2022/07/24

実話風小説⑥ 【昇進できなかった理由】

  「実話風小説」の六作目です。 普通の小説との違いは、情景描写や心理描写を最小限にして、文字通り、新聞や雑誌の記事のような、実話風の文体で書いてあるという事です。

  そろそろ、ネタ切れか。 心が綺麗な人に、こういう話は思いつかないのは、確かだと思いますが、私の心が、如何に捻じくれ曲がっているといっても、そうそう、こんな事ばかり、考えているわけではないです。




【昇進できなかった理由】

  地方都市に本社がある、中堅の商社。 A氏は、割と有名な大学を出て、この会社に就職し、25年間、勤めて来た。 同期入社は、20人以上いたのが、少しずつやめて、今現在、半分ほどになっていた。 残っている者の内、A氏を除いて、みな、課長クラス以上に昇進していた。 一人は、部長になっている。 A氏だけが、係長補佐で止まっていた。

  A氏は、特に有能というわけではないが、仕事は人並み以上に、しっかりやるタイプで、なぜ昇進しないのか、不思議がられていた。 「Aさんは、出世する気がないんだろう」と思われていたが、そんな事はなくて、A氏自身も、なぜ、自分に昇進の話が来ないのか、不思議でならなかった。 控え目な性格だったから、自分の方から、その理由を訊ねる事はなかったが・・・。


  会社に、経営上の危機が訪れ、リストラが行なわれる事になった。 社内の人事部門が主導するリストラだったので、平の社員が、真っ先に切られる事になる。 「係長補佐」も、同類である。 なまじ、平でないだけ、切り易いとも言える。 若い者達より、年功分、高い給料をもらっているから、やめてもらえば、人件費を抑えるのに、有効性が高いのだ。

  A氏自身も、そうなる事は覚悟していて、人事部門から呼び出しを受けた時には、もう、早期退職を受け入れるつもりでいた。 予め、妻にも話をして、再就職をどうするか、相談までしていた。


  人事の担当者は、A氏よりも、いくらか若い男だった。 過去に面識はない。 そういう態度をとるように言われているのか、終始、低姿勢で、同情に絶えない、という表情・話し方で、退職してくれるように、頼んで来た。 A氏は、元々、控え目な性格であるし、覚悟が出来ていたので、「仕方がありませんね」と受け入れた。

  話が終わりかけた時に、A氏は、ふと思いついて、ある事を訊いてみた。

「退職の件は承知しましたが、その前に、一つ教えていただきたい事があるんですが・・・」

  人事の担当者は、ギクリとした様子だったが、とりあえず、どんな話が聞いてみようという気になったようで、椅子に座り直した。 死刑囚が、最期に、望みを一つ聞いてもらえるという話を思い出していた。

「どんな事でしょう?」
「私は、大卒入社で、勤続25年なんですが、係長補佐止まりでした。 同期入社の連中は、みな、課長クラスになっています。 自分では、特に、思い当たる事もないんですが、どうして、昇進できなかったんでしょうか?」
「それは・・・」

  「それは、あなたに、昇進するだけの能力がなかったからでしょう」と言いかけて、改めて、A氏を見て、外見や話し方が、無能社員に良く見られるそれとは、全く重ならない事に気づき、言葉を飲み込んだ。 「はて? この人は、なぜ、昇進できなかったんだろう?」 担当者本人が、不思議に感じて、調べてみる気になった。 A氏には、一旦、職場に戻ってもらい、担当者は、人事記録を調べに、資料室へ向かった。

  二日後に、A氏は、人事の担当者に呼び出された。 前回は、殺風景な会議室だったが、今回は、もっと小さい、もっと高級感がある、応接室だった。

「先日承ったご質問ですが、あなたが昇進できなかった原因について、確実な事が一つありました。 人事の記録にも残っていますし、当時の事を知る関係者にも、電話で確認しました」

  A氏の額から、汗が滲み出た。 やはり、原因があったのである。

「××年×月×日の事ですが、あなたは、社員食堂で、Bさんという、当時、営業3課の課長だった人と、同席しています。 しかし、もう、20年以上前の事だから、そんな事は覚えていないでしょう?」
「Bさん? うーん・・・、分かりません」
「Bさんの事も覚えていませんか。 当時、あなたは総務課ですから、Bさんとは、仕事上の関係は、なかったと思います。 しかし、同僚か上司か、誰かを通じて、面識はあった」
「そうなんですか。 分かりません」
「たまたま、食堂で合い席になって、世間話をしながら、一緒に食事をしていた。 そこへ、営業部の部長が、Bさんを捜しに来て、ある仕事について、すでに終わらせているかどうかを確認しました」
「はあ・・・」
「それは、取引先の人物に会う仕事だったんですが、Bさんは、『ああ、終わりましたよ。 いちいち、飯を喰っているところにまで、確認しに来ないで下さいよ』と、迷惑そうに答えました」
「はあ・・・」

  なかなか、話が、自分に関係して来ないので、A氏は、機械的に相槌を打っていた。

「営業部長は、更に念を押して、『昨日の内に、○○社のCさんに会ったんだな』と、問い質したところ、Bさんは、『会いました、会いました。 そこの通りにある喫茶店で。 なあ、お前もその時、近くの席にいたよなあ?』と、あなたに、話を振って来ました」
「えっ! 私にですか? そんな事があったかな?」
「あったんです。 あなたは、ちょっと考えてから、『ああ、はいはい、会ってましたよ』と答えています」
「私がですか? 全然、覚えていません」
「当時、食堂にいた、別の人が、そう証言しています。 その人は、営業3課で、Bさんの部下だったのです。 自分の仕事に関係がある話だったから、注意して聞いていたんだそうです」
「それで、私が、そう答えたのが、どうしたんですか?」

  人事部門の担当者は、少し間を置いてから、残念そうに、答えた。

「Bさんが、喫茶店で、○○社のCさんに会ったというのは、嘘でした。 しかも、何か考えがあって、ついた嘘ではなく、その場から、営業部長を追っ払う為の、口から出任せだったんです」
「・・・・・」
「ところが、あなたが、その嘘の証人になってしまった事で、営業部長は、Bさんの言葉を信じざるを得なくなり、○○社のCさんへ、確認をしませんでした」
「・・・・・」
「その結果、ある大きな取引を、ライバル社に取られる事になりました。 営業部が見つけて来た仕事ですが、有望そうだったので、担当責任者が、重役に切りかえられる直前の事でした」

  A氏は、絶句した。 自分が昇進できなかった理由は、誰かの嫌がらせかと思っていたのだが、全然、違っていたのだ。 Bさんて、誰だ? 営業の課長? 知らない。 ××年というと、入社3年目か。 他の部署の、しかも上役とのつきあいなんて、普通、ないだろう?

「営業部長は、取引がポシャった後になって、○○社のCさんから事情を聞いて、Bさんが嘘をついた事を知りました。 Bさんは、よく言えば、自由な人、悪く言えば、気ままな人で、自分が興味がある仕事は、夢中でやるけれど、そうでないと、先延ばしにしたり、部下に丸投げしたりして、なかなか、手をつけようとしない人でした。 その仕事は、他の者が見つけて来たものだったから、興味が湧かなかったようです。 ○○社のCさんと会う予定だった日には、『外回りに行ってくる』と言って、半日、会社にいなくて、知人の話では、どうやら、新しく買う予定の車を見に、ディーラーへ行っていたらしいです」
「なんて、いい加減な! そんな人が、課長をやっていたんですか!」
「Bさんは、譴責・減給の処分に留まらず、損失が明らかになった後で、懲戒解雇になりました」
「・・・・・」
「それで、Aさん、あなたですが、あなたが嘘の証言をした事は明々白々で、あなたの責任も追及すべきだという意見が、重役会議で出ました」

  A氏は、だくだくと、冷や汗を流し始めた。

「もし、あなたが、Bさんの嘘を裏付けるような事を言わなければ、営業部長は、○○社のCさんに連絡して、取引を纏める事ができたかもしれないからです」
「しかし、それは、可能性の・・・」
「そうです。 可能性の問題に過ぎません。 だから、あなたのところまで、追求が行かなかったのです」
「それも、逆でしょう? そんなに大ごとになったのなら、私に問い質しに来るのが、筋ではないですか? 話してくれれば、私だって、20年以上も、昇進しない事に悩まずに済んだのに・・・」
「総務部長と、あなたの上司の課長は、呼び出されています。 重役の一人が、あなたの事を、『とんでもない嘘つきだ!』と罵ったのを、その二人は、『いいえ、至って、真面目な男です』と庇ったそうです」
「・・・・・」
「あなたに嘘をつかれた本人である営業部長も、あなたの事は知らなかったけれど、Bさんの方を良く知っていたので、『Bの奴、たぶん、その場をごまかす為に、よその部署の若いのを巻き込んだんでしょう。 話を合わせるように、目配せでもしたんじゃないですかね』と言ったそうです。 その結果、あなたには、咎めがなかったわけですが、もし、責任を追及されていたら、Bさん同様、いずれ、懲戒解雇だったでしょう。 そちらの方が、良かったですか?」
「・・・・・」
「というわけです。 一度、そういう問題に悪い役どころで関わってしまうと、なかなか、昇進は難しくなるという事でして・・・」
「・・・・・」
「ご納得いただけましたか?」


  A氏は、ショックが大きくて、ボーッとしていたが、ふと、テーブルの上に視線を落とすと、人事担当者の持って来た書類が広げられていて、その一枚に、小さな顔写真が貼ってあるのが目にとまった。 B氏の名前が書いてあるから、恐らく、履歴書なのだろう。 若い頃の写真で、すぐには分からなかったが、「この顔が、歳をとったら、どうなるのだろう」と、想像を膨らませて行ったら、突然、記憶が蘇った。

「ああっ! Bさんて、あのBさんですか!」
「思い出されましたか」

  ありふれた苗字だから、顔と結びつかなかったのだ。 しょっちゅう、他の部署に顔を出し、知り合いを見つけては、世間話をして行く男だったのである。 A氏より、一回りくらい年上で、A氏の職場に来ては、同期の課長らと、長々と話し込んで行くのだった。 一度、自動販売機で、缶コーヒーを奢ってもらった事があり、太っ腹な人という、いい印象があった。

  少し年長の先輩達には、B氏の評判は悪かった。

「あんなの、何しに会社に来てるのか分からない」
「でも、仕事はできるんでしょ」
「そんなの、大昔の話だ。 二つ三つ、大口の取引を纏めただけで、その功績を、10年以上経っても、看板にしているんだ」

  しかし、A氏の目には、B氏は、キレ者に見えた。 花形営業マンだと思っていた。 飄々として、社内を闊歩している様子が、カッコよく見えた。 地味な仕事しかできない自分にないものを、B氏がもっているように思えて、秘かに、敬意と憧憬、羨望を抱いていた。

  そうだ、思い出した! あの時、食堂で、確かに、B氏から、目配せされた。 話を合わせてくれという合図だと思い、テキトーに合わせた。 B氏から、秘密を共有する仲間のように扱われて、嬉しかった事もあるが、B氏は出世しそうだから、ここで貸しを作っておけば、後々、自分に有利になるだろうと、打算をした事の方が大きかった。 そんな重要な取引に関わる事とは、想像もしなかった。 あの時の相手の男は、営業部長だったのか。 知らない人だったから、気にもしなかった。

  すっかり思い出した! なぜ、忘れていたのか? それは、その後、B氏が社内から姿を消してしまったからだ。 懲戒解雇になっていたとは知らなかった。 なんて、下らない事をしたのだろう! 出世しそうどころか、クビになるような奴を助けて、自分の信用を失墜させてしまったとは・・・。

「それで、Bさんは、その後、どうなったんでしょう?」
「それは、分かりません。 解雇された人のその後を、会社が調べる事はありませんから」

  しばらく、無言の時間が続いた。 ほんの、1分程度だったが、A氏には、無限の時のように長く感じられた。 やがて、A氏が、恐る恐る、最後の質問を口にした。

「あのう・・・、その事件の時の、会社の損失は、どのくらいだったんですか?」
「取引を纏めたライバル社は、その事業で、年間2億円以上の利益を上げるようになりました。 もっとも、商品が陳腐化するまでの、4年間くらいですが。 つまり、ざっと計算して、8億円くらいですかね」
「あ・・・、う・・・・」

  A氏が、今までに、会社からもらった給与・賞与を全部合わせても、1億円にもならない。 それは、労働の対価だから、差し引きゼロとして、つまるところ、A氏は、責任が半分としても、4億円の損害を与える為に、この会社に勤めていた事になる。 A氏は、俄かに、震え上がった。 リストラ解雇宣告に一矢報いるどころの話ではなく、一刻も早く、会社から逃げ出したくなったのだ。 調べてくれた事に礼を言って、そそくさと、応接室を後にした。

  A氏は、遅れ馳せながら、大きな教訓を得た。 「よく知らない奴を、その場のノリや、下司な打算で、庇ったりするものではない」という教訓を。 退職後は、姻戚の製材所に雇ってもらい、慣れない肉体労働に苦労しながらも、何とか、家族を養っている。


  歳月を遡って、懲戒解雇された後のB氏だが、仕事上の知人を頼って、他の会社に潜り込もうとしたものの、全て、断られた。 「懲戒解雇者は、まずい」と、どの会社でも、思ったのだ。 それまで、世の中をナメきって生きて来たB氏は、「自分には実力があるから、その気になれば、どんな仕事でも、うまくやれる」と思っていたのだが、雇ってもらえないのでは、実力を発揮しようがない。

  懲戒解雇された後、妻子と別居・離婚し、一人暮らしになった。 その後、夜の世界で、用心棒のような仕事をしていたという噂もあるが、詳細は不明だ。