いじめ自殺
いじめ自殺は、過去に多くあったものの、これだけ、騒ぎが続く例は、珍しいです。 死んだ中学生が生き返るわけではないですが、せめてもの弔いに、命一個分に見合うだけ、騒動の限りを尽くしてやるのが、宜しいでしょう。
逆に言えば、今まで、同じように追い詰められて、自ら命を断って来た、いじめ被害者達の存在が、軒並み世間から無視されて来たのは、あまりにも、むごいと言わざるを得ません。 ≪葉隠れ≫によれば、「人の命は、屁よりも軽い」のだそうですが、どうやら、事の真理を衝いている模様。
奇怪奇天烈だと思うのは、いじめ問題が話題になると、新聞紙面に決まって登場する、≪人生経験豊かな諸先輩方の、励ましの言葉≫です。 いじめられている側に向かって、拳を固く握り締める熱心さで語りかけます。
「君はちっとも悪くない」
「親でも先生でも、話を聞いてくれるまで、相談しろ」
「嫌なら、学校なんか行かなくてもいい」
「死んだら、負けだ」
いやはや、よくもまあ、こんな月並みなアドバイスを、何度も何度も何度も何度も、繰り返せるものですな。 口にタコが出来んか? あんたら、いじめられている側を、最低限の知能も無い、≪バ・カ≫だと思ってんじゃないの?
馬鹿は、そっちだ。 およそ、お前らが、単純な頭で思いつくような対策は、とうの昔に取っておるわ。 その程度の事で、いじめが解決などするものか。
そもそも、どうして、いつも、いじめられる側にばかり、「ああしろ、こうしろ」と要求するのだね? あんたら自身が言うように、いじめが、いじめられる側の責任でないのなら、当然の事として、いじめる側の責任だろうが。 どうして、いじめる側に対して、「ああするな、こうするな」と言わないんだね?
ふふふ、分かるぞ分かるぞ、人生経験豊かな諸先輩方よ。 あんたら、いじめる側のガキどもが怖くて仕方ないんだろう? 怖いから、声を出して、「いじめるな!」と言えないのさ。 いじめを見て見ぬふりをする、教師や同級生と、全く同じレベルだな。 いじめられている側にすれば、そんな腰の引けた≪他人≫のアドバイスなんか、糞の役にも立ちません。
もしくは、かつて、自分が、いじめる側だったのかな? それなら、いじめられる側にあれこれ注文をつけ、いじめる側を直截に非難しないのも合点が行く。 自分がいじめをやっていたものだから、後ろめたいんだろう? いじめの原因を、いじめられる側の対策不備に帰してしまえば、自分の過去の罪を意識しないで済むものねえ。
以下、例によって、個別に、分析して行きましょう。
≪君はちっとも悪くない≫
個別案件の具体的な事情も分からずに、いい加減な事を言うべきではありません。 私の経験で言うと、学生時代でも、社会人になってからでも、「いじめられる謂れが全く無いのに、その集団内での人間関係のバランス不良が原因で、いじめられている人」は、たくさん見ましたし、「性格に問題があって、いじめられて当然」と思うような人間も、決して少なくありませんでした。
こういう事は、当事者にしか分からないのであって、真相を明らかにしたかったら、完全な立場の第三者が、双方の一人ひとりから事情を聞くしかありませんが、恐らく、いじめる側もいじめられる側も、相応の理由を述べるでしょう。 ちなみに、いじめられている側が、最初は、いじめる側だったというような例もあれば、いじめられる側から逃げたいばかりに、いじめる側へ鞍替えする奴という例も、うじゃうじゃあるようです。
いじめを社会問題の枠内で捉えていると、対処法には限界があります。 動物の世界でも、いじめはありますが、殺すまで行く例も珍しくなく、人間社会で同じ事が起こっても、「動物として、普通の習性」という事になってしまいます。
浜の真砂が尽きるとも、世に泥棒の種は尽きないのと同じ原理で、いじめも根絶できない可能性が極めて高いです。 動物の集団というのは、そういう関係を生み出すように出来ているんでしょうな。
ただし、だから、放っておけというつもりは、毛頭ありません。 動物なら許される事でも、人間には許されない事があります。 いじめ行為の多くは、犯罪であり、犯罪であれば、処罰が可能です。 罪を犯したものは、粛々と断罪すべきでしょう。
≪親でも先生でも、話を聞いてくれるまで、相談しろ≫
親に~っ? アホか。 親が、学校の事なんか、聞いてくれるわけないだろが。 自分が学生だった頃の事を忘れてしまったんですか? 学校で起きた事を、親に話していたのは、何歳までだったね? せいぜい、小一の最初のひと月くらいまでだったんじゃないの?
子供は親に、そんな事は喋らないし、親も子供の話なんか聞きたくないんですよ。 「うちの子供は、毎日学校へ行って、世間並みに健全に成長している」と信じ込んでいるのが、親なのです。
いじめられている子供が、いよいよ、追い詰められて、親に相談したとしましょう。 果たして、親は、どんな顔をするか。 リゾート・ホテルのレストランで、床を走るゴキブリを見たような、嫌~~な顔をするんですよ。
「なんて、厄介な事を言い出しやがったんだ、この小僧は・・・。 こっちは、仕事だけで、毎日毎日、いっぱいいっぱいなんだよ。 どうして、お前は、自分の問題を自分で解決できないんだ? 誰に似たんだ、情けない奴め」
そういう心の内が、顔にもろに出ます。 子供は、親にそういう顔をされるのが一番嫌なので、親に相談するのを、ためらいます。 早い内なら、いじめの芽を摘むのは、不可能ではありませんが、もう、人間扱いされないほどひどくなってから、親に言ったって、元の状態に戻すのは、到底、無理です。
また、子供というのは、微妙な按配が利きませんから、「ちょっとでも、いじめられたら、すぐに言え」などと、予め親から言い含められていると、本当に、些細な事でも、すぐに親に言いつけるようになり、同級生から、「あいつは、面倒な奴だ」という目で見られるようになって、程なく、友人を失います。
大人ならともかく、小中学生で、友人を失うのは、怖いよねえ。 自殺するよりはマシですが、やはり、話し相手無しで、長い年月を乗り越えるのは、厳しい。 いじめられる側が、反撃という思い切った対策を取れないのは、その辺の兼ね合いが難しいからでしょう。
ちょっと、脱線しますが、いじめの単純な対策として、
「常時、金属製で重量感のあるペンを携行し、いじめられたら、腕でも脚でも、命に関わらないような部位を、ブスっと刺してやれ」
というのは、ちょっと血の気の多い人なら、すぐに思いつくと思います。 しかし、そんな事をしていたら、自分の方が、いじめている奴ら以上の悪人になってしまいます。 「刺す奴」に、そりゃ、友人はできんわなあ。
最悪の場合、そんな時に限って止めに入って来た教師によって、いじめた奴らに向かって謝らせられるという、耐え難い屈辱を強いられる恐れもあります。 まったく、教師なんていうのは、何の役にも立たないばかりか、事を余計にこじれさせおる。
親でさえ当てにならないのに、教師に相談など、冗談でなければ、世迷言としか思えません。 テレビ・ドラマの架空の教師じゃないんですよ。 一人一人の生徒の問題なんか、構ってくれるわけないでしょうが。 そもそも、教師などという職種は、世間知らずで名を馳せているくらいですから、一般人以上に、人間関係の調整能力が弱い。
成績がいいとか、外見がいいとか、特別目をかけている生徒が、何かトラブルに巻き込まれれば、目を血走らせて解決に当たりますが、並み以下の生徒が相手では、いじめられようが、登校拒否しようが、不良化しようが、自殺しようが、知ったこっちゃありません。 もちろん、自分のせいで、そうなったなどとは、思いもしませんし、当然、認めもしません。
「教師がしっかり指導していれば・・・」というのは、いじめ自殺が起こると、かならず言われる事ですが、教師がごとき社会人の出来損ないに、そんな指導能力を期待する方が間違っています。 根本的勘違いですな。 駄目人間に、「ちゃんとやれ」と言ったって、できるわけないでしょうが。 言うだけ、無駄。
そういや、今回の事件ですが、市の教育長の吐いたセリフには、思わず知らず、額に縦線入りましたぜ。
「自殺には、家庭の問題など、様々な要因がある。 いじめもその要因の一つだったかもしれない」
この一言が、今回の事件で、最も印象深く、記憶に残ると思います。 もう、責任逃れしか、念頭にねーのよ。 しかも、この中学生じみた屁理屈といったら、どうですか。 あなた言えます、こんな恥ずかしい屁理屈? 言えないわよねえ、こんな事。 まあ、やだ、どうしましょ。
今回の事件は、誰がどう見たって、いじめが原因なのは明らかですが、それでも、認めようとしないんですな。 最低限の常識的感覚すら無い。 自分の子供や孫が、同じ目に遭わされたら、「家庭にも原因がある」と言うかね? 唇が曲がっても、言わないと思いますね。
まあ、確かに、いじめられている子供を、学校に通わせ続けていたという点を指摘すれば、「家庭に要因がある」と言えないでもないですが、その考え方自体が、屁理屈のこじ付けなのであって、そもそも、誰が悪いんだとなったら、いじめた奴らが悪いに決まっているではありませんか。 家庭の問題の方は、付随して起こったに過ぎず、自殺の根本原因は、いじめ以外に考えようがありません。
こういう人間が、市の教育長をやっているというのが、ある意味、凄い。 だけど、この人だけが特別なのではなく、日本全国、どこの市の教育長も、みんなこんなレベルだと思うのですよ。 まーあ、肩書きに「長」がつくような人で、自ら進んで、自分の責任を認めるような人は見た例しがありません。
滋賀県の人は、この人の名前をメモして覚えておくといいです。 いずれ、春秋叙勲で、「○○市の教育長を勤めた、○○○○氏が、○○○○章を受賞」などという地方ニュースを耳にする事になるでしょう。 くっくっく・・・、全く以て、変竹林な社会だよねえ。
≪嫌なら、学校なんか行かなくてもいい≫
そんな簡単に言うなよ。 それは、大人の私だって、嫌な事はたんとあるけど、会社にゃ行かなきゃならないから、行ってるんですよ。 子供だって同じ事ですぜ。 たとえば、親に言ったとします。
「いじめられるから、学校に行きたくない」
するとまた親が、土曜の夜の風呂上り、ソファで寛いでいる時に、名前も知らないような胡散臭い会社から、「お使いのお電話を光回線にしませんか」などと、無神経な勧誘電話がかかって来たような、嫌~~~な顔をするわけだ。
「行きたくないって、じゃあ、明日から、どうするんだ? 家にずっと篭ってるのか? 一体、どうするつもりなんだ。 具体的に言ってみろ」
こりゃもう、「行かなきゃ、殺すぞ」と脅迫しているようなものですが、親は、自分の子供が、自殺寸前まで追い詰められているとは思ってませんから、平気で、そんな事を口にするのです。
つまりねえ、親というのは、「自分の子供は、普通だ。 健康で健全で、すくすく育っている」と信じ込みたいんですよ。 あわよくば、「他の子供より、優れている」とさえ思い込みたがっている。
そんな考えで日々暮らしている人間にとって、「子供が学校に行かない」なんて状況は、全く、受け入れられないのです。
「登校拒否? ありえんわ。 おまえ、どーゆーつもり? どこの子? うちには、そんな子、いないよ」
そーゆー心理が、もろに顔や態度に出る。 子供にしてみれば、≪いじめる奴ら≫、≪無視する教師≫に加えて、ここに、≪厄介事を嫌う親≫という、第三の敵が登場するわけですな。
まーあ、親なんてものは、子供が子供の世界の問題で困っている時に、何の力にもなってくれないものですよ。 普段、偉そうな事を言っている割に、問題が発生した時には、解決する意志もなければ、能力も無い。 「飯だけ喰わせときゃ、勝手に育つ」くらいにしか思ってないんだから、無理もないですがね。
「普通の子供であって欲しい」と願っていて、自殺されてれば、世話はないわけですが、現実に、死なれてからでないと、子供の置かれていた窮状を理解できない親というのは、非常に多いです。 親子であっても、分からない事なんて、いくらでもあるんですよ。
≪死んだら、負けだ≫
あー、嫌だ嫌だ! 勝ちだの負けだの、そんな評価基準を持ち出す事自体が、勝ち組や成功者の驕りなのであって、いじめられて、自殺寸前に追い込まれている者にとっては、最も忌むべき価値観なのです。
勝てばいいのか? いじめてる奴らを刺し殺せば、勝てるが、そうすればいいのか? そうじゃないよな。 何なんだ、勝つって? いじめに耐え続ける事か? そうでもないよな。 どういう事なんだ、勝つって? 親や教師に言って、解決してもらう事か? でも、それがうまく行かないのも分かってるよな? 結局、どうやれば、勝てるんだ?
死んだら終りなのは、おまえらなんかより、一億倍身に浸みてわかっとるわい! それでも、死ぬ以外に、苦しみから逃れる方法が無いんだ。 なぜ、それが、分からぬ! この馬鹿どもめが! 自殺する人間の気持ちが分からないなら、繊細で深刻な問題に口を出すな!
まったく、生きている間はいじめられて、死んでからも罵られたのでは、ほとほと、たまらんわ。 浅墓この下無いアドバイスなんかしようと思わなくていいから、黙っとけ! 分からないんだろう? 死ななければならない人間の気持ちが、分からないんだよな? なぜ、分からない事に、首を突っ込んで来る? なぜ、ズカズカ土足で踏み込んで来る? おまえらと、いじめてる奴らと、どこが違うんだ?
全てを勝ち負けで評価するというなら、≪弱肉強食≫の世界なわけで、気に喰わない奴ををいじめて、自殺に追い込み、始末した連中は、勝者という事になります。 それで、いいのかね? 違うだろう。 もし、それでいいというなら、こんな問題は、世間を騒がすような事件になっていないわな。
今回の事件、≪いじめ≫という社会問題のカテゴリーで片付けるべきではなく、≪自殺教唆≫として、刑事犯罪扱いで、犯人を逮捕すべきでしょう。 当然、犯人ばらは、少年院なり、どこへなり、送るのが筋です。 実際に、人一人の命を奪っているのですから、罪を償わせるのは、当たり前の事。
学校や教育委員会に調査を任せるなど言語道断で、そもそも、これらの組織は、犯罪捜査をするのが目的で作られているわけではないのですから、真相究明能力など持ち合わせていません。 責任逃れのために、問題の隠蔽に走るのが、関の山です。 最初から、警察が担当すべき事件だったのです。
ただねえ、そうは言ったものの、実際には、いじめた奴らは、何のお咎めもなしに、いけしゃあしゃあと、今後の人生を生きて行くのだと思うのですよ。 もちろん、罪の意識など、微塵も無く。 そして、いつか、世間でいじめ自殺事件が起こると、「死んだら、負けだ」とか何とか、いじめられた側に責任を転化するような事を言い出すわけだ。
まったく、変梃子倫な社会だねえ。
逆に言えば、今まで、同じように追い詰められて、自ら命を断って来た、いじめ被害者達の存在が、軒並み世間から無視されて来たのは、あまりにも、むごいと言わざるを得ません。 ≪葉隠れ≫によれば、「人の命は、屁よりも軽い」のだそうですが、どうやら、事の真理を衝いている模様。
奇怪奇天烈だと思うのは、いじめ問題が話題になると、新聞紙面に決まって登場する、≪人生経験豊かな諸先輩方の、励ましの言葉≫です。 いじめられている側に向かって、拳を固く握り締める熱心さで語りかけます。
「君はちっとも悪くない」
「親でも先生でも、話を聞いてくれるまで、相談しろ」
「嫌なら、学校なんか行かなくてもいい」
「死んだら、負けだ」
いやはや、よくもまあ、こんな月並みなアドバイスを、何度も何度も何度も何度も、繰り返せるものですな。 口にタコが出来んか? あんたら、いじめられている側を、最低限の知能も無い、≪バ・カ≫だと思ってんじゃないの?
馬鹿は、そっちだ。 およそ、お前らが、単純な頭で思いつくような対策は、とうの昔に取っておるわ。 その程度の事で、いじめが解決などするものか。
そもそも、どうして、いつも、いじめられる側にばかり、「ああしろ、こうしろ」と要求するのだね? あんたら自身が言うように、いじめが、いじめられる側の責任でないのなら、当然の事として、いじめる側の責任だろうが。 どうして、いじめる側に対して、「ああするな、こうするな」と言わないんだね?
ふふふ、分かるぞ分かるぞ、人生経験豊かな諸先輩方よ。 あんたら、いじめる側のガキどもが怖くて仕方ないんだろう? 怖いから、声を出して、「いじめるな!」と言えないのさ。 いじめを見て見ぬふりをする、教師や同級生と、全く同じレベルだな。 いじめられている側にすれば、そんな腰の引けた≪他人≫のアドバイスなんか、糞の役にも立ちません。
もしくは、かつて、自分が、いじめる側だったのかな? それなら、いじめられる側にあれこれ注文をつけ、いじめる側を直截に非難しないのも合点が行く。 自分がいじめをやっていたものだから、後ろめたいんだろう? いじめの原因を、いじめられる側の対策不備に帰してしまえば、自分の過去の罪を意識しないで済むものねえ。
以下、例によって、個別に、分析して行きましょう。
≪君はちっとも悪くない≫
個別案件の具体的な事情も分からずに、いい加減な事を言うべきではありません。 私の経験で言うと、学生時代でも、社会人になってからでも、「いじめられる謂れが全く無いのに、その集団内での人間関係のバランス不良が原因で、いじめられている人」は、たくさん見ましたし、「性格に問題があって、いじめられて当然」と思うような人間も、決して少なくありませんでした。
こういう事は、当事者にしか分からないのであって、真相を明らかにしたかったら、完全な立場の第三者が、双方の一人ひとりから事情を聞くしかありませんが、恐らく、いじめる側もいじめられる側も、相応の理由を述べるでしょう。 ちなみに、いじめられている側が、最初は、いじめる側だったというような例もあれば、いじめられる側から逃げたいばかりに、いじめる側へ鞍替えする奴という例も、うじゃうじゃあるようです。
いじめを社会問題の枠内で捉えていると、対処法には限界があります。 動物の世界でも、いじめはありますが、殺すまで行く例も珍しくなく、人間社会で同じ事が起こっても、「動物として、普通の習性」という事になってしまいます。
浜の真砂が尽きるとも、世に泥棒の種は尽きないのと同じ原理で、いじめも根絶できない可能性が極めて高いです。 動物の集団というのは、そういう関係を生み出すように出来ているんでしょうな。
ただし、だから、放っておけというつもりは、毛頭ありません。 動物なら許される事でも、人間には許されない事があります。 いじめ行為の多くは、犯罪であり、犯罪であれば、処罰が可能です。 罪を犯したものは、粛々と断罪すべきでしょう。
≪親でも先生でも、話を聞いてくれるまで、相談しろ≫
親に~っ? アホか。 親が、学校の事なんか、聞いてくれるわけないだろが。 自分が学生だった頃の事を忘れてしまったんですか? 学校で起きた事を、親に話していたのは、何歳までだったね? せいぜい、小一の最初のひと月くらいまでだったんじゃないの?
子供は親に、そんな事は喋らないし、親も子供の話なんか聞きたくないんですよ。 「うちの子供は、毎日学校へ行って、世間並みに健全に成長している」と信じ込んでいるのが、親なのです。
いじめられている子供が、いよいよ、追い詰められて、親に相談したとしましょう。 果たして、親は、どんな顔をするか。 リゾート・ホテルのレストランで、床を走るゴキブリを見たような、嫌~~な顔をするんですよ。
「なんて、厄介な事を言い出しやがったんだ、この小僧は・・・。 こっちは、仕事だけで、毎日毎日、いっぱいいっぱいなんだよ。 どうして、お前は、自分の問題を自分で解決できないんだ? 誰に似たんだ、情けない奴め」
そういう心の内が、顔にもろに出ます。 子供は、親にそういう顔をされるのが一番嫌なので、親に相談するのを、ためらいます。 早い内なら、いじめの芽を摘むのは、不可能ではありませんが、もう、人間扱いされないほどひどくなってから、親に言ったって、元の状態に戻すのは、到底、無理です。
また、子供というのは、微妙な按配が利きませんから、「ちょっとでも、いじめられたら、すぐに言え」などと、予め親から言い含められていると、本当に、些細な事でも、すぐに親に言いつけるようになり、同級生から、「あいつは、面倒な奴だ」という目で見られるようになって、程なく、友人を失います。
大人ならともかく、小中学生で、友人を失うのは、怖いよねえ。 自殺するよりはマシですが、やはり、話し相手無しで、長い年月を乗り越えるのは、厳しい。 いじめられる側が、反撃という思い切った対策を取れないのは、その辺の兼ね合いが難しいからでしょう。
ちょっと、脱線しますが、いじめの単純な対策として、
「常時、金属製で重量感のあるペンを携行し、いじめられたら、腕でも脚でも、命に関わらないような部位を、ブスっと刺してやれ」
というのは、ちょっと血の気の多い人なら、すぐに思いつくと思います。 しかし、そんな事をしていたら、自分の方が、いじめている奴ら以上の悪人になってしまいます。 「刺す奴」に、そりゃ、友人はできんわなあ。
最悪の場合、そんな時に限って止めに入って来た教師によって、いじめた奴らに向かって謝らせられるという、耐え難い屈辱を強いられる恐れもあります。 まったく、教師なんていうのは、何の役にも立たないばかりか、事を余計にこじれさせおる。
親でさえ当てにならないのに、教師に相談など、冗談でなければ、世迷言としか思えません。 テレビ・ドラマの架空の教師じゃないんですよ。 一人一人の生徒の問題なんか、構ってくれるわけないでしょうが。 そもそも、教師などという職種は、世間知らずで名を馳せているくらいですから、一般人以上に、人間関係の調整能力が弱い。
成績がいいとか、外見がいいとか、特別目をかけている生徒が、何かトラブルに巻き込まれれば、目を血走らせて解決に当たりますが、並み以下の生徒が相手では、いじめられようが、登校拒否しようが、不良化しようが、自殺しようが、知ったこっちゃありません。 もちろん、自分のせいで、そうなったなどとは、思いもしませんし、当然、認めもしません。
「教師がしっかり指導していれば・・・」というのは、いじめ自殺が起こると、かならず言われる事ですが、教師がごとき社会人の出来損ないに、そんな指導能力を期待する方が間違っています。 根本的勘違いですな。 駄目人間に、「ちゃんとやれ」と言ったって、できるわけないでしょうが。 言うだけ、無駄。
そういや、今回の事件ですが、市の教育長の吐いたセリフには、思わず知らず、額に縦線入りましたぜ。
「自殺には、家庭の問題など、様々な要因がある。 いじめもその要因の一つだったかもしれない」
この一言が、今回の事件で、最も印象深く、記憶に残ると思います。 もう、責任逃れしか、念頭にねーのよ。 しかも、この中学生じみた屁理屈といったら、どうですか。 あなた言えます、こんな恥ずかしい屁理屈? 言えないわよねえ、こんな事。 まあ、やだ、どうしましょ。
今回の事件は、誰がどう見たって、いじめが原因なのは明らかですが、それでも、認めようとしないんですな。 最低限の常識的感覚すら無い。 自分の子供や孫が、同じ目に遭わされたら、「家庭にも原因がある」と言うかね? 唇が曲がっても、言わないと思いますね。
まあ、確かに、いじめられている子供を、学校に通わせ続けていたという点を指摘すれば、「家庭に要因がある」と言えないでもないですが、その考え方自体が、屁理屈のこじ付けなのであって、そもそも、誰が悪いんだとなったら、いじめた奴らが悪いに決まっているではありませんか。 家庭の問題の方は、付随して起こったに過ぎず、自殺の根本原因は、いじめ以外に考えようがありません。
こういう人間が、市の教育長をやっているというのが、ある意味、凄い。 だけど、この人だけが特別なのではなく、日本全国、どこの市の教育長も、みんなこんなレベルだと思うのですよ。 まーあ、肩書きに「長」がつくような人で、自ら進んで、自分の責任を認めるような人は見た例しがありません。
滋賀県の人は、この人の名前をメモして覚えておくといいです。 いずれ、春秋叙勲で、「○○市の教育長を勤めた、○○○○氏が、○○○○章を受賞」などという地方ニュースを耳にする事になるでしょう。 くっくっく・・・、全く以て、変竹林な社会だよねえ。
≪嫌なら、学校なんか行かなくてもいい≫
そんな簡単に言うなよ。 それは、大人の私だって、嫌な事はたんとあるけど、会社にゃ行かなきゃならないから、行ってるんですよ。 子供だって同じ事ですぜ。 たとえば、親に言ったとします。
「いじめられるから、学校に行きたくない」
するとまた親が、土曜の夜の風呂上り、ソファで寛いでいる時に、名前も知らないような胡散臭い会社から、「お使いのお電話を光回線にしませんか」などと、無神経な勧誘電話がかかって来たような、嫌~~~な顔をするわけだ。
「行きたくないって、じゃあ、明日から、どうするんだ? 家にずっと篭ってるのか? 一体、どうするつもりなんだ。 具体的に言ってみろ」
こりゃもう、「行かなきゃ、殺すぞ」と脅迫しているようなものですが、親は、自分の子供が、自殺寸前まで追い詰められているとは思ってませんから、平気で、そんな事を口にするのです。
つまりねえ、親というのは、「自分の子供は、普通だ。 健康で健全で、すくすく育っている」と信じ込みたいんですよ。 あわよくば、「他の子供より、優れている」とさえ思い込みたがっている。
そんな考えで日々暮らしている人間にとって、「子供が学校に行かない」なんて状況は、全く、受け入れられないのです。
「登校拒否? ありえんわ。 おまえ、どーゆーつもり? どこの子? うちには、そんな子、いないよ」
そーゆー心理が、もろに顔や態度に出る。 子供にしてみれば、≪いじめる奴ら≫、≪無視する教師≫に加えて、ここに、≪厄介事を嫌う親≫という、第三の敵が登場するわけですな。
まーあ、親なんてものは、子供が子供の世界の問題で困っている時に、何の力にもなってくれないものですよ。 普段、偉そうな事を言っている割に、問題が発生した時には、解決する意志もなければ、能力も無い。 「飯だけ喰わせときゃ、勝手に育つ」くらいにしか思ってないんだから、無理もないですがね。
「普通の子供であって欲しい」と願っていて、自殺されてれば、世話はないわけですが、現実に、死なれてからでないと、子供の置かれていた窮状を理解できない親というのは、非常に多いです。 親子であっても、分からない事なんて、いくらでもあるんですよ。
≪死んだら、負けだ≫
あー、嫌だ嫌だ! 勝ちだの負けだの、そんな評価基準を持ち出す事自体が、勝ち組や成功者の驕りなのであって、いじめられて、自殺寸前に追い込まれている者にとっては、最も忌むべき価値観なのです。
勝てばいいのか? いじめてる奴らを刺し殺せば、勝てるが、そうすればいいのか? そうじゃないよな。 何なんだ、勝つって? いじめに耐え続ける事か? そうでもないよな。 どういう事なんだ、勝つって? 親や教師に言って、解決してもらう事か? でも、それがうまく行かないのも分かってるよな? 結局、どうやれば、勝てるんだ?
死んだら終りなのは、おまえらなんかより、一億倍身に浸みてわかっとるわい! それでも、死ぬ以外に、苦しみから逃れる方法が無いんだ。 なぜ、それが、分からぬ! この馬鹿どもめが! 自殺する人間の気持ちが分からないなら、繊細で深刻な問題に口を出すな!
まったく、生きている間はいじめられて、死んでからも罵られたのでは、ほとほと、たまらんわ。 浅墓この下無いアドバイスなんかしようと思わなくていいから、黙っとけ! 分からないんだろう? 死ななければならない人間の気持ちが、分からないんだよな? なぜ、分からない事に、首を突っ込んで来る? なぜ、ズカズカ土足で踏み込んで来る? おまえらと、いじめてる奴らと、どこが違うんだ?
全てを勝ち負けで評価するというなら、≪弱肉強食≫の世界なわけで、気に喰わない奴ををいじめて、自殺に追い込み、始末した連中は、勝者という事になります。 それで、いいのかね? 違うだろう。 もし、それでいいというなら、こんな問題は、世間を騒がすような事件になっていないわな。
今回の事件、≪いじめ≫という社会問題のカテゴリーで片付けるべきではなく、≪自殺教唆≫として、刑事犯罪扱いで、犯人を逮捕すべきでしょう。 当然、犯人ばらは、少年院なり、どこへなり、送るのが筋です。 実際に、人一人の命を奪っているのですから、罪を償わせるのは、当たり前の事。
学校や教育委員会に調査を任せるなど言語道断で、そもそも、これらの組織は、犯罪捜査をするのが目的で作られているわけではないのですから、真相究明能力など持ち合わせていません。 責任逃れのために、問題の隠蔽に走るのが、関の山です。 最初から、警察が担当すべき事件だったのです。
ただねえ、そうは言ったものの、実際には、いじめた奴らは、何のお咎めもなしに、いけしゃあしゃあと、今後の人生を生きて行くのだと思うのですよ。 もちろん、罪の意識など、微塵も無く。 そして、いつか、世間でいじめ自殺事件が起こると、「死んだら、負けだ」とか何とか、いじめられた側に責任を転化するような事を言い出すわけだ。
まったく、変梃子倫な社会だねえ。
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