EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑭
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、14回目です。 今回は、組み写真が、8枚もあって、マックスです。 2020年の10月に出かけた所、全てです。
【富士見パークウェイ①】
2020年10月6日に、バイクで、伊豆の国市・韮山の山の中を通る、「富士見パークウェイ」という道路を走ってきました。 1966年から、2004年まで、有料道路だったところ。 それ以降は、無料。 かつて、山奥に、「伊豆・富士見ランド」という遊園地があり、そこへ行く為に造られた道だとの事。 遊園地は、1966年から、1999年まで、営業していたようですが、私は、つい数日前まで、名前も知りませんでした。
私が車の免許を取ったのは、1986年だから、99年の閉園までには、充分、行くゆとりがあったわけですが、そもそも、存在を知らないのでは、行きようがありませんな。 遊園地というのは、一人で行く所ではないから、進んで探しもしなかったわけです。
≪写真1≫
伊豆の国市・江間から、松原橋を渡って、真っ直ぐ東へ向かうと、山に差しかかった所から、富士見パークウェイに入ります。 この写真の交差点より、もう一つ向こうの交差点を、通称、「富士見パークウェイ入口交差点」と言うようです。
≪写真2≫
富士見パークウェイは、こんな感じの、片側一車線の道路です。 昔は、料金所があったわけですが、今は撤去されていて、どこにあったのか、分かりませんでした。
≪写真3左≫
伊豆半島の背骨を越して、もう、熱海に近い位置に、「伊豆・富士見ランド」の跡地がありました。 遊園地を造り、運営していた運送会社の研修所になっていました。 ここは、西門の近くで、メインの建物が見えます。
≪写真3右≫
正門の方から覗き込んでみました。 メインの建物は、工事中でした。 解体するのか、改修するのかは、不詳。 たぶん、元は、遊園地内のホテルだったのでしょう。 いやあ、やっている間に、一度でも来ていたら、懐かしく感じられたでしょうねえ。
名前は、どちらも、「富士見」が付いていますが、パークウェイからは、富士山が見える場所は、ほとんどありませんでした。 たぶん、ランドの中からは、よく見えるはず。 この写真には、遠くに、駿河湾や、伊豆半島北西部の山並みも写っています。
≪写真4≫
正門に入る、立体交差。 おそらく、営業中は、華やかな看板などで、飾られていたものと思われます。 この辺にも 入園を待つ車が、列を成していたんじゃないでしょうか。 ガード・レールの錆が、歳月の経過を無情に表しています。 兵どもが夢の跡。
ランドが開業した1966年は、マイ・カー時代幕開けの頃で、道路さえあれば、山奥でも、お客を呼べると計画したんでしょうな。 子供の頃に遊びに来た事がある人は、ここに立っただけで、泣いてしまうのではないでしょうか。
【富士見パークウェイ②】
≪写真1≫
伊豆・富士見ランド西門の辺りで、北側を見たら、こんな建物がありました。 山の中に、ヌッと現れると、マヤのピラミッド的な迫力があります。 帰ってから調べたら、「南箱根グランビュー」というマンションでした。 マンションだけがあるわけではなく、この一帯は、別荘地になっています。
≪写真2左≫
ランドの正門前立体交差の下で咲いていた、タンポポ。 他にも、何十と咲いていました。
≪写真2右≫
これは、富士見パークウェイの途中で見つけた、ススキ。 まだ、穂が若くて、ツヤツヤしています。
≪写真3≫
富士見パークウェイは、伊豆スカイラインの料金所で終わりになっています。 125ccは、自動車専用道に入れませんが、それ以前に、有料道路に入る気はありません。 ここで、引き返しました。
帰ってから、夕飯の時に、母に、伊豆・富士見ランドの事を知っているかと訊いたら、意外にも、行った事があるという返事。 兄が小学6年生の時に、町内会の子供会の係が回ってきて、子供達を遠足に連れて行く先の下見に、父と母で行ったとの事。 全然知らなかったなあ。 下見だから、子供を連れて行かなかったのは当然ですが、写真も撮らなかったそうで、中の様子も、全然覚えていないとの事。 残念至極。
≪写真4左≫
路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 同じワインディング・ロードでも、海岸沿いの平地道路と比べて、山道は、曲がる楽しさが、だいぶ、損なわれます。 登りは、バイクが苦しいし、下りは、スピードが出すぎて、怖いのです。
≪写真4右≫
マフラー。 買った直後、シルバーの塗料で錆隠しをしてから、一年以上経ちましたが、依然、ピカピカです。 やはり、雨の日に乗らないというのが、一番、効いていると思います。
風変わりな形のマフラー・カバーですが、気に食わなくて、外してしまう人がいる模様。 私は、むしろ、独特で良いと思います。 欧米メーカーや、それを真似ている日本メーカーでは、こういうデザインは、思いつきもしないのでは? 古代中国の青銅器文様を彷彿とさせるものがあり、大変、面白いです。
惜しむらく、後継機種の、EN125-2Fや、3Fでは、何の変哲もないデザインに変えられてしまいました。 比べて見ると分かりますが、2F、3Fのマフラー・カバーは、普通過ぎて、面白くも何ともないです。 あんなのは、素人でも・・・、いやいや、小学生高学年くらいでも、デザインできます。
【田代メルヘンの里 / 月光天文台】
2020年10月13日に、バイクで、函南町の山の中にある、田代地区へ行って来ました。 火雷神社がある、今年の1月にも行った所です。
≪写真1≫
「メルヘンの里」という田んぼを潰した所で、コスモスが咲いているというので、行ったもの。 確かに咲いていましたが、誰もいないせいか、妙に、うら寂しい。 人がいない方が、感染防御上は安心できますが、全くいないのもねえ・・・。
≪写真2左≫
これは、火雷神社の近くの野原で咲いていたコスモスです。 こちらの方が、盛んでした。
≪写真2右≫
アップ。 やはり、コスモスは、ピンク色の花が、一番、それらしい。
≪写真3左≫
田代から、山の中の道を通り、「月光天文台」へ。 案内看板がたくさんあって、迷わずに済みました。 天文台と言っても、観光施設です。 駐車場があるんですが、道路を挟んだ向かい側に空き地があり、停め易そうだったので、そちらへ置きました。 すぐに立ち去るつもりだったので。
≪写真3右≫
バイクを置いた所から、南側を見たら、遠くに、前回行った、「伊豆・富士見ランド」跡地のメインの建物と、「南箱根グランビュー」マンションが見えました。 やはり、遺跡のような趣きだな。
≪写真4≫
月光天文台の敷地内を、駐車場も入れて、全景。 2010年5月にも寄っているんですが、その時より、建物が増えたような気がします。 前に来た時には、一番奥に見える、白い建物しかなかったような・・・。 前回も今回も、中には入らず。 それほど、興味がないです。 有料なのか無料なのかも知りません。
【桑原・山神社】
月光天文台から、道なりに下っていったら、函南駅の少し上の、桑原という地区で、山神社を発見しました。 目的地ではありませんでしたが、寄り易そうだったので、バイクを道路脇に停めて、見学しました。
≪写真1≫
道路から見た、全景。 境内は、お世辞にも広いとは言えません。 ここで、お祭りは難しいと思うのですが、やっているんでしょうなあ、どこかで。 神社そのものは、大変よく、手入れされている模様。 社殿の屋根は、瓦葺きですが、2009年に建てられたようです。 鳥居、手水舎、石燈篭はありますが、狛犬がありません。
≪写真2左≫
社殿の前が、階段の代わりに、欄干付きの橋になっています。 こういうのは、初見。 狭い空間を、うまく利用しているわけだ。
≪写真2右上≫
桑原区史跡保存委員会による、解説板。 祭神と、縁起、祭礼について書かれています。 神社の解説板としては、分かり易い方。 ちなみに、解説板は、寺の方が、物語性があって、より読み応えがあります。
≪写真2右下≫
社殿の道路側に、水槽型の池がありました。 川から引かれているようで、綺麗な水が流れていました。 魚等の姿は見えず。
≪写真3左≫
手水舎。 瓦葺きの屋根と言い、自然石の漱盤と言い、異様に立派。 石工だけでは、こういうのは手に余ると思われ、植木屋が絡んでいる可能性があります。
≪写真3右≫
漱盤の横に設置されていた、石の亀。 甲羅のパターンは正確ですが、他は、テキトーです。 頭なんか、蛙が入っていますねえ。
≪写真4≫
道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 おお、この角度は、カッコ良く見えますなあ。 これが、125ccの原付とは、お釈迦様でも気がつくまい。
バイクをカッコ良く撮影するコツは、「ヘルメットをつけない事」、「ハンドル・ロックをかけず、ハンドルは真っ直ぐにしておく事」ですかね。
【三島・澤地工業団地】
2020年10月21日に、バイクで、三島へ行って来ました。 駅北、箱根山麓住宅街の麓にある、八幡神社を目指したのですが、見つけるには見つけたものの、階段でしか上がれない小山の上にあり、バイクを停める場所がなくて、境内に上がるのはあきらめました。 そのまま、澤地の方へ上がって行ったら、工業団地に入りました。
≪写真1≫
道なりに、北から西の方へ回ったら、ここへ出ました 澤地工業団地の、西の外れです。 工業団地がもろに見える所では、写真を撮るどころか、停車も怪しまれそうだったので、端っこまで来てしまった次第。
≪写真2≫
工業団地内の地図。 事業者名が、30社、出ていますが、私が名前を知っているのは、5社くらいです。
≪写真3≫
路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ピンク・ナンバーにも、すっかり慣れてしまい、何とも思わなくなりました。 ちなみに、白ナンバーの250㏄クラスよりも、こちらの方が、注目度が高いです。 セローに乗っている頃には、見られている意識がなかったのに、EN125-2Aでは、妙に他人の視線を感じるのです。 125ccで、こういう正統派スタイルのバイクが存在する事を知らない人が多いから、ジロジロ見たがるのでしょう。
≪写真4≫
北の道へ向かい、山の中を少し走って、西に出たら、こんな景色が広がっていました。 三島の箱根西麓は、畑が多く、野菜の生産で有名です。 遠くに見える山並みは、沼津アルプス。 箱根なので、高圧電線の鉄塔も多いです。
【三島・箱根山麓】
≪写真1≫
北北西の方角を見た景色。 手前は、畑。 遠くの山は、愛鷹山。 ここからだと、富士山は見えないようです。
≪写真2≫
路傍に繁茂していた植物。 苔にしては、日向的存在感が強いです。 葉が立体的で、多肉植物っぽいですが、一つ一つの株は、ごく小さなものです。
≪写真3≫
手前の黄色いのは、セイタカアワダチソウ。 遠くに見える白いのは、パンパスグラス。 どちらも、外来種なのに、セイタカアワダチソウより、パンパスグラスの方が、好ましいイメージがあるのは、自然に増えていかないからでしょうか。
≪写真4≫
路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 キャスト・ホイールは、スポークと違って、錆びない点が優れています。 セローの頃は、スポークの錆を見るたびに、556で拭いていましたが、完全には止められませんでした。 それに比べると、ほとんど、ノー・メンテで済むのですから、どれだけ、楽な事か。
【長泉町下長久保・一柳直末公首塚 / 鎧ヶ淵大橋 / 尾尻公園】
2020年10月28日に、バイクで、長泉町の下長久保へ行って来ました。 下長久保と言っても、広いのですが、荻素橋の付近です。
≪写真1左≫
「一柳直末(ひとつやなぎ・なおすえ)公首塚」。 幹線道路から、少し離れているので、ここに、こんな史跡がある事を知らない人は多いと思います。 私は、何年か前に、折自で、ここまで来た事がありますが、すっかり忘れていました。 折自では、登りがきつくて、ここまでで、引き返したのでした。 いつの事だったかなあ。
≪写真1右≫
一柳直末という人は、豊臣秀吉に仕えた武将で、箱根の山中城攻めの時に討ち死にし、従僕が、首だけを、ここまで運び、葬ったとの事。 本当に、首が埋まっているんですかねえ。 もうちょっと、生き延びれば、天下人の家臣として、いい思いができたでしょうに。
≪写真2左≫
分かり難い写真ですが、橋です。 地図に載っていないので、割と最近、出来たもの。 ここが、荻素橋かと思ったんですが、近づいて、名前を見てみたら、「鎧ヶ淵大橋」とありました。 「よろいがふち」と読むのでしょうか。
≪写真2右≫
鎧ヶ淵大橋の反対側は、道路工事中でした。 どこへ繋がるのか、不詳。 地図で見ると、国道246号の、陣場交差点へ接続して、新東名に繋がるようです。 この付近、結構、住宅が多いのですが、よくこれだけ、土地が余っていたものです。 立ち退きなんかもあったんでしょうか。
≪写真3左≫
歩道に停めた、EN125-2A・鋭爽。 歩道と言っても、道路工事中の仮歩道でして、歩行者・自転車の姿はなし。 この辺り一帯は、緩い傾斜地ですが、バイクなら、全く、どうという事はありません。 自転車では、もう、来たくないなあ。
≪写真3右≫
一柳直末公首塚よりも、南側だと思いますが、「尾尻公園」という児童公園で撮った写真。 オブジェ。 アメリカのアニメのキャラクターでしょうかね。 遊具ではないですが、子供の椅子にはなると思います。
≪写真4≫
ずっと、北の方、下長久保交差点の北東の一角に並んでいた、石像群。 こういう石像は、本来、別々の場所に、一つ一つ置かれるものでして、こうやって集められているという事は、何かしら、道路や土地の整理があって、元の場所に置けなくなったけれど、壊したり、捨てたりするわけにも行かないので、当たり障りのない場所に集めたのだと思います。
【長泉町下長久保・荻素橋 / 稲荷神社 / 山神社】
≪写真1≫
下長久保交差点から、東へ行くと、ここに、荻素橋がありました。 この橋は、うちにある古い地図にも載っているのです。 橋の先は、旧246号の、南納米里交差点に至ります。 橋の袂の柱の上に、西洋風の銅像が載っています。
≪写真2左≫
この日の目的地だった二つの神社が、なかなか見つからず、住宅街をうろうろしましたが、たまたま、案内地図を見つけ、何とか、辿り着きました。 入り組んだ所にあって、案内地図を見なければ、着かなかったと思います。
これは、稲荷神社。 人間が入れる大きさなので、これは、社ですな。 ただし、容積は、かなり、狭そうです。
≪写真2右≫
なんと、赤い鳥居が、軒を支えています。 こういう様式は、初めて見ました。 神社建築は、似ているようで、その実、その土地の都合で、何でもアリなのではないかと思う事があります。
≪写真3左≫
稲荷神社から、すぐそこにある、山神社。 バイクを停める場所がなくて、罰当たりにも、鳥居に半分、乗り入れました。 大きな木があり、境内を覆っていました。
≪写真3右≫
山神社の、石の祠。 なぜか、石組み、あり。 これは、これで、趣きがあります。 稲荷神社もそうですが、この規模でも、祭礼をしているんですかねえ。 何かしら、やっているんでしょうねえ。
≪写真4≫
山神社の境内から、東の方を見下ろした景色。 黄瀬川に向かって、傾斜しています。 山神社は、河岸段丘の上にあるのかも知れませんな。
今回は、ここまで。
雨の日は出かけないので、除外するとして、やはり、曇りよりも、晴れている方が、気分がいいです。 行った先の記憶も、全く、印象が違います。 富士見パークウェイは、輝いていましたねえ。 別に、観光地や景勝地に行くわけではなく、誰かと会うわけでもないのですが、一人で出かけて、地味な目的地に着いて、帰って来るだけでも、普通に、思い出になって行くものなんですな。
【富士見パークウェイ①】
2020年10月6日に、バイクで、伊豆の国市・韮山の山の中を通る、「富士見パークウェイ」という道路を走ってきました。 1966年から、2004年まで、有料道路だったところ。 それ以降は、無料。 かつて、山奥に、「伊豆・富士見ランド」という遊園地があり、そこへ行く為に造られた道だとの事。 遊園地は、1966年から、1999年まで、営業していたようですが、私は、つい数日前まで、名前も知りませんでした。
私が車の免許を取ったのは、1986年だから、99年の閉園までには、充分、行くゆとりがあったわけですが、そもそも、存在を知らないのでは、行きようがありませんな。 遊園地というのは、一人で行く所ではないから、進んで探しもしなかったわけです。
≪写真1≫
伊豆の国市・江間から、松原橋を渡って、真っ直ぐ東へ向かうと、山に差しかかった所から、富士見パークウェイに入ります。 この写真の交差点より、もう一つ向こうの交差点を、通称、「富士見パークウェイ入口交差点」と言うようです。
≪写真2≫
富士見パークウェイは、こんな感じの、片側一車線の道路です。 昔は、料金所があったわけですが、今は撤去されていて、どこにあったのか、分かりませんでした。
≪写真3左≫
伊豆半島の背骨を越して、もう、熱海に近い位置に、「伊豆・富士見ランド」の跡地がありました。 遊園地を造り、運営していた運送会社の研修所になっていました。 ここは、西門の近くで、メインの建物が見えます。
≪写真3右≫
正門の方から覗き込んでみました。 メインの建物は、工事中でした。 解体するのか、改修するのかは、不詳。 たぶん、元は、遊園地内のホテルだったのでしょう。 いやあ、やっている間に、一度でも来ていたら、懐かしく感じられたでしょうねえ。
名前は、どちらも、「富士見」が付いていますが、パークウェイからは、富士山が見える場所は、ほとんどありませんでした。 たぶん、ランドの中からは、よく見えるはず。 この写真には、遠くに、駿河湾や、伊豆半島北西部の山並みも写っています。
≪写真4≫
正門に入る、立体交差。 おそらく、営業中は、華やかな看板などで、飾られていたものと思われます。 この辺にも 入園を待つ車が、列を成していたんじゃないでしょうか。 ガード・レールの錆が、歳月の経過を無情に表しています。 兵どもが夢の跡。
ランドが開業した1966年は、マイ・カー時代幕開けの頃で、道路さえあれば、山奥でも、お客を呼べると計画したんでしょうな。 子供の頃に遊びに来た事がある人は、ここに立っただけで、泣いてしまうのではないでしょうか。
【富士見パークウェイ②】
≪写真1≫
伊豆・富士見ランド西門の辺りで、北側を見たら、こんな建物がありました。 山の中に、ヌッと現れると、マヤのピラミッド的な迫力があります。 帰ってから調べたら、「南箱根グランビュー」というマンションでした。 マンションだけがあるわけではなく、この一帯は、別荘地になっています。
≪写真2左≫
ランドの正門前立体交差の下で咲いていた、タンポポ。 他にも、何十と咲いていました。
≪写真2右≫
これは、富士見パークウェイの途中で見つけた、ススキ。 まだ、穂が若くて、ツヤツヤしています。
≪写真3≫
富士見パークウェイは、伊豆スカイラインの料金所で終わりになっています。 125ccは、自動車専用道に入れませんが、それ以前に、有料道路に入る気はありません。 ここで、引き返しました。
帰ってから、夕飯の時に、母に、伊豆・富士見ランドの事を知っているかと訊いたら、意外にも、行った事があるという返事。 兄が小学6年生の時に、町内会の子供会の係が回ってきて、子供達を遠足に連れて行く先の下見に、父と母で行ったとの事。 全然知らなかったなあ。 下見だから、子供を連れて行かなかったのは当然ですが、写真も撮らなかったそうで、中の様子も、全然覚えていないとの事。 残念至極。
≪写真4左≫
路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 同じワインディング・ロードでも、海岸沿いの平地道路と比べて、山道は、曲がる楽しさが、だいぶ、損なわれます。 登りは、バイクが苦しいし、下りは、スピードが出すぎて、怖いのです。
≪写真4右≫
マフラー。 買った直後、シルバーの塗料で錆隠しをしてから、一年以上経ちましたが、依然、ピカピカです。 やはり、雨の日に乗らないというのが、一番、効いていると思います。
風変わりな形のマフラー・カバーですが、気に食わなくて、外してしまう人がいる模様。 私は、むしろ、独特で良いと思います。 欧米メーカーや、それを真似ている日本メーカーでは、こういうデザインは、思いつきもしないのでは? 古代中国の青銅器文様を彷彿とさせるものがあり、大変、面白いです。
惜しむらく、後継機種の、EN125-2Fや、3Fでは、何の変哲もないデザインに変えられてしまいました。 比べて見ると分かりますが、2F、3Fのマフラー・カバーは、普通過ぎて、面白くも何ともないです。 あんなのは、素人でも・・・、いやいや、小学生高学年くらいでも、デザインできます。
【田代メルヘンの里 / 月光天文台】
2020年10月13日に、バイクで、函南町の山の中にある、田代地区へ行って来ました。 火雷神社がある、今年の1月にも行った所です。
≪写真1≫
「メルヘンの里」という田んぼを潰した所で、コスモスが咲いているというので、行ったもの。 確かに咲いていましたが、誰もいないせいか、妙に、うら寂しい。 人がいない方が、感染防御上は安心できますが、全くいないのもねえ・・・。
≪写真2左≫
これは、火雷神社の近くの野原で咲いていたコスモスです。 こちらの方が、盛んでした。
≪写真2右≫
アップ。 やはり、コスモスは、ピンク色の花が、一番、それらしい。
≪写真3左≫
田代から、山の中の道を通り、「月光天文台」へ。 案内看板がたくさんあって、迷わずに済みました。 天文台と言っても、観光施設です。 駐車場があるんですが、道路を挟んだ向かい側に空き地があり、停め易そうだったので、そちらへ置きました。 すぐに立ち去るつもりだったので。
≪写真3右≫
バイクを置いた所から、南側を見たら、遠くに、前回行った、「伊豆・富士見ランド」跡地のメインの建物と、「南箱根グランビュー」マンションが見えました。 やはり、遺跡のような趣きだな。
≪写真4≫
月光天文台の敷地内を、駐車場も入れて、全景。 2010年5月にも寄っているんですが、その時より、建物が増えたような気がします。 前に来た時には、一番奥に見える、白い建物しかなかったような・・・。 前回も今回も、中には入らず。 それほど、興味がないです。 有料なのか無料なのかも知りません。
【桑原・山神社】
月光天文台から、道なりに下っていったら、函南駅の少し上の、桑原という地区で、山神社を発見しました。 目的地ではありませんでしたが、寄り易そうだったので、バイクを道路脇に停めて、見学しました。
≪写真1≫
道路から見た、全景。 境内は、お世辞にも広いとは言えません。 ここで、お祭りは難しいと思うのですが、やっているんでしょうなあ、どこかで。 神社そのものは、大変よく、手入れされている模様。 社殿の屋根は、瓦葺きですが、2009年に建てられたようです。 鳥居、手水舎、石燈篭はありますが、狛犬がありません。
≪写真2左≫
社殿の前が、階段の代わりに、欄干付きの橋になっています。 こういうのは、初見。 狭い空間を、うまく利用しているわけだ。
≪写真2右上≫
桑原区史跡保存委員会による、解説板。 祭神と、縁起、祭礼について書かれています。 神社の解説板としては、分かり易い方。 ちなみに、解説板は、寺の方が、物語性があって、より読み応えがあります。
≪写真2右下≫
社殿の道路側に、水槽型の池がありました。 川から引かれているようで、綺麗な水が流れていました。 魚等の姿は見えず。
≪写真3左≫
手水舎。 瓦葺きの屋根と言い、自然石の漱盤と言い、異様に立派。 石工だけでは、こういうのは手に余ると思われ、植木屋が絡んでいる可能性があります。
≪写真3右≫
漱盤の横に設置されていた、石の亀。 甲羅のパターンは正確ですが、他は、テキトーです。 頭なんか、蛙が入っていますねえ。
≪写真4≫
道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 おお、この角度は、カッコ良く見えますなあ。 これが、125ccの原付とは、お釈迦様でも気がつくまい。
バイクをカッコ良く撮影するコツは、「ヘルメットをつけない事」、「ハンドル・ロックをかけず、ハンドルは真っ直ぐにしておく事」ですかね。
【三島・澤地工業団地】
2020年10月21日に、バイクで、三島へ行って来ました。 駅北、箱根山麓住宅街の麓にある、八幡神社を目指したのですが、見つけるには見つけたものの、階段でしか上がれない小山の上にあり、バイクを停める場所がなくて、境内に上がるのはあきらめました。 そのまま、澤地の方へ上がって行ったら、工業団地に入りました。
≪写真1≫
道なりに、北から西の方へ回ったら、ここへ出ました 澤地工業団地の、西の外れです。 工業団地がもろに見える所では、写真を撮るどころか、停車も怪しまれそうだったので、端っこまで来てしまった次第。
≪写真2≫
工業団地内の地図。 事業者名が、30社、出ていますが、私が名前を知っているのは、5社くらいです。
≪写真3≫
路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ピンク・ナンバーにも、すっかり慣れてしまい、何とも思わなくなりました。 ちなみに、白ナンバーの250㏄クラスよりも、こちらの方が、注目度が高いです。 セローに乗っている頃には、見られている意識がなかったのに、EN125-2Aでは、妙に他人の視線を感じるのです。 125ccで、こういう正統派スタイルのバイクが存在する事を知らない人が多いから、ジロジロ見たがるのでしょう。
≪写真4≫
北の道へ向かい、山の中を少し走って、西に出たら、こんな景色が広がっていました。 三島の箱根西麓は、畑が多く、野菜の生産で有名です。 遠くに見える山並みは、沼津アルプス。 箱根なので、高圧電線の鉄塔も多いです。
【三島・箱根山麓】
≪写真1≫
北北西の方角を見た景色。 手前は、畑。 遠くの山は、愛鷹山。 ここからだと、富士山は見えないようです。
≪写真2≫
路傍に繁茂していた植物。 苔にしては、日向的存在感が強いです。 葉が立体的で、多肉植物っぽいですが、一つ一つの株は、ごく小さなものです。
≪写真3≫
手前の黄色いのは、セイタカアワダチソウ。 遠くに見える白いのは、パンパスグラス。 どちらも、外来種なのに、セイタカアワダチソウより、パンパスグラスの方が、好ましいイメージがあるのは、自然に増えていかないからでしょうか。
≪写真4≫
路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 キャスト・ホイールは、スポークと違って、錆びない点が優れています。 セローの頃は、スポークの錆を見るたびに、556で拭いていましたが、完全には止められませんでした。 それに比べると、ほとんど、ノー・メンテで済むのですから、どれだけ、楽な事か。
【長泉町下長久保・一柳直末公首塚 / 鎧ヶ淵大橋 / 尾尻公園】
2020年10月28日に、バイクで、長泉町の下長久保へ行って来ました。 下長久保と言っても、広いのですが、荻素橋の付近です。
≪写真1左≫
「一柳直末(ひとつやなぎ・なおすえ)公首塚」。 幹線道路から、少し離れているので、ここに、こんな史跡がある事を知らない人は多いと思います。 私は、何年か前に、折自で、ここまで来た事がありますが、すっかり忘れていました。 折自では、登りがきつくて、ここまでで、引き返したのでした。 いつの事だったかなあ。
≪写真1右≫
一柳直末という人は、豊臣秀吉に仕えた武将で、箱根の山中城攻めの時に討ち死にし、従僕が、首だけを、ここまで運び、葬ったとの事。 本当に、首が埋まっているんですかねえ。 もうちょっと、生き延びれば、天下人の家臣として、いい思いができたでしょうに。
≪写真2左≫
分かり難い写真ですが、橋です。 地図に載っていないので、割と最近、出来たもの。 ここが、荻素橋かと思ったんですが、近づいて、名前を見てみたら、「鎧ヶ淵大橋」とありました。 「よろいがふち」と読むのでしょうか。
≪写真2右≫
鎧ヶ淵大橋の反対側は、道路工事中でした。 どこへ繋がるのか、不詳。 地図で見ると、国道246号の、陣場交差点へ接続して、新東名に繋がるようです。 この付近、結構、住宅が多いのですが、よくこれだけ、土地が余っていたものです。 立ち退きなんかもあったんでしょうか。
≪写真3左≫
歩道に停めた、EN125-2A・鋭爽。 歩道と言っても、道路工事中の仮歩道でして、歩行者・自転車の姿はなし。 この辺り一帯は、緩い傾斜地ですが、バイクなら、全く、どうという事はありません。 自転車では、もう、来たくないなあ。
≪写真3右≫
一柳直末公首塚よりも、南側だと思いますが、「尾尻公園」という児童公園で撮った写真。 オブジェ。 アメリカのアニメのキャラクターでしょうかね。 遊具ではないですが、子供の椅子にはなると思います。
≪写真4≫
ずっと、北の方、下長久保交差点の北東の一角に並んでいた、石像群。 こういう石像は、本来、別々の場所に、一つ一つ置かれるものでして、こうやって集められているという事は、何かしら、道路や土地の整理があって、元の場所に置けなくなったけれど、壊したり、捨てたりするわけにも行かないので、当たり障りのない場所に集めたのだと思います。
【長泉町下長久保・荻素橋 / 稲荷神社 / 山神社】
≪写真1≫
下長久保交差点から、東へ行くと、ここに、荻素橋がありました。 この橋は、うちにある古い地図にも載っているのです。 橋の先は、旧246号の、南納米里交差点に至ります。 橋の袂の柱の上に、西洋風の銅像が載っています。
≪写真2左≫
この日の目的地だった二つの神社が、なかなか見つからず、住宅街をうろうろしましたが、たまたま、案内地図を見つけ、何とか、辿り着きました。 入り組んだ所にあって、案内地図を見なければ、着かなかったと思います。
これは、稲荷神社。 人間が入れる大きさなので、これは、社ですな。 ただし、容積は、かなり、狭そうです。
≪写真2右≫
なんと、赤い鳥居が、軒を支えています。 こういう様式は、初めて見ました。 神社建築は、似ているようで、その実、その土地の都合で、何でもアリなのではないかと思う事があります。
≪写真3左≫
稲荷神社から、すぐそこにある、山神社。 バイクを停める場所がなくて、罰当たりにも、鳥居に半分、乗り入れました。 大きな木があり、境内を覆っていました。
≪写真3右≫
山神社の、石の祠。 なぜか、石組み、あり。 これは、これで、趣きがあります。 稲荷神社もそうですが、この規模でも、祭礼をしているんですかねえ。 何かしら、やっているんでしょうねえ。
≪写真4≫
山神社の境内から、東の方を見下ろした景色。 黄瀬川に向かって、傾斜しています。 山神社は、河岸段丘の上にあるのかも知れませんな。
今回は、ここまで。
雨の日は出かけないので、除外するとして、やはり、曇りよりも、晴れている方が、気分がいいです。 行った先の記憶も、全く、印象が違います。 富士見パークウェイは、輝いていましたねえ。 別に、観光地や景勝地に行くわけではなく、誰かと会うわけでもないのですが、一人で出かけて、地味な目的地に着いて、帰って来るだけでも、普通に、思い出になって行くものなんですな。
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