2021/11/14

読書感想文・蔵出し (79)

  読書感想文です。 今回からは、松本清張全集の短編集が入って来るので、作品数が多いのに応じて、感想の数も多くなり、大変、長いです。 洒落にならない長さです。 元の本を読んでいない方々は、とても、興味が続かないと思うので、無理に読まないで下さい。 まあ、作品名を検索して来た人向け、という事になりますな。





≪松本清張全集 63 詩城の旅びと・赤い氷河期≫

松本清張全集 63
文藝春秋 1995年12月20日/初版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、長編2作を収録。


【詩城の旅びと】 約228ページ
  1988年(昭和63年)1月から、1989年10月まで、「ウィークス」に連載されたもの。

  新聞社主催のテレビ番組として、南仏の名勝を舞台にした国際駅伝大会の企画が、ある一般女性から持ち込まれる。 企画が本決まりになり、現地視察や、関係者への根回しが始まるが、その過程で、かつて、日本の洋画壇で起こった、アイデア盗用事件が炙り出され、企画を持ち込んだ女性の真の狙いが明らかになって行く話。

  小説としての体裁を、一応は備えていますが、ベースになっているのは、松本さん自身の旅行記録で、冗漫な風景・情景描写が、うんとこら、盛り込まれています。 どうも、松本さんは、旅行に行くと、その記録を元に、小説を物にしてやろうという欲求が抑えられないタイプだったようですな。 そもそも、旅に出たら必ず、詳細な記録を取らずにはいられない性格だったんでしょう。

  風景・情景描写が多過ぎて、ストーリーの方は、あまり、前面に出て来ません。 人一人の人生が変わってしまうほど、重大な事件が起きていたのに、この、「どうでもよさ」は、どうした事か。 だから、旅行記録を元に、小説を書くのは、禁じ手だというのよ。 松本さんほどの大家になれば、旅行記として出版しても、金を出す読者は多かったろうと思いますが、それ以上に、小説のネタにしたい欲求が強かったんでしょうなあ。 ネタにならんというのに。

  ストーリーの方に使われている、世界のスポーツ界の習わしなどは、毎回、オリンピック前に、よく取り沙汰される事なので、既読感が強いです。 絵の贋作問題に至っては、松本さんの過去の作品の焼き直しでして、既読感どころではなく、モチーフの使い回し。 しかし、その点を、瑕と見るつもりはないです。 旅行記録を元にしている点の方が、遥かに、大きな欠点です。

  以下、ネタバレ、あり。

  ラストは、松本作品には珍しく、アクション物になります。 ここの倫理観が、少しおかしくて、なぜか、何の罪も犯していない人間が、犠牲になります。 道義的な罪を犯している奴らが、無傷というのは、釈然としません。 伯爵に、二連散弾銃で、ズドンズドンと、撃たしてやりゃあいいじゃん。 過去は勿論、今現在も、他者を騙して暮らしている連中など、不様に殺されたって、読者としては、何の痛痒も感じません。


【赤い氷河期】 約265ページ
  1988年(昭和63年)1月7日号から、1989年3月9日号まで、「週刊新潮」に連載されたもの。 原題は、【赤い氷河 -ゴモラに死を】。

  エイズが世界中に蔓延している、2005年、ドイツの湖で、製薬会社に勤める男の首なし死体が発見される。 それをきっかけに、スイスにある医療関係の国際機関に属する日本人医師が、「アイデア販売業者」を名乗る、奇妙な日本人男性と知り合いになる。 彼は、ドイツの山奥に、ヨーロッパの王侯貴族が、エイズから逃れて暮らしている場所があると考え、そこを探しに行くが、奇禍に遭い・・・、という話。

  これだけでは、話の半分しか、表していませんが、これ以上書くと、だらだらになってしまうので、やめておきます。 つまりその、梗概が書き難い、取りとめのないストーリーなのです。 【詩城の旅びと】と、この作品は、同時期に書かれたものですが、過去の作品の改稿でない作品としては、最後の長編に当たるようです。 晩年の作とは思えないほど、エネルギッシュで、ギラギラしていますが、纏まりの悪さは、隠しようがない観あり。

  SFとは、かなり、趣きが違うものの、架空の未来を舞台にしている作品というのは、松本作品では、大変珍しいと思います。 というか、私が読んだ限りでは、これが初めてです。 どうしてまた、晩年に、こういう作品を書く気になったのか、不思議な事ですなあ。 エイズが大流行して、人口が激減している世界を描いていますが、もちろん、創作設定であって、実際に、そんな事が起きたわけではないです。

  しかし、パンデミックに翻弄されている様子は、新型コロナ・ウィルスが蔓延している今現在の世界の様子に、多くがダブります。 「そういえば、エイズも、騒ぎが激しかった頃には、凄じいばかりに恐れられていたな」と、思い出されます。 別に、懐かしいとは思いませんが。

  この作品内では、インフルエンザと、エイズのハイブリッド・ウィルスが登場し、感染し易くなっているなど、ちらほらと、新型コロナ・ウィルスの流行を予見していたかのような描写があり、ドキッとさせられます。 しかし、松本さんに、先を読む能力があったというには、ちと、関連が遠過ぎますかねえ。

  コロナ禍の最中であれば、尚の事、読んでみる価値はあると思いますが、これを読んだからと言って、パンデミック収束のヒントが得られるわけではないので、そちらを期待しないように。




≪松本清張全集 36 地方紙を買う女 短編2≫

松本清張全集 36
文藝春秋 1973年2月20日/初版 2008年8月25日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、短編27作を収録。 タイトルの「短編2」というのは、全集の中の、短編集の2番目という意味。 なぜ、「短編1」から読まないのかというと、他の人が借りていて、なかったからです。


【秀頼走路】 約14ページ
  1956年(昭和31年)1月に、「別冊小説新潮」に掲載されたもの。

  大阪夏の陣に、しぶしぶ参陣していた若い武士が、たまたま出会った女から、豊臣家の紋が入った秀頼の品を奪い取り、秀頼になりすまして、各地で、タダ飯、タダ酒、タダ宿を得つつ、薩摩まで落ち延びて行く話。

  歴史文献に、実際に、そういう人物が出てくるのだそうで、それを、小説仕立てで書いた作品。 それだけの内容でして、別に、何のオチがついているわけでもないです。


【明治金沢事件】 約14ページ
  1956年(昭和31年)1月に、「サンデー毎日新春読物小説号」に掲載されたもの。 原題は、【明治忠臣蔵譚】。

  廃藩置県の直前の金沢藩に於いて、藩政改革で、西洋化に尽力していた家老が殺される。 実行犯は切腹させられたが、共同謀議に加わった数名は、死罪を免れた。 憤りが治まらない、元家老の遺臣達が、≪忠臣蔵≫を範にとって、仇討ちを目論む話。

  これも、実話のようですが、「そんな事件があったのか・・・」とは、誰もが思うところでして、つまり、全く、後世に伝わっていないわけですな。 主君の仇討ちというよりも、再就職できない恨みが、主な動機になっていて、気持ちは分かりますが、たとえ、本懐を遂げたとしても、結局は、刑罰を受ける事になるわけで、そんな事より、時代の流れを見て、食っていける職に就く事にエネルギーを注いだ方が、自分や家族の為になったと思います。

  仇を討った方も古臭いが、討たれた方も、家老の西洋化政策が気に食わなくて殺したというのですから、そちらの方がもっと、考えが古臭いです。 藩がなくなってしまったのでは、何の為に、家老を殺したのか分からない。 あんなに急激に、武家社会が崩壊して行くとは、想像もできなかったんでしょうなあ。


【喪失】 約14ページ
  1956年(昭和31年)3月に、「新潮」に掲載されたもの。

  妻子ある男と不倫関係になっている若い未亡人。 その男には、愛人を養える程の収入はなく、彼女も働いていたが、失業してしまう。 相互銀行に仮採用の集金人として勤め始めるが、契約勧誘のノルマが厳しくて、いつ解雇されてもおかしくなかったところを、初老の男性行員に助けてもらって、何とか、正規採用になった。 男性行員の目当ては、彼女の体で、愛人の男との間で、難しい舵取りを迫られる話。

  サラリーマン小説のモチーフを、松本さんの作風で書いたという体の作品。 出てくる人物が、ステレオ・タイプなので、大体、どんな話か、すぐに分かります。 殺人で終わりにしても、格好がつくような話ですが、そこまでは行きません。 ちなみに、主人公が喪失するのは、「生活」です。


【調略】 約12ページ
  1956年(昭和31年)4月に、「別冊小説新潮」に掲載されたもの。

  戦国時代の武将、毛利元就が、調略(計略)を使って、敵大名の家中を仲間割れさせ、滅ぼして行く様子を、簡潔に描いた話。

  1997年に、大河ドラマ、≪毛利元就≫で見た、そのまんまの内容を、エピソードの一部だけ取り上げて、書いたものです。 ちなみに、ドラマの原作は、永井路子さんでした。 別の人が書いても、同じような話になるという事は、実際に、調略ばかり、使っていたんでしょう。

  毛利元就が、頭がいい事は認めますが、日本では、頭の良さは、あまり評価されないようで、戦国武将のランキングでは、上の方に上がってきません。 調略を使う事が、卑怯と取られてしまうからでしょうか。 「命懸けの戦に、卑怯も糞もあるか」という、元就の言葉が聞こえて来そうですが。


【箱根心中】 約12ページ
  1956年(昭和31年)5月に、「婦人朝日」に掲載されたもの。

  互いに、配偶者とうまく行っていない、従兄と従妹が、気分転換に、箱根へ日帰りで遊びに行ったが、乗ったタクシーが、交通事故に遭って、従兄の方が入院する事になり、その日の内に帰れなくなってしまう。 誤解されるのは疑いなく、悲愴な気分になって、箱根にずるずると、留まり続ける事になる話。

  そこまで書いてありませんが、タイトルの通り、心中になりそうな雰囲気で、終わります。 時代が変わっているせいか、現代の感覚では、「なんで、この程度の事で、心中せねばならんの?」と、首を傾げざるを得ません。 誤解されるなんて、勘繰りをせず、帰った方がいいと思いますがねえ。 仲がいい従兄妹同士なんだから、日帰りで箱根に行って、何の後ろめたいところがあるのよ?

  そもそも、事故にあったのだから、普通に、それぞれの配偶者や、実家に連絡すればいいんじゃないでしょうか。 みんな、心配して、すっ飛んで来ますよ。 浮気しようとしていたなんて、誰が思うものですか。


【ひとりの武将】 約30ページ
  1956年(昭和31年)6月に、「オール読物」に掲載されたもの。

  同じ、織田信長の配下で、前田利家をライバル視していた、佐々成政の、出世と凋落の経緯を描いた話。

  ほぼ、一生の伝記でして、細かく書けば、長編になりそうな内容ですが、30ページですから、利家と、手柄を争ったエピソードだけ、ピック・アップして、簡潔に纏められています。 佐々成政について、おおまかな事を知りたいという向きには、ちょうど手ごろな長さの作品ですな。

  利家と、甲乙つけ難い実力があったのに、なぜ、滅びてしまったかというと、秀吉との関係に違いがあり、利家が、秀吉の知己で、その為人をよく知っていたのに対し、成政は、秀吉の事を、成り上がり者として、軽侮していたせいで、秀吉の天下が来ても、受け入れられなかったというのが、興味深いです。 先入観というのは、致命的な失敗に繋がるわけですな。

  家康を頼る為に、越中から駿河まで、北アルプスを越えて、会いに行く場面がありますが、登山に興味がある人は、そこだけ読んでも、面白いと思います。


【増上寺刃傷】 約12ページ
  1956年(昭和31年)7月に、「別冊小説新潮」に掲載されたもの。

  江戸時代、将軍家綱の葬儀で、それぞれ、名代と奉行を命じられた家臣が、葬儀進行上、不手際を起こしす。 名代の方の性格が悪かったせいで、奉行の恨みを買い、刃傷沙汰に発展する話。

  ≪忠臣蔵≫の類似事件ですな。 たぶん、実話なのでは。 名代の男が、上の者には反抗し、下の者には、苛めて楽しむという、ろくでもない性格で、これでは、殺されても仕方がないと、納得してしまいます。 止めようとした者達も、裁きを下した者も、こういう輩が殺された事自体には、清々したんじゃないでしょうか。 性格が悪い人間は、どんな組織でも、家庭でも、百害あって一利ないです。


【背広服の戦死者】 約12ページ
  1956年(昭和31年)7月に、「文學界」に掲載されたもの。

  会社で、同僚や上司、先輩達の、生き方の失敗例を目の当たりにするに連れ、将来への希望を失っていき、やけになって、道を踏み外した男が、自殺を決意する話。

  出世コースから外れた会社員が、定年や、自己都合で退職した後、第二の人生に失敗して、落ちぶれて行く様を、よくある例を列挙して、書き連ねてあります。 成功したのは、社内高利貸しを営んで、定年後まで、社に出入りしている老人だけ、というのは、些か、観察が暗過ぎますかねえ。

  しかしと、こういう例を全く知らずに、「何とかなるさ」と、能天気に構えて、ホイホイ、勢いで、勤めを辞めてしまうタイプの人もいるので、参考にはなると思います。 何か、特別な才覚があるのならともかく、普通の人は、自分から退職して、いい事なんぞ、何もありますまい。


【疑惑】 約22ページ
  1956年(昭和31年)7月に、「サンデー毎日臨時増刊」に掲載されたもの。

  江戸時代、幕臣の家へ婿入りした男がいた。 妻と舅が、以前から知っている男が、その妻と死別してから、やたらと、舅の元に遊びに来るようになる。 妻とその男の不義を疑った夫は、家の様子が気になって、大事な職務を抜け出すが、その間に、担当していた大奥で火災が起こり・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。 

  嫉妬心から、死罪間違いなしの、重大なミスをしでかしてしまい、このまま死ぬよりは、不義の妻と、その相手を討ち取ってやろうという話。 無理もない事でして、主人公に、大いに同情します。 婿を蔑ろにして、他の男を贔屓にする舅が悪いですが、他の男をダシにして、夫の嫉妬心を掻き立てようとする、妻も悪い。

  こんな事をすれば、誤解を招くのが当たり前です。 実際に、不義があったか否かに関係なく、殺されて当然ですな。 後になって、誤解だと、いくら言っても、信用してもらえるはずがないです。 父娘揃って、人の心が分からない、大馬鹿者だったんでしょう。 自分の馬鹿が原因で殺されるのは、自業自得の極だな。


【五十四万石の嘘】 約12ページ
  1956年(昭和31年)8月に、「講談倶楽部」に掲載されたもの。

  加藤清正亡き後、息子が後を継ぎ、孫が江戸に住まわされていた。 孫が、退屈の挙句、臆病者の小姓を驚かして楽しむようになるが、小姓の方が、だんだん慣れて来て、驚かなくなる。 そこで、「幕府に対して、謀反を起こす気だ」と、大嘘をつくが、それが、外に漏れて・・・、という話。

  加藤清正の家が、江戸時代初期に、改易になってしまったのは事実ですが、孫の嘘が元だったというのは、たぶん、創作でしょう。 アホらし過ぎて、本当にこんな事があったとしても、歴史に残すとは思えないので。 「人間、閑を持て余すと、ろくな事をせずに、身を滅ぼす」という、教訓を読み取るべきか。


【顔】 約30ページ
  1956年(昭和31年)8月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  交際していた女を殺した、舞台俳優の男。 最後に女と一緒にいる時に、偶然出会った女の知り合いが、自分の顔を覚えているはずだと思い、びくびくしながら暮らしていた。 ある時、映画出演の話が来て、全国的に顔を曝すと、目撃者にバレるかも知れぬと案じて、相手の男を、偽手紙で呼び出し、様子を見ようとするが・・・、という話。

  松本作品の短編では、最も有名な話。 ドラマ化もされていて、そちらで見ている人も多いと思います。 ショートショートの作法で書かれていて、意外な結末が、大変、良く利いています。 文句なしの、傑作ですな。 この原稿を貰いに行った編集者は、読んで、びっくりしたでしょうねえ。 図らずも、途轍もないお宝をいただいてしまったと。

  私事ですが、この作品、中学生の時に、友人に薦められて、読んだ事があります。 懐かしい。 その友人は、星新一さんの本を教えてくれた人で、こういう話なら、私が面白がるだろうと思ったんでしょう。 「はーっ!」と驚くほど、面白かったですが、残念な事に、そこから、松本作品に入って行く事はありませんでした。 文体が、難しいと感じたからだと思います。


【途上】 約14ページ
  1956年(昭和31年)9月に、「小説公園」に掲載されたもの。

  肺結核を患っている若い男。 もう、どこで死んでもいいと、捨て鉢な気分になっていたが、血を吐いて倒れ、病院に担ぎ込まれた後、養老院のような所に送られて、そこで、老人達や、病人達を観察している内に・・・、という話。

  人が一人、死にますが、犯罪絡みというわけではありません。 他に、これといった事件は起こらず、ただ、人物観察が並べられているだけ。 ストーリーというほどのストーリーはないです。 一般小説としても、ちょっと、物足りないです。


【九十九里浜】 約14ページ
  1956年(昭和31年)9月に、「新潮」に掲載されたもの。

  大人になってから、亡父の愛人が生んだ腹違いの姉がいる事を知らされた男。 更に、歳月が経って、その姉の夫という人物から、手紙が届き、「九十九里浜で旅館をしているから、良かったら、お姉さんに会いに来てくれ」と言って来た。 で、行ってみたが・・・、という話。

  うーむ。 梗概に書いたところまでは、面白そうなんですが、その後が、全く発展しません。 ただ、姉弟共に、初めて顔を合わせた感動がなくて、気まずい思いをしたというだけの話。 アイデアが膨らまなかったんですかね? 姉が、父の正妻に恨みを抱いていて、腹違いの弟に復讐するつもりで、おびき寄せたとか、巧妙な詐欺に引っ掛かったとか、そういう展開が想像されますが、そういう趣きの話では、全然ないです。 純文学作品の出来損ないみたいな感じ。


【いびき】 約26ページ
  1956年(昭和31年)10月に、「オール読物」に掲載されたもの。

  江戸時代。 鼾がひどい渡世人が、人を殺して、お縄になった。 以前、受牢経験のある者から、「牢は、寿司詰めだから、鼾がうるさい奴は、殺されてしまう」と聞いていたので、震え上がり、ひと月足らずの牢生活を、何とか、眠らないようにして乗り切る。 島に流されてからは、せいせいと鼾を掻いて眠れるようになって、女房まで貰い、大いに流人生活を満喫していたが、ある時・・・、という話。

  周囲に迷惑をかける人間は、法の保護も、家族・知友の助けもない所では、いとも簡単に殺されてしまうんですな。 全く、世の中は甘くない。 ちなみに、私は、入院していた時に、同室の高齢者どもが、鼾を掻きまくり、一度目覚めてしまうと、朝まで、眠りたくても眠れないという経験をした事があります。 まあ、昼間眠っても、問題ない所だったから、さほど、激怒したわけではないです。 江戸時代の牢屋は、懲役があるわけではないから、昼間、眠れるような気がしますが、そもそもが寿司詰めでは、そうそう勝手に横になる事はできなかったんでしょう。

  前々から、島流しは、罰にならんような気がしていたのですが、この主人公は、正に、そういうタイプだったわけですな。 働くのが嫌いでないのなら、そもそも、渡世人になんか、ならなければ良かったのに。 この話が終わった後、どうなったのかが気になりますが、たぶん、死罪でしょうねえ。 気の毒に。

  悪の道というのは、入る時には簡単だけど、出る時には、難しいというより、不可能に近いんですわ。 一度、刑務所に入った人間が、その後、何度も、出たり入ったりを繰り返すのは、本人が犯罪以外に生きる術がないというのと、仲間が抜けさせないというのと、二通り、原因があります。 この作品では、後者の方。 傍から見ていると、全く、腹立たしいです。


【声】 約40ページ
  1956年(昭和31年)10月、11月に、「小説公園」に分載されたもの。

  新聞社で電話交換士をしている女性が、間違えて、強盗殺人が行なわれている最中の家に電話をかけて、犯人の一人と話をしてしまう。 それは、報道されたが、犯人は捕まらなかった。 数年後、夫が再就職した会社の同僚が、家に遊びに来るようになるが、たまたま、電話で聞いたその声が、以前聞いた、強盗殺人犯の声と同じと気づき・・・、という話。

  この梗概は、第一部の内容です。 第二部では、警察視点による、クロフツ的殺人事件の捜査になりますが、一部の登場人物が共通しているだけで、第一部とは、全く別の話になります。 一つの話としての纏まりに著しく欠けており、大いに抵抗があります。 敢えて、変わった形式を取ったというよりも、第一部のままでは、話を発展させられなくなり、別方向に切り替えたのではないかと思います。

  第一部に限って言えば、【顔】では、「顔」だったのが、この作品では、「声」が、犯人を特定するモチーフになっていて、普段の様子では気づかなかったのが、ある条件下でのみ、記憶が呼び覚まされて、犯人と分かる、というパターンは同じです。 そのパターンを読み取る事に成功した作家志望者が、「筆跡」とか、「絵のタッチ」とか、モチーフだけ入れ換えて、作品を書き、新人賞に応募したのが、「これは、清張のパクリだ」と、片っ端から落とされたんじゃないかと想像すると、面白いです。 


【共犯者】 約18ページ
  1956年(昭和31年)11月18日号の、「週刊読売」に掲載されたもの。

  かつて、二人で、強盗を働き、金を山分けした男達。 一人は、その金を元手に、事業に成功したが、その内、もう一人がどうしているかが気になり始めた。 人を雇って、調べさせたところ、もう一人も、同じように事業を始めていたが、定期的な報告が続く内に、だんだん、没落して行き、しかも、居住地が、だんだん、自分の住んでいる街に近づいてくる。 これは、恐喝しに来るに違いないと判断し、思いきった解決法に出るが・・・、という話。

  この話、賀来千賀子さん、とよた真帆さん出演のドラマで見た事があります。 登場人物の性別を始め、いろいろと変えてありましたけど。 原作は、犯罪をモチーフにした、滑稽話といったところ。 ドラマのような、感動話ではないです。 纏まりが良くて、松本さんらしい、ドライな短編ですな。


【武将不信】 約14ページ
  1956年(昭和31年)12月に、「キング」に掲載されたもの。

  出羽山形の戦国大名、最上義光は、徳川家康を高く買い、馬を送ったり、次男を人質として差し出したり、様々な方法で、近しい関係を保っていた。 家康が天下人になり、先見の明があったと喜んだのも束の間、家康から、長男を廃嫡して、次男に家を継がせろという圧力がかかり、苦渋の決断で、言う通りにしたが・・・、という話。

  史実を、そのまま書いている観あり。 歴史に興味がある人なら、面白さを感じると思いますが、わざわざ、小説で読まなくてもいいような気もしますねえ。 歴史小説は、創作部分が入るので、書いてあるままを頭に入れていいものか、悩ましいところがあるのです。 小説の方が、面白く読めるというのは、認めるに吝かではありませんが。


【陰謀将軍】 約18ページ
  1956年(昭和31年)12月に、「別冊文藝春秋55号」に掲載されたもの。

  織田信長の後援で、室町幕府最後の将軍となった足利義昭が、信長と不和になって以後、あちこちの戦国大名に手紙を送って、信長と対立させ、勢力を押さえ込もうと目論む話。

  これは、大河ドラマで、よく出て来る歴史場面でして、経緯を知っている人も多かろうと思います。 足利義昭は、個性が強い人なので、その伝記は、誰が書いても、同じような内容になるようです。


【佐渡流人行】 約30ページ
  1957年(昭和32年)1月に、「オール読物」に掲載されたもの。

  江戸時代。 結婚前の妻に言い交わした相手がいたと知り、怒った夫が、その相手の男を罠にかけて、牢に入れたり、自分の赴任地となった佐渡金山に送って、死ぬほどきつい労役をやらせたりしていた。 ところが、ある時、とんでもない思い違いをしていた事を知り・・・、という話。

  自分が役人として、佐渡金山に行く事になったので、ついでに、恨みのある男も佐渡金山に送らせるというのが、些か不自然です。 妻と関係があったのが気に入らないなら、妻は佐渡に連れて行くのだから、相手の男は、江戸に残した方が、安心できると思うのですがね。

  しかし、オチが利いていて、一般小説として、よく出来ていると思います。 その後、相手の男はどうなったのか、それだけが、気になります。


【賞】 約12ページ
  1957年(昭和32年)1月に、「新潮」に掲載されたもの。

  自分の姪が結婚する事になったが、相手の男は、父親とは暮らしていないという。 その父親の名前を聞くと、若い頃に、学士院賞を受けた事がある、歴史学者だった。 その父親に会いたくなり、地方に行っているというのを追いかけて行くと、各地の学校で、詐欺紛いの押しかけ講演をして、口を糊しているらしいと分かる話。

  学者として、才能に発展性がないのに、分不相応な賞を貰ったばかりに、一生を棒に振ってしまった男の悲哀を描いた、純文学作品です。 こういう人は、実際に、いくらもいるんでしょうねえ。 「誉めて、伸ばす」という教育方法がありますが、伸び代がない人物を、誉め過ぎると、却って、駄目にしてしまうわけですな。 


【地方紙を買う女】 約24ページ
  1957年(昭和32年)4月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  東京在住の女が、連載小説が読みたいからという理由で、甲府の地方新聞を購読契約した。 ところが、小説が佳境に入ったところで、つまらなくなったからと言って、購読を打ち切ってきた。 奇妙に思った小説家が、その女の購読開始から、打ち切った日までの、紙面を調べ、犯罪が絡んでいる事をつきとめる話。

  面白いです。 タイトルを聞いた事があるという事は、たぶん、ドラマ化されているのでしょう。 2時間ドラマにするには、相当、水増ししなければならないと思いますが。 ちなみに、ドラマがあったとしても、私は、見ていません。 見ていたら、こういう話を、忘れるわけがありませんから。

  興信所まで使うほど、読者の反応に敏感な小説家が、実際にいるのかと考えると、ちと、リアリティーに欠けるような気もします。 小説家本人ではなく、担当記者が、疑念を抱き、自分で調べた事にすれば、もっと、自然になったんじゃないでしょうか。 こんなところで、松本さんに駄目出しをしても、栓ないですが。


【鬼畜】 約28ページ
  1957年(昭和32年)4月に、「別冊文藝春秋57号」に掲載されたもの。

  印刷所を経営している男。 妻に隠れて、愛人を作り、8年の間に、子供を三人も産ませていた。 印刷所が駄目になって、金がなくなると、愛人は、子供達を男に押し付けて、姿をくらましてしまった。 困った男が、妻に尻を押される格好で、子供を始末し始める話。

  映画やドラマになっているから、話を知っている人が多いんじゃないでしょうか。 短編が、原作だったんですなあ。 しかし、この話、あまりにも外道過ぎて、小説でも、映像作品でも、面白いとは、とても感じられません。 一種の、露悪趣味なのでは? 読者や、観客、視聴者が、眉を顰めるのを想像して、楽しんでいるわけだ。

  長男が、最後まで、父親の名前を言わないのですが、殺されかけたのに、まだ、父親を庇っているのか、深く恨んで、父親と認めないという事なのか、いろいろな解釈が利きます。 その部分だけ、純文学になっています。

  この話の、その後が気になるところですが、長男は、妹と会う事ができるんですかね? 兄と妹の仲については、描き込みがないので、想像するしかないのですが、父親とはもう、一緒に暮らす事はできないので、兄妹二人しか、この世に家族がいないわけで、是非、助け合いながら、生きて行って欲しいものです。

  そういや、この父親、別に、殺人は犯していないんですな。 次男を殺したのは、妻の方ですから。 すると、殺人未遂だから、懲役を喰らったとしても、知れていますな。 鬼畜のくせに。


【一年半待て】 約18ページ
  1957年(昭和32年)4月に、「別冊週刊朝日」に掲載されたもの。

  夫が失業し、妻が保険の外交員をやって、家計を支えていた。 夫は酒に溺れ、外に女まで作り、妻が稼いできた金を、湯水のように使ってしまう。 たまりかねた妻が、夫を殺してしまうが、世間の同情が集まり、執行猶予が付く結果となった。 やがて、妻の支援をしていた文化人の元に、ある人物が訪ねて来て・・・、という話。

  これも、タイトルを聞いた事があるから、ドラマ化されているんでしょう。 見た事はありませんが。 短編なので、気づかない向きもいると思いますが、推理小説としては、アンフェア物になります。 三人称ではあるものの、本体部分は、明らかに、妻の立場で語られており、情報が偏っているので、読者は事件の真相に気づきようがありません。

  愛人と結婚する為に、夫を始末する策略を巡らしたわけですが、殺人なんかやるくらいなら、男と逃げちゃった方が、良かったんじゃないですかね? ちなみに、善悪バランスは、最終的には、とられます。


【甲府在番】 約26ページ
  1957年(昭和32年)5月に、「オール読物」に掲載されたもの。

  江戸時代、甲府勤番だった兄が行方不明になり、死んだと見做されて、家と御役目を継いだ弟。 甲府に赴任すると、兄が遺した謎の言葉を手掛かりに、下部温泉付近に、金鉱脈を探しに行くが・・・、という話。

  実話かどうか知りませんが、ネタ元になった書物があると、作中に書いてあります。 梗概だけ読むと、宝探しの冒険物のようですが、松本さんが、そういう作品を書くわけがなく、もっと硬くて、陰気な話です。 ゾクゾクする部分もないではないですが、長さを見ても分かるように、すぐに終わってしまいます。


【捜査圏外の条件】 約18ページ
  1957年(昭和32年)8月に、「別冊文藝春秋59号」に掲載されたもの。

  不倫旅行の挙句、妹を見殺しにされてしまった男が、見殺しにした自分の同僚を恨み、復讐計画を立てる。 勤めを変え、遠くに移り住んで、敵との関係が分からなくなるように、7年も待った。 いよいよ、復讐を実行したが・・・、という話。

  7年もかけた割には、杜撰極まりない計画で、殺人を実行する直前まで、大勢の他人の前に顔を曝していたのでは、疑われるのは、当然です。 これなら、夜道で襲って、車に載せ、山の中に運んで、埋めてしまう方が、どれだけ、発覚の危険が低いか分かりません。 流行歌が、キーになっていますが、あまり、利いていません。

  この話、古谷一行さん主演の、火曜サスペンスで見ているのですが、そちらも、あまり、印象が強くありません。 面白いと思わなかったんでしょう。 その時期のエンディングだった、竹内まりやさんの、≪シングル・アゲイン≫の方が、記憶に残っています。


【カルネアデスの舟板】 約32ページ
  1957年(昭和32年)8月に、「文學界」に掲載されたもの。

  戦前・戦中、軍部に阿っていた歴史学者が、戦後、学界を追放されていたが、弟子に当たる若い学者の計らいで、追放が解けて、学界に復帰してくる。 唯物史観の全盛時代が過ぎて、学界の流れが変わると、若い学者も再転向を余儀なくされるが、先に、それをやろうとしている師匠の存在が邪魔になり・・・、という話。

  「カルネアデスの舟板」というのは、「自分の命がかかっている場合は、他者の命を犠牲にするのも、やむなし」という考え方ですが、推理小説や犯罪小説では、そういう設定は、よくある事でして、わざわざ、この言葉をタイトルに掲げるほど、この作品が、哲学的な内容を含んでいるわけではありません。 肩透かしですな。

  ネタバレになりますが、「カルネアデスの舟板」の例に則ったのか、この作品で、善悪バランスは取られません。 ただし、主人公の計算違いがあるので、罪には問われます。


【白い闇】 約31ページ
  1957年(昭和32年)8月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  仕事の商取引で、北海道へ出かけた夫が、帰って来なくなった。 懇意にしている夫の従弟に相談したら、青森に、夫の愛人がいる事が分かったが、そこへ訪ねて行っても、夫はいなかった。 その内、その愛人まで、死んでしまう。 やがて、愛人の兄という人物が会いに来て、妻に、ある計画を持ちかける話。

  なんとなく、キメラっぽい話ですが、書かれた年代を考えると、むしろ、こちらの方が先で、この作品のパーツを元に、後に書かれた作品があり、私が先に、そちらを読んでいるから、そう感じるのでしょう。

  以下、ネタバレあり。 

  この夫の従弟というのが、何を望んでいるのか、よく分からない。 従兄の妻に岡惚れしていたというだけでは、動機が弱いのでは? 他に女がいるのに、わざわざ、従兄の妻を手に入れる為に、従兄を殺すとは思えませんが。 その辺を、よく練らないまま、書いてしまったのではないでしょうか。




≪松本清張全集 37 装飾評伝 短編3≫

松本清張全集 37
文藝春秋 1973年7月20日/初版 2008年9月10日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、短編25作を収録。 前にも書きましたが、各作品のページ数は、目次に出ている数から計算したものなので、実際には、それより、短いです。 おおまかな目安だと思って下さい。


【発作】 約14ページ
  1957年(昭和32年)9月に、「新潮」に掲載されたもの。

  妻が病気で死にかけているにも拘らず、世話は義姉に任せっ放しで、仕送りも僅かしかせずに、会社から前借りしたり、高利貸しから借りた金を、愛人やギャンブルに投じている男。 愛人に他に男がいるのではないかと疑念を抱いてから、いらつくようになるが、ある時、電車の中で、奇妙な眠り方をしている人物を見ていたら・・・、という話。

  純文学短編の失敗作という感じ。 これ以上ないくらい、俗っぽい人物を主人公にしていながら、カミュの【異邦人】のようなラストをくっつけていて、木に竹感が全開です。 俗っぽい設定には、俗っぽい結末が欲しいですなあ。


【怖妻の棺】 約18ページ
  1957年(昭和32年)10月に、「週刊朝日別冊」に掲載されたもの。

  江戸時代。 ある男の友人が、その愛人の家で死ぬ。 性格がきつい友人の妻に、その経緯を報告に行った男が、何とか、友人の妻を説得して、遺体を引き取らせる話をつけた。 ところが、愛人の家に戻ったら、友人が息を吹き返していて・・・、という話。

  あとがきによると、「O・ヘンリイのような短編の味を狙った」との事。 確かに、そんな感じですが、松本さんらしくない感じもします。 設定の方が面白くて、結末は、割とよくあるタイプでして、オチの意外性は、あまり感じられません。


【支払い過ぎた縁談】 約12ページ
  1957年(昭和32年)12月2日号の、「週刊新潮」に掲載されたもの。

  地方の素封家に、少し嫁き遅れた娘がいた。 ある時、学者だという青年が、その家に伝わる古文書を見に訪ねて来て、娘と顔を合わせ、その後、娘さんを欲しいと申し込んで来た。 話が進みそうになったが、その内、もっと外見がよく、いかにも裕福そうな、別の青年が現れる。 娘本人も親も、そっちの方が良くなって、学者青年とは、破談にしようという流れになるが・・・、という話。

  ネタバレを気にする必要もなく、読んでいる内に、詐欺に引っ掛かっている事が分かります。 結末が分かってしまうせいか、オチが利きません。 でも、徹頭徹尾、ドライである点は、松本さんらしいです。


【乱気】 約16ページ
  1957年(昭和32年)12月に、「別冊文藝春秋61号」に掲載されたもの。

  徳川綱吉と柳沢吉保に目をかけられた男。 綱吉の死後も、何とか地位を保っていたが、綱吉の時代に冷遇されていたライバルが、自分に敵意を抱いていると思い込む。 饗応役で合役になった際、互いに相談すべき立場なのに、男の方が避けて回っていたが、最終日に、限界を超えてしまい・・・、という話。

  忠臣蔵的な話。 元は、歴史上の実話だそうです。 松本さんは、こういう話を知ると、作品にせずにはいられなかったようですな。 また、よくも、同じような例が、たくさんあったものです。 武士の世界は、常に刃物を持ち歩いているだけに、他人との敵対関係が高じると、刃傷沙汰に発展し易かったんでしょうな。 もっとも、この話の主人公は、勝手に敵対していると思い込んでいただけで、相手側は、とんだ、とばっちりだったのですが。


【雀一羽】 約16ページ
  1958年(昭和33年)1月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  生類憐みの令の時世。 将来を嘱望されていたのに、召し使っている者が、雀を殺した事で、柳沢吉保に睨まれて、お役御免になってしまった男。 15年後、綱吉が死に、吉保が失脚して、役職に復帰できるかと期待したが、なかなか、話が来ない。 待ちあぐねている内、精神に異常を来たし・・・、という話。

  これは、実話ではなく、創作だそうです。 生類憐みの令のせいで、失脚した件りと、役目に復職できないまま、おかしくなって行く件りに、因果関係が薄くて、話が二つに分かれてしまっています。 松本さんの作品には、たまに、こういうのがあります。 歴史を無視して、吉保を殺しに行かせるわけにも行かなかったんでしょうな。


【二階】 約20ページ
  1958年(昭和33年)1月に、「婦人朝日」に掲載されたもの。

  家がいいと言って、無理に退院して来た長患いの夫の為に、専属看護師を雇った妻。 夫と看護師の仲に疑いを抱くようになるが、あまりにも急な事なので、信じられずにいた。 ある時、決定的な場面を目撃し、看護師に暇を出したが、その直後・・・、という話。

  本体部分は一般小説ですが、結末だけ、純文学になっています。 女性向け雑誌の読者を考慮して、女性心理を意識し過ぎた結果、不自然になってしまった感あり。 「こういう人もいる」と言ってしまえば、それまでですが、普通、女性というのは、こんな事はしないと思います。 考え方が、男性より、現実的ですから。


【点】 約22ページ
  1958年(昭和33年)1月に、「中央公論」に掲載されたもの。

  ある作家の元に、元警察官の作家志望者が、自分の幼い娘を使いにして、作品のアイデアを送ってくる。 ある政党に潜入捜査をした後、警察から追い出された事に恨みを抱いていて、内情を暴露しようという内容で、作品になるようなものではなかったが、いくばくかのお金を娘に持たせて返した。 その後、ついでの時に、その人物の家を訪ねたが、やはり、お金を恵んでやる事になる話。

  実話が元だそうですが、話というほどの話になっていません。 なんで、この作家が、元警官にお金を恵んでやらなければならないのか、どうにも、納得できません。 憐れだから? そんな理由で、赤の他人に金をやっていたら、キリがありませんな。

  あとがきによると、この作品を発表した後、モデルになった本人が、松本さんを訪ねて来て、悶着があったそうですが、そちらの方が、話が面白いです。


【拐帯行】 約18ページ
  1958年(昭和33年)2月に、「日本」に掲載されたもの。

  人生に絶望して、勤め先の金を持ち逃げし、同じように、お先真っ暗な気分になっている交際相手の女と、九州へ自殺覚悟の逃避行に出た男。 旅先で、落ち着いた雰囲気の夫婦者に出会い、話も交わす内に、考え方が変わり、罪を償って、一からやり直そうという気になる話。

  皮肉なオチがついていますが、松本作品を多く読んでいる人は、落ち着いた夫婦者が出て来た時点で、その結末に気づくと思います。。 この作品、なぜか、あとがきに、言及がありません。 書き忘れたのか、書く事がなかったのか・・・。


【ある小官僚の抹殺】 約26ページ
  1958年(昭和33年)2月に、「別冊文藝春秋62号」に掲載されたもの。

  「砂糖疑獄」で、事件のキー・マンである官僚が、長い出張の帰りに、熱海の旅館で、首吊り自殺をした。 死に方に不自然なところがあり、その背景を、松本さんが推測する話。

  前半は、疑獄事件の内容を、そのまま書いたもの。 後半は、松本さんの推理だけで終わっており、創作作品としては、欠格です。 この事件からモチーフを取ったと思われる作品に、【濁った陽】(1960年)や、【中央流沙】(1965年)があります。 詰め腹自殺に、よほど、義憤を感じていたんでしょうな。

  確かに、命と引き換えにできる利益なんて、あるとは思えず、自殺を強要するのも、それを受け入れるのも、理不尽極まりないと思います。 未だに、官僚の世界では、そういう事が行われているようですが、何かが、おかしいんでしょうな。


【黒地の絵】 約34ページ
  1958年(昭和33年)3・4月に、「新潮」に分載されたもの。

  朝鮮戦争最中の福岡。 祭りの太鼓の音に誘われて、米軍基地から、数百人のアフリカ系米兵が、武装したまま、外へ繰り出し、民家へ押し入って、酒を要求したり、女を暴行したり、好き放題をやった。 それが原因で、妻と離婚した男が、数年後、前線から送り返されてくる米兵の死体を処理する仕事に就いて、刺青を手掛かりに、ある人物を捜していた、という話。

  実話が元だそうです。 基地から外に出たのは、なぜか、アフリカ系だけで、ヨーロッパ系はいなかったのだとか。 祭りの太鼓に誘われたと書いてありますが、何か、基地内で、人種の違いに関係するような事件があったんじゃないですかね。 当時、外聞を憚って、被害届けが出ず、米軍の捜査もいい加減で、真相は藪の中ですが。

  それにしても、死体に復讐しても、虚しい感じがしますねえ。 それをし遂げなければ、そこから先の人生を切り開けなかったんでしょうか。


【氷雨】 約14ページ
  1958年(昭和33年)4月に、「小説公園増刊」に掲載されたもの。

  料亭に勤める女。 自分目当てに来ていた男が、自分より若い女中に気を引かれ始めたのを見て、別に、好きな男でもなかったのに、嫉妬と焦りを感じる話。

  話というほどの話ではないです。 女性心理の機微を描こうとしたものの、結果的に、面白くならなかった、という感じ。 松本さんは、人間全般の観察は鋭いですが、女性だけが対象になると、少し、焦点がボケる傾向があります。 それでも、大きく外さないのは、「普通の知能を持った人間に、心が純粋な者などいない」という、基本線を譲らなかったからでしょう。


【額と歯】 約28ページ
  1958年(昭和33年)5月14日の、「週刊朝日奉仕版」に掲載されたもの。

  戦前に起こった、バラバラ死体事件の経緯を、警察や、新聞記者の視点で追ったもの。 街なかで、男の死体の一部が発見されるが、その中に、顔が損傷していない頭部があり、富士額と、八重歯が特徴だった。 こういうケースでは、動機は怨恨という事が多いので、被害者の身元さえ分れば、その関係者が犯人がいると思われ、すぐにでも解決するかに思われたが、なかなか、身元が分からず・・・、という話。

  捜査本部が解散するまでは、単に、捜査の推移を追っているだけで、退屈なのですが、その後、水上警察所属の一警察官が、被害者の顔を、たまたま思い出したところで、ターンして、新聞記者に視点が移ると、特ダネ取りの緊迫した展開になり、俄然、面白くなります。

  松本さんは、アクション場面など、まず書かない人ですが、この後半の展開は、アクション場面より、遥かに血湧き肉踊るものがあります。 ただ、作品のバランスという面から見ると、前半と後半で、話の趣きが全く違ってしまっていて、纏まりは悪いです。 後半は、バラバラ事件の話というより、新聞記者の武勇伝ですから。


【日光中宮祠事件】 約32ページ
  1958年(昭和33年)4月に、「別冊週刊朝日」に掲載されたもの。

  戦後間もない頃、日光の旅館で起きた火災で、一家全員が死亡した。 地元警察署は、旅館主人による無理心中と決めてしまったが、親類の僧侶は、それを頑くなに否定し、再捜査を求めていた。 10年後、別件で逮捕された凶悪犯が、日光の事件についても自供するが、その内容に不自然さを感じた刑事が、再捜査を始め、少ない手がかりから、犯人に繋がる糸を手繰り寄せて行く話。

  実話。 面白いですが、警察捜査の実際を、そのまま、なぞっているだけに、同じ人物の所へ、何度も足を運んだり、都県境を跨いで、あっちへ行ったりこっちへ行ったりで、物語としては、まどろっこしいです。 事件記録が、そのままでは、推理小説には勿論、犯罪小説にもならないという実例ですな。 逆に、こういう内容の方が、リアリティーが感じられて、読み応えがあると思う読者もいると思います。


【真贋の森】 約48ページ
  1958(昭和33年)6月に、「別冊文藝春秋62号」に掲載されたもの。

  在野の美術評論家が、かつて、自分を公的な世界から締め出した、今は亡き大御所学者に復讐しようと思い立つ。 贋作画家を養成して、浦上玉堂の贋作を描かせて、世に出し、大御所学者の弟子に当たる美術評論の重鎮達に真作と判定させてから、引っ繰り返してやろうと目論むが・・・、という話。

  長編、【雑草群落】(1965年)の元になったと思われる作品。 といっても、登場人物は、全く違っています。 モチーフなど、話の骨格が同じというだけ。 短編というより、中編ですが、それにしても、大変な力作で、美術評論関係の知識・情報がみっちり詰まっており、ずっしり重い読み応えがあります。

  それでいて、コチコチに硬い感じがしないのは、松本作品には珍しい一人称で、「俺」が、身を持ち崩しかけた人間特有のヤケなノリで立てた計画について語っているからでしょう。 物語としてではなく、作品として、読む価値が高いと思います。


【装飾評伝】 約18ページ
  1958年(昭和33年)6月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。

  ある天才的な洋画家について書こうと調べていた人物が、参考資料として、天才画家の友人の画家が書いた評伝を読む。 二人とも、すでに他界しており、もっと詳しく知る為に、友人画家の娘に話を聞きに行くが、「何も知らない」と、にべもなく追い返される。 二人の生前を知る人物に聞きに行き、友人画家の娘にあった事を告げると、「似ているだろう」と、意味深な表情で言われて、ハッとする話。

  天才を友人にもってしまったばかりに、自分の才能の限界を感じ、自滅して行った男の話と言ってもいいかもしれません。 もっとも、天才の方も、ある事情で、精神的に追い詰められて、友人より遥かに早く、死んでしまうのですが。

  しかし、この作品も、【真贋の森】と同じで、物語よりも、盛り込まれている、美術評論や、画家評論の方に重きがあり、あまり、小説らしさは感じられません。 こういう、美術をモチーフにして書かれた小説を読んでいると、「絵は、やはり、絵を直接見た方がいいなあ」と思いますねえ。 文章で説明されても、隔靴掻痒としか言いようがありません。


【巻頭句の女】 約18ページ
  1958年(昭和33年)7月に、「小説新潮」に掲載されたもの。

  俳句の同人雑誌で、巻頭句に選ばれた事がある女性会員が、突然、句を送って来なくなった。 彼女が入所していた療養施設へ訊きに行くと、結婚して、退所したという。 更に、後を追うと、結婚した後、胃癌で他界したとの事。 その経緯の不自然さに疑念を抱いた同人雑誌の選者達が、素人捜査を進めたところ・・・、という話。

  【不法建築】(1967年)と、似た趣向の話。 死ぬ人間が、俳句の関係者であるかどうかは、ストーリーの骨格に関係がないです。 要は、誰か、本当に殺したい相手に、すり変えられる人間がいればいいわけだ。 更に、話の枠だけを取り出してみると、「犯罪を隠す為にやった別の事が、不自然だったせいで、露顕してしまう」という、【赤毛連盟】タイプの話なわけだ。


【紙の牙】 約30ページ
  1958年(昭和33年)10月に、「日本」に掲載されたもの。

  愛人といるところを、市政新聞の記者に見られてしまった市の職員が、恐喝され始め、愛人を維持しているせいで、それでなくても苦しい懐事情が、更に悪化して、追い詰められて行く話。

  梗概に書いただけの、シンプルな話です。 恐喝している方が悪いのは当たり前ですが、恐喝されている主人公も、そもそも、不倫なんかしなければ、こんな馬鹿な結末にはならなかったものを。 下らない事で、人生を棒に振ったものです。 主人公に同情できないせいか、面白さを、ほとんど、感じません。


【剥製】 約16ページ
  1959年(昭和34年)1月に、「中央公論文芸特集号」に掲載されたもの。

  囀りを真似て、野鳥を集める名人のところへ、取材に行った記者。 鳥が集まらずに、名人が枝に置いた鳥の剥製を撮影して帰る羽目になる。 その後、別の雑誌に移り、ある小説家の所へ原稿を取りに行ったところ、かつて、評論家として名を知られた人物と顔を合わせる。 小説家から、その人物に仕事をやってもらえないかと頼まれて、とりあえず、短いものを頼んでみたが・・・、という話。

  時代の変化についていけなかった評論家が、改めて、駄目を出される話。 鳥の鳴き真似名人は、話の枕に過ぎません。 分かり難い比喩になっていて、作品全体で言わんとしている事が、ピンと来ません。

  それにしても、原稿料は払うけれど、掲載はしないというのは、却って、残酷ですな。 単に、憐れみから、金を恵んでやっただけという事になってしまいますが、評論家先生は、プライドを傷つけられて、猛然と苦情を言ってくるんじゃないでしょうか。


【危険な斜面】 約36ページ
  1959年(昭和34年)2月に、「オール読物」に掲載されたもの。

  ある企業の会長が囲っているのが、かつて、自分が交際していた女だと知った、その企業の社員が、女の助けを借りて、部長に出世する。 ところが、女が妊娠した事で、駆け落ちを求められ、男は、とりあえず、女を失踪させる。 一方、その女が交際していた、もう一人の若い男が、女の行方を捜し始める話。

  前半が、経緯編。 後半が、捜査編。 ただし、捜査するのは、素人。 細かく書けば、長編になる骨格です。 今までに、8回もドラマ化されているらしいですが、読んだ人は、みんな、「短編にしておくのは、惜しい」と思うんでしょうねえ。 特に、脚本家の面々は、膨らませるのに腕を振えると、舌舐めずりするんじゃないでしょうか。

  私は、8回の内のどれかを見ているはずなんですが、配役がピンと来ず、思い出せません。 年代的に、一番それらしいのは、1982年版ですが、断定できんなあ。 女が、「紫色が好き」と言うところしか覚えていないのだから、無理もないか。

  小説自体は、前半と後半で、趣きが違い過ぎて、そんなに面白いわけではないです。 捜査するのが、素人ではなく、刑事だったら、もっと、面白くなったと思うのですが、犯人を追い詰める手段が、刑事では、絶対にやれないものでして、素人にせざるを得ないわけですな。 惜しい。


【願望】 約10ページ
  1959年(昭和34年)2月に、「別冊週刊朝日時代小説傑作特集」に掲載されたもの。

  ひとつは、叩き上げの戦国大名が、親代わりに大事にしている姉に、もっと満足して貰おうと思って、若い家臣に按摩を習わせて、姉につけたところ、精気を吸い取られて、すっかり衰えてしまう話。 もう一つは、慶長年間、楽阿弥という物乞いが、長年かかって貯めた金を、パーッと使って、人を雇い、愛宕詣でに繰り出す話。

  昔の説話集から取って、小説に仕立てたものですが、内容的には、説話そのもので、物語とは思えても、小説という感じは、あまりしません。 二つの話の共通点は、「願望」なのですが、いささか、強引な並べ方という気がせんでもなし。

  二つ目の話は、横溝正史さんの戦前の短編で、【山名耕作の不思議な生活】、【角男】など、同じアイデアの作品をいくつか読みました。 19世紀の西洋の短編を探せば、もっと出て来そうです。 慶長年間(1596-1615年)ですから、こちらの方が古いですが、たぶん、それ以前にも、同じアイデアで書かれた物語があるはず。


【空白の意匠】 約34ページ
  1959年(昭和34年)4・5月に、「新潮」に分載されたもの。

  ある地方新聞で、上得意である薬品会社の広告の上に、その会社の薬害を報じる記事を出してしまった。 しかも、それは誤報だった。 広告部門の責任者が、激怒している広告代理店や、薬品会社に謝りに行くが、相手にしてもらえない。 広告代理店の責任者をもてなして、何とか、赦して貰おうとするが・・・、という話。

  松本さんらしい題材ですな。 社会派ですが、知る人ぞ知る世界で、一般読者には馴染みがないです。 こういう力関係の世界もあるんでしょうが、ビジネスの話ですから、特に理不尽という感じはしません。 そりゃあ、大金を払って、広告を出してやっている側が、こういう真似をされたら、怒るでしょうよ。

  ラストが良くなくて、非常に不愉快な後味が残る話です。 この問題は、明らかに、編集部の責任者が引き起こしたのであって、責任を取らせるべきは、その男なのに、広告部の責任者が詰め腹を切らされるとは、理不尽極まりない。 つまり、広告部の責任者には、代えがいるが、編集部のそれには、いないから、という事でしょうか。 そんな、情けない新聞社なら、畳んでしまった方が、いっそ、サバサバするんじゃないでしょうか。


【上申書】 約20ページ
  1959年(昭和34年)2月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。

  昭和10年代後半、妻殺しの容疑で逮捕された男が、容疑を否認したり、認めたり、何度も証言を修正した挙句、結局、起訴されて、一審では無罪判決を受けたが、控訴されて、二審では有罪判決を受けた。 その後、最高裁の判事に向けて、自ら上申書を書く話。

  後に書かれる、【証言の森】(1967年)と同じ事件を扱ったものですが、こちらは、元になった事件の経緯を追っただけのもので、創作的捻りは盛り込まれていません。 証言が二転三転する点、事件そのものが興味深いものですが、先に、【証言の森】の方を読んでいると、新鮮味がないせいか、面白さを感じません。 先にこちらを読んだら、【証言の森】をどう感じるのだろう?


【部分】 約10ページ
  1960年(昭和35年)7月に、「小説中央公論」に掲載されたもの。

  女の顔が気に入って、結婚を決めた男。 その女の母親に会ったら、娘と良く似ていたが、娘の顔の特徴が、変な方向にズレたような顔で、嫌悪感を抱く。 当初は、夫婦二人で住んでいたから良かったのだが、やがて、事情があって、義母が同居する事になる。 嫌いな顔の義母と顔を突き合わせている内に、妻の顔まで嫌いになりそうなり、精神的に追い詰められて、ある時・・・、という話。

  これは、着眼も面白いし、ストーリーも、面白いです。 ちょっと、毛色が違いますが、実に鮮やかな、「意外な結末」が付いているので、ショートショートのコンテストに送ったら、審査員が、ギョッとするんじゃないでしょうか。 ただし、あまりにもつまらない理由で人が殺されるので、後味は悪いです。

  確かに、どんな美女でも、イケメンでも、顔のパーツだけ取り出して、見たら、グロテスクですな。 私なんか、鼻が高い女性を見ると、怖くて、仕方ありません。


【駅路】 約16ページ
  1960年(昭和35年)8月7日号の、「サンデー毎日」に掲載されたもの。

  定年後、再雇用の話を断って引退した男が、失踪する。 警察が調べると、男の過去の旅行先から、広島に住んでいる女と、男が住んでいた場所との中間地点で落ち合っていた可能性が出てくる。 更に、両者の連絡には、別の人間が介在していた事が分かり・・・、という話。

  あとがきによると、この作品、推理物として読ませようというのではなく、長年、会社と妻子に縛られていた男が、別の人生に逃げ出そうとする願望を描くのが目的だったようです。 しかし、クロフツ的捜査が展開されるので、普通に、推理物として読んでも、面白いです。 とりわけ、松本作品をあまり読んでいない読者なら、ゾクゾク感で、興奮すら覚えるのでは?


【誤差】 約19ページ
  1960年(昭和35年)10月に、「サンデー毎日特別号」に掲載されたもの。

  ある温泉旅館に、先に女が入り、数日してから、相手の男がやってきた。 やがて、男は、不審ないいわけをして、出て行ったきり戻らず、部屋には、女の死体が残されていた。 死亡推定時刻が、二人の医師で食い違い、より権威のある病院長の方の見解で、捜査が進められたが、その内、容疑者の男が、予想外の行動を引き起こしてしまい・・・、という話。

  死亡推定時刻の誤差の部分だけ、実在の監察医の経験が元らしいですが、ストーリーは、創作されたもの。 医者によって、死亡推定時刻を、早めにする人と、遅めにする人がいるというのが、アイデアの芯ですが、肉付けされた他の部分もよく出来ていて、普通に、推理物として、面白いです。




≪雪割草≫

戎光出版株式会社祥 2018年3月20日/初版
横溝正史 著

  沼津市立図書館にあった単行本。 こういう本がある事は、前々から知っていたのですが、内容が一般小説だというので、借りる気になりませんでした。 それが、ごく最近、角川文庫から、文庫版が出たと知り、そちらを買うか買わぬか決める前に、中身を読んでみようと思って、借りて来た次第。

  二段組みで、長編一作と、編者、山口直孝さんによる解題、作者の次女に当たる、野本瑠美さんの寄稿文が収録されています。


【雪割草】 約404ページ
  1941年(昭和16年)6月12日から、12月29日まで、「新潟毎日新聞」と「新潟日々新聞」に、リレーする形で連載されたもの。 なぜ、リレーされたかというと、途中で、「新潟毎日新聞」が、「新潟新聞」と合併して、「新潟日々新聞」になったから。


  信州諏訪に住む父娘。 娘の結婚直前に、父親が実父でない事を理由に婚約破棄される。 そのショックで、養父が死んでしまうが、今はの際に、実父を知っている人物を訪ねるように言われ、娘一人で東京へ出て来る。 早々に、金を持ち逃げされたり、車にはねられたりと、散々な目に遭うが、なりゆき上、身をおく事になった画家の家で、弟子の青年に求婚され・・・、という話。

  この梗概は一部で、この後、この3倍くらい、話が続きます。 NHKの朝ドラとか、少し年配の人なら、かつて、盛んに作られていた昼メロとか、今の人なら、韓ドラのドロドロ系の、少しマイルドなタイプとかを思い浮かべていただければ、ほぼ、その類型です。 ただし、ドラマに比べると、描かれている期間が短くて、ボリュームは少ないです。

  横溝さんが書いた、唯一の一般小説ですが、何の問題もなく、普通に、普通の小説として、読めます。 横溝さんが、大変、器用な人で、一度も書いた経験がなくても、大体、どんなものかが分かっていれば、新聞小説を専業で書いている作家達に引けをとらない作品を、書けたんでしょうな。

  ただし、横溝さん本人は、こういう小説が書きたかったわけでは全然なく、探偵小説や、捕物帳が検閲を通らなくなってしまったから、家族を養う為に、やむを得ず、仕事を請けたのであって、創造性を発揮する余地はなく、単に、器用さを活かしただけの作品になっています。

  一人で生きて行く意欲満々の女性が主人公。 ところが、この人、なかなか、働きません。 有能さは垣間見せるものの、就職の約束をしたところへは、まずは、交通事故に遭って、次には、結婚してしまって、二度もすっぽかし、働く機会がなかなか、訪れないのです。 事故は仕方がないけれど、求婚されて、二つ返事でOKし、結婚しちゃったのは、ちょっと、というか、相当、軽薄ですねえ。

  その亭主になった男というのが、求婚の直前まで、主人公が身を寄せていた画家の家の娘と、縁談らしきものが持ち上がっていたというのだから、正に、後足で砂をかけるような真似をしたわけで、これでは、画家の奥様から、じろりと睨まれても、致し方ありますまい。  しかも、そのタイミングが、画家の息子が登山で遭難して、一家がてんやわんやの最中だったなると、もはや、主人公も相手の男も、人非人と言っても過言ではない。

  また、亭主になった男というのが・・・。 画家が最も目をかけていた弟子であったにも拘らず、結婚後、生活能力が全然ない事を露呈するのです。 駄目人間にも程がある。 稼げなくて、犯罪に走り、拘置所まで行きます。 主人公にすれば、眼鏡違いも甚だしい。 男を見る目がなさ過ぎる。 自分の就職をすっぽかして、専業主婦になるというのなら、せめて、亭主が食い扶持を稼げるかどうかくらい、確かめてからにせえよ。

  こんな細かい事を、グデグデ指摘しても、詮ないから、この辺でやめておきます。

  戦時下に発表されていた作品なので、当然、時局に迎合した、戦時下シフトの内容になっています。 しかし、その度合いは、心配するほど、強くありません。 ただし、強くはないけれど、何度も出て来ます。 「戦時下だから、こういう考え方をしなければならない」といった風に。 また、登場人物が満州へ行く設定も多いです。

  大筋としては、大団円に終わるのですが、満州へ行った人々が、その後どうなったかは、想像に難くないのであって、後の時代から見ると、大団円ではないわけですな。 そこまで、戦時中の横溝さんには、責任はないわけですが。


  この作品、2006年に、草稿の一部だけ、遺品の中から見つかって、2010年から、それを手掛かりに、戦時中の地方新聞を捜したら、ほぼ、全回が発見されたという、発掘作品です。 長編ですから、横溝さん本人が、この作品の存在を忘れていたとは思えないのですが、横溝大ブームの時に、角川文庫旧版に入れられなかったのは、たぶん、戦時下シフト作品を、後世に残したくなかったからだと思います。

  もしかしたら、角川文庫旧版の編纂に関わった、中島河太郎さんも、この作品の事を知っていたんじゃないでしょうか。 「戦時下シフト作品だけは入れないように」という了解が、横溝さんとの間に出来ていたので、外したのでは? これは、私の個人的勘繰りですけど。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2021年の、

≪松本清張全集 63 詩城の旅びと・赤い氷河期≫が、4月16日から、21日。
≪松本清張全集 36 地方紙を買う女 短編2≫が、4月23日から、5月2日まで。
≪松本清張全集 37 装飾評伝 短編3≫が、5月7日から、12日まで。
≪雪割草≫が、5月15日から、16日まで。

  ほら、言ったことじゃない。 短編集の感想は、長かったでしょう。 あれだけ、口を酸っぱくして、読むなと言っておいたのに。 松本清張全集ですが、短編集6冊以外にも、全集収録前からの短編集が含まれている巻があり、複雑です。

  この全集、作者の存命中から、発刊が始まり、新たな作品が溜まると、全集に組み入れて行ったようですな。 ≪松本清張全集 63 詩城の旅びと・赤い氷河期≫は、その最終巻だったわけだ。 【赤い氷河期】は、かなり毛色の違う作品で、「なんで、最後の長編が、未来物なのかなあ?」と、首を傾げてしまいます。 最後に、もう一作、長編推理小説を書いてくれていたら・・・、と思うところですが、もう、その頃には、推理物は書き尽くしたと思っていたのかも知れません。

  ≪雪割草≫ですが、先に、図書館の本で読んだ結果、新刊の文庫を買うのは、やめにしました。 推理物でもないし、戦時シフト作品では、手元に置いても、読み返す事がないと思ったからです。 値段が、1280円もするという事もありますが、たとえ、古本で安くなっても、やはり、買わないと思います。