行き詰まり打開策・バイク編
ここのところ、どうも、気分が滅入って仕方ありません。 特に何があったというわけではないんですが、人生に行き詰まりを感じるのです。 やりたい事が何も無くなり、お先真っ暗な閉塞感に襲われます。
以前にも、そういう事はありました。 「生き方を、リセットするしかないな」と思って、それまで、「これだけには関わるまい」と思っていた事、やっている連中を軽蔑していたような事に、わざと手を出して、乗り切ってきました。 バイク然り、パソコン然り。
バイクは、20代の終り頃になって、始めました。 普通は、10代後半に初めて、車に乗るようになると、やめてしまうものですが、私の場合、10代後半の頃には、バイクに乗っている連中を白眼視していて、車の免許すら、21歳の時に、仕事の関係でやむなく取ったくらい。
それが、20代も押し詰まったある時、やりたい事が全く無くなって、人生の目標を失ってしまった上に、仕事で腰を痛めて、「ああ、このままでは、寝たきりになってしまうかもしれないなあ・・・」と、漠然とした恐怖感に襲われていたら、急に、バイクに乗りたくなったのです。
普通、腰が痛ければ、労わろうとするものですが、逆に、腰に更に負担をかけてでも、バイクを始めようとしたわけで、私が、肉体面だけでなく、精神面でも、いかに追い詰められていたかが分かります。 捨て鉢半分、焼け糞半分だったわけですな。 おっと、それでは、まともな動機が、かけらも無かった事になってしまうか・・・。
ああ、そうだ、まともな動機もありましたよ。 その頃、会社の勤務時間体系が変わり、それまで、昼勤と夜勤の交代制だったのが、早番と遅番の交代制になったのです。 私は、その頃、電車・バスで通っていたのですが、早番・遅番制だと、早朝や深夜に出退勤しなければならないので、電車・バスの便がありません。 で、車を買い直すか、バイクにするか考えて、「車は、事故が怖いから、嫌だ」と思い、バイクを選んだのです。
普通の感覚では、「バイクの方が、事故り易いのでは?」と思うかもしれませんが、私が恐れていたのは、他人に害を及ぼす人身事故でして、バイクは、事故そのものは多いですが、加害者よりも、被害者になる事の方が多いので、人身事故を起こす危険性は少ないんですな。
ちなみに、映画やドラマで、バイクに乗った犯人が、歩行者を襲うという場面がよくありますが、あれは、バイクがどんなものか知らない無知な人間が考えたもので、実際には、バイクで歩行者にぶつかれば、バイクも倒れてしまい、無事では済みません。
歩行者どころか、直径5センチくらいの石に乗り上げても、転倒します。 以前、ある小説家が新聞に書いていた雑文に、「若者二人が乗ったバイクが、子犬を轢くのを見た。 彼らは、後から引き返してきて、様子を見ていたが、心の荒れた人間でも、命を憐れむ気持ちはあるのだろう」などという件りが出て来たのですが・・・、とんっでもない! 全くの捏造談でして、そんな事ができるわけがありません。 子犬がどんな小さくても、屋外に出てくるくらいの大きさであれば、轢いて、バイクが転倒しないわけがない。
この小説家、先入観だけで、バイクに乗っている人間を、極悪非道のゴロツキと決め付け、また、貧弱な想像力だけで、「凶暴なバイクに轢かれたら、子犬などひとたまりもないはず」と決め付けて、こんな実見談を捏造したのです。 実は、私自身、バイクに乗り始める前までは、大差無い認識だったので、尚更、よく分かります。 恥を掻きたくなかったら、知らない事は、書かないようにする事ですねえ。
おっと、脱線しましたな。 話を戻しましょう。
で、家から一番近い教習所に通い、中免(400cc以下)を取ったという次第。 ところが、教習過程で、クラッチの操作が、どうにも会得できず、「このままでは、何十時間乗らされるか分からんぞ・・・」と思って、練習用に原付のクラッチ式バイクを買ってしまったのがいけなかった。 何とか中免を取ったものの、原付をすぐに手放すには、性格がケチ過ぎたので、一年間、それで我慢する事になりました。
原付というのは、速度制限が30キロなので、どうしても、ストレスが溜まります。 白バイのカモになっているせいで、冗談みたいに、よく捕まりますし、車の流れに乗れず、路側帯を走らざるを得ないので、パンクも晩たび。 まあ、二度と乗りたいとは思いませんねえ。
とはいうものの、その原付で、ツーリングは、結構行きました。 最初の春に、和歌山県の熊野に一泊野宿ツーリングに行ったのを皮切りに、五月の連休に、山陽・山陰を五泊六日かけて、ぐるっと回り、夏の連休には、七泊八日かけて、東北を回りました。 その間、ずっと、時速35キロ・キープ。 かったるかったなあ。
で、せっかく、バイクに乗り始めたのに、面白くないので、「もっと、でかい免許を取ってやれ」などと、良からぬ野心が芽を吹き、別の教習所へ通って、大二輪(401cc以上)の免許を取りました。 その頃はまだ、県警の試験場で実技試験をする時代で、個人で受けに行くと、95パーセントが落とされるような難関だったのですが、私は裏技を調べ出して、そちらを実行しました。
特別に指定された教習所に通い、そこの教習終了証を持って、県警の試験場に行くと、よほど大きなミスをしない限り、合格させてくれるのです。 別に、ズルというわけではなく、その頃、外国のバイク・メーカーによる外圧が高まって、大二輪免許に対する警察の考え方が緩くなって来ていて、「教習所で大二輪の教習を受けた奴なら、合格させてやろう」という方針になっていたのです。
私は、その状況を、うまく利用した内の一人だったわけですな。 ただ、一回で受かったわけではありません。 教習所に行く前に、個人で受けに行って、一度落ち、教習所を出た後も、一本橋で足を着いて、一回落ち、三度目の正直で、何とか受かったのです。
その日に受かったのは、私を含めて三人だけでしたが、私が、パッとしないオッサンだったのに対し、他の二人は、いかにもライダーという感じの青年達で、私の顔を見て、「なんで、こんな奴が受かったんだ?」という表情を露わに浮かべていました。 いや、それなりの手順を踏んだから、受かったんですがね。
ところが、免許は取ったものの、実際の大型バイクは、一台も買いませんでした。 原付に一年乗り、次に225ccに乗り、その後も、同じ車種を買い換えて、現在に至ります。 だって、大型バイクは、重いんだもの。 大二輪の教習と試験は、750ccで行なわれますが、乗る前の押したり引いたりが、もう大変。 乗ったら乗ったで、一人の人間を運ぶには、明らかにオーバー・パワーで、ちょっとでも気を抜くと、カーブなんて曲がりきれません。
ちなみに、教習中は、何回か転倒しましたが、バイクから投げ出されると、バイクの重量が慣性になって、人間の体にかかってくるので、地面に叩きつけられるような感じになります。 自転車やスクーターで転んだ経験がある人は多いと思いますが、あんなもんじゃないです。 教習中は、破れたら困るような服は、御法度ですな。
15万円もかけて、大二輪免許を取ったというのに、あまりの重さに、教習中に、すっかり懲りてしまったという、アホ丸出しな話なわけです。 その後、400㏄ですら買う気にならなかったから、私がいかに、重さを嫌ったかが分かります。 今乗っているバイクは、120kgくらいで、押して歩いても、そんなにきつくはありません。 バッテリーが上がった時、押しがけができたくらいですからねえ。
私は当初、大二輪の免許を持っている事を、職場では隠していました。 10代後半頃にバイクに乗っていて、何度受けても大二輪の免許が取れず、トラウマ的コンプレックスを持っている人達が、うじゃうじゃいた時代だったので、下手に口に滑らすと、妬み嫉みで、心底憎まれてしまいかねない。 そんな時代だったのです。
実際に、大型バイクに乗らず、免許を持っている事も隠していたので、全く意味がない免許だったわけです。 もったいねー、15万円・・・。 この点は、大いに反省し、その後、使わない免許や検定には、一切手を出さないようにしました。
現在では、大二輪免許は、教習所で、実技試験まで受けられるようになり、中免(現在は、普通二輪)とほとんど変わらない労力で取れるようになりました。 解禁されてから、トラウマに苦しんでいた人達が、どっと取りに行き、リッター・バイクが大売れしたのは、まだ最近の話。 結果、中高年ライダーの事故が急増し、今や、若者の事故よりも多いそうですが、トラウマの解消と引き換えに命を奪われるとは、なんと皮肉な運命である事か・・・。
私は、その後、バイクには、ずっと乗っているわけですが、続いた最大の理由は、趣味ではなく、通勤という実用目的があったからでしょう。 車を持っていないので、夏でも冬でも、バイクです。 「冬は寒いだろう」とは、よく言われますが、否定はしないものの、風を通さない服や、フルフェイスのヘルメット、冬用グローブ、ブーツなど、耐寒装備を一通り揃えてしまえば、我慢できないほどではありません。
バイクのいいところは、何と言っても、維持費が安い事でして、250cc以下なら、車検も点検もないので、税金を年2400円払うだけで、所有していられます。 車と比べると、天地の差ですな。 燃費も良くて、私ので、リッター、38キロくらい。 これは実測値なので、最も性能のいいハイブリッド車と比べても、圧勝します。
次に、渋滞の際にすり抜けができるので、通勤時間の短縮に、かなりの効果を発揮します。 毎日毎日、10分早いと遅いとでは、累積すれば、大変な違いになります。 車の方が、楽だとは思うのですが、時間の事を考えると、バイクをやめる気にはなりません。
趣味ではないので、土日には、バイクに乗らないのですが、春と夏の連休には、一応、ツーリングに出かけます。 これも、燃費がいいので、車では行く気にならないような遠出も可能です。 朝から晩まで一日走っても、給油は一回です。 ガソリン代が高い時でも、多くて、1200円くらい。 車だったら、万札が飛ぶでしょう。 乗り物の燃費は、馬鹿にできませんぜ。
250ccクラスだと、車検が無いにも拘らず、自動車専用道にも入れるから、大変お得です。 私はケチなので、有料道路は、どうしても必要な時にしか乗らないのですが、有料でなくても、自動車専用という道路というのが結構あるのです。 元は有料だったのが、建設費用の回収期間を終えて、無料になったという所に、そういうのが多い。 で、125cc以下だと、そういう道路が通れないので、迂回を余儀なくされるのですが、250㏄なら、オッケーというわけ。
もし、400㏄や、それ以上の大型バイクを選んでいたら、車検費用で嫌になっていたかもしれませんし、125cc以下だったら、ツーリングに出た時、不便で、嫌になっていたかもしれません。 225ccを買った事も、続いた理由の一つかもしれませんなあ。
うーむ・・・、今回は、これまでの人生で、行き詰った時に、どうやって乗り越えて来たかについて書くつもりだったのですが、バイクの思い出について書き足していったら、長くなってしまいました。 パソコンの方は、また、次回に書く事にしましょう。
以前にも、そういう事はありました。 「生き方を、リセットするしかないな」と思って、それまで、「これだけには関わるまい」と思っていた事、やっている連中を軽蔑していたような事に、わざと手を出して、乗り切ってきました。 バイク然り、パソコン然り。
バイクは、20代の終り頃になって、始めました。 普通は、10代後半に初めて、車に乗るようになると、やめてしまうものですが、私の場合、10代後半の頃には、バイクに乗っている連中を白眼視していて、車の免許すら、21歳の時に、仕事の関係でやむなく取ったくらい。
それが、20代も押し詰まったある時、やりたい事が全く無くなって、人生の目標を失ってしまった上に、仕事で腰を痛めて、「ああ、このままでは、寝たきりになってしまうかもしれないなあ・・・」と、漠然とした恐怖感に襲われていたら、急に、バイクに乗りたくなったのです。
普通、腰が痛ければ、労わろうとするものですが、逆に、腰に更に負担をかけてでも、バイクを始めようとしたわけで、私が、肉体面だけでなく、精神面でも、いかに追い詰められていたかが分かります。 捨て鉢半分、焼け糞半分だったわけですな。 おっと、それでは、まともな動機が、かけらも無かった事になってしまうか・・・。
ああ、そうだ、まともな動機もありましたよ。 その頃、会社の勤務時間体系が変わり、それまで、昼勤と夜勤の交代制だったのが、早番と遅番の交代制になったのです。 私は、その頃、電車・バスで通っていたのですが、早番・遅番制だと、早朝や深夜に出退勤しなければならないので、電車・バスの便がありません。 で、車を買い直すか、バイクにするか考えて、「車は、事故が怖いから、嫌だ」と思い、バイクを選んだのです。
普通の感覚では、「バイクの方が、事故り易いのでは?」と思うかもしれませんが、私が恐れていたのは、他人に害を及ぼす人身事故でして、バイクは、事故そのものは多いですが、加害者よりも、被害者になる事の方が多いので、人身事故を起こす危険性は少ないんですな。
ちなみに、映画やドラマで、バイクに乗った犯人が、歩行者を襲うという場面がよくありますが、あれは、バイクがどんなものか知らない無知な人間が考えたもので、実際には、バイクで歩行者にぶつかれば、バイクも倒れてしまい、無事では済みません。
歩行者どころか、直径5センチくらいの石に乗り上げても、転倒します。 以前、ある小説家が新聞に書いていた雑文に、「若者二人が乗ったバイクが、子犬を轢くのを見た。 彼らは、後から引き返してきて、様子を見ていたが、心の荒れた人間でも、命を憐れむ気持ちはあるのだろう」などという件りが出て来たのですが・・・、とんっでもない! 全くの捏造談でして、そんな事ができるわけがありません。 子犬がどんな小さくても、屋外に出てくるくらいの大きさであれば、轢いて、バイクが転倒しないわけがない。
この小説家、先入観だけで、バイクに乗っている人間を、極悪非道のゴロツキと決め付け、また、貧弱な想像力だけで、「凶暴なバイクに轢かれたら、子犬などひとたまりもないはず」と決め付けて、こんな実見談を捏造したのです。 実は、私自身、バイクに乗り始める前までは、大差無い認識だったので、尚更、よく分かります。 恥を掻きたくなかったら、知らない事は、書かないようにする事ですねえ。
おっと、脱線しましたな。 話を戻しましょう。
で、家から一番近い教習所に通い、中免(400cc以下)を取ったという次第。 ところが、教習過程で、クラッチの操作が、どうにも会得できず、「このままでは、何十時間乗らされるか分からんぞ・・・」と思って、練習用に原付のクラッチ式バイクを買ってしまったのがいけなかった。 何とか中免を取ったものの、原付をすぐに手放すには、性格がケチ過ぎたので、一年間、それで我慢する事になりました。
原付というのは、速度制限が30キロなので、どうしても、ストレスが溜まります。 白バイのカモになっているせいで、冗談みたいに、よく捕まりますし、車の流れに乗れず、路側帯を走らざるを得ないので、パンクも晩たび。 まあ、二度と乗りたいとは思いませんねえ。
とはいうものの、その原付で、ツーリングは、結構行きました。 最初の春に、和歌山県の熊野に一泊野宿ツーリングに行ったのを皮切りに、五月の連休に、山陽・山陰を五泊六日かけて、ぐるっと回り、夏の連休には、七泊八日かけて、東北を回りました。 その間、ずっと、時速35キロ・キープ。 かったるかったなあ。
で、せっかく、バイクに乗り始めたのに、面白くないので、「もっと、でかい免許を取ってやれ」などと、良からぬ野心が芽を吹き、別の教習所へ通って、大二輪(401cc以上)の免許を取りました。 その頃はまだ、県警の試験場で実技試験をする時代で、個人で受けに行くと、95パーセントが落とされるような難関だったのですが、私は裏技を調べ出して、そちらを実行しました。
特別に指定された教習所に通い、そこの教習終了証を持って、県警の試験場に行くと、よほど大きなミスをしない限り、合格させてくれるのです。 別に、ズルというわけではなく、その頃、外国のバイク・メーカーによる外圧が高まって、大二輪免許に対する警察の考え方が緩くなって来ていて、「教習所で大二輪の教習を受けた奴なら、合格させてやろう」という方針になっていたのです。
私は、その状況を、うまく利用した内の一人だったわけですな。 ただ、一回で受かったわけではありません。 教習所に行く前に、個人で受けに行って、一度落ち、教習所を出た後も、一本橋で足を着いて、一回落ち、三度目の正直で、何とか受かったのです。
その日に受かったのは、私を含めて三人だけでしたが、私が、パッとしないオッサンだったのに対し、他の二人は、いかにもライダーという感じの青年達で、私の顔を見て、「なんで、こんな奴が受かったんだ?」という表情を露わに浮かべていました。 いや、それなりの手順を踏んだから、受かったんですがね。
ところが、免許は取ったものの、実際の大型バイクは、一台も買いませんでした。 原付に一年乗り、次に225ccに乗り、その後も、同じ車種を買い換えて、現在に至ります。 だって、大型バイクは、重いんだもの。 大二輪の教習と試験は、750ccで行なわれますが、乗る前の押したり引いたりが、もう大変。 乗ったら乗ったで、一人の人間を運ぶには、明らかにオーバー・パワーで、ちょっとでも気を抜くと、カーブなんて曲がりきれません。
ちなみに、教習中は、何回か転倒しましたが、バイクから投げ出されると、バイクの重量が慣性になって、人間の体にかかってくるので、地面に叩きつけられるような感じになります。 自転車やスクーターで転んだ経験がある人は多いと思いますが、あんなもんじゃないです。 教習中は、破れたら困るような服は、御法度ですな。
15万円もかけて、大二輪免許を取ったというのに、あまりの重さに、教習中に、すっかり懲りてしまったという、アホ丸出しな話なわけです。 その後、400㏄ですら買う気にならなかったから、私がいかに、重さを嫌ったかが分かります。 今乗っているバイクは、120kgくらいで、押して歩いても、そんなにきつくはありません。 バッテリーが上がった時、押しがけができたくらいですからねえ。
私は当初、大二輪の免許を持っている事を、職場では隠していました。 10代後半頃にバイクに乗っていて、何度受けても大二輪の免許が取れず、トラウマ的コンプレックスを持っている人達が、うじゃうじゃいた時代だったので、下手に口に滑らすと、妬み嫉みで、心底憎まれてしまいかねない。 そんな時代だったのです。
実際に、大型バイクに乗らず、免許を持っている事も隠していたので、全く意味がない免許だったわけです。 もったいねー、15万円・・・。 この点は、大いに反省し、その後、使わない免許や検定には、一切手を出さないようにしました。
現在では、大二輪免許は、教習所で、実技試験まで受けられるようになり、中免(現在は、普通二輪)とほとんど変わらない労力で取れるようになりました。 解禁されてから、トラウマに苦しんでいた人達が、どっと取りに行き、リッター・バイクが大売れしたのは、まだ最近の話。 結果、中高年ライダーの事故が急増し、今や、若者の事故よりも多いそうですが、トラウマの解消と引き換えに命を奪われるとは、なんと皮肉な運命である事か・・・。
私は、その後、バイクには、ずっと乗っているわけですが、続いた最大の理由は、趣味ではなく、通勤という実用目的があったからでしょう。 車を持っていないので、夏でも冬でも、バイクです。 「冬は寒いだろう」とは、よく言われますが、否定はしないものの、風を通さない服や、フルフェイスのヘルメット、冬用グローブ、ブーツなど、耐寒装備を一通り揃えてしまえば、我慢できないほどではありません。
バイクのいいところは、何と言っても、維持費が安い事でして、250cc以下なら、車検も点検もないので、税金を年2400円払うだけで、所有していられます。 車と比べると、天地の差ですな。 燃費も良くて、私ので、リッター、38キロくらい。 これは実測値なので、最も性能のいいハイブリッド車と比べても、圧勝します。
次に、渋滞の際にすり抜けができるので、通勤時間の短縮に、かなりの効果を発揮します。 毎日毎日、10分早いと遅いとでは、累積すれば、大変な違いになります。 車の方が、楽だとは思うのですが、時間の事を考えると、バイクをやめる気にはなりません。
趣味ではないので、土日には、バイクに乗らないのですが、春と夏の連休には、一応、ツーリングに出かけます。 これも、燃費がいいので、車では行く気にならないような遠出も可能です。 朝から晩まで一日走っても、給油は一回です。 ガソリン代が高い時でも、多くて、1200円くらい。 車だったら、万札が飛ぶでしょう。 乗り物の燃費は、馬鹿にできませんぜ。
250ccクラスだと、車検が無いにも拘らず、自動車専用道にも入れるから、大変お得です。 私はケチなので、有料道路は、どうしても必要な時にしか乗らないのですが、有料でなくても、自動車専用という道路というのが結構あるのです。 元は有料だったのが、建設費用の回収期間を終えて、無料になったという所に、そういうのが多い。 で、125cc以下だと、そういう道路が通れないので、迂回を余儀なくされるのですが、250㏄なら、オッケーというわけ。
もし、400㏄や、それ以上の大型バイクを選んでいたら、車検費用で嫌になっていたかもしれませんし、125cc以下だったら、ツーリングに出た時、不便で、嫌になっていたかもしれません。 225ccを買った事も、続いた理由の一つかもしれませんなあ。
うーむ・・・、今回は、これまでの人生で、行き詰った時に、どうやって乗り越えて来たかについて書くつもりだったのですが、バイクの思い出について書き足していったら、長くなってしまいました。 パソコンの方は、また、次回に書く事にしましょう。
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