映画批評⑫
ドストエフスキーの≪悪霊≫を読み終えた後の事ですが、図書館をぶらついていたら、ロシア文学の書架に作家ごとの全集があり、ドストエフスキー全集もあるのを見つけて、驚愕しました。 なんだ、こんな物があったのか! 図書館に通い始めてから、かれこれ四半世紀になりますが、全く気付きませんでした。 何たる不覚! 今まで、世界文学全集の中でしか、トルストイやドストエフスキーは読めないと思っていたのです。
で、≪白痴≫があったので、借りて読んだのですが、≪悪霊≫よりも短かい上に、主人公のキャラが、期待していたほど立っておらず、話にも起伏が少なくて、がっかりしました。 一緒に収録されていた、中編の≪賭博者≫の方が、まだ、見せ場が多いくらいです。 ≪白痴≫は、黒澤明監督が映画化しているので、名前を知っていたんですが、有名だから面白いというわけでもない様子。
まあ、詳しい感想は、いずれ、読書感想文で、纏めて出します。 ≪白痴・賭博者≫は、二冊で、三週間かかり、ちと読書にも食傷したので、暫く、本を借りるのはやめようかと思っていたのですが、返すために、図書館に行ったら、≪未成年≫が目に入り、「これさえ読めば、ドストエフスキーの長編を全部読んだ男になれるぞ」と思ったら、ふらふらと手に取って、ついつい借りてしまいました。
ああ、何たる無謀! 呆れた身の程知らず! 一冊とはいえ、600ページもあるのに、どうやって、時間をやりくりするつもりなのか・・・。 いや、貸し出し延長して、四週間かけて読めば、いいこってすがね。 別に、早読み競争しているわけじゃないんだから、何の問題もありゃしません。
こういう枕で話を始めた時には、記事を書けない言い訳に決まっているわけでして、自動的に、映画批評になります。 批評の公開ペースが遅いせいで、見た時期とのズレが、半年近くに広がってしまっていますが、どうせ、私の見る映画は、旧作ばかりなので、さしたる不都合は無し。
いやねえ、新作を見たいと思う事もあるのですよ。 特に、アメリカのSF大作はね。 このつまらない時代に於いては、未来SFの世界くらいにしか、希望が感じられませんけんのう。 しかし、昨今は、そういう作品がめっきり減ってしまって、寂しい限り。 ≪2012≫とか、≪プロメテウス≫とか、早くテレビ放送してくれんかのう。
劇場に行くのは、衛生的、視聴環境的に問題外としても、レンタルくらいなら、お金を惜しむつもりはないんですが、「その内、テレビでやるだろう」と思うと、ツタヤの会員カードの作り直しもためらわれる次第。 そもそも、カードに使用期限を設けている理由が分からん。 更新料で儲けようという腹でもありますまい。 更新や作り直しが面倒で、足が遠のく客がいるとは、思わないんでしょうか? かく言う、私がそうですが。
≪聯合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実≫ 2011年 日本
役所広司さん主演。 1939年の日独伊三国同盟締結前から、1943年にブーゲンビルで戦死するまでを描いた、山本五十六の伝記映画。 過去10年以内に作られた太平洋戦争関連の日本映画の中では、≪出口のない海≫と並んで、制作者の頭がまともだと思わせる作品。
陸軍の恫喝や、海軍の若手将校の突き上げにあいながら、日独伊三国同盟に反対し、最後まで対米戦争を避けようとしていた山本が、開戦の決定により、不本意ながらも、連合艦隊を率いて、アメリカと戦う事になり、予想通り、戦局が暗転して行くのを、運命として受け入れざるを得なくなる話。
山本が自分の意見をはっきり述べていたのは、対米開戦の前までで、開戦の決定以降は、周りの暴走を止められず、流されるだけになります。 戦争中は、海軍がバラバラにならないように、組織の軸になっていただけで、作戦の指揮には、あまり口を出していなかった様子。
山本は、開戦前から、早期講和の機会を窺っていたわけですが、講和に持ち込むためには、その前に大勝しなければならず、その大勝が、いつまでたってもできないので、結局、講和できなかったという経緯が描かれますが、なんだか、竹竿で星を取ろうとするような、しょーもなさを感じますな。
日本映画の歴史物は、みんなそうですが、主人公を美化し過ぎるために、客観的な視点を失ってしまう嫌いがあります。 山本は、あらゆる点で間違いの無い人物で、「戦争に負けたのは、海軍の上官や同僚が、愚か者だったからだ」と言いたいわけですが、そんな事はありますまい。 海軍全体でやった事が愚かなら、その一員であった山本も、愚行の片棒を担いでいた事に変わりはありません。
この映画のテーマは、山本五十六の伝記に形を借りて、日本人の作る組織の問題点を指摘しようというものではないかと思いますが、山本を主人公にしたために、単なる善玉と悪玉の対立になってしまって、所期の目的から外れているように見受けられます。
マスコミの問題点も指摘していますが、そちらは、成功しています。 戦中戦前のマスコミというと、報道の自由が無く、軍部の指示通りに報ぜざるを得なかった、というような、弱者のイメージがありますが、実際には、国民を煽り立てて、戦争に向かわせていたのは、マスコミの方なんですな。 この性質は、現代でも、全く変わっていないと思います。
戦闘場面も多く出て来ますが、CGは、なかなかうまく出来ています。 ただ、戦争アクション映画ではないので、ニュース映画のように、場面は細切れです。 そーゆーところを見る映画じゃないのよ。
≪ギルバート・グレイプ≫ 1993年 アメリカ
ジョニー・デップさん主演、レオナルド・ディカプリオさん助演の家族物。 精神障害がある弟と、超肥満の母親の世話の為に、田舎町から出られない青年が、人妻の不倫相手にされたり、トレーラー・ハウスの故障で、たまたま町に滞在した女性と仲良くなったりする内、家族に重大な転機が訪れる話。
ジョニー・デップさんも若いですが、ディカプリオさんは、まだ少年です。 というか、髪型が見慣れたものと違うせいか、出演者の名前を見るまで、この弟が、ディカプリオさんだと気付きませんでした。 本物と見まがくらい、精神障害者になりきっており、大した演技力です。
「ギルバート・グレイプ」というのは、主人公の名前ですが、原題の直訳は、「何が、ギルバート・グレイプを食べているか」で、少し意訳すると、「誰が、ギルバート・グレイプを喰い物にしているか」といったところでしょうか。 前半は、明らかにお荷物になっている弟の事を言っているように見えるのですが、ラストに至って、そうではなかった事がわかります。
クライマックスでは、「いくら、母親を笑い者にしたくないからと言って、こんな事しちゃっていいのかな?」と思うくらい、思い切った事を、主人公がやるのですが、当人はともかく、弟や姉妹は、これで良かったんでしょうか。 帰る所がなくなってしまうのは、大変心細い事だと思うのですが。
前半、精神障害の弟が、やりたい放題やりまくるので、バタバタして、およそ落ち着きません。 演じているのが、ディカプリオさんだから、許されているような所もありますな。 後味の複雑さも含めて、見ていて、楽しくなるような映画ではないので、注意。
≪丹下左膳≫ 1958年 日本
大友柳太朗、大川橋蔵、美空ひばりなど、当時の大スターが、ごろごろ出て来る時代劇。 この頃の時代劇は、正に黄金期で、とにかく、絢爛豪華。 「なんじゃ、こりゃ!」の華やかさ。 美空ひばりさんが、歌まで歌うから凄い。
幕府から、日光東照宮の修理を命じられた、柳生但馬守が、百万両のありかが記された「こけ猿の壺」を、江戸の町道場に婿入りさせた弟の源三郎に渡してしまった事に気づき、取り戻そうとするが、その前に壺が盗まれて、丹下左膳の元に渡り、幕府の隠密や、道場乗っ取りを企む師範代一味が入り乱れて、大混戦になる話。
題名の通り、丹下左膳も出て来ますが、出番の配分からすると、大川橋蔵さんが演じている柳生源三郎の方が、主人公っぽいです。 大友柳太朗さんの丹下左膳は、ちと、ガラが悪過ぎて、好感が持てないのに対し、大川橋蔵さんは、輝くばかりの色気を発散しており、ビジュアルで、差がついてしまっています。
豪華と言えば、とてつもなく豪華なのですが、いろいろ盛り込み過ぎているせいで、壺の話なのか、道場乗っ取りの話なのか、中心軸が定まっていない憾みがあります。 ちょび安の御落胤に至っては、完全に蛇足。
こけ猿の壺の話というと、どうしても、1935年の傑作、≪丹下左膳余話 百萬両の壺≫と比べてしまいますが、あちらほど、深い味わいは無いものの、こちらはこちらで、捨て難い魅力があります。 今では、こういう時代劇は、作れないですからねえ。
≪今度は愛妻家≫ 2009年 日本
豊川悦司さん、薬師丸ひろ子さん、ダブル主演の夫婦物。 仕事もせず、妻を鬱陶しがって、浮気ばかりしている夫が、旅行をきっかけに、妻がいなくなってしまった事で、自分にとって、妻がどういう存在だったかを知る話。
話のほとんどが、家の中で進行する事や、セリフがやけに多い事など、舞台劇みたいだと思っていたら、本当にそうでした。 場所はともかく、セリフが多すぎるのは、明らかに不自然なのですが、つまり、舞台劇というものが、そもそも不自然なわけですな。 舞台関係者のどれだけが、その事に気づいている事やら・・・。
中ほどに一回、「ええっ! そうだったの!」と驚く、大きな種明かしがあり、後半にも一回、「ええっ! そういう関係だったの!」と驚く、中くらいの種明かしがあります。 このサプライズをやりたいばかりに、この物語を作ったと言っても過言ではないようなインパクトあり。
いなくなって初めて、配偶者の存在の大きさに気付くという話ですが、この夫、妻がいなくならなければ、自分が死ぬまで、その事に気付かなかったに違いなく、「果たして、こやつの愛は本物なのか?」と、最後まで眇目で見てしまいます。
≪サイドカーに犬≫ 2007年 日本
竹内結子さん主演、・・・という事になっていますが、主人公は、子役の松本花奈さんです。 主人公と主演が別の人間になる事があるんですな。 家出した母親の代わりに食事を作りに来た父の愛人に、自転車の乗り方を教わった娘が、母親とは正反対の捌けた性格の愛人に、ちょっとした影響を受ける話。
現在、30歳の主人公が、自分が小学生だった頃を回想する形で、思い出が語られるのですが、80年代初頭という設定が、明らかに負担になっていて、あちこちに、ボロが出ています。 わざわざ、古い車を探して来ておきながら、道路の端の方には、今の車がしっかり映ってしまっているのは、あまりにも杜撰。 無理に昔の話にせず、回想の枠を取っ払って、今の子供の話にしてしまっても、何の問題もないと思うのですがね。
正直な感想、この映画、何を言いたいのか、よく分かりません。 「子供の視点から、大人の世界を見上げたものの、結局、よく分からないまま、一夏が過ぎてしまった」という話なのですが、よく分からない事を、よく分からないまま、物語にしているために、大人である観客から見ても、よく分からない話になってしまっているのです。
松本花奈さんが、今時珍しいくらい、子役臭さを感じさせない人で、ほんとに、普通の小学生の女の子を連れて来たという感じなのですが、この主人公の理解の限界を超える事は、観客にも理解できません。 父の愛人は、結局、自転車の乗り方を教えてくれただけで、主人公の人生観を変えるほどの存在にはなり得なかったんですな。
「強い人間に従って、おとなしく生きた方がいいか、自分が強い人間になって、他人を従えて生きた方がいいか」という問題が、テーマらしき形で登場しますが、物語全体を貫いているわけではなく、提示されただけで、放り出されています。 何か、深い人間観察をやろうとしたものの、不完全燃焼して終わってしまったという感じです。
竹内結子さんは、こういう、一癖あるというか、ちょっと柄の悪いキャラを演じるのが好きなんでしょうな。 当人の地の性格が、こういうタイプなのかもしれません。 問題は、観客の方が、こういう性格の女性を好むかどうかでして、女優は人気商売ですから、それは結構、重大な問題になると思います。 主演に拘らないと言うのなら、別に構わないと思うんですが。
≪大鹿村騒動記≫ 2011年 日本
原田芳雄さん主演作にして、遺作。 鹿肉レストランを営む傍ら、村歌舞伎の練習に余念がない男のもとに、18年前に駆け落ちした、妻と幼馴染の男が戻って来るが、妻は認知症になっており、昔一緒に演じた村歌舞伎の舞台に立たせる事で、記憶を取り戻させようとする話。
こう書くと、深刻な話に聞こえるかもしれませんが、純然たるコメディーでして、かなり笑えます。 ただ、実際に認知症の家族を世話している方々まで、笑ってくれるかどうかは、分かりません。
出演者の平均年齢が、60歳を過ぎているのですが、年寄り臭さは微塵も感じさせず、まるで、子供の時の付き合いが、そのまま続いているかのような、活き活きした人間関係が見られます。 この年代を、こんなに前向きに描いた映画というのは、大変珍しい。 ≪北京好日≫などもそうですが、劇をやるというのは、若さの活力源なのでしょうか。
中心が60代なので、佐藤浩市さんや松たか子さんが、結婚前の若手で登場し、更に一世代若い瑛太さんなどは、もはや、子供的役回りですな。 三世代が入り乱れるので、山村の話でありながら、異様なほどの賑やかさが醸し出されています。
大鹿村は実在し、村歌舞伎には、300年の伝統があるとの事。 この映画のクライマックスも、歌舞伎の舞台になっていますが、歌舞伎自体は、そんなに面白いものではありません。 普段、脇役ばかりしている、芸達者なベテラン俳優達が、楽しんで映画を作っている、その雰囲気が、好感の源なのでしょう。
原田芳雄さんは、最後にいい映画を遺しましたねえ。
≪ディスクロージャー≫ 1994年 アメリカ
マイケル・ダグラスさん主演、デミ・ムーアさん助演の、企業内紛物。 ついでに、セクハラ物でもあり、公開時は、そちらで有名になった映画だとか。
IT企業の開発部門のトップだった男が、新たに上司として配属されてきた、かつて交際していた女性から、性関係の復活を迫られたのを拒んだところ、セクハラで社内告発されてしまい、やむなく、弁護士を頼んで反撃告訴するが、実はそれが、手の込んだ罠だったという話。
女の方が男を誘って、断られ、腹いせの嫌がらせとして、セクハラ被害を受けたと言いだすわけですが、ストーカー物同様、どうも、アメリカ映画では、この種の題材を扱う時に、男女の役割を引っくり返したがる傾向があるようです。
調停が開かれ、事件があった時の様子が克明に語られるのですが、証言の内容が、あまりにも生々しくて、聞いていて、気分が悪くなります。 こういう場面を入れれば、問題作にはなるかもしれませんが、見る者の気分を害する映画は、決して、名作にはなり得ません。
セクハラ物ならセクハラ物で、最後まで押し通せばいいのに、「実は、企業内での勢力争いが原因だった」という方向へ進むため、テーマが薄まってしまっています。 アメリカ映画らしからぬ、というか、マイケル・ダグラスさん主演の映画らしからぬ、まずい出来のストーリーです。
≪ウィンチェスター銃 '73≫ 1950年 アメリカ
ジェームズ・スチュワートさん主演の西部劇。 「'73」というと、70年代を連想してしまうので、軽薄な映画かと思ったら、1873年の事でした。 100年昔だわ。
射撃の名手が、もう一人の射撃の名手で、父親を背中から撃った男を追って、西部を旅して行くが、二人が優勝を争った射撃大会の賞品だったウィンチェスターのライフル銃が、人の手から手に渡って、彼らの行く先々に付き纏う話。
二人の因縁の話と、ライフルの話を無理やり絡めている感あり。 ライフルを、射撃大会の賞品などではなく、主人公の父の物で、それを奪う為に、父が殺されたというきっかけにすれば、もっと、いい話になったのに。
終盤に、サプライズあり。 善玉が悪玉を追跡するパターンの話は、よくありますが、このサプライズのおかげで、他とは違った印象の映画になっています。 ただ、50年の映画ですから、ストーリーの進め方に、古臭い違和感があるのは否めません。
逆に考えると、今のアメリカ映画の完成されたセオリーは、長い年月をかけて積み上げたノウハウの上に成り立っているんですねえ。
≪荒野のガンマン≫ 1961年 アメリカ
サム・ペキンパー監督の西部劇。 劇場用映画の初監督作品だそうです。 サム・ペキンパー監督は、≪ワイルドバンチ≫を作った人。 といっても、今では、知っている人がいないか・・・。
元北軍軍曹が、かつて、自分の頭の皮を剥ぎかけた元南軍兵士を探し当て、油断させる為に、銀行強盗の話を持ちかけて、仲間になるものの、ハプニングで、全く関係の無い子供を撃ち殺してしまい、その子を父親と同じ町の墓地に葬りたいと望む母親の護衛について、旅をする話。
過失とはいえ、自分の子供を殺した男と、恋に落ちる母親というのは、どうにも不自然なキャラです。 雌ライオンじゃないんだから・・・。 そういう男が近くにいたら、まず、息子の仇を取ろうとしませんかね。 主人公に、反省の色がほとんど見られないのも、違和感あり。
互いに、ほとんど無関係ない、復讐の話と、護衛の話が、同時進行するため、ストーリーが纏まりに欠けます。 ペキンパー監督も、この頃には、まだ、オリジナリティーを発揮できていなかった様子。 しかし、映像の雰囲気や場面展開には、古典的な西部劇から脱却する萌芽が見て取れます。
原題の直訳は、≪生かしておけない仲間≫。 ひでー、邦題です。 ≪荒野の七人≫が前年に作られているので、便乗したのでしょうが、この映画の主人公は、特段強調されるような、ガンマンではありません。
≪コクリコ坂から≫ 2011年 日本
スタジオ・ジブリの劇場用アニメ。 宮崎吾朗さん監督。 脚本が宮崎駿さん。 60年代初頭の横浜の、丘の上にある高校と下宿屋を舞台に、文化部の部室が雑居している洋館を、取り壊しから守ろうとする学生達の活動、及び、下宿屋の娘と一年先輩の少年の、出生の謎が絡んだ恋の経緯を描いた話。
宮崎吾朗さんというと、≪ゲド戦記≫の平凡な出来で、失速スタートを切ってしまった人ですが、この第二作は、見違えるほど、よく出来ています。 脚本のせいかとも思いましたが、ストーリーだけ見ると、結構ありふれた要素で作られており、やはり、監督にセンスが無ければ、この完成度には至らなかったでしょう。
学生運動が出て来ますが、政治的なものではなく、校内にある歴史的建築物を壊すか守るかという次元の話なので、身構えずに見れます。 学生運動を、保守派が主導しているというのは、何となくユーモラスです。
ただし、物語の本筋は、学生運動ではなく、恋愛の方。 「互いに思いを寄せていた相手が、実は○○だった」という、過去に無数に使われてきたモチーフですが、ドロドロしたところがないので、割とすんなり受け入れられます。
SFでもファンタジーでも、アクション物でもないアニメを見ると、「実写で作った方が、いいのでは?」と、必ず思うものですが、この作品には、「アニメで良かった」と思わせる、独特の質感があります。 実写では、CGを多用しても、ここまで描き込めますまい。 嫌味が全く無い主人公のキャラも、アニメならではと感じさせます。
いい作品だと思うので、重箱の隅をつつくような、不粋な批評は差し控えます。 これを劇場に見に行った人達は、「いいもの、見たなあ」と満足して帰って行った事でしょう、さぞや。
≪ロミオ&ジュリエット≫ 1996年 アメリカ
レオナルド・ディカプリオさん主演。 ロミオとジュリエットの時代を、現代に置き換え、アメリカの地方都市で対立する、二つの暴力団の息子と娘の話にしたもの。 ストーリーは、そのまんまなので、改めて書くまでもありますまい。
はっきり言って、スカ。 こんなにひどいシェークスピア物は、古今東西、稀です。 よくもまあ、ここまで、吐き気を催すような映像を撮れたものです。 ほんとに、アメリカ映画か? というか、世界中どの国の映画でも、こんなに汚らしくはないです。
もともとのロミオとジュリエットにしてからが、情欲丸出しの獣じみた話なのに、それを汚らしい映像で作ったのでは、救いようがなくなるのも無理はない。
出演者は、ディカプリオさんは、まあ良いとして、ジュリエット役の娘が、どうにも、美少女に見えぬ。 トム・クルーズさんを女にしたような顔立ちなのですが、男と女では美の基準が違う事を、嫌と言うほど思い知らされます。 神父を罵る時の面構えが、醜いの、醜くないのって・・・。
≪毎日かあさん≫ 2011年 日本
アニメではなく、実写映画。 主演は小泉今日子さん、助演が永瀬正敏さん。 漫画やアニメの方を見ていないので、映画オンリーの感想になりますが、悪くありません。 原作はギャグ漫画だと思うのですが、この映画は、真面目なテーマを持っています。
苦労の末、漫画家として成功した妻が、幼い子供二人と、元戦場カメラマンで、現役アル中の夫に振り回されながらも、逞しく生きて行く話。
子供との絡みは、身近に幼い子がいない者の目から見ると、ただ鬱陶しいだけで、さして面白くないのですが、アル中と戦う夫のエピソードの方が大変興味深く、それだけで充分に見る価値があります。 アル中患者は、世にたくさんいるのに、その克服が、映画のテーマとして取り上げられないのは、不思議な話。 その点、この作品は貴重です。
小泉今日子さんは、アイドルの頃に比べると、美貌の衰えこそ隠せませんが、性格的には、この役柄にぴったりあっており、酔って帰って来た亭主の尻を蹴飛ばす場面など、実に様になっています。 永瀬さんは、もちろん、巧い。
決して、ハッピー・エンドとは言えないのですが、見終わった後、解放感で、すーっと力が抜けるような余韻が残ります。 いい映画の証拠。
≪次郎長三国志≫ 2008年 日本
マキノ雅彦さん監督。 マキノ雅彦さんというのは、津川雅彦さんの監督名。 主演は、中井貴一さん。 清水の次郎長の逸話をいくつか摘み取ったストーリーです。 お蝶と祝言を挙げるところから始まり、次郎長が名を上げ、相撲興行や花会を経て、対立する甲州の一家へ殴り込みをかけ、裏切り者を尾張で討ち果たすまでを描いた話。 森の石松の死などは、入っていません。
出だしから、中ほどまでは、コミカルかつ、軽妙な展開で、洒落ているのですが、甲州へ向かった辺りから、殺伐として来て、「所詮、ヤクザ物はヤクザ物か・・・」と思わせる、血腥い話になって行きます。 いっそ、前半のテイストをそのまま生かして、コメディーにしてしまえば良かったのに。
中井貴一さんは、つくづく、いい役者ですねえ。 なかなか、作品に恵まれないけど。 森の石松に温水洋一さん、法印の大五郎に笹野高史さんを起用しているのは、面白いキャスティング。 佐藤浩市さんが、甲州ヤクザの黒駒の勝蔵役で出ていますが、大物なのに、ほんのちょっと顔を出して、それっきりになります。 もしや、続編を予定していたのではありますまいか。
≪おとうと≫ 2009年 日本
山田洋次さん監督、吉永小百合さん主演、笑福亭鶴瓶さん助演。 もっと昔の映画かと思ったら、まだ3年しか経っていないんですね。
夫亡き後、夫の実家の薬局を営みながら、姑を養い、娘を育てて来た女に、親戚の中で厄介者扱いされている弟がいて、娘の結婚に突然現れて大酒を飲んで暴れたり、借金を残して姿をくらましたり、いろいろと迷惑をかける話。
姉を訪ねて来たのに、顔を合わせるのが気まずくて、家の前をうろうろしている様子などは、明らかに寅さんと重なっていますが、寅さんと違うのは、この弟の破綻度が大きい事です。 酒癖は悪い、ギャンブルで借金は作る、不摂生が祟って病気になるなど、ただの駄目人間ではなく、グレが入っているんですな。
寅さんの場合、ドジや勘違いレベルの小さな問題しか起こさないのに、周囲の人間が、要注意人物扱いするから、問題が大きくなってしまうのですが、この弟の場合、当人に自覚がないとはいえ、犯罪になるような悪事をしており、周囲の人間は、一方的に迷惑を蒙るという、より深刻な厄介者なっています。
姉と弟の話と、娘の結婚の話の二本の軸があり、題名が、≪おとうと≫の割には、弟に関するエピソードが足りないような気がします。 ただし、棺桶に片足突っ込んだ弟の話より、娘の結婚の話の方が明るい未来を感じさせるので、脇道に逸れていても、さほど、違和感は増大しません。
≪ディア・ドクター≫ 2009年 日本
西川美和さん監督、笑福亭鶴瓶さん主演。 無医村だった村に、高給で雇われた男が、普通の医師ではやらないような、親身になって患者に寄り添う医療を行なっていたが、ある患者の病気を巡って、都会の病院で医師をしている、その患者の娘と議論になった直後、姿をくらましてしまう話。
幾分ネタバレになってしまいますが、この主人公は、医師免状の無い、偽医者です。 その事は、勘のいい人なら、始まってすぐに、そうでない人でも、前半の終わりくらいで、分かります。 偽医者だけど、患者の信頼が篤いという、人情物のパターンで、映画では珍しいですが、ドラマでは、よくあります。
ありふれた設定を、2時間を超える長い尺で映画化したのが、この作品の肝で、わざわざ、そんな事をするというのは、よほど話に自信があるのでしょう。 内容は濃厚です。 山と田んぼしかないような村で、地味に進む話なのに、「いつ、バレるか?」という緊張感があるため、話に引き込まれて、目が離せません。
監督が、≪ゆれる≫の人ですが、この監督、間合いの取り方が独特で、編集の力量が抜きん出ている事が分かります。 回想シーンがたくさん出て来て、時間軸が頻繁に前後するのに、見る者を混乱させないのは、大した技術。
いい映画であるだけでなく、欠点が見つからないくらい、完成度が高いです。 「医療と信頼」というテーマの方が印象に残るかもしれませんが、映画ファンなら、むしろ、ストーリー展開の芸術性を堪能すべき作品。
以上、15本まで。 今年の、1月7日から、13日までに書いた感想。 全然進まん。 暮れと正月に録画した映画が溜まって、強迫観念に追い立てられながら、見まくっていた時期ですなあ。
で、≪白痴≫があったので、借りて読んだのですが、≪悪霊≫よりも短かい上に、主人公のキャラが、期待していたほど立っておらず、話にも起伏が少なくて、がっかりしました。 一緒に収録されていた、中編の≪賭博者≫の方が、まだ、見せ場が多いくらいです。 ≪白痴≫は、黒澤明監督が映画化しているので、名前を知っていたんですが、有名だから面白いというわけでもない様子。
まあ、詳しい感想は、いずれ、読書感想文で、纏めて出します。 ≪白痴・賭博者≫は、二冊で、三週間かかり、ちと読書にも食傷したので、暫く、本を借りるのはやめようかと思っていたのですが、返すために、図書館に行ったら、≪未成年≫が目に入り、「これさえ読めば、ドストエフスキーの長編を全部読んだ男になれるぞ」と思ったら、ふらふらと手に取って、ついつい借りてしまいました。
ああ、何たる無謀! 呆れた身の程知らず! 一冊とはいえ、600ページもあるのに、どうやって、時間をやりくりするつもりなのか・・・。 いや、貸し出し延長して、四週間かけて読めば、いいこってすがね。 別に、早読み競争しているわけじゃないんだから、何の問題もありゃしません。
こういう枕で話を始めた時には、記事を書けない言い訳に決まっているわけでして、自動的に、映画批評になります。 批評の公開ペースが遅いせいで、見た時期とのズレが、半年近くに広がってしまっていますが、どうせ、私の見る映画は、旧作ばかりなので、さしたる不都合は無し。
いやねえ、新作を見たいと思う事もあるのですよ。 特に、アメリカのSF大作はね。 このつまらない時代に於いては、未来SFの世界くらいにしか、希望が感じられませんけんのう。 しかし、昨今は、そういう作品がめっきり減ってしまって、寂しい限り。 ≪2012≫とか、≪プロメテウス≫とか、早くテレビ放送してくれんかのう。
劇場に行くのは、衛生的、視聴環境的に問題外としても、レンタルくらいなら、お金を惜しむつもりはないんですが、「その内、テレビでやるだろう」と思うと、ツタヤの会員カードの作り直しもためらわれる次第。 そもそも、カードに使用期限を設けている理由が分からん。 更新料で儲けようという腹でもありますまい。 更新や作り直しが面倒で、足が遠のく客がいるとは、思わないんでしょうか? かく言う、私がそうですが。
≪聯合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実≫ 2011年 日本
役所広司さん主演。 1939年の日独伊三国同盟締結前から、1943年にブーゲンビルで戦死するまでを描いた、山本五十六の伝記映画。 過去10年以内に作られた太平洋戦争関連の日本映画の中では、≪出口のない海≫と並んで、制作者の頭がまともだと思わせる作品。
陸軍の恫喝や、海軍の若手将校の突き上げにあいながら、日独伊三国同盟に反対し、最後まで対米戦争を避けようとしていた山本が、開戦の決定により、不本意ながらも、連合艦隊を率いて、アメリカと戦う事になり、予想通り、戦局が暗転して行くのを、運命として受け入れざるを得なくなる話。
山本が自分の意見をはっきり述べていたのは、対米開戦の前までで、開戦の決定以降は、周りの暴走を止められず、流されるだけになります。 戦争中は、海軍がバラバラにならないように、組織の軸になっていただけで、作戦の指揮には、あまり口を出していなかった様子。
山本は、開戦前から、早期講和の機会を窺っていたわけですが、講和に持ち込むためには、その前に大勝しなければならず、その大勝が、いつまでたってもできないので、結局、講和できなかったという経緯が描かれますが、なんだか、竹竿で星を取ろうとするような、しょーもなさを感じますな。
日本映画の歴史物は、みんなそうですが、主人公を美化し過ぎるために、客観的な視点を失ってしまう嫌いがあります。 山本は、あらゆる点で間違いの無い人物で、「戦争に負けたのは、海軍の上官や同僚が、愚か者だったからだ」と言いたいわけですが、そんな事はありますまい。 海軍全体でやった事が愚かなら、その一員であった山本も、愚行の片棒を担いでいた事に変わりはありません。
この映画のテーマは、山本五十六の伝記に形を借りて、日本人の作る組織の問題点を指摘しようというものではないかと思いますが、山本を主人公にしたために、単なる善玉と悪玉の対立になってしまって、所期の目的から外れているように見受けられます。
マスコミの問題点も指摘していますが、そちらは、成功しています。 戦中戦前のマスコミというと、報道の自由が無く、軍部の指示通りに報ぜざるを得なかった、というような、弱者のイメージがありますが、実際には、国民を煽り立てて、戦争に向かわせていたのは、マスコミの方なんですな。 この性質は、現代でも、全く変わっていないと思います。
戦闘場面も多く出て来ますが、CGは、なかなかうまく出来ています。 ただ、戦争アクション映画ではないので、ニュース映画のように、場面は細切れです。 そーゆーところを見る映画じゃないのよ。
≪ギルバート・グレイプ≫ 1993年 アメリカ
ジョニー・デップさん主演、レオナルド・ディカプリオさん助演の家族物。 精神障害がある弟と、超肥満の母親の世話の為に、田舎町から出られない青年が、人妻の不倫相手にされたり、トレーラー・ハウスの故障で、たまたま町に滞在した女性と仲良くなったりする内、家族に重大な転機が訪れる話。
ジョニー・デップさんも若いですが、ディカプリオさんは、まだ少年です。 というか、髪型が見慣れたものと違うせいか、出演者の名前を見るまで、この弟が、ディカプリオさんだと気付きませんでした。 本物と見まがくらい、精神障害者になりきっており、大した演技力です。
「ギルバート・グレイプ」というのは、主人公の名前ですが、原題の直訳は、「何が、ギルバート・グレイプを食べているか」で、少し意訳すると、「誰が、ギルバート・グレイプを喰い物にしているか」といったところでしょうか。 前半は、明らかにお荷物になっている弟の事を言っているように見えるのですが、ラストに至って、そうではなかった事がわかります。
クライマックスでは、「いくら、母親を笑い者にしたくないからと言って、こんな事しちゃっていいのかな?」と思うくらい、思い切った事を、主人公がやるのですが、当人はともかく、弟や姉妹は、これで良かったんでしょうか。 帰る所がなくなってしまうのは、大変心細い事だと思うのですが。
前半、精神障害の弟が、やりたい放題やりまくるので、バタバタして、およそ落ち着きません。 演じているのが、ディカプリオさんだから、許されているような所もありますな。 後味の複雑さも含めて、見ていて、楽しくなるような映画ではないので、注意。
≪丹下左膳≫ 1958年 日本
大友柳太朗、大川橋蔵、美空ひばりなど、当時の大スターが、ごろごろ出て来る時代劇。 この頃の時代劇は、正に黄金期で、とにかく、絢爛豪華。 「なんじゃ、こりゃ!」の華やかさ。 美空ひばりさんが、歌まで歌うから凄い。
幕府から、日光東照宮の修理を命じられた、柳生但馬守が、百万両のありかが記された「こけ猿の壺」を、江戸の町道場に婿入りさせた弟の源三郎に渡してしまった事に気づき、取り戻そうとするが、その前に壺が盗まれて、丹下左膳の元に渡り、幕府の隠密や、道場乗っ取りを企む師範代一味が入り乱れて、大混戦になる話。
題名の通り、丹下左膳も出て来ますが、出番の配分からすると、大川橋蔵さんが演じている柳生源三郎の方が、主人公っぽいです。 大友柳太朗さんの丹下左膳は、ちと、ガラが悪過ぎて、好感が持てないのに対し、大川橋蔵さんは、輝くばかりの色気を発散しており、ビジュアルで、差がついてしまっています。
豪華と言えば、とてつもなく豪華なのですが、いろいろ盛り込み過ぎているせいで、壺の話なのか、道場乗っ取りの話なのか、中心軸が定まっていない憾みがあります。 ちょび安の御落胤に至っては、完全に蛇足。
こけ猿の壺の話というと、どうしても、1935年の傑作、≪丹下左膳余話 百萬両の壺≫と比べてしまいますが、あちらほど、深い味わいは無いものの、こちらはこちらで、捨て難い魅力があります。 今では、こういう時代劇は、作れないですからねえ。
≪今度は愛妻家≫ 2009年 日本
豊川悦司さん、薬師丸ひろ子さん、ダブル主演の夫婦物。 仕事もせず、妻を鬱陶しがって、浮気ばかりしている夫が、旅行をきっかけに、妻がいなくなってしまった事で、自分にとって、妻がどういう存在だったかを知る話。
話のほとんどが、家の中で進行する事や、セリフがやけに多い事など、舞台劇みたいだと思っていたら、本当にそうでした。 場所はともかく、セリフが多すぎるのは、明らかに不自然なのですが、つまり、舞台劇というものが、そもそも不自然なわけですな。 舞台関係者のどれだけが、その事に気づいている事やら・・・。
中ほどに一回、「ええっ! そうだったの!」と驚く、大きな種明かしがあり、後半にも一回、「ええっ! そういう関係だったの!」と驚く、中くらいの種明かしがあります。 このサプライズをやりたいばかりに、この物語を作ったと言っても過言ではないようなインパクトあり。
いなくなって初めて、配偶者の存在の大きさに気付くという話ですが、この夫、妻がいなくならなければ、自分が死ぬまで、その事に気付かなかったに違いなく、「果たして、こやつの愛は本物なのか?」と、最後まで眇目で見てしまいます。
≪サイドカーに犬≫ 2007年 日本
竹内結子さん主演、・・・という事になっていますが、主人公は、子役の松本花奈さんです。 主人公と主演が別の人間になる事があるんですな。 家出した母親の代わりに食事を作りに来た父の愛人に、自転車の乗り方を教わった娘が、母親とは正反対の捌けた性格の愛人に、ちょっとした影響を受ける話。
現在、30歳の主人公が、自分が小学生だった頃を回想する形で、思い出が語られるのですが、80年代初頭という設定が、明らかに負担になっていて、あちこちに、ボロが出ています。 わざわざ、古い車を探して来ておきながら、道路の端の方には、今の車がしっかり映ってしまっているのは、あまりにも杜撰。 無理に昔の話にせず、回想の枠を取っ払って、今の子供の話にしてしまっても、何の問題もないと思うのですがね。
正直な感想、この映画、何を言いたいのか、よく分かりません。 「子供の視点から、大人の世界を見上げたものの、結局、よく分からないまま、一夏が過ぎてしまった」という話なのですが、よく分からない事を、よく分からないまま、物語にしているために、大人である観客から見ても、よく分からない話になってしまっているのです。
松本花奈さんが、今時珍しいくらい、子役臭さを感じさせない人で、ほんとに、普通の小学生の女の子を連れて来たという感じなのですが、この主人公の理解の限界を超える事は、観客にも理解できません。 父の愛人は、結局、自転車の乗り方を教えてくれただけで、主人公の人生観を変えるほどの存在にはなり得なかったんですな。
「強い人間に従って、おとなしく生きた方がいいか、自分が強い人間になって、他人を従えて生きた方がいいか」という問題が、テーマらしき形で登場しますが、物語全体を貫いているわけではなく、提示されただけで、放り出されています。 何か、深い人間観察をやろうとしたものの、不完全燃焼して終わってしまったという感じです。
竹内結子さんは、こういう、一癖あるというか、ちょっと柄の悪いキャラを演じるのが好きなんでしょうな。 当人の地の性格が、こういうタイプなのかもしれません。 問題は、観客の方が、こういう性格の女性を好むかどうかでして、女優は人気商売ですから、それは結構、重大な問題になると思います。 主演に拘らないと言うのなら、別に構わないと思うんですが。
≪大鹿村騒動記≫ 2011年 日本
原田芳雄さん主演作にして、遺作。 鹿肉レストランを営む傍ら、村歌舞伎の練習に余念がない男のもとに、18年前に駆け落ちした、妻と幼馴染の男が戻って来るが、妻は認知症になっており、昔一緒に演じた村歌舞伎の舞台に立たせる事で、記憶を取り戻させようとする話。
こう書くと、深刻な話に聞こえるかもしれませんが、純然たるコメディーでして、かなり笑えます。 ただ、実際に認知症の家族を世話している方々まで、笑ってくれるかどうかは、分かりません。
出演者の平均年齢が、60歳を過ぎているのですが、年寄り臭さは微塵も感じさせず、まるで、子供の時の付き合いが、そのまま続いているかのような、活き活きした人間関係が見られます。 この年代を、こんなに前向きに描いた映画というのは、大変珍しい。 ≪北京好日≫などもそうですが、劇をやるというのは、若さの活力源なのでしょうか。
中心が60代なので、佐藤浩市さんや松たか子さんが、結婚前の若手で登場し、更に一世代若い瑛太さんなどは、もはや、子供的役回りですな。 三世代が入り乱れるので、山村の話でありながら、異様なほどの賑やかさが醸し出されています。
大鹿村は実在し、村歌舞伎には、300年の伝統があるとの事。 この映画のクライマックスも、歌舞伎の舞台になっていますが、歌舞伎自体は、そんなに面白いものではありません。 普段、脇役ばかりしている、芸達者なベテラン俳優達が、楽しんで映画を作っている、その雰囲気が、好感の源なのでしょう。
原田芳雄さんは、最後にいい映画を遺しましたねえ。
≪ディスクロージャー≫ 1994年 アメリカ
マイケル・ダグラスさん主演、デミ・ムーアさん助演の、企業内紛物。 ついでに、セクハラ物でもあり、公開時は、そちらで有名になった映画だとか。
IT企業の開発部門のトップだった男が、新たに上司として配属されてきた、かつて交際していた女性から、性関係の復活を迫られたのを拒んだところ、セクハラで社内告発されてしまい、やむなく、弁護士を頼んで反撃告訴するが、実はそれが、手の込んだ罠だったという話。
女の方が男を誘って、断られ、腹いせの嫌がらせとして、セクハラ被害を受けたと言いだすわけですが、ストーカー物同様、どうも、アメリカ映画では、この種の題材を扱う時に、男女の役割を引っくり返したがる傾向があるようです。
調停が開かれ、事件があった時の様子が克明に語られるのですが、証言の内容が、あまりにも生々しくて、聞いていて、気分が悪くなります。 こういう場面を入れれば、問題作にはなるかもしれませんが、見る者の気分を害する映画は、決して、名作にはなり得ません。
セクハラ物ならセクハラ物で、最後まで押し通せばいいのに、「実は、企業内での勢力争いが原因だった」という方向へ進むため、テーマが薄まってしまっています。 アメリカ映画らしからぬ、というか、マイケル・ダグラスさん主演の映画らしからぬ、まずい出来のストーリーです。
≪ウィンチェスター銃 '73≫ 1950年 アメリカ
ジェームズ・スチュワートさん主演の西部劇。 「'73」というと、70年代を連想してしまうので、軽薄な映画かと思ったら、1873年の事でした。 100年昔だわ。
射撃の名手が、もう一人の射撃の名手で、父親を背中から撃った男を追って、西部を旅して行くが、二人が優勝を争った射撃大会の賞品だったウィンチェスターのライフル銃が、人の手から手に渡って、彼らの行く先々に付き纏う話。
二人の因縁の話と、ライフルの話を無理やり絡めている感あり。 ライフルを、射撃大会の賞品などではなく、主人公の父の物で、それを奪う為に、父が殺されたというきっかけにすれば、もっと、いい話になったのに。
終盤に、サプライズあり。 善玉が悪玉を追跡するパターンの話は、よくありますが、このサプライズのおかげで、他とは違った印象の映画になっています。 ただ、50年の映画ですから、ストーリーの進め方に、古臭い違和感があるのは否めません。
逆に考えると、今のアメリカ映画の完成されたセオリーは、長い年月をかけて積み上げたノウハウの上に成り立っているんですねえ。
≪荒野のガンマン≫ 1961年 アメリカ
サム・ペキンパー監督の西部劇。 劇場用映画の初監督作品だそうです。 サム・ペキンパー監督は、≪ワイルドバンチ≫を作った人。 といっても、今では、知っている人がいないか・・・。
元北軍軍曹が、かつて、自分の頭の皮を剥ぎかけた元南軍兵士を探し当て、油断させる為に、銀行強盗の話を持ちかけて、仲間になるものの、ハプニングで、全く関係の無い子供を撃ち殺してしまい、その子を父親と同じ町の墓地に葬りたいと望む母親の護衛について、旅をする話。
過失とはいえ、自分の子供を殺した男と、恋に落ちる母親というのは、どうにも不自然なキャラです。 雌ライオンじゃないんだから・・・。 そういう男が近くにいたら、まず、息子の仇を取ろうとしませんかね。 主人公に、反省の色がほとんど見られないのも、違和感あり。
互いに、ほとんど無関係ない、復讐の話と、護衛の話が、同時進行するため、ストーリーが纏まりに欠けます。 ペキンパー監督も、この頃には、まだ、オリジナリティーを発揮できていなかった様子。 しかし、映像の雰囲気や場面展開には、古典的な西部劇から脱却する萌芽が見て取れます。
原題の直訳は、≪生かしておけない仲間≫。 ひでー、邦題です。 ≪荒野の七人≫が前年に作られているので、便乗したのでしょうが、この映画の主人公は、特段強調されるような、ガンマンではありません。
≪コクリコ坂から≫ 2011年 日本
スタジオ・ジブリの劇場用アニメ。 宮崎吾朗さん監督。 脚本が宮崎駿さん。 60年代初頭の横浜の、丘の上にある高校と下宿屋を舞台に、文化部の部室が雑居している洋館を、取り壊しから守ろうとする学生達の活動、及び、下宿屋の娘と一年先輩の少年の、出生の謎が絡んだ恋の経緯を描いた話。
宮崎吾朗さんというと、≪ゲド戦記≫の平凡な出来で、失速スタートを切ってしまった人ですが、この第二作は、見違えるほど、よく出来ています。 脚本のせいかとも思いましたが、ストーリーだけ見ると、結構ありふれた要素で作られており、やはり、監督にセンスが無ければ、この完成度には至らなかったでしょう。
学生運動が出て来ますが、政治的なものではなく、校内にある歴史的建築物を壊すか守るかという次元の話なので、身構えずに見れます。 学生運動を、保守派が主導しているというのは、何となくユーモラスです。
ただし、物語の本筋は、学生運動ではなく、恋愛の方。 「互いに思いを寄せていた相手が、実は○○だった」という、過去に無数に使われてきたモチーフですが、ドロドロしたところがないので、割とすんなり受け入れられます。
SFでもファンタジーでも、アクション物でもないアニメを見ると、「実写で作った方が、いいのでは?」と、必ず思うものですが、この作品には、「アニメで良かった」と思わせる、独特の質感があります。 実写では、CGを多用しても、ここまで描き込めますまい。 嫌味が全く無い主人公のキャラも、アニメならではと感じさせます。
いい作品だと思うので、重箱の隅をつつくような、不粋な批評は差し控えます。 これを劇場に見に行った人達は、「いいもの、見たなあ」と満足して帰って行った事でしょう、さぞや。
≪ロミオ&ジュリエット≫ 1996年 アメリカ
レオナルド・ディカプリオさん主演。 ロミオとジュリエットの時代を、現代に置き換え、アメリカの地方都市で対立する、二つの暴力団の息子と娘の話にしたもの。 ストーリーは、そのまんまなので、改めて書くまでもありますまい。
はっきり言って、スカ。 こんなにひどいシェークスピア物は、古今東西、稀です。 よくもまあ、ここまで、吐き気を催すような映像を撮れたものです。 ほんとに、アメリカ映画か? というか、世界中どの国の映画でも、こんなに汚らしくはないです。
もともとのロミオとジュリエットにしてからが、情欲丸出しの獣じみた話なのに、それを汚らしい映像で作ったのでは、救いようがなくなるのも無理はない。
出演者は、ディカプリオさんは、まあ良いとして、ジュリエット役の娘が、どうにも、美少女に見えぬ。 トム・クルーズさんを女にしたような顔立ちなのですが、男と女では美の基準が違う事を、嫌と言うほど思い知らされます。 神父を罵る時の面構えが、醜いの、醜くないのって・・・。
≪毎日かあさん≫ 2011年 日本
アニメではなく、実写映画。 主演は小泉今日子さん、助演が永瀬正敏さん。 漫画やアニメの方を見ていないので、映画オンリーの感想になりますが、悪くありません。 原作はギャグ漫画だと思うのですが、この映画は、真面目なテーマを持っています。
苦労の末、漫画家として成功した妻が、幼い子供二人と、元戦場カメラマンで、現役アル中の夫に振り回されながらも、逞しく生きて行く話。
子供との絡みは、身近に幼い子がいない者の目から見ると、ただ鬱陶しいだけで、さして面白くないのですが、アル中と戦う夫のエピソードの方が大変興味深く、それだけで充分に見る価値があります。 アル中患者は、世にたくさんいるのに、その克服が、映画のテーマとして取り上げられないのは、不思議な話。 その点、この作品は貴重です。
小泉今日子さんは、アイドルの頃に比べると、美貌の衰えこそ隠せませんが、性格的には、この役柄にぴったりあっており、酔って帰って来た亭主の尻を蹴飛ばす場面など、実に様になっています。 永瀬さんは、もちろん、巧い。
決して、ハッピー・エンドとは言えないのですが、見終わった後、解放感で、すーっと力が抜けるような余韻が残ります。 いい映画の証拠。
≪次郎長三国志≫ 2008年 日本
マキノ雅彦さん監督。 マキノ雅彦さんというのは、津川雅彦さんの監督名。 主演は、中井貴一さん。 清水の次郎長の逸話をいくつか摘み取ったストーリーです。 お蝶と祝言を挙げるところから始まり、次郎長が名を上げ、相撲興行や花会を経て、対立する甲州の一家へ殴り込みをかけ、裏切り者を尾張で討ち果たすまでを描いた話。 森の石松の死などは、入っていません。
出だしから、中ほどまでは、コミカルかつ、軽妙な展開で、洒落ているのですが、甲州へ向かった辺りから、殺伐として来て、「所詮、ヤクザ物はヤクザ物か・・・」と思わせる、血腥い話になって行きます。 いっそ、前半のテイストをそのまま生かして、コメディーにしてしまえば良かったのに。
中井貴一さんは、つくづく、いい役者ですねえ。 なかなか、作品に恵まれないけど。 森の石松に温水洋一さん、法印の大五郎に笹野高史さんを起用しているのは、面白いキャスティング。 佐藤浩市さんが、甲州ヤクザの黒駒の勝蔵役で出ていますが、大物なのに、ほんのちょっと顔を出して、それっきりになります。 もしや、続編を予定していたのではありますまいか。
≪おとうと≫ 2009年 日本
山田洋次さん監督、吉永小百合さん主演、笑福亭鶴瓶さん助演。 もっと昔の映画かと思ったら、まだ3年しか経っていないんですね。
夫亡き後、夫の実家の薬局を営みながら、姑を養い、娘を育てて来た女に、親戚の中で厄介者扱いされている弟がいて、娘の結婚に突然現れて大酒を飲んで暴れたり、借金を残して姿をくらましたり、いろいろと迷惑をかける話。
姉を訪ねて来たのに、顔を合わせるのが気まずくて、家の前をうろうろしている様子などは、明らかに寅さんと重なっていますが、寅さんと違うのは、この弟の破綻度が大きい事です。 酒癖は悪い、ギャンブルで借金は作る、不摂生が祟って病気になるなど、ただの駄目人間ではなく、グレが入っているんですな。
寅さんの場合、ドジや勘違いレベルの小さな問題しか起こさないのに、周囲の人間が、要注意人物扱いするから、問題が大きくなってしまうのですが、この弟の場合、当人に自覚がないとはいえ、犯罪になるような悪事をしており、周囲の人間は、一方的に迷惑を蒙るという、より深刻な厄介者なっています。
姉と弟の話と、娘の結婚の話の二本の軸があり、題名が、≪おとうと≫の割には、弟に関するエピソードが足りないような気がします。 ただし、棺桶に片足突っ込んだ弟の話より、娘の結婚の話の方が明るい未来を感じさせるので、脇道に逸れていても、さほど、違和感は増大しません。
≪ディア・ドクター≫ 2009年 日本
西川美和さん監督、笑福亭鶴瓶さん主演。 無医村だった村に、高給で雇われた男が、普通の医師ではやらないような、親身になって患者に寄り添う医療を行なっていたが、ある患者の病気を巡って、都会の病院で医師をしている、その患者の娘と議論になった直後、姿をくらましてしまう話。
幾分ネタバレになってしまいますが、この主人公は、医師免状の無い、偽医者です。 その事は、勘のいい人なら、始まってすぐに、そうでない人でも、前半の終わりくらいで、分かります。 偽医者だけど、患者の信頼が篤いという、人情物のパターンで、映画では珍しいですが、ドラマでは、よくあります。
ありふれた設定を、2時間を超える長い尺で映画化したのが、この作品の肝で、わざわざ、そんな事をするというのは、よほど話に自信があるのでしょう。 内容は濃厚です。 山と田んぼしかないような村で、地味に進む話なのに、「いつ、バレるか?」という緊張感があるため、話に引き込まれて、目が離せません。
監督が、≪ゆれる≫の人ですが、この監督、間合いの取り方が独特で、編集の力量が抜きん出ている事が分かります。 回想シーンがたくさん出て来て、時間軸が頻繁に前後するのに、見る者を混乱させないのは、大した技術。
いい映画であるだけでなく、欠点が見つからないくらい、完成度が高いです。 「医療と信頼」というテーマの方が印象に残るかもしれませんが、映画ファンなら、むしろ、ストーリー展開の芸術性を堪能すべき作品。
以上、15本まで。 今年の、1月7日から、13日までに書いた感想。 全然進まん。 暮れと正月に録画した映画が溜まって、強迫観念に追い立てられながら、見まくっていた時期ですなあ。
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