EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑯
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、16回目です。 今回は、2020年の12月に出かけた所です。 しかし、まだ、2020年の分は、終わりません。
【西椎路・山神社古墳】
2020年12月4日に バイクで、沼津市の西の方、西椎路にある、山神社に行って来ました。 沼津市のホーム・ページで知った所で、古墳が、2基ある事で有名らしいです。
≪写真1≫
根方街道で、近くの交差点まで行き、そこから、住宅地の坂を上がって行ったら、着きました。 道路が広くなっていますが、車を停めるには、ちと、不安な場所ですな。 短時間なら、たぶん、文句は言われないと思いますけど。
それにしても、この場所。 知らない人は、神社とも、古墳とも思わないで、スルーして行くでしょうねえ。
≪写真2≫
境内、草ボウボウ・・・。 うーむ、山の中も含めて、これだけ、草ボウボウな神社は、初めて見ました。 なんなんだ、この逞しい草は。
≪写真3左≫
円墳が、二つ並んでいて、それぞれ、上に、社殿が載っています。 人間が入れる大きさではなく、祠サイズですが、切妻の屋根が付いています。 それぞれに、賽銭箱あり。 いずれも、造りは、手が込んでいます。 境内の荒れ方と比べると、信心があるのかないのか、よく分かりませんな。 もっとも、かく言う私も、信心がないので、別に、その点を批判する気はないです。 これはこれで、面白いと思います。
古墳に関する解説板は、ありませんでした。
≪写真3右≫
漱盤。 新しくて、綺麗です。 蛇口は、普通の水道のもの。 前面には、「漱」の一文字が浮き彫りになっています。
≪写真4左≫
鎮守の森の木。 かなりの高木があります。 恐らく、整備前は、鬱蒼と茂って、小山のようになっていたんじゃないでしょうか。
≪写真4右≫
道路の端に停めた、EN125-2A・鋭爽。 周囲は住宅地でしたが、バイクが見える範囲しか動かなかったので、ハンドル・ロックはしませんでした。
この時、エンジン音が渋くなっていると、はっきり感じたので、この後、オイル交換する事になります。
【西浦・久連神社①】
2020年12月10日に、バイクで、西浦の久連(くづら)という所にある、「久連神社」に行って来ました。 随分昔に、セローで、神社巡りをしていた時期があったのですが、もしかしたら、その時に、一度来ているかもしれません。 自信がないですが。
≪写真1≫
海岸線を通る幹線道路の、海側に小山があり、その上に、境内があります。 入口の所が少し凹んでいて、バイクや自転車なら、そこに停められます。 車の場合、横手に、駐車場がありましたが、参拝者用かどうかは分かりません。
≪写真2≫
麓の鳥居。 鳥居の前に狛犬(獅子)があるのは、割と珍しいのでは?
≪写真3左≫
鳥居と向き合う位置に置かれた、漱盤。 水道の蛇口あり。 ハンドルも付いています。 前面には、「洗心」と彫ってあります。 手を洗うのは簡単だけれど、心を洗うのは難しいですな。 ああ、そうか、なるほど、「心洗」と、逆に読まれないように、文字の高さを変えてあるわけだ。 細かい配慮だこと。
≪写真3右≫
沼津市教育委員会による、「市指定天念記念物 久連神社社叢」の解説板。 モッコク、ウバメガシ、ヤマモモ、タイミンタチバナ、ネジキなど、暖地性の植物が自然に生えているとの事。
≪写真4左≫
石段。 石の磨耗が見られないので、割と近年に、造り直したのだと思います。 それでも、何十年かは経ていると思いますが。 手すりは低く、登る人用につけられたもの。
≪写真4右≫
社殿。 村社クラスとしては、大きいです。 軒の赤い色が、目を引きつけます。 屋根は、銅版葺き。
≪写真5左≫
社殿前の漱盤。 というか、これは、日本庭園の、蹲(つくばい)ですな。 ここにも、水道の蛇口が付いています。 抜かりがないな、ここの氏子衆は。
≪写真5右≫
「久連神社造営之記」の石碑。 本文は、達筆過ぎて、読めませんでした。 この種の石碑ですが、石碑本体の文字は、どんなものでも構いませんが、横に、活字体で書いた解説板を立ててもらいたいです。 読みたくないんじゃなくて、読めないんですわ。
【西浦・久連神社②】
≪写真1≫
久連神社境内の裏手から、北の方角を見た景色。 鎮守の森の枝葉の間から、駿河湾を隔てて、富士山が見えます。 贅沢な景色ですなあ。 基本的に、雨が降らないので、富士山頂でも雪が降らず、真っ黒です。
≪写真2左≫
本殿を後ろから見ています。 拝殿と本殿が、短い通路で繋がれている様式。 基礎の石積みは、伊豆石(凝灰岩)だと思いますが、表面の剥落が起こっています。
≪写真2右≫
拝殿の濡れ縁ですが、なぜか、白い塗料で塗られていました。 何の意味があるのか、不明。 防虫? それにしても、なぜ、白?
≪写真3左≫
麓に下りて来ました。 入口の左右にある石に、獅子の浮き彫りが施されていました。 彫りが深くて、美しいです。 下半分に被っている黒い影は、私のバイク、EN125-2A・鋭爽の、ハンドル周り。
≪写真3右≫
久連の集落の中にある、鳥居。 地図に鳥居マークが載っていて、別の神社かと思っていたのですが、行ってみたら、久連神社の鳥居でした。 かつては、ここを通る参道があったのでしょう。 海岸沿いの道路が出来て、寸断されたのだと思います。
≪写真4≫
少し東へ戻った所で撮った、駿河湾の景色。 おにぎり型の島は、淡島。 右手の高い山は、鷲頭山。 遠くに富士山。 富士山の下に、牛伏山が見えます。 左手の緑は、たぶん、長井崎半島だと思います。
【口野・金櫻神社①】
2020年12月17日に、バイクで、静浦の口野にある、「金櫻神社」へ行って来ました。
≪写真1左≫
まずは、幹線道路側から。 ここに鳥居があるという事は、前から知っていました。 訪ねた事がなかっただけ。 道路脇に、少し奥へ広がった所があり、車も停められない事はないです。 ただ、参拝、もしくは、見学している間に、駐車違反を取られる恐れが、ゼロではないです。
≪写真1右≫
階段を登って、境内に上がります。 私は登りませんでしたが、かつて登った事がある母の話では、若い頃でも、大変だったとの事。 ちなみに、母はかつて、給食の調理師をやっていて、この近くにある、静浦東小学校で働いていた事があるのです。 その時、時間が出来た日があり、ここへ来てみたとの事でした。 私が、幼児の頃ですから、もう、50年以上前の事です。
≪写真2左≫
私は、幹線道路側からは登らず、バイクで、住宅地になっている山を登り、神社の裏手に回ろうとしました。 ところが、ロストして、ミカン畑をどんどん奥へ行ってしまいました。 この写真は、諦めて、引き返したところ。 このまま、山を越えると、伊豆長岡の方へ出るはずですが、車やバイクで走れる道が繋がっているかどうかは、分かりません。
≪写真2右≫
引き返して、途中にあった分岐を進んだら、神社の裏手に出ました。 こちらにも、車を停められる場所があります。 何台かは、楽に置けます。 境内の裏口にも、鳥居あり。
≪写真3≫
正面から見た、社殿。 境内は、かなり広いです。 海の守り神で、母の話では、静岡市や旧清水市の方からも、漁師が、祭りにやって来ていたとの事。 解説板に、昭和35年(1960年)に、金櫻山の山頂から、この地へ移されたとあります。
≪写真4左≫
裏口の方にあった、石燈籠。 飾りがついており、凝っています。
≪写真4右≫
表口の方にあった、石燈篭。 六角形のは、お寺によくあるタイプですな。 もっとも、江戸時代以前は、寺も神社もセットでしたけど。
≪写真5左≫
漱盤。 すっきりした、近代的な造形ですな。 文字は、右から、「奉納」。 文字の間に、桜の花弁形の中に、「金」という文字が入った、マークがあります。 こういうところも、近代的。 逆に、最近作ったものなら、神社アイテムから、こういう近代的デザインは排除してしまうと思います。 惜しむらく、蛇口がありません。
≪写真5右≫
狛犬。 妙に、もこもこした獅子ですな。 「昭和十三年」とあります。 1938年です。 つまり、この狛犬も、金櫻山の山頂から、移されて来たわけだ。
【口野・金櫻神社②】
≪写真1≫
境内の、入口側鳥居の前から、海方面を見下ろした景色。 プチ絶景哉。 大変、気持ちが良い。 すぐ下の、半島状に突き出した部分は、口野の漁港になっているのではないとか思います。 高い山は、沼津アルプスの最高峰、鷲頭山(わしずさん)。 標高392メートル。
≪写真2左≫
社殿の、名額と、鈴。 社殿全体について言える事ですが、遠くからも祭礼に来る神社だけあって、村社クラスよりも、おしなべて、立派な造りです。
≪写真2右≫
「疫病終息祈願」の幟旗。 もちろん、新型肺炎の事を指しているのでしょう。 口野の神社では、他でも立てられていました。
≪写真3左≫
社殿裏手に散り敷かれた、イチョウの葉。
≪写真3右≫
葉を振るい落とした、イチョウの木。 イチョウは、寺にも、神社にも、よく似合います。
≪写真4左≫
社殿の裏手に置いてあったも移動式トイレ。 神社らしくありませんが、近くに、公園はないし、民家も遠いし、大勢が集まる祭礼の時には、役に立つのでしょう。 境内の周辺で出されてしまうよりは、ずっと、マシ。
≪写真4右≫
裏手の広場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 オイル・フィルター交換後、オイル漏れが起こったのですが、この時点ではまだ、修理されていなくて、僅かに滲み出しています。 まあ、そんなに長距離でなければ、大丈夫。 オイル交換後、エンジンやミッションの調子は、ずっと、よくなりました。
【口野・弁財天宮】
2020年の12月23日に、バイクで、口野へ行って来ました。 地図で見つけた神社を見に。
≪写真上≫
海の近くにある、「弁財天宮」。 バイクを停める所がなくて、やむなく、道路脇に停めました。 別に、道路が膨らんでいるわけではないので、車だと、たぶん、アウト。 短時間なら、何とかなるかも。
赤い鳥居を見て、稲荷かと思ったのですが、家に帰ってから調べ直したら、弁財天宮でした。
≪写真中左≫
社殿。 瓦屋根は、立派。 前面壁の、板とサッシは、氏子側の都合が、もろ出しですな。 神様も、サッシの方が、隙間風が入らなくていいかも。 もっとも、神様というのは、年中、神社にいるわけではないです。
≪写真中右≫
正面から見ると、シンプルな建物のようですが、裏へ回ると、本殿が拝殿の後ろに飛び出していて、幾分、複雑になっています。 側面と背面の壁は、トタン波板張り。 本殿の屋根は、確認して来ませんでしたが、たぶん、トタンの平板ではないかと思います。
≪写真下≫
裏手は、海に面しています。 鎮守の森の隙間から、内浦湾が見えます。 ちなみに、口野は、静浦です。 高い山は、沼津アルプスの、鷲頭山(わしずさん)、392メートル。
【口野・天神宮】
弁財天宮の後、口野の山の方へ入り、「天神宮」へ行きました。 住宅地や蜜柑畑を見下ろす、少し高い所にあります。
≪写真1≫
道路の反対側に、空き地あり。 しかし、個人の所有地だと思うので、車を停めていいものかどうか、分かりません。
大きな石燈篭には、「天満宮」と彫ってありました。 「天神宮」と、同じ意味なんですかね?
「常夜燈」という文字もありました。 なぜ、境内ではなく、この場所に、常夜燈があるのかというと、ここから、海が見えるので、たぶん、近世まで、燈台として使われていたんじゃないでしょうか。 蝋燭の灯くらいでは、海の漁船から見えたかどうか、疑問ですが。
≪写真2左≫
入口から、鳥居を見た様子。 鳥居の額には、「天神宮」とあります。
≪写真2右≫
社殿。 本殿が拝殿の中に納まっている形式。
≪写真3左≫
社殿の隣にある、小さな社殿。 たぶん、稲荷。
≪写真3右≫
狛犬。 昭和14年(1939年)とあります。 まだまだ、戦後の唐獅子には、遠い観あり。 手彫りだと、造形の複雑さに、限界があるようです。
≪写真4左≫
漱盤。 蛇口があり、ハンドルもついています。 村社としては、結構、広い境内があり、このくらいの規模だと、手水舎があってもおかしくないですが、神社全体の雰囲気を見るに、今現在の氏子衆の信心度合いは、手水舎を新たに造るほど、深くはないようです。
≪写真4右≫
燈籠、もしくは、石碑が載っていたと思われる、土台。 石で組んであります。 いい仕事ですねえ。 隙間が、ほとんど、ありません。
≪写真5左≫
社殿の隣に、基礎の跡がありました。 かつては、他の社殿が建っていたんでしょうな。 イチョウの落ち葉で、地面が覆われていました。 冬ですなあ。
≪写真5右≫
大きな石燈篭の傍らに停めた、EN125-2A・鋭爽。 オイル・フィルター・カバーのOリングを交換した後、初めて、出かけたのですが、オイルの漏れはありませんでした。 これで、しばらく、整備なしで乗れそうです。
こうして見ると、このバイクには、明らかに、楕円メッキ・ミラーの方が似合いますな。 標準では、楕円黒ミラーですけど。
≪写真6≫
神社の前からの眺め。 やはり、鷲頭山は、目立ちます。 山の下に見えている集落は、江浦(えのうら)。 ここからだと、富士山は見えないようです。
今回は、ここまで。
大体、4ヵ月くらい前まで来ました。 続けて何回か、口野へ行っているのですが、狩野川放水路の河口から、口野の方へ右折するたびに、ハンドルリングが不安定になる事に気づき、「おっかしいなあ。 道路のせいかなあ」と、首を捻り始めます。 確かに、その部分の路面は、口野方面へ下がって行くので、膨らんだようになっていて、理屈上は、遠心力が働き、タイヤのグリップが悪くなるのですが、以前には、そんな事を感じた事がなく、突然、不安定になるのは、奇妙な話です。
「不安定になる」というと、大雑把過ぎて、伝わり難いですが、もっと直截的に表現すると、「怖さ」を感じるのです。 バイクがふらつくような、どこへ進んでしまうか分からないような。 実は、それは、ステム・ベアリングがヘタって来ると、出る症状なのですが、交換してから、まだ、一年ちょっとしか経っていないので、そちらを疑うようになるまで、何週間かかかりました。
【西椎路・山神社古墳】
2020年12月4日に バイクで、沼津市の西の方、西椎路にある、山神社に行って来ました。 沼津市のホーム・ページで知った所で、古墳が、2基ある事で有名らしいです。
≪写真1≫
根方街道で、近くの交差点まで行き、そこから、住宅地の坂を上がって行ったら、着きました。 道路が広くなっていますが、車を停めるには、ちと、不安な場所ですな。 短時間なら、たぶん、文句は言われないと思いますけど。
それにしても、この場所。 知らない人は、神社とも、古墳とも思わないで、スルーして行くでしょうねえ。
≪写真2≫
境内、草ボウボウ・・・。 うーむ、山の中も含めて、これだけ、草ボウボウな神社は、初めて見ました。 なんなんだ、この逞しい草は。
≪写真3左≫
円墳が、二つ並んでいて、それぞれ、上に、社殿が載っています。 人間が入れる大きさではなく、祠サイズですが、切妻の屋根が付いています。 それぞれに、賽銭箱あり。 いずれも、造りは、手が込んでいます。 境内の荒れ方と比べると、信心があるのかないのか、よく分かりませんな。 もっとも、かく言う私も、信心がないので、別に、その点を批判する気はないです。 これはこれで、面白いと思います。
古墳に関する解説板は、ありませんでした。
≪写真3右≫
漱盤。 新しくて、綺麗です。 蛇口は、普通の水道のもの。 前面には、「漱」の一文字が浮き彫りになっています。
≪写真4左≫
鎮守の森の木。 かなりの高木があります。 恐らく、整備前は、鬱蒼と茂って、小山のようになっていたんじゃないでしょうか。
≪写真4右≫
道路の端に停めた、EN125-2A・鋭爽。 周囲は住宅地でしたが、バイクが見える範囲しか動かなかったので、ハンドル・ロックはしませんでした。
この時、エンジン音が渋くなっていると、はっきり感じたので、この後、オイル交換する事になります。
【西浦・久連神社①】
2020年12月10日に、バイクで、西浦の久連(くづら)という所にある、「久連神社」に行って来ました。 随分昔に、セローで、神社巡りをしていた時期があったのですが、もしかしたら、その時に、一度来ているかもしれません。 自信がないですが。
≪写真1≫
海岸線を通る幹線道路の、海側に小山があり、その上に、境内があります。 入口の所が少し凹んでいて、バイクや自転車なら、そこに停められます。 車の場合、横手に、駐車場がありましたが、参拝者用かどうかは分かりません。
≪写真2≫
麓の鳥居。 鳥居の前に狛犬(獅子)があるのは、割と珍しいのでは?
≪写真3左≫
鳥居と向き合う位置に置かれた、漱盤。 水道の蛇口あり。 ハンドルも付いています。 前面には、「洗心」と彫ってあります。 手を洗うのは簡単だけれど、心を洗うのは難しいですな。 ああ、そうか、なるほど、「心洗」と、逆に読まれないように、文字の高さを変えてあるわけだ。 細かい配慮だこと。
≪写真3右≫
沼津市教育委員会による、「市指定天念記念物 久連神社社叢」の解説板。 モッコク、ウバメガシ、ヤマモモ、タイミンタチバナ、ネジキなど、暖地性の植物が自然に生えているとの事。
≪写真4左≫
石段。 石の磨耗が見られないので、割と近年に、造り直したのだと思います。 それでも、何十年かは経ていると思いますが。 手すりは低く、登る人用につけられたもの。
≪写真4右≫
社殿。 村社クラスとしては、大きいです。 軒の赤い色が、目を引きつけます。 屋根は、銅版葺き。
≪写真5左≫
社殿前の漱盤。 というか、これは、日本庭園の、蹲(つくばい)ですな。 ここにも、水道の蛇口が付いています。 抜かりがないな、ここの氏子衆は。
≪写真5右≫
「久連神社造営之記」の石碑。 本文は、達筆過ぎて、読めませんでした。 この種の石碑ですが、石碑本体の文字は、どんなものでも構いませんが、横に、活字体で書いた解説板を立ててもらいたいです。 読みたくないんじゃなくて、読めないんですわ。
【西浦・久連神社②】
≪写真1≫
久連神社境内の裏手から、北の方角を見た景色。 鎮守の森の枝葉の間から、駿河湾を隔てて、富士山が見えます。 贅沢な景色ですなあ。 基本的に、雨が降らないので、富士山頂でも雪が降らず、真っ黒です。
≪写真2左≫
本殿を後ろから見ています。 拝殿と本殿が、短い通路で繋がれている様式。 基礎の石積みは、伊豆石(凝灰岩)だと思いますが、表面の剥落が起こっています。
≪写真2右≫
拝殿の濡れ縁ですが、なぜか、白い塗料で塗られていました。 何の意味があるのか、不明。 防虫? それにしても、なぜ、白?
≪写真3左≫
麓に下りて来ました。 入口の左右にある石に、獅子の浮き彫りが施されていました。 彫りが深くて、美しいです。 下半分に被っている黒い影は、私のバイク、EN125-2A・鋭爽の、ハンドル周り。
≪写真3右≫
久連の集落の中にある、鳥居。 地図に鳥居マークが載っていて、別の神社かと思っていたのですが、行ってみたら、久連神社の鳥居でした。 かつては、ここを通る参道があったのでしょう。 海岸沿いの道路が出来て、寸断されたのだと思います。
≪写真4≫
少し東へ戻った所で撮った、駿河湾の景色。 おにぎり型の島は、淡島。 右手の高い山は、鷲頭山。 遠くに富士山。 富士山の下に、牛伏山が見えます。 左手の緑は、たぶん、長井崎半島だと思います。
【口野・金櫻神社①】
2020年12月17日に、バイクで、静浦の口野にある、「金櫻神社」へ行って来ました。
≪写真1左≫
まずは、幹線道路側から。 ここに鳥居があるという事は、前から知っていました。 訪ねた事がなかっただけ。 道路脇に、少し奥へ広がった所があり、車も停められない事はないです。 ただ、参拝、もしくは、見学している間に、駐車違反を取られる恐れが、ゼロではないです。
≪写真1右≫
階段を登って、境内に上がります。 私は登りませんでしたが、かつて登った事がある母の話では、若い頃でも、大変だったとの事。 ちなみに、母はかつて、給食の調理師をやっていて、この近くにある、静浦東小学校で働いていた事があるのです。 その時、時間が出来た日があり、ここへ来てみたとの事でした。 私が、幼児の頃ですから、もう、50年以上前の事です。
≪写真2左≫
私は、幹線道路側からは登らず、バイクで、住宅地になっている山を登り、神社の裏手に回ろうとしました。 ところが、ロストして、ミカン畑をどんどん奥へ行ってしまいました。 この写真は、諦めて、引き返したところ。 このまま、山を越えると、伊豆長岡の方へ出るはずですが、車やバイクで走れる道が繋がっているかどうかは、分かりません。
≪写真2右≫
引き返して、途中にあった分岐を進んだら、神社の裏手に出ました。 こちらにも、車を停められる場所があります。 何台かは、楽に置けます。 境内の裏口にも、鳥居あり。
≪写真3≫
正面から見た、社殿。 境内は、かなり広いです。 海の守り神で、母の話では、静岡市や旧清水市の方からも、漁師が、祭りにやって来ていたとの事。 解説板に、昭和35年(1960年)に、金櫻山の山頂から、この地へ移されたとあります。
≪写真4左≫
裏口の方にあった、石燈籠。 飾りがついており、凝っています。
≪写真4右≫
表口の方にあった、石燈篭。 六角形のは、お寺によくあるタイプですな。 もっとも、江戸時代以前は、寺も神社もセットでしたけど。
≪写真5左≫
漱盤。 すっきりした、近代的な造形ですな。 文字は、右から、「奉納」。 文字の間に、桜の花弁形の中に、「金」という文字が入った、マークがあります。 こういうところも、近代的。 逆に、最近作ったものなら、神社アイテムから、こういう近代的デザインは排除してしまうと思います。 惜しむらく、蛇口がありません。
≪写真5右≫
狛犬。 妙に、もこもこした獅子ですな。 「昭和十三年」とあります。 1938年です。 つまり、この狛犬も、金櫻山の山頂から、移されて来たわけだ。
【口野・金櫻神社②】
≪写真1≫
境内の、入口側鳥居の前から、海方面を見下ろした景色。 プチ絶景哉。 大変、気持ちが良い。 すぐ下の、半島状に突き出した部分は、口野の漁港になっているのではないとか思います。 高い山は、沼津アルプスの最高峰、鷲頭山(わしずさん)。 標高392メートル。
≪写真2左≫
社殿の、名額と、鈴。 社殿全体について言える事ですが、遠くからも祭礼に来る神社だけあって、村社クラスよりも、おしなべて、立派な造りです。
≪写真2右≫
「疫病終息祈願」の幟旗。 もちろん、新型肺炎の事を指しているのでしょう。 口野の神社では、他でも立てられていました。
≪写真3左≫
社殿裏手に散り敷かれた、イチョウの葉。
≪写真3右≫
葉を振るい落とした、イチョウの木。 イチョウは、寺にも、神社にも、よく似合います。
≪写真4左≫
社殿の裏手に置いてあったも移動式トイレ。 神社らしくありませんが、近くに、公園はないし、民家も遠いし、大勢が集まる祭礼の時には、役に立つのでしょう。 境内の周辺で出されてしまうよりは、ずっと、マシ。
≪写真4右≫
裏手の広場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 オイル・フィルター交換後、オイル漏れが起こったのですが、この時点ではまだ、修理されていなくて、僅かに滲み出しています。 まあ、そんなに長距離でなければ、大丈夫。 オイル交換後、エンジンやミッションの調子は、ずっと、よくなりました。
【口野・弁財天宮】
2020年の12月23日に、バイクで、口野へ行って来ました。 地図で見つけた神社を見に。
≪写真上≫
海の近くにある、「弁財天宮」。 バイクを停める所がなくて、やむなく、道路脇に停めました。 別に、道路が膨らんでいるわけではないので、車だと、たぶん、アウト。 短時間なら、何とかなるかも。
赤い鳥居を見て、稲荷かと思ったのですが、家に帰ってから調べ直したら、弁財天宮でした。
≪写真中左≫
社殿。 瓦屋根は、立派。 前面壁の、板とサッシは、氏子側の都合が、もろ出しですな。 神様も、サッシの方が、隙間風が入らなくていいかも。 もっとも、神様というのは、年中、神社にいるわけではないです。
≪写真中右≫
正面から見ると、シンプルな建物のようですが、裏へ回ると、本殿が拝殿の後ろに飛び出していて、幾分、複雑になっています。 側面と背面の壁は、トタン波板張り。 本殿の屋根は、確認して来ませんでしたが、たぶん、トタンの平板ではないかと思います。
≪写真下≫
裏手は、海に面しています。 鎮守の森の隙間から、内浦湾が見えます。 ちなみに、口野は、静浦です。 高い山は、沼津アルプスの、鷲頭山(わしずさん)、392メートル。
【口野・天神宮】
弁財天宮の後、口野の山の方へ入り、「天神宮」へ行きました。 住宅地や蜜柑畑を見下ろす、少し高い所にあります。
≪写真1≫
道路の反対側に、空き地あり。 しかし、個人の所有地だと思うので、車を停めていいものかどうか、分かりません。
大きな石燈篭には、「天満宮」と彫ってありました。 「天神宮」と、同じ意味なんですかね?
「常夜燈」という文字もありました。 なぜ、境内ではなく、この場所に、常夜燈があるのかというと、ここから、海が見えるので、たぶん、近世まで、燈台として使われていたんじゃないでしょうか。 蝋燭の灯くらいでは、海の漁船から見えたかどうか、疑問ですが。
≪写真2左≫
入口から、鳥居を見た様子。 鳥居の額には、「天神宮」とあります。
≪写真2右≫
社殿。 本殿が拝殿の中に納まっている形式。
≪写真3左≫
社殿の隣にある、小さな社殿。 たぶん、稲荷。
≪写真3右≫
狛犬。 昭和14年(1939年)とあります。 まだまだ、戦後の唐獅子には、遠い観あり。 手彫りだと、造形の複雑さに、限界があるようです。
≪写真4左≫
漱盤。 蛇口があり、ハンドルもついています。 村社としては、結構、広い境内があり、このくらいの規模だと、手水舎があってもおかしくないですが、神社全体の雰囲気を見るに、今現在の氏子衆の信心度合いは、手水舎を新たに造るほど、深くはないようです。
≪写真4右≫
燈籠、もしくは、石碑が載っていたと思われる、土台。 石で組んであります。 いい仕事ですねえ。 隙間が、ほとんど、ありません。
≪写真5左≫
社殿の隣に、基礎の跡がありました。 かつては、他の社殿が建っていたんでしょうな。 イチョウの落ち葉で、地面が覆われていました。 冬ですなあ。
≪写真5右≫
大きな石燈篭の傍らに停めた、EN125-2A・鋭爽。 オイル・フィルター・カバーのOリングを交換した後、初めて、出かけたのですが、オイルの漏れはありませんでした。 これで、しばらく、整備なしで乗れそうです。
こうして見ると、このバイクには、明らかに、楕円メッキ・ミラーの方が似合いますな。 標準では、楕円黒ミラーですけど。
≪写真6≫
神社の前からの眺め。 やはり、鷲頭山は、目立ちます。 山の下に見えている集落は、江浦(えのうら)。 ここからだと、富士山は見えないようです。
今回は、ここまで。
大体、4ヵ月くらい前まで来ました。 続けて何回か、口野へ行っているのですが、狩野川放水路の河口から、口野の方へ右折するたびに、ハンドルリングが不安定になる事に気づき、「おっかしいなあ。 道路のせいかなあ」と、首を捻り始めます。 確かに、その部分の路面は、口野方面へ下がって行くので、膨らんだようになっていて、理屈上は、遠心力が働き、タイヤのグリップが悪くなるのですが、以前には、そんな事を感じた事がなく、突然、不安定になるのは、奇妙な話です。
「不安定になる」というと、大雑把過ぎて、伝わり難いですが、もっと直截的に表現すると、「怖さ」を感じるのです。 バイクがふらつくような、どこへ進んでしまうか分からないような。 実は、それは、ステム・ベアリングがヘタって来ると、出る症状なのですが、交換してから、まだ、一年ちょっとしか経っていないので、そちらを疑うようになるまで、何週間かかかりました。
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