2021/06/20

読書感想文・蔵出し (73)

  読書感想文です。 溜まり過ぎて、まだ、去年(2020年)の分です。 一度に4冊分しか出さないから、遅いわけですが、今回の様子を見れば分かるように、短編集が含まれている場合、一冊分だけでも、とてつもない長さになってしまうので、それができないのです。





≪松本清張全集 16 地の骨≫

松本清張全集 16
文藝春秋 1972年9月20日/初版 2008年6月15日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編1作を収録。


【地の骨】 約468ページ
  1964年(昭和39年)11月9日号から、1966年6月11日号まで、「週刊新潮」に連載されたもの。

  ある私大の助教授が、女遊びの後、タクシーの中に、入試問題の草稿を置き忘れ、それを届けてくれた、ホテル・オーナーの女性と知り合いになる。 その私大の教授陣の中には、学閥による対立があり、反主流派の代表格の教授が、これまた、愛人を作ったり、裏口入学の斡旋をしたりと、後ろめたい事をやっていた。 やがて、どちらも、のっぴきならない状況に追い込まれて行き・・・、という話。

  松本作品で、大学教授が主人公というと、【落差】(1961年)がありますが、同じ女癖が悪いのでも、こちらの作品の二人は、比較的、純情で、【落差】の主人公のような、性欲・征服欲丸出しという事はありません。 助教授は、独身だから、尚更、罪が薄い。 強いていうなら、火中の栗を拾うような事をしたのが、罪でしょうか。

  教授の方は妻帯者でして、明らかに不倫をやっているわけで、その点、問題ですが、相手をとっかえひっかえという事はありません。 それでも、身を持ち崩して行ってしまうのだから、女遊びが、いかに、危険かが分かろうというもの。 本来、遊びでやるような事ではないわけだ。 水商売の女と不倫関係になって、自分が愛されていると思う方が、おめでたい。

  彼らの異性交遊の経緯と平行して、大学内の、教授間の対立や、理事会と学生の対立が描かれています。 更に、裏口入学の実態も、生々しく暴かれていて、その点は、社会派です。 しかし、作品の雰囲気としては、サラリーマン小説が一番近いです。 視点人物が二人いる上に、話があっちへ行ったり、こっちに戻ったりするので、バラバラ感が強いですが、それが、終わりの方で、割と纏まってきて、「ああ、こうなるのか」と、割と感慨のあるラストになります。

  「割と」を二回も使いましたが、なんで、「割と」なのかというと、松本清張さんは、そういう、伏線を何本も張っておいて、終わりの方で回収して、綺麗に纏めるという作風ではないからです。 大雑把にストーリーを決めておいて、流れで書いて行ったというパターンの作品が多いです。 この作品は、「こういうのも、書くんだ」と思わせる点で、異色。

  視点人物二人の他に、もう一人、銀行の支店長の息子が出て来ます。 この青年、最初の内は、取るに足らない端役の印象なのですが、後ろの方へ行くと、大変なキー・パーソンである事が分かり、読んでいる方は、意外な展開に驚かされます。 ラストでも、強烈なインパクトを与える役回りを演じます。 これだけ、重要な役なのに、視点人物にしていないところが、技法的に興味深い。

  裏口入学と、あと、最後に犯罪事件が出て来ますが、推理物ではないです。 やはり、サラリーマン小説が、一番近い。 という事は、つまり、飛ばし読みも可能という事です。 一文字一文字、全てを読んでも、それに見合う感動は、期待できません。




≪松本清張全集 17 北の詩人・象徴の設計・他≫

松本清張全集 17
文藝春秋 1974年1月20日/初版 2002年6月1日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編3作を収録。


【北の詩人】 約188ページ
  1962年(昭和37年)1月号から、1963年3月号まで、「中央公論」に連載されたもの。

  日本敗戦後まもないソウルで、プロレタリア文学の詩人が、日本占領時代、獄中で転向した事実を暴露されたくないばかりに、アメリカ軍政庁のスパイとなり、仲間の情報を売っていた。 やがて、南側では用済みとなり、北側の様子を探る命を帯びて、38度線を越えて行くが・・・、という話。

  硬い話で・・・。 小説的な部分もありますが、繋ぎ的に使われているだけで、ほとんどが、資料の羅列です。 主人公の、林和氏は、実在の人物ですが、この小説が、事実をどこまで映しているかは、不明。 歴史だろうが、実在の人物が出ていようが、小説と名が付いていたら、確実に、フィクションが含まれていると見るべき。

  林和氏や、この時代の、この分野の状況に特に興味がある人を除き、硬過ぎて、全く、面白さを感じないと思います。 全文字読んでも、読んだ端から、抜けて行ってしまう感あり。 こういう人がいたという事だけ、記憶に残れば、充分なんじゃないでしょうか。 それすら、長い時間を待たずして、消えてしまいそうですが。

  この作品ねえ、資料を集めて調べるのに、凄い手間と時間がかかっていると思うのですよ。 編集者から、こういう作品を書いてくれという注文が来るとは思えないから、たぶん、松本さんが自ら書きたいと言い出したんでしょう。 だけど、読者が、これを歓迎したとは思えませんなあ。 読むのが、苦痛でしかありません。 ちなみに、松本さんは、戦時中、衛生兵として、朝鮮に駐屯していた経歴があります。


【象徴の設計】 約162ページ
  1962年(昭和37年)3月号から、1963年6月号まで、「文芸」に連載されたもの。

  西南戦争の後から、10年くらいの間、山県有朋が、軍の反乱を押さえ込む為に、軍人勅諭を纏めた経緯や、自由民権運動の展開と衰退を中心に、社会が変転して行く様子を追った内容。

  小説というより、ほとんど、歴史書。 コチコチに硬いので、こういうのが、苦手な人は、10ページくらいめくって、目が慣れていかないようなら、やめてしまった方がいいです。 後ろへ行けば行くほど、小説的な部分が減りますから。 私としては、別に、松本さんの本で、歴史の勉強をしたいとは思わないので、硬いところは、飛ばし読みしました。

  おおまかに分かった事というと、明治政府の中心にいた人達が、ヨーロッパ諸国を手本にしながら、つまみ食い的に、制度を採り入れて行った事。 その選択は、至って、主観的なもので、時の実力者の、その時の主観が通ってしまったという事。 そんなところですか。 西南戦争の後、近衛砲兵隊が、給料の問題で反乱を起こすのですが、「ああ、当時の日本の軍人・兵隊というのは、そういう、現金な考え方をしていたんだな」と、驚かされます。 農民と武士の寄せ集めで、国に対する忠誠心なんか、ほとんど、なかったんですな。

  それではまずいというので、「軍人は、かくあるべし」という内容の、軍人勅諭が作られるわけですが、ただの文章ですから、どれだけ、効果があったかは、疑問です。 当時は、識字率も低かった事だし。 軍人勅諭が浸透し始めるのは、時代的に、もう少し後からです。 浸透したらしたで、今度は、日本の軍人・兵隊を精神論で縛りつけてしまうのですが。

  これは、私の見方ですが・・・。 薩長連合は、そもそも、「尊皇攘夷」を大義名分にして、「倒幕」をしたにも拘らず、実際には、大政奉還されるなり、「攘夷」を引っ込めて、「開国」に鞍替えしたのは、大変、節操がなかった点ですが、「尊皇」の方も、怪しくて、単に、倒幕の口実として、徳川政権以上の権威を担いだだけだったようです。 元武士階級にしてからが、忠義の対象は、旧藩主であって、新たに担いだ天皇を、どう位置づけていいのか、分からなかった模様。

  この作品を読むと、日本を、天皇を頂点とする社会に改造して行くのに、てこずった様子が良く分かりますが、その後の歴史を見ると、「一億玉砕」などという、興りたいんだか亡びたいんだか、何を目標にしているのか分からない、異常な観念世界を作り出してしまったわけで、最初の方向付けを行なった明治政府の間違いの種が、どこにあったのか検証してみるのも、一興かも知れません。


【小説帝銀事件】 約133ページ
  1959年(昭和34年)5月号から、7月号まで、「文藝春秋」に連載されたもの。

  1948年に、東京都豊島区にあった帝国銀行椎名町支店で起こった、毒殺強盗事件と、その後、逮捕された画家、平沢氏の容疑がいかに、頼りないものであるかを詳細に記したもの。

  旧日本軍の731部隊の関係者が起こした事件ではないかと疑いを持った新聞記者が、調べを進めるという体裁になっていますが、小説というには、あまりにも貧弱で、捜査資料をそのまま読んでいるような印象です。 わざわざ、タイトルに、「小説」と断ってありますが、実録物と、どう違うのか、この作品を読んだだけでは、全く分かりません。

  この事件、横溝正史さんの、≪悪魔が来りて笛を吹く≫の冒頭で使われていて、そのお陰で、現在でも、どんな事件だったのか、あらましを知っている人が多いと思います。 実際の事件の方は、一応、犯人が捕まり、起訴され、死刑判決を受けたものの、執行されないまま、逮捕から39年後の1987年に、医療刑務所で死亡したとの事。

  731部隊関係者の線は、当時、GHQが調査をしていて、関係者を押さえていたので、毒殺強盗事件の方に横車が入り、諦めざるを得なかったとの事。 しかし、そちらは、本当に横槍が入ったかどうかすら、証明できない事なので、真犯人がそちら方面かは、想像の域を出ません。

  なぜ、画家の平沢氏が逮捕されたかというと、ある人物の名刺を持っていたからですが、他に余罪があり、しかも、精神的に不安定で、嘘ばかりつく癖があったのが、決め手になったらしいです。 容疑の方は、物証に乏しく、状況証拠ばかりなのに、戦前からの自白重視刑法で取り調べられたせいで、犯人にされてしまったのだろうというのが、作者の見立て。

  真犯人が、はっきり分からない場合、容疑者の中から、アリバイがあやふやとか、動機が考えられないわけではないとか、公判を維持できる程度の材料が揃っている人物を、犯人にしてしまうという風潮が、警察や検察、裁判所にあり、その犠牲になった典型的な例ではないか、というわけです。

  最高裁まで行っているにも拘らず、死刑判決に自信がなかったのか、結局、執行できずに終わるわけですが、人一人の半生を潰してしまったわけですから、責任は重大でして、自信がないのなら、無罪にすべきだったと思います。 「疑わしきは、被告人の利益に」といった考え方が、全くできなかったんですな。 まあ、物証重視刑法に変わった今でも、そういう経緯で、濡れ衣を着せられる人は多いわけですが。

  目撃者による人相の確認や、筆跡鑑定が、いかにいい加減なものであるかが、これでもかというくらい書き込まれています。 私は、他人の顔を積極的には見ない方なので、「よく、一度見ただけで、顔を覚えられるなあ」と思っていましたが、やはり、人の記憶なんて、いい加減だったんですな。 筆跡鑑定に至っては、鑑定者の主観が最も物を言うようで、一見、科学的なように見えて、その実、でたらめもいいところなのだそうです。




≪松本清張全集 41 ガラスの城・天才画の女≫

松本清張全集 41
文藝春秋 1983年4月25日/初版 2008年9月25日/4版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 時代小説と歴史小説の巻を飛ばしたので、また、全集の後ろの方へ行きました。 二段組みで、長編3作を収録。


【ガラスの城】 約200ページ
  1962年(昭和37年)1月号から、1963年6月号まで、「若い女性」に連載されたもの。

  会社の社員旅行で、修善寺温泉に行った後、行方不明になった課長がおり、やがて、バラバラ死体で発見された。 二人の女性社員が、別々に、素人捜査を始めるが、一人目が捜査記録を残して、姿を消してしまう。 残った一人が、更に捜査を進めると・・・、という話。

  松本清張さんには珍しく、本格トリック物です。 といっても、死体の運搬方法や、アリバイに関するものなので、密室物のような本格度ではありませんが。 本格にして、アンフェア物です。 すっごい、アンフェア。 だけど、良く出来たアンフェア物なので、読者が怒り出すような事はないと思います。 推理小説を読みつけていない人の場合、「あっ、そうだったのか!」と、してやられた感を覚えると思います。

  素人探偵が二人いて、それぞれ独自に捜査を進めているという設定が、変わっていて、面白いです。 しかも、捜査記録の手記が、リレーする形で並べられ、ストーリーが引き継がれるところが、また、面白い。 アラジンと魔法のランプ風に言うと、指輪の魔神と、ランプの魔神といったところでしょうか。 いや、だいぶ、違うか。

  敢えて、難を探せば、登場人物が多過ぎて、誰が誰だか、覚えられない事ですかね。 特に、女性社員の方が多くて、こんなに要らないだろうと思うのですが、大家の考える事は、よく分からない。 まあ、真ん中辺りまで行くと、事件に関わってくる人物が限られてくるので、肝心なところで、混乱するような事はないのですが。


【天才画の女】 約180ページ
  1978年(昭和53年)3月16日号から、10月12日号まで、「週刊新潮」に連載されたもの。

  全く無名の新人ながら、独特の画風が高名なコレクターの目に止まり、有名画廊の売り出しで、天才画家として人気が出た女がいた。 商売敵の画廊に勤める男が、女の画風の系統に疑念を抱き、調査を進めたところ、戦争で精神障害を負った絵の好きな男が、女の故郷に寄寓している事が分かり、女は、その男の絵を模写しているだけではないかと当りをつけるが・・・、という話。

  面白いです。 「天才と狂人は紙一重」という言葉を、そのまんま、モチーフにしています。 また、美術論も盛り込まれていて、その点でも、読み応えがあります。 初めて目にした新人の絵を、ボロクソに貶していた評論家が、高名なコレクターが興味を示していると聞いた途端に、今度は、誉め始める場面がありますが、絵の評価なんて、そんないい加減なものなんでしょう。

  女に絵を教えた先生というのが出て来ますが、その人の画風が、若い頃の有名画家の模倣で止まっていて、完全に時代遅れになっているのに、本人が気づかず、自分の画風こそが、正統だ信じているという設定が、また、面白い。 新作で売買されている美術品の世界では、その時代その時代の流行が、最も大きな価値基準になっていて、よほどの大家は除き、古い画風には、それなりの価値しかないというのも、興味深いです。

  以下、ネタバレ、あり。

  推理小説としては、謎あり、トリックあり。 謎がメインで、トリックはオマケのような扱いです。 このトリックは、当時はともかく、今となっては、古いですなあ。 重箱の隅を突かせてもらうと、フィルムだけ送られて来ても、結局、写真屋へ持って行って、プリントしてもらわなければ、見れないと思うのですがね。 リバーサル・フィルムなら、ライト・ビュアーと、ルーペでも見れますが、細部の観察は難しいです。


【馬を売る女】 約96ページ
  1977年(昭和52年)1月9日から、4月6日まで、「日本経済新聞朝刊」に連載されたもの。 原題は、【利】。

  複数の競走馬を所有する社長の女性秘書が、社内高利貸しに励む傍ら、社長にかかって来る電話を取り次ぐ立場を利用し、馬の体調の情報を売って、小遣い稼ぎをしていた。 それに気づいた社長から相談を受けた孫受け会社の経営者が、彼女が貯め込んでいる金に興味を持ち、近づいて、愛人関係となる。 彼女からの借金の額が大きくなった頃、仲が険悪になり、車の中で殺害する事を思いつくが・・・、という話。

  競馬関係の用語がたくさん出てきますが、私はやらないので、飛ばし読みしました。 では、競馬好きの人なら、興味深いかというと、そうでもなく、そういう人達は、恐らく、松本さんよりも競馬に詳しいと思うので、「何を、当然の事を書いているのか」としか感じないのではないかと思います。

  殺人の方は、競馬と何の関係もなく、非常駐車帯に停めた車の中で、いちゃついている、もしくは、性行為をしている連中がいて、みんな、シートを倒して、横になっているから、外なんか見ていない。 だから、その中の一台で、殺人が行なわれていても、誰も気づかないだろう、というところから、発想されたアイデア。

  例によって、意外なところから、犯行が露顕して行くわけですが、あまり、切れが良くありません。 やはり、競馬と殺人が絡んでいないから、バランスが悪いのだと思います。 松本作品には、社内高利貸しをしている、お局女性社員がよく出て来ますなあ。 そういうタイプが好きというより、嫌いだから、登場させて、ひどい末路に落とし込んでいるのかも知れません。




≪松本清張全集 42 黒革の手帖・隠花の飾り≫

松本清張全集 42
文藝春秋 1983年5月25日/初版 2008年9月25日/4版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、長編1作、短編11作を収録。


【黒革の手帖】 約326ページ
  1978年(昭和53年)11月16日号から、1980年2月14日号まで、「週刊新潮」に連載されたもの。

  30歳過ぎまで勤めた銀行から、裏金情報と引きかえに大金を横領し、それを元手に、銀座でバーを出した女。 更に、大きな店を手に入れようと、脱税に励んでいる産婦人科医を脅迫したり、裏口入学を事としている医科予備校の経営者を脅迫したり、他人の弱みを掴む方法で、大金奪取を狙うが・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。

  この作品、米倉涼子さん主演のドラマ・シリーズで名前を知ったのですが、見ていなかったので、小説を読んで、初めて、ストーリーが分かりました。 今更、確かめようがありませんが、たぶん、このままのストーリーで、ドラマにはしなかったはず。 あまりにも、救いがない結末なので。

  この主人公、犯罪者なのですが、終始一貫して、視点人物として描かれるので、読者は、主人公の立場で、ストーリーを追う事になり、容易に、「犯罪者でもいいか」という気分になってしまいます。 ところが、松本作品は、善悪バランスには厳しい方で、犯罪者が、罰を受けずに終わる事は、大変、稀です。 で、この主人公も、いいようにやられてしまいます。 こういうのは、ピカレスク(悪漢小説)とは、また違うんでしょうな。

  復讐譚とも言えますが、この作品が変わっているのは、復讐される側が、主人公にして、視点人物なので、復讐が進行している事に、読者が気づかないという点です。 この工夫、小説理論としては面白いですが、自分の分身のようなつもりで、主人公を見守っていた読者は、主人公と一緒に、やられてしまうわけで、なんとも胸糞悪い読後感に沈む事になります。

  復讐譚である事を、読者に知らせない点、アン・フェア物と言ってもいいくらいですが、ところがどうして、この作品、そもそも、推理小説ではないから、アン・フェアの謗りを受けるいわれがないんですな。 一般小説なら、アン・フェアもヘチマも関係ありませんから。 うーむ、よーく、作者に、してやられておるのう。

  バーの経営方法を始め、医師の脱税のからくり、裏口入学の手口など、社会派的な部分も盛りだくさん。 しかし、関係者でなければ、そういう方面には、興味が湧きません。 バーの経営者というのは、こんなに、汚い手ばかり、弄しているものなんですかね。 こんな世界じゃ、いつ足下を掬われるか、分かりませんな。

  この主人公も、すぐにでも大きな店を持ちたいなどと、欲を掻かずに、自分の店を黒字転換する方法に尽力すれば良かったのにねえ。 犯罪で手に入れた金を元手に始めた商売だから、結局、犯罪を繰り返す事でしか、続けられなかったという事ですかね。 銀座のような、広そうで狭い世界で、敵を作ってしまうと、そのままでは済まされないという教訓も含まれているのかもしれません。


【隠花の飾り】 約110ページ
  1978年(昭和53年)1月号から、1979年3月号まで、「小説新潮」に連載された短編集。


「足袋」 約10ページ

  妻子のいる身で、踊りの師匠(女)と不倫関係になった男。 怒った妻だけでなく、師匠の師匠からも圧力がかかり、きっぱり別れるが、それ以後、無言電話がかかってきたり、自宅の周囲で、夜な夜な歩き回る音がしたりするようになる。 ある時、郵便受けに、汚れた足袋が片方が入れられていて・・・、という話。

  男の事を忘れられない女の執念を描いたもの。 ラストで、ほんのちょっと、犯罪の匂いが香りますが、この書き方では、どんなに想像を逞しくしても、殺人事件とは思えません。 松本さんは、30代・40代の女性というと、性愛に餓えている者が多いと見做していたようですが、そういう考え方は、今では、セクハラですな。 まあ、そういう人もいるとは思いますが。


「愛犬」 約10ページ

  不遇な前半生を送ってきた、犬好きな女性。 飼っている柴犬が、夜に吠える事が続いたが、誰が外を通っているのか、怖くて確かめられずにいる内、犬が慣れてしまったらしく、吠えなくなった。 間もなく、近所で、殺人事件が起こるが、犯人は分からずじまいだった。 その後、妻子がいる人物と不倫関係になった事で、別の男からゆすられる。 なぜか、その男が来ても、犬が吠えないのを不思議に思っていたが・・・、という話。

  「犬が慣れている人物が犯人」という、推理小説では、よくあるパターンです。 枕の部分で、主人公が若い頃に飼っていた犬が、犬嫌いの妹達によって殺される件りがあるのですが、「いくら昔でも、そこまでやるかね?」と、首を捻ってしまいます。 松本さんも、戦前に育った世代ですから、犬猫は、ペットではなく、家畜という認識だったのかも知れませんなあ。 犬をペットとして可愛がっていた人は、たとえ、小説の中であっても、こういうひどい場面は、書こうとしないものです。


「北の火箭」 約10ページ

  ベトナム戦争の最中、北ベトナムに入国した詩人の女と、その旅の道連れになった大学教授の男が、米軍の爆撃と、迎撃ミサイルの応酬に怯えながらながら、命懸けの逢瀬を重ねる話。

  この梗概だけ読むと、恋愛物のようですが、そうでもなくて、つまりその、そういう、いつ死ぬか分からない状況に置かれると、人間は性欲亢進して、身近にいる異性との愛情が燃え上がるという事を書きたいわけですな。 三人称ですが、戦場の恋愛に耽るのは、ヨーロッパ系の二人で、それとは別に、日本人二人が出て来て、その内の一人が視点人物になっています。 無駄に、ややこしい感じ。 


「見送って」 約10ページ

  夫と死別した後、厳しい姑の仕打ちに耐えながら、娘を育て、ようやく嫁に送り出した母親が、新婚旅行の見送りに空港に集まった親族の前で、爆弾宣言をする話。

  今では、珍しくもない事ですが、娘の結婚で肩の荷を下ろしたのを契機に、婚家に絶縁状を突きつけて、残りの人生は勝手に暮らす道を選ぶという展開です。 発表当時は、胸のすく話ととられたか、節操がない女ととられたか、微妙なところ。 「今では、珍しくない」というのが肝でして、珍しくないので、面白くも何ともないです。

  それにしても、この一家、夫、つまり父親が他界した後、どうやって、生計を立てていたのか書かれておらず、かなり、奇妙な感じがします。 母親が苦労した苦労した、とばかり並べてあるものの、仕事をしながら、姑と娘の面倒も見ていたというのなら、苦労するのもわかりますが、働いていなかったのなら、苦労なんぞ、知れていたのではありますまいか。 


「誤訳」 約8ページ

  ヨーロッパの小国出身の詩人が、有名な賞を獲る。 その作品の英訳を引き受けていた翻訳家が、受賞の際に、通訳を引き受けるが、「賞金を母国に寄付する」と訳したのが、後で詩人から、「そんな事は言っていない」と否定され、誤訳とされてしまう。 その翻訳家は、以後、詩人の作品の英訳をやめてしまうが・・・、という話。

  ネタバレさせてしまいますが、寄付したいと言ったのは本当で、誤訳ではなかったのですが、妻が激怒したせいで、寄付できなくなってしまい、取り消すと罰が悪いから、翻訳家のせいにしてしまったというもの。 つくづく、調子に乗って、軽口を叩くものではありませんな。 気の毒なのは翻訳家で、詩人から頼まれても、誤訳を認めたりしなければよかったものを。

  非常に特殊な言語で、英訳を引き受けていたのが、一人しかいなかったという設定は、そうしないと、誤訳でなかった事を見抜ける人が大勢いた事になり、辻褄が合わなくなってしまうからですが、ちと、強引な設定のような感じがしますねえ。 ヨーロッパに、そういう言語をもつ国があったかしら。 大抵、印欧語族か、ウラル・アルタイ語族に入っていると思うのですが。


「百円硬貨」 約9ページ

  相互銀行に勤める女が、不倫の挙句、相手の男と、その妻を別居に追い込み、大金と引き換えに、離婚を承諾させるところまで持って行った。 銀行から大金を横領し、一刻も早く離婚届けを出させようと、正妻の実家がある土地まで赴く。 いつ露顕して、追っ手がかかるかと不安で仕方がないのに、駅に着いたのが早朝で、バスが来ない。 その間に、男に電話をかけたいのだが、百円玉がなく、両替を頼める店も開いていない。 そこへやって来た他の客が運賃に支払った百円玉を見て・・・、という話。

  ほとんど、梗概で書いてしまいましたな。 これは、生活実感が溢れています。 精神的に追い込まれている時に、喉から手が出るほど、ある物が欲しいと思うと、自分の物も人の物も、区別がつかなくなってしまうわけだ。 巡査が近づいて来た、というところで終わっていますが、トランクの中に大金を持っているわけで、当然、逮捕されたのでしょう。

  不倫そのものが、感心しないので、主人公に共感する気持ちが起こりません。 逮捕されて、当然なんじゃないでしょうか。 むしろ、男とその妻が、その後どうなったかが気になりますが、女はたぶん、服役になるので、その間に、元の鞘に収まったのかも知れませんな。


「お手玉」 約8ページ

  ある温泉街で起こった痴情の縺れによる事件を、二つ並べた物。 一つ目は、不倫の挙句、その温泉に逃げてきた男女が、それぞれ、別の勤め先で働いていたが、男の方が精神に異常を来たし、浮気していた芸者二人を・・・という話。 二つ目は、ある料理屋の主人が入院している間、臨時の板前として店に入った男が、妻子がいるにも拘らず、店の女将と不倫関係になる。 ところが、女将に別の愛人が出来て・・・、という話。

  一つ目と二つ目の事件は、起こった街が同じだというだけで、全く無関係です。 おそらく、一つ目のエピソードだけで、一編に仕上げるつもりで書き始めたのが、うまく膨らまず、枚数が埋められなくなりそうになったので、二つ目のエピソードを足したのではないでしょうか。 ちなみに、松本さんが、猟奇殺人をモチーフにする事は、大変、稀です。

  短編で、こういう体裁は、珍しいも珍しいですが、そもそも、掟破りでして、もし、新人が、こういう作品を書いて、編集者に見せたら、「途中で、別の話になっちゃってるね」で、それ以上、何も言ってもらえないまま、追い返されると思います。 大家だから、これで通ったわけだ。


「記念に」 約11ページ

  年上の女と交際していた青年。 年上というだけでなく、離婚歴がある事で、両親や兄に反対されていたので、結婚までは考えていなかった。 ダラダラと付き合いが続いたが、やがて、青年に縁談が持ち込まれ、その相手と結婚する事に決まる。 年上の女は、別段、文句は言わなかったが、最後の記念に会った晩に・・・、という話。

  中年にさしかかった女の、複雑な心理を描いたもの。 といっても、心理を事細かに描写してあるわけではなく、最後まで読むと、それが分かるという形式です。 むしろ、女がどういうつもりでいるのか、ラストになるまで書いていないので、「意外な結末」を感じます。 ショートショートのそれとは、だいぶ、違いますが。 


「箱根初詣で」 約9ページ

  再婚相手と箱根を旅行していた女が、たまたま、前夫が死んだ時に関わりがあった、前夫の同僚の元妻を見かける。 前夫は、ニューヨークへ出張していた時に、同僚達と共に、交通事故で死んだ事にされていたが、実は・・・、という話。

  ネタバレを避けるほど、展開にメリハリがある話ではないのですが、話の本体部分について書いてしまうと、読む意味がなくなると思うので、これ以上、書きません。 「そういう事もあるんだなあ」と思うような話です。 こんな、馬鹿丸出しで、遺族は穴があったら入りたくなる死に方があろうか? つくづく、全く知らない街で、羽目を外して歓楽しようなどと考えるものではありませんな。 外国ならば、尚の事。


「再春」 約14ページ

  専業主婦が書いた小説が、中央の賞を獲ったが、地元の有力同人誌からは、無視されていた。 三つの雑誌から同時に注文が来てしまい、締め切りが迫って、アイデアに困った挙句、地元同人誌と関係がある女性から、ある実話を聞いて書いたが、実は、その話は・・・、という話。

  ネタバレさせしまいますと、図らずも、アイデア盗用になってしまった、という話です。 元の話の作者は、トーマス・マンだというから、随分、有名なところから戴いたわけですな。 もちろん、わざと、マンの作品のアイデアを教えたのであって、悪意があったわけですが、その悪意を描いたのが、この作品という事になります。

  元のアイデアが、大変、よく出来ていて、マンの作品にある事を知らない人が、そういうアイデアを教えられたら、「なるほど、飛びついてしまうだろうなあ」と思わされます。 親しくもない人間から、素晴らしいアイデアをもらえる事など、金輪際ないという教訓を読み取るべきなのか。


「遺墨」 約8ページ

  ある哲学者に雇われた、速記者の女性。 やがて、愛人関係になるが、ある時、哲学者が倒れてしまい、入院のドサクサで、哲学者の妻に関係がバレてしまう。 倒れた時に、形見分けのような形で、哲学者の手になる書画集を貰ったが、その価値が・・・、という話。

  オチがはっきりしない話というのは、つまらないだけでなく、梗概も書き難いですな。 つまり、この哲学者が、大変、頼りない男でして、浮気などという大胆な事する癖こいて、妻には全く頭が上がらず、バレて右往左往する、そういう、呆れた男だという事を書きたかったとしか思えません。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、去年、つまり、2020年の、

≪松本清張全集 16 地の骨≫が、11月17日から、21日。
≪松本清張全集 17 北の詩人・象徴の設計・他≫が、11月24日から、27日まで。
≪松本清張全集 41 ガラスの城・天才画の女≫が、11月29日から、12月6日まで。
≪松本清張全集 42 黒革の手帖・隠花の飾り≫が、12月7日から、10日まで。

  前回、今回と、松本清張全集が続いていますが、他の作者の本も、合間合間に読んでいます。 基本的に、図書館で、全集を借りて来て、期限前に読み終えてしまった時などに、手持ちの本を繋ぎに読むというパターンです。