2012/10/14

映画批評

  9月・10月と、仕事は楽で、残業もごく短く、家で自由に使える時間が長いのですが、不思議なもので、時間があると、この種のブログ記事を書く気が起こりません。 私が文章を書く時のエネルギーは、≪怒り≫が重要な源になっているのですが、時間にゆとりがあると、それだけで、生活に満足してしまって、怒りが湧いて来ないんですな。

  と言うわけで、今週は休み、・・・と言いたいところなんですが、ここを読むのが、日曜の習慣になっている人も少しはいると思われ、何も書かないのも、誠意が無い話なので、最近見た映画の批評でも書こうと思います。

  ただし、新作ではありません。 みんな、テレビで見たものです。 映画鑑賞は、私の趣味の一つですが、映画館に行く事は、まーずありません。 最後に行ったのは、≪ガメラ2≫の時だから、11年も前ですな。 いやー、随分、御無沙汰ですなー。 だって、料金が高いんだもの。

  特に、シネコンになってからは、一度も行ってません。 ケチな性分なので、見たい映画は、最低でも二回は見たいわけですが、シネコンだと、一本ごとに客を入れ替えてしまうので、一回しか見れません。 それが気に喰わなくて、行かないのです。 冗談じゃないですよ。 二年も待っていれば、テレビでタダで見られるのに、映画館で、たった一回見るために、2000円近い料金なんか、払えるもんですか。

  御託は、これくらいにして、肝腎の映画評にかかりますが、見た順なので、制作国も、制作年も、ぐちゃぐちゃです。 前以て断っておきますが、私の映画評は、かなり辛いので、読んだ結果、お気に入りの映画を貶され、気分を害したとしても、責任は負いかねます。 悪しからず。


≪ターミネーター4≫ 2009年 アメリカ
  スカイ・ネットに支配されて以降の話。 ジョン・コナーが、自分の父親になる青年を探しつつ、抵抗軍の指導者になっていく過程を描いていますが、もう一人、人間の意識を持ったターミネーターが出ていて、実質的には、そちらが主役になっています。

  ≪3≫までと違って、時間移動が全く出て来ないので、SFの雰囲気は、より希薄化し、単なる、未来戦闘アクション物になってしまっています。 そこそこ盛んにドンパチやっているのですが、この程度のレベルなら、とりわけて話題になる事はないでしょう。 実際のところ、≪ターミネーター≫に≪4≫がある事を知らない人も多かったのでは?

  ただ、≪エイリアン≫や≪プレデター≫の末期シリーズのような、B級化は、起こしていません。 まだまだ、本気で作っているという感じ。


≪G.I.ジェーン≫ 1997年 アメリカ
  ≪ゴースト ニューヨークの幻≫のヒロインをやった、デミ・ムーアさんが、女性兵士を演じた映画。 軍での女性の地位向上を目的に、海軍特殊部隊の最も過酷な訓練に参加する事になった女性兵士が、政治家の陰謀に翻弄されつつ、不屈の精神で、男達の偏見を突き崩して行く話。

  と、書くと、大層ご立派に聞こえますが、その実、この映画の目的は、性差別の告発や解消にあるのではなく、単に、訓練所や戦場での戦友意識を美化しているだけです。 リドリー・スコット監督は、この四年後に撮る、≪ブラックホーク・ダウン≫でも、同じようなテーマを扱っています。 よほど、戦友が好きと見える。

  軍隊という集団自体が、非日常的組織なので、その中にどっぷり浸かって生きている主人公に共感するのは、かなり難しいです。 どんなに努力しても、その目的は人殺しにあるわけで、応援したい気持ちにならんのですよ。

  クライマックスが、カダフィ政権のリビアで、取って付けたように、戦闘場面が出て来るのは、あまりにも軽薄。 手前勝手な理由で、外国に入り込んで、その国の人間を相手に戦闘を始めたら、いかんでしょう。 いわゆる、違和感があるアメリカ映画の部類です。


≪岳 -ガク-≫ 2010年 日本
  山岳救助ボランティアと山岳救助隊の話。 わざわざ、ストーリーを書くほどの事も無く、「山岳救助の話」で、誰もが思いつくような内容、そのままです。 撮影は大変だったと思いますが、それと作品の出来は、全く別の問題でして、「よくもまあ、こんな月並みな話を、わざわざ、映画に・・・」と、溜息が出ます。

  そもそも、岩山や冬山に入っていく登山者が、傍迷惑な存在だと思うので、そんな連中を命がけで救う人達の行為にも首を傾げてしまうのです。 たとえば、暴力団の抗争専門の医師団がいたとしたら、彼らの活動を応援できますかね?

  子供を出したり、山で死んだ家族や友人の思い出話をしたり、ありありと、お涙頂戴を狙っている辺り、日本映画の欠点丸出し。 そもそも、欠点だと思っていないから、こういう脚本が書けるのでしょう。 そんなにお涙が欲しいなら、いっそ、犬も出したら、如何?

  小栗旬さんが、あっけらかんとした性格の主人公を演じていますが、他の作品で見せる知的で繊細なイメージと掛け離れているので、馴染むのに苦労します。 というか、そもそも、こういう性格の青年が、物語の主人公になり得るのかどうか、そこが疑問。 明るいとか、前向きとかいう以前に、ちと、足りない人なのではありますまいか?


≪グラン・トリノ≫ 2008年 アメリカ
  クリント・イーストウッドさんの監督・主演作品。 硫黄島二作の後に撮られたもの。 家を出た息子達とは仲が悪く、妻にも先立たれた頑固な老人が、隣家のアジア系移民の家族と関わり合いが出来てから、その家の少年に生き方を教えつつ、少年につきまとう不良と対決する話。

  戦争の記憶、人種差別、家族崩壊、治安悪化、独居老人など、モチーフを欲張っているせいで、≪ミリオン・ダラー・ベイビー≫と比べると、かなり複雑で、テーマの焦点がぼやけています。 一番言いたいのは、「年寄りの死に方」なのだと思いますが、この映画が出している結論は、あまりにも普遍性に欠けています。

  暴力には暴力で対抗するという、老人の考え方が、事態をどんどん悪化させてしまう展開は、何とも救いが無いです。 ラストも、一応の決着がつくものの、「これでは、済むまいなあ」と、先々が心配になってしまうのは、私だけではありますまい。 出所したやつらが、復讐に来ないわけがないのです。

  「グラン・トリノ」というのは、老人が所有している、往年の名車の名前なのですが、作品名になっているくせに、目が点になるくらい、出番がありません。 専ら活躍するのは、ボロいピックアップ・トラックの方。


≪大奥≫ 2010年 日本
  ≪大奥≫と言っても、男女逆転の方です。 疫病で男が激減した、架空の江戸時代を背景に、女の将軍に男が仕える大奥が登場します。 貧乏旗本の息子が、家計を助ける為に、大奥に上がり、やがて、新将軍、吉宗(女)の、初夜の相手に選ばれるものの、大奥の掟によって、窮地に立たされる話。

  男女をひっくり返すという、アイデアだけが突出した話で、中身は、これといった見せ場も無く、印象に残る所が見当たりませんでした。 ただ、ストーリー展開のバランスは、よく取れています。 ラストの纏め方など、些か月並みではあるものの、見終わった後で、釈然としない気分になるような心配はありません。

  原作は少女漫画だそうで、「絶対、ホモ場面が出て来るぞ」と思っていたら、案の定、出て来ました。 しょーもな・・・。 男女逆転ならば、本来の大奥で、レズがあったという事になりますが、そんな設定は聞いた事がありません。 どうして、逆転させた時、ホモが出て来るのか、説明がつきますまい。


≪ア・フュー・グッドメン≫ 1992年 アメリカ
  トム・クルーズさん主演の軍事裁判物。 海兵隊の基地内で起こった殺人事件で、上官の命令を実行した被告二人の弁護人に任命された三人の男女が、上官の隠蔽工作を突き崩そうする話。

  途中までは、裁判物の面白さを感じるのですが、クライマックスの、上官を追い詰める手段が、あまりに単純過ぎて、ガクッと来てしまいます。 こんな怒り易い人物に、隠蔽工作なんて繊細な真似ができるとは思えません。

  それにしても、タイトルの、≪いい奴ら≫とは、誰を指しているんでしょう?


≪アイアンマン2≫ 2010年 アメリカ
  天才技術者にして、兵器メーカー社長のオッサンが、戦闘スーツを自ら身に纏って、悪と戦うヒーロー物、≪アイアンマン≫の続編なんですが・・・、なんつーかそのー、これは、漫画でしょう。 いや、元はアメコミだから、実際、漫画なわけですが、それにしても、漫画としか言いようがありません。

  SFでは、全くないです。 見せ場は、メカ・スーツの戦闘アクションですが、それに関しては、前作から全く進歩しておらず、むしろ、パワー・ダウンしている感すらあります。 人間ドラマは、ほとんど無し。 こんな軽薄な作品に出る俳優の気が知れぬ。

  最もしょーもないのは、この後作られる、関連作品、≪アベンジャーズ≫の伏線を張っている事でして、これではまるで、テレビ・シリーズではありませんか。 実際、見ていると、テレビ・シリーズの数回分を纏めて、劇場版に編集し直したのではないかと思うような錯覚に陥ります。

  とうとう、アメリカ映画も、ここまで堕ちたか・・・。 こんな物を、一級作品として作っているようでは、未来は暗いです。 0点。


≪恋人達の予感≫ 1989年 アメリカ
  巷の映画評によると、メグ・ライアンさん主演の、「ロマンティック・コメディー」だそうですが、正確に言えば、「コミカル・ロマンス」です。 笑える所もあるというだけの話で、大人の異性間の友情・恋愛関係に切り込むテーマは、至って真面目。

  初対面の時と、その五年後の再会では、いい印象を抱かず、互いに軽蔑しあっていた男女二人が、10年後の再々会で、性関係の無い友人として交際を始めるものの、結婚願望断ち切りがたく、紆余曲折する話。

  公開当時、大ヒットして、メグ・ライアンさんの出世作になったらしいのですが、今見ると、出演俳優の魅力より、物語の社会的背景の方が面白いです。 この話の中に出て来るような異性関係が、現代の日本社会では、全く見られない事に気付くと、俄然、社会学的興味が湧いて来るのです。

  その昔、「アメリカ社会で起こった現象は、10年遅れて、日本社会でも起こる」と言われましたが、確かに、10年後の1999年あたりの日本社会なら、こういう異性関係が多く見られたと思います。 女性が経済的に自立し、男と対等な立場で生きるようになった時代だからこそ、こういう関係が生まれて来たんでしょうなあ。

  その後、自立した女性が増加するに連れ、結婚難時代の幕が開き、その反動で起こった婚活ブームを経て、婚活惨敗組が不毛の荒野に立ち尽くす現在に至るわけですが、そういう人達が、この映画を見たら、「こんなのは、絵空事だよ」と鼻で笑う事でしょう。 しかし、こういう時代というのは、本当にあったんですよ。 今思えば、過渡期だったわけですが。

  興味深いのは、恋愛結婚が当然のアメリカ社会でも、出会いのきっかけは、「友人の紹介」がほとんどらしいと分かる事です。 昔の日本社会で、親や親戚がやっていた見合いの取り持ち役を、同性の友人達が担っているんですな。 それは、今の日本社会で、合コンが最大の出会いの場になっているのと同様です。

  つまりそのー、恋愛結婚と言いつつも、自力で相手を見つけられる人間は、ほとんどいないのでしょう。 友人の紹介や合コンに比べたら、言われなく小馬鹿にされている職場結婚の方が、まだ、純粋な恋愛結婚に近いと言えます。