2013/10/13

読書感想文・蔵出し⑥

  どうやら、北海道応援が、本決まりになったようなので、またまたまたまた、読書感想文です。 もはや、言い訳的前置きを書いている余裕も無し。



≪赤毛のレドメイン家≫
  イギリスの純文学作家、イーデン・フィルポッツが、1922年に発表した長編推理小説。 その時、61歳で、その前年の60歳の時に、初めて推理小説を書いたのだとか。 クロフツの ≪樽≫や、アガサ・クリスティーの≪スタイルズ荘の怪事件≫が、1920年ですから、恐らく、それらに影響を受けて、「私なら、もっと面白いものが書ける」と思って、書き始めたんじゃないでしょうか。

  イギリスの田舎で、死体が見つからず、犯人の目星はついているものの、逮捕に至らない殺人事件が、二件続いて起こり、ロンドン警視庁の敏腕警部が翻弄される中、イタリアで予想される第三の殺人を阻むために、アメリカから天才的探偵が乗り込んで来る話。

  かなり入り組んでいるので、梗概では伝え難いです。 犯人として追われるのは、それぞれ別に暮らしている、年配の三兄弟の一人で、まず、不仲だった姪の配偶者を殺し、次に 、兄の一人をイギリスの海岸で殺し、最後に、イタリアのコモ湖畔に住む、もう一人の兄を殺しに行く、という順番で、話が進みます。

  当初、探偵役は、ロンドン警視庁の警部なのですが、切れ者との評判に反して、ある個人的事情を犯人に利用されて、まるで役に立たず、途中で、アメリカから、引退した天才探偵がやって来て、捜査の指揮を引き継ぎます。 単に、二人の探偵が交代するだけでなく、ロンドン警視庁の警部は、最後まで捜査に参加し、非常に重要な役割を演じます。こういうパターンは、かなり、珍しいんじゃないでしょうか。

  トリックは、現代の推理物に対する一般的知識に照らすと、どこかで読んだような、見たような、既視感を覚えるものですが、発表当時としては、画期的なものだったと思われます。 現代人でも、推理物にあまり興味の無い人であれば、充分に、「おおっ!」と驚かされるレベルなんじゃないでしょうか。

  鉄道技師が本業だったクロフツの≪樽≫に比べると、フィルポッツは、元が純文学作家であるだけあって、話の進め方が、遥かに巧いです。 心理描写も、情景描写も、純文学のそれが使われており、その後の純粋な推理小説に比べると、ちょっと、余計な感じさえします。

  犯人が、やむにやまれぬ事情で犯した罪ではなく、元の性格からして、犯罪者志向だったという設定も面白い。 いわゆる、キャラが立った物語なんですな。 細かいところまで、よく考えてあります。


≪スタイルズ荘の怪事件≫
  20世紀を代表するイギリスの推理作家、アガサ・クリスティーの長編推理小説第一作。 推理物でない小説なら、それ以前から書いていたようですが、職業作家になったのは、この作品が発表されてからのようです。

  第一作から、エルキュール・ポアロが登場します。 ヘイスティングスという、ポアロの友人が書いているという形式を取っていますが、これは、ホームズの話をワトソンが書いているというホームズ物の形式を、そのままいただいたのでしょう。 ヘイスティングスは、ワトソン同様、好人物ではあるけれど、「憎めない間抜け」といったキャラ設定で、その点、ワトソンとは、だいぶ印象が異なります。

  イギリスの田舎にあるスタイルズ荘で、若い男と再婚して間もない女主人が殺され、義理の息子二人や、長男の妻、そして、寄宿している友人・知人達が、容疑者として疑われる中、戦争で故国を離れ、女主人の世話になっていたベルギー人探偵、ポワロが捜査に乗り出す話。

  部屋の鍵や、毒殺に使われた薬品など、物質的トリックの他、アリバイや人間関係など、推理物の様々な要素が盛り込まれています。 一つの場所に、大勢の人間が集まっている時に、事件が起きて、「この中の誰が犯人か?」という推理物のパターンを、≪Who done it?≫と言いますが、その典型。 というか、この作品が、嚆矢なのかも知れません。

  ホームズ物には、このパターンが、確か、一つもなかったと思います。 金田一耕助物や、名探偵コナン、金田一少年の事件簿などは、ほとんど、このパターン。 逆に言うと、あまりにも良く使われるため、このパターンだと思うと、頭を使って推理するのが面倒になり、「まあ、誰かが犯人なんだろう。 その内、分かるさ」という事で、どーでも良くなってしまうのですが、この作品でも、そういう弊害は出ています。

  しかし、発表当時は、もちろん斬新なアイデアで、読者は、めくるめくぞくぞく感を味わった事でしょう。 今の人間には、この作品の真価を堪能する能力が失われてしまっているんですな。


≪そして誰もいなくなった≫
  アガサ・クリスティーが1939年に発表した長編推理小説。 この頃が、最も筆が冴えていた時期のようで、大作家の風格が滲み出るような作品になっています。 ポアロも、マーブルも、名探偵は出て来ません。 完全に独立した話にしても、充分通用するという、自信に満ち溢れている感じ。

  孤島の邸宅に招かれた10人の男女が、外部との連絡を絶たれた上で、何者かに、それぞれが過去に犯した罪を指摘され、マザー・グースの童謡、≪10人のインディアン≫に見立てて、一人ずつ殺されていく話。

  パターンは、≪Who done it?≫ですが、島にいる10人全員が殺されてしまうので、物語の本体部分は、三人称で書かれています。 全員殺されたのに、犯人がその中にいるというのが、話の肝。 普通に考えれば、最後に死んだ者が犯人という事になるのですが、そう単純ではなく、読者の推理を許さない意外性があります。

  これはねえ。 まだ読んでいないのなら、とにかく、読んだ方がいいと思います。 無茶苦茶、面白いです。 傑作にして名作、誰がどんなに褒めちぎっていても、ちっともおかしくありません。 というか、読書人なのに、こんな面白い物を読まずに済ますのは、人生の損失ですな。


≪アクロイド殺し≫
  アカザ・クリスティーが、1926年に発表した長編推理小説。 これも、超がつくほど有名な作品。 クリスティー作品の人気投票をやると、≪そして誰もいなくなった≫に次いで、2位に入るのだとか。 それは、確かに、頷ける。

  これも、推理物としてのパターンは、≪Who done it?≫。 イギリスの地方の村で、資産家が殺され、家族や親類、友人、使用人など、容疑者が複数存在する中で、誰が犯人かを、引退探偵ポアロが突きとめていきます。 クリスティーの探偵物は、みんなこのパターンなんですかね?

  この作品が有名になったのは、大変巧妙な叙述トリックが用いられているからです。 そこが、作品の肝なので、詳しくは語れませんが・・・。 ポアロや警察関係者を除いて、最も意外な人物が犯人なのですが、予め知っているのでもなければ、まず、絶対に推理できません。

  この種の叙述トリックを推理物に使う事が、是か非か、発表当時、論争になったらしいですが、そんな論争を引き起こせるというだけでも、この作品のインパクトの大きさが計り知れようというもの。 是も非もなく、80年以上、世界中で出版され続けて来たという事実が、作品の真価を証明していると言えます。

  叙述トリックを別にしても、≪Who done it?≫の真骨頂とも言うべき、容疑者全員がついている嘘を、一人ひとり暴いて行って、最後に残ったのが犯人という、玉葱の皮をめくるような展開が実に小気味良い。 

  事件のトリックそのものは、小道具を使ったもので、大したアイデアではありません。 当時は最新だった機械でも、現代から見れば、子供騙しに見えてしまうのは、致し方ないところ。 しかし、それは、この作品のキズには、全くなっていません。


≪ABC殺人事件≫
  アガサ・クリスティーが、1936年に発表した長編推理小説。 ポアロが登場します。 書き手は、ヘイスティングスですが、彼以外の者が書いたとされる章も含まれます。

  ABCと名乗る犯人から、ポアロに送り着けられた予告状の通り、まず、名前がAから始まる町で、姓名ともAから始まる人間が殺され、以後、B、Cと、連続殺人事件が起こるが、狂人の仕業だと思われていたところへ、ポアロが各事件の関連性を見出し、真犯人の存在が浮かび上がる話。

  この作品も有名ですな。 私は、たぶん、ドラマで見た事があると思われ、謎解きの前に、既視感を覚えました。 ただし、犯人は思い出せませんでした。 個人的な感想としては、≪そして誰もいなくなった≫や≪アクロイド殺し≫と比べると、かなり落ちる感じがします。 もし、本当に面白かったら、ドラマを一度見ているのに、犯人を忘れたりはしますまい。

  一番の欠点は、事件と事件の間で、間延びを起こしている事。 一見、無関係と思える各事件の繋がりを探っていく推理物のパターンを、≪ミッシング・リンク≫というのだそうですが、全体の半分を超えても、その繋がりが見えて来ないので、飽きてしまうのです。

  ラストの謎解きで、一気に全てが分かりますが、劇的というよりは、唐突で、「ああ、そう」という感想しか出て来ません。 つまり、私は、この物語の展開についていけなかったわけです。 残念ながら。



  以上、5冊まで。 全て、2013年の1月に書いたもの。 そういえば、≪そして誰もいなくなった≫は、2012年の大晦日に、年越しで読んだものでした。