2013/10/06

読書感想文・蔵出し⑤

  性懲りも無く、臆面も無く、またまた、読書感想文です。 ストックがあるから、というのが、理由ですが、つい先日、もう一つ、もっと大きな理由が出来てしまいました。 11月からの応援先が決まったのです。 岩手だとばかり思っていたのが、まさかの北海道! おいおい、2倍も遠いではないか・・・。

  まず、「腰痛持ちは、愛知応援には行けない」という条件があり、私は、もろに該当者なので、健康診断のために、診療所から二度も呼び出されたものの、二度とも、腰痛を申告したら、あっさり、追い返されてしまいました。 で、「こりゃ、岩手に決定だな」と覚悟を決めていたのです。 ちなみに、愛知応援の方は、親会社の工場なので、厳しい健康条件があるのですが、岩手応援は、同じ会社内ですから、誰でも行けます。

  ところが、健康診断を進める内、社外応援に行ける健康な人間が、予定していたより、ずっと少ない事が判明し、慌てた会社が、頭数を揃えるために、条件を緩くして、一度落とした人間を、また拾い始めたんですな。 で、私の上司が、「腰に負担がかからない所」という事で、探して来たのが、北海道の工場だったというわけ。

  いやあ、わざわざ探してくれて、ありがたいと言うべきか、遠過ぎて、洒落にならんと言うべきか・・・。 最初聞いた時には、笑ってしまいました。 同僚達も、みんな笑います。 他に反応のしようが無いと言ったところ。 誰も行った事が無いので、極端な遠さを、笑うしかないんですな。

  で、大変な事になったので、ブログの記事を書くどころではなくなり、また、感想文になったというわけなのですよ。



≪ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯≫
  2012年の5月頃、何かの番組で、フランス文学者で古書コレクターの鹿島茂という方が、お薦めの本として挙げていたのですが、半年も経ってから、ようやく、読む事が出来ました。 だって、沼津の図書館に無かったんだもの。 なぜか、沼津より規模が小さい三島の図書館にはあり、他にも借りたい本があったので、ついでに、これも借りて来たという次第。

  16世紀半ば頃のスペインで、作者不詳のまま出版され、大ベスト・セラーになった小説。 ≪ピカレスク≫というジャンルの嚆矢になった作品だそうです。 ピカレスクというのは、≪悪漢小説≫などと訳され、悪事も厭わない主人公が、知恵と才覚で世に憚って、逞しく生き抜いて行く話。 ちなみに、16世紀半ばというと、日本では、まだ戦国時代です。

  この本の主人公、ラサーロは、まだ少年で、ケチな盲人や、ドケチな坊主、貧乏なくせに気位だけは高い従士などに仕えて、三度三度の飯もありつけず、まさに死ぬほどの苦労をします。 主人達を出し抜いて、何とか食べ物を手に入れるのですが、その出し抜く手口を、細かく書き記したのが、この本の読み所というわけ。

  ただ、何分、古い時代の作品なので、そんなに面白いというわけではありません。 まだ、ヨーロッパの小説が発達する前の事で、どうすれば面白くなるか、創作技術が確立されていなかったんですな。 ただし、この後、≪ドン・キホーテ≫に発展して行く、萌芽のようなものは見受けられます。

  三人目の主人は、赤貧洗うがごとき貧乏人なのですが、「武士は喰わねど高楊枝」という言葉を、そのまま具現化したような存在で、もしかしたら、江戸時代以前に、この作品を通して、スペインから伝わった言葉なのではないかと、訝りたくなるほどです。

  全部で七話あるのですが、小説としての体裁を保っているのは、一・二・三話だけで、後は、たった一つのエピソードだけ書いてあったり、あらすじだけ書いてあったりと、まあ、オマケのようなものです。

  話は大して面白くありませんが、当時のスペインが、いかに食べ物に困っている国だったかが分かる点は、大変、興味深いです。 解説によると、新大陸からの略奪で、金銀は大量にあったけれど、小麦は足りなかったのだとか。 ラサーロが、パン一切れを手に入れるために、悪戦苦闘を演ずる様を見て、笑うより先に、憐れを感じてしまうのは、書き手と読み手の食生活の充実度に、あまりにも落差がありすぎるからでしょうか。


≪北方から来た交易民 【絹と毛皮とサンタン人】≫
  これは、ネット上で交友している方から薦められた本ですが、沼津の図書館には無かったので、三島で借りて来ました。 なぜ、三島にはあるのかなあ? 

  地理的には、すぐそこであるにも拘らず、日本人には馴染みが極度に薄い、ロシアの沿海州とサハリンの先住民族について書かれた研究書。 副題が【絹と毛皮とサンタン人】となっていますが、サンタン人というのは、特定の民族名ではなく、江戸時代に、沿海州からサハリンに交易にやってきていた人々の事を指していた、日本側の呼称です。

  沿海州とサハリンでは、クロテンやアザラシの毛皮が獲れるのですが、それを中華王朝の明や清が欲しがったため、沿海州に住んでいた先住民が、毛皮を中国製の絹織物と物々交換し、手に入れた絹織物を、サハリンに運んで、アイヌ人経由で、松前藩や江戸幕府に渡し、鍋や鑢など、日本製の鉄製品と交換していたという話。

  清がサハリンで徴税していたといのは、中国史で読んで知っていましたが、先住民が主体になって行なっていた、こういう交易活動の事は、全く知らなかったので、久々に、新鮮な知識欲を刺激されました。 こういう、近隣の民族との間で起こった出来事は、日本史でも教えるべきですな。 もっとも、アイヌ人の事すら、ろくに教えていないのですから、そんな事を文科省に期待するのは無理な相談か。

  毛皮だけが目当てだった明や清は、先住民と、干渉し過ぎない適度な関係を築くのですが、江戸幕府は、サハリンに支配権を及ぼすのが目的だったため、アイヌ人の生活を圧迫し、ロシアと明治政府に至っては、もう、領土欲剥き出しで、先住民など存在しないかのごとく、移民を送り込んで、≪開拓≫を推し進め、先住民の住環境を破壊して行きます。 大変、うしろめたく、胸が痛む話。

  明・清が先住民と結んでいたのが、商取引の契約ではなく、朝貢関係だったというのは、驚きです。 朝貢貿易というと、普通は、朝鮮やベトナムなど、もっと大きな規模の国と行うものだと思っていましたが、個別の民族単位にも適用されていたんですねえ。 民族といっても、彼らの人口は、数百人から、数千人程度ですよ。 基本的には、狩猟民だから、そんなには多くの人数を養えないのです。

  著者が言いたいのは、「沿海州やサハリンの先住民というと、狩猟・漁撈生活を送る、≪原始民族≫、≪自然民族≫というイメージで見られているが、実際には、自発的に交易を営み、国際商人として、文明社会の一端を担っていたのであり、ステレオ・タイプな見方は、民族学者の偏見によって作られたものである」という事。 それは、非常に、よく伝わって来ます。

  研究を、本に纏めたものなので、読み物としては、些か、難し過ぎるところがあります。 特に、先住民の民族名が、時代と共に変遷し、しかも、民族の中身自体も変質して行ってしまうので、ある時点のどの民族が、その後のどの民族に変わって行くのかが、うまく把握できません。 民族名ばかりたくさん出て来て、もう、頭がぐちゃぐちゃ状態になります。

  しかし、その点を除けば、理詰めで分かり易い文体で書かれているので、この種の問題にあまり興味が無い、一般の読書人でも、問題なく読み進められると思います。 内容が面白い事に関しては、保証できます。


≪モルグ街の殺人事件≫
  これは、手持ちの本。 新潮文庫。 奥付けには、「昭和54年・第43刷」とありますが、1979年ですな。 たぶん、中学時代に買ったもの。 値段は、220円。 安いな、昔の文庫は。 短編集ですが、どの作品を読みたくて買ったのか、今となっては、記憶にありません。

  やはり、≪モルグ街≫でしょうかねえ。 作品名を聞いた事はあるけれど、どんな話か知らなかったので、読んでみようと思ったのでしょう。 エドガー・アラン・ポーが、江戸川乱歩の名前の元になった作家だという事は、中学生の頃には、もう知っていました。

【モルグ街の殺人事件】
  ホームズの原型になった天才、オーギュスト・デュパンが登場する三作の中で、最も有名な作品。 短編推理小説です。 ただし、ポーがこの作品を書いた頃には、推理小説というジャンル自体が存在せず、読者に謎解きさせるような構成にはなっていません。

  パリの街なかの建物の中で、母娘の惨殺死体が発見され、その異常な手口から、デュパンが、常識では考えられないような犯人の正体を見抜く話。 デュパンは、職業探偵ではなく、難事件が起こった時に、警察に知恵を貸している人物。

  先に、ホームズ物を読んでから、この作品を読むと、既視感に何度も襲われます。 新聞に広告を出して、容疑者の方を呼び寄せる手法など、ホームズ物に、どれだけ使われている事か。 謎そのものも、ホームズ物に、似た話がいくつかあります。 元は全て、この一作だったわけですな。

【落穴と振り子】
  これは、恐怖小説。 19世紀初頭、スペインの宗教裁判で死刑を宣告された男が、地下牢に送り込まれ、真っ暗な部屋で、落とし穴の周囲を手探りで進まされたり、床に縛られて、天井から、刃物の付いた振り子が、少しずつ下りて来るのを見せられたりする話。

  実際に、その立場になれば、震え上がると思いますが、小説として読んでいる分には、さほどの恐怖は感じません。 どうして、そんな目に遭ったのか、理不尽な経緯が前置きされていれば、より怖くなったと思うのですが。

【マリー・ロジェエの怪事件】
  デュパン物の第二作ですが、早くも、スカ。 いや、何と言っても、まだ推理小説の標準形態が定まっていない頃なので、ポーは、いろいろと、語り方を模索していたんでしょう。 ≪モルグ街≫と同じような作風を期待していると、肩透かしを喰います。

  若く美しい娘が行方不明になった後、死体がセーヌ河に浮いた事件で、新聞各紙が、様々な推測を展開するのを、デュパンが、新聞の記事だけを分析して、真相を探っていく話。 ≪謎解きはディナーの後で≫と同じく、伝聞情報だけが頼りで、実際の捜査場面が無いので、物語に動きが感じられないのが、最大の欠点。

  しかも、推理だけして、犯人を逮捕するところまで行きません。 ほんのちょっと加筆して、デュパンの推理通りに逮捕された事を記しておけば、だいぶ、印象が違ったんでしょうがねえ。 残念な事です。

【早すぎる埋葬】
  これも、恐怖小説。 仮死状態で埋葬されてしまった者が、棺桶の中で生き返って、地上に出て来た話や、棺桶から出て、墓所の入り口まで来たのに、扉を開けられず、そこで本当に息絶えた話など、実話事例を並べた上で、早過ぎる埋葬を極度に恐れる主人公が、自分の墓に施した様々な対策も虚しく、旅先で死んで、棺桶の中で目覚める話。

  これも、自分がその立場になれば、この上無く恐ろしいと思いますが、現代日本では、土葬も、墓所安置もありえないので、実感が今一つ湧きません。 割と、コミカルなラストなので、読後感は悪くありません。

【盗まれた手紙】
  デュパン物の最終作。 これは、≪モルグ街≫ほどではないですが、明らかに秀作です。 ある貴婦人が、自分の身の破滅に繋がるような手紙を盗まれてしまい、パリ警視庁が大人数を繰り出して、犯人の家を何度も捜索したにも拘らず、全く見つけられなかったのを、デュパンが出かけて行って、ちょこちょこんと見つけて来る話。

  こちらも、ホームズ物に、同じ趣向の話があります。 「見つけられたくない物は、最も見つかり易い所に、さりげなく置いておくのが良い」という、逆転の発想は、いかにもの、ポー好み。 コリンズにも、パクリと思しき、同じ題名の小説がありますが、こちらの方が、遥かに昔に書かれた物なのに断然優れています。


  以上、5作品が収められています。 デュパン物が、フランスの話なので、ポーをフランス人だと思っている人もいると思いますが、エドガーという名前を見ても分かるように、英語圏の人で、しかも、アメリカ人です。 推理小説の第一歩は、アメリカ人が足跡をつけたんですねえ。


≪黒猫・黄金虫≫
  こちらは、旺文社文庫。 「昭和50年・第33刷」で、1975年。 200円。 私が買った本ではなく、家にあった本ですが、我が家で、私以外に本を買うといったら、母だけなので、母が買ったものでしょう。

  私の記憶では、この本は、子供の頃から家にあったような気がするのですが、自分で買った≪モルグ街の殺人事件≫とは、4年しかズレていないわけで、すると、小学校高学年頃に初めて見たという事になります。 その頃の時間経過の感覚は、歳を取った今より、ずっと長かったんですなあ。

【黒猫】
  家にこの本があるのを知っていたにも拘らず、通して読んだ記憶が無いのは、最初の【黒猫】だけ読んで、暗い話だったので、嫌になってしまったからです。 今回、読み返しましたが、やはり、暗かったです。

  動物を虐待する性癖がエスカレートして、妻まで殺してしまった男が、地下室の壁に死体を塗りこめるものの、妻の飼い猫が同時に姿を消した事が原因で、犯行が発覚する話。 皮肉な結末が用意してあるので、これ以上、詳しく書けません。

  恐怖小説ですが、黒猫に不吉なイメージを抱かない人には、この話の妙味がほとんど理解できないと思います。 私も、その一人。 ただ、主人公の残虐癖が、不愉快なだけ。

【赤死病の仮面】
  中世に、疫病が流行っていた地方で、領主とその知友だけが、館に閉じ籠る事で感染を免れ、毎夜、宴に興じていたのが、ある時、奇妙な扮装をした人物が闖入して来たせいで、破滅して行く話。

  疫病感染の恐ろしさを、ビジュアル的に表現したもの。 耽美小説というべきか、恐怖小説というべきか、ジャンル分けに迷うところ。 文章で書いた絵画と言ってもいいような作品で、こういう作風は、ポーでしか読んだ事がありません。

【アッシャー家の崩壊】
  友人とその妹が住む館に招かれた男が、友人の妹の死の真相を知ると同時に、意思を持った館が友人を呑み込んで沼に沈むのを目撃する話。

  これも、恐怖小説ですが、あまり、怖くありません。 石造りの館に馴染みが無いと、なかなか、その恐怖を共感する事ができないんですな。 途中に、友人が作った詩が入っていたりして、唐突感と蛇足感を同時に覚えます。

【モルグ街の殺人】
  これは、≪モルグ街の殺人事件≫とダブっているので、感想はそちらで。 訳者が違いますが、読み比べるほど、モチベーションが上がりません。

【黄金虫】
  ポーの代表作の一つに必ず出てくる、宝探しの推理物。 ホームズの≪踊る人形≫は、この作品の暗号解読部分を、そっくりパクっています。 アメリカのメキシコ湾岸の島に住む男が、キャプテン・キッドが遺した宝の地図を手に入れ、暗号を解読し、友人と従僕に手伝わせて、宝を掘り出す話。

  基本的には非常にシンプルな話ですが、友人が書いた手記という体裁になっている上、先に宝の掘り出しがあり、後で暗号の謎解きをするという順番で語られるという、複雑な構成になっているため、読み応えは充分あります。

  大人が読むと、さほど感動しませんが、知性に興味を抱き始めた年齢で、この作品に出会うと、「ほーっ! 凄いな、これは!」と思うはず。 私は、中学の時に、学校の図書室で、この作品を読み、ポーの評価を変えた人間の一人です。

【ウィリアム・ウィルソン】
  自分にそっくりな男が、人生の節目節目に現れて、邪魔をするので、殺してしまったら、実は、それが、自分自身のドッペルゲンガーだったという話。

  映画≪世にも怪奇な物語≫に、この作品が入っているので、読んでみたのですが、映画よりは、ずっとシンプルで、些か、肩透かしを喰らいました。 売春婦を解剖するエピソードは、映画の方の創作だったんですねえ。 あれが、一番怖いんですが。


≪ポオ小説全集 ② 幻怪小説≫
  図書館で借りて来た、エドガー・アラン・ポーの短編小説集。 これは、文庫ではなく、ハード・カバーです。 ポーの小説の中から、幻想・怪奇をモチーフにした作品を集めたもの。 収録作品は、以下の17編。

【赤き死の仮面】
【メッツェンゲルシュタイン】
【アッシャア家の没落】
【ウィリアム・ウィルスン】
【奇態な天使】
【使いきった男】
【息の紛失】
【天邪鬼】
【ペスト王】
【ボンボン】
【ヴァルデマア氏の病症の真相】
【鋸山物語】
【エルサレム物語】
【四匹で一匹の獣】
【シェヘラザアデの千二夜目の物語】
【花形】
【ジュリアス・ロドマンの日記】

  この内、【赤き死の仮面】【アッシャア家の没落】【ウィリアム・ウィルスン】は、文庫の短編集によく収録される作品です。 【メッツェンゲルシュタイン】は、映画、≪世にも怪奇な物語≫の第一話、【黒馬の哭く館】の原作になった話。 映画では、女になっている主人公は、原作では、男です。

  【ヴァルデマア氏の病症の真相】は、臨終の床にある男に催眠術をかけて、死後に会話を交わす実験の様子を描いたもので、実に不気味。 フィリップ・K・ディックのSFに、似たようなアイデアの話がありますが、もしや、こちらが元でしょうか。

  最後の【ジュリアス・ロドマンの日記】は、最も長く、最も読みやすい文体で書かれています。 内容は、ヨーロッパ人として、ロッキー山脈を踏破した人物の探検記です。 問題は、これが、創作なのか、実録なのかが分からない事。 創作だとすると、わざわざ時間を割いて読むほど、価値が無いような気がしますし、実録だとすると、なぜ、この巻に収められているのかが分かりません。

  と、以上、5作は、物語としての態を成しているんですが、他は、もう、どーしょもないという感じで、文字通り、話になりません。 読むのが苦痛。 ポーは、精神的に不安定だったようですが、明らかに、狂った状態で、思いつく事を書き連ねたような、滅茶苦茶な作品が多いです。

  こういうのを読むと、ポーの小説の中で、文庫に収録される作品が、出版社を問わず、数編に限られている理由が、よく分かります。 読むに耐えない、訳すに耐えない、出版するに耐えないのです。



  以上、5冊まで。 2012年の12月から、2013年の正月にかけて、書いたもの。 硬いものに飽きて、また推理小説の古典に戻ったんですな。