2012/08/05

夏休み

  猛暑猛暑で、「暑い! 暑い!」と、毎日、唸っていても、神経を研ぎ澄まして、気温の変化を敏感に感じ取っていると、7月と8月では、暑さが違って来ている事に気付きます。 8月というと、真夏のイメージがありますが、時折吹く風には、秋の匂いが含まれているのであって、もう、暑さの盛りを越えたのが分かるのです。 まあ、旧暦なら、八月は、完全に秋ですからのう。

  思い出すにつけ、子供の頃の夏休みというのは、長かった。 7月20日くらいから、8月いっぱい、まるまる休みだったわけで、社会人になってからの感覚で言うと、「とんでもない話! そんなに休んで、何の意味がある?」と驚き呆れるくらいです。

  一体、40日間も、どうやって過ごしていたのか? 今となっては、さっぱり、思い出せません。

「海に、山に、毎日、元気溌剌、遊び回っていた」

  いやあ、そんなんじゃなかったですねえ、私の場合。 来る日も来る日も、家で、ぐでれんぐでれん、過ごしていたと思いますよ。 記憶は定かでありませんが、出かけた記憶が無いから、そうとしか考えられんのです。

  夏休みというと、大抵、テレビで、午前中に、アニメの再放送特集があったので、それを見てたんじゃないかと思います。 ただし、何を見たかは、全く覚えていません。 午後は、本当に、記憶が皆無。 出かけるにしても、あの糞暑いのに、どこへ行くってーのよ? ちなみに、暑さに関しては、昔も今も、特段、違いはありません。

  「涼む為に、用も無いのに、エアコンが利いている店に行き、ぷらぷらして過ごす」というのは、割と最近の風習でして、昭和の後期頃は、まだ、大型店が無くて、そういう真似はできませんでした。 いや、そういう店が、全く無いわけではなかったのですが、数が少なかったのです。 近くには、一軒もなし。 子供だから、足と言えば、自転車くらいのもので、遠くまで、行けなかったんですな。

  ちなみに、大型店が増え始めたのは、ホーム・センターが70年代中頃、家電量販店が80年代に入ってからです。 スーパー・マーケットは、もっと前からありましたが、昔のスーパーというのは、今のそれと比べると、小さな店で、大抵、80年代頃に、別の敷地に建て替えられ、大型化しました。 最近、よく見かける、食料品専門店などは、昔のスーパーの規模に近いです。

  図書館は、昔からあって、冷房が利いている事も知っていましたが、ほら、なにせ、子供の事ですから、勉強を連想させる場所には、極力、近づきたくないのですよ。 また、本の匂いが、嫌なんだわ。 古本の匂いが好きという人がいますが、気が知れませんな。 私は大人になってから、図書館を利用するようになりましたが、目当ての本を見つけると、さっさと借りて帰って来て、家で読みます。 あんな臭い所に、長時間いられるもんですか。

  そういや、図書館で勉強している高校生というのが、夏休みになると、必ず見られますが、あれは、不思議な光景ですわ。 他人が隣に座っているような所で、勉強に身が入るんですかねえ? 気が散って、勉強どころではないと思いますが。 何かを記憶しなければならない時など、声に出して覚えると、脳に染み込み易いですが、図書館では、それもできません。

  ああいうのは、勉強が主目的なのではなく、単に、家族と折り合いが悪くて、家にいたくないとか、別の学校の異性と知り合いになって、あわよくば、ナンパしてやろうとか、そういう不純な動機で来ているのではありますまいか。 よせよせ! 図書館でナンパに成功した例なんぞ、古今東西、聞いた事が無いぜ。

  書架の林を逍遥する内、同じ本を取ろうと、手と手が重なって? アホか? カルタ取ってんじゃないんだよ。 そんなのは、漫画かドラマの中だけの作り事だって。 大体、すぐ横に人がいたら、干渉しないように、距離を置くだろうが。 図書館に来る人間の性格というのは、そういうものですよ。 目当ての本があると思しき場所に、他の人がいたら、その人が他へ行くのを待つものです。 手と手が重なるなんて、そんな糞図々しい奴が、いるものかね。

  お、脱線しましたな。 夏休みの話だっけ。

  友達と遊んだ記憶は、ほとんどありません。 私は、小中学校では、まずまず普通に、友達づきあいをしていたのですが、夏休みでも、冬休みでも、長期連休になると、ぱったり連絡が途絶えてしまうのが、普通でした。 終業式の翌日とか翌々日とか、そのくらいの範囲までは、「どこそこに、遊びに行こう」といった話があるのですよ。 ところが、休みに完全に入ってしまうと、電話してまで、遊びに誘おうという気がなくなってしまうんですな。

  そもそも、当時は、固定電話オンリーでしたから、電話というのは、用事がある時に使うもので、友達との遊びの為に使うものではなかったのです。 長電話が、家族から怨嗟の的になっていたのも、その頃の風俗。 ありゃ、迷惑なんだわ。 話し声はうるさいし、笑い声は気持ち悪いし。

  大人にってから気付いた事ですが、子供というのは、夏休みになると、あまり外に出て来なくなるんですな。 一番うるさいのは、終業式のあった日の午後で、学校から解放された喜びで、友達と遊びに出て、騒ぎまくりますが、翌日からは、ぱたっと静かになります。 大方、私の子供の頃と同じ理由で、友達と連絡が取れなくなってしまうのでしょう。

  よしんば、電話する勇気が出ても、夏休みや冬休みは、家族で出かける機会も多いので、相手に断られる事があり、一度、そういう目に遭うと、罰が悪くなって、二度とかけなくなってしまうものなのです。 確かに、家族の都合は、最優先なわけですが、今にして思うと、そういう電話がかかって来た時、ただ断るんじゃなくて、他の日を提案してみるとかしていれば、友達づきあいも、維持できたんでしょうがね。

  40日間、友達と隔離されているというのは、何とも、勿体無い話です。 家で、ゴロゴロ、テレビなんぞ見ているより、友達と一緒に遊びに行った方が、楽しいに決まってますからのう。 もう、夏休みに入る前に、計画表を作ってしまって、家族の都合が無い日には、必ず、友達と行動をともにするように仕組んでおけばいいのですが、不思議なもので、子供というのは、そういう、先々の予定というのを、あまり立てたがらないものなんですな。


  勉強は、およそ、しなかったですねえ。 夏休みの宿題なんて、最後の一週間にやるものだと思っていました。 「夏休みで、差をつけろ」なんて、学習塾の宣伝文句でなければ、寝言としか思えませんな。 もし、勉強の為に、夏休みというものが設けられているのだとしたら、全くの逆効果です。 それでなくても、糞暑いのに、誰も監視していない自宅で、勉強なんて、わざわざするもんですか。 アホ臭い。

  夏休みの存在意義というのは、よくよく考えると、首を傾げたくなるところが、多々あります。 更に昔なら、農家が多かったので、子供に手伝いをさせるために、農繁期に長期休暇が必要だったという事情があったんでしょうが、工業化が進んだ昭和の中頃には、もう、そんな需要は無くなっていました。 子供が家にいたって、手伝う事なんか、ありゃしないのです。 ただ、邪魔なだけ。

  「暑いから、学校での勉強が捗らない」というのも、嘘ですな。 家にいれば、捗る捗らん以前に、全くしないのですから、問題外です。 学校に通わせていた方が、勉学上は、絶対に良いです。 試しに、夏休みを廃止したクラスを作って、二学期以降の成績を比較してみると宜しい。 段違いの差が出ると思いますぜ。

  高校生の時、成績が悪くて、夏休みに補習に出て来させられた人がいると思いますが、そういう人の中に学期中の授業は全く覚えていないのに、補習の内容だけは覚えているという人がいるでしょう。 それはまあ、特殊な体験だから、記憶に残り易いわけですが、それをさておいても、暑さが、必ずしも、勉強の妨げになるというわけではないんですよ。


  もしかしたら、夏休みというのは、教師どもが遊ぶ為にあるのかも知れませんな。 暑さで、授業をしたくないのは、生徒ではなく、教師の方なんでしょう。 それにしても、教師というのは、楽な商売だ。 毎年毎年、40日間も夏休みがある職業なんて、他にありませんぜ。 それでいて、給料だけは、学期分と同じように貰うんだから、ふざけた話です。 道理で、なり手が後を絶たないわけだ。

「先生達は、お前らが家で遊んでいる間も、学校に出て来て、いろんな仕事をしているんだぞ」

  嘘をつくな、嘘を! よし、出て来る事があるとしても、生徒がいないのに、教師に何の仕事があるっちゅーねん? せ・い・と・に・べ・ん・きょ・う・を・お・し・え・る・の・が・お・ま・え・ら・の・し・ご・と・じゃ・な・い・の・か・え? それ以外は、全部、雑用だろうが。 雑用で、本来業務と同じ給料を取っているのが、腹が立つ。


  あー、暑いから、今日は、このくらいにしておきましょうか。