EN125-2Aでプチ・ツーリング (23)
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、23回目です。 その月の最終週に、前月に行った所を出しています。 今回は、2021年7月分。
【伊豆の国市立花・第六天神社①】
2021年7月6日に、バイクで、伊豆の国市、立花という所にある、「第六天神社」へ行って来ました。 梅雨の最中で、雨が降っていない隙を突いて出かけました。
≪写真1左≫
伊豆長岡の大門橋を渡って、直進し、伊豆箱根鉄道の踏切の手前で左折して、北上。 信号の次の次の交差点を右折して、住宅地を山の麓まで進むと、鳥居がありました。 バイクは、参道に停めました。 他に場所がなかったのです。
≪写真1右≫
石段。 高いです。 石が湿っていて、足を滑らせないように、神経を使いました。
≪写真2≫
階段の途中にあった、2基の石燈籠。 元は、同じ物ですな。 既製品なんですかね? 火袋の穴が、○になっているのは、珍しい。
≪写真3≫
社殿。 木造、瓦葺き。 瓦葺きは、大抵、昭和初期です。
≪写真4≫
拝殿の横手から、本殿の屋根を撮りました。 本殿も、入母屋ですな。 神社らしくはないですが、カッコいいです。 拝殿と、本殿を繋ぐ廊下の屋根も、瓦葺きになっています。 これは、お金かかかったでしょうねえ。
【伊豆の国市立花・第六天神社②】
≪写真1左≫
賽銭箱。 「高 ○」と書いてありますが、右側の字が、読めません。 草書体の一覧表で調べてみたところ、「僧」や、「便」が近いのですが、どちらと組み合わせて、どちら側から読んでも、しっくり来ません。 「高僧」という熟語はありますが、神社に、「高僧」もないでしょう。
≪写真1右≫
賽銭箱の側面。 「昭和二十四年」とあります。 1949年ですから、72年も前です。 木製とは思えないほど、もちがいいですな。 氏子の管理が良いのでしょう。
≪写真2≫
手水舎。 屋根は、緑色ですが、銅板が緑青を吹いたのか、トタン・ブリキを塗装したものか、分かりません。 漱盤の前面には、「禊」と彫ってあります。 境内にある石燈籠も、石段の途中にあったのと、同じ物のようですな。
≪写真3≫
社殿の向かい側の境内。 苔むしています。 石の祠、多し。 境内別社というより、近隣で、行き場がなくなった物を集めたのかもしれません。
上の明るい方は、住宅地になっています。 長い石段を登らなくても、上からも来れるようですが、バイクや車を置けるかどうかは、確かめる暇がありませんでした。 なぜなら、雨が降って来たからです。
≪写真4≫
大急ぎで、石段を降りて、バイクに戻り、カメラと免許入れをビニール袋に入れて、帰りました。 雨は、ポツポツ降り続けましたが、江間まで戻ったら、上がりました。 やれやれ、梅雨時には、ごく近場以外、行かない方が、無難か。
【伊豆の国市浮橋・史跡女塚①】
2021年7月16日に、バイクで、伊豆の国市浮橋にある、「史跡 女塚公園」へ行って来ました。 韮山の反射炉の手前から、山道を登って行きます。 少し詳しい地図なら、載っています。 カー・ナビなら、たぶん、表示されるはず。
≪写真1≫
「史跡 女塚公園」の、名前オブジェ。 1997年の9月20日に、セロー225Wに乗り、フィルム一眼レフをもって、この付近に、撮影に来ているのですが、その時に、ここにも寄ったと思います。 ここの写真を撮っていないから、断言はできませんが。 この名前オブジェもあったかなあ。 記憶が、おぼろげだ。
公園の説明板によると、平成6年に、整備されたとの事。 1994年ですな。 それなら、私が初めて来た時には、すでに、公園になっていた事になります。
≪写真2≫
これが、女塚。 源頼朝といい仲になった、伊東氏の娘、八重姫が、悲劇的経緯で、頼朝と別れざるを得なくなり、川へ身を投げて、命を絶った。 姫の侍女たち数人が、ここまで戻って来て、伊東の館へ報せに戻った一人を除き、松の木の下で、自害したとの事。
ちなみに、伊東氏は、伊豆半島東海岸の温泉地、伊東の豪族だったから、伊東氏です。 地名を氏族名にするのは、よくある事。 八重姫は、伊東から、山を越えて、北条氏の館がある、伊豆の国市・韮山まで、頼朝に会いに来たら、頼朝は、すでに、政子と夫婦になっていたんですな。 八重姫と頼朝の仲を割いたのは、姫の父、伊東祐親ですが、もし認めていたら、頼朝は、伊東の地で、ひっそりと人生を終わり、鎌倉幕府は出来なかったかも知れません。
≪写真3≫
中川与一・幹子夫妻の歌碑。 女塚の隣にあります。
≪写真4左≫
女塚の裏手の森の中に、神社がありました。 アイテムは、鳥居だけ。 鳥居の名額には、「神社」と書いてあります。 そりゃ、そうでしょうけど、何神社なんですかね?
≪写真4右≫
社殿。 拝殿・本殿、一体様式。 木造、モルタル壁、トタン屋根。 扉の上に、正月用の玄関飾りが掛かっていました。
≪写真5左≫
公園の一部、道路に面した所にあった、「土沢集会所」。 この辺り、地名が、よく分かりません。 浮橋地区の中の、土沢という所なんでしょうか。
≪写真5右≫
駐車場の隅にある、トイレ。 中は見て来ませんでしたが、外観から見て、狭そうですな。 催して、切迫している人にとっては、ないより、ずっと、いいですけど。
【伊豆の国市浮橋・史跡女塚②】
≪写真1≫
公園の駐車場近くの道路から、西の方を見た景色。 どうも、雲の下に、富士山や愛鷹山がありそうなので、もし、そうなら、 西というよりは、北西です。 気持ちがいい所です。 やはり、プチ・ツーリングは、晴れた日に限る。
≪写真2左≫
公園の入り口が、十字路になっていて、これは、西へ向かう道路。 下って行くと、伊豆箱根鉄道の、伊豆長岡駅と、田京駅の中間辺りで、国道136号線に出ます。
看板にあるのは、牛の顔で、「牛の鳴く豊かな 住よい伊豆の国 伊豆の国酪農組合」とあります。 しかし、この付近で、道路から見える限りでは、牛の姿は、目に入りませんでした。
≪写真2右≫
公園近くにあった、自動販売機。 手作りの庇が付いています。 たぶん、この自販機を置かせている人が作ったのでしょう。 大変、風情がある。
≪写真3左≫
駐車場の隅に立っていた、街灯。 変わった、カバーですな。 虫は素通りできますから、鳥よけでしょうか。 これ自体が、鳥籠のように見えます。
≪写真3右≫
あちこちに咲いていた、姫檜扇水仙(ヒメヒオウギズイセン)。 群落を作り易い植物のようです。
≪写真4左≫
公園の駐車場。 10台くらいは、楽に停められます。 一番奥の、木陰に、私のバイクを停めてあります。
≪写真4右≫
EN125-2A・鋭爽の、タンク・デカール。 左側は、塗り直しをしていない、そのままですが、綺麗な状態を保っています。 EN125-2Aのデカールは、日本国内に輸入されたものだけで、3種類はある模様。 他に、車体色ごとに、デカールの色違いもあります。
【伊豆の国市中・高原山神社①】
2021年7月22日に、バイクで、伊豆の国市・中(なか)の山中にある、「高原山神社」へ行って来ました。 「たかはら・やまじんじゃ」と読みます。
中(なか)地区は広くて、平地から山中まで広がっています。 高原は、地区の中の小区分ですが、地元では、高原と言った方が、通りがいいはず。 しかし、私は、地元の人間ではないので、想像に過ぎません。 高原は、「たかはら」ではなく、「こうげん」なのかも知れませんが、調べようがないです。
本当は、「韮山南小学校・高原分校跡」を、目的地にしていたのですが、先に、神社を見つけたので、もし、分校跡に辿り着かなかった場合、神社を目的地に差し替えるつもりで、寄っておきました。 結果的に、分校跡は見つける事ができず、その判断は正しかった事になりました。
≪写真1≫
幹線道路から、少し入った所にあります。 案内看板があるので、そのつもりで行けば、見つかります。 高原地区そのものが、開拓地のようで、元は、神社がなかったのを、昭和23年(1948年)に、御殿場の山神社から、御神体を分けたと、解説板に書いてあります。 現在の社殿は、平成6年(1994年)に、再建したものだそうです。
≪写真2左≫
木造・銅板葺きの社殿。 人間が入れるサイズとしては、最小。 入れるといっても、中で、何かができるという大きさではないです。 石燈籠は、新しいです。 1994年に、社殿と一緒に、新調したものでしょうか。
≪写真2右≫
伊勢神宮と同じ、神明造り。 側面から見ると、良く分かります。 拝殿・本殿一体式と言うより、本殿のみなのでしょう。
≪写真3左≫
物置。 何が入っているのだろう。 この大きさでは、御輿は入りますまい。
≪写真3右≫
郵便受けのようですが、賽銭入れと書いてあります。 鍵つき。 賽銭泥棒は、山の中まで来るのだな。
≪写真4左≫
手水場。 屋外用の、既製品の流しを利用したもの。 蛇口あり。 ハンドルも付いています。 地面にコンクリートを打った足場の大きさや、脚とのバランスなど、合理性を実体化したような造形。
≪写真4右≫
丸太に、プラスチックの座面を被せた、椅子。 椅子があるという事は、祭りをやっているのかも知れません。
【伊豆の国市中・高原山神社②】
≪写真1≫
高原山神社に隣接した西側に、「高原区 ふれあい広場」という所がありました。 バイクは、そこに停めました。 奥にある建物ですが、表札のようなものはなかったです。 地区の寄り合い所は、他にあるのでしょう。 神社関係の行事の時に使うのかも知れません。
≪写真2≫
広場を奥に進み、「高原共同墓地」の案内看板に従って、西に下って行くと、こんな景色が開けていました。 遠くに、沼津アルプスが見下ろせます。 その向こうに、駿河湾。 凄い所に、共同墓地を造ったものです。
≪写真3左≫
「高原開拓共同墓地 記念碑」と、物置きに、手水場。 この手水場は、神社にあった物と同じ人が作ったのでしょう。 佇まいが、そっくり。
≪写真3右≫
なぜか、ガード・レール。 ここは、少し高くなっているから、墓地の方へ落ちないようにでしょうか。 ベンチは、懐かしい形状。 座面に、水抜き孔が開いている、屋外用です。
≪写真4左≫
山百合。 大きな花でした。 墓地には、山百合が良く似合う。
≪写真4右≫
墓地から、広場を見上げた景色。 夏ならではの、空の青さ。 もちろん、暑かったです。 やはり、プチ・ツーリングは、天気のいい日に限りますな。
≪写真5左≫
広場の入口近くに停めた、EN125-2A・鋭爽。 ブレーキを手入れして以降、快調に走っています。
≪写真5右≫
EN125-2Aの、燃料コック。 常に、リザーブ(予備タンク)の位置にしてあります。 メーターに、燃料計がついているので、リザーブ機能は使っていません。
リザーブ位置なのに、リザーブ機能を使わないというのは、どういう事かというと、ちょっと、説明が必要になります。 バイクのタンクは一つしかありませんが、底の方を別扱いにして、コックが、オン位置では、全ての燃料を使い切らないところで、止まるようになっています。 燃料を落とす穴の高さが変わるわけです。
オン位置で使いきった後、リザーブ位置に切り替えれば、その別扱い分を使えるようになるという仕組み。 EN125-2Aでは、2リットル分です。 切り替えたら、すぐに、給油しなければなりません。 リザーブ機能は、給油タイミングを報せる為にあるのですから。
リザーブは、本来は、燃料計がないバイク用の機能です。 リザーブ位置にしたままだと、別扱い分を取っておかない事になるので、そのまま、走り続ければ、タンクは空になってしまいますが、燃料計がある場合、それを見ていれば、空になる前に給油するから、ガス欠の心配はないという寸法。 四輪車は、全て、そちらの方式です。
まあ、バイクですから、最悪、空になってしまったら、最寄のスタンドまで、押せばいいだけの話。 アップ・ダウンが激しい山中でもない限り、どうにかなります。 万一に備えて、千円札を、免許入れに入れてあります。 リザーブ機能を使っていると、残り2リットルになるたびに、バイクを停めて、コックを切り替えなければならないから、面倒でねえ。
コックには、もう一つ、オフ位置があり、それは、タンクから、キャブレーターに向かう燃料を遮断する時に使います。 バイクを長期間眠らせなければならない場合、燃料がキャブ内にこびりつかないように、キャブを空にする時に使いますし、整備・修理で タンクを外す時にも使います。
【伊豆の国市大仁・労金 / 狩野川台風殉難者慰霊碑】
2021年7月30日に、バイクで、大仁にある、「静岡労金・田方支店」に行って来ました。 用向きは、ただの記帳で、普段は、沼津支店へ行くのですが、プチ・ツーリングの方向が南東だったので、やむなく、近い支店へ行った次第。
≪写真1左≫
これが、「静岡労金・田方支店」。 国道136号線沿いにあります。 ここには、2013年7月にも、セロー225WEで来ています。 その時は、「ブックオフ・大仁店」のついでに寄ったのですが、用向きは、似たような事でした。
≪写真1右≫
裏にある、駐車場。 すいていたので、車を置く場所に停めました。 不審者と思われないように、ヘルメットは脱いで、帽子に換えました。 自動機コーナーが、道路側にある事は、すっかり忘れていました。
その後、近くにある、「白幡神社」に向かったのですが、ロストして、着きませんでした。 やむなく、撤退。
≪写真2≫
帰りに、白山堂という所の三叉路にバイクを停め、「狩野川台風殉難者慰霊碑」を撮影しました。 去年、近くの、「白山神社」に来た時に、ここに石碑があるのは見ていたんですが、何の碑なのか、分からないままだったのです。 1962年(昭和37)年8月の建立。 私が生まれる、2年前です。 ちなみに、狩野川台風が来たのは、1958年(昭和33年)9月26日。
分岐した道を、右へ行くと、伊豆長岡へ渡る、大門橋へ。 左に行くと、すぐに、白山神社に至ります。
≪写真3≫
慰霊碑の近くにあった、大型プランターの花壇。 手前は、マリーゴールド? 奥は、日々草でしょうか。 綺麗に丹精されています。
≪写真4≫
その隣には、普通サイズのプランターが、24基も雛壇状に並べられていました。 これは、たぶん、日々草だと思います。 園芸に巧みな人が、手入れしているんでしょうな。
今回は、ここまで。
「高原共同墓地」の景色は、今思い出しても、気持ちが良かったですねえ。 バイクで、山の中へ出かけると、たまーに、秘密の花園的な、ほんの一握りの人しか知らない景色を拝めて、大変、得をしたような気分になります。 人工的な物でも、そういう、知る人ぞ知る場所の方が、作った人の個性が良く出るようです。 人が多い街なかの方が、むしろ、いろいろな物が、均質的に感じられますねえ。
前に、「静岡労金・田方支店」に行った2013年は、まだ働いていた頃で、あちこちの、ブック・オフを巡って、小松左京・筒井康隆作品の文庫本を買い集めていました。 「ブックオフ・大仁店」にも、何回か行きましたが、近くに、労金の支店がある事を知ったのは、ネットで調べたからだと思います。
行く途中、中古車店があって、ダイハツ・ミゼット2が置いてあり、当時は、車を買う予定はなかったものの、「ほーう!」と、物珍しく見ていたのが、記憶に残っています。 他の事は、全然、覚えていないんですがねえ。
覚えていないといえば、「史跡・女塚」は、1997年の9月に、初めて行ったんですが、写真を撮るのが目的だった事は、すっかり忘れていました。 過去の記録を調べて、分かった次第。 バイクで、韮山の反射炉付近へ行った後、時間が余ったので、山の中に入って行き、たまたま、辿り着いたのです。 その時には、裏手が公園になっている事に気づきませんでした。
つい、こないだのような気がしていたのですが、あれから、もう、24年も経ってしまったか。 私も、歳を取るわけです。
【伊豆の国市立花・第六天神社①】
2021年7月6日に、バイクで、伊豆の国市、立花という所にある、「第六天神社」へ行って来ました。 梅雨の最中で、雨が降っていない隙を突いて出かけました。
≪写真1左≫
伊豆長岡の大門橋を渡って、直進し、伊豆箱根鉄道の踏切の手前で左折して、北上。 信号の次の次の交差点を右折して、住宅地を山の麓まで進むと、鳥居がありました。 バイクは、参道に停めました。 他に場所がなかったのです。
≪写真1右≫
石段。 高いです。 石が湿っていて、足を滑らせないように、神経を使いました。
≪写真2≫
階段の途中にあった、2基の石燈籠。 元は、同じ物ですな。 既製品なんですかね? 火袋の穴が、○になっているのは、珍しい。
≪写真3≫
社殿。 木造、瓦葺き。 瓦葺きは、大抵、昭和初期です。
≪写真4≫
拝殿の横手から、本殿の屋根を撮りました。 本殿も、入母屋ですな。 神社らしくはないですが、カッコいいです。 拝殿と、本殿を繋ぐ廊下の屋根も、瓦葺きになっています。 これは、お金かかかったでしょうねえ。
【伊豆の国市立花・第六天神社②】
≪写真1左≫
賽銭箱。 「高 ○」と書いてありますが、右側の字が、読めません。 草書体の一覧表で調べてみたところ、「僧」や、「便」が近いのですが、どちらと組み合わせて、どちら側から読んでも、しっくり来ません。 「高僧」という熟語はありますが、神社に、「高僧」もないでしょう。
≪写真1右≫
賽銭箱の側面。 「昭和二十四年」とあります。 1949年ですから、72年も前です。 木製とは思えないほど、もちがいいですな。 氏子の管理が良いのでしょう。
≪写真2≫
手水舎。 屋根は、緑色ですが、銅板が緑青を吹いたのか、トタン・ブリキを塗装したものか、分かりません。 漱盤の前面には、「禊」と彫ってあります。 境内にある石燈籠も、石段の途中にあったのと、同じ物のようですな。
≪写真3≫
社殿の向かい側の境内。 苔むしています。 石の祠、多し。 境内別社というより、近隣で、行き場がなくなった物を集めたのかもしれません。
上の明るい方は、住宅地になっています。 長い石段を登らなくても、上からも来れるようですが、バイクや車を置けるかどうかは、確かめる暇がありませんでした。 なぜなら、雨が降って来たからです。
≪写真4≫
大急ぎで、石段を降りて、バイクに戻り、カメラと免許入れをビニール袋に入れて、帰りました。 雨は、ポツポツ降り続けましたが、江間まで戻ったら、上がりました。 やれやれ、梅雨時には、ごく近場以外、行かない方が、無難か。
【伊豆の国市浮橋・史跡女塚①】
2021年7月16日に、バイクで、伊豆の国市浮橋にある、「史跡 女塚公園」へ行って来ました。 韮山の反射炉の手前から、山道を登って行きます。 少し詳しい地図なら、載っています。 カー・ナビなら、たぶん、表示されるはず。
≪写真1≫
「史跡 女塚公園」の、名前オブジェ。 1997年の9月20日に、セロー225Wに乗り、フィルム一眼レフをもって、この付近に、撮影に来ているのですが、その時に、ここにも寄ったと思います。 ここの写真を撮っていないから、断言はできませんが。 この名前オブジェもあったかなあ。 記憶が、おぼろげだ。
公園の説明板によると、平成6年に、整備されたとの事。 1994年ですな。 それなら、私が初めて来た時には、すでに、公園になっていた事になります。
≪写真2≫
これが、女塚。 源頼朝といい仲になった、伊東氏の娘、八重姫が、悲劇的経緯で、頼朝と別れざるを得なくなり、川へ身を投げて、命を絶った。 姫の侍女たち数人が、ここまで戻って来て、伊東の館へ報せに戻った一人を除き、松の木の下で、自害したとの事。
ちなみに、伊東氏は、伊豆半島東海岸の温泉地、伊東の豪族だったから、伊東氏です。 地名を氏族名にするのは、よくある事。 八重姫は、伊東から、山を越えて、北条氏の館がある、伊豆の国市・韮山まで、頼朝に会いに来たら、頼朝は、すでに、政子と夫婦になっていたんですな。 八重姫と頼朝の仲を割いたのは、姫の父、伊東祐親ですが、もし認めていたら、頼朝は、伊東の地で、ひっそりと人生を終わり、鎌倉幕府は出来なかったかも知れません。
≪写真3≫
中川与一・幹子夫妻の歌碑。 女塚の隣にあります。
≪写真4左≫
女塚の裏手の森の中に、神社がありました。 アイテムは、鳥居だけ。 鳥居の名額には、「神社」と書いてあります。 そりゃ、そうでしょうけど、何神社なんですかね?
≪写真4右≫
社殿。 拝殿・本殿、一体様式。 木造、モルタル壁、トタン屋根。 扉の上に、正月用の玄関飾りが掛かっていました。
≪写真5左≫
公園の一部、道路に面した所にあった、「土沢集会所」。 この辺り、地名が、よく分かりません。 浮橋地区の中の、土沢という所なんでしょうか。
≪写真5右≫
駐車場の隅にある、トイレ。 中は見て来ませんでしたが、外観から見て、狭そうですな。 催して、切迫している人にとっては、ないより、ずっと、いいですけど。
【伊豆の国市浮橋・史跡女塚②】
≪写真1≫
公園の駐車場近くの道路から、西の方を見た景色。 どうも、雲の下に、富士山や愛鷹山がありそうなので、もし、そうなら、 西というよりは、北西です。 気持ちがいい所です。 やはり、プチ・ツーリングは、晴れた日に限る。
≪写真2左≫
公園の入り口が、十字路になっていて、これは、西へ向かう道路。 下って行くと、伊豆箱根鉄道の、伊豆長岡駅と、田京駅の中間辺りで、国道136号線に出ます。
看板にあるのは、牛の顔で、「牛の鳴く豊かな 住よい伊豆の国 伊豆の国酪農組合」とあります。 しかし、この付近で、道路から見える限りでは、牛の姿は、目に入りませんでした。
≪写真2右≫
公園近くにあった、自動販売機。 手作りの庇が付いています。 たぶん、この自販機を置かせている人が作ったのでしょう。 大変、風情がある。
≪写真3左≫
駐車場の隅に立っていた、街灯。 変わった、カバーですな。 虫は素通りできますから、鳥よけでしょうか。 これ自体が、鳥籠のように見えます。
≪写真3右≫
あちこちに咲いていた、姫檜扇水仙(ヒメヒオウギズイセン)。 群落を作り易い植物のようです。
≪写真4左≫
公園の駐車場。 10台くらいは、楽に停められます。 一番奥の、木陰に、私のバイクを停めてあります。
≪写真4右≫
EN125-2A・鋭爽の、タンク・デカール。 左側は、塗り直しをしていない、そのままですが、綺麗な状態を保っています。 EN125-2Aのデカールは、日本国内に輸入されたものだけで、3種類はある模様。 他に、車体色ごとに、デカールの色違いもあります。
【伊豆の国市中・高原山神社①】
2021年7月22日に、バイクで、伊豆の国市・中(なか)の山中にある、「高原山神社」へ行って来ました。 「たかはら・やまじんじゃ」と読みます。
中(なか)地区は広くて、平地から山中まで広がっています。 高原は、地区の中の小区分ですが、地元では、高原と言った方が、通りがいいはず。 しかし、私は、地元の人間ではないので、想像に過ぎません。 高原は、「たかはら」ではなく、「こうげん」なのかも知れませんが、調べようがないです。
本当は、「韮山南小学校・高原分校跡」を、目的地にしていたのですが、先に、神社を見つけたので、もし、分校跡に辿り着かなかった場合、神社を目的地に差し替えるつもりで、寄っておきました。 結果的に、分校跡は見つける事ができず、その判断は正しかった事になりました。
≪写真1≫
幹線道路から、少し入った所にあります。 案内看板があるので、そのつもりで行けば、見つかります。 高原地区そのものが、開拓地のようで、元は、神社がなかったのを、昭和23年(1948年)に、御殿場の山神社から、御神体を分けたと、解説板に書いてあります。 現在の社殿は、平成6年(1994年)に、再建したものだそうです。
≪写真2左≫
木造・銅板葺きの社殿。 人間が入れるサイズとしては、最小。 入れるといっても、中で、何かができるという大きさではないです。 石燈籠は、新しいです。 1994年に、社殿と一緒に、新調したものでしょうか。
≪写真2右≫
伊勢神宮と同じ、神明造り。 側面から見ると、良く分かります。 拝殿・本殿一体式と言うより、本殿のみなのでしょう。
≪写真3左≫
物置。 何が入っているのだろう。 この大きさでは、御輿は入りますまい。
≪写真3右≫
郵便受けのようですが、賽銭入れと書いてあります。 鍵つき。 賽銭泥棒は、山の中まで来るのだな。
≪写真4左≫
手水場。 屋外用の、既製品の流しを利用したもの。 蛇口あり。 ハンドルも付いています。 地面にコンクリートを打った足場の大きさや、脚とのバランスなど、合理性を実体化したような造形。
≪写真4右≫
丸太に、プラスチックの座面を被せた、椅子。 椅子があるという事は、祭りをやっているのかも知れません。
【伊豆の国市中・高原山神社②】
≪写真1≫
高原山神社に隣接した西側に、「高原区 ふれあい広場」という所がありました。 バイクは、そこに停めました。 奥にある建物ですが、表札のようなものはなかったです。 地区の寄り合い所は、他にあるのでしょう。 神社関係の行事の時に使うのかも知れません。
≪写真2≫
広場を奥に進み、「高原共同墓地」の案内看板に従って、西に下って行くと、こんな景色が開けていました。 遠くに、沼津アルプスが見下ろせます。 その向こうに、駿河湾。 凄い所に、共同墓地を造ったものです。
≪写真3左≫
「高原開拓共同墓地 記念碑」と、物置きに、手水場。 この手水場は、神社にあった物と同じ人が作ったのでしょう。 佇まいが、そっくり。
≪写真3右≫
なぜか、ガード・レール。 ここは、少し高くなっているから、墓地の方へ落ちないようにでしょうか。 ベンチは、懐かしい形状。 座面に、水抜き孔が開いている、屋外用です。
≪写真4左≫
山百合。 大きな花でした。 墓地には、山百合が良く似合う。
≪写真4右≫
墓地から、広場を見上げた景色。 夏ならではの、空の青さ。 もちろん、暑かったです。 やはり、プチ・ツーリングは、天気のいい日に限りますな。
≪写真5左≫
広場の入口近くに停めた、EN125-2A・鋭爽。 ブレーキを手入れして以降、快調に走っています。
≪写真5右≫
EN125-2Aの、燃料コック。 常に、リザーブ(予備タンク)の位置にしてあります。 メーターに、燃料計がついているので、リザーブ機能は使っていません。
リザーブ位置なのに、リザーブ機能を使わないというのは、どういう事かというと、ちょっと、説明が必要になります。 バイクのタンクは一つしかありませんが、底の方を別扱いにして、コックが、オン位置では、全ての燃料を使い切らないところで、止まるようになっています。 燃料を落とす穴の高さが変わるわけです。
オン位置で使いきった後、リザーブ位置に切り替えれば、その別扱い分を使えるようになるという仕組み。 EN125-2Aでは、2リットル分です。 切り替えたら、すぐに、給油しなければなりません。 リザーブ機能は、給油タイミングを報せる為にあるのですから。
リザーブは、本来は、燃料計がないバイク用の機能です。 リザーブ位置にしたままだと、別扱い分を取っておかない事になるので、そのまま、走り続ければ、タンクは空になってしまいますが、燃料計がある場合、それを見ていれば、空になる前に給油するから、ガス欠の心配はないという寸法。 四輪車は、全て、そちらの方式です。
まあ、バイクですから、最悪、空になってしまったら、最寄のスタンドまで、押せばいいだけの話。 アップ・ダウンが激しい山中でもない限り、どうにかなります。 万一に備えて、千円札を、免許入れに入れてあります。 リザーブ機能を使っていると、残り2リットルになるたびに、バイクを停めて、コックを切り替えなければならないから、面倒でねえ。
コックには、もう一つ、オフ位置があり、それは、タンクから、キャブレーターに向かう燃料を遮断する時に使います。 バイクを長期間眠らせなければならない場合、燃料がキャブ内にこびりつかないように、キャブを空にする時に使いますし、整備・修理で タンクを外す時にも使います。
【伊豆の国市大仁・労金 / 狩野川台風殉難者慰霊碑】
2021年7月30日に、バイクで、大仁にある、「静岡労金・田方支店」に行って来ました。 用向きは、ただの記帳で、普段は、沼津支店へ行くのですが、プチ・ツーリングの方向が南東だったので、やむなく、近い支店へ行った次第。
≪写真1左≫
これが、「静岡労金・田方支店」。 国道136号線沿いにあります。 ここには、2013年7月にも、セロー225WEで来ています。 その時は、「ブックオフ・大仁店」のついでに寄ったのですが、用向きは、似たような事でした。
≪写真1右≫
裏にある、駐車場。 すいていたので、車を置く場所に停めました。 不審者と思われないように、ヘルメットは脱いで、帽子に換えました。 自動機コーナーが、道路側にある事は、すっかり忘れていました。
その後、近くにある、「白幡神社」に向かったのですが、ロストして、着きませんでした。 やむなく、撤退。
≪写真2≫
帰りに、白山堂という所の三叉路にバイクを停め、「狩野川台風殉難者慰霊碑」を撮影しました。 去年、近くの、「白山神社」に来た時に、ここに石碑があるのは見ていたんですが、何の碑なのか、分からないままだったのです。 1962年(昭和37)年8月の建立。 私が生まれる、2年前です。 ちなみに、狩野川台風が来たのは、1958年(昭和33年)9月26日。
分岐した道を、右へ行くと、伊豆長岡へ渡る、大門橋へ。 左に行くと、すぐに、白山神社に至ります。
≪写真3≫
慰霊碑の近くにあった、大型プランターの花壇。 手前は、マリーゴールド? 奥は、日々草でしょうか。 綺麗に丹精されています。
≪写真4≫
その隣には、普通サイズのプランターが、24基も雛壇状に並べられていました。 これは、たぶん、日々草だと思います。 園芸に巧みな人が、手入れしているんでしょうな。
今回は、ここまで。
「高原共同墓地」の景色は、今思い出しても、気持ちが良かったですねえ。 バイクで、山の中へ出かけると、たまーに、秘密の花園的な、ほんの一握りの人しか知らない景色を拝めて、大変、得をしたような気分になります。 人工的な物でも、そういう、知る人ぞ知る場所の方が、作った人の個性が良く出るようです。 人が多い街なかの方が、むしろ、いろいろな物が、均質的に感じられますねえ。
前に、「静岡労金・田方支店」に行った2013年は、まだ働いていた頃で、あちこちの、ブック・オフを巡って、小松左京・筒井康隆作品の文庫本を買い集めていました。 「ブックオフ・大仁店」にも、何回か行きましたが、近くに、労金の支店がある事を知ったのは、ネットで調べたからだと思います。
行く途中、中古車店があって、ダイハツ・ミゼット2が置いてあり、当時は、車を買う予定はなかったものの、「ほーう!」と、物珍しく見ていたのが、記憶に残っています。 他の事は、全然、覚えていないんですがねえ。
覚えていないといえば、「史跡・女塚」は、1997年の9月に、初めて行ったんですが、写真を撮るのが目的だった事は、すっかり忘れていました。 過去の記録を調べて、分かった次第。 バイクで、韮山の反射炉付近へ行った後、時間が余ったので、山の中に入って行き、たまたま、辿り着いたのです。 その時には、裏手が公園になっている事に気づきませんでした。
つい、こないだのような気がしていたのですが、あれから、もう、24年も経ってしまったか。 私も、歳を取るわけです。
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