2022/05/08

寝たきりの母 (後編)

  2月に、母が寝たきりになった時の記録。 今回は、その後編です。 日記ブログの方に出した記事から移植し、関係ない部分を消して、出します。 今回で終わり。




【2022/02/17 木】
  母の様態。 今日は、ベッドから起き上がるのに、さほど、痛みを感じていないように見えました。 ただ、起き上がり方を工夫しただけなのかも知れませんが。 炊き込みご飯がおいしかったとの事。 それは、結構。 しかし、まだまだ、快方に転じたとは、思えません。



【2022/02/18 金】
  金曜なので、部屋の拭き掃除、掃除機かけ、外掃除、亀の水換え。

  母の部屋は、以前は、無人状態で掃除していたのが、今は有人で、動かせないものもあるので、できるところだけ、やっています。 掃除の間だけ、窓を開けました。 閉めっきりでは、結核になってしまいます。



【2022/02/20 日】
  朝一、一人で車で、近所のスーパーへ買い出し。 12日以来なので、ごっそり買わざるを得ず、レジ袋5.5個分になりました。 それでも、買い忘れあり。 まあ、私だけが食べる物は、なくても、何とかなりますが。

  昼飯に、惣菜稲荷を母に出したら、心太を食べると言い出し、稲荷は要らないとの事。 稲荷があるから、お吸い物を付けたのに、心太では、お吸い物は不要ですから、当然の如く、残されてしまいました。 捨てるしかありません。

  これだから、介護は、嫌なのです。 介護される側は、まるで、召し使いでも使っているような気分になり、自分の望みが何でも叶えてもらえると勘違いする傾向があります。 そんな事はないんだわ。 介護されているというだけでも、介護する人間に迷惑をかけているのだから、出されたものを、黙って食べるしかないんだわ。

  どうしても食べたい物があったら、次の機会に頼めばいいんだわ。 もう、他の物を持って来ているのに、それを拒絶して、自分の食べたいもの要求するなんて、とんでもない、心得違いなんだわ。 そういう事を、一度、はっきり言ってやらんと、分からんようです。 一体、何様のつもりなのだ。



【2022/02/21 月】
  母ですが、朝食は、自室で食べました。 その時、「昼は、下で食べる」と言い出しました。 「そんな事を言っていても、どうせ、階段を下りる気にならずに、撤回するだろう」と思っていたのですが、なんと、私が昼飯の仕度をしていたら、本当に下りて来ました。 突然、背後にいたのに気づいたので、驚いた戦いた。

  で、昼食の生ラーメンと、夕飯のマグロ刺身は、食卓で食べました。 普段、母は、メインの料理だけ食べて、常備菜には、ほとんど、手を着けません。 私が、少量ずつ皿に盛って運んだ方が、却って、栄養バランスがいいのですが、まあ、それはさておき・・・。 僅かでも、快方に向かってくれたのは、嬉しい事です。

  しかし、若い者と違い、高齢者の回復は、一時的なものである事も、承知しています。 体全体にガタが来ているのだから、本復など、望むべくもないのです。 少しずつ、健康状態のレベルが落ちていって、最後には、死を迎えるのです。 これは、誰でも避け難い。

  母の場合、糖尿病と心臓病の薬を飲んで、命を保っているようなものでして、もし、医薬がなかったら、5年以上前に死んでいたでしょう。 今、生きているのが、奇跡なんですな。

  久しぶりに、一階へ下りて来て、やった事が、仏壇の供え菓子の賞味期限チェックで、うなぎパイの包装を破って、「食え」と言わんばかりに、炬燵の上に置いていきました。 2週間も下りて来ず、私に食事の用意と運搬をさせていた癖に、まだ、食物の支配権に執着があるんですな。

  ところで、下りて来たのは、食事の時だけで、それが済むと、また自室へ戻って、横になっていました。 しばらくは、そのパターンが続くものと思われます。



【2022/02/22 火】
  母ですが、朝昼晩三食、一階に下りて来て、食卓で食べました。 しかし、必ずしも、私が楽になったわけではなく、元の生活には、ほど遠いです。

  感染予防策として、もう、だいぶ前から、トイレを分けて使っています。 昼間は、母が一階、私が二階。 夜は、その逆。 それが、母が自室に籠ってから、昼夜に関係なく、母が二階、私が一階に固定してしまいました。 一階のトイレには、ウォシュレットがないので、かなり、辛い。 早く、元のパターンに戻りたいのですが、いつになる事やら。

  母が自室に籠っていた二週間、私が、どんな生活をしていたか、毎日つけているカレンダー・メモを見返してみたのですが、書いてある内容が大雑把過ぎて、ピンと来ません。 とにかく、瞬く間に過ぎたという感じです。 介護とは、そういうものらしい。 自分の時間など、感じられないほど、介護される側中心の生活になってしまうのです。 そんな生活を、何年も続けている人も存在するのだから、恐ろしい事です。

  ところで、母の様態ですが、最悪の時よりは、痛みがだいぶ、減ったとの事。 左腕の使い方次第で、時々、左胸が、ズキンと痛くなると言っています。

  骨にヒビが入っているとしたら、ギプスなしの二週間くらいで、そこまで回復するのか、首を傾げるところ。 はたまた、新型肺炎で、峠を過ぎて、治って来たのかも知れませんが、それにしては、症状が、デルタともオミクロンとも違い過ぎていて、納得し難いです。

  2月25日に、糖尿病の方の医院へ、また行きますが、詳しく調べてくれるかどうか。 レントゲンだけでも撮ってくれれば、骨の状態は分かるわけですが、肋骨のヒビだと、撮る角度によっては写らないから、医院の設備では分からないかも知れませんねえ。



【2022/02/23 水】
  母ですが、昨日と同様、食事の時だけ、下に下りて来て、それ以外の時間は、自室で横になって過ごしています。 朝だけは、居間に座って、新聞の番組欄の確認や、血圧の計測などをしますが、それも、20分くらいで引き揚げます。 居間のテレビを見る事はしません。

  会話は、食事の時だけになりました。 母は、まだ生きているのに、一人暮らしをしているような侘しさになっています。 しかし、よく考えてみると、不調になる前から、母は、居間では、ほとんど、喋らなくなっていました。 テレビを見ていても、眠っている時間の方が、遥かに多かったのです。

  こういう言い方が許されるなら、母はすでに、3割くらい、死んでいたと言ってもいいでしょう。 去年11月下旬以降、食事の仕度をしなくなって、4割死に、今年の2月上旬以降、自室に籠って、6割死に、今週から、食事だけ下でするようになって、少し持ち直し、現在、5割というところでしょうか。 頭は、まだ、はっきりしているんですがね。



【2022/02/24 木】
  昼飯に、個別すき焼きの残りで、他人丼を作りました。 ようやく、コツが分かって、いい具合に、溶き卵を固まらせる事ができました。

  ところが、下りて来た母が、腹の調子が悪いと言って、1階のトイレに籠ってしまいました。 やむなく、一人で食べて、茶碗を洗い、金柑を煮て、煮終わった頃に、ようやく、母が出て来ました。 よく、一時間も座っていられるものです。 やはり、母は、いろんな意味で壊れていますなあ。

  少し良くなると、「このまま、徐々に良くなって行って、いずれは、元の生活に戻る」と期待してしまうのですが、それは、若い者の話でして、高齢者の場合、そうはなりません。 リハビリも、若年向けと、高齢者では、目標が違います。 高齢者のリハビリは、元に戻すのではなく、限定的な能力の回復だけを目指します。 たとえば、「トイレまでは、自力で歩けるようにする」とか。 それだけでも、介護する側が、大変、楽になるからです。

  母は、自発的なリハビリなど、全くしない人ですし、どうせ、私の言う事なんか聞きませんから、なるに任せるしかありません。 「親が要介護になったら、運動させて、リハビリさせて、健康寿命を目いっぱい延ばしてやろう」などと、夢想している人も多いと思いますが、まあ、実際にやってみれば、事前に計画していた事が、何一つ実行できないと分かって、愕然・呆然とすると思います。

  そもそも、子の指図に従って、運動するような人なら、自分からしてますって。 そういう自信家の親が、この世で最も小馬鹿にしているのは、自分の子でして、言葉通り、いつまでも、子供レベルの知識・判断力しかないと決め付けているのです。 子が、「少しは、運動しろ」、「せめて、体操しろ」などと言っても、鼻で笑って、真面目に受け取りません。 それでいて、体が動かなくなると、子を顎で使って介護させるのだから、ふざけた話。

  夕飯は、レトルト角煮。 柔らかくて、うまいのですが、量が少ないのが残念。 箸で切れるので、母も食べていました。



【2022/02/25 金】
  金曜なので、部屋の拭き掃除、掃除機かけ、亀の水換え。 途中、外掃除。 車の埃取り・ガラス拭き。 母の部屋の拭き掃除だけ、昼飯の後にやりました。 無人の方がやり易いので。

  午後2時50分頃に、母を、糖尿病の医院へ送って行きました。 一度、家に戻って来て、30分後に、また医院の駐車場へ。 そこで、1時間以上、待ちました。 予約制とは、とても思えない。 家に戻ってから、母に、医師がどう言っていたか訊いたら、別に、胸の痛みについては、何も言われなかったとの事。 レントゲンも撮らなかったそうです。 骨折だとは思っていないという事でしょうか。

  母は、昼食の後、17日ぶりに入浴し、医院へ行っている間を別にして、夜7時前まで、ずっと、居間にいました。 二階の自室に上がるのが大変だからですが、母が、食後の団欒で、居間にいる姿を見る事は、二度とないと思っていたので、私としては、感無量でした。 「このまま、治ってくれたらいいなあ」と、心底、思いましたっけ。

  骨折にしては、回復が早過ぎるので、やはり、新型肺炎だったんでしょうか。 そして、自力で治して、峠を越えたと。 ちなみに、糖尿病の医院でも、心臓の病院でも、新型肺炎の検査は、一度もしていません。 症状が、普通に見られるものと、だいぶ違うので、疑いを持たれていないのでしょう。

  しかし、突如、不調になるというのは、何かしら、流行病に罹ったと考えるのが、一番、納得し易いのです。 そして、このタイミングでは、新型肺炎以外に考えられません。 母が感染していたとなれば、私にも感染した可能性が高いですが、自覚症状は全くないから、無症状という事になります。 母が発症してから、18日も経っているので、私に感染したとしても、すでに、治っているとみた方が良いでしょう。

  ただし、これらは、全て、仮定の話です。 本当に、感染していたかどうかは、抗体検査をしてみなければ、分かりません。



【2022/02/26 土】
  自分のと、母の布団を干しました。 母の布団は、月末に一回しか干さないから、久しぶりという事ではありませんが、17日間も寝たきりだったから、湿気を飛ばしたのは、久しぶりという事になります。

  母は、朝食後、居間に座り、一日中、居間にいました。 2月8日以来です。 こんな日が戻るとは、思っていませんでした。 大人になってから、一番、嬉しい日です。 神様、ご先祖様、シュン、ありがとう。 お母ちゃん、治ったよう。 一生懸命、世話した甲斐があったよう。

  ちなみに、大人になってから、嬉しかった日の二番目は、母が、食事だけ下に下りて来られるようになった、21日(月)です。 一度失われたものが、復元したというのは、奇跡以外の何ものでもないと感じられます。

  だけど、だけど、私は知っています。 これが、一時的なものである事を。 高齢者の回復は、惑星の動きのように、見せかけなのです。 健康状態の悪化が止まるわけではありません。 でも、それが分かっていても、今日は、とても、とても、嬉しい日でした。

  ところで、子供の頃で一番嬉しかったというと、私が小学校低学年くらいの頃、母が胆石の手術で入院して、しばらく家にいなかったのが、ある日、家に帰ったら、戻っていた母が庭にいて、それを見つけた時ですかね。 母親の貴重さは、際立っていますな。



【2022/02/27 日】
  母は、ほぼ、2月7日以前の状態に戻りました。 夕飯前に、卵焼きと、里芋の煮物まで作ってくれました。 つい、三日前まで、ほとんど、横になって過ごしていた事を思うと、驚くべき回復ぶり。 やはり、原因が新型肺炎で、それが治ったから、戻ったんですかねえ。 不思議だ。

  入浴も毎晩に。 17日間、入らないでいられた人が、急に毎日入るようになるのは、どういう衛生基準なのか、私には、測り兼ねます。 とにかく、元気になってくれて、良かった。


≪鑓の権三≫ 1986年 日本
  近松門左衛門の浄瑠璃が原作。 篠田正浩監督の時代絵巻映画。 出演は、岩下志麻、郷ひろみ、火野正平、田中美佐子。 最初にテレビ放送した時に見たのですが、それからでも、もう、30年以上は経っていると思います。

  映像美に優れているという点では、日本の時代劇映画で、随一の作品。 黒澤明監督の映画より、上です。 しかし、面白いかというと、ちと、難があります。 人形浄瑠璃が原作ですから、話の進みが遅いのは、致し方ないとしても、やはり、見ていて、ダレます。 中盤で、川側伴之丞を討ち取る場面に、斬り合いを入れれば、少しは、緊張が続いたと思うんですが。

  時代劇を見慣れていれば、この作品が、とてつもなく、高品質で、今となっては、貴重な文化遺産である事が分かるのですが、現在、50歳以下という年代の人達は、分かる以前に、眠ってしまうでしょうねえ。




  日記からの移植は、以上です。

  なんで、最後に、≪鑓の権三≫の感想が書いてあるのかというと、2月26日に、居間に復帰した母と、録画してあった、≪鑓の権三≫を一緒に見たからです。 母は、≪こころ旅≫のファンなので、火野正平さんが出演するドラマや映画は、積極的に見るのです。 寝たきりが続いていた頃には、母と居間で、テレビを見る事は、二度とあるまいと思っていたので、感無量でした。 で、その感想を書いて、翌日の日付で、日記ブログにアップしたわけです。


  母の寝たきりは、単に、母だけの問題ではなく、介護をする私にとっても、大問題でした。 私は、人の面倒をみるのが好きなタイプでは全くないので、介護の喜びなんか、微塵も感じません。 まず、2015年に、柴犬シュンの介護で、何ヵ月もの間、夜中、起きていなければならない、辛い日々を経験し、2016年には、父の介護で、正味一ヵ月ですが、うんざりするような、嫌な思いをしました。

  正直言って、もう、介護は勘弁して欲しいのです。 どうせ、私が要介護になった時には、誰も介護してくれないのが分かっているわけですから。 不公平だよな。 世の中には、自分は誰の介護もせずに、介護されるだけで死んで行く人もいるのに、一方で、一人で何人もの介護をしなければならないケースがあるなんて。


  介護は、経験してみれば分かりますが、要介護者が、トイレに自力で行けるかどうかが、大きな分かれ目になります。 自力で行けなければ、トイレのたびに、起こして肩を貸して歩かせる。 もしくは、小なら尿瓶。 もしくは、紙オムツを着けなければなりません。 風呂は、2週間入らなくても、死にはしませんが、排泄だけは、どうしても、やらなければならないのです。

  よく、「親が要介護になったから、実家に戻って、働きながら、介護している」というセリフを耳にすると思いますが、要介護者が、自力でトイレに行けるなら、そういう介護も可能。 また、介護者が家でできる仕事をしているのなら、可能。 どちらにも該当しないのなら、「働きながら、介護」なんかできるわけがないです。 紙オムツを着けさせて、自分が働きに出ている間、要介護者に、糞尿まみれで待っていてもらうわけにも行きますまい。

  ちなみに、大便に関しては、紙オムツでの対応は、無理があります。 気持ちが悪くて、本人が、紙オムツごと外して、床や畳の上に放り出してしまうので、帰って来た介護者の片付け仕事は、数倍に膨れ上がります。 実際、その現場を目にすると、どんな人でも、ショックで、物が言えないと思います。 そして、否が応でも、片付けなければなりません。

  小であっても、必ず、紙オムツからの漏れが起こるので、眠っている間に出してしまった場合、毎回、敷布を洗い、布団を干さなければなりません。 私は、父の時、数日おきでしたが、朝食前に、それをやっていました。 正味一ヵ月で終わったからいいようなものの、あれが何年も続いたら、あまりの負担の大きさに、こちらが廃人になってしまった事でしょう。

  そういや、「若い世代を、もっと、介護職に・・・」なんて、考えなしに口にする政治家がいますが、介護は、将来に夢も希望もある若者にやらせるような事ではないです。 介護が、看護と決定的に違うのは、いくら献身的に世話をしても、治らないという事ですな。 毎日のように、要介護者から、「ありがとう」と言われても、結局、先に待っているのは、死です。 割いた時間と、投入したエネルギーが、全く回収できないのは、虚しいばかりですわ。

  ちなみに、「ありがとう」と口にはしていても、それは、社交辞令でして、要介護者が、満足しているわけではないです。 世話になっている身なので、言っておいた方がいいと思うから、言っているだけ。 介護する側にしてみれば、「自分が、一生懸命、介護したお陰で、要介護者は、安らかな日々を送れたはずだ」と思いたいところですが、介護されて生きている人が、絶対的な安らかさを感じる事はないです。 「糞尿まみれよりは、綺麗な状態にしてもらった方が、マシ」という、相対的な安らかさなら、感じると思いますけど。

  誰でも、できる事なら、介護なんかされず、自分の事は自分でやれる方が、幸せです。