2013/09/08

似非蒐集家の悩み

  どうも、私の趣味は、極端に走る傾向があって、困ります。 根がケチなので、本来、蒐集欲は弱い方で、人様に自慢できるようなコレクションは、一組たりとも所有していないのですが、根がケチであるが故に、対象物の値段が安いと、「早く買わねば、損をする!」という強迫観念に駆られ、ドカドカと買い込んでしまうのです。

  この2ヶ月ほどの間に、小松左京作品は、約40冊だったのが、約90冊に、筒井康隆作品は、約30冊だったのが、約110冊に増えてしまいました。 増えた数だけを、両者合わせると、130冊で、大体、1冊100円としても、13000円分になります。 大人買いとしては、大した金額ではありませんが、2ヶ月で130冊というのは、凄い数でして、机周辺の本棚が、文庫で埋まってしまい、圧迫感すら覚える始末・・・。

  出だしは極端に集めまくりますが、しばらくすると、熱が冷めて、中途半端な結果に終わるのも、私の蒐集活動の特徴です。 熱が冷めると、ケチの本性がズズズイッと頭をもたげてきて、俄か蒐集欲を蹴散らしてしまいます。 リコーダーの時が、正にそれで、一通り、安く手に入る品を集めきってしまうと、「これ以上、増やして、何が面白いのだ?」と自問するようになり、そうなったら、もう、蒐集の終焉は近い。 結局、今では、ベッドの下で、ダンボール箱に詰められて眠っている有様・・・。

  今回の、小松・筒井文庫の蒐集も、コンプリートなど、絶対に不可能で、きっと必ず、中途挫折する事でしょう。 コンプリートぉ? んなの、できるわけないじゃん。 小松作品だけ見ても、ハヤカワ文庫は手付かず、ケイブンシャ文庫は、2冊だけ、ハルキ文庫でさえ、6冊しかないというのに! この3社分だけでも、持っていない本を全部揃えたら、100冊を超えてしまいます。

  文春文庫、徳間文庫、集英社文庫は、それぞれ、残り数冊なので、ネットでコツコツ買って行けば、全冊揃うと思われ、あまり、心配していません。 角川文庫の緑色背表紙版は、残り、10冊ですが、その内、251円で買える本は、2冊だけで、他の8冊は、個別に値段がついており、高い物は、1000円近いです。 プレミアというほどの価格ではありませんが、私のようなケチにとっては、気軽に財布の紐を緩められない金額です。

  中身の作品を確保するだけなら、別の文庫で、もっと安く手に入るという場合、尚の事でして、「何も、角川の緑背表紙を揃える事に、拘る事はないじゃないか」と思ってしまうのが、蒐集家としての私の限界なんですな。 蒐集家というのは、理詰めで判断してちゃ、勤まらんのですわ。 それは分かっている。 分かっちゃいるけどねえ・・・。

  たとえば、角川文庫の、≪見知らぬ明日≫ですが、我が家には、母の所有品で、昭和48年(1973年)発行の初版本があります。 元はといえば、かつて製本所に勤めていた私の叔父が、かつて読書好きだった母に、土産としてくれたものなのですが、すでに、母は、本を読まない人になっているので、私が貰ってしまっても、なんら問題はありません。

  ところが、この初版本は、背表紙が白なのです。 いや、元は、ピンクだったらしいのですが、色が褪せてしまって、白になっているというわけ。 どうやら、角川文庫の小松作品は、最初、背表紙の色がピンクで、その後、緑色に変更されたようなんですな。 表紙も、長尾みのるさんの絵で、緑背表紙化以後の、生頼範義さんの絵とは違います。

  さて、ここで、問題が発生します。 私は、緑背表紙版の方の≪見知らぬ明日≫を、買うべきか否か? 作品の中身は、全く同じですから、読む分には、手持ちのピンク背表紙版で充分です。 もし、緑版を買うとなると、単に、カバーを買うだけという事になりますが、果たして、そんな事に、ン百円払うような価値があるのかどうか・・・。 私は、あくまで、小松左京さんの作品を集めているのであって、生頼範義さんの絵を欲しがっているわけではないのですから。

  欠番があると、気になりそうですが、そんな事を言い出せば、ほんの2ヶ月前までは、全体の半数近くが欠番だったのに、何十年も気にせずに生きて来たわけで、慣れてしまえば、何とも感じないのは、疑いないところです。 今だけなんですよ、夢中になって、あれこれ、細かい事に拘っているのは。 こんな熱中が、いつまでも続くわけがないんです。 私に限って。


  角川文庫といえば、≪雑学おもしろ百科≫のシリーズをどうするべきかも、悩みの種です。 ≪雑学おもしろ百科≫というのは、角川文庫の小松作品の、最後を埋めたシリーズで、小説作品が、≪氷の下の暗い顔≫で打ち止めになった後、「小松左京 監修」という形で、12巻、発行されました。 いや、もっとあるのかもしれませんが、私が把握している限りでは、12巻。 私は、その内、(一)(二)(三)を持っています。

  厄介なのは、このシリーズ、名前の通り、雑学の断片のような文章を、ランダムに並べたものでして、小松作品とは、とても言えない内容なのです。 「監修」という事は、小松さん当人が書いたものではないのは、確実。 当人が選んだかどうかも、かなり怪しく、別人がネタを選んで、別人が書いたものに、小松さんが目を通して、「これでいいんじゃないの」、「これは、間違ってるんじゃないの」と、指摘した程度なのではないかと思われるのです。 最悪、全く、一切、毛ほども、小松さんがタッチしていない恐れすらある・・・。

  なぜ、そう思うのかというと、このシリーズが発行されていた時期、小松さんは、殺人的なスケジュールで、様々な活動をしており、こんな呑気な監修作業に割く時間があったとは、とても思えないからです。 せめて、小松さん本人が雑学ネタを書き留めたノートのようなものがあって、それを元にしているというのなら、価値があるのですが、その種の断り書きは何もありません。

  「誰が書いたか分からないような本を、あと、9冊も買うのか?」と思うと、悩んでしまうんですなあ。 今後、ブックオフ巡りで、うまい具合に、105円のが見つかれば、それは買いますけど、ネットで、251円出してまで、揃えるようなものではないような気がするのですよ。 つくづくと。

  それにしても、よくこんな、テーマ分類も何もしていない、バラバラの内容のものを、12冊も出したねえ。 小松さんのネーム・バリューが、いかに大きかったかを物語る痕跡とでも申しましょうか。 発行されていた当時の様子を思い起こすと、私は、このシリーズの存在を、完全に無視していました。 本屋で手に取って読むくらいの事はしましたが、各項目の内容があまりにも淡白で、小松さんらしい食いつきも掘り下げも無かったので、1冊300円出して買うほどの価値を感じなかったのです。

  気の毒なのは、当時、これを、小松作品の一種だと思って買ったファン達でして、完全に騙された人もいれば、別人が書いたと承知の上で、義理で買った人もいると思いますが、「いつか、また、角川文庫で、小松さんの小説本が発行される時、途中に空白を作りたくない」という気持ちだったのかも知れませんなあ。 その時は、永久に来なかったわけですが・・・。

  ちなみに、どの出版社の文庫でも、各作家の本には、通し番号か、それに類するものが振ってありますが、角川文庫の小説作品である、≪日本アパッチ族≫から、≪氷の下の暗い顔≫までは、「1~33」。 一方、≪雑学おもしろ百科≫は、「51~62」になっており、続き番号にはなっていないので、≪雑学おもしろ百科≫を買わなくても、欠番は出来ません。


  そういえば、徳間文庫に、≪シナリオ版 首都消失≫という本があるのですが、紛らわしい事に、これがまた、小松作品ではないのでして、小松さんは、単に原作者だというだけで、中身は、別の脚本家が書いたものです。 徳間も、さすがに、これを、小松作品の列に並べるわけにはいかないと思ったのか、通し番号は、別扱いになっています。 私は、この本を、とあるブックオフで見つけたのですが、別人が書いたものですし、映画の出来も良くなかったので、買いませんでした。

  一方、同じ徳間文庫にある、≪シナリオ版 さよならジュピター≫の方は、発行当時に買って、持っています。 こちらは、小松さんが自ら、脚本を書いたものだからです。 どちらのシナリオ版にも、映画のコマから抜き出した写真が、たくさん入っており、映画の雰囲気を思い出すには便利なのですが、どちらも、いい映画とは言い難い出来なので、思い出したくもないという、あいにくな事情あり。


  そういや、筒井作品の中には、集英社文庫の≪異形の白昼≫、≪12のアップルパイ≫、福武文庫の≪人間みな病気≫のように、「筒井康隆・編」とか「筒井康隆・選」というものがあります。 それぞれ、1編だけ、筒井作品が含まれているものの、それ以外は別の作家の作品が収録されているのであって、扱いをどうすればいいのか、微妙なところです。

  この3冊の内、≪異形の白昼≫は、知らずに買ってしまって、家で中を見てから、舌打ちしました。 次に、ブックオフ逗子久木店で、≪12のアップルパイ≫を見つけましたが、前轍を踏まないように、買いませんでした。 ところが、その後、≪人間みな病気≫を見つけた時、つい買ってしまい、そうなると、≪12のアップルパイ≫を買わなかったのが、惜しくて仕方ない。

  といって、逗子久木店などという、遥か彼方の店に、105円の本を1冊買うためだけに、また出かけて行くわけにもいかず、地団駄踏んでいる次第。 ふふ、不様な奴め・・・、自分の事だけど・・・。 コレクションを集める時には、まず、基本方針を決めておかなければいかんという事でしょうな。


  何だか、取りとめの無い話になってしまいましたが、長くなったので、この辺で終わりにします。