2021/08/08

読書感想文・蔵出し (74)

  読書感想文です。 今現在、図書館から借りて来ているのは、約二週間に、一冊だから、月にすると、2冊か、3冊くらいでして、感想文を出しているのは、4冊ずつだから、月に一回、出せば、理想的という事になりますな。 しかし、なかなか、現在に追いつかないから、そんな形にするのは、遥か先という事になります。





≪松本清張全集 43 告訴せず・十万分の一の偶然≫

松本清張全集 43
文藝春秋 1983年6月25日/初版 2008年9月25日/4版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、長編2作を収録。


【告訴せず】 約258ページ
  1973年(昭和48年)1月12日号から、11月30日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。

  選挙に出る姻戚に頼まれて、運んでいた選挙資金3千万円を、盗んで逃げた男がいた。 事業資金にするには少ないので、小豆の先物取引に手を出し、ある神社の鹿骨占いで、大凶作になると出たのを根拠に、大きな勝負に出て、金を増やして行く。 逃走先で出会った女の名義を借りて、モーテルを開業するが・・・、という話。

  面白いです。 資産が次第に増えて行く経過が、ノリの良さを感じさせて、読者を引き込むんですな。 ≪こちら葛飾区亀有公園前派出所≫で、よく使われるパターンです。 うまい商売を思いつき、最初は、どんどん儲かるけれど、ある所で躓いて、一気に転落し、結局、元の木阿弥、スッカラカンになってしまうというアレですな。

  主人公の資産が、どんどん増えて行く話なので、読者も一緒に、ウハウハ気分になってしまうわけですが、この主人公が、元手の3千万円を手に入れる時に、犯罪行為をしている事を忘れてはいけません。 松本さんは、善悪バランスには厳しい人で、犯罪者が罰を受けずに済む事は、滅多にありません。 「盗られたのが、政治資金の裏金なので、告訴はできないが、恨み憎しみが消えるわけではない」というのは、教訓としてとるべき。 ちなみに、タイトルの「告訴せず」は、二つの事件にかかっています。

  以下、ネタバレ、あり。

  主人公が視点人物なので、読者には分かり難いですが、彼は、かなり早い段階から、騙されています。 旅先で出合って、懇ろになり、事業を始める時に名義を借りた女が、その詐欺グループの仲間だったというのは、ちと、偶然が過ぎるような気がしますが、ストーリーの結構を崩すほど、大きな問題ではないです。

  読者から見て、この女が怪しいという事は、モーテル建設の際、主人公の資産を、ジャブジャブ使ってしまうところで、何となく分かるのですが、詐欺の一部だとは思わず、単に、強欲な女に捉まってしまった、主人公の迂闊さを憐れむだけ。 名義を借りる為だけに、一緒にいるのなら、誰かから、戸籍を買った方が、ずっと良かったと思います。 まあ、その事も、作中で触れられていますが。

  そもそも、小豆相場で、億を超える金を手にしたのなら、モーテル事業なんぞに手を出さずに、預金を取り崩して暮らせば、後半生、安泰だったと思うのですがねえ。 元は、駅前食堂の主人だったわけで、金遣いの荒さが身に染み付いていたわけでもなかろうに、どうしてまた、そんな大きな欲を掻くようになったのか、理解に苦しみます。

  この作品、1975年に映画化されていて、私は、たまたま、テレビ放送された時に、後ろ半分だけ見ていました。 小説を読んでいて、「何だか、あの映画と似ているな」と思い、調べてみたら、それだったという次第。 タイトルは、小説と同じで、主演は、青島幸夫さん。 ラストは、小説よりも、柔らかくしてありました。

  見たのは、もう、40年くらい前だと思いますが、覚えていたのは、大変、変わった映画だったからです。 先物相場をモチーフにした映画なんて、あまり、聞きませんものねえ。 恐らく、小説が発表された後、映画関係者が、すぐに飛びついて、映画化に着手したのでは? 話が面白い割に、大掛かりなセットなど不要で、ロケだけで出来る内容なのも、映画化欲をそそったものと思います。 


【十万分の一の偶然】 約196ページ
  1980年(昭和55年)3月20日号から、1981年2月26日号まで、「週刊文春」に連載されたもの。

  多数の死傷者が出た東名高速道路での玉突き事故で、その様子を撮影したアマチュア・カメラマンの写真が、新聞社の報道写真賞を獲得した。 その事故で、婚約者が死んでしまった青年が、不審を抱き、独自に捜査を始める。 アマ・カメラマンが、彼が私淑している高名なプロ・カメラマンから、「優れた報道写真は、故意に事件・事故を起こせば撮れる」という冗談を聞いていた事が分かり・・・、という話。

  面白いです。 まず、婚約者を死に追いやられた強烈な恨みがあり、それを晴らす為に、事故で片付けられていたものを、執念で捜査し、犯人がいる事件だったと、突き止めて行きます。 主人公の動機がはっきりしているので、読者としても、大変、共感し易い。 ノリノリ前のめりで、ページをめくる事になります。

  報道写真や、大麻の問題について、詳しく書かれていて、その点は、社会派。 松本さんは、社会派の代表みたいな位置づけをされていますが、普通、社会問題部分は、モチーフとして使っているだけで、社会問題そのものが、事件と重なっているものは稀です。 この作品は、重なり度合いが多い方でしょうか。 

  以下、ネタバレ、あり。

  途中で、視点人物が変わり、復讐される側の二人の立場で、話が進む部分がありますが、それは、ストーリーを盛り上げる為に必要な工夫で、主人公まで変わるわけではないです。 主人公が、前面に出て来ない事で、より、ゾクゾク感が増幅しており、成功している書き方だと思います。

  犯人が誰か分かって以降は、復讐劇になるわけですが、証拠がなくて、司法制度に頼れないので、自ら手を下す事になります。 それをやると、主人公まで、犯罪者になってしまうわけで、善悪バランスに厳しい松本さんの事ですから、犯罪者をそのまま、許す事はないです。 そのせいで、読後感は苦いですが、まあ、仕方がありませんな。




≪松本清張全集 44 雑草群落≫

松本清張全集 44
文藝春秋 1983年1月25日/初版 2008年9月25日/4版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、長編1作を収録。


【雑草群落】 約457ページ
  1965年(昭和40年)6月18日号から、1966年11月30日号まで、「東京新聞」・他に連載されたもの。 原題は、【風圧】。


  東京に店を持つ骨董商の男。 跡取り息子が、大阪の立志伝中の経営者を新たな顧客にしようと望んでいるのを知り、自分の愛人の伝で、別口から、その経営者に近づこうとする。 肉筆浮世絵が所望と知らされるが、そんな出物は持っていないので、贋作を描かせ、売りはしないものの、進呈して、出入り業者になる為の、きっかけにしようとするが・・・、という話。

  有名画家作品の贋作問題や、絵画鑑定の世界の不正問題が、メイン・テーマの、社会派作品です。 犯罪は出て来ますが、殺人は、なし。 推理物の要素は希薄で、主人公が、愛人の浮気相手を探ったり、商売敵の動向に想像を逞しくする程度でして、読者が推理しながら読むような対象ではないです。

  全体の雰囲気としては、推理物でも犯罪物でもなく、サラリーマン小説ですかね。 主人公は、サラリーマンではないですけど。 主人公と愛人の関係が人物相関の軸になっていて、そこに、主人公の息子と、その交際相手が関わってくるのですが、痴情関係の描写が多過ぎて、メイン・テーマが前面に出て来ません。

  親子で、不倫に励んでいるというのは、感心できないにも程がありますが、それ以前の問題として、骨董商という職業が、一般読者には、大変、馴染みが薄く、主人公に共感するのは、難しいです。 正直言って、「こんな人間は、逮捕された方がいいのでは?」と思ってしまうのです。 主人公の人格的条件としては、失格ですな。

  また、その愛人の女が、どうにも、人間的魅力を感じさせない。 30歳前後で、60歳を越えた主人公と性関係にあるというのも、何だか、汚らしいですが、歯に衣着せず、ズケズケと思った事を何でも口にする性格で、どこがいいのか、さっぱり分からない。 主人公は、女の体が目的で、囲っているわけですが、ただそれだけの為に、この女の、人を小馬鹿にしたような態度を許すというのだから、ますます、主人公に嫌悪感を覚えてしまいます。

  決定的にまずいのは、顔繋ぎ用に、いい品がないので、贋作を作らせて進呈しようという、その発想でしょう。 「タダで進呈するのだから、犯罪にはならない」と言っても、騙す事に変わりはなく、信用商売の根幹からして崩れてしまいます。 それをやったら、露顕したが最後、コレクターに取り入る事ができるどころか、骨董商としての信用が、一気にマイナスまで落ちてしまうというのが、分かっていて、やるのだから、もはや、主人公は、真人間とは言えません。

  善悪バランスに厳しい松本作品の事だから、当然、主人公も、その一味も、最後は、ひどい目に遭うと思っていたのですが、予想したほどではなく、唯一逮捕されたのが、「え! この人が逮捕されるの?」という人だから、なんだか、ピント外れの写真を見せられたような気分になります。 長編ですが、名作には程遠いです。




≪血蝙蝠≫

角川文庫
角川書店 1979年6月20日/初版 1983年1月30日/8版
横溝正史 著

  2020年10月に、アマゾンに出ていたのを、送料込み、584円で買ったもの。 状態は、まあまあ、普通。 横溝作品の角川文庫・旧版の中では、69番目で、大人向けの短編集です。 昭和13年から16年までに発表された9作を収録。 戦前の作品なので、推理小説として読み応えがあるものは、ほとんど、ありません。 【八百八十番目の護謨の木】と、【二千六百万年後】は、以前、別の本で読んで、感想も出していますが、ほぼ同じ物を、また出しておきます。


【花火から出た話】 約36ページ
  1938年(昭和13年)3月に、「週刊朝日特別号」に掲載されたもの。

  前年に他界した有名な学者の屋敷跡に出来た公園で、銅像の除幕式があった。 打ち上げられた花火から、花束が落ちて来たのを拾った青年が、その中から出て来た猫目石の指輪のせいで、命を狙われる。 学者には娘があり、三人の求婚者がいた。 指輪を手に入れた者が、娘と結婚できるという遺言があって・・・、という話。

  いかにも、近世の「物語」的な設定ですな。 19世紀以前のヨーロッパでは、こういう小説が普通で、明治以降の日本でも、それに倣い、軽い小説というと、こういう、「数奇な物語」が好まれていたのだと思います。 さすがに、この頃になると、短編でしか書かれなくなっていたようですが・・・。 戦後になると、完全に否定されてしまいます。

  そういう、一種のお約束で書かれた話なのだと承知の上で読むのなら、まあまあ、普通の出来です。 軽いノリ的には、ショートショートの雰囲気に使いですが、意外な結末というほど、意外なラストでもないので、あまり期待しては、肩透かしを喰います。

  重箱の隅を突かせてもらえば、花火で打ち上げたら、花束なんぞ、バラバラになってしまうと思うのですがね。 猫目石も、無事では済みますまい。 横溝さんは、理系の教育を受けた人ですが、徴兵された経験はなく、火薬の爆発というものが、どれだけ破壊力をがあるか、感覚的に分かっていなかったんじゃないでしょうか。


【物言わぬ鸚鵡の話】 約8ページ
  1938年(昭和13年)10月に、「新青年」に掲載されたもの。

  言葉を喋れない妹がいる青年。 その友人が、鸚鵡をもらってきて、妹にプレゼントしたが、その鸚鵡も舌を半分切り取られていて、言葉を喋る事ができなかった。 なぜ、舌を切られてしまったのか、不思議に思った青年が、元の飼い主を訪ねて行くと、そこには、いかがわしい商売の女がいて・・・、という話。

  大した話ではないので、ネタバレさせてしまいますと、いかがわしい商売というのは、美人局でして、しかも、引っ掛かった男を殺してしまうというもの。 その内の一人の名前を鸚鵡が覚えていたので、舌を切ったという理由。

  話の本体は、「ああ、そう」という感想しかでない、つまらないものですが、ラストに、青年の妹と、鸚鵡を持って来た友人のその後が、さらっと書いてあり、そこが異様に無情で、妙に面白いです。


【マスコット綺譚】 約26ページ
  1938年(昭和13年)11月に、「オール読物」に掲載されたもの。

  手にした者に幸運を齎す縞瑪瑙のネックレスがあり、女優三人が、リレーする形で、所有した。 最初の持ち主は、知らずに後輩にやってしまい、落ち目になった。 二人目は、撮影所に忘れて帰り、その間に、殺されてしまった。 それを届けようとした三人目も、人気女優になるが、さあ、その後、どうなるか、という話。

  「物語」っぽいですなあ。 殺人事件が出て来ますが、推理物ではないです。 非科学的なオカルトが、モチーフに使われていて、いささか、横溝作品らしくないところがあります。 安直と言えば、安直。 結末も、よくありそうなもので、パッとしません。 主人公のキャラ設定に、幾分、横溝さんの少女礼賛趣味が出ています。 戦後作品では、全く見られなくなってしまうのですが。


【銀色の舞踏靴】 約32ページ
  1939年(昭和14年)3月に、「日の出」に掲載されたもの。

  映画館で映画を見ていた三津木俊助のもとへ、二階席から、銀色の舞踏靴が片方、落ちてきた。 帰って行く持ち主の女を追いかけて、返そうとしたが、本人は、そんな靴は知らないという。 その頃、映画館では、同じ銀色の舞踏靴を履いた別の女が死体で発見されていた。 その一週間前に、交通事故で死んだ女も、同じ銀色の舞踏靴を履いていて・・・、という話。

  戦前の由利・三津木コンビ物ですから、当然ですが、やはり、推理物というより、活劇ですな。 一応、謎はありますが、読者が推理できるようなものではないです。 とはいえ、謎を形成している、銀色の舞踏靴というモチーフが洒落ているせいか、由利・三津木物の短編としては、バランスがいいです。 邪魔っけなアクション場面がない点も、長編活劇より、読み易くなっています。


【恋慕猿】 約32ページ
  1939年(昭和14年)5月に、「現代」に掲載されたもの。

  かつて、猿の芝居をやっていた男が、痴情の縺れの果てに、相手の女を殺した犯人として、逮捕されてしまう。 彼が連れていた猿が、どこかから持って来た羽子板の中から、市会議員の疑獄事件の関わる書類が出て来て・・・、という話。

  この猿ですが、芝居をやっていた時に、先立たれてしまった女房の猿がやっていた役を覚えていて、羽子板の絵柄が同じ役のものだったので、亡妻恋しさに、持って来てしまった、というところが、泣かせどころ。 つまり、人情物というか、動物人情物なのです。 動物好きの人なら、ホロリとすると思います。


【血蝙蝠】 約32ページ
  1939年(昭和14年)10月に、「現代」に掲載されたもの。

  鎌倉にある空き別荘、通称「蝙蝠屋敷」へ肝試しに出かけた若い娘が、死体を見つけて、卒倒してしまう。 その部屋の壁には、血で描いた蝙蝠の絵があった。 死体は、女優で、かつて婚約者だった男に容疑がかかるが、なぜか、第一発見者の娘が、命を狙われ・・・、という話。

  由利・三津木コンビが探偵役。 活劇部分もありますが、どちらかというと、本格っぽいです。 と言っても、トリックはなく、謎があるだけですが。 このページ数の短編としては、バランスが良くて、面白いです。 表題作にされたのも、納得が行くところ。 戦前作品でも、終わりに近くなると、活劇要素より、本格っぽい話の方へ、横溝さんの興味が移りつつあったのかも知れませんな。

  タイトルの「血蝙蝠」は、ストーリーとは、ほとんど、関係がないです。 屋敷の名前が、「蝙蝠屋敷」だったから、血で蝙蝠の絵を描いたというだけの事。 「蛞蝓屋敷」だったら、「血蛞蝓」でも、何ら、ストーリーに、差し支えはありません。 ちなみに、「蛞蝓」は、「なめくじ」です。 そう言えば、金田一物の短編に、「蝙蝠と蛞蝓」という作品がありますな。


【X夫人の肖像】 約24ページ
  1940年(昭和15年)1月に、「サンデー毎日特別号」に掲載されたもの。

  知り合いの女性にそっくりの肖像画が、展覧会に出品されている事を知った夫婦。 その女性は、ずっと歳上の男性と結婚したが、昔馴染みの同年輩の男につきまとわれた挙句、二人で失踪してしまっていた。 知り合いの夫婦が、展覧会を訪ねて行って、肖像画を描いた画家に会い、失踪事件の真相を聞かされる話。

  犯罪絡みですが、一般小説として読んでも、いけそうな話。 実に、バランスが良い。 事件の展開そのものが、意外性に満ちている上に、本人達は、もう死んでいて、知り合いが、赤の他人から真相を聞かされるという形式になっているのも、面白い趣向です。 あまり、よく出来ているので、もしや、何か、手本にした作品があるのではと、疑ってしまうくらい。 奇抜な事件なのに、不自然さを感じさせないのです。

  それにしても、気の毒な女性だこと。 好かれたせいで、命を落としたわけですが、そんな事なら、生涯独身を通した方が、どれだけ、良かったか。 愛に生きても、死んでしまったのでは、元も子もありません。 愛される事、イコール、幸福、ではないんですな。


【八百八十番目の護謨の木】 約26ページ
  1941年(昭和16年)3月に、「キング」に掲載されたもの。

  ある殺人事件で残された、「○谷」というダイイング・メッセージが、「大谷」ではなく、ボルネオ島のゴム農園にある、「○八八○」番の木の事ではないかと気づいて、わざわざ、ボルネオまで訪ねて行く話。

  これは、戦時下シフトの作品。 謎が、子供騙し過ぎます。


【二千六百万年後】 約21ページ
  1941年(昭和16年)5月、「新青年」に掲載されたもの。

  遠い未来に、人類社会がどうなっているかを、睡眠によって、時を超え、見に行く話。

  もろ、SF。 自力で空を飛べる未来人類が出て来ますが、背中に翼を付けるのではなく、蝙蝠に近い皮膜にしてあるのは、さすが、理系の作者だと思わせます。 全体のアイデアは、ユートピア小説というより、ウェルズの、≪タイムマシン≫が元になっているのではないでしょうか。

  これも、戦時下シフト作品で、どうせ、探偵小説が検閲で落とされるのなら、SFにしてしまえという、開き直りで書いたもののようです。 そんなに面白いものではないです。 ちなみに、横溝さんのSF趣味は、戦後の少年向け作品で、いくらも見る事ができます。




≪松本清張全集 45 棲息分布・中央流沙≫

松本清張全集 45
文藝春秋 1983年2月25日/初版 2008年10月10日/4版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、長編2作を収録。


【棲息分布】 約318ページ
  1966年(昭和41年)1月1日号から、1967年2月16日号まで、「週刊現代」に連載されたもの。

  戦時中、憲兵として、ある事業家を取り調べた男が、戦後、その事業家と再会し、彼の旧悪を知っていた事から、会社に専務として迎えられる。 会社が大きくなった今、事業家から軽んじられ始めたと感じて、焦り、彼の過去や、現在の女関係を暴露して、社会的に破滅させようと目論む話。

  冒頭、関係の薄い人物の話から始まり、事業家の視点になったり、その妻の視点になったりしながら、だんだん、元憲兵の視点に落ち着いていきます。 技法でそうしたというより、全体の流れを決めないまま書き始めて、ダラダラと書き進める内に、締りがない話になってしまったのではないかと思われます。

  犯罪物でも、推理物でもありません。 一番近いのは、サラリーマン小説です。 経営者が関わって来るので、企業物の面もありますが、それにしては、愛人関係の描写が多過ぎ。 纏まりに欠けること甚だしく、もし、新人が書いた物なら、一発ゴミ箱行きは、疑いないところです。

  以下、ネタバレ、あり。

  事業家と、その妻は、ダブル不倫、というか、クロス不倫でして、いい歳こいて、何を低劣な事をやっているのかと、作中人物の事ながら、呆れてしまいます。 で、何かしら、罰が下るのかというと、そうでもなく、不倫に関しては、不問に終わります。 罰が下るのは、元憲兵ですが、その元憲兵が、後半の視点人物なので、彼の立場でストーリーを追っていた読者は、彼と一緒に、罰を受ける事になります。 これで、読後感が、モヤモヤせずにいられようか。

  駄作とまでは言いませんが、松本作品の中では、明らかに、下の部類です。 注文が多すぎると、全ての作品を、練りに練るわけにも行かないから、こういう作品が出てくるのも、致し方ないか。 タイトルも、良くないですなあ。


【中央流沙】 約124ページ
  1965年(昭和40年)10月から、1966年11月まで、「社会新報」に連載されたもの。

  農林省で、汚職事件が起こる。 警察の取り調べを受けた中間管理職の男が、省内に出入りしている弁護士によって、温泉地に呼び出され、それとなく、詰め腹自殺を勧められた後、不審な死を遂げる。 弁護士や農林省内に、捜査の手が伸びるが、遺体は手早く火葬されていて、他殺の証拠が掴めない。 一度は諦めた警察だったが・・・、という話。

  なんだか、松本さんの過去の作品から、摘んで、継ぎ接ぎして作ったような話です。 「詰め腹自殺と見せかけて、実は他殺」というのは、【濁った陽】(1960年)に出て来ました。 【不在宴会】(1967年)は、この作品の冒頭部から、別の派生をした作品でしょう。

  以下、ネタバレ、あり。

  殺人事件が起こっているわけで、当然、犯人には、正義の鉄槌が下されるものと期待してしまうところですが、そうはなりません。 警察が二度も、捜査に乗り出していながら、最終的に、役人の世界の取引が罷り通って、殺人犯は野放し、汚職の方も、役人側には、一人の逮捕者も出さないという、「なんじゃ、そりゃ?」的な終わり方になります。

  当然、モヤモヤした読後感が残り、「こんな読書には、意味がないのでは?」とすら思えて来ます。 善悪バランスに厳しい松本作品ですが、官僚の世界が題材になっている場合、勧善懲悪が行なわれて、すっきり、終わるような事はないようです。 それだけ、腐敗が進んでいるという事なんでしょう。

  断続的に視点人物を努める人物はいますが、事件に対しては、傍観者に徹しており、主人公とは言いかねます。 主人公を決めないのは、役所の腐敗全体を、リアルに描きたいからでしょう。 このままでは、映像作品にならないと思うので、たぶん、ドラマ化された時には、主人公を決め、善悪バランスを取ったんじゃないでしょうか。 見てないから、想像ですけど。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、去年、つまり、2020年の、

≪松本清張全集 43 告訴せず・十万分の一の偶然≫が、12月13日から、16日。
≪松本清張全集 44 雑草群落≫が、12月18日から、20日まで。
≪血蝙蝠≫が、12月11日から、12月23日まで。
≪松本清張全集 45 棲息分布・中央流沙≫が、12月26日から、2021年の1月2日まで。

  ≪血蝙蝠≫は、期間が長くなっていますが、これは、図書館から借りて来た本の合間に、読んでいたからです。 ようやく、今年、つまり、2021年に読んだ分に入ったか。 一回に4冊ずつでは、いつ、現在に追いつくか、気が遠くなる話ですが、まあ、鈍意、努力する事にします。

  それにしても、若い頃の読書と違って、読んでも読んでも、頭に残らず、読む端から、蒸発して消え去って行く、虚しさを感じずにはいられませんな。 でも、若い頃は、感想文なんて書いてなかったから、本の内容を思い出せるという点では、今の方が、ずっと良い状況にあります。