2022/01/09

読書感想文・蔵出し (83)

  読書感想文です。 例によって、他に書きたい事もないので、蔵出しを片付けてしまいます。





≪まぼろしの怪人≫

角川文庫
角川書店 1979年6月20日/初版 1979年6月30日/2版
横溝正史 著

  2021年8月に、アマゾンで買った本。 送料無料、358円のところ、アマゾン・ポイントを使って、353円でした。 安い方です。 横溝作品の角川文庫・旧版の中では、87番目で、少年向けの、長編1作を収録。


【まぼろしの怪人】 約246ページ
 解説には、作品データなし。 ネット情報では、1958年1月から、1959年3月まで、「中一コース」に連載されたとの事。


  変装の名人、「まぼろしの怪人」が、巷で話題になっている高価な宝石を狙う。 新日報社の探偵小僧、御子柴進、花形記者、三津木俊介、社長の娘、由紀子、警視庁の等々力警部らが協力し、何度も逮捕するが、部下が暗躍して、何度も脱獄させてしまう話。

  大掴み過ぎますが、4章に分かれていて、それぞれ、ストーリーが異なるので、こんな梗概にならざるを得ないのです。

第1章 社長宅の怪事件
第2章 魔の紅玉
第3章 まぼろしの少年
第4章 ささやく人形

  シリーズ物なわけですから、長編と呼ぶのは、間違いかも知れませんな。 探偵側と犯人側が共通しているというだけで、4話とも、互いに無関係な話です。 第4章に至っては、まぼろしの怪人は、共犯者に過ぎず、添え物みたいな扱いです。 変装の名人で、部下がいるという設定はしたものの、細部の人格まで決めずに書き始めたせいか、イメージが膨らまなかったのかも知れませんな。

  対象年齢レベルが近いのは、【怪盗X・Y・Z】(1960~61年)で、そちらは、「中二コース」に連載されたので、掲載誌も近い関係にあります。 【怪盗X・Y・Z】は、角川文庫旧版では、大人向けと同じく、背表紙が黒地に緑文字になっていて、通し番号としては、少年向けなのに、別格扱いになっています。 内容的には、【迷宮の扉】の方が、大人向けに近いのですが、それが、黒地に黄文字で、完全な少年向けになっているのは、ちと、統一性に欠けます。

  【まぼろしの怪人】は、犯人が、何となく、憎めないという点でも、【怪盗X・Y・Z】に近いです。 遡れば、【白蝋仮面】から始まる、ダーク・ヒーローの系譜を継いでいるのかも知れませんが、それにしては、キャラの描き込みが薄っぺらい。 横溝さん本人が、この種のキャラに、もう、興味がなくなっていたのかも知れませんな。

  この作品も、よくあるモチーフを組み合わせて作られている点は、他の少年向け作品と同じですが、発表年が遅いだけあって、モチーフの内容が、戦後の大人向け作品で使われたものに切り替わっています。 大人向け作品で陳腐化してしまったモチーフを、順次、少年向けに払い下げて行ったわけですな。 戦前のモチーフだと、地下通路で水攻めとか、軽気球で脱出とか、隅田川で追撃戦とかがありますが、そういうものは、この作品では、もう使われておらず、金田一物から拾ったモチーフが、ちらほら出て来ます。

  小学生向けよりも、幾分、レベルが高いとは言うものの、大人が読んで、ゾクゾクするほど、面白いというものではないです。 その点、【怪盗X・Y・Z】や【迷宮の扉】に及びません。




≪波の塔≫

カッパ・ノベルズ
光文社 1960年6月30日/初版 1960年7月5日/8版
松本清張 著

  家にあった、母所有の本。 私が生まれるより、前の本です。 この頃のカッパ・ノベルズには、紐栞が付いていたんですな。 新書版の二段組みで、長編1作を収録。

  この本、母が若い頃、友人から貰ったとの事。 母は知ってか知らずか、乱丁本で、48ページまで行くと、次が、33ページに戻ってしまいます。 つまり、33ページから、48ページまでが、二重になっているのです。 他に、その友人から貰った本がないので、それが原因で、くれたのかも知れません。 落丁ではないから、内容を知る分には、差し支えありません。

  ちなみに、【波の塔】は、文藝春秋の、≪松本清張全集≫にも収録されていて、第18巻です。 沼津の図書館にもあるのですが、この本が家にある事が分かっていたので、そちらは、借りませんでした。


【波の塔】 約466ページ
  1959年(昭和34年)5月から、1960年6月まで、「女性自身」に連載されたもの。


  中央官庁の局長の娘、田沢輪香子は、女子大を卒業後、一人旅に出た先で、小野木喬夫という青年に出会う。 その後、深大寺で、再会するが、その時、小野木には、妻とは思えない女性の連れがあった。 小野木は、なりたての検事だったが、劇場でたまたま出会った人妻、結城頼子と交際するようになっていた。 やがて、地検特捜部に呼ばれ、大きな贈収賄事件の捜査に加わるが、その容疑者の一人が、結城という名前で・・・、という話。

  家に本がある事が分かっていながら、読むのを敬遠していたのは、恋愛小説だと、解説文にあったからです。 しかし、読み始めたら、恋愛と言っても、大人の恋愛で、恋愛小説によくある、現実離れした青臭・アホ臭いものではありませんでした。 考えてみれば、松本さんが、そんなもの、書くわきゃありませんな。

  三人称の群像劇。 紛らわしいですが、冒頭に出て来る、田沢輪香子は、恋愛をする当事者ではありません。 彼女が、前面から後退した時点で、頭を切り替えないと、「輪香子は、どこに行ったのだろう?」と、落ち着かない読書を強いられる事になります。 その後も、ちょこちょこ出て来ますが、ただの脇役で、狂言回しですらないです。

  不正な事を生業にしている上に、外に女を何人も作っている夫との生活に、絶望的な気分になっていた妻が、たまたま知り合った、前途有望な青年検事と恋愛関係になり、相手の将来に害を及ぼす恐れがある事を予感しつつも、別れられずに、とうとう、最悪の事態に至ってしまうという、救われない話。

  「悲劇」ではありますが、「悲恋」と美化するには、些か、性質が悪いところがあります。 ヒロインの頼子は、自分の夫が犯罪に関わっている事を知っていたにも拘らず、検事である小野木と不倫関係になっており、いずれ、離婚して、小野木の元に走るつもりであったにせよ、もし離婚前に、それが露顕したら、小野木の立場がまずい事になるのは、予想できたはず。 しかも、自分よりも、小野木の人生にとって、致命的な躓きになる事も知っていたはず。

  片や、小野木の方も、頼子が、自分が何者であるかを言えない人間である事を知った時点で、距離を置いていれば、こんな目に遭わずに済んだのであって、検事になるような人物にしては、思慮が浅いと謗られても、返す言葉がありますまい。 まだ、20代後半なので、若気の至りと言ってしまえば、それまでですが、女性関係・金銭関係の問題が、危ないという事は、子供でも分かる事だと思います。

「そんな事は承知の上で、突き進んでしまうのが、恋愛というものなのだ」

  嘘です。 たとえ、一目惚れであっても、いきなり忽ち、のっぴきならないほど、深く愛するなどという事はないのであって、必ず、相手を観察する期間があります。 そういう期間がないというのは、もはや、ケダモノの世界でしょう。 交際相手を決めるのに、観察期間を置かなかったというのは、少なくとも、検事という職にある小野木については、言いわけが利きません。

  小野木は、自分が捜査している相手が、頼子の夫だったという事を、クライマックスに知るのですが、「それまでは、知らなかったのだから、仕方がない」では済まないのが、検事という職種なのです。 その後、小野木に下された処分は、妥当と言わざるを得ません。 こんな、身辺を律する事もできない、検事に向かない男を、特捜部に入れてしまったのは、上司の失態と言えない事もないですが、それこそ、知らなかったのだから、致し方ないです。

  小野木と頼子という、恋愛小説の中心人物が、どちらも、人格的に感心しないので、まともな感覚を持った読者は、どうしても、この二人の主人公を、突き放して見る事になります。 共感など、とても、できません。 また、松本さん自身も、この美形の若い二人の存在を、忌々しく思っているような匂いが感じられます。 「こんなやつらは、ひどい目に遭わせてやれ」と、作者が望んでいるような・・・。

  頼子の末路も、悲恋の果ての結末と美化するのが、大いに、ためらわれます。 こりゃ、地元の人に、大迷惑でしょう。 なぜ、わざわざ、そんな所に行くのか? 自分の家でやればいいのに。 つくづく、思慮の浅い女です。 こうなると、外見がいいなんて、何の価値もありませんな。 ただ、そういう顔貌をしているというだけで、中身は、ただの馬鹿女ではありませんか。


  頼子の夫、結城が、妻の不倫の証拠を得る為に、山梨の温泉に調査に出向く件りがあり、そこは、推理小説仕立てになっています。  倒叙法なので、読者側は、すでに真相を知っており、さほど、面白くはありません。 【点と線】(1957年)が高い評価を受けて、間もない頃に書かれた作品ですから、編集者の方から、推理小説の要素を入れてくれと、頼まれたのかも知れませんな。 ちなみに、【聞かなかった場所】(1970年)の前半は、後年になって、この部分を焼き直したものだと思います。


  田沢輪香子ですが、冒頭、一人旅に出る際に、父親が、地方の官庁に手を回し、旅館の手配や、送り迎えをさせる件りがあります。 まるで、上流階級のお嬢様。 ところが、この父親、中央官庁の高官ではあるものの、サラリーマンに過ぎず、給料の高は限られているくせに、付き合いの出費が多くて、家計は火の車。 窮した妻が、業者が賄賂として置いて行った金に手をつけてしまい、結局、それなりの報いを受けます。

  田沢家全体が、脇役なのですが、禍福のバランスをとってあるところが、面白いです。 最初、持ち上げておいて、最後に、地獄に突き落とすところは、松本さんらしいやり方ですな。 高級官僚だというだけで、特権階級のような生活をしている連中に、煮え湯を飲ませてやりたかったのではないかと思います。


  ↑ これは、挿絵です。 雑誌連載時のものを、カッパ・ノベルズ版でも入れたようです。 すっごい、簡単な絵。 驚くほどです。 目次の末尾に、「カット 森田元子」とあります。 こういう絵だけ描いていたのでは、どんな種類の画家にもなれないと思いますから、たぶん、挿絵の仕事だけ、こういう簡単な絵にしていたのだと思います。




≪松本清張全集 27・28 天保図録 上・下≫

松本清張全集 27
 1973年10月20日/初版 2008年7月25日/8版
松本清張全集 28
 1973年11月20日/初版 2008年7月25日/8版
文藝春秋
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の内の、二冊。 二段組みで、長編1作を収録。


【天保図録】 約901ページ (あとがき含む)
  1962年(昭和37年)4月13日号から、1964年12月25日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。


  大御所(11代将軍、徳川家斉)亡き後、ようやく、実権を手にした、12代将軍、家慶だったが、政治に興味は薄く、筆頭老中の水野忠邦に、全てを任せていた。 水野は、天保の改革を実行に移して、身分を問わず、質素倹約を奨励すると同時に、異国船対策や、印旛沼の開鑿工事に乗り出す。 水野の手足として動いていた鳥居耀蔵は、策を巡らして、南町奉行の職に就き、厳しい警察社会を作り上げるが・・・、という話。

  タイトルは、いっそ、「天保の改革」にしてしまった方がいいと思うくらい、天保の改革そのものを描いています。 しかし、それでは、小説として、面白みに欠けるので、本庄茂平次という極悪人を出して、彼が関係する生々しい事件を、並行して書き進めています。 【かげろう絵図】と違うのは、善玉側のヒーローがいない事です。 前半には、それっぽい人物が出て来ますが、話の軸からは遠くにいて、後半では、ほとんど、出て来なくなります。

  うまい汁を吸う為に、鳥居の家来に潜り込んだ本庄茂平次は、人を騙す才に長けている上、人殺しも平気でする男。 登場人物の中では、最も露出が多くて、この男だけに注目すると、ピカレスクのようにも読めます。 しかし、最終的には、善悪バランスがとられるので、ピカレスクとは言えません。 ちなみ、本庄茂平次、この小説を読んだだけでは、架空の人物としか思えないのですが、意外存外、実在の人物でして、「護持院原仇討(ごじいんがはらのあだうち)」という、歴史的事件に、名を残しています。 討たれる方ですけど。

  水野忠邦は、理想があって、それを実現する為に、わざわざ、知行地を石高の少ない土地に移ってまで、出世の資格を得、筆頭老中になります。 結局、うまく行かないのですが、目的があってやった事だから、歴史を読む者の立場から見れば、理解はできます。 質素倹約を押し付けられた、当時の民衆は、大迷惑だったでしょうけど。

  一方、理解し難いのは、鳥居耀蔵でして、出世欲が強いだけで、何の理想も持っていない様子。 元が、儒学の林家の出身で、蘭学が大嫌い。 そのせいで、欧米の技術を取り入れよと言う者達を、取り締まりまくるのですが、そんな事をすれば、ますます、異国対策ができなくなるのであって、自分の国の首を絞めているようなものです。 鳥居本人に、異国対策や、経済立て直し策があったわけではないようで、為政者としては、完全に失格です。

  ところが、この男、失脚しても、全く懲りず、幽閉状態で、明治まで生き延びて、「自分の言う通りにしないから、幕府は滅びた」などと、うそぶいていたらしいです。 ただただ保守的で、ライバルを蹴落とす以外に能がなかったくせに、呆れた不心得者ですな。 現代の組織でも、一見、頭が切れて、周囲からは、仕事ができるように思われているが、裏では不正ばかりしているという人間がいますが、その類いの人物だったわけだ。

  ただし、水野が、鳥居を使わなかったとしても、やはり、天保の改革は、失敗したと思います。 経済の建て直しに関しては、ゆっくり進めれば、うまく行ったかもしれませんが、異国船対策は、相手が待ってくれません。 家慶は虚弱で、いつ代替わりになるか分からず、水野が筆頭老中として力を使えるのは、限られた期間でしかないと分かっていたから、急がざるを得なかったんでしょうな。 そして、失敗したと。 君主制の場合、代を跨ぐような長期政策はとれないから、大きな事業は、伸るか反るかの賭けになってしまうわけだ。

  大変、長いですが、それは、天保の改革の解説が多いからで、その部分、特に興味がないのなら、読み飛ばしても、問題ありません。 理の当然ですが、興味がないのでは、どうせ、読んでも、頭に残りませんから。 私も、その一人です。 興味がある人だけ、全ての文字を読めばいいのではないでしょうか。




≪松本清張全集 52・53・54 西海道談綺 一・二・三≫

松本清張全集 52
 1983年9月25日/初版 2008年10月25日/4版
松本清張全集 53
 1983年10月25日/初版 2008年11月10日/4版
松本清張全集 54
 1983年11月25日/初版 2008年11月10日/4版
文藝春秋
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の内の、三冊。 二段組みで、長編1作を収録。


【西海道談綺】 約1255ページ (「西海道談綺」紀行を含む)
  1971年(昭和44年)5月17日号から、1976年5月6日号まで、「週刊文春」に連載されたもの。


  妻と不義を働いた藩の上役を斬り、妻を金山の廃坑に置き去りにして、江戸へ向かった伊丹恵之助。 途中、信州・奈良井宿にさしかかり、本陣の取り合いで、不利になっていた小藩を助けてやったが、その縁で、徳川幕府で力をもつ茶坊主、北条宗全と懇意になる。 宗全の勧めで、直参の家に養子に入り、太田と姓が変わる。 程なく、宗全の指示で、九州の日田にある西国郡代に、次官として勤める事になるが、それは、実質的な隠密仕事で、変死した前任者について調べるのが目的だった。

  これだけでは、話の枕に過ぎませんが、西国郡代に赴き、公務の合間に、調査を始めると、やがて、恵之助は、後景に立ち退いてしまい、群像劇になって行きます。 視点人物は、定まらなくなり、個々の心理描写も、ほとんど、なくなって行きます。 心理描写の代わりに、会話で、「他人から見た心理」が描かれますが、お世辞にも、いい手法とは思えませんな。

  舞台が、山の中に移って以後は、似たようなパターンが繰り返されます。 悪党一味が、女をさらって逃げ、善玉がそれを追うが、味方が敵になったり、敵が味方になったりして、なかなか、決着がつかない。 全体の3分の2は、山の中で、そんな事をやっているだけで、長編のストーリーとしては、全く感心しません。 時代小説というより、冒険物に近いですが、これを冒険物と呼んだら、冒険物を真面目に書いている作家が怒るでしょう。 ただただ、ダラダラと引き延ばしているだけのように見えます。 刈り込めば、3分の1の長さで、書ける話ですな。

  引き延ばしている疑いがあるのは、説明がダブる部分が大変多い事で、分かります。 たとえば、まず、AとB二名に起こった事が書かれる。 その後、CとD二名が、AとB二名に起こった事を推量する会話が交わされる。 読者は、すでに知っている事をもう一度、説明される事になります。 これは、くどいわ。 後半は、そんな事が、いくらも出て来ます。

  もしかすると、「連載が好評なので、なるべく、引き延ばしてください」と、編集者側から要求されていたのかも知れませんな。 当時、「松本清張作品が、連載中」となれば、週刊誌が売れたのは確実で、内容を水増ししたって、文句は出ないと、編集側が踏んでいたのかも知れません。 それは、作家にとっては、読者の信用を失いかねない、危険な事なのですが。

  恵之助の他に、使用人の嘉助。 恵之助を慕って、日田までやってくる芸者、おえん。 昔馴染みの山師、甚兵衛。 その連れの女、お島。 郡代で、相役の、向井。 配下の、浜島。 山伏の首領、秀観。 といったところが、主な顔ぶれ。 恵之助の後は、向井、その後は、浜島と秀観が、中心人物になります。

  とりわけ、向井は、しぶといなあ。 棺桶に半身突っ込んだような健康状態で、ラスト近くまで、出没します。 後ろの方なんて、もはや、人間というより、生ける怨霊という感じ。 おえんに対する、性欲だけに、突き動かされているわけですが、自分の命より、女が大事というのだから、根本的に、大きな間違いをやらかしているとしか言いようがありません。

  山伏の首領、秀観も同じで、これまた、おえんを自分の女にしたくて、居ても立ってもいられない。 性欲だけで、生きている感じ。 おえんは、いい女という事になっていますが、おえんばかりが、女でもあるまいに、これは、どうした事か。 長い間、山の中に、男ばかりで暮らしているものだから、たまに、垢抜けた江戸の芸者なんか見ると、途轍もなく、いい女に見えてしまうのでしょうか。

  お島は、謎めいた女という設定で出て来ますが、特に勘のいい人でなくても、この長い小説を読むくらい、物語に慣れている人なら、すぐに、誰だか、正体が分かります。 他にいないだろう、というくらい、見え見え。 そもそも、主な登場人物に限ると、女は、二人しか出て来ないものね。

  使用人の嘉助は、江戸っ子で、お調子者である上に、頭は切れる、すばしっこいと、好感の持てるキャラクターです。 前半では、大活躍しますが、後半、山師の甚兵衛と交代する格好で、出番がなくなってしまうのは、残念。 向井や、浜島について、ページ数を使い過ぎているのであって、もっと、バランスを取った方が、面白くなったのに。


  私、この話、1983年に、ドラマ化された時に、見ています。 恵之助役は、松平健さんでした。 しかし、覚えていたのは、本陣争いの場面だけです。 舞台が日田に移ってからの本体部分は、綺麗さっぱり忘れて、何の話だったのかも、記憶していませんでした。 原作でも、一番面白いのは、本陣争いの場面で、他は、ちっとも、心に響きません。

  ヒーロー的主人公を避けようとする気持ちが、松本さんにあったのか、恵之助を視点人物から外したから、つまらなくなってしまったのですよ。 悪玉側を細々と描かれても、読者は困ってしまいます。 ちなみに、刀を使った斬り合い場面は、ほとんど、ないので、普通の時代小説を期待している向きには、薦められません。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、去年、つまり、2021年の、

≪まぼろしの怪人≫が、8月30日から、9月13日。
≪波の塔≫が、9月14日。
≪松本清張全集 27・28 天保図録 上・下≫が、9月17日から、24日まで。
≪松本清張全集 52・53・54 西海道談綺 一・二・三≫が、9月30日から、10月5日まで。

  ≪松本清張全集≫を、ようやく、読み終わりました。 読み始めたのが、2020年の3月からなので、1年7ヵ月もかかって、読み終えた事になります。 以前、「読み終わったら、総合的な感想を書く」と予告したような気がしますが、読書期間が、あまりにも長期に亘ったせいか、統一した感想というのは、書けなくなってしまいました。 で、大雑把な事だけにします。

  松本清張さんは、間違いなく、過去に日本で生まれた小説家の内、五指に入ると思いますが、特徴が際立っている作風で、他の作家が手本にするような人ではないと思います。 これだけの実績を遺されると、真似したくたって、真似ができんでしょう。 実際には、60年代初頭から、70年代前半にかけて、松本さんの作風を真似た、「社会派」を名乗る推理作家が、何人も出てきたようですが、ほとんど、消え去っています。

  そもそも、松本さんが、社会派だったのかどうかも、疑問。 社会派風の作品も書いたという程度の事なのでは? 一番有名なのは、【砂の器】ですが、それは、映画が有名なのであって、原作は、さほど、面白くはないです。 原作からして面白いというと、【点と線】で、推理小説としての完成度は、ダントツ。 しかし、60年代以降に書かれた、【わるいやつら】のような作品の方が、松本さんらしさは強い感じがしますねえ。

  他に、時代物や、歴史物がありますが、そちらは、松本さん本人が好きだったから、書いたというだけで、専業作家のそれと比べて、特に面白いという作品はありません。 時代小説は、短編は面白いです。 長くなるほど、冗漫になります。 推理小説で名を売った人なのに、意外なようですが、捕物帳は、押し並べて、出来が悪いです。 枠に嵌まった捕物帳にしたくないという気は分かるのですが、謎解きだけ、目明しが語る形式は、およそ、ストーリーとして盛り上がりません。

  松本清張さんを、「天才」と見るか、「努力の人」と見るかですが、息子さんが言っているように、「努力の天才」という評価が、最も当たっているのでは? これは、「努力した結果、天才になった」という意味ではなく、「努力する事に対して、天才を発揮した」という意味です。