2022/02/27

EN125-2Aでプチ・ツーリング (29)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、29回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年1月分。





【伊豆の国市奈古谷・奈胡谷神社①】

  2022年1月5日に、バイクで、伊豆の国市、奈古谷にある、「奈胡谷神社」へ行って来ました。 地名と神社名で、「古」と「胡」の字が違っています。 「なごや」や、「ねごや」といった地名は、あちこちにありますが、元は、どんな意味だったんでしょうねえ。

≪写真1≫
  南側の参道から。 標柱に、「延喜式内 奈胡谷神社」とあります。 行く前も、行っている間も、村社だとばかり思っていました。 家に帰って、この写真を見て、ようやく、延喜式内に気づいた次第。 道理で、あれこれ、立派なわけだ。

≪写真2左≫
  参道の傍らに設置されている、「塞の神」。 道祖神ですな。 最初から、こんな場所に置く事はないので、区画整理などが理由で、よそから持って来られたのでしょう。

≪写真2右≫
  参道。 石燈籠が二組。 手前は、六角。 奥は、四角。 どちらも、割と新しい物。

≪写真3≫
  社殿。 拝殿と本殿が、廊下で繋がっている形式。 屋根は、トタン/ブリキ葺き。 神社の格に似つかわしくないので、もしかしたら、檜皮葺きを、金属板で覆ってあるのかも知れません。 それにしても、えらく凝った細工です。 トタン/ブリキ職人にも、宮大工に相当する人達がいるんでしょうか。

  正面が真っ暗になっているのは、逆光ではなく、鎮守の森の背が高いので、陰になっているからです。 拝殿前に、賽銭箱はありません。 中にあるのかも知れませんが、確かめて来ませんでした。 左の白い建物は、倉庫のようです。

≪写真4左≫
  狛犬。 というか、戦後型の獅子。 平成10年とありました。 なるほど、造形が新しいわけだ。 これに、もう一押しすると、ファニーが入って来ます。

≪写真4右≫
  狛犬の台座裏に、「狛犬のいわれ」を記してありました。 親切だ。 こんなの、他の神社では、見た事がありません。 この写真サイズでも、何とか読めると思うので、興味がある方は、どうぞ。




【伊豆の国市奈古谷・奈胡谷神社②】

≪写真1≫
  一見、主社殿のように見えますが、これだけ立派でも、境内別社です。 何の神なのかは、不明。

≪写真2左≫
  東側の入口にも、鳥居が立っていました。 脇口用にしては、立派なもの。

≪写真2右≫
  これは、主社殿の側面。 奥側から撮りました。 壁は、木の板です。 本殿の側面に、連子窓があります。 という事は、普段、中は、真っ暗ですな。

≪写真3左≫
  手水舎。 屋根は、ブリキ/トタン。 これも、その下は、檜皮葺きなのかも。 正月なので、注連縄が新しいです。

≪写真3中≫
  漱盤。 堂々たる大きさの自然石を、刳り抜いた物。 昭和46年に寄進されたようです。 正面に、「浄」と彫ってあります。

  塩ビ・パイプから、水が出るようになっていますが、ハンドルが見えません。 下の方にあるのでしょう。 それでは、「ちょっと来て、参拝の前に、手を洗って・・・」というわけには行きませんな。 しかし、水周りは、水道代がかかる事もあり、いつでも、水を使える状態にしておけない事情があるのでしょう。

≪写真3右≫
  境内にあった、二宮金次郎の石像。 割と新しいので、どこかで要らなくなったものを引き取ったのではなく、ここに設置する為に、買ったのだと思います。 しかし、神社に、二宮金次郎像は、ちと、遠い感じがしますねえ。

≪写真4左≫
  植え込みが、綺麗に整備されている境内でした。 植え込みの境界の石の上に、木製のベンチが設置されていました。 さりげなくて、良いですな。

≪写真4右≫
  ゴミ箱。 うーむ・・・、ゴミ箱が置いてある神社は、初めてです。 サービス精神に溢れていますねえ。 それとも、境内を汚さないという、神への配慮でしょうか。 これが、延喜式内の矜持というものなのか。

≪写真5≫
  西側入口に停めた、EN125-2A・鋭爽。 左右は、畑です。 停めやすい所があって、良かった。

  正式な入り口は、南側ですが、函南町役場の方から、畑毛温泉を通る道を南下して来て、鎮守の森を目印に、北側の道路から近づき、西側に回り込んで、ここへ来た方が、迷いません。 別に、駐車場というわけではないと思うので、ここへ停めよとは言いませんが。

  道路の向こうに見えるのは、畑を潰した作った、太陽光発電所のようです。




【函南町・函南神社①】

  2022年1月12日に、バイクで、函南町の、「函南神社」に行って来ました。 去年、つまり、2021年の3月15日に、第二目的地にして出かけ、第一、第二、ともに見つけられず、近くの畑の祠で、お茶を濁した後、復路で、場所だけ分かったものの、寄らずに帰って来た所。 今回は、場所が分かっているから、確実に到着しました。

≪写真1≫
  熱函道路へ上がる道から、函南駅の方へ向かう道に入り、富士山を撮影。 この道は、山の中腹を通っているから、富士の眺望が、大変、良いです。 左側に見えるのは、愛鷹山。 太古には、富士山と同じような積層火山だったと思うと、その大きさが偲ばれます。

≪写真2左≫
  駅に向かう道路から、一段上の道路に、坂で上がると、函南神社の前に出ます。 参道はなくて、石段だけ。 石段と言っても、コンクリートで覆われています。 石燈籠が、石段の手前にある形式。

≪写真2右≫
  解説板。 どうやら、古い神社ではなく、昭和27年(1952年)に、この区域の住民が、新たに造ったもののようです。 祭神は、「富士浅間本宮」から分けた、木花開那姫命との事。

≪写真3左≫
  鳥居。 見るからに、明らかに、仮設。

≪写真3右≫
  足下を見ると、元の鳥居の痕跡がありました。 壊れてしまったんでしょうね。

≪写真4≫
  社殿。 写っているのは、拝殿です。 木造・漆喰壁・瓦葺き。 まだ、戦後間もない頃だから、昭和戦前の流行が残っていて、瓦葺きになったんでしょうか。 正面に、賽銭箱あり。

  境内は、写っている部分で、全体の8割くらい。 お世辞にも広くはないですが、地形を見ると、よくぞ、これだけの面積を、平らにしたものと思います。 




【函南町・函南神社②】

≪写真1≫
  拝殿の側面。 サッシが入っていたり、今風の通気口があったり、割と最近、修理されものと見受けられます。 なぜ、その時、鳥居を直さなかったのだろう? 社殿を直した後で、鳥居が壊れたんでしょうか?

≪写真2左≫
  本殿。 拝殿と本殿が、完全に、分離しています。 駿東地域では、こういう形式は珍しくて、ほとんどは、廊下で繋がれています。 稀に、木製の階段だけという所があります。 ここも、コンクリートで、段を造ってあるにはあります。

  本殿側面に、柱が一本、外付けになっているのも、興味深い。 たぶん、向こう側にもあるのでしょう。 「神明造り」なんでしょうな。 だから、拝殿と繋ぐ廊下がないのかも知れません。

≪写真2右≫
  手水場。 蛇口あり、ハンドルあり。 コンクリートで造ると、コチコチという感じですな。 右側にある、穴の開いた石は、何なんでしょう。 昔の漱盤かも知れませんが、何か、柱が立っていた基礎とも考えられます。 でも、境内に、こんな太い柱を立てる用はないかな?

≪写真3≫
  石段の途中から、南西方向を見た景色。 山懐に抱かれた、いい感じの所ですね。 狭くもなく、広くもなく、落ち着いた雰囲気があります。 手前左側は、山の斜面で、何か大掛かりな工事をしています。

≪写真4≫
  石段の下の道。 南側に、道路が広くなった部分があり、そこに、バイクを停めました。 たぶん、車を停めても、短時間なら、何も言われないのでは? 神社自体が小規模で、長居するような場所ではないです。




【三島中央自動車学校 / 加茂川神社】

  2022年1月20日に、バイクで、三島の、「三島中央自動車学校」と、「加茂川神社」へ行って来ました。 三島駅の東、東海道本線と、東海道新幹線の間に位置しています。

≪写真1≫
  「公認 三島中央自動車学校」。 地形的に、「本当に、教習所があるのだろうか?」と思うような所に、本当にありました。 地元の人にしてみれば、不思議でも何でもない事でしょうけど。 当然、教室があって、学科の授業もやっているわけで、大きな建物です。

≪写真2≫
  コース。 傾斜地を削って造ったとは思えないほど、広々しています。 教習中の車も走っていました。

≪写真3左≫
  西側は、崖になっています。 斜面を削って、段々にしたわけですな。

≪写真3右≫
  駐輪場。 自転車で来る生徒が多いのでしょう。 斜面の道を登る必要がありますが、平地から、そんなに距離を登るわけではありません。 停めてあるバイクは、私の、EN125-2A・鋭爽です。

≪写真4左≫
  すぐ近くに、「加茂川神社」があります。 EN125-2Aで、何度か来ています。 そこで咲いていた、水仙。 健康的な印象の花ですな。

≪写真4右上≫
  石段を登って、境内に上がると、前回来た時と違って、社殿の周囲が、白い砂利敷きになっていました。

≪写真4右下≫
  駐車場。 広いです。 三嶋大社は別として、近隣の神社の中では、ここの駐車場が一番、広いのでは?




【長泉町竹原・越方神社】

  2022年1月26日に、バイクで、長泉町・竹原にある、「越方神社」へ行って来ました。 「越方」は、「おちかた」と読むようです。 この付近には、他に、「智方(ともかた)神社」、「地方(じかた)神社」がありますが、「三方」で、揃えているのか、何の関連もないのか、分かりません。

≪写真1≫
  住宅地の中にあります。 正面から。 境内の外に、参道はないです。 鳥居に、棒注連縄が懸けてあります。

≪写真2左≫
  鳥居は、木製で、六脚型です。 珍しい。

≪写真2右≫
  石燈籠。 四角断面の神社型。 堂々とした造形です。

≪写真3≫
  社殿の正面。 鉄筋コンクリート、銅板葺き。 賽銭箱は、扉の中にあるようです。

≪写真4左≫
  社殿の側面。 拝殿と本殿を短い廊下で繋いだ形式。 本殿は、屋根の色が違っています。

≪写真4右≫
  狛犬。 というか、唐獅子。 石燈籠と共に、平成十四年に奉納されたとあります。 2002年ですな。 この顔つきは、明らかに、ファニーが入っています。 その頃の、というか、たぶん、今現在まで続いている、流行なんでしょう。

≪写真5左≫
  西側の駐車場に留めた、EN125-2A・鋭爽。 この日は、市街地と住宅地しか走らなかったので、バイクよりも、自転車向きの目的地でした。 まあ、バイクの方が、ずっと、楽ですけど。

  駐車場は、広いです。 だけど、よそ者が、車で見に来るような神社ではないです。 境内も、建物・その他も、えらい、綺麗になっていますが、さっぱりし過ぎて、些か、趣きに欠けるとでも言いましょうか。 管理者の折り目正しい性格が出ている観あり。

  手水舎があれば、雰囲気に潤いが出るのではないかと思います。 余計なお世話ですが。

≪写真5右上≫
  駐車場と境内の境にあった、石造りの車止め。 こういう神社アイテムは、初めて見ました。 面白い。

≪写真5右下≫
  鎮守の森に、腕力に自信がありそうな木がありました。




  今回は、ここまで。

  自動車学校を目的地にしたのは、初めてでした。 教習所は、自分が通った所以外には、用がないわけで、地図を見ていて、「こんな所に、教習所があるのか・・・」と、大変、不思議な気分になり、実際に行ってみて、本当にあると、「本当にあったんだなあ」と、深い感慨に襲われます。 結構、広い敷地が必要な施設なのに、そこにあるのを知らなかったという、己れの知識の空白に驚くからでしょう。

  ちなみに、私は、教習所には、三ヵ所、通いました。 普通免許(1986年)、中型二輪免許(1993年)、大型二輪免許(1994年)。 車の免許を取った所は、教習生を人とも思わぬ、ひどい扱いで、合格して卒業した時には、清々しました。 その後、遠くへ移転してしまったのと、二度と行く気にならなかったのと、二つの理由で、中型二輪は、別の所へ通いました。

  二番目の所は、こちらが、20代末の年齢だった事もあり、扱いは常識的でしたが、二輪を取りに来る中では、歳が行っていて、大人しかったせいか、秘かにナメられて、規定時限の2倍くらい、乗らされました。 二輪の指導員全員に当てられ、よーく、カモにされたわけです。 卒業する時には、「これだけ乗っていれば、うまいのは当たり前だ」と言われましたが、「それだけ乗せたのは、あんたらだろうが」と言い返してやりたかったです。

  同じ時に卒業した若い連中で、「免許は出すけど、おまえら、その状態で、公道に出たら、すぐに死ぬぞ」と言い渡されたのが、二人か三人いました。 聞いていて、「それなら、免許を出さなければいいのに」と思いましたが、暴走族候補生みたいな、ガラの悪い奴らだったから、指導員も、睨まれるのが怖かったのかも知れませんな。 その連中、宣告された通り、公道に出て、すぐに死んだかも知れません。

  中免を取った後、「せっかくだから、教習内容を覚えている内に、大型二輪の試験を受けてみるか」と思い、安倍川沿いにある、県の試験場に行ったのが無謀だった。 初めて乗った750ccで、一応、コースは回ったものの、途中で足を着いたので、あっさり、不合格。 そこで、やめておけばいいものを、悔しくて、大型二輪の教習をやっている、別の学校に通い始めました。

  当時、大型二輪免許は、教習所では取れず、試験場で合格する必要があったのですが、指定された教習所で、教習を受けて、その終了証を持って行けば、試験場の試験は、特にうまくなくても、普通にコースを回って来るだけで、合格させてくれるという、システムでした。 それを知らずに、大型二輪を諦めていた人が、どれだけいた事か。

  終了証を持って行ってからも、一回落ち、二回目に合格。 嬉しかったは嬉しかったけど、750ccで教習を受けている間に、あまりの重さに、辟易してしまい、実際には、大型二輪のバイクを買う事はなかったです。 中免で充分だったのに、とんだ無駄金を使ってしまいました。 15万円くらいでしたが・・・。 後悔先に立たず。

  そういや、試験場に、非公認の教習所から、7・8人の若い連中が、中免の試験を受けに来ていました。 引率の指導員から喝を入れられて、試験に臨んだものの、見事なくらいに、一人残らず、不合格。 教習所まるごと、玉砕していました。 私の目の前でやっていたのは、停止線で停まるだけの試験でしたが、全員、1メートルもオーバーしているのだから、受かるわけがないです。 バイクに跨ったら、バンバン飛ばす自分しか、イメージしていないのでしょう。 落ちて、正解。 受かって、公道に出たら、すぐ死んだに違いない。

  私自身、バイク乗りだから、こんな事は言いたくないですが、現実問題として、若い頃にバイクに乗りたがる人間の、かなりの割合は、その手の、無茶、もしくは、無茶苦茶な連中でして、バイクに関わったばかりに、どれだけの青少年が、あの世へ旅立ったか知れません。 どんな人間でも、30歳近くまで生きれば、人格が落ち着いて来て、無茶をやらないようになるのに、その前に、くたばってしまうんですな。 なんとも、無残な運命である事よ。


  というわけで、教習所は、三ヵ所行ったけど、どこも、いい思い出は、あまり、ないですねえ。 80年代までは、教習所の指導員と言ったら、高慢痴気なだけの、人間失格みたいな奴ばかりでしたが、90年代には、すでに変化が見られ、常識が通用する世界に近づきつつありました。 少子化の影響で、生徒が減ったのが大きな原因だと、2001年頃、ネット上で、教習所指導員を夫に持つ人から、聞いた事があります。