2022/09/18

実話風小説⑧ 【パパと遊ぼう】

  「実話風小説」の八作目です。 普通の小説との違いは、情景描写や心理描写を最小限にして、文字通り、新聞や雑誌の記事のような、実話風の文体で書いてあるという事です。

  今回の話、前半に関しては、離婚して、子供と引き離されてしまった人達は、自分の事を書かれていると思うかも知れませんが、特にモデルはいないので、気にしないで下さい。 後半になると、幾分、現実から乖離するので、自分がモデルでない事は分かると思います。 後半まで、当て嵌まってしまった場合、私を批判するより、自分を批判した方がいいです。




【パパと遊ぼう】

  男A。 有名ではないが、割と堅い会社に勤めていて、世間の平均よりも、少し多いくらいの収入があった。 結婚する前は、遊び好きで、飲む・打つ・買うに現を抜かして、貯金など一円もなく、常にローンを抱えているような生活だった。 結婚後も、遊び癖が抜けず、一度、浮気がバレて、大ごとになり、妻から、離婚届けを突きつけられた事もあった。

  ところが、妻が妊娠している事が分かると、Aは変わった。 自分の子供が出来る事に、神秘的な感動を覚え、生活態度を改めたのである。 浮気相手とは、きっぱり、縁を切った。 つきあう人間も変わり、学生時代からの悪友とは手を切って、新たに、真面目な先輩や同僚と、交友を始めた。 みな、妻子がいる人達である。 いずれ自分も、その仲間に加わろうと、算段していたのだ。

  生まれたのは、男の子だった。 他人の目から見ても、可愛らしい赤ん坊で、Aは、一目見るなり、めろめろになり、舐めるような溺愛を始めた。 あまりにも極端なので、傍目に違和感を覚えるほど。 自分の両親にも、妻の両親にも、触らせない、抱かせないという、極端さだった。

  妻の父親は、その様子を見て、「嫌な予感がした」と、後に語っている。

「いやあ、もう、娘と結婚する前から、嫌な感じはしていたんですよ。 Aは、何につけ、やる事が極端でね。 その事に自分で気づいていないようなんです。 娘も、交際中は、それに気づかなかったのが、結婚してから、分かったらしくて、実家に戻って来て、亭主の話をする時には、いつも、うんざりしたような顔をしていました」

  約10年間、Aと、妻、そして、息子の、仲睦まじい生活が続いた。 正確に言うと、Aと妻との仲は、浮気騒ぎがあった頃から変わらず、冷えていたが、息子が鎹になって、家族を結び付けていたのである。 Aは、休みの日になると、必ず、車を出し、家族サービスに努めた。 最初、日曜だけだったのが、土曜まで、出かけるようになり、さすがに、妻は、つきあいきれなくなって、Aと息子だけを送り出すようになった。

  問題が起こったのは、息子が、10歳になった年の事だった。 ある時、子供部屋を掃除していた妻が、机の隅に置かれた、馬券を見つけたのだ。 当然、ハズレ馬券だが、それは問題ではない。 Aが、息子を、競馬場に連れて行った事が問題なのだ。 まず、息子に、何食わぬ顔で訊いてみたところ、あっさり、それを認めた。 「馬券は、僕が予想して、パパが買ってくれたけど、ハズれちゃった」と言った。 妻は、息子を叱る事はせず、仕事から帰って来たAを、厳しく問い詰めた。

  Aは、最初、「ハズレ馬券を、くれてやっただけだよ」と、シラを切っていたが、息子の証言をとってあると言われると、開き直って、「馬を見せたくて、連れて行ったら、一度やってみたいって言うから、買ってやっただけだ。 ハズレたんだから、いいだろ、もう!」と、逆ギレの様相を見せた。

  だが、妻は、浮気騒ぎの頃から、Aの人間性に大きな疑問符をつけたままにしてあり、そんな事では、引き下がらなかった。 「ギャンブルを教えるのは、絶対、許さない! 今度やったら、離婚する!」と、きっぱり、宣告した。 妻には、親譲りの真面目さも強さもあったが、惜しむらく、常識があり過ぎて、押しが今一つだった。 夫を警戒していた点を除けば、基本的に、性善説で生きており、その後の成り行きを止める事ができなかったのだろう。

  しばらくして、今度は、居間でテレビを見ている時、息子が、小さな玉で遊んでいるを、妻が見つけた。 最初は、ビー玉だと思って、気にせずに見ていたが、やがて、「メッキされたビー玉なんか、ありっこない」と気づき、パチンコ玉だと分かって、ゾッと背筋が寒くなった。 パチンコ屋なら、競馬場より、頻繁に行っている可能性があるからだ。

  前と同様、息子に、何食わぬ顔で訊いてみたところ、Aに、パチンコ屋に連れて行かれた事を、あっさり、認めた。 そればかりか、パチンコ屋には、半年くらい前から行っているという。 この年頃の子供というのは、怒っている素振りを見せずに、普通の会話のように質問すれば、大抵の事は、素直に答えるものである。 「パパは上手だけど、僕がやると、すぐなくなっちゃうんだ」と、屈託なく答えた。 ちなみに、これは、子供連れの入店が、まだ禁止されていなかった頃の話。

  妻は、断固たる態度に出た。 Aを相手にせず、息子を連れて、実家に帰ってしまった。 両親に事情を説明すると、「そりゃ、まずいな。 10歳から、ギャンブルを仕込まれたんじゃ、ろくな人間にならない」と、離婚する事に賛同してくれた。 Aが、電話で妻を呼び出したが、「話があるなら、実家に来い。 ただし、決着がつくまで、子供には会わせない」と、言い渡された。

  Aは、妻の実家に行ったが、妻は、両親を交えて、Aと会い、3対1で、厳然と、Aを威圧した。 Aは、妻の父親から、ギャンブルを子供に教える事の是非を問われて、開き直った。

「男なんだから、ギャンブルくらいできなくて、どうするんですか。 どうせ、大人になれば、やる事でしょうが。 子供の頃から始めていれば、様子が分かるから、大負けしなくて済むんですよ。 これは、社会教育なんだ」 

  この戯言が、全く通用しなかったのは、妻の父親が、ギャンブルを一切やらないだけでなく、彼の交友範囲内に、ギャンブルとは無縁な人間が大勢いたからである。 月当たりの金額を決めて、ギャンブルを楽しんでいる人もいたが、無節操に注ぎ込んで、スカンピンになっている者も見ていた。 Aは、そのタイプに近かった。

  妻と、その両親は、一度、猶予期間を与えていた事を理由に、約束を破ったAに、離婚を迫った。 Aは、「それは、検討するから、とにかく、息子に会わせてくれ」と、辻褄の合わない取引を口にしたが、相手にされなかった。 その後、数ヵ月の調停期間を経て、離婚が成立した。

  Aが離婚を承諾したのは、離婚後も、息子と会う権利を主張し、認められたからである。 元妻側が甘かったのは、Aの家と、元妻の実家に、車で1時間以上かかる距離があったので、「そうそう、頻繁には、会いに来れないだろう」と見越して、頻度を決めなかった事である。 その種の権利は、「月に一度」くらいが標準なので、「Aが頑張っても、せいぜい、半月に一度くらいだろう」と想定していた。 

  ところが、いざ始まってみると、Aは、毎週、元妻の実家まで、通い始めた。 それも、土曜も日曜もだった。 祭日にも、必ずやって来た。 元妻や、その両親と顔を合わせるのを嫌って、玄関までは来ないが、車を家の前に停めて、息子の部屋がある窓に向かって、大声で息子の名前を呼んだ。

  早朝なので、大声、即、騒音なのだが、近所の人々は、Aが離婚後に息子に会いに来ているという事情を知ると、黙認するようになった。 Aを憐れんだのである。 Aの側では、そんな事とは露知らない。 息子に会いたい一心で、他の事など考えられなくなっており、近所の評判など、最初から、気にもしていなかった。

  息子が出て来ると、車に乗せて出かけ、夜まで帰って来なかった。 Aにしてみれば、愛する息子に会う為ならば、往復2時間の運転くらいは、何の苦でもなかった。 離婚前も、平日は、夜に帰宅するせいで、息子と話す時間があまりなかったから、土日祭日、ぎっちり、一緒にいられるのなら、大した変わりがなかったのだ。 変わりがないと、人間、反省など、しないものである。

  息子と会う頻度については、元妻側の予測が外れたが、「ギャンブルには、絶対、連れて行かない」という点は、しっかり、条件に入れてあり、Aも、それは守った。 遊びに行く先は、ゲーム・センターや、ホーリング場、野外アスレチック場などのレジャー施設。 ショッピング・センター。 観光地。 映画館。 たまに、スポーツ観戦など。 最初の内は、動物園や水族館にも行ったが、息子の方が、早々に大人びてしまって、そういう子供向けの施設には、行きたいと言わなくなった。

  息子は、中学生になると、母親とは、あまり話さなくなる一方で、父親と遊びに行くのは、やめようとしなかった。 母親や祖父母が、教育的配慮から、あれやこれやと口喧しいのに対し、父親は、金を湯水のように使い、好きに遊ばせてくれるのだから、どちらに流れるかは、決まっている。 年間120日も遊びに連れ出されている内に、息子にも、すっかり、遊び癖がついてしまった。

  そうなる前に、母親や祖父母が気づけば良かったのだが、Aが条件を守っているので、「なんとなく、こんなもの」で、見過ごしてしまったのだ。 近所の人で、祖母に向かって、「あんなに、年中、遊びに行ってたんじゃ、勉強する時間もないね」と言う人があったが、息子の成績は、特に悪いわけではなかった。 中の上くらいである。 それが更に、問題に気づかせるのを遅らせた。

  息子が高校生になると、変化が起こった。 学校の友人と遊びに行く事が増え、迎えに来たAが、すっぽかされるケースが出て来たのだ。 Aが、大声で、息子の名前を呼ぶ。 息子が出て来ず、返事もないので、もう一度、呼ぶ。 すると、元妻か、その両親の一人が、玄関から顔だけ出し、「友達と遊びに行った。 今日は、帰って来ない」と言う。 Aは、しばらく、未練たらしく待っていて、やがて、しおしおと、帰って行くのであった。

  Aは、対策を練った。 そして、息子に向かって、「友達も一緒に、遊びに連れてってやる」と提案した。 これには、息子も飛びついてきた。 父親と出かければ、お金は、父親の財布から出るから、大いに助かる。 友人1人、もしくは、2人、もしくは、最大3人で、Aの車に乗り、出かけた回数が、両手の指を折って数える程度。 友達が一緒だと、息子が自分の相手をしてくれないので、Aは面白くなかった。


  Aは、この世で、息子だけが愛する対象であり、他人の事なんぞ、歯牙にもかけない人間だったが、一つだけ、他人に、いい事をしたケースがある。 息子の友人の一人で、一時期、息子と最も親しかった少年Bを、真っ当な道に立ち直らせたのである。 少年Bは、Aの車で出かける時には、必ず、加わっていた。 何回も一緒に遊びに行って、Aとも、タメ口で話すくらい、気安い関係になっていた。 いや、少年Bが、そう思っていただけなのだが・・・。

  ある祭日の朝、Aが、元妻の実家の前に行くと、少年Bが立っていて、車から下りて来たAに言った。

「俺も今来たんだけど、今日は、お母さん、お祖父さんと、墓参りに行ったんだって」
「いつ、戻るって?」
「夕方って言ってた。 お祖母さんが」
「ちっ・・・。 それなら、昨夜の内に電話してくれればいいものを・・・」

  腐っているAに、少年Bが、おずおずと提案した。

「俺と、どっか、行きますか?」
「ああん?」

  Aは、片眉を持ち上げ、口元を歪めて、少年Bの顔を見返した。

「何言ってんだよ。 B君と出かけたって、しょうがないじゃんか。 俺は、息子に会いに来てんだよ」
「はあ・・・、そうですか・・・」

  少年Bは、Aの事を、何でも奢ってくれる、気前のいい、大人の友達くらいに考えていたのだが、この一言で、バケツ満杯の冷水を浴びせかけられたように、目が覚めた。 ムシのいい事を提案した恥ずかしさで、頭に血が上り、耳朶が赤黒くなるほど、充血した。 Aは、追い討ちをかけるように言った。

「B君、親御さんと仲が良くないんだって? だけどなあ、親子の関係って言うのは、そんな簡単に切れるもんじゃないぜ。 最後に頼みになるのは、親や子だけなんだよ。 よく考えてみな。 友達の親父と仲良くなったって、俺が、B君の事を、将来に渡って、面倒見てやれるわけじゃないんだぜ」
「はあ・・・」

  それを契機に、少年Bは、親との関係を見直し、仲がこじれた原因の、自分に問題があった点については、親に謝った。 親の方も、少年Bがグレてしまうのではないかと危惧していたので、自分達に非があった点は謝り、関係を修復した。 それ以降は、互いに、相手を思いやるようになり、他人が羨むような、仲のいい親子になった。 雨降って、地固まったわけだ。

  Aが、他人の為にいい事をしたのは、一生の内に、この一件だけである。 しかも、たまたま偶然、成り行きで口にした言葉が、いい方向に影響したに過ぎないのであって、Aが確固たる考えをもって、少年Bを立ち直らせたわけではない。


  話を戻す。 高校二年生になると、息子は、Aと出かけるのを嫌がるようになった。 迎えが来ると、家からは出て来るが、「友達と遊びに行くから、小遣いくれよ」と、金だけ出させて、Aを追い返してしまう事が、多くなった。 せびる金額は、少しずつ上がり、食費を削る計算をしなければならなくなる程だったが、息子に嫌われたくないAは、金を渡し続けた。

  息子は、Aの事を、子供の頃と同じように、「パパ」と呼んでいた。 声変わり直後の、ドスの利いた、ガラガラ声で、「パパ」と呼ばれても、Aは、嬉しかった。 その言葉を聞きたいばかりに、せっせと、金を渡しているようなものだった。 ちなみに、Aがいない場面では、家族相手には、「オヤジ」、友人相手には、「財布」と呼んでいた。

  Aは、条件を守って、息子にギャンブルをさせていなかったが、息子の方は、小学生の頃に教えられたギャンブルの味を忘れてはいなかった。 私服で年齢をごまかし、仲間を率いて、パチンコ屋に入るのは、日常茶飯事。 Aから小遣いをゲットした直後には、競馬、競輪、競艇、オート・レース、雀荘で賭けマージャンと、スッテンテンになるまで、賭けまくった。 今だったら、ネット・カジノに狂奔していたに違いないが、これは、20年も前の話で、そういうものは、まだ、存在していなかった。

  公営ギャンブルでは、換金の際に、年齢確認があるが、息子とその仲間は、勝った時だけ、成人している友人の兄に頼み、手数料を払って、換金してもらっていた。 そういう事は、いくらでも、抜け道があるものである。 つまり、勝つ事もあったわけだが、経験がある人なら分かるように、ギャンブルというのは、一定期間で平均を取ると、客側が損をするように出来ている。 ギャンブルで、財を成す人がいない所以である。

  外見的には、普通の高校生なのだが、中身は、すっかり、ゴロツキ化していた。 金がなくなると、悪仲間数人と駅の近くに屯ろして、他校の生徒を捕まえ、カツアゲにいそしんだ。 その程度でも、充分、犯罪だが、金は手に入る端から、ギャンブルや遊興費に消えて行ってしまうので、もっと大きな犯罪に手を出すようになって行った。

  珍しく、元妻の方から電話があり、息子が警察に補導された事を知ったAは、その罪状を聞いて、驚いた。

「コンビニ? 万引きか? そんなの、誰でもやる。 大した事じゃない。 えっ? 強盗? コンビニ強盗!? 誰が!? 馬鹿抜かせ!! あいつが、そんな事するわけないだろう!!」

  ところが、していたのだ。 それも、連続で、4回もやっており、テレビの地方局で、ニュースになるほどの、大ごとだった。

「悪い仲間に誘われたんだろう! だから、そんな連中とつるむなって、言ったのに!」

  ところが、Aの息子は、明らかに、グループのリーダーだった。 「一見、真面目そうだが、罪の意識が感じられず、大変、悪質」と、少年課の調書に書かれた。 犯行動機は、「遊ぶ金が欲しかったから」に尽きた。 実際、他に目的はなかった。 起訴を免れたのは、奇跡としか思えなかった。

  釈放された後も、息子の行状は改まる事がなかった。 Aに刷り込まれた、遊び好きの癌細胞が、全身に浸潤しており、金が手に入ると、瞬く間に、遊びとギャンブルで、使い尽くした。 母親と祖父母は、何とか立ち直らせようと、一円もやらないようにしていたが、Aがやってしまうので、意味がなかった。 元妻から、「あの子を駄目にする気か!」と、怒鳴りつけられたが、Aは、「やらないから、犯罪者になるんだ!」と言い返した。

  息子は、高校を中退して、本物のゴロツキになってしまった。 家からも出て行って、悪仲間の家を転々としているようだった。 たまに顔を見せても、金をせびるだけ。 「借金取りに、殺されそうなんだよ」と、お定まりのセリフを、毎回、口にした。 母親と祖父母が、それでも、金をやらないと、Aの家に行くようになった。 Aは、金をくれるからである。

  ところが、息子が要求する金額は、天井知らずで、Aの稼ぎの限界を、とうに超えていた。 Aは、会社に給料を前借りし、ありったけのクレジット・カードを限度額まで借り、消費者金融に脚を運んで、息子にやる金を工面し続けた。

  ある時、息子が、Aの家を訪ねると、「売家」の看板が掛かっていた。 Aは、借金の形に取られてしまった家の前に車を停め、その中で、寝起きしていた。 そこにいなければ、息子が訪ねて来られないからだ。 息子が、金をくれと言うと、財布から小銭を出して、「ごめんな。 もう、これしかないんだ」と言った。 息子は、怒った。

「馬鹿野郎! 5歳のガキじゃねーんだぞ! ナメてんのか!」

  Aを車から引きずり下ろして、頭や腹を蹴った。 さすがに、殺すほどの激しさではなかったが・・・。 顔中を血塗れにしたAは、泣きながら、喚くように言った。

「そんな子じゃなかったじゃないか! いい子だったじゃないか! なんで、パパを蹴れるんだ! なんで! なんで!」 

  息子は、Aを見下ろして、不敵に笑った。

「この馬鹿が! こんな俺にしたのは、誰だ? おめえじゃねーのか? えーおい、パパよ!」


  その後、息子は、借金取りに追われて、街から姿を消した。 母親と祖父母は、捜索願いを出したが、警察からは、その後、何の連絡もない。 「便りがないのは、いい便り」と言うが、それは、堅気の話。 ゴロツキの世界では、便りがないのは、死んだか、殺された証拠であるから、とっくに、この世から、いなくなっている可能性の方が高い。

  Aは、息子がいなくなった事で、経済的には救われた。 苦しい時でも、会社を辞めなかったのが幸いし、少しずつ、生活を立て直して、今は、1DKのアパートに住んでいる。 息子が作った借金は、十数年かかって、定年を迎える前までに、何とか返済した。


  Aは、息子を愛した。 それは間違いがない。 しかし、息子の育て方など、考えた事もなかった。 どんな人間になって欲しいかなど、考えた事もなかった。 そもそも、A自身にしてからが、どんな人間になりたいか、考えた事がなかった。 全て、成り行きに任せていればいいと思っていた。 ただ欲望の赴くまま、息子と一緒にいたい為だけに、遊びに連れ出し続けて、息子を人間のクズにしてしまったのである。