読書感想文・蔵出し③
読書感想文というと、仕事で、土曜出勤になった週に、ここの記事を書かずに済ませるための、お茶濁しだったんですが、ここのところ、土曜出勤が無いため、随分とストックが溜まってしまいました。 あまり古くなると、私の方の違和感が増大するので、少しずつ、出す事にします。
≪ルルージュ事件≫
19世紀半ばに活躍したフランスの作家、エミール・ガボリオの代表作。 長編ミステリーの草分け的作品で、1866年の発表です。 イギリスのウィルキー・コリンズの≪白衣の女≫が1856年、≪月長石≫が、1868年ですから、その間に入る順番になります。
両作家に直接の交流は無かったようですが、当時、ミステリー作品は世界中を探しても、指を折って数えるほどしか発表されていませんでしたから、互いの作品を読んでいたのは、疑いないところ。 この本の解説によると、コリンズの方は、ガボリオの作品を書架に揃えていたそうです。
ルルージュという中年女性が殺された事件で、彼女が握っていた、ある子爵の出生の秘密を巡って、素人探偵や検事、弁護士などが繰り広げる群像劇を描いたもの。 三人称ですが、中心人物は、話の展開に連れて、移り変わって行きます。 コリンズの一人称・回想文形式と比べた時、書き手が、どうして複数の人間の心理まで知っているのかという、三人称小説全てに通じる根本的疑問を感じてしまうのですが、まあ、細かいつっこみは控える事にしましょう。
「ミステリー」という言葉のカバー範囲は広いので、ミステリーに分類する分には、何の問題もありませんが、更にカテゴリーを絞って行くと、少々、正体不明になって行きます。 推理小説というには、推理トリックがテーマではありませんし、探偵小説というには、探偵が中心の話ではありません。 検事が出て来ますが、裁判まで行きませんし、刑事や警官は、添え物程度の働きしかしません。 さりとて、社会派というわけでもなし。
一言で言うなら、「犯罪小説」が妥当でしょうか。 ある犯罪を軸に、それに関わった人々の心理を描写し、人間関係の相克を浮かび上がらせるのが、この小説の目的なのです。 ただし、同じ犯罪小説でも、ドストエフスキーの作品群のような、哲学的な掘り下げは、まったく見られません。 フランス文学に於ける人間性の描写は、大デュマ以降、長い足踏みをつづけたようですな。
≪ルコック探偵≫
エミール・ガボリオの長編推理小説。 1869年の発表で、≪ルルージュ事件≫に、ちょい役で登場した警察探偵のルコックが、主人公として活躍します。 ただし、ルコックが捜査と推理を披露するのは、冒頭から、3分の1くらいまでで、残りの3分の2は、事件の元になった十数年前の因縁話が語られ、その部分は、推理小説にはなっていません。
ある雪の夜に、パリの裏街の酒場で起こった乱闘殺人事件で、犯人が現行犯逮捕されるものの、ただのゴロツキ同士の喧嘩ではないと読んだルコックが、雪に残った足跡から、犯人が高貴な身分を隠していると見抜き、正体を暴くために悪戦苦闘するまでが、前半。
後半は、王政復古時代に遡ります。 ナポレオン時代に、外国に亡命していた貴族が、元の領地に戻って来て、彼が不在の間、その領地を治めていた一家を追い出した事で、怨恨から暴動が発生し、その鎮圧後も、処刑や復讐が続きます。
この物語構成は、ホームズ・シリーズの長編によく見られるパターンですが、時代はこちらの方がずっと古いですから、ドイルが、ガボリオからパクったのは明白。 ただし、わざわざパクるほど、面白い形式ではなく、因縁話の部分は、ただの古典的小説なので、推理小説のつもりで読んでいると、肩透かしを喰らいます。
いきなり事件が起き、すぐに捜査が始まる辺り、読者を話に引き込むのがうまいです。 雪が積もった夜に、足跡を追って、パリの街に乗り出していく、その雰囲気が、何とも言えません。 150年近く前の小説ですが、聞いた事がある通りの名が出て来たりして、はっとさせられます。 もしかしたら、今でも、ルコックが調べて歩いた場所を辿れるのではありますまいか。
因縁話の部分は、≪モンテクリスト伯≫によく似た雰囲気です。 ≪モンテクリスト伯≫は、1844年ですから、20年ちょっとしか経っていないわけで、大デュマの影響を強く受けているのは、無理も無いですか。 因縁話の部分だけ、全く別の小説として読めば、それなりに面白いと言えぬでもないですが、大デュマの小説には、遠く及びません。
今のフランス人のイメージからすると、貴族時代のフランス人が、ちょっとした言葉を侮辱と受け取り、自分の名誉のために、他人まで巻き込んで、執拗な復讐を決行するのは、異様な光景に映ります。 そもそも、預かっていた領地を取り上げられたからといって、領内の農民を唆して暴動を起こすという、傍迷惑な神経が理解できないので、その男のために復讐を誓う息子や婿の立場にも、素直に共感できないのです。
ガボリオは、三人称による群像劇ばかり書いていますが、大勢の人間の心理を描き分けるだけの力量が無かったのではないかと思われます。 同じ三人称でも、誰か一人を中心にして、じっくりと心理を書き込んで行けば、ずっと面白くなったと思うのですが。
≪狩場の悲劇≫
≪桜の園≫で有名な、ロシアの文豪の一人、チェホフが書いた、長編推理小説。 チェホフの小説は、ほとんどが短編で、これが唯一の長編らしいです。 発表は、1884年。 大学を卒業した年に書いたというから、若い頃の作品ですな。
まだ、ドイルのホームズ物が世に出る前で、ガボリオが推理小説の模範とされていた頃なので、推理小説としての結構は整っていません。 情景描写や心理描写に、並々ならぬエネルギーが注がれている点から見ると、純文学に近い小説なのですが、モチーフにしている殺人事件と、純文学的描写が、一つのテーマに纏め上げられていないせいで、バランスの悪さを感じさせます。
ある地方で予審判事をしている主人公は、友人である伯爵の屋敷へ招かれて行っては、夜通し馬鹿騒ぎをして、世間の顰蹙を買う生活をしているのですが、ある時、その屋敷の中年の執事が、若く美しい女と再婚する事になったのをきっかけに、その女に目をつけた主人公と伯爵が醜態を演じ、やがて、狩りに出かけた森の中で、殺人事件が起こるという話。
前3分の2は、全く普通の純文学的小説で、事件の影も出て来ません。 突然、取って付けたように、殺人事件が起こり、そこから後は、推理小説っぽくなります。 前3分の2と、後ろ3分の1が、あまりにも違う趣きなので、せっかく積み上げて来た純文学的な雰囲気が台無し、という感じがせんでもなし。
推理小説として見ると、いわゆる、叙述トリックが使われているのですが、真犯人は、事件が起こった時点で、容易に分かってしまいます。 普通、叙述トリックは、最後の謎解きで、読者を驚かせるために用いる手法なので、そういう意味では、正常に機能していません。
ただ、この小説は、物語の大部分が作中作として語られる形式を取っているので、読者に真犯人を悟らせる目的で、わざと叙述形式を使っているらしく、別に、失敗しているわけではありません。 複雑な構造なんですよ。 問題は、その複雑さが、面白さに繋がっていない事なんですが・・・。
最も重大な欠陥は、作中作の登場人物が、倫理的に問題ある者ばかりで、誰の立場にも共感を覚える事ができない点でしょうか。 主人公にせよ、伯爵にせよ、中年執事に嫉妬して、新婚生活を邪魔してやろうとしているだけで、あまりにも、人間がつまらないです。 ヒロインも、資産の大きさで、男を乗り換えているのが、ありあり分かるので、鼻を摘まずにはいられません。
≪スミルノ博士の日記≫
20世紀初頭のスウェーデンの作家、ドゥーセの推理小説。 長編というよりは、中編です。 あまり、中編という言い方はしませんが。
発表年は、1917年。 第一次世界大戦の最中ですな。 これまで私が読んで来た推理小説の古典作品群と異なるのは、この作品が、ホームズ・シリーズが世に知られてから、後に書かれたものであるという事。 この違いは、とてつもなく大きいです。
作中にも、ホームズの名が出て来るくらいで、意識して書かれたのは、明白なところ。 レオ・カリングという名探偵が出て来ますが、これも明らかに、ホームズを念頭に置いたキャラです。
ただ、小説としての風格は、とても、ドイル作品のそれに及びません。 特に、情景描写が貧弱で、登場人物達が、どんな場所で活動しているのか、ぼんやりとしか伝わって来ません。 セリフが多過ぎるのも、作者の小説家としての能力の限界を示しているような気がします。
叙述トリックが使われていますが、これも、すぐに分かってしまいます。 もう、叙述トリックと言っただけで、どんなトリックか、すぐにバレてしまいますが、ネタバレを気にするほど、面白い話ではないので、まあ、よかでしょう。 正直に言ってしまうと、わざわざ時間を割いて読むほどの小説ではないのです。
≪シャーロック・ホームズの大冒険(上)≫
シャーロック・ホームズ物なんですが、コナン・ドイルの作ではなく、後世の作家達が、ドイルの作風を真似て書いたパスティーシュ本。 「パスティーシュ」というのは、文体模倣の事らしいです。 こういうのは、盗作やアイデア盗用にはならないようですな。
そういえば、星新一さんのショート・ショートの中に、≪赤毛組合≫のパロディー作品がありましたが、ああいうのも、広義のパスティーシュに入るようです。
ドイル作のホームズ物の中には、事件名だけ紹介されて、書かれていない事件というのが100個くらいあるらしいのですが、それらの事件を、名前だけからアイデアを膨らませて、短編に仕立てたもの。 上巻に収められているのは、
【消えたキリスト降誕画】
【キルデア街クラブ騒動】
【アバネッティ一家の恐るべき事件】
【サーカス美女ヴィットーリアの事件】
【ダーリントンの替え玉事件】
【怪しい使用人】
【アマチュア物乞い団事件】
【銀のバックル事件】
【スポーツ好きの郷士の事件】
【アトキンスン兄弟の失踪】
【流れ星事件】
【ドーセット街の下宿人】
【アドルトンの呪い】
の13編。 私は、ドイルのホームズ物は、全て読んでいるのですが、書かれていない事件には興味が無かったので、これらの事件名は、恥ずかしながら、一つたりとも記憶にありませんでした。
ちなみに、これらの作品、全て、作者は違います。 訳者は一人なので、大まかな文体や、登場人物の呼び方などは、統一されていますが、やはり、元の作品が、それぞれ別の人間が書いたものなので、バラツキは感じられます。
はっきり言って、あまり面白い本ではなかったので、個々の作品の論評はしません。 パスティーシュは、所詮、パスティーシュという事でしょうか。 似せて書いているつもりでも、時代、場所、文化や科学技術の発展度が異なる社会に生きている者が書くと、どうしても、ズレが隠せないのです。
【アドルトンの呪い】が典型で、放射性物質の存在が事件に絡んで来るのですが、ホームズと、キューリー夫妻を知人だった事にして、何とか辻褄を合わせようとしているものの、放射性物質の影響で、病気になったり、治ったりがあまり極端に出ると、扱いが大雑把過ぎという難が隠し切れません。 「ドイルだったら、絶対に書かないだろう」と、読者に思わせてしまったら、その時点で、パスティーシュは、不成立でしょうに。
最初の2編は、ホームズがまだ探偵になる前の時期を扱っていますが、当然、ワトソンは出て来ず、【消えたキリスト降誕画】は、三人称で、【キルデア街クラブ騒動】は、ホームズの一人称で書かれています。 これがまた、いけません。 ドイル作の中にも、そういう作品はあるのですが、あくまで例外でして、例外を手本にしたら、違和感を覚えるなという方が無理でしょう。
【キルデア街クラブ騒動】には、ドイル作の【空き家の冒険】に登場する、セバスチャン・モーラン大佐が、窃盗犯役で出て来ますが、何ともまあ、しょぼい役に使ったもんです。 そんなつまらない男が、ロンドンで二番目に恐ろしい犯罪者になれるわけがないではありませんか。
どうにかこうにか、読む価値があるのは、【銀のバックル事件】くらいのものでしょうか。 田舎の、しかも、離れ小島で起こる事件ですが、読んでいて、ぞくぞくします。 ただし、これは、ホームズ物ではなく、ポアロ物として書いた方が良かったでしょう。 容疑者がたくさん顔を揃える辺り、アガサ・クリスティーの作風に近いです。
全般的に見て、後世の作家達は、情景描写や心理描写を書き込み過ぎる嫌いがありますな。 ドイルの作風は、それらが足りないわけではありませんが、事件の展開を語るのを邪魔しない程度に、淡白に抑えられています。 そういう微妙な所まで真似るのは、厳しいのかもしれません。
≪シャーロック・ホームズの大冒険(下)≫
シャーロック・ホームズのパスティーシュ物の下巻。 こちらに収められているのも、上巻と同じ数の、13編。
【パリのジェントルマン】
【慣性調整装置をめぐる事件】
【神の手】
【悩める画家の事件】
【病める統治者の事件】
【忌まわしい赤ヒル事件】
【聖杯をめぐる冒険】
【忠臣への手紙】
【自殺願望の弁護士】
【レイチェル・ハウエルズの遺産】
【ブルガリア外交官の事件】
【ウォリックシャーの竜巻】
【最後の闘い】
上巻同様、イマイチな作品が並んでいます。 一応、ドイルの作風を真似るのが建前なのですから、もそっと、全体の雰囲気から似せればいいと思うのですが、どうして、こうも離れてしまうのか、大いに解せません。
【慣性調整装置をめぐる事件】では、SF設定まで登場します。 言うまでもなく、慣性調整装置など、現代でも存在しません。 そんな仕掛けを、推理物に使うなど、ズルもいいところです。 こういう作品を含めるのは、編集サイドにセンスが欠けているのではありますまいか?
【神の手】は、猟奇殺人物で、これも、ホームズらしさとは、大きく掛け離れてます。 陰惨極まりない殺人が続いて、陰陰滅滅。 何に近いかといえば、横溝正史作品ではないかと・・・。
【悩める画家の事件】は、田舎を舞台にしていて、最も、ホームズ物に近い雰囲気です。 この作者は、ドイル作品を、よく読んでいるようですな。 事件そのものは、そんなに面白くはないのですが。
【病める統治者の事件】は、どう考えても、パロディーです。 ホームズに恥を掻かせるのが目的で書いた模様。 ホームズ物のパスティーシュには、パロディー集もあるようですが、この本は、真面目な作品だけ集めたものだと思っていたので、こういう作品が混じっているのは、奇妙な感じがします。
【レイチェル・ハウエルズの遺産】は、正典にある【マスグレーブ家の儀式】の続きという設定なのですが、屋上屋を重ねている上に、あまりにも理屈っぽい語り口なので、げんなりして来ます。 加えて、話は未完結と来たもんだ。 なんすかね、これは?
この本と同一のシリーズは、他にもあるようなのですが、とりあえず、二冊も読めば、もう充分でしょう。 もし、読むとしても、他に何も読みたい本が無い時に借りて来る事にします。
≪常識としての刑法≫
変わった物が読みたくなって、図書館の書架の間を彷徨い、目に付いた本を衝動的に借りて来ましたが、妙に面白かったです。 これは、とっくに読んでいてしかるべき本だったのでは・・・。
書名の通り、刑法について解説されている本。 読み物ではなく、罪名ごとにページを分け、説明を加えている、参考書のような体裁です。 まず、刑法の基本理念と、犯罪全般に通じる基礎知識を述べ、その後、各罪を一つ一つ取り上げていきます。
ざっと書き出すと、≪殺人罪≫、≪傷害罪≫、≪暴行罪≫、≪堕胎と遺棄罪≫、≪脅迫罪と強要罪≫、≪略取・誘拐罪≫、≪窃盗罪と強盗罪≫、≪詐欺罪・恐喝罪≫、≪横領罪と背任罪≫、などなど。
≪殺人罪≫は、すぐに分かりますが、≪傷害罪≫と≪暴行罪≫の違いは、怪我をさせたかどうかで分かれるとの事。 そうだとは思っていましたが、本当にそうだったんですな。 強姦行為が、普通、暴行罪に分類されるのは、怪我を負わさなかった場合、傷害罪が適用できないからなのでしょう。 ただし、≪心的外傷ストレス障害≫にまで至った場合は、傷害罪になるらしいです。
よく、「拉致、誘拐」と言われますが、「拉致」という言葉は、刑法では使わないそうで、同じ行為を、「略取」と言うのだそうです。 知らなかった。 略取は、強引に連れ去る事で、誘拐は、騙して連れ去る事。 え? そうだったんだ。
すると、誘拐事件でも、無理やり車に連れ込んで走り去ったりするようなのは、誘拐ではなく、略取だったんですな。 私はまた、連れ去る行為を略取(拉致)と言い、その後、身代金を要求した場合、誘拐になるのだと思っていました。 全然、違うじゃん。
≪収賄罪≫は、公務員だけが問われる罪。 民間企業同士で利益供与しても、それは、罪にならないんですな。 まあ、当然か。 ≪名誉毀損罪≫は、その内容が事実であるか否かに関わらず成立するというのは、割と良く知られていますが、相手が公務員である場合、事実であれば、罪にならないのだそうです。 公務員は、刑法上、特別な立場にあるんですねえ。
この本、始めの方は、ニュースやドラマなどで、よく知っている罪名が並んでいるので、興味を引くのですが、後ろの方へ行くと、馴染みの無い罪名が出て来て、だんだん、読む熱意が冷めてきます。 しかし、むしろ、そういう馴染みの薄い罪の方が、知らずに犯してしまう危険性が高いような気もします。
「常識的に知っている事は、おおよそ、正しいのだな」と感じる反面、構成要件など、細部を知らないでいると、勘違いしたまま、いつのまにか、刑法犯になっている危険性もあり、ヒヤヒヤします。 勤め先の商品や備品を、勝手に私物化すると、≪業務上横領罪≫になるのですが、思い当たる事があって、ギクリとする方も多いのでは?
もし、これから、何か罪を犯そうという、よからぬ計画を立てている方は、とりあえず、この種の本を読んでおいた方がいいと思います。 刑罰に対する正しい知識が頭に入る事で、考えが変わって、思い留まれるかもしれません。
この種の本、中学生くらいになったら、学校で読ませるようにしたら、未来に起こるであろう犯罪を、かなり防げるのではないでしょうか。 読む前と、読んだ後とでは、明らかに、犯罪に対する意識が変わって来ます。
以上、6冊まで。 これらの感想文を書いたのは、2012年の夏から秋にかけての時期です。 その年の春から、古典推理小説を読み始めたのが、一段落した頃の事ですな。 推理小説というのは、続けて読んでいると、次第に虚しくなって来て、やがて、自己嫌悪のようなものさえ感じ始めて、やめる事になります。 しばらく、間を置くと、また、読みたくなるのですが。
≪ルルージュ事件≫
19世紀半ばに活躍したフランスの作家、エミール・ガボリオの代表作。 長編ミステリーの草分け的作品で、1866年の発表です。 イギリスのウィルキー・コリンズの≪白衣の女≫が1856年、≪月長石≫が、1868年ですから、その間に入る順番になります。
両作家に直接の交流は無かったようですが、当時、ミステリー作品は世界中を探しても、指を折って数えるほどしか発表されていませんでしたから、互いの作品を読んでいたのは、疑いないところ。 この本の解説によると、コリンズの方は、ガボリオの作品を書架に揃えていたそうです。
ルルージュという中年女性が殺された事件で、彼女が握っていた、ある子爵の出生の秘密を巡って、素人探偵や検事、弁護士などが繰り広げる群像劇を描いたもの。 三人称ですが、中心人物は、話の展開に連れて、移り変わって行きます。 コリンズの一人称・回想文形式と比べた時、書き手が、どうして複数の人間の心理まで知っているのかという、三人称小説全てに通じる根本的疑問を感じてしまうのですが、まあ、細かいつっこみは控える事にしましょう。
「ミステリー」という言葉のカバー範囲は広いので、ミステリーに分類する分には、何の問題もありませんが、更にカテゴリーを絞って行くと、少々、正体不明になって行きます。 推理小説というには、推理トリックがテーマではありませんし、探偵小説というには、探偵が中心の話ではありません。 検事が出て来ますが、裁判まで行きませんし、刑事や警官は、添え物程度の働きしかしません。 さりとて、社会派というわけでもなし。
一言で言うなら、「犯罪小説」が妥当でしょうか。 ある犯罪を軸に、それに関わった人々の心理を描写し、人間関係の相克を浮かび上がらせるのが、この小説の目的なのです。 ただし、同じ犯罪小説でも、ドストエフスキーの作品群のような、哲学的な掘り下げは、まったく見られません。 フランス文学に於ける人間性の描写は、大デュマ以降、長い足踏みをつづけたようですな。
≪ルコック探偵≫
エミール・ガボリオの長編推理小説。 1869年の発表で、≪ルルージュ事件≫に、ちょい役で登場した警察探偵のルコックが、主人公として活躍します。 ただし、ルコックが捜査と推理を披露するのは、冒頭から、3分の1くらいまでで、残りの3分の2は、事件の元になった十数年前の因縁話が語られ、その部分は、推理小説にはなっていません。
ある雪の夜に、パリの裏街の酒場で起こった乱闘殺人事件で、犯人が現行犯逮捕されるものの、ただのゴロツキ同士の喧嘩ではないと読んだルコックが、雪に残った足跡から、犯人が高貴な身分を隠していると見抜き、正体を暴くために悪戦苦闘するまでが、前半。
後半は、王政復古時代に遡ります。 ナポレオン時代に、外国に亡命していた貴族が、元の領地に戻って来て、彼が不在の間、その領地を治めていた一家を追い出した事で、怨恨から暴動が発生し、その鎮圧後も、処刑や復讐が続きます。
この物語構成は、ホームズ・シリーズの長編によく見られるパターンですが、時代はこちらの方がずっと古いですから、ドイルが、ガボリオからパクったのは明白。 ただし、わざわざパクるほど、面白い形式ではなく、因縁話の部分は、ただの古典的小説なので、推理小説のつもりで読んでいると、肩透かしを喰らいます。
いきなり事件が起き、すぐに捜査が始まる辺り、読者を話に引き込むのがうまいです。 雪が積もった夜に、足跡を追って、パリの街に乗り出していく、その雰囲気が、何とも言えません。 150年近く前の小説ですが、聞いた事がある通りの名が出て来たりして、はっとさせられます。 もしかしたら、今でも、ルコックが調べて歩いた場所を辿れるのではありますまいか。
因縁話の部分は、≪モンテクリスト伯≫によく似た雰囲気です。 ≪モンテクリスト伯≫は、1844年ですから、20年ちょっとしか経っていないわけで、大デュマの影響を強く受けているのは、無理も無いですか。 因縁話の部分だけ、全く別の小説として読めば、それなりに面白いと言えぬでもないですが、大デュマの小説には、遠く及びません。
今のフランス人のイメージからすると、貴族時代のフランス人が、ちょっとした言葉を侮辱と受け取り、自分の名誉のために、他人まで巻き込んで、執拗な復讐を決行するのは、異様な光景に映ります。 そもそも、預かっていた領地を取り上げられたからといって、領内の農民を唆して暴動を起こすという、傍迷惑な神経が理解できないので、その男のために復讐を誓う息子や婿の立場にも、素直に共感できないのです。
ガボリオは、三人称による群像劇ばかり書いていますが、大勢の人間の心理を描き分けるだけの力量が無かったのではないかと思われます。 同じ三人称でも、誰か一人を中心にして、じっくりと心理を書き込んで行けば、ずっと面白くなったと思うのですが。
≪狩場の悲劇≫
≪桜の園≫で有名な、ロシアの文豪の一人、チェホフが書いた、長編推理小説。 チェホフの小説は、ほとんどが短編で、これが唯一の長編らしいです。 発表は、1884年。 大学を卒業した年に書いたというから、若い頃の作品ですな。
まだ、ドイルのホームズ物が世に出る前で、ガボリオが推理小説の模範とされていた頃なので、推理小説としての結構は整っていません。 情景描写や心理描写に、並々ならぬエネルギーが注がれている点から見ると、純文学に近い小説なのですが、モチーフにしている殺人事件と、純文学的描写が、一つのテーマに纏め上げられていないせいで、バランスの悪さを感じさせます。
ある地方で予審判事をしている主人公は、友人である伯爵の屋敷へ招かれて行っては、夜通し馬鹿騒ぎをして、世間の顰蹙を買う生活をしているのですが、ある時、その屋敷の中年の執事が、若く美しい女と再婚する事になったのをきっかけに、その女に目をつけた主人公と伯爵が醜態を演じ、やがて、狩りに出かけた森の中で、殺人事件が起こるという話。
前3分の2は、全く普通の純文学的小説で、事件の影も出て来ません。 突然、取って付けたように、殺人事件が起こり、そこから後は、推理小説っぽくなります。 前3分の2と、後ろ3分の1が、あまりにも違う趣きなので、せっかく積み上げて来た純文学的な雰囲気が台無し、という感じがせんでもなし。
推理小説として見ると、いわゆる、叙述トリックが使われているのですが、真犯人は、事件が起こった時点で、容易に分かってしまいます。 普通、叙述トリックは、最後の謎解きで、読者を驚かせるために用いる手法なので、そういう意味では、正常に機能していません。
ただ、この小説は、物語の大部分が作中作として語られる形式を取っているので、読者に真犯人を悟らせる目的で、わざと叙述形式を使っているらしく、別に、失敗しているわけではありません。 複雑な構造なんですよ。 問題は、その複雑さが、面白さに繋がっていない事なんですが・・・。
最も重大な欠陥は、作中作の登場人物が、倫理的に問題ある者ばかりで、誰の立場にも共感を覚える事ができない点でしょうか。 主人公にせよ、伯爵にせよ、中年執事に嫉妬して、新婚生活を邪魔してやろうとしているだけで、あまりにも、人間がつまらないです。 ヒロインも、資産の大きさで、男を乗り換えているのが、ありあり分かるので、鼻を摘まずにはいられません。
≪スミルノ博士の日記≫
20世紀初頭のスウェーデンの作家、ドゥーセの推理小説。 長編というよりは、中編です。 あまり、中編という言い方はしませんが。
発表年は、1917年。 第一次世界大戦の最中ですな。 これまで私が読んで来た推理小説の古典作品群と異なるのは、この作品が、ホームズ・シリーズが世に知られてから、後に書かれたものであるという事。 この違いは、とてつもなく大きいです。
作中にも、ホームズの名が出て来るくらいで、意識して書かれたのは、明白なところ。 レオ・カリングという名探偵が出て来ますが、これも明らかに、ホームズを念頭に置いたキャラです。
ただ、小説としての風格は、とても、ドイル作品のそれに及びません。 特に、情景描写が貧弱で、登場人物達が、どんな場所で活動しているのか、ぼんやりとしか伝わって来ません。 セリフが多過ぎるのも、作者の小説家としての能力の限界を示しているような気がします。
叙述トリックが使われていますが、これも、すぐに分かってしまいます。 もう、叙述トリックと言っただけで、どんなトリックか、すぐにバレてしまいますが、ネタバレを気にするほど、面白い話ではないので、まあ、よかでしょう。 正直に言ってしまうと、わざわざ時間を割いて読むほどの小説ではないのです。
≪シャーロック・ホームズの大冒険(上)≫
シャーロック・ホームズ物なんですが、コナン・ドイルの作ではなく、後世の作家達が、ドイルの作風を真似て書いたパスティーシュ本。 「パスティーシュ」というのは、文体模倣の事らしいです。 こういうのは、盗作やアイデア盗用にはならないようですな。
そういえば、星新一さんのショート・ショートの中に、≪赤毛組合≫のパロディー作品がありましたが、ああいうのも、広義のパスティーシュに入るようです。
ドイル作のホームズ物の中には、事件名だけ紹介されて、書かれていない事件というのが100個くらいあるらしいのですが、それらの事件を、名前だけからアイデアを膨らませて、短編に仕立てたもの。 上巻に収められているのは、
【消えたキリスト降誕画】
【キルデア街クラブ騒動】
【アバネッティ一家の恐るべき事件】
【サーカス美女ヴィットーリアの事件】
【ダーリントンの替え玉事件】
【怪しい使用人】
【アマチュア物乞い団事件】
【銀のバックル事件】
【スポーツ好きの郷士の事件】
【アトキンスン兄弟の失踪】
【流れ星事件】
【ドーセット街の下宿人】
【アドルトンの呪い】
の13編。 私は、ドイルのホームズ物は、全て読んでいるのですが、書かれていない事件には興味が無かったので、これらの事件名は、恥ずかしながら、一つたりとも記憶にありませんでした。
ちなみに、これらの作品、全て、作者は違います。 訳者は一人なので、大まかな文体や、登場人物の呼び方などは、統一されていますが、やはり、元の作品が、それぞれ別の人間が書いたものなので、バラツキは感じられます。
はっきり言って、あまり面白い本ではなかったので、個々の作品の論評はしません。 パスティーシュは、所詮、パスティーシュという事でしょうか。 似せて書いているつもりでも、時代、場所、文化や科学技術の発展度が異なる社会に生きている者が書くと、どうしても、ズレが隠せないのです。
【アドルトンの呪い】が典型で、放射性物質の存在が事件に絡んで来るのですが、ホームズと、キューリー夫妻を知人だった事にして、何とか辻褄を合わせようとしているものの、放射性物質の影響で、病気になったり、治ったりがあまり極端に出ると、扱いが大雑把過ぎという難が隠し切れません。 「ドイルだったら、絶対に書かないだろう」と、読者に思わせてしまったら、その時点で、パスティーシュは、不成立でしょうに。
最初の2編は、ホームズがまだ探偵になる前の時期を扱っていますが、当然、ワトソンは出て来ず、【消えたキリスト降誕画】は、三人称で、【キルデア街クラブ騒動】は、ホームズの一人称で書かれています。 これがまた、いけません。 ドイル作の中にも、そういう作品はあるのですが、あくまで例外でして、例外を手本にしたら、違和感を覚えるなという方が無理でしょう。
【キルデア街クラブ騒動】には、ドイル作の【空き家の冒険】に登場する、セバスチャン・モーラン大佐が、窃盗犯役で出て来ますが、何ともまあ、しょぼい役に使ったもんです。 そんなつまらない男が、ロンドンで二番目に恐ろしい犯罪者になれるわけがないではありませんか。
どうにかこうにか、読む価値があるのは、【銀のバックル事件】くらいのものでしょうか。 田舎の、しかも、離れ小島で起こる事件ですが、読んでいて、ぞくぞくします。 ただし、これは、ホームズ物ではなく、ポアロ物として書いた方が良かったでしょう。 容疑者がたくさん顔を揃える辺り、アガサ・クリスティーの作風に近いです。
全般的に見て、後世の作家達は、情景描写や心理描写を書き込み過ぎる嫌いがありますな。 ドイルの作風は、それらが足りないわけではありませんが、事件の展開を語るのを邪魔しない程度に、淡白に抑えられています。 そういう微妙な所まで真似るのは、厳しいのかもしれません。
≪シャーロック・ホームズの大冒険(下)≫
シャーロック・ホームズのパスティーシュ物の下巻。 こちらに収められているのも、上巻と同じ数の、13編。
【パリのジェントルマン】
【慣性調整装置をめぐる事件】
【神の手】
【悩める画家の事件】
【病める統治者の事件】
【忌まわしい赤ヒル事件】
【聖杯をめぐる冒険】
【忠臣への手紙】
【自殺願望の弁護士】
【レイチェル・ハウエルズの遺産】
【ブルガリア外交官の事件】
【ウォリックシャーの竜巻】
【最後の闘い】
上巻同様、イマイチな作品が並んでいます。 一応、ドイルの作風を真似るのが建前なのですから、もそっと、全体の雰囲気から似せればいいと思うのですが、どうして、こうも離れてしまうのか、大いに解せません。
【慣性調整装置をめぐる事件】では、SF設定まで登場します。 言うまでもなく、慣性調整装置など、現代でも存在しません。 そんな仕掛けを、推理物に使うなど、ズルもいいところです。 こういう作品を含めるのは、編集サイドにセンスが欠けているのではありますまいか?
【神の手】は、猟奇殺人物で、これも、ホームズらしさとは、大きく掛け離れてます。 陰惨極まりない殺人が続いて、陰陰滅滅。 何に近いかといえば、横溝正史作品ではないかと・・・。
【悩める画家の事件】は、田舎を舞台にしていて、最も、ホームズ物に近い雰囲気です。 この作者は、ドイル作品を、よく読んでいるようですな。 事件そのものは、そんなに面白くはないのですが。
【病める統治者の事件】は、どう考えても、パロディーです。 ホームズに恥を掻かせるのが目的で書いた模様。 ホームズ物のパスティーシュには、パロディー集もあるようですが、この本は、真面目な作品だけ集めたものだと思っていたので、こういう作品が混じっているのは、奇妙な感じがします。
【レイチェル・ハウエルズの遺産】は、正典にある【マスグレーブ家の儀式】の続きという設定なのですが、屋上屋を重ねている上に、あまりにも理屈っぽい語り口なので、げんなりして来ます。 加えて、話は未完結と来たもんだ。 なんすかね、これは?
この本と同一のシリーズは、他にもあるようなのですが、とりあえず、二冊も読めば、もう充分でしょう。 もし、読むとしても、他に何も読みたい本が無い時に借りて来る事にします。
≪常識としての刑法≫
変わった物が読みたくなって、図書館の書架の間を彷徨い、目に付いた本を衝動的に借りて来ましたが、妙に面白かったです。 これは、とっくに読んでいてしかるべき本だったのでは・・・。
書名の通り、刑法について解説されている本。 読み物ではなく、罪名ごとにページを分け、説明を加えている、参考書のような体裁です。 まず、刑法の基本理念と、犯罪全般に通じる基礎知識を述べ、その後、各罪を一つ一つ取り上げていきます。
ざっと書き出すと、≪殺人罪≫、≪傷害罪≫、≪暴行罪≫、≪堕胎と遺棄罪≫、≪脅迫罪と強要罪≫、≪略取・誘拐罪≫、≪窃盗罪と強盗罪≫、≪詐欺罪・恐喝罪≫、≪横領罪と背任罪≫、などなど。
≪殺人罪≫は、すぐに分かりますが、≪傷害罪≫と≪暴行罪≫の違いは、怪我をさせたかどうかで分かれるとの事。 そうだとは思っていましたが、本当にそうだったんですな。 強姦行為が、普通、暴行罪に分類されるのは、怪我を負わさなかった場合、傷害罪が適用できないからなのでしょう。 ただし、≪心的外傷ストレス障害≫にまで至った場合は、傷害罪になるらしいです。
よく、「拉致、誘拐」と言われますが、「拉致」という言葉は、刑法では使わないそうで、同じ行為を、「略取」と言うのだそうです。 知らなかった。 略取は、強引に連れ去る事で、誘拐は、騙して連れ去る事。 え? そうだったんだ。
すると、誘拐事件でも、無理やり車に連れ込んで走り去ったりするようなのは、誘拐ではなく、略取だったんですな。 私はまた、連れ去る行為を略取(拉致)と言い、その後、身代金を要求した場合、誘拐になるのだと思っていました。 全然、違うじゃん。
≪収賄罪≫は、公務員だけが問われる罪。 民間企業同士で利益供与しても、それは、罪にならないんですな。 まあ、当然か。 ≪名誉毀損罪≫は、その内容が事実であるか否かに関わらず成立するというのは、割と良く知られていますが、相手が公務員である場合、事実であれば、罪にならないのだそうです。 公務員は、刑法上、特別な立場にあるんですねえ。
この本、始めの方は、ニュースやドラマなどで、よく知っている罪名が並んでいるので、興味を引くのですが、後ろの方へ行くと、馴染みの無い罪名が出て来て、だんだん、読む熱意が冷めてきます。 しかし、むしろ、そういう馴染みの薄い罪の方が、知らずに犯してしまう危険性が高いような気もします。
「常識的に知っている事は、おおよそ、正しいのだな」と感じる反面、構成要件など、細部を知らないでいると、勘違いしたまま、いつのまにか、刑法犯になっている危険性もあり、ヒヤヒヤします。 勤め先の商品や備品を、勝手に私物化すると、≪業務上横領罪≫になるのですが、思い当たる事があって、ギクリとする方も多いのでは?
もし、これから、何か罪を犯そうという、よからぬ計画を立てている方は、とりあえず、この種の本を読んでおいた方がいいと思います。 刑罰に対する正しい知識が頭に入る事で、考えが変わって、思い留まれるかもしれません。
この種の本、中学生くらいになったら、学校で読ませるようにしたら、未来に起こるであろう犯罪を、かなり防げるのではないでしょうか。 読む前と、読んだ後とでは、明らかに、犯罪に対する意識が変わって来ます。
以上、6冊まで。 これらの感想文を書いたのは、2012年の夏から秋にかけての時期です。 その年の春から、古典推理小説を読み始めたのが、一段落した頃の事ですな。 推理小説というのは、続けて読んでいると、次第に虚しくなって来て、やがて、自己嫌悪のようなものさえ感じ始めて、やめる事になります。 しばらく、間を置くと、また、読みたくなるのですが。
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