2012/11/11

行き詰まり打開策・パソコン編

  人生に行き詰った時、どうやって切り抜けてきたか。 前回はバイク編でしたが、今回は、パソコン編です。 インターネット編と言ってもいいですな。 ネットが登場する前は、パソコンには、何の興味も無かったんだから。

  そうなんです。 実質的なインターネット元年である1998年以前は、パソコンなんか、全然興味がありませんでした。 ちなみに、98年というのは、ウインドウズの、≪98≫が登場した年です。 その前の≪95≫の時からインターネットはあったわけですが、全世界的な普及が始まったのは、≪98≫からなので、そこがエポックとして記憶に残っているというわけ。

  インターネット以前にも、パソコンは存在していて、NECの≪PC98シリーズ≫や、富士通の≪FMVシリーズ≫などは、知識としては知っていましたが、自分で買おう使おうなどとは、露ほども思いませんでした。

  ネット以前のパソコンでできた事といえば、表計算、初期のCG作成、ワープロ、パソコン通信くらいのものでしたが、ワープロは専用機を持っていましたし、表計算は生活上、無用。 CGは自分で作ってみたいと思えるほど興味が無く、パソコン通信は、人間関係が面倒臭そうで、パス。 ・・・と、わざわざ高い金を出して始めるほど、モチベーションが上がらなかったのです。

  高いといえば、昔のパソコンは高かった。 50万円なんて珍しくもなく、安い物でも、25万円くらいが下限。 それでいて、機能と言えば、今のパソコンの100分の1も無かったのだから、ぼったくりといえば、ぼったくりです。 ちなみに、現在でも、20万円を超える機種があるにはありますが、どういう用途で企画されたものなのか、さっぱり分かりません。 「高ければ高いほど、性能はいいはず」と信じ込んでいる、お馬鹿さんをカモにしているんでしょうか。

  そういや、未だに、「パソコンといったら、NECか富士通」と言う人がいますが、これは、ネット以前の時代の企業イメージが、そのまま生き残っているものです。 国内では、依然として、この二社のシェアが多いわけですが、世界市場では完全な負け組でして、アメリカ・台湾・中国の大手メーカーには勿論、国内勢のSONYや東芝にも遠く及ばない事を、全く知らない人が多いため、起こっている珍現象です。

  言うまでもなく、NEC・富士通、SONY、東芝、その他の日本企業も、作っているのは、みな、DOS/V互換機なのであって、オリジナルのパソコンではありません。 パソコン業界は、今や完全に、世界中から部品を集めて作る、≪組み立て産業≫になってしまっていますから、独自性など、出しようがないです。


  話を戻しますが、私が、ネット以前のパソコンに興味を抱かなかった大きな理由の一つに、≪パソコン破産≫への警戒心が強かった事があります。 当時は、パソコン本体やソフトに、有り金全部を注ぎ込んで、破産する連中がいたんですよ。 技術的発展の急騰期の事とて、毎年のように新製品が出て来て、一年前の機械なんぞ、すぐに陳腐化してしまうので、時代について行こうとすると、次から次へ買い換えていくしかなかったんですな。

  破産まで行かなくても、「始めて、5年くらいですが、もう、一千万円くらい使いましたかね」とか、平気で言っている人間は、うじゃうじゃいました。 私は、真面目に貯蓄に励んでいる頃でしたから、そういう人間を見て、「いや~、こうなったら、おしまいだな~」と震え上がっていたわけです。

  ちなみに、ネット時代になってからは、パソコンは、格段に長く使えるようになりました。 ネットにしか使わないのであれば、機能は限られて来るので、5年くらい前のパソコンでも、何の不自由も無いという事になったのです。 もっとも、≪ユー・チューブ≫の登場辺りに、一つの画期があり、動画をストレス無く見られるかどうかで、パソコンの価値に大きな違いが出るようになりましたが。


  また、話を戻します。 ≪ウインドウズ98≫の登場以降、インターネットに関する情報が、世の中に溢れ出て、さすがの私も、少しは興味を感じるようになりました。 それでも、出費が怖い事に変わりはなかったので、積極的に手を出す事はありませんでした。 「他にやりたい事が何も無くなったら、パソコンをやろう」と思い始めたのは、この頃です。

  こういう展開になると、「やりたい事」について、書いておかなければなりませんな。 バイク以降に、嵌まった趣味というと、金魚、亀、ゲーム、水彩画、写真、ジグソー・パズルという流れになります。 他にも、何かやっていたかも知れませんが、覚えていないくらいだから、大した事じゃなかったんでしょう。


  金魚は、会社の先輩に、金魚を飼っている人がいて、その影響で、飼い始めたもの。 金魚の繁殖を趣味にしていた叔父さんに、「3匹ください」と頼んだら、50匹も持って来られて、嬉しい悲鳴を上げました。 60センチ水槽を、自室に二つ、居間に一つ置いて飼っていましたが、バタバタ死んで、一年後には、20匹くらいに減りました。

  その後、家族のクレームもあり、金魚は、庭にある、鯉の池に移される事になりましたが、近所を徘徊する猫達の格好の餌食になり、現在では、一匹しか生き残っていません。 彼は、鯉の腹の下に隠れる事で、猫の襲撃をかわしたんですな。 かれこれ、15年くらい経つわけですが、そう思うと 長生きしている事になります。


  亀は、映画、≪平成ガメラ≫の影響で飼いはじめたもの。 子供の頃にも飼っていたので、懐かしくなり、クサガメを一遍に12匹も買って来たのですが、飼育方法を知らぬ悲しさで、最初の冬に、ほとんどが死んでしまいました。 その後、マレーハコガメとハナガメを飼い、彼らは、長生きしましたが、今でも健在なのは、マレーハコガメだけです。


  ゲームは、ハードは、≪スーパー・ファミコン≫と、≪プレイ・ステーション2≫を買いました。 ソフトは、自分で買ったのは、全部合わせても、5本くらい。 他は、いい歳して、ゲームに嵌まっていた母が、ロール・プレイング・ゲームをたくさん持っていたので、それを借りて、やりました。

  しかし、これも、飽きるのは早かった。 ≪ファイナル・ファンタジー8≫をやっていた時、「こんな事をしていて、人生に何の足しになるのか?」と、深く深く自問してしまい、途中で、スパッとやめて、それっきりになりました。 ゲーム向きの人間じゃなかったんでしょうねえ。 ≪スーパー・ファミコン≫の方は、今でも天井裏に眠ってますが、≪プレイ・ステーション2≫は、随分後になってから、リサイクル・ショップで処分してしまいました。


  水彩画は、何がきっかけだったのか忘れてしまいましたが、突然、芸術に目覚め、絵が描きたくて仕方なくなったんですな。 油絵も検討しましたが、画材が高いのに怖気づき、「とりあえず、水彩画で、描けるかどうか試そう」と思った次第。 画用紙を水貼りとかして、結構、真面目に取り組んでいたんですが、5枚くらい書いて、早くも才能の限界を見切り、一気に描く気が失せました。


  で、次に始めたのが、写真。 これは、始めた理由をはっきり覚えています。 絵を描くのが面倒で、「写真でも、似たようなもんだろう。 シャッター押すだけなら、簡単だし」と思ったのです。 すげー、テケトーな理由ですが、本当だから仕方がありません。

  一眼レフのフィルム・カメラを買って、生意気にも、リバーサル・フィルムを使い、24枚撮りを半月に一本くらいのペースで撮っていましたが、これも、一年くらいで、飽きてしまいました。 撮っていたのは、主に風景でしたが、フィルム・カメラは、ブレが大敵なので、三脚使用が必須条件になり、その三脚が重くて、うんざりしてしまったんですな。

  また、リバーサル・フィルムは、プリントすると高いので、現像だけしてもらったポジ・フィルムを、ライト・ビュアーの上に置いて、ルーペで見るんですが、そんなチマチマした事をしている自分が、何だか、惨めに思えて来てしまったのです。 カメラ、三脚、ライト・ビュアー、ルーペ、フィルムと、全部で、20万円くらいは使ったと思いますが、それらの器材は、今では、押入れでガラクタと化しています。


  芸術に挑んで、一敗地に塗れた私は、更に安直な方向へ走ります。 カタログ・ギフトで、たまたま手に入れたジグソー・パズルをやってみたら、いい暇潰しになったので、自分で直截買って来て、500ピースを二つ、1000ピースを三つくらい、約一年かけて、やっていました。 いや、パズル自体は、三日もあれば完成するのですが、値段が、1000ピースで、2500円くらいするので、次から次へ、ホイホイ買い込むわけにもいかなかったのですよ。

  ジグソー・パズルを売っているのは、おもちゃ屋なんですが、寄ったついでに、ルービック・キューブが目に留まったので、買ってみました。 私が高校の頃に流行ったオモチャですが、ブームが去って、10年以上経っても、まだ売っていたんですねえ。 ところが、家に帰ってやってみると、全く出来ず、これは、一日で飽きました。 つまらん物を買ってしまった。

  うーむ、この辺り、今思い出して書いていても、人生に行き詰まりまくっているのが、如実に分かりますねえ。 なんつーかそのー、パズルの類に逃げ込むようになったら、人間、おしまいなのかもしれませんなんあ。

  で、ジグソー・パズルを一年やって、これも、飽きてしまい。 とうとう、やりたい事が何も無くなりました。 それが、2001年の3月頃です。 忘れもしない。 いよいよ、パソコンに手を出す時が来たというわけです。


  といっても、 パソコンに関する知識は全く無かったので、とりあえず、調べる事から始めました。 あーだこーだで、一ヶ月くらい、本を読んだり、雑誌を読んだりして、知識と情報を蓄積しました。 基本的には図書館にある本・雑誌で勉強し、最新機種を選定するために、本屋で雑誌を一冊だけ買いましたが、それは、今でも保存してあります。

  ちなみに、ケチな私は、パソコンを始めると決めても、「パソコン教室に通おう」などとは、金輪際、思いませんでした。 そんな金が使えるか。 その時点で、ワープロ専用機を、10年以上使っていたので、キーは打てるわけで、教室に通うほどの土素人ではなかったという事もあります。 これからパソコンを始めるという人間が最も恐れるのは、キー・ボード操作なので、そこをクリア済みだったのは、好都合でした。

  で、検討の結果、買って来たのが、コンパックのスリム・タワー型デスク・トップ・パソコンと、三菱の14型液晶モニターです。 パソコンが8万円。 モニターは、6万円でした。 当時、まだ、CRTモニターが普通に売られていましたが、私はケチであると同時に、SFファンで、未来志向も強かったので、少々高くても、液晶の方を選ぶのに、躊躇はありませんでした。

  私が、この組み合わせで買いたいというと、店員が、「ほう・・・」という顔をしたのを覚えています。 たぶん、その頃には、スリム・タワーと、液晶モニターを組み合わせるという人が、ほとんどいなかったんでしょう。 その後、当たり前のセットになっていくわけですが。

  ちなみに、この三菱の液晶モニターは、11年経った現在でも、現役で使っています。 14型のスクエアなので、いい加減、換えてもいいんですが、壊れないから、換えられないのです。 6万円は高かったけれど、元は充分に取ったか。 いや、その後の、液晶モニターの、深層崩壊的な値崩れを見ると、何十年使っても、元など取れないか・・・。


  部屋にパソコン・デスクを置く場所がないので、中学の時から使っている勉強机の奥に、スリム・タワーとモニターを並列になるように配置しました。 これだと、パソコンがモニターの後ろに隠れてしまうのですが、どうせ、電源スイッチだけ押せれば、使用中、パソコン本体に用は無いので、何の問題もありません。

  このレイアウトですが、その後、パソコンの買い替えで、色がモニターとズレてしまっても、パソコンの外見が見えないから気にならない、というメリットを齎しました。 ちなみに、最初の組み合わせは、モニターが白で、パソコンも白。 その後、パソコンは、シルバー、黒と変わりましたが、なにせ、モニターの後ろに隠れて見えないので、全く違和感がありません。

  プロバイダーの選定には、てこずらされました。 我が家が契約している電話会社は、NTTだったのですが、そのNTTが、当時、この地域では、プロバイダー・サービスを始めておらず、やむなく、KDDIのDION、つまり、現auとプロバイダー契約をしました。

  二社に跨ってしまったせいで、現在に至るまで、高い通信料金を払わされ続ける事になりますが、一度、契約してしまうと、ホーム・ページやブログのサービスの関係で、他に乗り換えるという事が簡単にできないのは、厄介です。

  私は、クレジット・カードを持っていなかったので、ネット契約は出来ず、家電量販店に置いてあった、パンフレットの申込書を郵送して、手続きをしました。 これだと、即日開通というわけには行かず、一週間、待つ事になります。 その間、パソコンはあるが、ネットはできないので、ウインドウズ附属のトランプ・ゲームなどやっていましたが、あれは、アホ臭いものですな。 ネット開通後は、二度とやる気にはなりませんでした。

  インターネットの接続は、最初は、ダイヤル・アップでした。 遅いというのも、確かに遅いのですが、それより何より、一ヶ月で、30時間の使用時間制限があり、そちらの方で、すぐに参ってしまいました。 冗談じゃないですよ。 一日、一時間しかできないなんて、宝の持ち腐れではありませんか。

  で、最初の月だけで、ダイヤル・アップはやめてしまい、次の月からは、≪フレッツADSL≫契約に切り替えました。 料金は、そんなに高くなったわけではなく、それでいて、時間制限は無いわけで、こちらの方が、断然、お得です。


  最初の内は、どこをどう見ていいか、よく分からず、DIONのポータル・サイトを拠点にて、カテゴリー検索で、個人サイトを行き当たりばったりに見て行きました。 やがて、亀を飼っている人達のサイトに出入りするようになり、話し相手が出来て 自分でも、亀サイトを立ち上げました。

  最初は順調でしたが、その内、掲示板に来るゲストと衝突する事が多くなって、ゲストが減る一方、自分も他のサイトに行かなくなってしまい、今では、その頃からの交友が続いている人は、一人しかいません。 いや、一人いるだけでも、よく維持できたと、感心するほどですが・・・。

  いろいろ悶着もありましたが、概ね、最初の三年くらいは、新鮮な経験で、楽しかったです。 ネットを始めなければ、赤の他人と話をする事など、永久に無かったでしょうから。 その点、ネットの力は凄いと思いますが、ネット上の交友関係が、長続きしない性質のものである事が分かってしまったので、今では、自分から特定の個人に話しかける事は控えるようになりました。

  私が幸運だったは、ネットを始めた直後、個人サイトの掲示板に先に行った事で、公共掲示板に嵌まらなくて済んだ事です。 あんな、人を人とも思わぬ人間のクズどもが、他人を扱き下ろす事だけに血道を上げている所になんか、正気でいられるもんですか。

  最初の一歩で、公共掲示板に足を踏み入れ、「ネットとは、こういう所だ」と思い込んでしまった人は、不幸ですなあ。 ほとんどの人は、居たたまれなくて、逃げ出したと思いますが、ただ、傷つけ傷つけられただけの記憶しか残らなかったんじゃないでしょうか。


  さて、ネットを始めて、11年が経過し、もはや、ネットからは、何の刺激も得られないという境地に至りました。 ツイッターや、フェイス・ブックなど、新しいメディアが、次から次へ現れても、手を出す気になりません。 ネット交友の限界を知ってしまった目には、悪い面ばかり見えてしまうのです。

  インター・ネットは、いろいろな事を調べるのには便利ですが、交友の場としては、すでに、私の中で、閉塞してしまっています。 今現在、ネット上で話をしている人は、三人しかいません。 いずれも、大変、人柄の良い方々で、私の方からお邪魔して、話をさせてもらっているわけですが、11年もやっていて、最終的に、三人しか持続する交友相手を見つけられなかったというのは、ある意味、驚きですな。


  で、ネットにも、とうとう飽きてしまったわけですが、今度という今度は、次にやりたい事が見つけられそうにありません。 趣味の限界を、見切ってしまった感があります。 「この世に存在する趣味は、いつの日か必ず飽きる」と、悟ってしまったのです。 全く、悟りなんてーのは、ろくなもんじゃありませんな。 自分で自分の首を絞めているだけ。

  人から評価される事に、興味を抱けなくなったのも、大きな変化です。 誉められたいとか、感心されたいとか、いい人と思われたいとか、そういう欲望が、消えてしまったのです。 逆に、こちらの方が評価する場合、対象になり得る人達は、相変わらずいるのですが、私がそういう人達に与える評価に、果たして、価値があるのかどうか、それに自信が無くなって来ました。

  自分自身、人間であるにも拘らず、人間の活動に、嫌悪感ばかり覚えます。 どーしたものかね、これは・・・。 自分で、人間特有の活動をすればするほど、自己嫌悪が進む悪循環。 どーしたものかね、これは・・・。

  生きる喜びを感じられないというのは、もしかしたら、贅沢病なのかもしれませんな。 切羽詰った状況に陥る事がないから、必死に生きようという気が湧いて来ないのだと思います。 なまじ、気楽さばかり追い求めて、人生の意義を軽いものにしてしまったのが、いけなかったか。

  このままでは、生ける屍になってしまいます。 どーにかせねばなりません。