2022/05/22

実話風小説④ 【男なら】

  「実話風小説」の四作目です。 普通の小説との違いは、情景描写や心理描写を最小限にして、文字通り、新聞や雑誌の記事のような、実話風の文体で書いてあるという事です。 前回で、在庫が払底したのですが、その後、書きましたよ、一本。 こんな、しょーもない小説。




【男なら】

  A夫妻。 夫が、大企業の重役を勤めていた関係で、裕福な生活をして来た。 その夫が、「引退後は、静かな環境で余生を送りたい」と言い出した。 妻の方は、あまり乗り気でなかったが、夫の収入に全面的に頼って暮らして来た手前、異議を唱えられる立場ではなかった。 A夫妻は、山の中に土地を買い、洒落た家を建て、引退と同時に移り住んだ。 街なかに住んでいた頃から、住み込みの使用人夫婦がいて、その二人も一緒に、山の家に移った。

  一応、地域社会に属していたが、他の住人とのつきあいは、ほとんど、なかった。 家が、集落から離れた山奥にある事もあったが、もっと大きな理由は、「田舎の人間とは、話が合わない」というものだった。 といって、対立しているわけではなく、町内会の活動には、専ら、夫の方が顔を出していた。

  妻は、街なかに住んでいた頃の友人・知人と 交際を続けていたが、歳を取るにつれ、実際に顔を合わせる機会は減っていった。 夫が、高齢で車の運転ができなくなると、決まった仕事がある使用人を運転手代わりに使うのも気が引けるし、タクシーを呼んでまで、つきあいの為に出かけて行く事はなくなってしまったのだ。

  やがて、夫が病に伏し、先に他界した。 引退後、10年生きて、75歳だった。 ちなみに、妻は、2歳年下である。 夫が死んだ時点で、山で暮らす理由はなくなっていたが、街の家は売ってしまっていたし、山の家を建てるのに、夫の退職金のほとんどを使っていたので、今から街に戻るのは、経済事情的に、無理だった。

  夫が死んで、2年後、今度は、使用人の夫の方が、交通事故で、死亡した。 家政婦を務めていた妻の方が、車の運転ができたので、食料品や生活必需品の買い出しは続けられたが、男手がいなくなってしまったせいで、生活は俄かに不便になった。


  やはり、山の中だが、A家から、400メートルほど離れた所に、昔からの農家があった。 何十年も空き家だったのが、元の住人の一人、Bさんが、引退後、土弄りがしたいと思い立って、戻って来た。 廃屋だったのを、素人大工で手を入れて、住めるようにした。 

  家の方が、ほぼ完成し、畑の方の手入れに取り組んでいた、ある日の昼下がり。 畑の隅に、人が立っているのに気づき、Bさんは、ギョッとした。 もう、そこそこ高齢の女で、村内では見覚えがなく、初めて会う顔だ。 女は、A家の家政婦だと名乗った。 Bさんは、A家の事は、村の知り合いから聞いて知っていたが、自分は、子供の頃から、20歳過ぎるまで、この家に住んでいたので、村の中では、先住者だと思い、自分の方から挨拶には行ってなかった。

  何の用かと訊くと、A家まで来て欲しいとの事だった。 Bさんの服が、畑仕事で汚れているのを、ジロジロ見て、「少し綺麗な格好で来てくださいね」と付け加えた。 ニコリともせずに、それだけ言って、帰ってしまった。

  Bさんは、ご近所のお招きは、戻って来た直後から、ちょこちょこと受けていた。 A家は初めての人達だが、招かれて、行かないのも失礼だと思い、出かける事にした。 しかし、普通、そういう招待は、夕食を御馳走になるものだが、まだ、午後2時過ぎである。 赤の他人だから、食事よりも気軽な、3時のお茶に招くつもりなのだろうか?

  時間を確認しておけば良かったと思ったが、もう家政婦の姿はない。 電話番号も知らないし、まあ、いいか、そんなに遠いわけではないから、時間を訊きに行って、夕食の事だったら、また戻って、出直せばいい。 そう思って、こざっぱりした服に着替え、出かけて行った。

  10分ほど歩いて、A家に着いた。 山の中には似つかわしくない、洋風の大きな家である。 邸宅と言っても、おかしくはない。 玄関が開いていて、呼び鈴を押すと、家政婦が、奥から出て来た。 いらっしゃいと言うでもなく、無感情な目で、Bさんを見て、「こっちです」と、顎で方向を示し、スタスタ、入って行ってしまった。

  案内されたのは、洗面所で、天井灯の真下に、踏み台が置いてあった。 「電球が切れたんだけど、カバーが外れないの。 お願いしますね」と言う。 Bさんが、驚いていると、家政婦は、更に付け加えた。 「それが済んだら、浴室の洗い場に、デッキ・ブラシをかけてください。 終わったら、呼んでね。 他にも、外周りで、幾つか、やってもらいたい事があるから。 わたし、台所にいますからね」と。 これには、ますます、驚いた。

  人によっては、「女所帯で、困っているんだろう。 やってやればいいではないか」と思うかもしれない。 Bさんも、最初から、事情を説明してもらって、丁寧に頼まれれば、嫌がるような心の狭い人ではない。 問題は、話の持って行き方なのだ。 初対面の他人に向かって、下男でも使うような調子で、仕事を押し付けるとは、何事か。

  Bさんは、夕食か、3時のお茶の招待だと思っていたから、尚の事、落差が大きかった。 扱き使われる為に、自分の仕事を中断し、わざわざ着替えて、訪ねて来たわけではない。 かといって、激昂して、怒鳴りつけるのも、大人気ないと思い、思いっきり、ガッカリ落胆したという表情を作り、強い語気で言った。

「な~んだ~! そ~んな用事で呼びに来たんですか~! そういう事は、便利屋を頼んで下さい!」

  家政婦は、呆気に取られた顔をしている。 廊下の途中、居間らしき部屋から、顔を見せていた奥様が、帰ろうとするBさんに向かって、窘めるような口調で、声をかけた。

「あなた、男でしょ?」
「そうですよ」
「力仕事は、男の義務だって、親御さんに教わらなかった?」
「何言ってるんですか? 男である前に、他人ですよ。 あなた、常識がないんですか?」

  常識がないと言われて、奥様は、ぐっと詰まってしまった。 これまでの人生でも、友人達から、何度か言われた事がある言葉だったからだ。 頭に血が昇り、目眩がするほど、猛烈な怒りが湧いたが、相手が男なので、それ以上、事を荒立てる事に危険を感じて、何も言わなかった。 Bさんは、奥様を睨みつけながら、外へ出た。

  帰りしなに、庭の方に目をやると、苔が生えた屋外用のテーブルの上に、紙コップ、緑茶のティー・パック、古ぼけた魔法瓶、ラップをかけた小皿が、盆に載せて置いてあった。 小皿の中は、たくあんが3切れだった。 Bさんは、それを見て、ますます、腹が立ち、こんな家、二度と来るものかと心に誓いながら、大股で家路を急いだ。


  この一件、Bさんは、村内で会う人ごとに、喋り捲った。 聞いた人の反応は濃淡様々だったが、「あの家なら、やりそうな事だね」というのが、大方の意見だった。 地元の住民を、同じ人間として扱っていないと思われていたのである。 実際、そうだったのだが。

  町内会の用事で、A家を訪ねた人が、家政婦と話をした時、その一件の事が出た。 家政婦は、「ちゃんと、お礼をするつもりで、お茶を用意してましたよ」と言ったらしいが、Bさんの報告の方が詳しかったせいで、「わざわざ、着替えさせた上に、庭で、紙コップにティー・パックのお茶と、たくあんを出して、済ませようとしたらしい。 よっぽど、他人を汚いと思ってるんだろう」と語り合われてしまった。


  Aの奥様、生まれ育ちが良くて、資産家のお嬢様として、娘時代を過ごし、その後、高収入の夫と結婚したので、常に、家の中には、使用人がおり、力仕事や汚れ仕事をしてくれる、男手がいた。 そのせいで、下層階級の男というのは、使用人だろうが、他人だろうが、そういう仕事をするものだと、勘違いしていたのである。

  家政婦も家政婦で、何十年も、同じ家に住み込みで働いている内に、すっかり、井の中の蛙になってしまい、奥様の考え方に毒されて、常識を見失ってしまっていたのだ。 でなければ、もう少し、頼みようがあったろうに・・・。 この世で一番偉いのは、奥様。 二番目が、自分。 それ以外の者は、自分達の命令をきくのが、当たり前、と思っていたのだろう。


  この話を聞いて、「Bの奴は、プライドが高過ぎるんだよ。 俺が、Aさんを助けてやる」と、自分から出向いた男がいた。 A家では、一応、歓迎されたが、さんざん、3K仕事をさせられた挙句、やはり、庭で、紙コップにティー・パックのお茶と、たくあんを出されて、なんだか、馬鹿馬鹿しくなってしまい、二度と行かなかった。 電話番号を教えて来なかったのは、幸いだった。 もし、教えていたら、A家に、べったり頼られて、扱き使われ続けたに違いない。


  その後の奥様。 村内で評判が悪くなった事を知り、家を売ろうとしたが、交通不便な立地の割に、希望売却価格が高過ぎて、なかなか売れず、痺れを切らして、実家へ戻った。 ところが、実家は、とっくに零落していて、使用人を雇う余裕もなかった。 弟の息子の嫁が、まだ体が動く奥様に、家事を手伝ってくれと頼んだが、頑として聞かず、死ぬまで、有閑生活を押し通した。 現実問題として、何もできない人だったのである。

  奥様の家政婦は、その後どうなったのか、消息が分からない。 家政婦以外に仕事をした経験がない人だったが、奥様の影響で、すっかり、他人を見下す高慢な性格になってしまっており、よその家に行って、勤まったとも思えないのである。