2021/10/24

読書感想文・蔵出し (77)

  読書感想文です。 このシリーズ、進まんなあ。 一度、現在に追いつくまで、連続でやらないと駄目かな。 一回の紹介冊数を増やす、という手もありますが、それでなくても、一冊分が長いのに、4冊以上にしたら、読む方が参ってしまうと思うので、却下。





≪マラッカの海に消えた・エジプト女王の棺≫

山村美紗長編推理選集 第一巻
講談社 1990年1月20日/初版
山村美紗 著

  沼津市立図書館にあった本。 二段組みで、長編2作を収録。 なぜか、第三巻より、第一巻の方が、初版の発行年月が早いですな。 第二巻は、どうなっているのだろう?


【マラッカの海に消えた】 約184ページ
  1973年(昭和48年)に、【ゆらぐ海溝】という題で、江戸川乱歩賞の最終候補に残った作品。 1974年に、講談社から刊行されたもの。

  夫婦間に隙間風が吹き始めていた折に、夫がマレーシアのペナン島に赴任する事になる。 妻は日本に残っていたが、結婚前に不倫関係にあった男が殺され、その直前に、ペナンにいるはずの夫を、日本で目撃していた。 夫に疑念を抱き、ペナンへ向かうが、夫は、殺人事件が起こった日に、ペナンで、交通事故を起こしていた事が分かる。 ところが、そのアリバイが揺らぎ始め・・・、という話。

  梗概で書いたのは、ほんの一部で、この3・4倍のボリュームがあります。 長編推理小説だから、このくらいの長さは、不思議ではありませんが、中身が、みっちりというか、トリックや謎が目白押しで、大変、充実しています。 文学賞の応募作とは思えないほど、プロっぽい。

  主なトリックは、ペナンで起こる密室殺人ですが、そちらは、唸らせられるほどのものではありません。 ネタバレは避けますが、「その道具では、そう、うまくはいかないだろう」と思ってしまいます。 途中で、ズレ落ちてしまったら、どうするもりだったんでしょう?

  もう一つは、飛行機を使ったアリバイ・トリックで、こちらは、凝っています。 凝ってはいますが、交通機関を使ったアリバイ・トリックは、もはや、使い古されていて、これまた、唸るほどのものではありません。 ただし、1973年当時だと、海外旅行に行く人はもちろん、飛行機に乗った事がある人も、今より、ずっと少なかったわけで、読者の受け取り方は、当然、違っていたと思います。

  これだけ、内容があるのに、あまり、面白さを感じないのは、主人公の女性に、共感し難いからだと思います。 この人、結婚前に、不倫をしていたのですが、その相手が、夫の上司で、しかも、夫がその事を知らない状態で結婚し、後になってから、他人からの情報でバレたという、かなり、ヤバい経緯があって、主人公としては、純粋さに欠けるのです。

  「夫は、私の過去を承知の上で、求婚したと思っていた」とありますが、夫本人に確認をしない、勝手な思い込みでして、危険極まりない。 結婚前に、自分から告白して、「それでもいいなら」という条件をつけるべきだったのです。 現代なら、【本陣殺人事件】のような事にはなりますまい。 後から知ったら、そりゃ、怒るわ。 「この女、騙したな」と思うわ。 隙間風程度で済んでいたのが、奇跡に近い。

  この作品、一度だけ、ドラマになっていまして、1979年6月に、テレビ朝日の土曜ワイド劇場で、放送されたとの事。 でねえ、私、それを、見ているんですよ。 主人公が、三田佳子さんで、夫役が、横内正さんというのは忘れていましたが、砂浜に、ある物を埋めた目印の棒が、その後、海亀の産卵場所を示す棒が、無数に立てられた事で分からなくなってしまうという、ラスト・シーンだけ、覚えていたのです。

  1979年というと、42年も前で、私は、中学生でしたが、「よく、記憶に残っていたなあ」と、深く感慨に耽った次第。 サブ・タイトルは、「謎の蛇寺と海底黄金」ですが、「蛇寺」という言葉も、印象に残っていました。 山村さんの原作とは、知らなかった。 もう一度、見たいですが、70年代の作品では、放送してくれないでしょうねえ。


【エジプト女王の棺】 約226ページ
  1978年(昭和53年)10月1日から、50回、「京都民報」に連載された【神獣の森】に加筆して、1980年10月に、光文社から刊行されたもの。

  駐エジプト公使だった父が、交通事故で死ぬ間際に、「カノピス容器」と言い残す。 娘は、その後、京都の私立中学の教師になるが、修学旅行先で、クラスの女子生徒が転落死し、学校に戻った後、密室になった放送室で、男子生徒が死ぬ。 更に、中学生売春に関わって、死者が続く。 2年前に、エジプト展ですり替えられたカノピス容器に謎が隠されていると目星をつけ、死んだ男子生徒の兄である新聞記者と共に、捜査に足を踏み入れて行く話。

  素人探偵物ですが、シリーズ物ではないので、この作品だけの登場人物が、主人公になっています。 警察の中に、橋口刑事の名前がありますが、警部は、狩矢さんではないです。 警察は、無能というほどではないけれど、積極的に、事件捜査に取り組むわけではなく、低能と呼ぶのが相応しい役どころ。

  密室トリックがメインの謎ですが、展覧会での、カノピス容器のすり替え方法も、それだけで、一作できるほど、よく考えられていて、大変、豪華です。 トリックを大盤振る舞いし過ぎていて、逆に軽く思えてしまうくらいですが、本格トリック物で、長編となると、並列的に幾つか入れざるを得ないんでしょう。

  学校が主な舞台なので、ジュブナイル的な読み方もできます。 文章も平易で、読み易いです。 年代的に、赤川次郎さんがデビューした後なので、何かしら、影響を受けていたのでは? もっとも、山村作品が、その後、青少年向けへ引きずられてしまうという事はなかったようですが。

  なぜ、赤川次郎さんと比較したかというと、忘れている人も多いと思いますが、70年代末から、80年代にかけて、推理作家といったら、赤川さんが代表格だったからです。 ところが、90年代には、すっかり、人気が落ちて、2時間サスペンスでドラマ化される事もなくなってしまいます。 一方、山村作品原作のドラマは、その後、2サスの主流の一つとなり、現在に至るまで、人気が続いています。 この差は、青少年向けと、大人向けという読者の対象年齢層の違いが出たのでしょう。 青少年は、2サスを見ませんから。




≪松本清張全集 58 熱い絹≫

松本清張全集 58
文藝春秋 1995年7月30日/初版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、長編1作を収録。


【熱い絹】 約460ページ
  1983年(昭和58年)8月15日から、1984年12月30日まで、「報知新聞」に連載されたもの。 元は、1972年(昭和47年)2月から、1974年12月まで、「小説現代」に連載されたものですが、そちらは、中絶してしまい、その後、大幅に書き改められたのが、この作品。

  軽井沢の別荘地で、アメリカ人女性が殺害され、扼殺の方法から、犯人は外国人ではないかと推測される。 それに先立ち、被害者の兄で、マレーシアで、「タイ・シルク王」と呼ばれていた実業家が行方不明になり、世界的なニュースになっていた。 一方、蝶の採集ツアーで、マレーシアに向かった青年が、現地で殺される事件も起こる。 軽井沢の事件を調べていた警部が、仲間と共に、マレーシアに出向き、現地の警察と協力して、捜査を進める話。

  最初に起こるアメリカ人女性殺害事件は、話の枕に過ぎず、メインは、マレーシアで起こった、タイ・シルク王の失踪事件の方です。 1967年に実際に起こった「ジム・トンプソン失踪事件」が元になっていますが、作品は、創作で、実録ではありません。 この作品を読んだ人は、必ず、「ジム・トンプソン失踪事件」を調べておいた方がいいです。

  松本作品には珍しく、冒頭は、推理小説の王道を行くような展開で、大いにゾクゾクします。 ところが、舞台が、マレーシアに移ると、松本作品の海外物によくある、「半分、旅行記」になってしまい、どっと、白けます。 何も、こんなに細々と、異国風情を描き込まなくてもいいと思うのですがね。 80年代になると、海外旅行経験者も増えていた事ですし。

  以下、ネタバレ、あり。

  「こんなの、いいのかな?」と思わされるのは、日本から出向いた警部が、なんと、「タイ・シルク王失踪事件」の謎を解き、解決してしまう事です。 松本作品の、特に、長編では、大変珍しい事なのですが、この警部、直感で謎を解く、「名探偵タイプ」でして、クロフツ的な、コツコツ捜査をしません。 自発的に動く事も稀で、なりゆき任せで、あちこち行って、自然に入って来た情報から、インスピレーションで、推理するのです。 珍しい。 大変、珍しい。

  70年代後半から、80年代にかけては、日本国内に於いて、「日本の警察は優秀だ」と、自画自賛的に言われていた頃ですが、松本さんも、この作品では、それを無批判に取り入れています。 しかし、警察というのは、組織捜査をやるからこそ、力を発揮できるのであって、警部一人、刑事一人、通訳一人ではねえ。 で、警部を、些か超人的な、名探偵タイプにしてしまったんですな。

  実話が元という事は、この作品で、犯人とされている人物にも、モデルがいるわけで、いくら創作、いくら小説とはいえ、問題があるのではないでしょうか。 「どうせ、外国人だから、日本の小説なんか、読むわけがない」と開き直るなら、まあ、確かに、その通りだと思いますが、それにしても、問題はあると思います。

  この作品、1998年に、村上弘明さん、鈴木京香さんなどの出演で、ドラマ化されており、私も、本放送の時に見ているんですが、話の本体部分は、すっかり忘れていて、「マレーシア奥地の茶畑が、静岡の茶畑にそっくり」という件りで、ハッと思い出しました。 「戦時中に、イギリス軍の捕虜になり、その後、脱走した日本兵が、現地の先住民族に受け入れられて、茶畑の作り方を教えた」という設定になっているのです。

  ところが、そのドラマに出てきた茶畑は、静岡方式とは、似ても似つかぬ作り方をしていて、「どこが、似てるんだ?」と首を傾げたのを、覚えています。 幾つか理由が考えられますが、まず、「元日本兵が、茶畑の作り方を教えた」というのが、そもそも、創作であり、そんな茶畑は、現実には存在しないという事。

  次に、静岡でも、手摘み方式から、機械刈り方式への転換があり、戦前と戦後では、茶畑の形に変化があったのではないかという事。 しかし、1998年のドラマでは、登場する日本人達も、手摘み方式の茶畑を見た事がある人は、皆無だったはずで、「静岡の茶畑にそっくり」とは、感じなかったのでは?

  ドラマの方はさておき、小説内に限っても、いろいろと問題がありますが、その元になっているのは、「マレーシアよりも、日本の方が、あらゆる面で優れているはずだ」という思い込みが、作者にあったからではないかと思います。 そういう点に関しては、松本さんは、見聞も視野も、日本人の一般平均よりは、ずっと広かった方で、責めるのは酷と、分かってはいるのですが・・・。




≪燃えた花嫁・消えた相続人≫

山村美紗長編推理選集 第五巻
講談社 1990年3月26日/初版
山村美紗 著

  沼津市立図書館にあった本。 二段組みで、長編2作を収録。 第三巻、第一巻と来て、次は、第五巻と、飛んでいますが、タイトルを知っている作品から借りているから、こうなっているもの。 【燃えた花嫁】は、以前、家にある文庫本で読んで、感想を出していますが、ほぼ同じ物を、出しておきます。


【燃えた花嫁】 約210ページ
  1982年(昭和57年)に、光文社のカッパ・ノベルス用に、書き下ろされたもの。

  人工皮革の新製品を発表するファッション・ショーに出るはずだったモデルが、南禅寺の水路閣で絞殺死体で発見され、ショーの最中にも、別のモデルが毒殺される。 追い討ちをかけるように、新製品を使ったウェディング・ドレスを着た首相の娘が、結婚式の控え室で焼死する。 新製品を巡って、二つの繊維メーカーが繰り広げている熾烈な競争が、事件の背景にある事が分かり、キャサリンと狩矢警部が、協力しながら、謎を解いて行く話。

  キャサリンの方には、浜口が付いていますが、相変わらず、ただ、そばにいるだけの男で、キャラクター不在です。 2時間サスペンスの方でも、山村さん原作の作品では、大抵、探偵役は女で、そばに、オマケみたいな、当たり障りのない存在感の男がくっついていますが、それは、キャサリン・シリーズからの伝統だったわけですな。

  それはさておき、中身ですが、面白いです。 企業の競争というか、暗闘というか、それが、鬼気せまる迫力で描きこまれていまして、推理小説ではなく、企業小説なのではないかと錯覚するほどです。 人が死んでいるのに、技術的な見地からしか物を言わない、技術部長が、怖いくらいに凄まじい。 口先でお悔やみを言っても、死者の無念さなんか、微塵も考えていなくて、自分が開発した繊維が、燃えるわけがないと、そればっかり、繰り返します。 だけど、こういう人、実際に、いそうですな。

  販売部長が、また、「私は、野心家の方を信用する。 野心のない人間は、どんなに性格が好くても、信用しない。 そんな人間は役に立たない」と言い放つ輩で、これまた、実際に、いそうなタイプです。 「他人というのは、別に、あんたの役に立つ為に、存在しているわけではないのだよ」と、子供に諭すように、わざわざ教えてやらなければ、理解できないのでしょう。 「あんたみたいな、人格低劣な人間に信用されたら、その方が迷惑だわ」と言い添えるのを忘れずに。 もっとも、こういう人間は、誰に何を言われても、一生、下司のままだと思いますけど。

  企業戦士的な行動を取る登場人物に限ってですが、人間観察が、行き届いていますわ。 一方、犯人の方の人物像は、かなり、スカスカです。 犯人が誰か、読者に気取られないように、わざと、存在感を薄くしているわけですが、犯人の性格が、第三者の口からしか語られないので、どういう人なのか、実感として伝わって来ないのです。 キャサリンや狩矢警部と、もっと会話させて、為人が自然に知れるようにすれば良かったと思うのですがね。

  そのせいか、企業間の戦いの場面が終わり、トリックや謎の解明が進んでいくと、後ろの方のボリュームがなくなって、急につまらなくなってしまいます。 推理小説で一番大事な、謎解きが盛り上がらないのだから、残念な話。 3分の2くらいまでの、手に汗握る展開を思うと、実に惜しい。

  ところで、メインの謎に据えられている、コースターに書かれた、ローマ字の名前ですが、あまりにも簡単すぎて、すぐに分かってしまいます。 容疑者達の名前が、すでに挙がっているのに、二通りに読める事に気づかない読者は、まず、いないでしょう。 一方、新婦控え室発火のトリックは、専門知識がないと、分かりません。 「難し過ぎる」というような、程度の問題ではなく、薬品や危険物の特殊な知識を持っていなければ、全く分からないのです。 そういうトリックを使うと、読者が白けてしまうので、あまり、感心しません。

  いい所と悪い所が入り混じっていますが、推理物としての期待を高く持ち過ぎなければ、小説としては、十二分に面白いと思います。


【消えた相続人】 約192ページ
  1981年(昭和56年)に「別冊婦人公論 秋号」に掲載された作品に、後半を加筆して、1982年に、光文社のカッパ・ノベルスから刊行されたもの。

  元アメリカ副大統領令嬢のキャサリンが、数回目の来日早々、浜口に引き合わされる予定だった、京都の旧家の娘が、誘拐されてしまう。 身代金の5千万円だけ奪われて、本人が返されない状況に、キャサリンが、ある奇抜なアイデアを出して、人質の無事を確認し、奪回を試みるが、事態は思わぬ方向へ転がって行き・・・、という話。

  面白いです。 展開が驚くほど早いので、「もしや、誘拐事件は、すぐに解決してしまって、その後、他の事件が起こるのでは?」と勘繰るのですが、見事に裏切られ、そうはならずに、基本的に、一つの誘拐事件で、全編が埋まっています。 ただし、相当には、複雑な話で、尋常な推理小説ファン意識では、置いて行かれてしまう感があります。

  内容は全く違うのですが、西村京太郎さんの、【消えたエース】に似た緊迫感を覚えました。 どちらも、誘拐物で、ほぼ同じ頃に書かれているのですが、どちらかがどちらかに、影響を与えたのかもしれませんねえ。 どちらも、傑作にして、名作だと思います。 こういう話を考案できる人というのは、天才的な頭脳の持ち主なんでしょう。 推理作家というのは、無数にいるようでいて、有名な人は、実は、僅かなのですが、こういう天才達と渡り合わなければならないのだから、新人が越えなければならないハードルが、いかに高いかが分かろうというもの。

  推理担当は、ほぼ、キャサリンの独擅場で、浜口は、オマケ以下の扱い。 狩矢警部も、この作品では、鋭いところが全く見られず、「優秀な素人探偵」を引き立てる為の、「駄目な警察」に徹しています。 キャサリンが、日本人には思いつかない発想で、事件を分析して行くところが、このシリーズの真骨頂なのですが、それが、遺憾なく発揮されています。

  犯人の一人が逮捕されて、誘拐計画が頓挫したあと、仲間によって、引き継がれるのですが、その時、新たに、別の仲間を引き込む、その仲間が、非常に変わっていて、盲点も盲点、こんな事を思いつく方がどうかかしている。 そのくらい、変わっています。 凄いアイデアですなあ。 あまり、凄すぎるので、何か、過去の別作家の作品に、前例があるのではないかと疑ってしまいますが、少なくとも、私が知っている範囲内では、思い当たりません。

  とにかく、面白いので、こんな感想を読んでいるより、実際に、作品を読む事を、お薦めします。 ページをめくる手が止まらなくなるから、2時間くらいで、一気に読んでしまうと思います。




≪八つ墓村≫

角川文庫
角川書店 1971年4月30日/初版 1977年8月25日/44版
横溝正史 著

  2019年4月に、ヤフオクに出ていたのを、送料入れて、950円で買った3冊セットの中の1冊。 横溝作品の角川文庫・旧版の中では、最初の一冊です。 大ブームが起こってから、一年後くらいですが、すでに、44版というのが、凄いですな。 長編1作を収録。 


【八つ墓村】 約486ページ
  1949年(昭和24年)3月から、1950年3月まで、「新青年」に連載された後、中断。 その後、1951年11月と、1952年1月に、「宝石」に掲載され、完結したもの。 新青年での中断は、雑誌が休刊になってしまったのが理由だとの事。

  戦国時代に、村人が尼子の落ち武者8人を惨殺し、26年前には、一人の男によって、32人が殺害される事件が起こった、八つ墓村。 その村の大地主の家が、後継ぎとして、自分を捜していると知った青年が、弁護士事務所へ赴くと、初めて引き合わされた母方の祖父が、その場で毒殺されてしまう。 その後、村に入った青年の周囲で、次々と毒殺事件が起こる。 動機が分からない連続殺人に、金田一と磯川警部らが手こずっている間に、村人の青年への憎悪が燃え上がり、村の地下に張り巡らされている鍾乳洞に避難を余儀なくされる話。

  こんな梗概を書くまでもなく、≪八つ墓村≫を、映画やドラマで、一回も見た事がないという人はいないでしょう。 大体の筋は、誰でも、承知しているはず。 脚色によって、異同がありますが、「落ち武者8人殺し」、「村人32人殺し」、「鍾乳洞が舞台」という、三点は、外せないところです。

  私は、原作小説を、30年以上前に、母が所有していた、カバーなしの角川文庫旧版で読んでいるのですが、「大変、読み易かった」、「里村典子が、重要な役所を担っている」、「ハッピー・エンドである」という以外、すっかり、内容を忘れていました。 その後、その本が、家の中で行方不明になってしまい、読み返す事もできないままになっていたのですが、2019年4月に、ヤフオクで手に入れ、「手元にあるのだから、急いで読む事もない」と思って、今まで、読まなかった次第。

  面白いです。 本格推理小説で、非物理トリック物。 トリックで下敷きにしているのは、アガサ・クリスティーの【ABC殺人事件】ですが、その点は、読ませ所にはなっていないので、あまり、面白くありません。 この作品の肝は、鍾乳洞を舞台にした、探検物のワクワク感と、同じく、鍾乳洞を舞台にした、逃走劇のハラハラ・ドキドキ感でして、テイスト的には、推理小説というより、冒険小説に近いです。

  映画やドラマでは、軒並み、異様に、おどろおどろしい話にしてしまっていますが、原作は、それほどではなく、ずっと、すっきりした印象です。 特に、後半は、辰弥と典子のラブ・ロマンスが前に出て来るので、おどろおどろしさなんて、全く感じられなくなります。 「たたりじゃ~、八つ墓のたたりじゃ~」で一世風靡した、松竹の映画では、典子が、存在自体、バッサリと省かれて、辰弥と森美也子の組み合わせになっていましたが、美也子は、原作では、出番が最少化されています。 意外なくらいに。

  姉の春代は、映像作品では、存在感が薄いですが、原作では、辰弥に次ぐくらい、細やかな人格描写がなされています。 春代の辰弥への思いは複雑で、しかも、深く熱いものがあり、本来、そういう設定であったと知ると、映像作品に出てくる春代を見る目も、自ずと変わって来ます。 なぜ、原作に忠実に映像化しないのかというと、脚本家が、自分の名前を売りたいからなのですが、弄くり回した挙句、原作のいいところを損なっていたのでは、文字通り、話になりませんな。

  読み易い点は、横溝さんの長編の中でも、トップだと思いますが、それは、冒険小説の枠を借りているからでしょう。 もし、この事件を、金田一を視点人物にして、トリックや謎の解明を中心に、話を進めていったら、読み難くなるでしょうねえ。 推理小説的な部分は、さらっと流して、謎解きを、最後の数ページに集約してあるから、読者は、頭を使わずに、冒険小説的なストーリーを楽しめるのです。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2021年の、

≪マラッカの海に消えた・エジプト女王の棺≫が、2月26日から、3月3日。
≪松本清張全集 58 熱い絹≫が、3月4日から、8日まで。
≪燃えた花嫁・消えた相続人≫が、3月10日から、12日まで。
≪八つ墓村≫が、3月11日から、18日まで。

  今回は、松本清張全集が一冊しか入っていないから、写真としては、華やかですな。

  それにしても、≪八つ墓村≫のカバー絵の、迫力のあることよ。 杉本一文さん、畏るべし。 ちなみに、これらの絵が描かれたのは、70年代後半でして、もう、40年以上前です。 40年経っても、杉本一文さんを超える画家が出て来なかったわけだ。

  山村美沙さんの本のカバー絵は、深井国さんで、80年代の明るい雰囲気を、大変、よく表しています。 私が知っている範囲で思い起こすと、80年代初めから、90年代初めくらいが、日本文化の、最も輝いていた時代だと思いますが、この絵は、見るなり、スポーンと、感覚的に、それを思い出させてくれます。

  今、本屋に行っても、カバー絵で、買いたくなる本というのは、まず、見当たりません。 そういう、人の目をひきつける絵を描ける画家が、いなくなってしまったのか、画家はいるけど、そこへ仕事を頼にみに行ける編集者がいなくなってしまったのか。 いずれにせよ、つまらん時代になったものです。