされていない点は、違和感MAXです。

  陰惨な犯罪物なら、それはそれで構わないのですが、この映画の場合、青春物のような軽いノリで作られているため、まるで、犯罪者の方が正しいかような、危険な錯覚を誘うのです。 特に中高生には、明らかに毒になる内容で、「これも、一つの青春の形」などと受け入れられた日には、真面目に生きている人間は、たまったものではありません。 

  主人公も、アル中女も、主人公の元チーム・メイトの堕落警官も、狂人でなければ、人間のクズとしか思えない連中で、とても、映画の中心人物になりうるようなキャラではありません。 特に、アル中女はひどくて、美人だろうが、巨乳だろうが、常識のかけらも無いキチガイでは話になりますまい。 坂井真紀さんも、よく、こんな役を受けたなあ。 

  ラストが、また、異常なんですわ。 元エースの堕落警官が、主人公に、「俺の球が打てたら、見逃してやる」と言って、勝負をするのですが、主人公が犯した罪は、そんな事でチャラにできるような軽いものではありません。 どーして、こんなラストで、纏められると思ったのか、その感覚を疑います。 滅茶苦茶だわ。

  善悪バランスを考えれば、罪を犯した主人公達には、それに見合うだけの報い、つまり、罰が与えられなければならないのですが、そこが、そっくり抜け落ちています。 批評意識無しで見た時、この映画から得られる印象は、「思い切って、犯罪者になったおかげで、彼女が出来た」というものになりますが、それでいいんですか? 犯罪者になる事を、見る者に勧めているんですか?

  こういう荒みきった生活をしている人間は、確かに存在しますが、それを、生き方として認めてしまったら、世も末でしょう。 一体、誰に共感して欲しくて、こんな映画を作ったのよ? それとも、制作者達自身が、こういう生活をしているんですか?


≪博士の愛した数式≫ 2005年 日本
  封切り時、盛んにCMを流していたので、名前は誰でも知っているはず。 交通事故の後遺症で、80分間で記憶がリセットされてしまう数学者と、彼の世話をする事になった家政婦と、その息子の、交流を描いた話。

  非常に地味な映画。 監督が、≪雨あがる≫の人なので、尚更、地味。 この監督、作中で何か事件が起きても、何も起こっていないように感じさせる、天賦の才能があるのではありますまいか。 明らかに、マイナス能力ですが・・・。 美しい自然を背景に、朗らかな登場人物を揃えれば、それなりに良心的な映画になる事は事実ですが、それだけではねえ・・・。

  まず、博士が、人間的魅力に欠けます。 作品の中で、精神的に成長が見られない登場人物は、脇役と決まってますが、80分で記憶がリセットされてしまうのでは、成長のしようがないわけで、中心的人物にはなりえません。 さりとて、変人でもなく、大きな問題も起こさない。 一言で言うと、つまらない人なのですよ。

  次に、実質的な主人公である家政婦が、妙に不自然なキャラ。 十年のキャリアがある割には、挙動が初々し過ぎるのです。 長年、同じ仕事をして来た人間というのは、感動する心など、とうの昔に摩滅していて、何があっても動じないような、ふてぶてしい態度になるものです。 身の周りに、いくらでも、そういう例が見られると思うのですがね。

  年柄年中、ニコニコ笑っているのも、度が過ぎていて、なにやら、気持ちが悪い。 独り言も激しいようですが、一度、病院に行った方がいいですぜ。 監督の演出なのだと思いますが、「素直で、明るい性格」というのを、恐ろしく浅く考えているのでないでしょうか。 笑っていさえすれば、明るいというわけじゃないんですよ。

  息子もよくない。 子供の頃は問題無いですが、数学の教師になった大人の方が、まずいです。 最初の授業で、自分の子供の頃の思い出を、一時間も語る教師がいますかね? ナルシシストも甚だしい。 いやらしいではありませんか。 聞き終わった生徒に、「ありがとうございます」などと言わせるセンスも、気持ちが悪い。 言うか、そんな事!

  「いい話を作ろう」という気ばかりで、実力が伴わないので、こういう腑抜けたような作品が出来てしまうのでしょう。 こういう映画を、「感動ストーリー」などといって、名作扱いする批評家も批評家です。 本当に面白いと思った? 私は、途中で二回も眠ってしまったんですがねえ。



  以上、今回は、15本。 ≪カイジ2 人生奪回ゲーム≫は、感想になっていませんが、一応、数の内に入れておきました。 批評する価値すらない映画というのは、あるものなんですな。 漫画を原作にしている映画は、日本に限らず、アメリカでも作られているのですが、映画として見るに耐えるものになるかどうか、よくよく、吟味すべきだと思います。