2012/07/22

デモはデモ

  少々、ジレンマに陥っています。 正確に発音すると、「ディレンマ」。 一見、フランス語のような響きの単語ですが、一応、英単語で、フランス語では、同語源と思われる、「ディレム」。 元はギリシャ語だそうで、大方、哲学用語として伝わったんでしょう。 意味は、「板挟み」です。

「だったら、板挟みと言えよ」

  ええ、そうなんです。 板挟まっているんです。 何に板挟まっているかというと、昨今巷を賑している、あの、≪反原発デモ≫です。 何かしら、関与すべきなのか、それとも、距離を置いて、様子見を続けるべきなのか。

  去年から書いているように、私は、終生一貫、「原発なんぞ、全廃にすればいい」と思っている人間です。 もし、このデモの勢いで、全廃に追い込めるのならば、大いにしめたものなわけであって、手書きのプラカードを携えて、積極的に参加しても、全然不思議ではありません。

  逆に、「反原発のくせに、なぜ、参加せぬ?」と訊かれると、「なんでだろう?」と自分で首を傾げてしまうほど、私には利害一致した運動といえるわけですな。 この状況、何かに似ている。

  たとえば、職場で私一人だけが非喫煙者で、前々から、「禁煙にならんかなあ」と思っていたところ、私の心中の欲求とは全く関係なく、他の部署から、社内全面禁煙化の運動が始まり、次第に大きなうねりとなって、経営陣に影響を及ぼし始めた。

  といった状況でしょうか。 自分は何にもしていないのに、自分の望んでいる方向へ、事が動いている、このくすぐったいような感覚が、分かるでしょうか? もし、運動が実を結んで、全面禁煙になれば、勿怪の幸い。 たとえ駄目でも、私は何の関与もしていないので、挫折感を味わわなくて済むという、非常においしい立場です。

  こんな例え話を繰り広げていると、

「ふざけるな! おまえのように、口先だけで、行動しようとしない奴ばかりだから、政治を動かせないんだ! 本気で、原発を全廃したいのなら、街へ出て、声を上げろ!」

  と、怒る人もいるでしょう。 いや、絶対いると思うね。 うじゃうじゃいると思いますよ。 実際に、金曜の夜にデモに参加している人達のほとんどが、そう思ってんじゃないの?

「はいはい。 おっしゃる通りです。 では、来週の金曜から、最寄のデモに参加させていただきます。 遅れ馳せながら、何分、宜しくお願いいたします」

  と、すんなり行けば、何も、板挟まる事もないわけですが、ここに、もう一つの私の信条が立ちはだかり、堅固なバリケードを構築して、妨害に及ぶわけです。

「冗談はよせ! 政治運動に参加など、絶対に許さんぞ! 特定政党の主導でないとか、思想的背景が無いとか、そんな事は関係ない! 今まで、政治的活動を一切避けて来たから、安穏とした生活を維持してこれたのではないか! 一時の風潮に流されて、ホイホイ他人に同調してたら、とんでもない災厄が降りかかるぞ」

  とね。

  でねー、本音を言わせて貰いますと、やはり、民衆運動には、眇目で見たくなる胡散臭さがあるのですよ。

  前にも書きましたが、民衆運動は、あくまで、民衆運動に過ぎず、民主主義とは、似て非なるものです。 選挙で、反原発を唱えている候補に投票し、議会で原発廃止を実現するのが、民主主義的手続きというものであって、デモで直截、政府に訴えて、原発を廃止させようというのは、民主的とは、全く言えません。 悪い言葉で言えば、やっている事は、≪威嚇≫、≪恫喝≫と同類ですな。

  なぜ、デモが民主的でないかというと、デモに参加していない人間の意見が、反映されていないからです。 デモに参加している人達は、「自分達は、多数派民衆だ」と思っているのかもしれませんが、世界中、どの場所で起きた、どの時代の、どんなデモでも、実際には、参加していない人達の方が、圧倒的に多かったのです。 それは、今回の反原発デモでも変わりません。

  一部の人間の意見が、デモという手段によって、通ってしまったら、それは、民主主義とは言えないでしょう?

「反原発に反対なら、反対デモをすればいいではないか」

  またまた、中学生みたいな青臭い屁理屈を・・・。 そんな事をしたら、両者がぶつかって、暴動ですよ。 民衆同士のぶつかり合いは、怖いぞー。 誰も止める者がいないから、一度始まったら、収集が着かぬ。 たちまちエスカレートして、焼き討ち、強奪、何でもありになってしまいますよ。 そんな恐ろしい事、したいのかね?

  私は、民主主義が、特段優れた制度だとは思っていないのですが、一応、日本社会の現行制度ですから、それを真っ向から否定してしまうのは、問題だと思うのです。 別に、デモ自体は、違法ではありませんが、首相官邸前へ押しかけて、政策を変えさせるとなると、正当な民主的手続きとは言えないのです。

「だって、反原発を唱える有力政党が無いんだから、選挙で意思表示のしようがないじゃないか。 だから、デモをやってるんだ」

  だったら、そういう政党を作ったら、どうですかね? 毎週毎週、何万人も集まるほどの支持があるなら、選挙でも勝てると思いますが、どうでしょう?

「もし、勝てなかったら、結局、原発は存続するじゃないか」

  それはそうかもしれませんが、そうなった場合、それは民主的に決まった結果だから、仕方がないではありませんか。 原発を廃止したいと思っている人間より、存続させたいと思っている人間の方が、多いという事ですよ。 どんなに腹に据えかねる結果であっても、制度上の手続きに則って決まった事であれば、従わざるを得ません。 それは、裁判の判決などと同じ事。

  だけどねえ、今の流れを見るに、反原発を党是にして、新政党を旗揚げすれば、かなりの高確率で、勝てると思いますよ。 その際、余計な尾鰭は付けない事が肝要ですな。 「消費増税反対」とか、「TPP反対」とか、そういう、別の問題を絡めず、「反原発」一本に絞って戦えば、今の世の中の流れを100%取り込んで、かなりの議席数を確保できると思います。

  ただねえ、「毎週一回デモに参加するのは、何とかやりくりできるけれど、政党を作るとなると、勤めもやめねばならんし、面倒過ぎるな」と思うのも無理からぬこと。 誰か、閑な人が中心軸になってくれればいいんですがね。

「反原発以外に、何もしない政党が政権を取ってしまったら、いろいろと困るのではないか?」

  いやあ、どうにかなりますよ。 何なら、原発廃止法案だけ可決して、すぐに解散してしまえば宜しい。 次の政権が原発を復活させたら、また、反原発政党を起こして、潰してやればいいのです。 そんな事を何度か繰り返している内に、他の政党も、「反原発政党には、逆らわない方がいい」と悟って、原発復活を諦めるでしょう。

  それに、いくら、反原発の流れが大きくなっているといっても、単独で政権を取れるほどにはなりますまい。 50議席くらい取っておいて、脱原発を掲げる政権が出来た時だけ、協力するという手もあります。

  いずれにせよ、この種の民主的手続きに則ったやり方は、時間はかかりますなあ。 デモで政権を恫喝して、強制的に原発を廃止するのに比べたら、数倍、いや、数十倍の年月がかかるかもしれません。 逆に、メリットは、「民衆運動で、政治を動かした」という前例を作らずに済む事です。

  一度、そういう例を作ってしまうと、民主主義制度は、脆いです。 フィリピンやタイの国政ように、民衆運動を起こさなければ、政治が機能しなくなってしまう習い性に陥る危険性があります。

  それにつけても、頭が痛くなるのは、デモ参加者の中に、民衆運動を民主主義の一部だと勘違いしていて、「自分達のやっている事は、民主的だ」と思っている人達が、相当な割合で存在する事です。

  違うって。 逆だって。 デモで圧力をかけて、一部の人間の意見を通すのは、民主主義とは、正反対だって。 何度言っても、分からんかなあ。 分からんよなあ。 それでなくても、論理が分からんちんの日本人だものなあ。 区別つかんよなあ。

  もし、次の選挙で、脱原発政権を誕生させる為に、有権者の意識を啓発するのが目的で、デモをするというなら、集まる場所が違うでしょう。 国会議事堂前とか、各自治体の庁舎前とか、そういう所に集まった方が、理屈に合っていると思います。 首相官邸前で、直截、政権を恫喝するのは、まずいって。

  有名人が、かなりの数、デモの主導的立場に身を置いているようですが、その人達にも、民主主義と民衆運動の区別がついているかどうか、大いに疑わしいです。 特に、「3.11以降、考えが変わった」式の物言いをしている人には、要注意です。 反体制派になるという事が、どういう事か、よく分かっていない恐れがあります。

  デモに参加するなとは言いませんが、老婆心ながら、御忠告しますと、

・ プラカードなどは持たず、なるべく目立たない。
・ 主導的な行動をせず、群集の一部に徹する。
・ マスコミのカメラが近づいたら、顔を撮られないようにする。
・ 警察とは、絶対に争わない。
・ 政治団体や宗教団体の勧誘に乗らない。

  と言ったところでしょうか。 どんなに穏やかな雰囲気のデモであっても、政治運動である事をお忘れなく。 公安が自宅に踏み込んでくるような事態になったら、フェイス・ブックの同志なんぞ、糞の役にも立たないので、くれぐれも、御自重あれかし。


  以下、オマケ。

  いやはや、おったまげました。 例の≪エネルギー政策の意見聴取会≫で、中部電力の課長とやらが、「放射能の影響で亡くなった人はいない」等々、原発推進側の意見を、ぬけぬけと述べた、あのニュースですよ。

  福島第一事故の前とは違って、現在では、原発存続派であっても、「産業競争力を維持するためには、電力の安定供給が必要だ」という風に、搦め手から、必要性を説いてくるのが普通なのですが、この課長、「原発比率は、高ければ高いほど、安全」などと、何を根拠にしているのか分からない、無茶苦茶な事を言っていて、今では珍しい、原発推進派ですらなく、原発礼讃派としか言いようがないカテゴリーに属する人物である様子。

  今の世情で、そういう事を、臆面もなく言えるというのが、ある意味、凄い。 もしかしたら、原発関係者というのは、テレビ・ニュースとか新聞とか、全く目にしてないんじゃないですかね? ああいう事を言って、世間の人々に同意してもらえると思ってたんでしょうか?

  はたまた、旗色が悪いのを承知の上で、「ここから巻き返すには、極端な事を言わなければ、追いつかない」と思って、わざと原発擁護べったりの意見を言ったのか。 何だか、しょっぱ過ぎる味噌汁を、甘くしようと思って、砂糖をドバドバ注ぎ足している、アホ嫁みたいですが。

  いずれにせよ、結果を見ると、今後、電力会社関係者は、意見聴取会から締め出される事になってしまったわけで、目論見は大失敗だったと言うべきでしょう。 あの人、たぶん、高学歴だと思うのだけれど、その辺の機微が読めなかったのかのう? やはり、原子力ムラの住人は、特殊なのか。 いや、異常と言うべきか。