2013/04/21

映画批評⑪

  ドストエフスキーの≪悪霊Ⅰ≫ですが、一週間経って、まだ、読み終わりません。 会話が多いので ≪罪と罰≫や≪カラマーゾフの兄弟≫に比べると、ずっと読み易いのですが、話の内容が、今のところ、田舎貴族のゴシップばかりで、興味が盛り上がらないせいか、なかなか、ページの捗が行かないのです。

  同じ、中央公論社の、≪新集 世界の文学≫ですが、ショーロホフの≪静かなドン≫が、一日、100ページも進んだのに、こちらは、40ページがやっととは、何たる不甲斐なさ。 翻訳が悪い? いや、そんな事は全く無いと思いますが・・・。 ドストエフスキーは、やはり、なめられんのか・・・。

  ちなみに、私は、速読法の類は、一切、身につけていません。 ただ、こつこつと、地味~に、一文字ずつ、不器用に読み進めるだけ。 いいんですよ、それで。 別に、何かの目的があって、読書しているわけではないのですから。 マイ・ペースが一番。 仕事でマイ・ペースなのは、傍迷惑ですが、読書は趣味だから、何の問題もありません。

  若い頃は、知識・教養を身につけるために、歯を喰い縛って読書しているようなところがありましたが、この歳になると、興味が湧いたものしか、読む気にならなくなりました。 言わば、動機が純粋化したわけで、ある意味、読書の本当の楽しみを知ったと言えるかも知れません。

  ついで論ですが、あの速読法という奴、一見、便利なようで、それほど、有用でもないような気がするので、よしんば、試してみて、物にできなかったとしても、あまり気落ちする事はないと思います。 ぶっちゃけ、速読法の会得者で、有名になるほど成功した人というのは、聞いた事が無いですけんのう。

  他にも、スーパー記憶術とか、左脳活用術とか、同類の脳力開発法が、いろいろと出回ってますが、ああいうのは、やめておいた方が、無難かもしれません。 脳の能力容量には限界があるので、不自然な方法で使い切ってしまうと、歳を取ってから、早くボケる危険性がなきにしもあらず。 若い頃、凄いおしゃべりで、ひっきりなしに喋り続けていた人が、判で押したように、早ボケするのも、脳を使い切ってしまったせいではないでしょうか。

  脱線の限りを尽くしていますが、何が言いたいかというと、やはり、読書に時間を取られて、記事が書けんという事なのです。 そこで、今回も、映画批評という事になります。 いや、今週は、何か書こうと思っていたんですよ。 そのために、土曜の夜9時以降を開けておいたんですが、なんと、地上波で、≪テルマエ・ロマエ≫をやるっつーじゃないですか。 そりゃ、見ないわけにいかんでしょう。 見逃したら遺憾でしょう。 で、結局、時間がなくなってしまったわけですな。



≪ねこタクシー≫ 2010年 日本
  カンニング竹山さん主演。 元は、テレビ・シリーズだったのを、劇場版として作り直したもの。 スタッフは、≪幼獣マメシバ≫や≪ネコナデ≫を作った人達。

  元教師のタクシー運転手が、接客が苦手で、さんざんな成績だったのが、猫好きの老婆に乗り逃げされた事がきっかけで、タクシーに猫を乗せて走るようになり、それがお客に受けて、成績が上がるものの、保健所の指導で禁止されてしまい、動物を業務で扱える免許を取って、やりなおそうとする話。

  動物物ではなく、人情物。 猫は、その小道具として出て来るだけです。 主人公は、駄目人間という事になっていますが、元教師で、妻と娘は美人で、結構いいマンションに住んでおり、客観的に見ると、どこが駄目なのか、よく分かりません。

  妻役の鶴田真由さんが、ちょっと出来過ぎていて、カンニング竹山さんを喰ってしまっているのが、イマイチですかねえ。 もっと、目立たない女優さんの方が、良かったのに。 室井茂さんが、老婆というのも、ドラマならともかく、映画では、洒落になるかならないか、微妙なところ。

  映像は、ドラマ・レベルで、パッとしませんが、話は、いい話だと思います。 ふざけた設定のようでいて、挫折した男の再チャレンジというテーマをしっかり定めてあり、過度にお涙頂戴にも走らず、卒のない出来になっています。


≪死刑台のエレベーター≫ 2010年 日本
  1957年のフランス映画のリメイク。 阿部寛さんらの、群像劇。 大企業の会長の妻に唆されて、会長を射殺した男が、逃げる途中、エレベーターに閉じ込められてしまうが、その間に、男の車が盗まれて、盗んだ奴らが、箱根で、会長の知人の暴力団組長を殺しており、翌朝エレベーターから出て来た時に、全く知らない容疑で逮捕される話。

  これも、推理物の要素が入っているので、これ以上は書けません。 結構複雑な話で、二つの殺人事件が連続して起こるのですが、互いに深くは絡んでおらず、ちと、偶然が過ぎるのではないかと思わぬでもなし。

  特に、車を盗む若い警官の行動が奇妙で、なりゆきで人を殺しており、狂人でなければ、ストーリーを成り立たせる為に、無理にこんな事をやらせているとしか思えません。 この辺りは、オリジナルを見て、どうなっているか、確認しなければなりませんな。 いつ見れるか分かりませんが。

  阿部さんを主役だと思って見ていると、どんどん出番が減って行くので、がっかりします。 あくまで、群像劇。 一番、出番が多いのは、会長の妻役の、吉瀬美智子さんですかね。 だけど、やはり、主役ではありません。 刑事役の柄本明さんが、いい味を出していますが、出番が少ないのが残念。


≪ザスーラ≫ 2005年 アメリカ
  CGを使ったファンタジーの傑作、≪ジュマンシ≫の原作者が書いた続編らしいですが、登場人物も話の内容も、前作とは全く重なりません。 ただ、双六ゲームの指示が、現実になってしまうという趣向は、全く同じ。

  喧嘩ばかりしている幼い兄弟が、地下室で見つけた双六ゲームを、父の留守中に始めたところ、家が土台ごと、宇宙空間を進む宇宙船になってしまい、流星群の衝突や、ロボットの暴走、人喰い宇宙人の侵入など、様々な危機が襲いかかって来る話。

  ファンタジーの形を借りていますが、テーマは兄弟の信頼回復です。 喧嘩三昧だったのが、共に危機を乗り越える事で、信頼し合う事の大切さを知り、仲良くなるというパターン。 しかし、兄弟喧嘩の本質的問題点を、身を以て知っている者の目から見ると、「どーせまた、喧嘩になるだろう」と思ってしまいます。

  ≪ジュマンシ≫に比べると、主人公達が子供で、しかも、舞台が宇宙空間なので、話は単純に、映像は単調になっており、見応えは、激減しています。 CGもあまり使われていないようですが、もしや、かなりの低予算で作られたのでは? 前作と違い、傑作には程遠いです。


≪人生万歳!≫ 2009年 アメリカ
  ウッディー・アレンさんの監督・脚本作。 この人の映画は独特で、自分の頭の中だけの世界を、見る者に強引に押し付けているようなところがあり、あまり好きではないんですが、この映画は、多少、客観的視点の方へ傾いており、マシな方。

  自称・天才物理学者の老人が、ニューヨークで一人暮らしをしている部屋へ、南部の敬虔なクリスチャンの家から逃げ出して来た娘が住み着き、歳の差夫婦が出来上がる一方、娘を探しにやって来た母親と父親が、老人の周囲の者達の影響を受け、それぞれ、それまでとは正反対の価値観を抱くに至る話。

  老人は、一応、主人公で、語りも務めていますが、実質的には群像劇です。 古い価値観を皮肉るのが目的のようで、老人も、娘も、娘の父母も、始めと終わりとでは、まるで考え方が変わってしまいます。

  老人は、ノーベル賞候補になった事もある、天才物理学者という事になっていますが、しゃべっている事は、人生論ばかりで、文系丸出し。 ウッディー・アレンさん、文系の知識しか無かったんでしょうなあ。 友人達と交わす会話は知性的ですが、一方的に自分の考え方を捲し立ててばかりいるのに、こんなに友人を維持しているというのは、不自然です。

  最終的な結論が、「人生は、何でもありだ」というのは、「そんなの、分かってるわ」という気がせんでも無し。 ウディ・アレンさん、歳を取って、同じ場所で足踏みを続けるような、思考の袋小路に嵌まっているんじゃないでしょうか。


≪自虐の詩≫ 2007年 日本
  中谷美紀さん主演、阿部寛さん助演の、コメディー・タッチの人情物。 悲惨な娘時代を経験した女が、幸せな人生を掴むために、大阪の裏街の食堂で働き、元ヤクザの亭主との生活を、必死で守ろうとする話。

  自虐の詩と言いますが、主人公に、自虐的なところは全く無く、相当には前向きな人です。 「幸せになりたい」と一心に願っているわけですが、別に借金取りに追われているわけでもなく、住む所はあるし、仕事はあるし、駄目亭主ではあるけれど、結婚はしているし、子供も出来るし、周囲の人達からも温かい目で見守られているし、これでは、現状で充分に幸せなんじゃないでしょうか。

  後ろ向きなのは、亭主の方ですな。 仕事もせずに、子分のチンピラを連れて、ギャンブルに明け暮れ、気に入らない事があると、すぐに食卓の卓袱台をひっくり返します。 もし、主人公に不幸なところがあるとしたら、この亭主に、自分の幸福感を分け与えてやれないところでしょう。

  食べ物が載った卓袱台を引っくり返す場面が何度も出てくると、勿体無くて、腹が立って来ます。 この場面で笑える人は、死んだら、餓鬼地獄へ一直線ですな。 制作者は、なんで、こんな場面を、面白いと思ったのかなあ?

  最終的に幸福になるために、まず、不幸でなければならない主人公が、実は不幸ではないという時点で、この物語の落差は成立しておらず、話として、失敗しています。 


≪まほろ駅前多田便利軒≫ 2011年 日本
  瑛太さん主演、松田龍平さん助演の人情物。 まほろ駅という東京郊外の駅の前で、便利屋を営む男の所に、中学時代の同級生が転がり込んできて、二人で、持ち込まれる依頼をこなしてく話。

  四つの依頼と、主人公、そして居候の身の上が、エピソードとして語られます。 犯罪が絡んだりして、若干、暴力的な描写もありますが、主人公達に、若くして人生の敗残者という風があるため、ギラギラした雰囲気がなく、淡々と話が進むところは、好感が持てます。

  瑛太さんが、「何じゃ、こりゃあ!」と叫んだのを、松田さんが、「誰それ? 全然似てない」と言ったり、鈴木杏さんが、「あんあん」言わされたり、しょーもない楽屋落ち的ギャグが出て来ますが、それを笑って許せる、軽いノリがあります。

  一つの話に纏めてありますが、独立した六つの話を、緩く絡めただけで、本来なら、テレビの連続ドラマでやるような作品。 実際、テレビでも、新作が放送されるようですが、もし、映画と同じレベルを保てるなら、見て、損は無いと思います。


≪麒麟の翼 劇場版・新参者≫ 2011年 日本
  テレビ・シリーズで映像化された、東野圭吾さん原作の犯罪捜査物の、新作・劇場版。 阿部寛さんが、人の嘘を見抜く刑事、加賀恭一郎役で、主演。

  日本橋の欄干のオブジェ、翼のある麒麟の下で、腹を刺されて息絶えた男と、男の鞄を持っていて、警官に追われて、トラックにはねられ、重態に陥った青年の関係を追う内、捜査が二転三転し、意外な真犯人の存在が浮かび上がる話。

  封切り前、新垣結衣さんが出演するのが話題になっていました。 容疑者の青年と同棲していた女の役なんですが、事件の核心とは何の関係も無い人物で、これでは、助演とすら言えず、ほんのちょい役です。

  実質的な助演は、被害者の息子役をやった、松坂桃李さんですな。 一番、露出が多いです。 この作品では、なりゆきで、事件の謎が解けて行くので、加賀の推理力はあまり活躍せず、群像劇っぽくなっています。

  テレビ・シリーズに出ていた、黒木メイサさんや、田中麗奈さんも出て来ますが、無理矢理出演させたような感じがせんでもなし。 特に、黒木さんは、本来、雑誌記者なのに、飲食店でバイトしている事になっており、無理矢理にも程があろうというもの。

  加賀のキャラが、常に緊迫感を伴うものなので、飽きるという事はありませんが、事件そのものは、中学生のいじめ事件や、工場の労災隠し事件などが重なっているせいで、複雑に見えるだけで、ほとんど、衝動殺人に近いような単純なものです。

  犯人が被害者を刺した理由は分かりますが、被害者が無理に麒麟の象の下まで歩いて行った理由は、理解し難いです。 被害者が死んでしまえば、家族は路頭に迷うわけで、息子にメッセージを伝えるよりも、とりあえず、自分が生き延びる事の方が大事だと思うんですがね。 その場を動かずに、救急車を呼べば、助かったわけですから。


≪ニューヨークの恋人≫ 2001年 アメリカ
  ヒュー・ジャックマンさんと、メグ・ライアンさんの、SF・恋愛物。 くどいようですが、ヒュー・ジャックマンさんというのは、≪X-MEN≫の、鉄の爪男をやった人です。

  1876年のニューヨークで、望まない結婚を強いられそうになっていた英国貴族が、現代から来た物理学者の後を追う内、時間の裂け目を通って、現代へ来てしまい、物理学者の元恋人と恋に落ちる話。

  タイム・スリップ物SFとして、≪バック・トゥー・ザ・フューチャー≫に次ぐくらい良く出来ているにも拘らず、恋愛物としても、大変ロマンチックな話になっており、ちょっとした傑作です。

  物盗りにバッグを取られたヒロインのために、観光馬車の馬を借りて、公園内で追撃をやる場面が、実に見事。 恋愛物で、こんなに胸がすく場面は、滅多にありますまい。 ヒロインをディナーに招く件りで、ビルの屋上に蝋燭を並べ、バイオリン弾きを雇って、19世紀風のもてなしをする場面も、実に素晴らしい。

  強いて難を上げれば、メグ・ライアンさんが、ちと歳を取ってしまっている点と、彼女が演じるヒロインが、主人公と比べた時に、人間的魅力に乏しく、「こんな現実的な女性が、主人公とうまくやっていけるのだろうか?」と疑問が残る点でしょうか。 しかし、そんな事が気にならないくらい、全体の雰囲気は宜しいです。


≪ダブルフェイス 秘めた女≫ 2009年 フランス
  ソフィー・マルソーさん、モニカ・ベルッチさんのダブル主演。 モニカ・ベルッチさんというのは、現代イタリアを代表する女優さんで、≪マレーナ≫の主演をした人。

  夫と二人の子供と暮らしている女性が、自分自身や家族が他人に見えたり、家や街の記憶が消えたりする症状に悩まされ、そのきっかけが、8歳より前の記憶が無い事にあると見て、母と自分と、見知らぬ女性が写っている昔の写真が撮影されたイタリアへ向かう話。

  ソフィー・マルソーさんの顔が、次第に変化していって、いつの間にか、モニカ・ベルッチさんに変わっているという、何だか、気持ちが悪い映像なのですが、その気持ちの悪さが、主人公の心理とシンクロしていて、見る者に不安感を共有させる事に成功しています。

  フランス映画なので、「テキトーなストーリー展開で放り出されるのでは・・・?」という不安に襲われましたが、一応、症状の原因は用意されていて、すっきりはしないものの、それなりに筋は通っています。 だけど、こういう原因にするより、ホラーにしてしまった方が、前半の不気味さが活きたのではないでしょうか。


≪ソラニン≫ 2010年 日本
  宮崎あおいさん主演の青春物。 宮崎さんが出る映画といえば、後味最悪の異色作ばかりで、もう、この人が出るというだけで、警戒線を張ってしまうのですが、この映画は例外の様子。

  お茶汲みOLの女が、アマチュア・ロック・バンドをやっているフリーターの男と同棲して、将来不安に怯えつつも、そこそこ幸せな生活をしていたのが、仕事上のトラブルで、会社を辞めてしまい、代わりに稼がなければならなくなった男のプロ・デビューに関するゴタゴタの後、男が交通事故に遭い、女が男の代わりにバンドのメンバーになる話。

  部分的にネタバレさせてしまいましたが、映画を見慣れている人なら、途中で先が読めるようなオーソドックスな展開なので、まあ、勘弁して下さい。 ストーリーよりも雰囲気を楽しむ映画なので、先が読めても、それが欠点にはなっていません。

  同棲自体が、70年代の風習なので、「今でも、こういう人達、いるのかなあ?」と、首を傾げたくなるのですが、中高校生なら、時代を問わず、こういう生活に憧れを感じるんじゃないかと思います。 だけど、実行はせん方がいいぞ。 夫婦の真似事なんぞ、すぐ飽きるし、金が無いのでは、結局、破綻するのだから。 惨めな挫折の、嫌な記憶が残るだけ。

  映画に話を戻しますが、あまりにも型に嵌まった青春物なので、見ていて赤面してしまうのは仕方ないところ。 しかし、セオリーに従って、きちんと作ってあるので、後味は悪くありません。 音楽物の要素を絡めてあるために、軽薄さを免れているのは、幸い。

  宮崎さんは、こういう毒の無いキャラをやると、却って深みが出ますなあ。 そう思うのは、先入観のせいか・・・。 桐谷健太さんが脇で出て来ますが、この二人で、演技を持たせているような感あり。


≪レスラー≫ 2008年 アメリカ
  ミッキー・ロークさん主演のスポーツ物。 一度、挫折した選手が、再チャレンジする方のパターン。 競技はプロレスなので、スポーツというより、ショーですが・・・。

  人気絶頂だった80年代から、家族を顧みずに、20年以上現役を続けて来たプロレスラーが、心臓発作を起こして引退する事になり、孤独に耐えられずに、馴染みのストリッパーを口説いたり、長く会っていない娘を訪ねたりするものの、結局うまく行かず、再びリングに上ろうとする話。

  一応、スポーツ物の構成で作られていますが、主人公が、プロレスで強くなるというわけではなく、単に、もう一度やるというだけの再チャレンジなので、厳密に言えば、スポーツ物とは言えないかもしれません。 話の展開は、≪どついたるねん≫に似たところがありますが、復活の為の辛い練習場面などは無くて、その分、「一か八か。 死んでも悔い無し」という悲壮感が、より濃厚です。

  ミッキー・ロークさんは、若い頃は、「都会的に洗練された野生」を感じさせる俳優だったと思うのですが、この映画では、まるで、別人。 本物のプロレスラーと変わらない体格で、しかも、体がボロボロなところまで再現しているのには、役作りへの凄まじい執念が感じられます。

  プロレスに人生を捧げて来た男が、引退後、自分が、外の世界では何の価値も無い人間である事に気づくという悲劇には、プロレスに何の興味も無い人間でも、憐れみを感じずにはいられません。 後味は悪いですが、制作の目的をよく全うしている佳品。


≪ダウン・バイ・ロー≫ 1986年 アメリカ・西ドイツ
  ≪ストレンジャー・ザン・パラダイス≫のジム・ジャームッシュ監督が、2年後に作った映画。 主演、ジョン・ルーリーさんも同じですが、この映画では、他の二人とトリプル主演になっています。

  罠に嵌められて、逮捕された男二人と、傷害致死で人を殺してしまった男一人が、刑務所の同じ部屋で仲間になり、脱獄して、沼地の森を彷徨う話。

  この監督の作品で、これだけストーリーがあると、それだけで、ありがたく感じられるから、不思議。 モノクロの映像美はそのまま保たれているので、進化しているというべきでしょうな。 単純なストーリーではありますが、そこそこ、まずまず面白いです。 後味も良し。


≪ソウル・キッチン≫ 2009年 ドイツ・フランス・イタリア
  ドイツの町で、レストランのオーナーをしている男が、妻が上海に出張してしまったり、ギックリ腰になったり、仮出所して来た兄を偽装雇用しなければならなくなったり、新しく雇ったシェフが味の分からない客を追い払ってしまったり、久しぶりに会った同級生に店を乗っ取られそうになったり、様々な災難に見舞われる話。

  コメディーだから、何でもありとは分かっているものの、あまりにも多くのエピソードを盛り込み過ぎているせいで、バタバタしており、最後まで落ち着きません。 主人公が、レストランの所有に拘る割には、女房を追って上海に行きたがるなど、何が優先的な望みなのかはっきりしないため、共感し難いのが、最大の難点。

  主人公が悩まされるギックリ腰も、私のような経験者から見ると、あまりにも痛々しく、素直に笑いのネタとして受け入れる事ができません。 ギックリ腰の人間が、大人の女性を担いで家に帰るなど、金輪際できる芸当じゃないんですが、制作者は、そういう事を知らないようですな。


≪ファンシー・ダンス≫ 1989年 日本
  周防正行さん監督、本木雅弘さん主演の、青春コメディー。 ≪シコふんじゃった≫よりも前に撮られた作品。 大学で仲間と遊びほうけていた寺の息子が、住職の免状を取るため、弟と共に修行寺に入門する事になるが、遊び人の性質が抜けず、悪さばかりする話。

  89年というと、バブル真っ盛りの頃ですが、この映画も、もろに時代の影響を受けて、今から見ると信じられないくらい、軽薄なノリで作られています。 特に、女性陣の服装が、見るに耐えぬ。 こんな格好で、よく表を歩いていたものです。

  僧侶の修行の様子を紹介するのが、この映画の本来の目的のようなのですが、青春物の部分があまりにもチャラいので、修行寺の生活の描写が、正確なのかどうか、信じるのをためらわせるところがあります。 結果的に、虻蜂取らずになってしまっているのは、残念なところ。

  明らかに、脚本が未熟で、セリフがゴテゴテ。 何やら、説明文を読み上げるのを聞かされているかのように、耳障りです。 セリフだけで笑わせようとするから、逆に笑えないのですよ。 シチュエーションが伴わなければ、コメディーなんて、とても無理ですな。


≪シシリアン≫ 1969年 フランス
  ジャン・ギャバンさん主演、アラン・ドロンさんも出ている、泥棒物。 ≪ホット・ロック≫や≪オーシャンズ11≫のような、頭を使う窃盗団の話。 ただし、それらの後続作と比べると、コミカルな味付けがされていないので、雰囲気はだいぶ違います。 半分、マフィア物という感じ。

  シシリア島出身のマフィア・ファミリーが、仕事で助け出した殺し屋が持ち込んだ、宝石展覧会の宝石を盗む計画を検討するものの、警備が厳重過ぎて実行できず、展覧会の移動でアメリカへ宝石を運ぶ旅客機を乗っ取ろうとする話。

  殺し屋を助ける方法や、旅客機に乗り込む手口、ピンチを切り抜ける機転など、アイデア満載で、その点は面白いのですが、話自体は尻すぼみで、もうちょっとマシな終わり方にできなかったものかと思います。

  一番変なのは、アラン・ドロンさんが演じる殺し屋が、旅客機の乗っ取り計画に、大した役割を果たしていない事です。 操縦席で銃を突きつけるだけなら、なにも殺し屋である必要はありますまい。 取って付けたような理由で殺されるのも、呆気なさ過ぎ。



  以上、15本まで。 まだ、1月7日の分までですなあ。 暮れと正月は、映画三昧だったからなあ。 ちなみに、≪テルマエ・ロマエ≫ですが、これを書いている時点で、すでに見終わっており、感想を書けない事はありませんが、書いたとしても、順番なので、ここで紹介するのは、たぶん、今年の夏の終り頃になるのではないかと・・・。