2013/03/24

映画批評⑧

  昨年の10月から患っていた映画中毒ですが、ようやく、回復の兆しが見えて来ました。 背景にある最大の理由は、仕事の残業が増えて、映画を見る時間を捻り出せなくなった事ですが、直接的な原因になったのは、≪静かなドン≫という小説を読み始めた事です。

  これも、そもそもは、映画がきっかけでして、2月に、BSプレミアムで、≪チャイコフスキー≫と、≪カラマーゾフの兄弟≫というソ連映画が放送されたのですが、それを見て、俄かに、「ロシア文学は、ドストエフスキーの後、どうなって行ったのだろう?」と思うようになり、調べてみたら、ソ連時代になっても、系譜を受け継いでいた作家達がいたとの事。

  で、手始めに、作品名だけは以前に聞いた事があった、ショーロホフの≪静かなドン≫を図書館で借りて来ました。 ところが、これが、手強い本でして・・・。 中央公論の≪世界の文学 新集≫の中の31・32・33巻がそれなんですが、一冊当たり、600ページもあり、しかも二段組み。 計1800ページもあるので、一日100ページずつ読んでも、最短で、18日かかる計算。

  というわけで、3月の半ばからは、≪静かなドン≫で明け暮れるようになり、映画どころではなくなってしまったというわけです。 ≪静かなドン≫も、映画化されていて、そちらも、名作の殿堂入りしているようですが、映画なら、長くても、半日もあれば見終わるのに対し、本だと、18日もかかるというのは、何だか、不効率な気がせんでも無し。 まあ、読書には、映像作品とは違う、沈潜した楽しみがあるのも事実ですが・・・。

  長い前置きでしたが、つまり、何が言いたいかというと、読書で忙しいので、ここの記事を書いている暇が無いという事なのです。 そこで、溜まったままになっている、映画批評の続きを出して、お茶を濁そうという相談なわけですな。


≪デンジャラス・ビューティー2≫ 2005年 アメリカ
  サンドラ・ブロックさん、制作・主演。 ≪デンジャラス・ビューティー≫の続編ですが、今度は、ミスコンではなく、FBIの広報活動の顔として、再び、ビューティーになります。 前作からの共通の出演者は、カーク船長のウィリアム・シャトナーさんですが、今度も、誰でもいいような役。

  誘拐されたミス・アメリカの友人を救うため、ラスベガスに乗り込んだ主人公が、自分のボディー・ガードに付いた喧嘩っ早い女捜査官と共に、現地指揮官の命令を無視して、勝手な捜査を繰り広げる話。

  前作以上に、コメディーの度が増しており、これはもう、ドタバタ喜劇と言ってもいいです。 一応、女の友情がテーマですが、そちらの方は、オマケのようになってしまっています。 だけど、これは、純粋に笑うための映画として見るなら、完成度が極めて高いと言うべきですな。

  見ていない方は、機会があったら、見て損はないです。 とりわけ、オカマのステージ・ダンサーに扮装した主人公が、フリフリの頭飾りと尻尾をつけて、夜のラスベガスを疾走する場面は、抱腹絶倒を請合います。 あの、サンドラ・ブロックさんが、それをやっているというのが、凄い。


≪熱いトタン屋根の猫≫ 1958年 アメリカ
  エリザベス・テイラーさん、ポール・ニューマンさんのダブル主演。 正確には、もう一人、父親役の人も、主演級の役回りを演じますが、名前が分かりません。

  南部で大農場を営む一家の当主が誕生日を迎え、長男の家族と次男夫婦が屋敷に戻って来るが、当主が不治の病に犯されている事が分かり、財産の取り合いや、親子関係・夫婦関係の葛藤など、様々な問題が、一気に噴き出す話。

  最もまともな人格の持ち主が、酒浸りの次男で、他は、欲の皮の突っ張った嘘つきばかりという、キャラ設定が凄まじいです。 このセリフの凝りよう、ほとんど、一軒の家の中だけで進む話など、舞台劇が元だろうと思ったら、案の定、原作は戯曲でした。

  出演者で最も印象に残るのは、長男の妻を演じている人で、「よく、女優になれたなあ!」と驚くような、きつーい顔をしています。 役も、目を背けたくなるような、きつーいものなので、これ以上無いくらい、役に嵌まっています。 エリザベス・テイラーさんは、恐らく、最も美しかった頃だと思いますが、顔が派手すぎて、ちょっと浮いてしまっている感じがします。

  主要登場人物の全てが、自分の好き勝手な事を主張しまくるので、見ていて、あまり、気分のいい映画ではありません。 終盤では、だんだん落ち着いて、話が纏まって来ますが、これだけ利己的な人達が、こう簡単に丸くなるというのは、不自然なのではありますまいか。


≪パーマネント・バケーション≫ 1980年 アメリカ
  とあるインディペンデント系の映画監督が、大学の卒業制作で作った作品だそうで、商業映画ではありません。 こんなの、金を取ったら、客が入りませんわ。 映画と言うより、ただのイメージ・ビデオですな。

  流浪癖のある青年が、街をうろついて、頭のイカれた連中と話をし、精神病院に入院中の母親を見舞い、車を盗んで旅費を作り、パリへ船出する話。 ストーリーは、あって無いようなものです。

  唯一、「ほー」と思ったのは、頭のイカれた連中の一人が語る、【ドップラー効果】という題のジョークで、その部分だけ、字幕を読む価値があります。 後は、早送りで見ても同じ。


≪四十七人の刺客≫ 1994年 日本
  高倉健さん主演。 ≪赤穂浪士の討ち入り事件≫の話ですが、かなり、脚色されており、定番の忠臣蔵でもなければ、史実に忠実に作ったわけでもなく、制作者の好みで脚色した、創作色の強い描き方がされています。 こういうのは、歴史劇とも、時代劇とも分類できず、ちと、困るんですがねえ。

  ストーリーは、ほぼ、定番と同じなので、梗概は、割愛。

  大石内蔵助を、目的の為なら卑怯な手でも敢えて使う策士に仕立てたり、吉良屋敷を防備厳重な砦のようにしたり、いろいろと目新しい要素を入れていますが、さして、効果は出ておらず、むしろ、不自然さや陳腐さばかりが感じられます。

  大石が、策士にしては、女にだらしがなかったり、自分で斬り合いをやりたがるなど、軽はずみな行動が目立ち、キャラ設定が一定していません。 京都の筆屋の娘に手をつけて、囲い者にするなど、死を覚悟した者のする事ですかね? 無責任にも、程がある。

  吉良屋敷の庭の迷路は、子供騙し丸出しで、思わず、噴き出してしまいました。 規模が小さ過ぎるのですよ。 背伸びしたら、塀の向こうが見えるような高さでは、遊園地の迷路のレベルにすら達しておらず、動物実験の迷路の次元ではありませんか。 赤穂浪士の知能指数テストかいな? 大道具の人も、自分で作ってて、笑ったでしょうねえ。

  屋敷内の仕掛けも、明らかにやりすぎ、こんなに堅固に作られたのでは、吉良方が負ける方が不思議と思ってしまいます。 吉良方の侍が、ぞろぞろ出て来ますが、たったの47人で、これだけの敵に勝てるとは、到底、思えません。 しかもアウェーで。

  筆屋の娘の役を宮沢りえさんがやっていて、まだ、十二分に魅力があった頃なので、大変、美しい映像になっています。 どうも、その場面ばかり、力が入っているように見受けられますが、この映画は、もしかしたら、本当に、宮沢りえさんを撮りたかっただけなんじゃないでしょうか。

  高倉健さんは、時代劇の経験があまりないせいか、どうにも、武士らしく見えません。 殺陣も、なんとなく、ヤクザっぽく見えてしまうんですな。 逆に言うと、時代劇俳優的な、型に嵌まった仕草や、独特の節回しの話し方をしない点、自然体であると言えないでもなし。


≪いそしぎ≫ 1965年 アメリカ
  エリザベス・テイラーさん主演。 リチャード・バートンさんが相手役。 海辺の一軒家で、世間から隔絶して子供を育てていた、画家の母親が、息子を預けたキリスト教系学校の牧師と不倫の仲になり、牧師の人生を変えてしまうものの、自分自身も牧師から影響を受けて、人間への興味を取り戻して行く話。

  あまりにも簡単に、牧師が主人公と肉体関係を持ってしまうのは、かなり、違和感があります。 妻子のいる牧師に、未婚の母である主人公を紹介する判事も判事ですが、牧師は、聖職者なのですから、もう少し、誘惑と戦ってもらいたいものです。

  「好きになったら、余人の犠牲など、構っていられない」という、不倫に走る者特有の、手前勝手な倫理観が垣間見えて、あまり、感心できる話ではありません。 牧師は自業自得としても、牧師の奥さんは、気の毒この上無し。 何の悪事もしていないと言うのに。 結局、主人公が、悪女に見えてしまい、共感する気が失せるのです。 それでは、映画として、失敗でしょう。

  エリザベス・テイラーさんは、明らかに、美のピークを越えており、ただ濃いだけの顔に変化しつつあります。 ちょい役で、チャールズ・ブロンソンさんが出ています。


≪Tommy トミー≫ 1975年 イギリス
  珍しい、ロック系のミュージカル。 冒頭からラストまで、全編、ロックで歌い踊り継がれて行きます。 元は、ロック・オペラだったそうですが、これを舞台でやられたら、うるさくてしょーがないですなあ。 

  母が再婚した後、戦死したと思っていた父親が帰って来たのを、義父と母が殺してしまう光景を目撃して以来、目が見えず、耳が聞こえず、口も利けない三重苦に陥った少年が、青年になってから、ピンボール・ゲームの名手として、時代の寵児になり、治療によって、傷害も克服し、多くの若者に崇拝される教祖のようになっていく話。

  一言で言うと、気分がザラザラする映画で、コメディー仕立てなのに、まるで笑えません。 ロックのイメージにあわせて、映像を作ると、こんな荒涼とした視覚印象になってしまうんですかねえ。 ロックが持つ、「破壊」のメッセージ性が、映像表現の秩序も壊してしまうのです。 そういえば、≪ジーザス・クライスト・スーパースター≫も、ロック・ミュージカルでしたが、全く同じような印象を受けました。

  粗雑な印象とは裏腹に、ストーリーは、しっかりしていますし、映像も、大掛かりなセットを組み、細かいカットを繋ぎ合わせて、どえらい手間と金をかけて作られています。 しかし、その投資が、作品の質を高めているかと言うと、とてもとても・・・。

  俳優では、オリバー・リード、ジャック・ニコルソン、ロック歌手では、エルトン・ジョン、エリック・クラプトン、ティナ・ターナーといった面々が出演しています。 プロ歌手のパフォーマンスが、パワフルである事は、正直に認めます。


≪ウォーター・ホース≫ 2007年 アメリカ
  ネス湖のネッシーをモチーフにした、ファンタジー風味のペット物。 第二次大戦中、ネス湖の畔で、大きな卵を拾った少年が、卵から孵った首長竜のような生物を、姉や使用人の男に協力してもらって育てるが、大きくなって、ネス湖に放したところ、ドイツ軍の潜水艦と思い込んだ軍隊が攻撃し始めたため、何とか海へ逃がそうとする話。

  ≪のび太の恐竜≫みたいな話ですが、こちらはSFではなく、首長竜の生き残りでもなくて、スコットランドの伝説の生き物、「ウォーター・ホース」という設定になっています。 ただ、急激に成長する以外は、超自然的能力を持っているわけではなく、映画は、あくまで、ペット物の枠の中で作られています。

  ウォーター・ホースは、完全にCGで、役者さん達は、動きを合わせるのに、さぞ苦労した事でしょう。 人間との絡みはいいんですが、湖を浮上して進む時の、波の立ち方が、ちょっと、不自然。 しかし、それでも、ここまで、CGで表現できるようになったのは、大した進歩だと思わされます。

  ペット物なので、一応、ハッピー・エンドが用意されていて、安心して見る事ができます。 軍の司令官である大尉が、嫌な男の設定で出てくるくせに、最後には、いい人になってしまうのは、ちと、甘過ぎでしょうか。 それ以外は、おかしなところはなく、平均点をクリアした出来だと思います。


≪トゥー・ウィークス・ノーティス≫ 2002年 アメリカ
  サンドラ・ブロックさん主演の恋愛物。 相手役は、≪ノッティングヒルの恋人≫のヒュー・グラントさん。 ここのところ、サンドラ・ブロックさんの映画が続いています。 別に、ファンでも何でもないんですが。

  歴史ある建物の保存運動をしていた弁護士が、敵対していた不動産会社の社長に腕を買われ、地元にある公民館を残す約束で、顧問弁護士として、その会社で働きだしたが、社長の思いつきで振り回されるのに耐えかねて、数ヶ月で辞める事にしたものの、その後任に若い美女が決まった事から、嫉妬心が芽生える話。

  こう書くと、複雑な話のように見えますが、出会いの設定が凝っているだけで、全体的には、ありふれた恋愛物です。 前半の、社長と主人公の、仕事上の関係は、非常に面白いんですが、後半、恋愛感情が入り始めると、急につまらなくなります。 つまり、恋愛物としては、失敗しているわけですな。

  恋愛物にしないで、企業物として、前半のパターンを最後まで続ければ、面白くなったのに。 2000年以降のサンドラ・ブロックさんは、恋愛に落ちる女の役は、無理ですって。 顔はいかついし、歩き方もバタバタで、性的魅力なんて、完全消失しています。 コメディーで、頭の切れる快活なおばさんの役をやれば、ぴったりなんですがねえ。


≪シザーハンズ≫ 1990年 アメリカ
  ジョニー・デップさん主演のファンタジー。 発明家に作られた人造人間で、手の指が全て鋏になっている青年が、ある家族に引き取られてから、庭木の剪定や散髪に、芸術的才能を発揮して、人気者になるものの、純心な性格を悪人に利用されて、次第に居場所を失って行く話。

  一種の、異界カルチャー・ショック物ですが、この話の場合、一緒に暮らす内に、互いの理解が進むのではなく、最初、大歓迎されたのが、だんだん、綻びが大きくなって、最後には、逃げ出さざるを得なくなるという、かなり、珍しいパターンです。 そのせいで、物寂しい終わり方になっているのですが、逆に、ハッピー・エンドにしなかった事で、見る者に深い印象を残す事に成功したとも言えます。

  ヒロインになる娘が、「馬鹿女」でして、つまるところ、この娘が、自分の、ろくでなしの彼氏を守るために、泥棒事件の真相を隠さなければ、主人公は、周囲から誤解される事はなかったのです。 こいつが悪いんですよ、こいつが。 馬鹿女をヒロインにするのは、避けた方が宜しいですな。 馬鹿女への愛を貫く為に、主人公がひどい目に遭わされるのは、あまりに切ない。

  ジョニー・デップさんは、メイクが濃くて、言われなければ、誰だか分かりません。 監督は、≪スリーピー・ホロウ≫でも、ジョニー・デップさんを起用した、ティム・バートンさん。 話に暗い陰があるのは、この監督のカラーなんでしょう、きっと。


≪ナイトメア・ビフォア・クリスマス≫ 1993年 アメリカ
  これも、監督は、ティム・バートンさん。 ディズニーの、人形アニメです。 制作年から見て、フルCGではなく、現物の人形を動かして作った映像だと思うのですが、それにしては、滑らかに動きます。 ただし、人形の造形はグロテスクで、いかにも、この監督の趣味という感じ。

  ハロウィンしか知らなかった、あの世のヒーローである骸骨男が、ある時、クリスマスの存在を知って、自分もやってみたくなり、サンタを略取監禁して、自分がサンタの代わりになるものの、価値観のズレから、悪趣味なプレゼントばかり配り、世間の怒りを買う話。

  主人公に、全く悪意が無く、子供が喜ぶと思って用意したプレゼントが、生首だったり、子供を襲うモンスターだったりするところに、この監督の人間観察の深さを感じます。 価値観が違うと、善意でやった事でも、良い結果に至らないんですな。 確かに、そういうもんですよ。

  ヒロインは、唯一、人間と同じ価値観を持っている、常識的なキャラなのですが、顔も手足も、継ぎ接ぎの縫い目だらけで、あまりにも気持ち悪く、どんなに努力して見ても、可愛らしいと思えません。 せめて、顔だけでも、縫い目をなくせなかったものか・・・。


≪恋愛適齢期≫ 2003年 アメリカ
  ジャック・ニコルソンさんと、ダイアン・キートンさんの恋愛物。 30歳以下の女性としか付き合わない主義の熟年男が、交際相手の別荘で倒れてしまい、なりゆきで、交際相手の母親と同居する事になって、次第に、熟年女性の魅力に目覚めて行く話。

  熟年といえば、聞こえはいいですが、もはや、老年ですな。 特に、ダイアン・キートンさんが、凄い老けよう。 ジャック・ニコルソンさんより、9歳も年下なのに、ものの見事に老婆化しています。 65歳で、こんなに老け込みますかね? で、その老婆が、裸を見せる上に、ベッド・シーンまでやるのですから、額に汗を浮かべずにいられません。 露悪趣味だね。

  物語の方は、単なる熟年の恋の話でして、テーマというほどのテーマはありません。 若くなくても、魅力ある女性はいるのだという事に、主人公が気づくのがテーマだとすると、あまりにも、薄っぺらなのでは?

  三角関係を構成する相手として、遥かに若い、キアヌ・リーブスさんが医師役で出て来ますが、二枚目なら誰でもいいような役で、ストーリーの肉付けに、ほとんど寄与していません。 なんで、こんな役を受けたんでしょうねえ。


≪サンタ・バディーズ 小さな5匹の大冒険≫ 2009年 アメリカ・カナダ
  ディズニー作品。 クリスマスのエネルギーが切れるという危機を救うために、5匹の子犬達が、サンタ・ドッグ・ジュニアに導かれて北極に行き、サンタの橇を引く手伝いをする話。

  犬物ですが、犬は犬でも、言葉をしゃべる、擬人化された犬です。 特殊な動きをするところには、CGも使っていますが、基本的には、本物の犬が演じているので、しゃべり方が、かなり不自然。 口はCGで動かせても、犬は視線が一定しないので、心ここにあらずといった態になってしまうんですな。 この種の趣向は、手間がかかる割には、出来がしょぼくなる憾みがあります。

  完全に幼児向けに作られた映画で、大人の鑑賞には堪えません。 子供向けの映画であっても、大人が見ても感動するようなクオリティーを盛り込めば、名作たりうるのですが、そういう高い所は、最初から目指していない模様。


≪クリスマスキューピッド≫ 2010年 アメリカ
  これは、劇場映画ではなく、テレビ・ムービーだとの事。 つまり、二時間ドラマなんですが、中身だけ見たのでは、劇場映画と区別が付きません。 BSの、≪DLife≫チャンネルで見たんですが、この局が流す映画には、こういう素性の分かり難いものが、かなり混じっています。

  仕事第一主義で、周囲の人間を出世の道具としか考えていない女が、急死してしまった女優の幽霊の仲介で、クリスマスまでの三夜に、三人の聖霊の訪問を受ける事になり、過去・現在・未来に於ける、己の醜い所業を見せられて、改心する話。

  「クリスマス改心物」というカテゴリーを立てたくなるほど、この種の話は多いです。 クリスマスが近づいた影響で、自分の生き方を見つめ直し、悪い行いを悔い改めるというパターン。 先日見た、≪ミスター・サンタを探して≫も、その口でした。

  ≪ミスター・サンタを探して≫の主人公は、元は優しかったという設定で、仕事に取り付かれて、一時的におかしくなってしまっていたのが、元に戻ったわけですが、この作品の主人公は、高校生の頃から、一度も優しかった事がなく、この程度の奇跡で、思いやりのある人間に生まれ変われるとは、到底思えません。

  というか、そもそも、こんな性格の女に、男がつくとは思えないのですがねえ。 本性が見えた途端、どんな男も、裸足で逃げ出すでしょうに。 主人公が好かん性格では、見る者の共感を得るのは難しいでしょうな。


≪妹の恋人≫ 1993年 アメリカ
  ジョニー・デップさんが出ていますが、主役ではありません。 主役ではないけれど、キャストの並び順では、一番上に名前が出て来るのが、不思議。 ≪シザーハンズ≫よりは後ですが、まだ、かなり若い頃の出演作。

  精神を病んでいる妹と二人暮らしで、妹の世話のために、恋も結婚もできないでいた自動車整備工が、ある時、友人から風変わりな青年を預かる事になり、その青年と妹の間に恋心が芽生えた事で、妹にも自分にも、新しい人生が開けて行く話。

  はっきり言って、いい映画です。 作り手の優しさが伝わって来るような、肌触りの良さが感じられます。 特に、主人公と、ウェイトレスをしている元女優が、家の裏手の川原で過ごすひと時の描写が、素晴らしいです。 ほんの数十秒の場面だと思うのですが、これから、恋が始まるのではないかと予感させる、その雰囲気が何とも言えません。

  ジョニー・デップさんが演じる、パントマイムが得意な青年も、好感が持てます。 欲が無い所もいいですし、一見、いい加減なようでいて、主人公の妹との結婚に備えて、レンタル屋でバイトを始めるなど、真面目に物事を考えているところは、見ていて、嬉しくなって来ます。

  細かい事を言えば、実際に精神を病んでいる人は、この程度の人間関係の変化で、劇的に良くなったりはしないと思うのですが、まあ、野暮な事は言わず、「こういうケースもあるのかもしれない」という事で、納得しておきましょう。


≪ジャイアンツ≫ 1956年 アメリカ
  エリザベス・テイラーさんと、ロック・ハドソンの、ダブル主演。 テキサスの大牧場へ、東部から嫁いで来た妻と、テキサス人気質で、偏見や差別に関して、古い価値観をもった夫が、衝突しながらも、子供を育て、30年近い年月を過ごす話。

  西部劇としか思えない風景から始まり、最後には、1950年代の、旅客機が飛ぶ時代まで、3時間20分かけて、話が進みます。 言わば、大河映画なのですが、見ていて、長さに退屈するような事はありません。 さほど面白いわけではないのに、そう感じさせるのは、語り方がうまいからでしょうか。

  ≪風と共に去りぬ≫のような大作・名作を期待していると、ずっと、ぬるいので、肩透かしを喰らいます。 つまらなくはないが、決して、名作にはなりえない、といった映画ですな。 テーマは、偏見・差別の克服ですが、それと同時に、時代の変遷も描こうとしているため、二兎を追って、どちらも得られずに終わっている感あり。

  もし、偏見・差別の克服だけをテーマにするのなら、こんなに長くせずに、2時間以内で、充分に描ききれたはず。 途中で主人公が変わってしまうのも、大きなキズです。 最初は、妻の視点で見ているのに、いつのまにか、妻絡みのエピソードが消えて、クライマックス以降は、夫が中心人物になってしまいます。 こういう事をやられると、統一性が感じられず、テーマが、ぼやけてしまうのです。 

  ジェームス・ディーンさんが、憎まれ役で出ています。 いい役ではないんですが、この人がやると、主役を喰うほどの存在感を発揮してしまうから、ちと困りもの。 ちなみに、この映画の撮影が終わらない内に、交通事故で亡くなったとの事。



  以上、15作まで。 これらは、去年の12月の半ば頃に見ていた分ですな。  あの頃は、日当たり、2本か3本見ていたから、15本出しても、10日分も進みませんわ。